2017
07.18

聞き方をどうしようかな?

Category: ★精神科生活
 長谷川式やMMSEはよく知られた検査ですが、個人的にはあんまりこういうのはしたくないなぁと思っています。患者さんの中には自身ではなくご家族の意志で病院に連れてこられる方々もいらっしゃり、しかも明らかに年下の医者からこの検査をされるというのは、あまり気持ちの良いものではないでしょう。

 だから、自分はまず通院してもらうことから始めて、その中で朝の連続テレビ小説を観ているか、ワイドショーで多く取り上げられる話題はどういうものか、その中で最近気になる話題は何か、他にはご家族の構成やその人たちのこと、最後に行った旅行なんていうのから探り(こういう表現も良くないかもしれませんが)を入れていきます。日付を問う時も、「じゃあ2週間後にまたお会いしましょうか。あれ、今日って何日でしたっけ」とこっちが忘れたフリをして、患者さんに聞くようにしています。でもこれは批判があるかもしれません。

 ご家族から詳細なお話を伺う時は、患者さんに席を外してもらうことが多いです。なぜなら、ご家族は患者さんの「ここが出来ない」「ここが変」というのを私たちに伝えようとするのですが、それを言われる患者さんは自尊心を傷つけられる思いでいっぱいでしょう。患者さんが恥をかかされることがないよう、できるだけ周辺を考えていく必要があるのだと思っています。ご家族から伺った後は、患者さんに入ってもらってもう一度お話を聞いてそこで終了。ご家族の話で終わって「じゃあ次回」となった場合、患者さんは「家族と先生とでどんな話をしたのか…」と疑念が湧くでしょう。でも初診でも診察時間が限られている時もあるのでなかなかね…。

 このように出来るだけ検査をせずにやっていきたいのではありますが、中には長谷川式やMMSEをしなくてはいけない時もあります。その時に前置きでなされるセリフに



・簡単なテストをさせてください
・小学生にやるようなテストで申し訳ありませんが



 などがありますが、これは言わないほうが良いと考えています。確かに中身は日付とか100-7とか3桁の数字を逆に言うとか、まさに”簡単”なのです。でも、だからこそそんな表現をしないほうが良いのです、たぶん。

 なぜなら、認知機能が低下している場合、この”簡単”なテストも出来ないことがあるからなのです。もしそうだったら

「私は簡単なテストも分からないのか…」
「小学生に分かるものも分からないのか…」

 と患者さんはがっかりするかもしれません。そうなると、自尊心を傷つけ、患者さんは恥をかいたと感じ、関係性が悪化したり受診が途切れたり、中には帰宅後にご家族に向かって「なんであんなことをするようなところに連れてきたんだ!」と怒る可能性だってあります(それが妄想に発展することも)。ショックを受けて不安が強くなってしまってもいけないでしょう。

 よって、自分はその言い方ではなく


試すようなことをしてすみませんが


 と前置きするようにしています。これでもそんなに変わらんじゃないか、と感じるかもしれませんが、「簡単な…」「小学生でも分かるような…」という枕詞を付けないことで、それをできるだけ意識させないように心がけています。ちなみに、わざとらしくなくてもっと素敵な表現があればなぁと考えている最中(緩募)。

 臨床試験ではMMSEを定期的に行なって薬剤の効果を見るというのがあります。もちろんスケールで目で見えるようにするのは大事だとは分かっていますが、酷なことをしているなぁとも思わざるを得ません(必要なのは重々承知しています)。基本的には、普段の生活の様子がこちらに想像できるような感じになるまで慎重に問うていくようにしていくと良いのではないかな? と思っています。そうすることで、患者さん一人ひとりの出来ること・難しいことが明らかになってくるでしょう。生活は千差万別なので、マーカーも千差万別。

