2017
03.31

臨床のワンフレーズ(18):飛行機とカサブタ

 精神症状は、それに頭がとらわれることでまさに精神症状となります。不安はとらわれなければ症状ではなく日常の感情ですし、幻聴だって、とらわれずに聞き流せたりうまく相手をすることができれば症状ではなくなります。ちなみに、ある慢性期統合失調症の患者さんは「幻聴がなくなっちゃうのはさびしいな。少し残るように、薬なんとかなんないか?」と言います。

 精神科医は、あの手この手で症状を軽くしようとしますが、その”軽くする”は、決して量的ではなく質的なものと言えましょう。患者さんには「不安って、普段私たちが持っている気持ちと同じです。不安がなくなってしまったら、それはロボットになっちゃうことかもしれませんよ。大事な感情です」とお伝えすることが多いです。

 そして”症状”は急に改善するととても不自然ですし、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら全体として改善していきます。ゆらぎながらだんだんと、というのがこちらとしては安心できるもので、笠原嘉先生はじわじわ改善するさまを”タマネギの薄皮を剥くように”なんていう例えをしていたような記憶があります。自分は少し系統の異なる2つの比喩を使います。

自分「○○さん、症状ってよくなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しずつ上向きになっていきますからね。短い間隔で見ちゃうと、良くなった! あぁ悪くなった…、ってなって、それに○○さん自身が揺さぶられちゃいますからね」
患者さん「そうなんですねぇ」
自分「飛行機と同じで、離陸するまでの滑走と安定飛行に乗った時って大きく揺れませんよね」
患者さん「はい」
自分「離陸して安定飛行に入るまでの上昇中って、揺れることありませんか?」
患者さん「あー確かにそうですね」
自分「それと同じで、症状も上昇中は揺らぎがあります。でもそれは安定飛行に入るまでは必要な揺らぎですので」
患者さん「はい」
自分「短期的に見ちゃうと、さっき言ったように症状の揺らぎに翻弄されちゃうので、揺らぎは織り込み済みとして、長期的なスパンで見ていきましょう」

 というのが飛行機の例え。揺らぎをあるものとしてまずは認識してもらうと、とらわれが少なくなります。そして、長期的な視野を持ってもらうことも強調しています。

 もう1つはカサブタの例え。

自分「○○さん、症状ってカサブタみたいな感じで治っていきますよ」
患者さん「はぁ」
自分「カサブタって、つい剥がしたくなるんですけど、ペリっと剥がすとどうなります?」
患者さん「痛いし血が出ますよね~」
自分「ですよね。症状も気になって無理になくそうとすると大変だし、また血が出るみたいにひどくなっちゃいます」
患者さん「それでカサブタみたいってことですか」
自分「そーなんです。カサブタは自然にポロッと取れて気がついたら傷が治ってるっていうのが本来のもので、症状も同じと考えてください」
患者さん「自然にポロッと取れますか」
自分「はい。早く治そうとして剥がすのではなく、そのままにしておく。するとだんだん小さくなってポロッと行きます。大事なのは、なんとかしようと思いすぎないこと。剥がして血が出てまたカサブタが出来て、の繰り返しにならないことが大切です」
患者さん「なかなか難しそうですね…」
自分「ですね。確かに難しいんですけど、これからも診察の時にまた取り組んで行きましょう」
患者さん「はい」

 こんな感じ。

 一回の説明でうまくいくことは少ないので、診察のたびに”とらわれ”や”ゆらぎ”を話題にします。その流れでマインドフルネスを紹介することもありますし、ワークブック形式が好きなら書き込み式のセルフヘルプ本を紹介して、それも診察で話題にしていきます。
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2017
03.29

何だか切ないね

 さだまさしさんのグレープ時代の歌に、”追伸”という歌があります。女の子の片思いと失恋を歌い上げていて、自分の好きな曲でもあります。今回は、その歌詞をちょっと考えてみようかと。

 好きな男の子の指に包帯が上手に巻かれてある場面が登場します。女の子は「誰が巻いてくれたんだろう」と気になる。”上手に”巻かれてあるというのが別の女性の存在を示唆していますね。怪我に気づき、上手に包帯を巻く女性というのは撫子的でしょう。詩の冒頭にも”撫子の花が咲いた”とあります。ちなみに、その咲いた後に”芙蓉の花は枯れた”と続き、女の子の失恋を示唆しています。芙蓉は花言葉に恋人を表現するものがありますが、枯れたことで恋人になれなかった感じが出ています。深く読みすぎると、指に巻いてある包帯は指輪を想像するかも?

