FC2ブログ
2018
04.22

構造と機能、つくりとはたらき

 「検査しても異常が見つからないから」と言われて精神科に紹介される患者さんがいます。「心因性だ」や「メンタルに原因がある」などと前医から言われ、「そうなんでしょうか…」とあまり納得していない雰囲気を漂わせながらこちらにやってくる患者さん。彼らからすると「こっちじゃもう何も出来ないから」と言われて精神科に紹介されるのは気持ちのいいものではありません。四谷学院ではありませんが「なんで私が精神科に!?」となるわけです。そうなると、精神科の初診でもちょっとこちらが不利というか、納得していない状態で患者さんが来るので、患者さん側があまり治療に参加していこうという気持ちになれないんですよね。それはごもっともなところで、そんな中でもこうやって来てくれたから出来ることをやっていきましょうということになるのであります。

 心因性という言葉はとても便利なものであり、かつちょっとケチがついたものでもある、そう思います。本来であれば、経験豊かな精神科医が患者さんの生活歴からしっかりと聞いて、「あぁ、この状況であれば身体に症状が出ても無理はないなぁ」と実感してそう診断されるべきものです。しかし、現状は決してそうでない。「検査で異常なし=心因性」「ストレスがある=心因性」という実に短絡的な発想になってしまっています。”心因性”は、もともとは不便な言葉であるべきなのです。しかも、心因性という言葉でイメージされるのは”嘘の症状”というもの。実際はそうではなく、患者さんは苦しくその症状によってもつらい思いをしているのです。
そこを理解せず軽視するのであれば、ますます患者さんは追い込まれてしまうでしょうし、現実はそうなってしまっています。こんな状況を鑑みると、もう”心因性”というのは撤退すべき言葉になったのかもしれません。つまりは、あんまり使わないでね、ということになります。

 じゃあどうやって説明するのかということになりますが、今の医学は「検査で異常がない」という多くのものはその標的臓器の”つくり (構造)”を見ていることになるでしょう。内視鏡しかり、CTしかり、MRIしかり。構造に異常が認められれば、じゃあその”はたらき (機能)”にも異常があるだろう、という考えが強く根付いており、それは裏を返すと”つくり”に異常が見当たらなければ”はたらき”は正常である、ということになります。これは肉眼解剖学の発展ともリンクしていると言えるかもしれません。しかし、一見したところ”つくり”に大きな異常が見当たらなくともその”はたらき”に異常を来たすことはもちろんあるでしょう。機能性胃腸症や過敏性腸症候群はその代表例です。全身には多くの神経が張り巡らされており、臓器の”はたらき”に関与しています。その神経の一部がショートしてしまえば、”つくり”に変化は見られずとも臓器の”はたらき”に支障をきたすことは想像に難くありません (神経障害性疼痛もそう言えますね)。よって、自分は患者さんに以下のように説明することがあります。例として腸を挙げますが

「今の医学では、ものの”つくり”を見ることは出来るんですが、リアルタイムの”はたらき”を見ることはとても難しいんです。○○さんの今の痛みには、腸のはたらきが何かの原因で滞ってしまったことが大きいんじゃないかなと思います」

 そして、原因については

「残念ながら根本的な原因は分かっていないんですが、腸のはたらきを担う神経がどこかでショートしていると考えられているんです。パチパチとショートしてしまって、それで腸は動きが滞ってしまいます。ショートすることで、腸のつくりにはまったく異常が見えなくてもはたらきの方に支障が出ているんです」

 とイラストを描きながらお伝えしています。そして、その神経のショートを修理するために、薬剤治療や日常生活の改善などが有効である、という流れにしています。あ、この図は解剖的には全く正しくないのでご了承ください。

ショート

 他には、バリアという表現をすることもあります。

「人間はバリアを持っていて、普通はそれが色々と守ってくれています。今の医学ではそのバリアまで見ることがちょっと出来ないんですが、このはたらきがとても大事なのです。何らかの原因でそのバリアが疲れてしまうと、いろんな刺激がどんどん入り込んで、それが○○さんの痛みになってしまうんです。そのバリアを回復させるのが治療になりますよ」

