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2019
07.14

2019年精神神経学会総会まとめ その1

 6月の精神神経学会総会で出席した講演について、写せた分だけまとめて2回に分けてアップしておきます(備忘録的な)。なかなか全部まではタッチタイピングが追いつかず、また一日の後半になるとミスタイプも増えてしまって…。

1日目
●シンポジウム6:精神病理学の古典を再読する

グリージンガー:急性期と慢性期を区別して構想する
・急性期:メランコリー、マニー
・慢性期:二次性精神的衰弱状態
・病態の移行・中間状態の強調:絶えざるゆらぎ

『精神病の病理と治療』単一精神病の精神病理学総論。「脳の病気である以上、それを正しく究めることができるのは医学以外にない」(p13)
急性期病棟を作ることも提案していた。観察室があり、24時間観察可能。他科との連携も構想していた。

分類
感情及び情動状態に関する病的状態(精神病急性期)
思考と意志の異常に基づく精神病(精神病慢性期)

一次性感情異常:精神的抑うつ状態、うつ病またはメランコリー
無感覚と過敏が混合(これは混合状態)
双極性や緊張病、躁への移行

Depressionの基本:活発な脳の刺激状態と精神的な興奮がその基本にある
メランコリーにおける不安感情・焦燥の重視
自分自身に向けられた破壊衝動、他者あるいは器物に対する破壊衝動
メランコリー性妄想
うつ病から躁的興奮へと至る中間状態
メランコリーにおける昏迷・緊張病
昏迷と興奮の交代:病態の移行。疾患横断的な緊張病を先取り的に記述していた
仮性認知症の指摘。軽度の痴呆へも移行することがある点で、その予後と治療上の誤りを犯しやすい。ただその目つきだけは痴呆患者のそれと違って、なお悲痛な感情、不安、内向的なおののきを表現している
メランコリーの転帰:精神的衰弱状態や中等度ないし高度の痴呆へと移行するものもある。錯乱、患者は毒をもられるとか、陰謀が企てられるとか、電気にかけられているなどの妄想を口にし、治癒しない(これは統合失調症か)

移行段階の強調:終末状態と初期状態との間に、非常に多くの移行段階がある。

精神的衰弱状態:一次性疾患群の残遺状態
1. 精神錯乱
2. 痴呆
移行状態なのか精神的衰弱状態に入っているのかの判断には長い観察期間を要す。

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クルト・シュナイダー:『臨床精神病理学』
教科書ではなく、診断学と分類についての論文集。精神医学と身体医学との対比という視点が大きな特徴
あらゆる精神障害は疾患的であるか? この問いには正解がない、信仰告白のように信ずるしかない。精神障害には疾患的であるものとそうでないものとがあるという前提に立つなら、精神医学における疾患とは何かが問われる。身体医学における疾患とは、存在概念(健康とは明らかに区別できる身体的基盤が存在すること)・健康感の欠如・生命の危機。精神医学においても存在概念は器質性・症状性・中毒性では当てはまる。精神医学においても存在概念を疾患の定義とすべきだが、内因性精神病が未解決の問題として残る。統合失調症はなぜ疾患なのか? 究極的には了解不能、生活発展の意味連続性の中断しかない。内因性精神病の疾病性は了解不能性にあると言っても良い。精神医学において疾患とは、一つは身体医学に共通する存在概念、もう一つは精神医学固有の了解概念に基づいている。
精神医学の特徴は? 疾患であるものとそうでないものとがある。疾患の定義には存在概念と了解概念を使っている。疾患単位と類型が混在している。類型は形而上の水準で定義されている。類型は理念型として提唱、疾患単位との関係は不明である。
これらの違いを認識した分類が必要。臨床的な分類が必要であり、シュナイダーのモデルに準じるのが良いだろう。
疾患単位と類型の違い
性質:患者に実在するか、我々の思考の中にある
個々の症例への適応のしかた:であるかでないか、どの程度当てはまるのか
境界:身体的水準での境界は明瞭、精神症候学上の境界は曖昧
例えるなら:症例を入れることのできる容器だったり症例に境界を与えるものだったり、症例を図るためのものさしだったり症例に構造を与えるものだったり
診断をつけるには:確定された症例に基づき作成された基準を使う、理念型をものさしのようにあてがう必要がああれば操作的診断を用いる

