FC2ブログ
2019
04.14

患者さんは先生ではない

 おエラがたの本を読んでいると

「患者さんは私に色々なことを教えてくれた先生です」

 というような内容のことが多々見られます。確かに自分も「そうやなぁ」と思っていた時期もありました。しかし、今は「本当にそうなのだろうか…? 患者さんは医者の”先生”なのだろうか…? そんなキレイゴトなのだろうか…?」と疑問を持っています。

 少し前にも記事にしたことですが、”先生”は生徒に対して様々なことを教えてくれます。古典的には人徳者であり、お手本のような存在。そして、その先生というのは



傷つかない存在



 です。子どもに対する大人であり、子どもが卒業するまで変わらない姿で教えてくれるのです。そして、子どもたちはその教えを糧に成長し、また折りに触れ当時のままの先生を思い出すでしょう。絶対的、は言いすぎかもしれませんが、まさに傷つかないのです。

 しかしながら、実際の患者さんはそうではありません。確かに医者に様々なことを教えてくれ、それは何ものにも代えがたい経験。それによって成長するというのも然りです。しかし、しかしです。患者さんは



傷つく存在



 なのです。医者に教えてくれますが、それは身を挺してと言って良いでしょう。患者さんと接することがなかったら医者として成長することはないと断言して良く、そしてそれは成長以前の医者によって患者さんが傷つくことでもあります。

 部分的に患者さんは死んでしまうのであり、グロテスクに例えるならば医者はその血を啜り肉を喰らって大きくなる、とも言えるのです。自分自身にも当てはまりますが、レジデント時代の患者さんがたを振り返ってみると、今ならもっとうまく治療できたのではないか、あの患者さんは仕事を辞めずに済んだのではないか、もっと早く復職できたのではないか、寛解できたのではないか、などと後悔します。今なら、でなくとも、当時の主治医が自分でなく上級医であれば、もっとうまく行ったでしょう。今でもそうで、なかなか改善していかないうつ病患者さんや引きこもり患者さんを診ていると、他の先生なら…と自分の能力の低さに打ちのめされます。そう、患者さんは明らかに不利益を被っているのです。それは傷つき以外の何だと言うのでしょうか。

 患者さんを先生と形容することは正しくありません。傷つき倒れてしまう存在であり、それはしかも自分たち医者によって傷つけられているのです。医者によって血肉を喰われる存在なのです。”先生”と表現するのは、それを否認する機制が働いているのだと思われます。自分を含め医者はそのことにしっかりと直面する必要があるでしょう。

 繰り返しますが、”先生”という、そんな生易しいものではありません。自分たちが傷つけているということを、自分たちのスキル向上は患者さんの犠牲のもとに成り立っているのだということを、医者は理解しておかねばなりません。であるからこそ、ひとりの患者さんから得られるものを無駄にしてはならないのです。そこを通して、尊厳というのは生まれるのだと思っています。まさに患者さんのいのちを”いただく”ことで、そのひとりひとりのいのちが私たちの診察態度や治療技術や手技に宿っている、と言えるでしょう。また、医者はそれを宿すように努力をせねばならないのです。「患者さんに寄り添う」や「患者さんから学ぶ」などという独善的な言葉を軽々しく言うべきではありません。自分たちは患者さんを傷つけ部分的には殺し、それを養分として育つのです。その面を認識せねば、どんなに綺麗な言葉も、冬の乾いた風のように、さびしく吹いてどこかに消えてしまうでしょう。部分的にいただいたいのちを、また明日会う患者さんのために大事にし、また後輩にも教えていくことが医者の最低限の礼儀なのだと思います。
トラックバックURL
http://m03a076d.blog.fc2.com/tb.php/2247-b27d7ee9
トラックバック
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2019.04.24 22:00 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

ご希望もあるでしょうから、一般的なお話にします。
確かに、人は傷つき傷つけられ、を繰り返して生きていると思います。
中には、とても敏感で生まれたてのタマゴのような繊細さを持っている人もいるでしょう。
そういう人たちは、傷つきやすいのかもしれません。
でもどこかで、その傷を手当てしてくれる人がいる、そう思える時もあるのかもしれません(ないかもしれません)。
それを信じて生きていくことができれば良いのですが、なかなかそう楽観的にもなれないのも事実でしょう。
しかし、まずは”生きてるだけでスゴイ!”ということ、死にたい気持ちを抱えたまま生きているということ。
それって、理屈抜きにスゴイことではないでしょうか。
あくまで個人的な、私的な感情ですが、繊細で、そんなスゴイ人には、いつかどこかでほっと落ち着けるような人がめぐってくる、と思うのです。
苦しい中で何とか生きている人を、お天道様は見捨てやしない、と思うのです。
今はつらいめぐりあわせの中にいるかもしれません。
これからもそれがあるのかもしれません。
でも、そこをくぐりぬければ、イイコトがあるかもしれません。
そして、そのイイコトが、つらさを和らげてくれるかもしれません。
何とかそれだけを信じて、死にたい中で生きていく、ことができれば良いなぁ、と思いました。
話が最後に変わってしまいますが、『自分でできる境界性パーソナリティ障害の治療 DSM-IVに沿った生活の知恵』という本は、日々の生活に重点を当てて少しだけ”生きやすく”してくれるものだと、読んでみて思いました。
未読であれば、チラッと読んでみても損はないかと考えています。
m03a076ddot 2019.05.02 08:59 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2019.05.03 09:11 | 編集
初めてのコメント失礼致します。
私は患者の立場ですが、医師との関係で、なんとなくもやもや思っていたことを言葉にして頂いた感じがします。

治療を受けるのにもリスクがあって怖いとか、
医師との関係も、パワーの差があるし、何言われるかわからないから怖いとか、
それでも、多少の不利益があっても目の前の医師を信頼するしかないと覚悟してみるとか、

私は臆病なのでそんな調子ですが、お医者さんの方は、そういう心情を理解してくれないか、もしくは気にしてないように見えるので、m03a076d先生のものの見方にはびっくりです。本当に深く自分や他人のことを考えられる方だなと、敬服しました。

私もm03a076d先生くらいの、人に対する思いやりや想像力を持ちたいですね…。これからも応援しております。
dot 2019.05.06 01:13 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

苦しいことはたくさんあるかもしれませんが、その中でも小さなイイコトを見つけていってもらえたら、と思います。
本当に小さなことで良いのです。

歩いていたら、ヒルザキツキミソウが可憐だった。
空を見たら、風に揺らめく雲の流れにほっとした。
夜空では、下弦の月が美しかった。

身の周りには、イイコトが埋もれています。
小さなイイコトを見つけて、そこに憩えるようになれれば、こころにもゆとりが少しずつ生まれてくるかもしれません。
m03a076ddot 2019.05.12 13:17 | 編集
>十さん

ありがとうございます。
いくら医者側が”対等な関係”を強調しても、それは現実的に不可能だと思います。
患者さんは医者の行為に委ねなければならない部分があり、そして医者は患者さんをいくらか傷つけているのだと考えています。
そのことをよく知っていく必要があるのでしょうね。
m03a076ddot 2019.05.12 13:25 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top