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2018
12.05

昔は元気があったのに

Category: ★研修医生活
 振り返ってみると、研修医の頃は元気でした。救急外来の当直は怖いながらも新鮮で勉強することがたくさんありましたし、当番じゃない日も顔を出してどんな患者さんが来ているのか、どんな診察や検査が行なわれているのか、いろいろと見ていたものです。何だかこう言ってしまうと軽躁病エピソードの聴取みたいですが…。

 当番以外の日に患者さんを診たら怒られてしまい、研修医になりたての頃はその理由がよく分かりませんでした。今でも確証はないのですが、あれは何かあった時の責任の所在がかかわっているのかも。当時は「労働時間が云々」ということで労基署が突撃するなんてことはない時代だったので、勤務時間という次元で怒られたわけではないはず。時間外手当てなんてなかったし(今もないけどね!)。

 怒られながらも顔を出していたのは、自分が強情だからでしょうね。もちろんメインに診ることはせず、手技などを行なっておりましたが。しかし元気であったなぁ、今では考えられないくらいに。基本的に研修医室に寝泊まりしており、救急車のサイレンが聞こえたら救急外来に降りてどんな患者さんか見てみる生活。特に研修医2年目は外来化学療法部というところをローテしたためルート確保のレベルが異様にアップしていたため、救急外来でも虚脱した患者さんのルート確保をよく行なっていました。研修した病院は、当時は救急外来で看護師さんがルート確保をすることはなく、ほぼすべて研修医がやっていました。今は看護師さんがやっているんですって! 時代は変わったなぁ。そういや精神科医になってからかれこれ3年くらいはルート確保してません…。今の病院に来てから一度もしてない。

 あと、自分で言うのもアレですが、研修医の頃はかなり勉強もしました。やっぱり勉強しないことで見落として患者さんに何かあったらどうしようという不安が強くてですね…。本を読んで、そして救急外来で体験して、という感じ。あ、ちなみに救急外来ならではという本で「役に立った!」と思った代表が『マイナーエマージェンシー』です。救急外来に1冊置いてあったので、クリティカルではないけれども「え…? これどうすりゃいいの?」という患者さんが来た時には読んでいました。

 そうだ、研修医になったら包帯の巻き方を覚えておくと良いですよ。自分はもう忘れちゃいましたが、一時期勉強してやたら綺麗に巻いていたことがありました。患者さんからは「やっぱ巻き方ちがうんですねー」という高評価。"医者らしさ" を出せる瞬間です。ヘボヘボな巻き方だとなんか残念。仲間内でちょっと練習するだけで見栄えが全然違うので、ぜひ。自分が読んで勉強になったのは『ビジュアル基本手技』の『骨折・脱臼・捻挫』だったかなぁ、確か。ちょっと記憶が薄いので自信がないです。今だとたぶんwebでも巻き方くらい載っているんでしょうね。

 精神科レジデントの頃もまだ多少なりとも元気、というか勉強への熱意はあったのです。患者さんを診ると「もしこの患者さんが自分じゃなくて上の先生が診ていたら、もっと良くなっていたんだろうな…」という思いがどうしても沸き立ってきて振り払えず、向精神薬や精神療法の勉強は今よりも確実にしていました。がむしゃらという言葉がぴったりだったかもしれません。

 最近、ふっと振り返ってみることがあるんです。

「当時よりも知識のある今なら、あの患者さんをもっとうまく治療できていただろうか…?」

 と。確かに知識量は今のほうが多い。でも、患者さんひとりひとりに対する、あの当時のような熱意が今はありません。良くも悪くも力が抜けている診療なのでしょうが、もう若くもないし根気が続かなくなってしまいました…。あと、今の外来患者さんの数を一日通して診るには、どうしても出力をミニマムにしていかないと途中でヘタレてしまいます。果たして、あの当時の一生懸命さは治療にどういう影響をもたらしていたのでしょうね。少なくとも漢方治療という点ではこの1-2年の方が何倍もうまくやれるのではないかと思ってはいますが。