精神障害は大きく3つの群
心の性質のかたより
内因性精神病
身体的基盤が明らかな精神病(急性の意識混濁、慢性のパーソナリティ解体と認知症が特徴的。その間に多様多彩な通過症候群あり。一つの疾患単位に特異的に対応する精神的病像はない)
心の性質のかたより:生活発展の意味連続性が一貫して保持される。正常心理と境界線なく移行する領域、その違いは相対的なもの。社会適応が悪いから精神障害として取り上げられており、社会的な価値と深く結びついている。文化、時代、世代、世相と言った影響を受ける。
内因性精神病:身体的基盤が要請されている精神病。統合失調症と気分障害の伝統的二分法は仮説。一級症状は追体験できない体験があり、理解することの特有の難しさ。いくつかの類型によって整然と区分けできるものではない。統合失調症と躁うつ病症状が混在する場合は階層原則に従う(統合失調症を優先)。

診断の意味について。身体医学における診断とは疾患を明らかにすること、その身体的基盤を同定することにほかならない。心の性質のかたよりについてはそもそも疾患的ではないから診断とは呼べない。重み付けが必要であり、身体的基盤が明らかな精神病についての鑑別診断、疾患的であるかについての、内因性精神病についての鑑別類型

了解的関連・生活発展の意味連続性を吟味するためには感情移入が不可欠で、それだけで患者の傷ついた自己を回復する作用がある、日々の診療が精神療法的効果を生み出している。

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テレンバッハ
内因性:まだ正体のわからない身体的なもの→内因(endon):身体と精神の分離に先行する領域。内因性精神病の起源はある特異的なendonの病的変化にあり、この変化が身体的及び心的な変化として現れ出てくる。
メランコリー型の疫学:主婦82名、裁縫業14例、事務職13例 すべて入院した症例
自分自身の仕事に平均以上の高い要求を課している。他人に尽くすという形で他人のためにあるというあり方が生じる(対他配慮)。
空間性:インクルデンツ(囲まれている)
時間的:レマネンツ(負い目)
インクルデンツ:秩序結合性を噛み合って、限界への閉じ込めを意味し、このタイプの人間は自らの秩序の遂行に基づいて、もはやこの限界を踏み越えることができない。
レマネンツ:自分自身の作業への高い要求と関連していて、自分自身の要求の背後に取りのこされていくこと。
この2つが先鋭化し、メランコリー型が自己矛盾にとらわれる。

現代は、仕事の負荷状況(正確性と期日厳守を求められる)。孤独な育児の状況(マニュアルの過信や逃げ場のなさ) ここにもインクルデンツとレマネンツが?


●シンポジウム16:症状把握を掘り下げる

症状のバックグラウンドに焦点を当ててみる。意識、了解、治療関係

意識
意識と問うと難しい。しかし、精神科医はいつもこの患者さんに意識障害があるかどうかを考えている。
意識という概念は新しい。クレペリンくらいから。元々は産出症状(陽性症状)を意味していた。
エスキロールの急性痴呆:認知症(慢性痴呆)と区別するために導入された。
Confusion/VerwirrtheitはDeliriumとは別の系統の病態として元々構成されていた。
昏睡という概念は古い。ヒポクラテスの時からあった。睡眠から覚醒に至る覚醒性の障害
クレペリンは3つの意識障害の系譜(せん妄の系統、もうろうの系統、昏睡から傾眠に至る覚醒性の障害の系統)を意識混濁として統括し、マイヤー-グロスが突き詰めた。
DSMでは?
リポウスキ:症候性機能性症候群(いわゆる内因性)、大脳局在症候群(失語や失行など)、全般性認知機能障害(せん妄~通過症候群~認知症)。せん妄を急性の認知機能障害として扱い、これがDSMに引き継がれた(産出症状が消えた)。
DSMでは意識障害概念全体を漠然と指す用語になってしまっている。リポウスキの体系の俯瞰的要素(せん妄~認知症)は失われている。表象形成装置としての側面が強調されていない。社会的申し合わせを目指すのか定義を目指すのかの自覚を失ってどっちつかずになってしまった。
表象形成装置としての意識:エーデルマンの考え方と似ている。
エーデルマン:再入力の渦ができていて、ある点に達すると表象ができる。
感覚運動反射(クラゲ)、表象・意識(鳥以降)、私(表象がつながる)
事例から何度も帰ることが大事。