 思いを打ち明けられず、結局は失恋してしまう。誰かと楽しそうに話す”あなたの声が眩しくて耳をふさぐ”というフレーズが出てきて、切なさを感じます。でも眩しいというのは、諦めきれないようなあこがれをも示しているかもしれません。でもあこがれは届かないからこそあこがれなんですよね。”声が眩しい”なんて、さすがさださん。自分は思いつきません、そんな表現。

 ここに出てくる女の子は、かなり内気でなかなか言い出せない子なんだろうなぁと思います。鴎外の本を意中の男の子から借りているのですが、たぶんそこでしか話しかけられない、共通の話題がつくれない、何となくそんな思春期の女性像を想像します。決して活動的で運動が得意なイメージは湧いてきません。文学少女タイプ。でもものすごくこの男の子のことが気になっていますよね。包帯を巻いているとか、誰かと楽しそうに話しているとか、細かいところを見ていて、好きで好きでしょうがないんだろうなぁと感じます。

 その子は男の子のことを思ってベストを編んでいたのですが、その色が白。清潔さや純粋さを表しますし、これは穿った見方ですが、冒頭の包帯の白さも連想します。でも、失恋したことで”ほどき始めましょう”と言う(実際にほどいてはいないんでしょう)。でも”最後のわがまま”と前置きして、”肩巾を教えて下さい”と。失恋したけどその男の子のことが忘れられない気持ちが出ています。

 そして、女性は失恋すると髪を切るというのは定型的な言い回しですが、この女の子もそうです。しかしそれで「スッパリ忘れました!」とはいかず、”私 髪を切りました”と歌詞に出てきます。この”髪を切りました”がまさに追伸になっていると思います。忘れたいけど忘れられないこの思いを、追伸として”髪を切った”と告げる。相反する行為がとても繊細な乙女心を表現していると感じました。髪を切ってイメージの変わった私を見てほしい、好きだったんですよと伝えたいというのもあるのかもしれませんね。

 で、この男の子の方は女の子の恋心に気づいていたのかどうか。たぶん、ちょっと気づいていたんだろうなぁと思います。冒頭に”あなたがとても無口になった秋に”とあり、無口になるっていうのは、思春期らしいですよね。自分で気づいたか、同級生から「お前のこと好きなんじゃねーの?」と言われたか、意識をしている感じがあります。でも付き合っている子や他に好きな人がいてちょっとギクシャクした印象。

 でも、ひょっとしたら包帯を巻いたのは男の子のお母さんかもしれないですし、失恋というのは女の子がその思春期心性で解釈したのかもです。歌詞の中には決定的な描写がないので。しかしながら、思春期の子はそういうものだと思います。ひとりで色々と考え悩む、そんな苦しさというか甘酸っぱさというか、それがうまく表現されています。

 最後に考えてしまうのは、この女の子は何歳くらいなんだろう? というところ。個人的には中学というよりは高校じゃないかなぁと。ここは分かりませんが、”ベストを編む”という行為や失恋で髪を切るっていうのを中学生がするかしらんというところ。あとは森鴎外を読んでいるところです。鴎外はやっぱり高校生くらいからじゃないかな? と勝手に想像。他には、歌詞を通じて女の子から大人びている印象を受けるので、やっぱり高校生かなぁ。

 さださんの歌は良いですね。人の生き様である”あこがれ、ありがとう、さよなら”。これらを歌わせたらさださんの右に出るものはいないのではないでしょうか。しかもこの”追伸”は20代前半の歌ですよ。すごすぎるのだ。
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2017
03.26

あとでまわれ

Category: ★研修医生活
 研修医の先生方は4月から色んな科をローテすることになりますね。そこで言えるのは、


行きたい科や好きな科は最初に廻らないようにしよう!


