2016
08.03

生きていくうえでの悩みは人生から問われているのかもしれない

Category: ★精神科生活
 1年ほど前ですが、初診に悩める患者さんが来ました。

「仕事をしているけど、このまま続けていて何の意味があるんだろう。結婚してないから、辞めても良いんじゃないかとか。でもその踏ん切りも付かないし老後のことも考えると」

 大まかにはそんな内容。今の自分自身の立場、そしてこれからの人生を考え込んでしまって、眠れなくなったそうです。ちょうどその時は自分の頭がクリアになっていたので、その場でアレコレと思案しながらお伝えしてみました。いつもはモヤがかかっているのですが…。


患者さん「ほかの人ってどうなんでしょうね」
自分「みなさんどんな感じで働いてらっしゃるの?」
患者さん「うーん、淡々とというか。前に聞いたら”家族がいるしね”って。僕は結婚してないし、じゃあどうすればと」
自分「結婚していると家族のために頑張れるということでしょうか」
患者さん「そうですね、そう思います」
自分「結婚していると、家族のために頑張れる。でも家族のために頑張らなきゃならない、とも言えそうかなと今思いました。家族はつながりの糸にもなりますが、鎖にもなってしまうこともあるのかなと」
患者さん「あー、鎖ですか」
自分「その分、○○さんはそれがないですね。良い意味では鎖がなくて自由。今後のこともどうしようかと選択肢が多くなっているように感じます」
患者さん「そうですね、色々と考えてしまって」
自分「でも自由だからこそ悩んでしまって、自由だからこそ1人で孤独になってしまうこともあるのかもしれませんね。言い方はきついかもしれませんが」
患者さん「いえ、本当にそうだと思います。1人だと良くも悪くも考えますよね」
自分「だからこそ、しっかり考えてみてはどうでしょう」
患者さん「え、考えたほうが良いですか?」
自分「そうですね。今はこれまでの人生とこれからの人生を考える1つのポイントになっているのだと思います。仕事も若かった時と同じようには出来ずに衰えを実感せざるを得ないですし、これからをどうやって生きていくのかもはっきりとせずに不安なのだと思います」
患者さん「そうですね、そうなんですよ」
自分「しかも、何度も言って申し訳ないですけど結婚されていないこともあって、どうしようかと考える自由が強くなっている」
患者さん「はい」
自分「その自由がまた不安を煽り立てているかもしれませんし」
患者さん「そうですね」
自分「なので、ここは先送りにせずに悩み抜くのが大事だと思いました」
患者さん「そうなんですか」
自分「考えないようにしてもついつい考えてしまうってことは」
患者さん「はい、そうなんです」
自分「ということは、今はしっかり考えなさいよと教えてくれてるんだと思います。すごく大袈裟に言うと、○○さんの人生が教えてくれている、考える時期なんじゃないかと」
患者さん「あー、考える時期なんですね」
自分「考えないようにとお薬を出しても、それはただ先送りにするだけだと思うんです。先送りにすると、また後でもっと大きくなって押し寄せてくる。であれば、今回のことをきっかけにトコトン考えてみると良いかなと思いますよ」
患者さん「そうなんですね。考えないようにしようとずっと思ってました」
自分「恐らく答えらしい答えは出てこないかもしれませんし、それが正しいかも分かりません。でも人生ってその人だけのものなので、考えぬいて出た答えは大切だと思います。私が考えて出した答えは○○さんに当てはまらないでしょうし」
患者さん「わかりました。でも苦しいですよね」
自分「苦しいと思います。でも、今はそういう時期なんだと教えてくれている。それに付き合ってしっかりと考えてみましょう」


 というようなことをお話ししました。たまーにこういう”症状というよりは悩み”というかたが初診にいらっしゃいます。そういったかたがたはこれから多くなってくるんでしょうね。ふと人生の途上で立ち止まって「何をしてきたのか、これから何をしていくのか」と。特に結婚されていないかただと自由である反面、それが孤独につながってきます。もちろん結婚していても、家族のために頑張ってきて一段落した時、これからどうしていけば良いのかと悩むでしょう。