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了解と症状把握
了解しようとしながら生物学的異常と扱い薬物を処方するのは居心地悪い。
静的了解と発生的了解。了解と説明(外因/内因/心因)、了解の正当性、了解精神病理学の領域とその限界について以下。
静的了解:現象学(哲学のそれとは異なる)。他者の心的なものを心に描き出して感情移入し了解するしか取り扱えない。そのためにはことに患者の自己描写が役立つ。
静的了解が不能:被影響体験が好例。
発生的了解:心的なものが心的なものから明証性を以て生ずるのを了解する。心の関連の了解。
発生的了解の不能:理由が分からず、精神現象の間に意味的なつながりが失われる。原因として生物学的家庭が想定される。(統合失調症、躁うつ病)
外因性:規則性を欠いた了解不能な精神症状。原因疾患と精神症状との関係も不規則。急性疾患→意識障害、慢性疾患→認知機能障害・人格の先鋭化、外因反応型、身体的-精神病的過程
外因/内因/心因は厳密とは言えないが有用な分類。治療法/対処法の選択において。
了解と説明
身体論者 対 精神論者
脳の病気も心理的悩みも含む枠組みを作ろうとしたのがヤスパース。我々は自然を説明し、精神生活を了解する(ディルタイ)
通常の心理的な現象は了解可能(ただし、ヤスパースは精神現象を説明できないと言っていない)、脳の生物学的過程は了解不能なので因果的説明
静的了解の正当性:単に共体験的な了解は確固たる規則的な概念を与えられなければ非難する意味で“単に”主観的であり科学にならない。言語を用いて一定の表現によって規則正しく記述することにおいて正当化されると考えるべき。
発生的了解の明証性:心的なものが心的なものから明証性を以て生ずるのを了解する。発生的了解の明証性は究極のものである。反復される経験によって帰納的に証明されるものではなく、確信させる力を自分自身の中に持っている。ある了解的関連の明証性があるからと言って、この関連がなにか個々の場合にも真実であるとか、一般に事実生起するということが証明されているとは限らない。→明証的であるが事実とは限らないって???→「反対の者は同じく了解可能」
理念型としての発生的了解;一つの尺度であって、個々の事象はこれに即して測られ、種々の程度に了解的であると認められるのである。
シュナイダーは了解を意味連関と発生的追体験可能性とに分けた。現実には両方をすり合わせるしかなさそうだ。
了解の限界。人間全体を一挙に了解はできない。心因性と推測されるも了解が難しい病態もある。生活背景の違いから、反実仮想的な了解も必要となる場合もある。

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症状の生まれる場所
症状が診断にとって決定的、判断の根拠として客観的事実であるかのように考えられるが、果たしてそうか。例えば幻聴では、「スキル/訓練の歴史」と幻聴の存在を明確にしたいという「欲望」を持つ精神科医の介入が必要。それによって症状としての幻聴が生まれてくる。私という精神科医と患者のあいだに出てくる。ペーペーの精神科医であれば、幻聴として生まれなかった。二人の主体の交わりが必要。客観的な事実ではない。間主体的出来事の結果。精神医学には、客観的実証的な知の理想化と現実の否認はないだろうか。
精神科医は診断がついた後も患者と付き合い続ける。体験症状ではなく、対人的場でのみ成立する症状が存在。
特にパーソナリティ障害では、精神科医は患者のパターンを生きてしまうことも。しかし精神科医が精神科医として生き延びることは純粋な反復を抑止する。患者のパターンの変形の可能性を生み出す。


