2017
08.19

その意欲はどこから湧くんですか?

 今後の身の振り方、を考えることがたまにありました。今はだいぶ固まっておりまして、そうそうブレることはなかろうと。

 医者として生活していく上で、大まかな道としては、”臨床・研究・その両方” の3分類があるかと思います。自分は「研究とはどんなものかしら」と思って大学院に行ってみましたが


こりゃアカンわ…


 ということで、撤退。研究はとても大事で、自分の頑張っていることが広まってそこから患者さんの治療に結びつくのは、医者冥利に尽きるとも言えましょう。自分の臨床だけだと関与できる患者さんは限られていますが、研究→文献という形であれば、その数は膨れ上がります。その大事さは分かっているつもりですが、残念ながら自分は研究への適応性がないなという実感があります。

 だから研究をどんどんして論文を書いている先生ってすごいなーと思っちゃいまして。留学している知り合いやこれからしようという知り合いもいます。もちろん高い地位を目指すぞという上昇志向が研究のエンジンになっている人もいるんでしょうけど、それにしたってすごいですよね。本当にそのやる気が羨ましい。自分は大学院にいて良かったのは ”色んな学割が有効” てなもんでしょうか。あとは大学が契約している雑誌の論文の全文を閲覧できたところか。恐ろしいくらいに意欲がなくなってしまって、特に2015年の後半から2017年の前半にかけては引きこもりがちになるほどで、暗黒時代みたいな感じがしました。こころも重いし身体も重い。常に一定以上の疲労感と閉塞感が取り憑いているような。今もまだだいぶ引きずっていてますけど、振り返ると当時のあのやる気の欠如は恐ろしいものがありましたよ。

 でも大学院に行ってみて、自分には研究の落第者というのが分かったので、それはそれで良かったと思います。だから、今後は病院の片隅でひっそり生きていこうと、それはそれは強く決意しているのです。何か世間様に出来ることがあるとすれば、ケースレポートでしょうか。しかしそれももうちょっと意欲が回復してこないと無理だなぁ。今は完全に ”気” がない。たぶん今世では無理で、来世になったら大丈夫かも(また人間に生まれ変われたら)。精神科病院でのこじんまりとした生活を今後も続けて大事にしていこうという感じです。それ以上に手を広げる余力は自分にありませんでした。

 以上、身の振り方の道筋でした。
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2017
08.11

ほどよい依存

Category: ★精神科生活
 随分前に寛解してお薬も飲んでおらず、でも定期的に通院する患者さんがいます。といっても3ヶ月に1度とかなんですけど。たぶん、こういう患者さんはどこの病院でもチラホラいるんじゃないかな? と思います。

 3ヶ月に1度やって来て、ちょっとお話をして、帰っていく。その多くは結構な高齢患者さん。社会とのつながりが薄く、子どもも独立して配偶者には先立たれて、というケースが典型的。こういう患者さんの通院に対しては、否定的な意見があるかもしれません。「治っているんなら通院の必要が無いだろう」「病院に依存してるんじゃないか」「患者さんをそうやって抱え込んでるんじゃないか」など。

 でも、依存がそんなに悪いのか? とも思うのです。世の中は何でも自立しろと言いますが、それは依存しないこととイコールではないでしょう。しんどいなぁ、さびしいなぁ、という時にちょっと依存できる目的語がある、そして依存できる主語がある、それが大事なのだとも考えております。そんな依存を許さない”自立”は”孤立”と言っても良いのではないでしょうか。どんなにつらくても自分の力だけで何とかする、のではなく、つらい時は頼ったって良いんだよ、という”おたがいさま””おかげさま”こそが人の世なのだと思うのです。私たちは”あわい”から生まれて”あわい”に生きる存在です。その”あわい”を断ち切ってしまえば、手を離された風船のように遠く消えていってしまう、そんな気がします。