 そのような熱意の有無はあるにせよ、今なら治療できていたはずの患者さんが、やっぱりいたはずです。自分の経験や勉強が治療水準に届かなかったがためにそうなってしまった、自分が診ていなければこの患者さんの人生はもっと良くなっていたのではないか、という恐怖感はとても大きいのです。それは今でも考えることであり、特に治療に難渋し苦しんでいる患者さんの診察を終えた時は押しつぶされそうになります。自分じゃなければ、もっと知識があれば。この繰り返しです。だからこそ色々と勉強はするのですが、その思いは拭いきれません。

 研修医時代の患者さん、精神科レジデント時代の患者さん、そして現在進行形の患者さん。彼らの影におびえながら、今後も医者としてやっていけるのか。最近、そんなことを思います。他者の犠牲のもとに自分は立っているのです。でもこれから立ち続けていくことは、正直なところ重荷にもなってきています。しかしそこから降りることは、その犠牲の軽視になっているかもしれない、とも考えてしまいます。

 「患者さんは私たちの先生である」と、医療者の間で言われています。患者さんに教えてもらいながら医者は成長するということ。確かにそうでしょう。しかし、未熟な医者に診られ、そして人生が不幸に傾いてしまった患者さんもいるはずです。彼らを "先生" という一言で済ませられるのか、とも考えるのです。自分ではない他の医者が診ていたら…と後悔する気持ちは誰しも持つでしょう。患者さんを「先生」と表現するのは、その気持ちを否認するためのものかもしれません。なぜなら、生徒を教える先生という立場は崩れないものであり、傷つかないものなのです。でも、実際の患者さんは医者の診療によって傷つき疲れ、人生にも苦しみ倒れ、立ち上がれなくなることもあるでしょう。
 
 む、こんな話になるような記事にするつもりはなかったのですが、暗くなっていったな…。人はどこか負い目を感じながら、罪を感じながら生きているのでしょうね。
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コメント
もなか先生は反省的実践家なんだな~って思いました。こんなに熱心にブログを書いて、丁寧にコメントもされているのに、この謙虚さ。ますますファンになりましたよ。

「マイナーエマージェンシー」については、我が職場の研修医セミナーで2回院外講師をお招きしたこともあって、ことばの響きが懐しかったです。救急外来にはどんな患者さんが来られるか分かりませんからね。知っているか知らないか、できるかできないか。上級医につなぐまでのどきどき感を思うと、研修医の先生方って本当に寝る暇もなく経験を積まれる(勉強される)んだな、って思います。

もなか先生の実年齢はお原稿の内容よりもずっとお若いはずなのになあ。
ご自身の元気レベルを上げる策はありそうですか~?

しらたきdot 2018.12.08 16:36 | 編集
>しらたきさん

ありがとうございます。
この怖さというのは、多かれ少なかれ医者であれば思うところなのではないかなぁと感じています。
だからこそ勉強して成長していくのでしょうね。
元気をあげる策があれば教えていただきたいくらいで…。
でも、"寝る" っていうのは一番大事ですね。
生き物にとって、脳の回復には寝ることくらいしか手段がないので、ここを削ると確実に身体もこころも疲弊してしまいます。
m03a076ddot 2018.12.12 11:43 | 編集
もなか先生、こんばんは。

私も(医師ではありませんが)お客様から学ぶべき職業についております。先生の謙虚さを見習いたいと思いますが、なかなか実践できずにおります。
元メイラックス減量中dot 2018.12.18 23:34 | 編集
>元メイラックス減量中さん

ありがとうございます。
いつもそう思っていては息苦しくなるので、自分が天狗になりそうな時にフッと思い返すのが良いのでしょうね。
こういう不安があるから勉強するのだ、と肯定的にとらえたいのですが、どうにもこころがそわそわしてしまいます。
m03a076ddot 2018.12.19 13:42 | 編集
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