●シンポジウム24
働き方改革とこれからのメンタルヘルス対策・就労支援
J Sleep Res. 2003 Mar;12(1):1-12. PMID: 12603781→睡眠の文献
産業医は事業場のかかりつけ医
適性にあった仕事内容と働きやすい職場環境でそのパフォーマンスを十分に発揮すること、ひとりひとりの労働者を活かすことを目標とすること。これが労働者と企業両者の目標につながる。
求職者の復職場所:得意な分野で能力を発揮させることが大事。職場因子が大きく関与していれば職場を慎重に考え、ゼロベースで検討。経営者や管理職などの意識改革「従業員を活かす」。適性の客観的評価(職業適性検査、作業能力検査などの利用)
厚労省編一般職業適性検査GATB:認知機能、知覚機能、運動機能を見ていく(知能、言語、数理、書記、空間、形態、共応、指先、手腕)。
職業適合性:能力とパーソナリティ。能力は適性と技量になる。適性は先天的、技量は後天的。パーソナリティの部分も大事だが、適性を見過ごしてきた。
GATB結果と訓練結果との相関。職業技術訓練校で入学時にGATBを実施し、その後の学科成績と実技成績との相関を調べた研究がある。職業によって要求される機能があることを示した(機械科では空間把握能が相関あったなど)。
多様性の受容。個性の尊重は労働者の適正にあった仕事を探すこと。もちろん、良好な人間関係、職場環境が大事で、それを重視すると労働者の労働意欲の工場。これらが揃えば、労働者がより少ない負荷で最大限のパフォーマンスを発揮。労働者の健康増進と企業の業績向上!
就労支援の今後の方向性。就労の目標は労働者が満足あるいは納得した職業生活を遅れること、さらに企業にとってもメリットが感じられるものであること。一人ひとりの労働者を活かす。適性を多角的、専門的に捉え、仕事とのマッチングを。
多面的なアセスメントを。生理因子的視点(知的機能や情緒面、体質など)、パーソナリティ的視点、環境因子的視点。
適性を把握して適応場所を見つけよう。

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精神科医の立場から
あらゆる障害が精神疾患を誘発しうる。聴覚障害があると疎外感から抑うつ気分など。
連携の状況を把握する。職場と診察室での情報収集。事例性と疾病性。“毎日遅刻する”と“うつ病で朝が辛い”など。
ときには限界を伝える。うつ病は休めば治るという誤解がある。多様性と言われているが雑務は正社員の仕事ではないという認識も会社にはある。「この部分の能力は今がMAXに近い」と伝えることも大事。

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嘱託産業医の立場から
合理的配慮についての確認とその実行。障害者就労支援について。多職種連携強化のために、を以下に。
障害特性や困り事に合わせて行なわれる配慮。障害者の定義:障害者手帳を持つ人に限らない。身体障害、知的障害、精神障害、その他心身の機能の障害があるため、長期に渡り、職業生活に相当の制限を受け、または職業生活を営むことが著しく困難なもの。
これまでは就業規則を拠り所にしてきた。休職期間中に休職事由がなくなった場合は、当然に休職が解除され復職となる(これは難病やがんの支援では当てはめ困難)。
もう少し柔軟に考えるべき。
合理的配慮とは、障害労働者の個々のニーズに応じて事業者の過重負担なく、能力の発揮を妨げる障壁を取り除くこと。おおむね3つの形態に分類される。1.物理的環境への配慮(サングラスの着用や昇降機の設置など)、2.意思疎通の配慮(指示を図示するなど)、3.ルールや慣行の柔軟な変更(放射線治療のための時間有休取得)
合理的配慮の実行プロセス:事業者は障害労働者と話し合い、能力発揮を妨げる個別の障壁を把握し、事業者自身の負担とすり合わせながら、提供する配慮の内容を障害労働者と合意する。すなわち、建設的な対話が必要で、就業措置決定のプロセスと大差なし。
受け入れ職場の理解不足や障害者本人の過度の期待もあるので、そこの橋渡しを。


2日目
●倫理委員会シンポジウム:症例報告における倫理的配慮
ガイドライン作成経緯と本人同意の例外事項に関する課題
倫理審査が必要なもの:所属施設・機関における規定などが審査を求めている場合、症例を集積するために診療録などの臨床情報を用いる場合(何例くらいかは個別事例とのこと)、通常の診療の範囲を超えた治療や検査その他を行う場合(“通常の~超えた”とは? その他とは?)。
上記の審査を要さない症例報告:研究目的でない医療の一環とみなすことができる場合には、研究に該当しないものと判断して良い。

プライバシー保護に関するガイドライン:症例報告の対象者のプライバシー保護に配慮。原則として対象者に十分に説明し、理解を得た上で、同意を得る。同意しないことにより不利益を受けないこと、同意撤回の自由について説明。本人が判断能力を有していない場合などには、代理人から同意を得る。これらの例外もある。2つ下

