2017
01.20

終診にする時

Category: ★精神科生活
 患者さんの状態が良くなって、お薬も少しずつ退いてゼロになっていく過程。それは、精神科からオサラバする道のりでもあります。その中で、そして終診の時も患者さんにお伝えすることがあり、一般的には以下のようにすることが多いでしょうか。これを基本にして、色々と後は柔軟に変えております。


自分「○○さん、随分と良くなって、お薬も次でゼロになりますね。ゼロになってから3回くらいはちょっと来てください。○○さんの元気な顔を見せてほしいので」
患者さん「分かりました」
自分「そして太鼓判を押せたら、ここからオサラバということで」
患者さん「はい、ありがとうございます。先生のおかげでここまで良くなりました」
自分「あら、そう言ってもらうとすごくありがたいんです。でもね、○○さんが養生をしっかりしてくれたからこそ今があるんですよ。私とかお薬はあくまでサポートですから」
患者さん「あ、先生よくそれ言ってましたね」
自分「そうですね。あと、病気になる前に戻ったっていう感覚ではいけませんよ」
患者さん「病気の種、ですね。先生の口癖」
自分「お、さすがですね」
患者さん「先生からいっぱい勉強しましたから」
自分「私から言うことなくなっちゃいましたね。それがいちばんですけど」
患者さん「そうですね」
自分「じゃ、次回でお薬をゼロにして、そこからあと3回くらいって感じにしましょうか」
患者さん「はい」
自分「もしすごくつらくなったら、また来てください。無理はしないように、限界の三歩手前の感覚ですよ」
患者さん「はい。ありがとうございます」
自分「○○さんは”休み下手”だったけど、本当に今は休み上手。身体とこころの声に耳を傾けながら、病気の前とはひと味違う生活をしていってくださいね」
患者さん「はい」


 ”先生のおかげ”とか”ありがとうございます”とかを言われるとそれはやっぱり嬉しいもの。でも、患者さん自身がしっかりと取り組んでくれたからこそなのだ、という気持ちがやっぱり強いです(白状すると、ちょっとは自負もあるけど…)。だから、それは素直にお伝えをしますし、医者なき後の人生、その人が自分自身の身体とこころをモニタリングして”精神科医いらず”な生き方、患者さん自身が治療主体なのだという生き方をしてもらえたら、それがいちばん良いこと。もちろん、苦しいなと思ったらいつでも来てもらってちょっとした助言や必要に応じてお薬は使います。「もう医者にかからないように」と考えすぎると限界まで我慢してヘロヘロの状態でやってくることがあるので、そこは我慢せずに”限界の三歩手前”で来てもらうようにと念押しします。再発してまた精神科にかかることは決して恥ずかしいことではないのです。ここも強調しておく必要があるでしょう。

 個人的には「せっかく病気になったのだから、この病気から何かを学ぼう」という姿勢が大事だとは思います。でもそれを口には出しません。病気になった苦しさは患者さんにしか分からない部分があり、その言葉を医者からぽいっと言うのは、患者さんにとって暴力的にすら感じられることがあります。だから、患者さん自身から「そういえば、病気になってこういうことを学んだなぁ」と思ってくれるように、色んな誘い水を治療の中でします。しかし、最終的にそう思えなくても悪いことではありません。患者さんなりの病気と向き合う姿勢があるので、それを無理やり変えるのは”角を矯めて牛を殺す”ということにもなるでしょう。自分としては、患者さんがだいぶ楽になって治療の雰囲気も柔らかくなった時に「○○さんにうつ病がやってきて色んな経験をしたと思いますけど、どんなことがありました?」とか、「うつ病になった頃の○○さんにアドバイスするとしたら、どんなことがありますか?」などと聞くこともあります。そして、良くなって終診とする日は「○○さんの周りに同じように苦しんでいる人がいたら、ぜひ支えてあげてください。○○さんの経験は大変でしたけど、活かすこともできてとても大切なものだとも思っています」ともお話をします。もちろん病気の種類によりますが。

 終診というのは精神科の中で特殊なもので、おそらく精神科医が10人いたら10通りの方法があると思います。かつ、同じ精神科医でも患者さんの病気や年齢などで随分と言うことも異なってきます。極端な例だと、20代と70代の患者さんでは、やっぱりこちらからの言葉もかなり変わります。出来るならば、他の医者のを見てみたいもんですね。
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2016
11.10

デモ禁止!