 ちなみに長谷川式やMMSEは総得点だけではなく、下位項目を評価しましょう。同じ総合点でも3物品遅延再生がゼロ点なら、ちょっとこっちの方がさすがに危ういぞ…となります。100-7は同じ間違いでも保続が見られると「おや…」と思いますし、野菜の名前なんてのもグルーピングして挙げられずにつながりなく列挙するほうが「むむむ…」です。レビーは3物品遅延再生が結構得意ないっぽう、視空間機能の低下から五角形を組み合わせたり立方体を描いたりという模写が苦手になりますし、時計描画テストでは失敗は多くないのですが文字盤が”詰まる”感じになりやすいなと思っています。レビーを疑ったらイラスト系で攻めるのがポイントかな? ちょっとした重み付けは大事ですね。
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2017
06.19

絶賛復習中

Category: ★精神科生活
 まだまだ先ではありますが、四国での看護師さん用講義に向けて、ちょっと復習しています。昔読んだ本を引っ張り出したり、新しく入門用の本を買ったり。この講義では、1日(5時間)を使って一般病棟で出会う精神疾患についてお話する予定。その中でも、間主観性を絡めて関わることのリスクとベネフィットをきちんと知ることをお伝えしようと考えております。

 さて、そんな本では読んでて「やっぱりためになるなぁ」とじんわり感じるのが、医学書院さんから出ている中井久夫先生の『看護のための精神医学』です。持っていたんですけど、まさかこういう講義をするとは思っておらず、新しく入った看護師さんにあげた記憶があります(3年くらい前?)。今回買い直して読んでみたのですが、さすがの名著でございます。ビシビシと伝わってくるものがありますね。

 初っ端から名文があり、以下に引用。


看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。


 こういうグッと来る文がどんどん出てくるのです。 精神科に関わる医療者には読んでもらいたい一冊。”看護のための”とありますが、レジデントの方々にもオススメなのです。あとは、春日武彦先生の『はじめての精神科』を合わせて読みましょう。春日先生の本はとっても現実的な視線で、ちょっとばかし読んでいて苦しくなることもあります。中井先生の上品さ?とは異なり、自分が診たイヤな患者さん(こういう言い方はとっても失礼ですが…)が思い出されるので、「あー、臨床はやっぱ苦しいよなぁ…」という感じになってきます。でもその中でも春日先生が1つの回答を与えてくれるので、「苦しいけどやるしかないなぁ」と踏ん張れる内容。この2冊はどちらも読んでおくとバランス的に良いでしょう。

 うーん、この講義は引き受けて良かったなぁと思います。こういうのがないと復習ってあんまりしないですし、以前読んだ本って、知識がついてからまた読むと違った角度からの理解も出来ますし。難しいことを砕いて言う練習にもなりますし。難しいことを易しく言うことについては賛否があり、否定的な見解の方々は、易しく言うことで深みが全く無くなってしまうというご意見をお持ちのことがあります。確かにごもっとも。でも自分としては、易しく表現することには並々ならぬ努力を要すということや、特に日常語にまで落とし込むことでその日常語の曖昧性を利用できることを重視したいのです。曖昧になるなんて良くないかもしれませんが、難しいことって専門用語を使っていても結構みなさん理解が異なります。哲学なんて良い例ですよね。であれば、日常語で意味を広く持たせて、そこからみなさん自身で考えていくきっかけとするのも悪くない、なんて思っちゃいます。

 ちなみに、ありがたいことに8月にも講演会(こっちは漢方!)の依頼をいただき、そっちのスライドもつくってます。結構忙しいけど、本業の臨床が疎かにならないように気を引き締めないといけませんな。5月の本業の講演会は無事に終了しました。東京は疲れますね。
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2017
06.10

Google、精神科を掌握す

Category: ★精神科生活
 統合失調症急性期のある患者さん。外来で強い不安と妄想があったため、入院での治療を行なうことになりました(今ではなく前の出来事です)。