 だから、3ヶ月に1度やって来るその患者さんも、病院に来てちょっと担当医と話をするということで、ほどよいつながりを保っているのではないでしょうか。担当医も深い介入はしません。スッとなでるような浅い関わりが侵襲性を最小限にして、ほどよさを生んでいるのでしょう。もちろん、毎週来て腰が痛い湿布を出してくれ点滴をしてくれ、とか、3日に1度のペースで予約外で来院する、というのであれば枠というのをしっかり考えて治療に当たる必要性があるでしょう。でも3ヶ月(2ヶ月でも良いんですけど)に1度、定期的にやって来てお話をちょろっとする、というのは決して悪いことでもないんじゃないかなぁと感じているのです。

 ちなみに、病院としてはそういう患者さんでほとんど利益は発生しません。さっさと終診にしてそのぶん新しい患者さんを診た方がよっぽど儲かるでしょう。でもそれを病院が第一にしてしまったら、病院は病院でなくなってしまうかもしれません。なかなかつながりの見出だせない社会だからこそ、病院がちょっとそんな役割を担っている。そう考えるといくばくかの悲しさもありますが…。昔はお寺なんかがその受け皿だったかもしれませんね。コンビニよりもお寺の数が多いという話も聞きますし。お寺が復権してくれれば、病院に来る患者さんも減るかな? と想像。最近は症状というよりも ”悩み” と表現したほうが良いようなかたが受診されることも多くなったので…。
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2017
07.30

慣れってことで

 8月からはちょっと講演会が続きます。といっても、8-11月にかけて、各月1回ずつなんですけどね。気が早いですが、来年の3月にも1回あります。繰り返しになりますが、自分は精神科医で副業として漢方屋をやっている、という立ち位置。でも後者の講演依頼が圧倒的に多く、ちょっと精神科医として「???」な感じではあります。

 そんな中でも、10月は珍しく漢方ではなく、本業の精神科のお話を看護師さんがたにするのです(@四国!)。5時間のお話で、スライドは予備含めて約620枚。自分は1時間の講演で大体スライド100枚くらい使うので、これくらいあれば十分でしょう、たぶん。精神科ではない一般病棟で見る精神症状にどう対応していこうか? という内容。疫学や疾患のメカニズムなど教科書的なものではなく、どのように患者さんと接していくべきかを重視しました。木村敏先生に依拠した”あいだ”(個人的には”あわい”ですが)の大切さをお伝えできればなぁと考えています。

 それ以外の講演は漢方なのですが、8月は初心者のかたがたに向けて、ベンゾジアゼピン受容体作動薬の代わりに漢方薬はどうでしょう? という内容の講演。やや病名漢方的なお話になります。そして9-11月は、3回シリーズでメンタル漢方の ”総論・抑うつ・不安不眠” 取り上げていくことになりました。こっちは日常的に漢方薬を使っている先生がたへの講演なので、気・血・水や五行論などの理論(仮説?)を組み込んでのお話。自分は五行論ってちょっとシステマティック過ぎてどうなのかなぁと思うところがあるのですが、理論として一部援用するのはアリだと考えております。

 ただ、漢方は用語や概念の定義が人によって異なるのが悪いところ。もちろん柔軟な発想と考えれば良いところなのでしょうけれども、その人の中の定義で話をされると噛み合わないんですよねぇ。自分も ”瘀血” という概念を自分なりに理解していますし、瘀血の中に慢性炎症が含まれていると考えて臨床をしています。だから、あくまでも自分の中の考えであることを意識しておき、他の人に強制はしません。漢方屋さんの中には偏屈な人もおり(むしろ多い?)、自分の定義に当てはまらないと「それは間違ってる」と指摘されるかたも。その人の中では間違っているんでしょうけれども…と思わないわけではありませんが。完全に”ねじれの位置”のような感覚になります。