Category: ★精神科生活
 時期が時期だけにタイトルはキナ臭さがありますが、あのデモンストレーションの”デモ”ではありません。問診上の発言でなされる「でも」でございます。これは逆説を表し、古くは懐かしの評論文読解で「大事なところ!」として取り上げられた記憶のあるかたもいらっしゃるかと。


なるほど~だ。しかし~ではないだろうか。


 という、アレです、アレ。大学受験で小論文を勉強したかたは、「良いか、イイタイコトは逆説で書け」と教わったかもしれません(樋口式とか…)。

 この「でも」は結構強力でして、前に言ったことを打ち消してしまいます。だから、対話でこの言葉を使うのはリスキー。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 こういう表現だとちょっと患者さんは取り付く島もないという感覚になるでしょうか。ちょっと変えてみましょうかね。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 これだとどうかな? 患者さんの言葉を繰り返して、前よりは柔らかくなりました。人によってはこれでO.K.ですが、これでもちょっとなぁというかたもいる。それだけ「でも」の力は強く、言葉の繰り返しのクッションを取り払っちゃう可能性もあります。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。びっくりしたでしょう」
患者さん「はい」
医者「いきなりそうなると不安になるのも無理はないですね。でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 認証(validation)が入ることで、かなり良い感じ。ここまで来ると「でも」の強さは小さくなったでしょうか。いやいや、「でも」はこの組み立てをもひっくり返しちゃうこともあります。相手の意見を抑えて自分のイイタイコトを前面に出す手法なので、「でも」を使うとdia-logueになりづらく、mono-logueと受け取られてしまいそう。

 ということで、「でも」を他の言葉に置き換えてみることを推奨します。逆説ととられないような工夫ですね。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。びっくりしたでしょう」
患者さん「はい」
医者「いきなりそうなると不安になるのも無理はないですね。そこで調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 「でも」を「そこで」に変えてみました。ちょっと良くなった気がします、何となく(どうかな?)。「そこで」に限定する必要はないのですが、この言葉は流れをそのまま受けて次に持っていってくれます。逆説のような流れの屈曲を感じさせないのがポイントかと。「そこで」以外には「実際に」なんていう表現のしかたもあるかしらん。

 流れがいきなり曲がると、相手は「おっ、何だ何だ。こっちの言うことは否定するのか」と感じることが多いのです。「でも」は言い合いになりがちでして

医者「でもね」
患者さん「いやでも先生」
医者「うーん、でもねぇ」

 こんな感じになると、お互い「聞いてもらえなかったなぁ」というくすぶりが出てしまいます。対話では流れを折り曲げないことが原則で、曲げるにしても緩やかな曲線を描くように。もちろん意図的に「よいしょ!」と曲げることがあり、それは患者さんに「おっ?」と注目してもらうためであります。

 自分は「でもねぇ」という言葉がつい出てしまうことがあるので、意識的に注意して言い換えるようにしております。
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2016
11.03

大丈夫は大丈夫?

Category: ★精神科生活
 今回はありきたりで医療者はみんな気をつけていることですが、診察で患者さんから発せられる「大丈夫です」という言葉。

医者「どうですか? お腹の痛みのほどは」
患者さん「大丈夫です」
医者「そうでしたか、分かりました。じゃあお薬は変えずにこのまま出しておきますね」

 このような流れはありがちですがあんまり好ましいものではないのでございます。「大丈夫です」というセリフは、果たしてどんな「大丈夫です」なのか? と考えてみましょう。それは


1. 「(痛みはないから)大丈夫です」
2. 「(痛みはあるけど何とか我慢できるから)大丈夫です」
3. 「(痛いことは痛いけど何か言い出しにくいから)大丈夫です」


 などがあり、結構この「大丈夫です」は曖昧なのです。「大丈夫です」という言葉だけ聞くとつい1番をイメージしてしまって「じゃあこのままで」という流れになりがち。特に高齢患者さんや、医者が高圧的な(と患者さんが感じる)時だと言い出しにくくて2番や3番になってしまうことがあります。そこはきちんと意識すると良いかと。