 本来、というか昔であれば宗教がそれに対して一定の役割を果たしていたのかもしれません。でも今は悲しいかな、精神科の門を叩いてしまう。先のことを考えずに刹那的で快楽的な生き方をしている人は悩まず精神科に来ることなく、真面目に将来を考えこむ人は精神科に来る。健康って何なんだろうなとそのかたを診ていて思ってしまいました。

 こういう悩みは抗不安薬で抑えるものではないようにも思っています。むしろ、悩むことを受け入れる、積極的に悩んでいくのが大事なのかなと感じます。確かに悩むのは疲れるし逃げ出したい。しかし、今逃げてもいつかはもっと大きくなってやってくる。であれば、地に足をつけて、しっかりと悩むことが求められるのかもしれません。肯定的な意味付けを患者さんにするならば、それは「今は悩んで”意味”を考えてみなさい」と人生から問われている、となるでしょう。医者が出来るとすれば「悩んで良いんだよ」と言ってあげることくらいなのかもしれません。もちろん、考えすぎてこころが休まっていなければ、ある程度それを御しきれるところまで抗不安薬などで落としてあげるのも良いのかもしれません。でも、そうであっても不安や悩みを認めてそれにお付き合いしていくことが求められるでしょう。

 人生に意味はあるのか、と考える人は多いかと思います。でも、その意味を”人生から問われている”ととらえ直してみることも意外な視点をもたらすでしょう。これは精神科医のフランクルが提言したことです。今回の診察(というか相談)をしている最中にそのことを思い出して「あ、この人ってまさにそれかも」と思い、そこで口にしてみました。人間は幸か不幸か意味を付けてしまう生き物です。「こんなん無意味だよ」と思っても、それは”無意味という意味”を付与してしまっているでしょう。言葉を使い言葉で物事を認識する生き物として、意味からは逃げられません。であれば、人生を過ごす中でその人生から「人生に意味があるか、ではないんだよ。君自身が主体となって意味をつくりあげていくんじゃないかな。どう生きて、どう意味をつくっていく?」と問われているのだという視点を持つことは、あながち間違っているとは言えません。そして、その問いから逃げ出さずに精一杯考えてみるのです。答えなんて一朝一夕に出ません。そのためには幅広い視野が求められ、哲学など色んな勉強をする必要もあるでしょう。答えが出なくったって構わないでしょうし、それもまた一つの生き方(”答えが出ない”という答え)。その時の診察という名の相談で、自分も学びました。

 フランクルは『夜と霧』が代表作ではありますが(このタイトルの邦訳は秀逸ですね)、『「生きる意味」を求めて』など、この時代にもっと読まれて良い本をたくさん書いています。少なくとも薄っぺらい”自己啓発本”なんかよりも役に立つはず。
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コメント
読みながらウンウンってうなづいてました。

私も30歳の頃に仕事や家庭環境・恋愛で悩んで、そんなときに病気がわかって余計しんどかったです。
どういう選択肢を選んでも大なり小なり後悔してしまう可能性はあるし、
当たり前だと思ってた明日・望んでいた老後なんて来ないかもしれないんだなーって思ったら、毎日を穏やかに笑顔で暮らしたいと思うようになりました。

職場やそれまでのプライベートな人間関係だけでなく、趣味でも何でも良いから、自分の知らない世界を覗いてみることで少しずつだけど頭が整理できるのでおすすめです!
NKdot 2016.08.04 23:24 | 編集

生きる事が当たり前になっている現代では
死ぬ事や老いて行くことを恐れる不安が強すぎて
迷い苦しむ人が増えているのでしょうかね。
仏教の四苦ですかね。
たかだか100年前まではひょんな事で死んでも仕方ない時代だったわけで…
そのあたりの急速な変化に人がついていけなくなったのかな。