 この表現では、バリアが”はたらき”と同様な意味を持っていると考えて良いでしょう。

バリア

 何を言いたいかと言うと、”良く分からない症状 (特に疼痛)”を精神科に紹介してくれるのは差し支えないのですが、”心因”や”メンタル”という言葉を安易に使わないでほしい、ということなのです。そういう表現によって患者さんが傷ついて、精神科の初診で延々と紹介元の病院への恨みつらみを語り、かつ四谷学院状態になるので、治療関係がなかなか結びづらいのです。そうなると治療もやっぱりうまくいくのが難しいでしょう。

 しかも、心因なんて探そうと思えばいくらでも出てきます。今の仕事でストレスフリーな人もいないでしょうし、ストレスがないと発言しても「ははぁ、ストレスを否認しているな」と言おうと思えば言えてしまいます。もちろん原因を幼少期にたどっても同じこと。器質疾患は心因に脆くなるというのは周知の事実でしょうし、もうそんなスパっと分類できるものではないのです。実際に切った痛みやぶつけた痛みですら、楽しいことをしている最中はその強さが和らぐものですよ。そして分かっているのは、”孤立”が症状を複雑化させること。なので、精神科に紹介してくださる先生方は「身体の方はしっかりと引き続き診ましょう」という宣言をしてもらいたいのです。「うちじゃないから。精神科に行って。ハイさよなら」じゃあ、患者さんも怒ります。つまりは、関係性を保ち続けてもらいたいのです。神経のショートを修復すること、もしくはバリアを回復させることについて、精神科はある程度の治療選択肢を持っています。だから紹介するということ。そして、それはいわゆる”心因性”にとどまりません。身体疾患による苦痛についても精神科は対処方法をいくつか持っています。神経のショートを修復しバリアを回復させるには、患者さんがゆとりある生活を送ることが実はとても大切で基盤にもなります。それをまずは知ってもらいたいのです。そして、そのお手伝いをするのが精神科なのです。

 ”つくり (構造)”と”はたらき (機能)”という風に考えてみて、何でも心因心因と言わず、「つくりは問題ないように見えるけど、はたらきの方に支障が出ているんだね」という理解を持ってほしいものです。患者さん側も、医者が「心因」と言ったら本当に心理的な要素で説明できることがあるものもあるでしょうし、今回お話ししたような「はたらきの方なのだな」と読み替えられるものもあるのだなと思ってもらえたら。そして、生活の中では孤立を防ぐことと彩を豊かにすることがポイントになります。症状に浸かってしまうと生活がそれ一色になり、人と人とのつながりも切れていってしまいます。そうではなく、症状があってもやれることは実は多いということ、つながりは保てるし広げることすらできること、かつ、そのやれることとつながりが症状の改善にも大切だということ。これを意識していきましょう。

 最期に注意しておきますが、間違えてほしくないのは "心因" というのは本来なら全く悪い意味ではない、ということです。嘘をついているわけでは決してなく、患者さんもその症状に苦しんでいます。ただ、今はあまりにも軽々しく使われすぎて意味が曲がってしまいました。もう使わないほうが良いのでは? とも感じるわけなのです。
トラックバックURL
http://m03a076d.blog.fc2.com/tb.php/2193-abfabeb1
トラックバック
コメント
様々な不調が重なりついには寝込んでしまい、しかし検査で異常は見つからず、ストレスですねと言われてぽんっと精神安定剤を出された者です。
仕事は不規則ですが残業自体は少なく、人間関係も悪くない。それなのに精神安定剤が必要になるほどメンタルが弱い人間なのかと一時は悩みました。
その後自分でいろいろ調べてストレスは精神的ストレスだけではないことを知り、自分の症状も様々な種類のストレス(精神的なストレスもあり)が積み重なった結果だろうと考えるようになりました。今は地道に養生を続けています。
しかし病院の先生は「ストレス=精神ストレス(つまり心因性)」と単純に考えてしまう方が多いようですね。養生しましょうと言う先生はほとんどいらっしゃらないように思います(このあたりは代替医療をやっている先生方の方が的確に捉えているように感じます)
検査で異常がない=心因性(精神ストレス)、ではなく、環境や生活習慣、栄養バランスなどのストレスにも着目して「養生」という視点を持っていただきたい、と思う次第です。