個人情報保護法については:症例報告の対象者が「どう感じるか」「どのような不利益を被りうるか」について想像力を働かせることを最優先。

例外:特定の個人が識別されず個人情報とはみなされない。死亡しているものの情報であって、家族などの個人情報であるとはみなされず、学術研究として報告を行うものでもない場合。個人情報であっても個人情報保護法の例外規定に該当する場合→1.法令に基づく場合 2.人の生命、身体または財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難である時 3.公衆衛生の向上または児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難である時 4.学術研究機関において学術の用に供する場合
これら例外に該当する場合は発表者がどの例外に該当するか発表申請時に明示し、学会が適切性を判断する。非自発的入院の場合、本人に判断能力があると判断されれば本人同意のみ、判断能力を欠き、代理人が適切に選定されれば代理人の同意のみで良い。

精神科領域で扱う個人情報は要配慮情報の中でも特に配慮が必要。精神神経学会は非専門家も広く参加する学会で透明性や公開性を長所としているがプライバシーのリスクも。

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症例報告の重要性
笠原嘉先生:一例報告のこと
The Genain Quadruplets:一卵性の四人の女児は16歳から24歳と発病時期こそ違えど、全員が統合失調症と診断されるに至った。米国が長期に報告している患者さんたち。その結果は、この病気の認知的な症状が必ずしも進行性のものではないという仮説を支持していた(2000年のbulletin)。人間の「全体」が関わる統合失調症などの追求には、大きな数の統計と同じくらいに、一例二例のケース報告が大切。(と、笠原先生は結んでいる)

事例として、双極性障害患者さんの妊娠出産について。ガイドラインを参照して治療を画一化するのではなく、個別性を重視した治療の実現へ。診断や評価は患者個人についての理解を構造的に組み立てた上で治療に役立てること。

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患者同意について、当事者・家族の立場から(夏苅先生:お母様が統合失調症で、御本人も様々な精神症状で苦しんできた先生)
母親のことを事例1と書くのは辛かった。そんな思いをしてまで→患者と暮らす家族(特に子ども)の実態を精神科医に知ってほしかったから。語ることで回復した、回復には締切はないということを精神科医に伝えたかったから。
書くたびに症状を思い出し、それに巻き込まれた父親や自分の気持を思い出してしまった。容易に忘れることはできない。大切なのは、自発的に症例報告をしようと思った。患者や家族それぞれにタイミングがある。自分の家族だったらと想像しながら症例報告に携わってほしい。
患者や家族は治療を求めている。研究のことなど頭にはない。これを忘れずに。研究も身近ではない。同意が欲しいのなら治療が最優先であることを念頭にして、症例報告にどのような意義があるのかを患者家族が分かる言葉で説明すること。分かりやすく説明するためにやさしい日本語を学ぶべし。
症例報告が患者家族にとっても大きな利益となるのなら協力する。しかし、時代も変化する。患者家族も専門誌を読める時代。匿名化を図ってもわかる。同意を得ずに公表しないで。今も偏見を抱えて生きている。精神科医ならば世間の偏見に対して敏感になるべし。生きるための全てに今も偏見がついて回る日常を想像すること。
入院施設を立てるという計画に猛反対を受けた。町内会では夫婦で吊し上げにあった。入院患者全員に見てすぐそれとわかるような同じ服を着せること(これは断った)、のぞき見をするかもしれないから診療所の周囲の家の窓に目隠しを貼れ、などの要求。
別のところでは「住民を説得する言葉は、患者の人権ではなく問題を起こしませんという文言だ」という人も。
同意取得の意味を取り違わないでいただきたい。患者から文句をつけられたくないためという解釈があるが、そのような意図でガイドラインを作成したわけではない。
患者家族は主治医を信頼して我が身の治療を託している。医師もその信頼を損なうような行為をしてはならない。同意なく情報を公表することは、信頼を裏切る行為ではないか。本ガイドラインの厳しさは、当然背負うべきもの。倫理指針は後々問題を起こさないための手続きではない。
同意の得られやすい症例、同意の取りにくい症例と区分されるとしたら見当違い。あまりにも単純な発想。望まない結果や不幸な顛末となった場合、担当医が経過を説明し原因を考えて次に活かすことは、同意を得る得ない以前に必要なこと。そうした姿勢の中から信頼感が生まれてくる。
精神疾患の親を持つ子供の立場の人は、親を症例として学会で報告して専門職に知ってほしいと希望している。精神科医は家族の現状にあまりにも無知。患者本人にしか関心がなく家族に興味が無いなら、家族による発表も有意義であるはずだ。
反応を起こした親をやむを得ず強制入院させたときの子や配偶者の苦悩を誰もケアしてくれない。根本的な解決は偏見是正であり家族負担の現行制度を変えること。家族による発表が大事。現在の研究倫理は当事者が当事者を発表するというのを想定されていない。
医師や研究者は患者家族に対して圧倒的に強い立場にいることを忘れるな。患者を親に持つ子の立場は患者と同じくらい弱い立場にある。
相手を理解する。これはできそうでできない。それを認めた上で謙虚に相手の心情を想像すること。
本人だけではなく家族全体が人生の長期に渡りこのような葛藤にさらされる。十分に想像してから症例報告を。