医者「大丈夫っていうのは、痛みがないから大丈夫? それとも痛いけど我慢できるから大丈夫?」
患者さん「んー、痛いけど我慢できる、かな」
医者「あら。お薬を少し調節するともうちょい楽になるかもしれんけど、どうでしょう。お任せしますけど」
患者さん「あ、そうなんですか。じゃあちょっとお願いします」
医者「わかりました。じゃあまずその痛みについてもうちょっと聞きますね」

 という流れになるかもしれません! ただ、このように追撃しても「痛くないです。大丈夫です」と言う患者さんがいる可能性も。その時は、その患者さんと挨拶や話をする看護師さんや他の医療者にちょっと情報収集をお願いすると良いでしょう。”医者”というのは医者が思うよりも”権威”を患者さんが感じるもので、それは良い面も悪い面も含みます。悪い面を減じるために、医者よりも親身で距離が近い(と患者さんが感じる)看護師さんや他の医療者との協力がポイントになります。医者であっても、若手と上級医がタッグを組んで診ていた場合、上級医には言いにくいから若手に言う(若手が権威的でない)、逆に若手に言いにくいから上級医に言う(若手が頼りない)、ということもありえます。

 言葉は関係性の中で産まれたり産まれなかったり。関係性を見つめなおしたり他の関係性を織り交ぜたり、そうすると色合いが豊かになって産まれる言葉も実りあるものになると思います。ちょっとそんなことを意識してみると言葉を気にする感覚が磨かれるかもしれません。 
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2016
10.02

ベゲタミン退場の巻

Category: ★精神科生活
 1957年より日本のみで使用され続けていたベゲタミン(塩野義製薬)が2016年いっぱいでついに姿を消すようです。これは超強力な睡眠薬で、AとBの2パターンあります。いずれも3種類の向精神薬のブレンド(合剤)ですが、配合比が異なっていまして。

ベゲタミンA:クロルプロマジン25mg、プロメタジン12.5mg、フェノバルビタール40mg
ベゲタミンB:クロルプロマジン12.5mg、プロメタジン12.5mg、フェノバルビタール30mg

 Aがどぎついピンク色で、Bが白色。成分を見ると、実に良く考え抜かれた処方だなと思ってしまいます。フェノバルビタールはGABA-A受容体に結合して鎮静作用、クロルプロマジンはH1受容体、M1受容体、α1受容体に結合して鎮静作用、プロメタジンはH1受容体、M1受容体に結合して鎮静作用を持ちかつクロルプロマジンのD2受容体結合による錐体外路症状を防ぐ作用も担っています。3種類がうまく長所を活かして鎮静に向かわせ、錐体外路症状も防ぐのが特徴。

 これだけ聞くととても良い睡眠薬に見えてしまいますが、過量服薬でばったりと死んでしまう薬剤でもあるのです。特に困りものがフェノバルビタール。これは依存を来たしやすく、さらに治療域が狭く、その隣には言うまでもなく中毒域が待っています。しかも身体から抜けにくい。若手の精神科医がベゲタミンを新規に出すことはほぼないと言っても良いでしょう。出すなら慢性期統合失調症の入院患者さんでずっとベゲタミンが出ていた、慢性期統合失調症の外来患者さんで長年ベゲタミンを含む処方で安定していた、などに限られると思います。昔の先生ならそれ以外にもぽろっと出すこともあるかもしれませんが、新規に処方しないように教育がなされているため若手は出すことにかなりの躊躇があります、たぶん。少なくとも自分がレジデントとして学んだ医局では。

 安全な薬剤であればここまで問題にならなかったのですが、やっぱり多く飲むと呼吸抑制が起きたり死んでしまったりするのが怖いところで、自殺目的で飲む患者さんがいたのも事実。そういうのはやっぱり出さないに越したことはありません(双極性障害へのリチウムや治療抵抗性うつ病への三環系抗うつ薬は例外です)。自分が属している医局の教授もベゲタミン追放運動(?)を展開していて、販売元の塩野義さんに随分と言っていたそうです。精神神経学会も「もうあかんで」と宣ったため、今回の措置になりました。塩野義さんはずっと販売していたものの大量服用に注意するようにパンフレットをつくって啓蒙していまして、企業としての姿勢は悪くないと思います。ベンゾをつくっている各製薬会社もこれくらいはしてほしいところ。