penguindot 2018.04.24 11:02 | 編集
「関係性を保ち続けてもらいたいのです。神経のショートを修復すること、もしくはバリアを回復させること…」
もなか先生のブログ、身に染み入ります。
当方、鍼灸師ですが、私たちもとても似たような表現を用いることが多いです。
penguinさんのコメントも、心して患者様に対峙しようと初心に帰ります。 
象虎dot 2018.04.24 13:03 | 編集
精神とか心という言葉を簡単に使う医師は脳という複雑な機能を持つ内臓をどう捉えてるんだろうか、と思います。

私はそういう言葉を聞くと、「ああ、このお医者さんはテキトーな人なんだな」と思ってしまいます。

患者の立場からは、「その症状の原因は私にはわかりません」と告げたらいいだけなのに、と思うのですが・・・

実際、検査やとりあえずの投薬で消去法的に原因を絞りこんで行って最終的に「わからない」と言った医師もおられましたが、私はかえって信頼できるなあ、と思いました。
yukodot 2018.04.25 23:05 | 編集
>penguinさん

ありがとうございます。
患者さんの行なう養生こそが最も重要で、それがなければお薬も効果をあまり示さないと思っています。
患者さんが主体的に治療に取り組む姿勢の具現化でもあると考えています。
m03a076ddot 2018.04.28 08:53 | 編集
>象虎さん

ありがとうございます。
患者さんに理解しやすい言葉を用いることが大事ですね。
同じく、養生することも欠かせないことと思います。
それがレジリエンスを高めていってくれるのでしょうね。
m03a076ddot 2018.04.28 08:56 | 編集
>yukoさん

ありがとうございます。
こころをあえて表現して身体とのつながりを意識してもらうこともありますね。
その辺りは、こころという言葉をどのタイミングで出すか、などが大きく関与してきそうです。
医療者も患者さんも「分からない」ことへの耐性がないことが多く、「分からないってどういうことだ!」と怒る患者さんも実際にいます。
意外とこの辺りは難しいですね…。
m03a076ddot 2018.04.28 09:01 | 編集
先生、お返事ありがとうございます。

前回は記事を読んですぐに「そうそう、そういうお医者さんって多い!」と勢いでコメントしてしまいましたが、記事をもう一度拝読して「つくりに問題がなくてもはたらきがうまくいかない」という表現はとてもわかりやすいなあ、と思いました。バリアという表現も時々鬱状態になる私にはリアルです。

神経やバリアを回復させるにはゆとりのある生活・・・「ゆとり」という言葉はキーワードですね。

精神疾患をかかえながら社会的・経済的にサバイバルせねばならぬ身としては、「ゆとり」はなかなかハードルが高いのですが、症状の苦しさをムキになって消そうとするより、問題だらけでも笑い飛ばせるくらい物事を(自分の病気も)俯瞰できれば、それが「ゆとり」につながるのかな、と思います。

いただいたお返事と関係のない内容になってしまってすみません。




yukodot 2018.04.29 22:43 | 編集
>yukoさん

ありがとうございます。
症状があっても実際に出来ることは多くあり、それを実行する能力もある、ということを1つ1つ具体的な事柄について確かめて実践していくことが大事だと思います。
おっしゃるとおりの俯瞰が、ゆとりになるのでしょうね。
"ゆとり" は曖昧な言葉ではありますが、だからこそ色んな人それぞれのゆとりにつながりますし、そこで色々と考えることも出来ると思っています。
曖昧だからこそ大きく包むことも出来る、これが日常語の利点と思います。
m03a076ddot 2018.05.01 22:27 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top