 ということ。もう遅いよ、廻る順番決めちゃったよ、という声も聞こえてきそうですが。。。

 なぜかって言うと、最初は研修病院のシステムに慣れることで精一杯だからなんです。病院のどこに何があって、どんな電子カルテ(紙カルテでも記載の方法など)を導入していてどんな操作をするのか、上級医の先生や看護師さんたちとどうやってコミュニケーションをとって、そして何より患者さんとどう話をしていくか、などなど。。。こういうことにまず慣れる必要性があり、それは最初にローテする科の体験の中で学んでいくことが多いのではないでしょうか。他にも、どこにスーパーがあるとか、どこに食べるところがあるとか、新しく住むところに馴染むとか、どんな同期や2年次がいるとか。
 
 自分は学生の時、神経内科の推理っぽさが好きでした。それもあって「好きな科を最初に回ってモチベーションアップや!」と思っていたら、カルテの使い方と病院の構造を理解するまでに2週間を要してしまい、あまり神経内科を肌で感じられなかった経験があります。バタバタと慣れていくうちに研修する期間の半分が過ぎてしまいました。指導医の先生も「最初だからまずカルテの使い方から勉強してね」という感じで。論文の調べ方もあんまり知らず、見やすいパワポの作り方も全然分からず、しかも患者さんとお話しするのも慣れてなくてね…。今では口先で商売する感じになってますけど。

 なので、好きな科があれば、そして出身校の附属病院でなければ(附属病院ならポリクリで廻ってるので勝手知ってるはず)、最初に回るのは”あんまり興味のない科”にした方が良いでしょう。自分だったら消化器内科とかかな…(すんません)。

 ちなみに自分は腎臓内科も好きで、それは2年次研修医の時に廻りました。そこでは深く学べたなぁと実感してます。たしか3ヶ月か4ヶ月くらい?廻ったはず。2年次ローテでは腎臓内科とICTを集中的に選択して楽しかったなぁ。感染症ってすごく大事で、どの科でも遭遇します(精神科でもね)。そこで適切な診断と適切な検査と適切な抗菌薬の選択が出来るようになれれば、やっぱり良いもんです。特に感染症に関しては上の年代の先生方はみっちり勉強してないので、若手が一本取れるチャンスでもありますよ。こういう成功体験ってやっぱり健全な自己愛を満たすために大切だと思ってます。

 ということでね、廻る科の順番は、科そのものの興味では決められないというお話でした。
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2017
03.23

おくすりごっくん

 患者さんから「カプセルは飲みにくい」というご意見をいただくことがあります。詳しく聞くと「喉に引っかかってしまう」とのこと。そういう時はちょっとアドバイスをするのですが、これが結構良いみたいでして、「すごく飲みやすくなった!」と喜ばれることも。

 ということで、今回は”ごっくん”の仕方について。

 カプセル剤はなぜ飲みにくいのかということですが、錠剤との大きな違いはこれかと思います。

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 カプセルは水に浮いてしまい、いっぽう錠剤は沈みます。これは患者さんの口の中をも再現します。お薬を口の中に入れて、水を含むという状態ですね。この事実を踏まえて、多くの方々が”ごっくん”をする際にとるポジションはこのような感じになっています(出演:ショーン君)。

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 ちょっと顔を上にして飲んでいませんか? これ、実は気道がしっかりひらく姿勢、いわゆるsniffing position(ニオイを嗅ぐような姿勢)に近くなります。本来のsniffing positionとは異なりますが、普通に前を見る姿勢よりも気道がノドとまっすぐにつながりやすいのは事実。

 となると、ノドから気道が真っ直ぐになりがちなので、誤嚥してむせてしまいます。かつですね、顔を上にするということは、カプセル剤は浮くので口の中でも口先に近い位置になります(ノドと距離ができる)。ごっくんと飲んでも水だけ飲んでしまってカプセルはあまり引き込まれずに宙ぶらりん。