 統合失調症の妄想は時代に影響を受けることが強く、昔は「みんな、僕のことを無線で連絡を取り合ってる」なんてのがあったようです。”無線”っていうのが古さを感じますね。他には「僕の情報が回覧板で知れ渡ってる」とか。怪奇現象が流行っていた頃は「UFOが」とか「FBIの捜査官が」とかも。しかし現代は無線が出てくることはほとんどなく、上記の患者さんでは



Google Earthで位置が分かって狙われてる



 ついにGoogle先生が妄想に登場するご時世になりました。しかもEarthですよ。ちょっとびっくりしちゃって

自分「Googleですか!?」

 って聞きなおしてしまいました。

患者さん「そうですよ! それで僕の位置が!」
自分「そ、そうか。すごいですねGoogleは…」

 妙に感心もしてしまい…。ネット社会だけでなく患者さんの妄想内容までも支配するのか、Googleは。むむむ。他にも「LINEでずっと見張られてるんです」とか、YouTubeやSNSが出てくることもポツポツ。インターネット関連は実に多くなりましたね。ネット掲示板でも「自分のことが書きこまれてるんじゃないか、暗号じゃないか」など。ネット以外では電磁波や放射能なんてのも話題に挙がり「電磁波が来るから帽子を被って守るんですよ」「放射能が身体に入ってしまって、僕がみんなに撒き散らしているんです…」というようなことも。そういえば監視カメラや盗聴器はまだまだ現役です。FBIやCIAというのは若年患者さんから出てるくことはほとんどなくなりました。

 統合失調症患者さんの思考は微分回路的認知とも言われ、細かな変化を察知する能力に長けています。ただ、それを元に行動してしまうところもあり、長期的にじっくり構えてというのがなかなか難しい。対して古典的なうつ病患者さんは積分回路的であり、過去のデータ蓄積で行動します。これは堅実ではありますが、過去へのとらわれで初動が遅れることをも意味します。両者を”世直し”と”立て直し”で比較することもありますね。

 そういった認知メカニズムを考えると、統合失調症患者さんの妄想が時代とともに変遷するのはとても納得が行きます。流れを察知して、それが妄想にも反映されます。対してうつ病患者さんの妄想は時代が変わってもあまり変化がありません。衣食住やそれにまつわるお金など、不変な生活に根差した内容になります。躁状態も基本的に生活から抜け出ませんね。

 一言に”妄想”と表現しても、疾患によって内容は異なります。精神病理学という分野は、そういったところを掘り下げていくもので、精神疾患の病態をとらえたり治療に応用したりすることに一定の役割を果たしてくれます。ただ、行き過ぎると”精神病理学・学”の様になってしまうことも。。。やはり臨床に根差したものであるべきだと個人的には思っていますし、病理学ばかり勉強するよりは薬理学やその治療学をしっかりと頭に入れた方が若手にとっては良いんじゃないかなと。モーズレイ処方ガイドライン読みましょうね。薬剤をしっかり勉強した後に、”たしなみ” として病理学や分析を、という順番が適切なのではと考えております。
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2017
05.17

臨床のワンフレーズ(19):何もないのは平和のしるし

Category: ★精神科生活
 色んな精神疾患がありますが、寛解をキープしていると診察で特に話題にすることが無くなってきます。

自分「いかがですか?」
患者さん「特に変わったことはないですねぇ」
自分「お元気に暮らしてらっしゃる」
患者さん「はい。もうすっかり」

 こちらが「この患者さんは元気にやってるなぁ」と想像できるような時は、基本的に患者さんはとても元気です。「変わりありません」と言われても何となく診察の場が淀むというか停滞するような感じが繰り返される時、患者さんは良い材料が見つからず低空飛行が続いているのでしょう。その時は以前のワンフレーズにあった”こころのお天気”などの比喩で変化球を投げてみると良いかもしれません。

 で、寛解で元気な場合、患者さんが「変わりないって毎回言うのも悪いなぁ…。何かないかなぁ」と考えることがあります。そうなると診察の場も緩やかではなくなるので、こちらから


