2005
10.04

予習というモノについて

Category: ★学生生活
 大学生になってあまり予習という二字を聞かなくなってしまいましたが、自分はどちらかといえば昔から予習や宿題はしない方でして、中学生や高校生の時なんかは結構遊び呆けていた記憶があります。。。

 では予習するように言われた場合はどうしていたのか?数学の時間を例にとってみましょう。仮に85ページから87ページの計40問をやってくるように、と先生から言われたとします。40問だなんてそんな絞首刑並みの問題を自分が解くわけもなく、当然日がな一日マンガ(当時は石ノ森章太郎先生の「サイボーグ009」を読んでいました)を読んだり音楽を聴いたりして遊びます。その次の日、先生が机の一番端の列から順番に一人一人指して、黒板の前に出て書くようにさせます。黒板の容量にも限界があり、大体一回で書けるのは5人くらいまでです。

 生徒が前に出て書いている間、先生はどんどん「次、お前ここな」などとおっしゃって生徒を奈落の底へと突き落としていきます。こっからが年末のごとき大忙しで、自分はその最初に指されたヒトから数えて何番目かを急ピッチで数え上げ、自分の当たるであろう問題を一問、全力で解きます。分からない時は近隣諸国に張り巡らせた情報網をフル活用して解法&解答を書き写します。この一瞬が一日で最も脳を活性化させる時でしょう。そして解き終わった後、何食わぬ顔で先生が指すのを待ちます。

 この「ピンポイント戦法」で90%は切り抜けられるのですが、たまに先生が一人や二人抜かしてしまい、こちらの目論見が見事に外れることがあります。この時は「おぉっ、やべぇ!遂に地獄の水先案内人の本領発揮か!」と、その恐怖に戦慄を覚え、時間と格闘しながら新たな問題を解き始めます。

 大体こういう時は教室全体ガサガサ言い始め、焦りの色が濃くなっていくのが容易に見て取れます。「あぁ、自分以外にも醤油が口内炎にしみるくらい痛烈な一撃を食らった同士がいるんですなぁ。。。数の勘定もできない人物は数学教師になる資格なしや」と妙な仲間意識が暗黙のうちに芽生えたりなんかしちゃいます。

 そんなこんなで数学や英語の時間は最小の努力で最大の効果(真実は最低の効果であることも露知らず…)を挙げていたものです。

 こんなその場しのぎの生き方で楽をすると人間、しわ寄せが必ずやって来るもので、自分は長い長い、夜の帳が降りきっている浪人生活へと入ってゆくのでありました…。
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