2017
01.23

思い込まずに

 前にも記事にしたことがありますが、今回また少し。

 ポリファーマシーは医療者の間ですっかり有名な言葉になりました。色んな意味を与えられることが多いのですが、いちおうは5剤以上の薬剤が使われている状態を指すというのが定義と言えば定義。

 ポリファーマシーと言うとやっぱり「悪!」というイメージが強いでしょうし、そう考えてもあながち間違いではありません。しかし、”ポリファーマシーする必要のある状況”というのももちろんあります。特に高齢患者さんは高血圧+脳梗塞+糖尿病+脂質異常症+COPDなどなど、色んな疾患を持っています。そうなると、それぞれに対応する薬剤を使うと必然的にポリファーマシーとなります。そんな時に「薬を減らすぞ!」と意気込んで大事なものまで減らしてしまったら、逆に患者さんにとってマイナスとなります。お薬を減らして「お。きれいな処方になったなぁ」と惚れ惚れするのも結構ですが、それによってかえって患者さんの身体の状況が悪くなったら、適切とは言えません(当たり前)。精神科病院の慢性期統合失調症患者さんは特にそうですね。多剤併用がされているのを見ると「減らすぞ!」と意気込みますが、お薬を減らして「よし、リスペリドン単剤にしたぞ!」と満足しても患者さんの状態が悪化して保護室に入ることが多くなった、なんてことは実際にあります。もちろん何事もなく減らせれば良いのですが、多剤の整理は患者さんにとってハッピーな結果が伴わなければ、押しつけの正義感でしか無いのです。若手の精神科医はそこに気づくことも大切。正義って、自分は正義だと思っているからタチが悪いんです。「あれ? ひょっとしてオレのやってることは…?」という疑問の入る隙間を持っていません。「オレのやっていることは正しい! 反対する奴らは敵だ!」という考え方なのですから。思い込みの正義は残酷であるということも覚えておきましょう。

 ポリファーマシーというのはポリファーマシーという現象を指し、それ以外の何者でもありません。判断の眼は含まれていないということに注意しましょう。患者さんの状態によって、善という意味を纏うこともあれば、悪という意味が突き刺さることもあるのです。その”善”や”悪”も何をもってそう言うのかという問題もありますが、医療分野は患者さんを抜きにしては考えてはならないでしょう。もちろん医療経済という視点も入りますが。

 今の患者さんが置かれている状況、そしてこの先の患者さんが歩むであろう道筋、それらは身体的のみならず心理社会的な目線も入りますが、こういうことを考えて薬剤を使用/中止すべきです。しっかり考えた挙句にポリファーマシーとなるのであれば、それには妥当性という祝福が降りてきます。よって、医療者はたくさんお薬が使われているのを見た時にパブロフの犬のごとく「酷い処方だ!」と思うのではなく、いったん判断を停止して目線を外しましょう。患者さんの年齢や疾患、その重症度、周囲のサポートなどなど、繰り返しですが身体的・心理社会的(加えるなら実存的)な要素を考慮した上でもういちど薬剤を眺めるようにすべきです。

 特に熱心な若手の医者や薬剤師の先生はポリファーマシーの深みにハマってしまうことがあり、処方する医者とのいらぬ対立を産む危険性もあります。「ポリファーマシーこれすなわち悪」「ポリファーマシーをする医者これすなわち悪」という考えから自由になることから始めてみることをオススメします。ま、基本方針はお薬の減量で大体は合ってるんですけどね…。

 ”木を見て森を見ず”という有名な言葉がありますが、ポリファーマシーに関しては”薬を見て人を看ず”になってしまってはいけません。どのような意味が付与されているのか、それは人によってまったく異なります。”薬を見て人を看る”ような医療者を志しましょう。そのように意識するだけで、”ポリファーマシー=悪”という定式から脱却できますよ。そして、その際は”診る”ではなく”看る”というスタンスが望ましいと思います。
トラックバックURL
http://m03a076d.blog.fc2.com/tb.php/2111-fa5e055e
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top