2016
10.19

マクギーで気をつけること

 この話も以前にしたことがありますが、いちおう自分の見直しのためにも改めて。

 学生の頃に、マクギー先生の『Evidence Based Physical Diagnosis』を読んでみて


おぉっ、身体診察にもこんなエビデンスがあるんだ!


 と、ちょっと感動した記憶があります。でもまだその時はあまりエビデンスの輪郭を良く分からなかった時でもあり、JAMAのRational Clinical Examinationの存在も知りませんでした。。。本格的に「おぉぉぉっ!」と感じ入ったのは研修医になってから。普段行なっている診察がどのくらいの価値を持っているのか、というのが明らかになった感じがして、すごい本だなぁと思ったのであります。現在、翻訳も2年遅れくらいで出ておりますよ。

 このようにエビデンス(この本では主に尤度比という形で示されますが)が載っていることで、何となく行なっていた身体診察が違うものに見え、この所見があったからこの疾患の確率はこれっくらいかな…と、研修医の甘々な思考過程ではありましたが何か論理的に考える(風?)というクセの導火線になりました。これはマクギー先生のおかげかなと。

 しかしいっぽうで、身体診察は行なう人や経験によって差があるという事実もあります。

 聴診を例に出すと、自分が聴く呼吸音と熟練した呼吸器内科医の聴く呼吸音とではまったく広がりが異なるでしょうし、肺炎の診断にも大きく影響すると思われます。そして当たり前ですが、それは繰り返しの練習を必要とします。マクギーを読んで最初から「肺炎の診断にcracklesなんて意味ないんだぁ」と考えて何もしないのであれば、聴診の技術なんてまったく向上せず、その人の聴診のレベルはマクギーに載っている程度の尤度比にすら達しないでしょう。同様に、練習しなければ肺胞呼吸音の気管支呼吸音化もとらえられません。心雑音では、格言として”Levine I度の心雑音とは、研修医には聞こえない雑音のことである”なんてのがありますね。

 自分の経験では、マクギーを読んで「尿路感染症疑いに対するCVA tendernessの有用性がこんなに乏しいのか!」と思い、研修医の時はこの診察を省いてしまっていた過去があります。何せこの所見はLR+1.7, LR-0.9というあまりの役立たなさ。当時の指導医の先生にそのことを言ってみたら

「へー。でもなぁ、何か痛がり方が違うんだよ。下葉の肺炎と腎盂腎炎とじゃ、やっぱり違うよ。腎盂腎炎だと内部に響いて患者さんがとても嫌がる感じになるんだよねぇ」

 とのお返事。その時は「でもエビデンスはこうだし、やったってねぇ」と自分は考えてしまって。今思うと、指導医の先生のおっしゃることはとっても面白いですし、自分自身でも”CVA tendernessが陽性か陰性か”の一歩先に”どんな風に痛がるか”は色々と確かめてみたかったと回顧しています。こういうのは経験の深さですねぇ。当時は生意気言ってすんません。。。ちなみにその先生は腎臓の双手診を大事にしていて、「腎盂腎炎だと双手診で痛みが出るんだよ。下葉の肺炎だと炎症の座が腎臓にないから空振りになる」と教えてくれました。ま、自分は双手診やらなかったんですけどね。。。

 他には、今では研修医に教えることはなくなりましたが、2年くらい前(?)までは勉強会をちょろっと開いていまして、そこではpsoas signやjolt accentuationなどの方法を研修医に確かめることが多かったです。例えばpsoas signは腸腰筋を思いっきり伸ばすイメージが大事なのですが、研修医にやらせると患者さんの足首を掴んで引っ張ることが多いのです。それだと膝関節のところで足が曲がるので、あんまり腸腰筋に緊張がかからなくて偽陰性になりかねません。やるんなら腰はガッチリ固定しながら膝関節もしくはその周囲を持ってぐいっと引っ張るようにします。こういったやり方の違いによっても尤度比は変わってしまいます。

 特に研修医はエビデンスを知ると「上級医と戦う武器を得たぞ!」という感覚になり、それによって上級医の言うことに対し「でもそれエビデンスないじゃないっすか!」と対立してしまうこともしばしば。父親に反抗する息子のようなものでしょうか。その対立は悪いものとは限らないのですが、上級医の経験で得られたものや受け継がれているものをエビデンスでばっさり否定できるのかというのは、結構難しいものです。特に診察は熟練の部分がとても大きいので。。。先程のCVA tendernessの例で言えば、痛がり方を知ることで、こういう痛がり方だとLR+がぐんと跳ね上がるとか、また肺胞呼吸音のかすかな気管支呼吸音化は研修医だと見逃しがちですが、経験豊かな医者であればキャッチできるかも知れず、そうなると肺炎の可能性はかなり高まるでしょう。

 要は、研修医のうちはエビデンスが弱いとされる診察項目も面倒臭がらずにやりましょう! ということなのでした。もちろん急を要する時は話が別ですよ。そうじゃない時は、診察に真摯に取り組むことがとても大事で、その過程を踏んで歩いた先に得た経験は、マクギーに載っている尤度比を上回る可能性となってくれるのでありますし、ひょっとしたら何か新しい切り口が開けるのかもしれませんよ。エビデンスで否定されていることでももうちょっと奥に入り込むと役に立つ違いが出てくるかもしれませんし(記事の例ではCVA tendernessの痛みの質)、エビデンスのないものは役に立たないというわけではなく探求されていないということなので、それを題材にして研究すると面白いかも(例えば、インフルエンザのシーズンで待合室にて座っていられず横になるというサインはインフルエンザの可能性が高い、など)。

 ちなみに、診察は患者さんに安心感を与えるという側面もあります。診断/除外のための診察のみを考えるのではなく、”手当て→手を当てる→診察”になりうるというところも頭の中に入れておいても良いでしょう。特にDSM-IV-TRで言う身体表現性障害においてその思考は欠かせません。この辺りは『不定愁訴のABC』という本を読んでみると納得が行くかと。
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コメント
”手当て→手を当てる→診察” なんですね?!
私たち東洋医学に関する分野においては、当たり前のことで尚更なんですが、西洋の先生方にとってもこう考えていただけるのは患者にとって幸せですね。

しかし、「熟練」を要す診察は、とにかく数こなさないと習得できず、死ぬ(直前)までわからないとこちらでは言われてます。。とほほ。
象虎dot 2016.10.19 16:07 | 編集
>象虎さん

ありがとうございます。
手を当てることが”手当て”になる、という意識は身体診察をする上でとても大事だなぁと感じています(語源は違うようですが)。
紹介した『不定愁訴のABC』は翻訳本ですが、そこにも同じようなことが書かれてあり、洋の東西を問わないのですね。
おっしゃる通り、診察は熟練を必要としますね。
死ぬまで上達できると考えると、それはそれで頑張ろうという気にもなってきます。
m03a076ddot 2016.10.22 14:48 | 編集
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