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法律家の視点
個人情報;生存する個人に関する情報。特定の個人を識別することができるもの。
要配慮個人情報:病歴など、本人に対する不当な差別偏見その他の不利益が生じないように取扱いに特に配慮を要するもの。精神疾患に関しても細かく書かれている。
個人情報の取扱:本人の同意を得ないで第三者提供をしてはならない(例外あり)。
要配慮個人情報について:オプトアウト禁止(告知して反応がなければ同意したものとみなすのを禁止)
匿名加工情報;要配慮個人情報を含め個人情報は匿名加工情報化(当該個人情報を復元できないようにしたもの)することで本人同意なく第三者提供が可能。
匿名化と非識別化は異なる(非識別化が大事)。カルテと照合して当該医療行為を誰が行なったかが特定できる記載であれば非識別化とは言えない。連結可能匿名化では非識別化としては足りない。
症例報告と研究とは異なる? 個人情報保護法上は区別なし。区別しているのは学会の一方的解釈と言われかねない。有用性だけで説明できるのか。医師個人の専門医資格取得のためなどの利用が多くないのか。
同意能力の問題。法律上は明確な定義がない。実質的解釈論になる。診療同意能力(15歳程度の判断能力)とパラレルで良いのかどうか? 診療と異なり、症例報告は患者本人に直接利益をもたらさないので。
法的責任問題。ガイドラインや倫理指針は守らないと責任追及の理由になる。守っていても法律は必ずしも守ってくれない。個人情報保護法は守らないと責任追及の理由に鳴る。守っていても人権侵害を主張される可能性がある。患者の権利を強調する立場は、全てに同意を要すると主張するが、これに対抗する特効薬は、実はない。医学の発展のためという抽象的理由では足りない。
医療倫理の重要性。ガイドラインや指針は三流を二流にするが、一流を二流にもすると揶揄される。専門家の自律(Professional Autonomy)が大切。そのために医療倫理・生命倫理を振り返る努力が必要。マスの作業でも患者個人の意思・利益を考える。第三者の利益の場面でも、患者個人の利益を考える。
生命倫理の4原則:無危害原則、善行原則、自己決定・自律原則、正義原則


●教育講演10:精神医学における生物心理社会モデルと多元主義
ガミーの多元主義(真理についての多元主義)
価値についての多元主義
GH(総合病院)精神医学、CL精神医学を例に を以下に。

根幹部分におけるものの見方について専門家内での非共有こそが精神医学の特徴。
治療の目標や改善の考えについても意見は異なる。
ガミーさん。教条主義、折衷主義、多元主義。今は折衷主義になっていて、BPSモデルになっている。そうではなく多元主義を!
折衷主義:様々な視点の良いところを足せばいいの?停戦協定を結べばいいの? というもの。この折衷主義を批判。BPSは不毛。
多元主義:ヤスパースの了解と説明の区別を模範とする(方法論的自覚:どんな方法を使って患者さんを見ているのかを私たちが自覚すること)。
方法論的自覚:現実はいつも何らかの理論の色眼鏡を通して見られる。心の中にあるこの理論的先入見を割り引いて考えるよう不断の努力を払わねばならない。しかし、事実とは範疇と方法によってのみ評価できるのだ。すべての発見の中には対象となっている事柄の性質に応じて前提条件が存在する。私たちはそのような前提条件を十分に自覚しておかねばならない。「すべての事実のうちには理論が潜んでいる」のだ。
BPS:Bが主流で精神分析が奪い返すのは不可能。PSが大切というロジックを使えばPS派は自分の立場を確保できる。B派も不都合がなくヒューマニスティック。万能感さえくすぐられる。だからBPSは受け入れられたのだ。
まんべんなく目配りするのはあまりに常識的。あたらしいものはあるのか。BPSは反論のしようのなさそのものが最大の問題。
多元主義は、多様なアプローチを組み合わせても対象の本態に迫ることができないと考える。そうではなく、それぞれの対象に応じて、その本態に迫ることができる最も有効な方法を選び取り、いったんその方法を選び取った後は、基本的にはその方法を純粋に用いることで、その対象の理解を試みるべき。根本的に異なる複数の方法論の強制を許容する。それぞれの方法論には適応可能範囲があり、それぞれは適材適所で原則としては単独で用いられるべきだ(方法論的自覚)。
折衷主義なら、できることをもれなく検討し、提供できているかに細心の注意を払う。多元主義なら、できることのうちでどれが目の前の課題に適しているか。
折衷主義は併用をデフォルト。多元主義は方法・治療法の単独で。
伝統的精神医学は多元主義である。心因、内因、外因の区別が例。しかし、多元主義的精神科医も、BPSに目を向けてと返答してしまう。だから、自覚的な多元主義への変化は大切だ。

