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2019
01.12

怖さを持ち、怖さに飲まれない

Category: ★研修医生活
 精神科医になってからフツーの救急外来をすることはなくなりまして、研修医の頃を懐かしく思うとともに、もうあんなことは出来ないなぁと自分の限界を感じています。もちろん、入院病棟でも急変はありますし、外来でも身体疾患含めいろいろと鑑別を思い浮かべることもあります。でも、夜中も患者さんがわんさかやってきて、ほとんどが軽症でありながらも中にチラッと紛れてくる重症患者さん。そういうのはもう怖くて無理だなぁと思うに至っております。多数の患者さんをパッパと診てお薬出して帰してまた次の患者さん、というのはちょっとできないかも。ついつい傾聴と共感から精神疾患の聴取に流れてしまいそうで。

「あ、咳が出て夜も眠れなくて。そうでしたか、それは大変ですね。夜眠れないとだんだんと神経も疲れてきて、中には気分がおっくうになったり、頭にもやがかかったように考えがまとまらなくなったりする人もいますが、いかがでしょうか」

 みたいな。そして抗うつ薬まで出してしまったらもうアカン。救急車のサイレンも、研修医の頃は「よっしゃやるか!」と思っていましたが、今では「わ、どうしよう…」という消極的姿勢に。同じ人間とは思えないこの変わりよう。

 そんなこんなで研修医の頃の当直を思い出していましたが、はじめての当直はドキドキもんでした。17時になって救急外来に行くと、同期がCPA患者さんに胸骨圧迫している光景が飛び込んできて「あ、これが救急外来か…」と怖くなり。自分がはじめて診た患者さんはウイルス性咽頭炎 (たぶん) だったのですが、何をどうすれば良いのかわからなくなり、カルテの記入も中途半端。患者さんもさぞ心配だったでしょう…。今思い返すと恥ずかしいですね…。

 もちろん、救急外来を繰り返すと慣れていきますし、自分自身でも勉強して知識の広がりが出て、それなりにこなせるようになります。すると表面化してくるのが、自信。この自信が出てくるのは自然のことで、出来るようになってきた証拠でもあります。しかしながら、それはかりそめのものでもあることを十分に認識しましょう。研修開始半年くらいも経つと、先輩、つまりは2年次研修医のダメな点が見えてきて、それを仲間内で「あの先生は遅い」「鑑別がぜんぜん挙がってない」「任せちゃいられない」などと話し合い、自分たちのほうが優れているかのような錯覚に陥ります。かつ自分自身が2年次になって後輩が出来ると、後輩 (1年次) の知識の無さが自分の能力の過大評価につながってしまいます。万能感というやつですね。この辺りが危険ポイント。研修医が1年ほどの勉強と慣れで得た自信はハリボテであり、井の中の蛙とも言って良いでしょう。そこで失敗を重ねて、海の広さを知っていく。これを繰り返していくことが肝要なのです。その失敗はかならず上級医がカバーすべきもので (しないと患者さんに不利益が生じる)、素晴らしい先生は研修医の自信過剰になる時期をよく把握しており、そのタイミングでは指導をさらに厚くしてくれるのです。しかもあまり研修医に恥をかかせないように。

 自信は持っても良いと思います。勉強した証でもあるでしょう。しかし、その裏に必ず怖さをくっつけておくべき。自分は怖さが拭えず、研修医のあいだ、ずっとマニュアル本やテキストをたくさん外来に持ってきていました。読み切れないのにね。お手製のマニュアルノートをポケットに入れておいてお守りのようにしていましたし。でも、その怖さがあったから勉強もしていけたのかなと思います。人生の中で最も学んだのは研修医の時かもしれません。ただ、救急外来にステータスを全振りしていたような感じもしましたが…。入院患者さんのマネジメントはからっきしでした。

 しかしながら、その怖さが過剰で、「勉強しないことでもし患者さんに大きなことが起きたら…!」という思いが強すぎました。これは去年12月にも同じようなことを記事にしていましたが、恐怖感にとらわれていたと言えるでしょう。しかもそのように思うことが自然であり、大きなことにならないために勉強しまくることが研修医として当然だと思い込んでいました。その固い考えから後輩 (1年次研修医) には厳しくしていしまい、これは完全に自分の失敗だっと後悔しています。例えば、後輩が見逃しそうになったのをリカバリーしたことがあり、その見逃しが初歩中の初歩だったので呆れながらもその場ではこらえて「来週までにこの主訴についてきちんと勉強してこい。どんなことを勉強したか聞くから」と強く言ったことがあります。しかし来週になって「勉強してきた?」と聞いても後輩は「してません」と答えたのに腹を立て、そこからものすごく怒鳴り散らしました…。指導医の先生に「あいつは何とかならないんですか!?」とお話ししたこともありますが、その先生は「怒鳴ることは教育ではない」とビシッと言われ、それはとてもこたえました。

 自分は恐怖に飲まれていたのでしょうね。救急外来が怖くて、見逃しが怖くて、それが強すぎて周りが見えなくなっていたのだと思います。怖さ自体は必要ですが、自分のようにそれに揺さぶられるようになっては、教育上もよろしくありません。勉強することを何よりも第一にする人もいれば、決してそうではない人もいる。ライフスタイルは人それぞれであり、自分の価値観を押し付けてはなりません。そして何より、自分自身にゆとりがなければ、他人を慮れなくなってしまうのです。指導するにしても、相手が「よし、頑張ろう!」と思えるようにしなければなりません。怒りはすべてを台無しにしてしまうのでしょうね。

 そんな自分も今ではすっかり丸くなり (?)、後輩に厳しく言うことは皆無になりました。というか以前にも増して人と関わらなくなったかも。面倒くささが勝っちゃって。
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コメント
もなか先生。

> 「怒鳴ることは教育ではない」
胸に常に置いておきたいと思います。効果的に実践する自信はないのですが……

今年も、無理なくご活躍になられてください。
元メイラックス減量中dot 2019.01.15 00:56 | 編集
>元メイラックス減量中さん

ありがとうございます。
「怒鳴ることは教育ではない」というのは至言だと思うのですが、やはり救急外来で一歩間違えば…という状況ではなかなか冷静になれませんでした。
反省しながら生きていきます。
m03a076ddot 2019.01.20 12:36 | 編集
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