夜と霧は、NHKの100分で名著のテキストが読みやすいのかも
しれないですね。

問題は、先生のように上手く切り開くアドバイスをくれる人に出会えるか
自分で切り開けるか…でしょうね。

ちなみに、先生は旧と新と違いは感じますか?
幸田先生は池田先生の訳書をよんで
「戦争を知らない世代」と悪い意味ではなく評したそうですが
その辺の深い所は本当に経験者に近い立場ではないとわからないのかな。

さくらdot 2016.08.05 15:11 | 編集
クスリが解決策の全てではないと判断し、先生のような対応をしてくれる医者はそう多くはないのではないかなぁとふと思いました。この患者さんは幸運だったかもしれませんね。
ノラdot 2016.08.05 21:32 | 編集
>NKさん

ありがとうございます。
新しい世界を覗くのは、自分の視野が広くなりますね。
新しいことは知らないことでもあるので、そこを覗くのが怖い、不安だと言う人も確かにいます。
しかし、その不安を抱えながらでも、少しずつ足を踏み入れていくのも悪くはないのだなと思っています。

m03a076ddot 2016.08.06 12:50 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

ごもっともなご指摘、感謝いたします。
ここで紹介しているのは年令や性別や受診の時期などを改変しており、また複数の患者さんを組み入れてプライバシー保護に気をつけています。
ただ、その文言を記載するのを忘れており、ブログのトップ記事に載せるようにしておきます。
貴重なご意見、ありがとうございました。
m03a076ddot 2016.08.06 12:54 | 編集
>さくらさん

ありがとうございます。
現代社会は死を遠ざけているので、生の躍動性が実感されにくいのかもしれませんね。
フランクルの100分de名著は、ちょっと編者の考えが強く出過ぎているかもしれません。。。
分かりやすい内容ではあるのですが。
世の中のみなさんがフランクルの本をいくつか読むと良いんじゃないかしらと感じています。

『夜と霧』は霜山先生の重厚で優雅とも言える訳で読んでいたので、新訳はちょっと慣れませんでした。
でも内容を知らずに最初から読むなら、おそらくは新訳の方がフィットしやすいと思います。
ライトと言うと語弊がありますが、変に硬くならずもったいぶらず、肩の力が抜けている熟練の訳とも感じました。
その辺りが”戦争を知らない世代”と言われる所以なのかもしれませんが。
m03a076ddot 2016.08.06 13:03 | 編集
>ノラさん

ありがとうございます。
こういう悩みを抱えているかたは結構多いのかなと思っています。
できるだけ考えないようにして日々を生きているのかもしれませんね。
しかし、人はどこかで自分の生き様を真剣に悩む時期がやってくる、そう思います。
そこに気づいて、悩まないのではなくむしろ悩むことに自ら舵を切れるかどうか、が大事なのでしょうね。
m03a076ddot 2016.08.06 13:07 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

対話の重要性は強調してもし足りないくらいだと思っています。
しかし、あまりお説教になってしまっては一方通行で”対”話にはならないのだとも感じます。
ひとりひとりの患者さんに時間を割ける環境だと良いのですが、なかなか実際は難しいですね…。
ただ、フランクルの本は「生きる意味ってなんなの?」と悩む人々にはとても示唆的だと思います。
本には他にも様々なエピソードが書かれてあり、臨床の深さが増してくる感じがしますよ。
m03a076ddot 2016.08.06 13:14 | 編集
そちらは凄く暑そうですね。気をつけて夏をお過ごしください。
こちらも暑いです。果物の出荷時期が10日位早いような。
さて、「戦後云々」という下りはどこかの書評で読んだのだと思いますが
寺田先生は完全に霜山先生のあやまりです。暑さで脳みそがとけてました。

たしかに、先生の仰られる通りライトですね。読みやすい。
気になったので手元にある本を色々と眺めていたら、新のほうで霜山先生自身が、「平和な時代に生きて来た優しい心は流麗にな文章に」と述べられていました。育ちの良い文字であると。
ついでに、それでも人生にイエスと言う や、imagoの講演録をパラパラ見ていましたけど、講演は確かに読みやすいし、フランクル先生もこの概念を多くの人に知ってもらおうと心がけていたのかな。と感じました。
訳者が変わるだけで、雰囲気がかわるのですから、解説をいれると確かにフランクルの思いだけの解釈とはいかなくなる。かれの直の言葉を読者がどのように噛み締めて読めるかということが大事なのですね。
さくらdot 2016.08.08 19:07 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

