2017
12.08

”患者さん中心” にご注意を?

*今回の記事は患者さん中心の医療を否定するわけでは決してありません*

 医療界では「患者さん中心の医療をなすべきだ!」ということがスローガン的に掲げられております。それは至極もっともなことで、昔のようなパターナリズムになってはいけないという戒めにもなります。ただし、”患者さん中心の医療をする” という考えには少しばかりの ”醒めた目” が必要になることもあるのではないか、そう思うのです。10月に四国で講義をした時にもこのお話をしたのですが、「難しい」という印象が多かったような、そんな雰囲気でした…。

 今回、自分の言いたいことを端的に示せば


「患者さん中心の医療をしている」という医療者の思いが、患者さんにはそう受け取られないこともある


 ということ。

 講義のためにつくったスライドで示してみると、患者さん中心の医療はこんな感じになります。Pと印されてあるのが患者さん(Patient)。

患者中心

 まさに患者さん中心になっています。

 しかし、このように患者さんを取り囲むようになると、患者さんがそこから逃げ出したくても ”包囲されている” ことになります。良かれと思ってやっていることが実は良くなかった、ということは往々にしてあり、それは ”ありがた迷惑” などの言葉に代表されるでしょう。「患者さん中心で俺は医療をしている!」と思うことは ”思い込む” ことでもあり、本当に患者さんのためになっているかどうかに盲目となってしまっている可能性があるのです。

 善意で行なっていると思えば思うほど、それが悪いことだとは自分自身で思えなくなります。「善意でやっているんだから、患者さんのためになっているだろう」ということ。それは ”押し付け” となります。そして、その善意は断られると牙を剥くことにもなるでしょう。「あなたのためにやっているのに、何てことだ!」という憤りにつながります。そうなってしまっては破綻を迎えるでしょう。

 「患者さん中心で!」と考える事自体は決して悪くありません。そして、そのように考える方々は非常に熱心なのです。ただし、その熱心さがまわりを見えづらくさせてしまうこともあり、 そんな方々に ”善意は時として暴力的になる” ということを覚えてもらいたいのです。

 そこで自分が思うのは、患者さんを中心に据えるのではなく、輪の一部になってもらい、人と人との ”あいだ(あわい)” を中心にしてみるという意識付け。患者さんと、患者さんの周囲の人々、そして他の医療者との ”あいだ” で医療を考えていこうよ、ということであります。医療は能動と受動の ”あいだ” で立ち現れる、と言っても良いでしょうか(ちょっと流行に乗った感じあり)。

あいだ中心

 このような意識を持つと、”善意の押し付け” になりづらいでしょう。こういう視点をたまに持ってもらえたら良いのではないかな?と思っています。患者さん中心の医療のためには、患者さん中心という目線から少し自由になりましょうというお話。

 これをお話しする時、よく自分は ”だっこ” の例えをします。だっこというのは決して親が一人でするものではないのです。だっこする側、そしてだっこされる側の姿勢が大事になり、まさに親と赤ちゃんの ”あいだ” で成立するのです。だっこは協同でなされるものであり、”独りよがり” では決してうまくいきません。だっこされたくなければ赤ちゃんは抜け出そうとしますし、だっこされようとする時、赤ちゃんはそのための姿勢をとります。そして、だっこ中に赤ちゃんが寝てしまった時、親が注意を払っていれば、赤ちゃんをちょっと重く感じる瞬間があります。これは、赤ちゃんが起きている時は親のだっこする姿勢に合わせてくれていたことを意味するでしょう。寝てしまうとその ”合わせ” が働かなくなるので、重く感じるのです。

 人と人との関わりの基盤の例として、この ”だっこ” は優れているのではないか、そう思うのです。自らの行為が相手にどう受け取られるか?というのを考えるためにも、視点を ”あいだ” に移してみることをおススメします。患者さん中心の医療が浮かび上がるには、変な話ですが患者さんを中心からいったん外してみることこそが大切なのではないでしょうか。
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