 よって、自分はこのようにして飲んでみてねとお伝え。

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 ちょっと頭を下げます(画像は下げすぎか…?)。これはノドと気道との間に屈曲を作ることになり、より食道に入りやすくなります。かつ、姿勢的にカプセルは若干咽頭に近づきますね。この状態で”ごっくん”すると、スムーズに飲めるようになりますよ。

 錠剤に関してはですね、まずは口に含んでから顔を上にします。錠剤は沈むので、この段階でもうノドに近いところに行くはず。そして、飲み込む時に頭を下げて”ごっくん”します。そうすると飲みやすい。もしくは、頭を下げておいて舌で錠剤を喉の奥あたりに移動させても良いです。

 ちょっと練習が必要かもしれませんが、これは飲みやすくなること請け合い(たぶん)。おためしあれ。

 あ、粉薬は、ちょっとアレですね…。がんばってください。。。
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2017
03.20

昔を聞いたぞ

Category: ★精神科生活
 昨日から風邪をひきました…。今年に入ってもはや3回目。1ヶ月に1度ひいているという順調さ(?)を持っているようです。どうも今年はダメな気がする。

 さて、当直の時は、当直師長さんと一緒に病棟の見回りをします。個人的には、病棟に行くまでの間、そして帰る道すがらに色々と病院のことをうかがうのがちょっと楽しいです。もちろん話好きな師長さんの時に限りますが。そこで何十年と入院している患者さん(精神科病院では稀ではありません)の昔の様子が聞けたり、看護師さんの色んな体験が聞けたり。

師長さん「この病院も昔は夏祭りがあって、先生が診てる○○さんも着物を着て楽しそうにしててね」
自分「あら、そうなんですかぁ。今はお祭りないですもんねぇ」
師長さん「そうなんですよ。もっとみんなが楽しめるようなものが増えると良いんだけど」

師長さん「今は看護師が患者さんと一緒に外に行けなくなったけど、昔は一緒に映画を観に行ったりね、○○先生は一緒に喫茶店に行ったりしたのよ。楽しそうにしてね」
自分「え、○○先生がですか? いやーちょっと意外です」
師長さん「でしょ? つっけんどんに見えますよね。でも診察を見るととっても患者さん思いなのよ。だから○○先生は私たちも信頼してるんです」

 なんて話が出てきます。昔は良く言えばとてもおおらかであり、スタッフと患者さんとが一緒に出歩く、年末年始は一緒にお酒を飲む(!)、医局の冷蔵庫にはビールがあった(!!)、なんてこともあったと言います。他にも今では考えられないような出来事や、病院ならではのちとホラーな現象も。

 精神科病院は病院というよりも生活の場としての働きが強く、昔は上記の例のような”アソビ”が色濃くあったと言えるかもしれません。退院をあまり考えなかったからこそなのでしょうか。今は良くも悪くも”病院”であり、退院支援を積極的に考えるようになっています。昔ながらの患者さんにはそれがどう映るのでしょう。もちろん、どんなに生活の場という姿をしていても実態は病院なので、終の棲家としての立場は本来ならあるべきではないのかもしれません。何十年と入院していても、退院してみてびっくりするくらい地域でうまく暮らせる患者さんもいます。その一方で、頑として退院を拒否する患者さんもいます。ここは本当に難しい…。何十年と何も言われずに暮らしていて、いきなりここ数年で「退院」をチラつかされても困ってしまうのは頷けます。

 でも、どんな患者さんでも、”退院”という言葉を使います。「退院したい」「退院して家で暮らしたいです」「俺は退院させられるのか?」「退院だけはやめてくれ」など。生活の場ではあるけれども、患者さんが退院という言葉を発するということは、やっぱり病院は病院なのだなと思います。何十年と”住んで”いても、病院という認識なのでしょう。

 今の精神科病院は昔の姿を捨てねばならない時期に来ています(もちろん、地域もそれを受け入れる覚悟が必要です)。長期入院すべてが悪ではないのでしょうが、地域で暮らしてもらい、それを精一杯応援する義務と責任が病院関係者にはあります。それは患者さんにも少なからず影響を与えるでしょう。出来ることならば、その影響が良いものであるように、医療者は努力を最大限すべきなのだと思っています。
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