 でも、色々と講演依頼をいただくのはありがたいことです。発表の機会を与えられ、それによって他の先生がたが「なるほど」と少しでも思ってくれて、それで患者さんにとってプラスに働けば、何よりでございます。その中でお伝えしたいのは、漢方でなんでもかんでも解決しようと思わないこと。例えば明らかに肺炎球菌による肺炎に対して麻杏甘石湯のみで挑むのは前時代的。しっかりと抗菌薬を使用するのが欠かせません。特に漢方を体系的に勉強しない多くの医者にとっては、あくまでサポートとしての限界を設定しておくのがポイントでしょう。講演ではそこをお話することが多いです。後は、漢方薬にも副作用があるので、そこへの注意ですよね。

 ちなみに自分は元々かなりの人見知りで、人と話す、しかも大勢の前でなんてトンデモないと思っていました。大学受験も面接のある大学は真っ先に弾いてましたし。それがねぇ、慣れというのは恐ろしいものです…。ただ、自分の医局の教授の前でプレゼンする時は相変わらずダメダメです。。。それはいつまで経ってもアカンですね。
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2017
07.25

久しぶりに出かけてみた

 調子が良くないので引きこもっていましたが、この前のお休みにちょっと名古屋駅までお出かけ。平日の午後3時くらいだったのでそれほど人が多くなかったのが幸い。でも疲れますねー。

 大名古屋ビルヂングに行って、遅いお昼ごはんを ”酉しみず” で食べることにしました。

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 名古屋コーチンの親子丼です。徹底して名古屋コーチンでして

鶏肉:名古屋コーチンのお肉
お米:名古屋コーチンの出汁で炊いた
卵:名古屋コーチンの卵

 となっています。

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 名古屋に出店ということで、八丁味噌を使った味噌だれがかかっております。

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 どれ、食べてみましょうか。

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 うーむ、これは


お味噌が全部持っていった…


 期待する親子丼は、お出汁とほんのりな甘さの融合体なのですが、これはそういった要素が誤差みたいになっており、お味噌の強いベクトルで味が決まってしまったという感じ。微妙な味わいがお味噌(と唐辛子)でふっ飛ばされてしまいました。いくら名古屋と言っても、お味噌は親子丼に合わないなぁ。

 ちなみに名古屋コーチンではない親子丼(これもお味噌がかかってます)も食べてみましたが、アレルギー性鼻炎と慢性副鼻腔炎のある自分では、その違いが分かりませんでした…。ただ、これらの親子丼は味噌だれをかけるかどうか選べるそうなので、別添にしてもらった方が良いかもです。

 食後はJRゲートタワーを視察。名古屋に住んでいながらまだ足を踏み入れていなかったのでした。そこの本屋、三省堂書店に行ってみました。高島屋に入っていたのが移転? 拡張? したようです。

 そこで本を買って、疲れたのでひと休み。

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 冷たいレモネード。美味しかった。

 買った本というのがですね、こちらなのです。

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『ぐでたまひんやりBOOK』

 保冷バッグが特典として付いてきます。この本(?)の発売は6月末だったのですが、近くのイオンに入っている本屋さんにはなく、こちらに探し求めに来た、というのが今回のお出かけの本懐であったのです、実は。無事に入手。

 こんな感じ。保冷バッグと小さな保冷ポーチ。

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 マチもしっかり、結構な容量です。

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 サンリオキャラクター大賞では昨年の4位からひとつ順位を落としてしまいましたが、個人的には1位のぐでたま先生。順位なんて全然意に介していないんでしょうけれども、これからも応援いたしますよ。
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2017
07.18

聞き方をどうしようかな?