*ガミーさんの多元主義は専門的な治療についてのもの。基本的な医師患者関係によるものは当然のこととして扱うそうです。

価値についての多元主義の紹介。
何についての多元主義であるのかをはっきりさせることで多元主義はさらにクリアになる。
根本部分の考え方の対立は、現象をよりよく説明する部分もあるが、自分自身の肌にあい、そこに自分の人生を投じたいと思うスタンスは、例えば分析か薬理学か?と言う面も。
前者は科学的方法としての多元主義、後者は価値観についての多元主義。
前者はガミーさん。後者は良く考えよう。
価値観についての多元主義は教条主義や折衷主義よりも優れているか。
価値観についての教条主義。目指すべきアウトカムは、議論の余地なく~~だ、という立場(救急とか)。でも精神医療の多くの局面ではどうだろう?
折衷主義。色んなアウトカムを折衷して混ぜ合わせる。そうなると、どの医療機関を受診しても似たり寄ったり、程々の(優等生的な?官僚的な?)助言を受けることになる。踏み込んだ助言を期待するのは不可能。価値観の多様性への期待には、精神医学は答えられえない。ただし、極端に走る助言や指導が行われることはないだろうから安全ではある。
多元主義。私的な人間関係の部分を取り除くことは不可能。治療者によって違うことを言うことがある。このような意味での価値観についての多元主義を支持する?しない?
価値の顕在化。スタンダード精神医学は、価値は潜在的に自明であるという態度を持っている。でも最近はリカバリー運動などで、病気を治さないことこそが重要であるという説得力のある逆説が唱えられている。そうなるとスタンダード精神医学であっても、医療の目標は病気を癒やすことだと顕在的に述べることが必要になる。折衷主義者はその点楽である。多元主義にとって顕在化は必須。明確化しないと多元的価値の共生を主張することができない(VBM)。
例:倫理的ジレンマ。精神科病棟は禁煙とすべき? 反対としては、長期入院している人の最後の楽しみを奪う、など。ほんとうの意味で一緒の方向には向けられないのが倫理的ジレンマ。医療現場での日々の判断は倫理的ジレンマの繰り返しである。
価値の顕在化には大きな壁がある。普通、人は価値の顕在化など行なわない。ここ一番という時に価値はポップアップしてくるだけ。しかも、人生の途中で何度も変わるムービングゴールポストである。
価値の多元主義を医療で実践する提案。治療者は意識して不自然な主義を取る。専門行為において何を重きにおいているのかを明確にする。そのうえで、他の価値を持つ支援者の価値も認める。支援を受ける人の価値も尊重する。

GH精神医学、CL精神医学を例に。
BPS対 多元の実験場。Psychosomatic medicine という本(翻訳中だって)。
多元主義のGHPへの応用:確固たる専門性に基づくリーダーシップ、チームメンバーの専門性を信頼する民主性。
それぞれの医療従事者に、信念、根拠、覚悟が必要。
専門性(知識・技能)と民主性(態度)を携えて、個々の問題に臨む。
多元主義には真理と価値の2側面がある。真理の多元主義は専門性(ヤスパースの方法論的自覚)を含意し、価値の多元主義は民主性(value)を促す。

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