2017
10.06

ラッキーを待つ?

Category: ★精神科生活
 患者さんを診ていると

「僥倖っ…! なんという僥倖…!」

 と実感するようなイベントが起きます。これがなかったら今頃まだ状態が変わっていなかったろうなと思うこともあり、ハプニングは転機となりえます。例えば…

 不安を伴ううつ病で治療中の患者さん。休職をしていてそろそろ動き出す時かな? と思い、患者さんに”今が動き出すタイミング”とあの手この手で伝えるも、自信がなくその一歩がなかなか出てきませんでした。そんな時、お友達から強引に旅行に誘われて断りきれずに行くという事態に。その旅行後、患者さんから「思ったより私って動けたんですね。すごく楽しかったです」と。そこからの回復はスムーズで、復職プログラムも無事にこなして復帰しました。

 これまたうつ病で会社に行けなくなってしまった患者さん。ちょっと長期になってしまい、患者さんは「何か背中を押してくれるようなことがあれば…」と苦笑交じりに。こちらとしてもひと押しほしいなぁと悩んでいたところ、その会社の社長さんから「週に1回、私との面談がてら出社すること」との言あり。その患者さんは立場が上の社員さんで、社長とよくお話をしていたのでした。こちらも「その蜘蛛の糸はしっかり掴んでいきましょう」とお勧めして、患者さんも「社長命令なので、これがひと押しですかね」と。その後は復職が可能になりました。

 こんな患者さんの例は結構あります。下準備が整ってさあどうぞ! とこちらは思っていて外来でもお話ししますが、どうにも一歩が出ないという患者さんはいます。そういう時にこちらが強引に出てしまったり焦ったりするとよろしくないので、少し腰を据えて取り組むようにするのですが、そのさなかに上述のような出来事が生じるのです。そこから折れ線のように患者さんは良くなっていく、なんてことがあります。患者さんを捉えていた何者かの腕が脱臼して外れる、そんなイメージがあります。

 意欲というのは、行動を繰り返して繰り返して、その果てに出て来るもの。身体が重くてやる気が起きない時や不安が強くて大変な時などに動くのは本当に苦しいのですが、そこを突破するのが大切で、そこを外来でどう伝えるか。もちろん向精神薬を必要な時は使いますが、使っても”あと一歩”が届かないことだってあります。こういう時、必要なことをしつつじっと耐えているとまさに僥倖がやってくるのです。

 物理っぽく表現すると、静止摩擦力は動摩擦力よりも大きい、ということかもしれません。物体は動き出すまでに力をより大きく必要とし、動き出してからはそこまでの力が不要になります。高校で物理を選択していた患者さんにはこの例えをすることがあるものの、自分は生物選択(しかもIBだけね)だったのでそれ以上色々と聞かれるとお手上げになってしまいますが…。診療でも、静止摩擦力を上回る力が必要とされます。あの手この手で医者は力をかけて、患者さんが動き出すその最後の力が上述の僥倖なのかしらん。

 「なんだお前、ラッキーに頼ってるのかよ…」と思われても仕方がないのですが、ちょっと視点を変えてみると、その偶然に起きたイベントを患者さんが動く必然、あえて言うなれば確約された僥倖、にするのが医者の仕事の一部なのかも? とも考えられます。医者が外来であまり働きかけないでいると、イベントが起きても静止摩擦力を上回らないのでしょう。そのイベントを最後のひと押しにするまでの基盤を整えるのも大事なのかなと。

 精神療法のうまい先生は、自分であればスルーしてしまうような小さなイベントをも僥倖にしてしまうのかもしれませんし、その僥倖を意図的に起こすことが出来るのかもしれません。もちろん、イベントをほとんど必要としない先生もいらっしゃるでしょう。

 自分で出来るだけのことをして、どんな小さな出来事でも無駄にせず嗅覚鋭くとらえてプラスに持っていく。こんな風に診療が進んでいければなーと思っておりますが、まだまだ道半ばでございます。
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コメント
『確約された僥倖、にするのが医者の仕事の一部』とは、さすがです!私は医者ではありませんが、ひとと対峙する以上大事なことだと心に刻みました。
象虎dot 2017.10.06 18:42 | 編集
>象虎さん

ありがとうございます。
強引さよりも待つことが大事で、その待っている中にも種まきをしていれば良いことが起こる、と思っています。
いずれにしても、患者さんが良くなってくれればそれがいちばんだなぁとも感じておりますが。
m03a076ddot 2017.10.12 14:40 | 編集
おひさしぶりです。最中先生。

わたし自身、なにかのめぐりあわせかな~?と思えるラッキーが数多く起こり、いまここに至っていると感じています。わたしの場合は友人はとても少ないのですが、、カウンセラーの先生とのよいめぐり逢い、主人との出逢いなど・・・自分でなにかがんばったわけではないんだけど、なんかラッキーな感じで出会った!なんて。そこから関係を続けていくのはあなたの力ですよ、とカウンセリングの先生はおっしゃっていましたが、それでもこのラッキーな出会いにはなにかの意思すら感じてしまうほどです。

そんなカウンセリングの先生と、13年を経てお別れとなりました。体調不良で病院を退職されたのです。とてもさみしいですが、いままでたくさんのことを教えていただき、愛情をそそいでいただいた先生にほんとうに感謝しています。。

なんだか毎度私事で申し訳ないですが、とにかくほんとにわたしは自分ってラッキーだなぁと思えるようになりました(笑)。解離性障害の症状が強くでて入院してしまいましたが明日退院できそうです。今後ともよろしくおねがいします。
雛瀬ななdot 2017.10.15 17:31 | 編集
>雛瀬なな さん

ありがとうございます。
いろんなラッキーの巡り合わせで、人は今ここに生きているのかもしれませんね。
ラッキーをラッキーにする下準備も大事ですし、カウンセリングの先生がおっしゃるように、ラッキーからの関係性を続けていけるのは、その人の持つ力なのでしょうね。
頑張りすぎず、こころのどこかにゆったりとした感覚を保ち続けてもらえたらと思います。
けっこう”休み下手”なかたが多いので。
m03a076ddot 2017.10.20 09:00 | 編集
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