Category: ★精神科生活
 長谷川式やMMSEはよく知られた検査ですが、個人的にはあんまりこういうのはしたくないなぁと思っています。患者さんの中には自身ではなくご家族の意志で病院に連れてこられる方々もいらっしゃり、しかも明らかに年下の医者からこの検査をされるというのは、あまり気持ちの良いものではないでしょう。

 だから、自分はまず通院してもらうことから始めて、その中で朝の連続テレビ小説を観ているか、ワイドショーで多く取り上げられる話題はどういうものか、その中で最近気になる話題は何か、他にはご家族の構成やその人たちのこと、最後に行った旅行なんていうのから探り(こういう表現も良くないかもしれませんが)を入れていきます。日付を問う時も、「じゃあ2週間後にまたお会いしましょうか。あれ、今日って何日でしたっけ」とこっちが忘れたフリをして、患者さんに聞くようにしています。でもこれは批判があるかもしれません。

 ご家族から詳細なお話を伺う時は、患者さんに席を外してもらうことが多いです。なぜなら、ご家族は患者さんの「ここが出来ない」「ここが変」というのを私たちに伝えようとするのですが、それを言われる患者さんは自尊心を傷つけられる思いでいっぱいでしょう。患者さんが恥をかかされることがないよう、できるだけ周辺を考えていく必要があるのだと思っています。ご家族から伺った後は、患者さんに入ってもらってもう一度お話を聞いてそこで終了。ご家族の話で終わって「じゃあ次回」となった場合、患者さんは「家族と先生とでどんな話をしたのか…」と疑念が湧くでしょう。でも初診でも診察時間が限られている時もあるのでなかなかね…。

 このように出来るだけ検査をせずにやっていきたいのではありますが、中には長谷川式やMMSEをしなくてはいけない時もあります。その時に前置きでなされるセリフに



・簡単なテストをさせてください
・小学生にやるようなテストで申し訳ありませんが



 などがありますが、これは言わないほうが良いと考えています。確かに中身は日付とか100-7とか3桁の数字を逆に言うとか、まさに”簡単”なのです。でも、だからこそそんな表現をしないほうが良いのです、たぶん。

 なぜなら、認知機能が低下している場合、この”簡単”なテストも出来ないことがあるからなのです。もしそうだったら

「私は簡単なテストも分からないのか…」
「小学生に分かるものも分からないのか…」

 と患者さんはがっかりするかもしれません。そうなると、自尊心を傷つけ、患者さんは恥をかいたと感じ、関係性が悪化したり受診が途切れたり、中には帰宅後にご家族に向かって「なんであんなことをするようなところに連れてきたんだ!」と怒る可能性だってあります(それが妄想に発展することも)。ショックを受けて不安が強くなってしまってもいけないでしょう。

 よって、自分はその言い方ではなく


試すようなことをしてすみませんが


 と前置きするようにしています。これでもそんなに変わらんじゃないか、と感じるかもしれませんが、「簡単な…」「小学生でも分かるような…」という枕詞を付けないことで、それをできるだけ意識させないように心がけています。ちなみに、わざとらしくなくてもっと素敵な表現があればなぁと考えている最中(緩募)。

 臨床試験ではMMSEを定期的に行なって薬剤の効果を見るというのがあります。もちろんスケールで目で見えるようにするのは大事だとは分かっていますが、酷なことをしているなぁとも思わざるを得ません(必要なのは重々承知しています)。基本的には、普段の生活の様子がこちらに想像できるような感じになるまで慎重に問うていくようにしていくと良いのではないかな? と思っています。そうすることで、患者さん一人ひとりの出来ること・難しいことが明らかになってくるでしょう。生活は千差万別なので、マーカーも千差万別。

 ちなみに長谷川式やMMSEは総得点だけではなく、下位項目を評価しましょう。同じ総合点でも3物品遅延再生がゼロ点なら、ちょっとこっちの方がさすがに危ういぞ…となります。100-7は同じ間違いでも保続が見られると「おや…」と思いますし、野菜の名前なんてのもグルーピングして挙げられずにつながりなく列挙するほうが「むむむ…」です。レビーは3物品遅延再生が結構得意ないっぽう、視空間機能の低下から五角形を組み合わせたり立方体を描いたりという模写が苦手になりますし、時計描画テストでは失敗は多くないのですが文字盤が”詰まる”感じになりやすいなと思っています。レビーを疑ったらイラスト系で攻めるのがポイントかな? ちょっとした重み付けは大事ですね。
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