 さて、ベゲタミンが無くなって万事良かった、となるかと思いきや、それで困る方々が。それが、長年処方されていた患者さん。もうこれじゃないと寝られない! という人も多く、さてさて、どうしたものか。嘆いてもあがいても2016年いっぱいで製造されなくなるらしく、何とかしなくてはいけません。

 取るべき方策は1つ、構成成分に分解して処方し可能ならば漸減中止する、になります。クロルプロマジンもプロメタジンもフェノバルビタールもそれ自体は製造販売されているので、ベゲタミンの配合に合わせてそれぞれを処方することになります。しかし、これが合剤の妙というか何というか、「ベゲタミンだと寝られるけどバラバラの処方だと寝られない」という患者さんが結構多いのです…!! 自分もレジデントの頃はベゲタミンを見つけるたびにバラバラ処方にして漸減中止を行なっていましたが、なぜか「ホントに同じ? 全然寝られないんだけど…」と言われたことが1度や2度ではありませんでした。とっても不思議です。でも何とかなだめすかして中止に持って行きましたが。。。

 減らす場合ですが、色んな方法があるかと思います。絶対的なものはないので、そこは個々の医者のさじ加減としか言いようがない。3種類とも一緒にじわじわ下げる方法もあるでしょうし、どれかひとつからというのもあるでしょう。減量方法の優劣は全く分かりません。いずれにしても焦らずゆっくりとが大事で、年単位かけるくらいの気長さで行なうのが肝腎要。

 精神科医のみなさんは、製造販売中止になるというのをきっかけにして、バラバラ処方にするだけではなく減量中止を開始してみるのも良いのではないかと思います。言うは易く行うは難し、ではありますが。
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2016
09.23

なんで? はあまり使わない

Category: ★精神科生活
 精神科の診察をしていると、ちょっとした言葉を「あんまり使わないほうがええんちゃうかな」と感じることがあります。

 自分は使わないように気をつけているものの1つが「なんで?」というフレーズ。


「なんで~したの?」
「なんで~と思ったの?」


 などなど。普段よく口にされている言葉だと思います。これは、もちろん語調や発話者の態度にもよりますが


詰問


 ととらえられることがあるのです。

患者さん「1ヶ月前から眠れなくなって、会社に行こうとしても気持ちが悪くなって吐いちゃいそうな気がして」
医者「そうでしたか。1ヶ月前からですね。何で今日来ようと思ったんですか?」

 これは、状況によっては「今日じゃなくてもいいじゃないか」「もっと早く来ることができたんじゃない?」「これだけ待てたんなら軽いんでしょ?」というような裏のメッセージと読まれてしまうかも。


何で~したの?→しなければ良かったのに
何で~しなかったの?→すれば良かったのに


 もちろんそうではなく純粋な疑問として質問者は呈しているわけで、多くの場合は受け取り手もそのように感じるでしょう。ただ、裏メッセージととられた時にはそこから挽回するのが難しくなるのです。ひょっとしたら裏のメッセージととらえるのは、小さい頃お母さんから言われた「何でこんなことしたの!」という叱責がベースになっているのかも?(ちょっと精神科っぽい)

 よって、「何で~?」と口にしたい時、質問の言い換えをすると良いでしょう。


「~したのは何か”こうしたいなぁ”と思ううところがあったのかしら」
「どんな思いで~したのでしょうか」


 などなど。気持ちとしては、”Why?”というよりむしろ”For what?”でいたいものです。原因を聞くとさらにその原因、そしてまた…とどんどん後ろの方を向いていきます。後ろを振り向くのは決して悪いことではなく、現在地点を確認するためには必要なことでしょう。後ろを向くことがあって初めて前を向けるという人も多いと思います。しかし、それだけでは終わらせないようにするのがコツで「こういう思いがあったから、そしてこうしたいと考えたから」というのを引き出すことで


今後どうしていけば良いか


 が見えてくるかもしれません。抱えている問題を患者さんが主体的に取り組むことが大切であり、解決を医療者が行なってしまっては、患者さんは患者さんのままでいてしまう可能性があります。

 ぜひですね、「何で?」と言いたくなった時こそ解決を頭に置いて聞いてみてください。
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