自分「何もないっていうのがいちばん平和ですね」
患者さん「あ、そうかもしれませんね」
自分「お元気だったら、自信を持って、何もないって言ってください。平和のしるし」
患者さん「はい、分かりました」
自分「何かあったら、それはすぐに言ってくださいね」
患者さん「はい」


 こんな感じでお伝えします。「何かつくらなきゃ…」と焦ると、患者さんにとって診察が苦しく感じられます。「何もないことも大切な情報なのだ」と理解してもらうことが大事でしょう。もちろん、お薬を減らせる状況なら減らすので、診察ではその具合もお聞きすることになります(その果にはお薬ゼロ→終診もあります)。
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2017
03.20

昔を聞いたぞ

Category: ★精神科生活
 昨日から風邪をひきました…。今年に入ってもはや3回目。1ヶ月に1度ひいているという順調さ(?)を持っているようです。どうも今年はダメな気がする。

 さて、当直の時は、当直師長さんと一緒に病棟の見回りをします。個人的には、病棟に行くまでの間、そして帰る道すがらに色々と病院のことをうかがうのがちょっと楽しいです。もちろん話好きな師長さんの時に限りますが。そこで何十年と入院している患者さん(精神科病院では稀ではありません)の昔の様子が聞けたり、看護師さんの色んな体験が聞けたり。

師長さん「この病院も昔は夏祭りがあって、先生が診てる○○さんも着物を着て楽しそうにしててね」
自分「あら、そうなんですかぁ。今はお祭りないですもんねぇ」
師長さん「そうなんですよ。もっとみんなが楽しめるようなものが増えると良いんだけど」

師長さん「今は看護師が患者さんと一緒に外に行けなくなったけど、昔は一緒に映画を観に行ったりね、○○先生は一緒に喫茶店に行ったりしたのよ。楽しそうにしてね」
自分「え、○○先生がですか? いやーちょっと意外です」
師長さん「でしょ? つっけんどんに見えますよね。でも診察を見るととっても患者さん思いなのよ。だから○○先生は私たちも信頼してるんです」

 なんて話が出てきます。昔は良く言えばとてもおおらかであり、スタッフと患者さんとが一緒に出歩く、年末年始は一緒にお酒を飲む(!)、医局の冷蔵庫にはビールがあった(!!)、なんてこともあったと言います。他にも今では考えられないような出来事や、病院ならではのちとホラーな現象も。

 精神科病院は病院というよりも生活の場としての働きが強く、昔は上記の例のような”アソビ”が色濃くあったと言えるかもしれません。退院をあまり考えなかったからこそなのでしょうか。今は良くも悪くも”病院”であり、退院支援を積極的に考えるようになっています。昔ながらの患者さんにはそれがどう映るのでしょう。もちろん、どんなに生活の場という姿をしていても実態は病院なので、終の棲家としての立場は本来ならあるべきではないのかもしれません。何十年と入院していても、退院してみてびっくりするくらい地域でうまく暮らせる患者さんもいます。その一方で、頑として退院を拒否する患者さんもいます。ここは本当に難しい…。何十年と何も言われずに暮らしていて、いきなりここ数年で「退院」をチラつかされても困ってしまうのは頷けます。

 でも、どんな患者さんでも、”退院”という言葉を使います。「退院したい」「退院して家で暮らしたいです」「俺は退院させられるのか?」「退院だけはやめてくれ」など。生活の場ではあるけれども、患者さんが退院という言葉を発するということは、やっぱり病院は病院なのだなと思います。何十年と”住んで”いても、病院という認識なのでしょう。

 今の精神科病院は昔の姿を捨てねばならない時期に来ています(もちろん、地域もそれを受け入れる覚悟が必要です)。長期入院すべてが悪ではないのでしょうが、地域で暮らしてもらい、それを精一杯応援する義務と責任が病院関係者にはあります。それは患者さんにも少なからず影響を与えるでしょう。出来ることならば、その影響が良いものであるように、医療者は努力を最大限すべきなのだと思っています。
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