こちらこそ、貴重なご助言ありがとうございました。
ご指摘はおっしゃるとおりのものと思いますので、こちらも一層気をつけますね。
m03a076ddot 2016.08.11 09:51 | 編集
>さくらさん

ありがとうございます。
霜山先生の「平和な時代に生きて来た優しい心は流麗にな文章に」は個人的には「むむむ」と思うところでして。
戦前や戦中を生き抜いてきたからこそ、生と死への深い思慮や他者への思いやりが文に滲み出ることもありますし。
霜山先生がおっしゃるのは「平和な時代に生き、そしてその平和を築き上げてきた先人たちへの礼を忘れない心」ということなのでしょうね。
フランクルの本は訳が硬くなく、言っていることも小難しい精神病理や精神分析とは異なって身近な感じがあるので、解説文から入るよりも本人の書籍から入るほうが良いかもしれないと思っています。
解説者の中には、自分の思想を語って「フランクルもきっとこう言うでしょう」的なモノの言い方をする人もいるので、それはフェアじゃないなぁと思っています。
m03a076ddot 2016.08.11 09:58 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださったかた、ありがとうございます。

霜山先生は文章から知性が溢れ出ており、自分はその溢れ出たものに流されてしまいそうで、白状すると理解が追いつかないこともあります。。。
でも自分の知識や経験が増えてから読むと、少しずつ分かってくる感じや前とは違う理解が出て来ることもあり、霜山先生の底が見えない奥深さに圧倒されております。

邪心に惑わされず、とありますが、惑わされているなと分かりながら惑わされるのもアリかな?とも実は思っています。
邪心は青空の中にあるちょっとした雲のようなものと考えてみても良いかもしれません。
雲はあっても、空の青さそのものは変わりません。びっしりと覆っていても、その雲の上には必ず青空があります。
自分は去年、飛行機に乗って「そうだなぁ」と感じました。曇りのなか離陸し、雲を突き抜けたらもうそこは青空だったのです。
自分の心は青空のようなもので、症状とされるものはこの雲(雨雲や雷雲、台風などなど)なのかも?? と空想しています。

『統合失調症をたどる』は読み応え抜群!でした。今『統合失調症をほどく』を読んでいて、「神のものは神に返そう」という言葉は何だか心が洗われるような気分にさせてくれました。
こちらこそありがとうございます。
m03a076ddot 2016.10.15 16:10 | 編集
m03a076dさん、丁寧な返信ありがとうございました。


「神のものは神の元に返そう」と思ったのは事実ですが、本当に心の底から返しきれているかどうかわかりません。
ああいう体験をしたことはやっぱりある種の刻印であって、それは今の私にも影響しつづけているのです。
「信じることにも」「信じないことにも」何か安住できないものがあって、図書館に行っては、手当たり次第にこの世界の実相を教えてくれそうなたぐいの本に手が伸びてしまいます。必ずしも宗教書ではなく、霜山先生の本とちょっと似ている匂いのする、著者の心血が注がれていそうな感じのする本ばかりです。分野に関わらず。

たまたま経過のよい類型の症状だったのかもしれませんし、ああいう体験したにはしたけれど、その虜にはならず私なりになんとか距離が取ることができて、今の平穏な状況に至っているのかは、自分の中ではなんともわかりません。

日々迷いの中にあって、安心立命からは遠いです。でも自由な境遇にあって、愉しみとして読書ができているとするなら、それはそれでよしとするほうがいいのではないかと思うことにしています。小さな幸せは贅沢です。

ささやかなことでもいいから自分にできることを何かしたほうがいい、と思う心と、そういう欲は往々にして世の中を惑わせてきた歴史があるから、ひっそりとしていたほうがいい、という両方の気持ちがあります。
Epimbidot 2016.10.21 10:03 | 編集
>Epimbiさん

ありがとうございます。
すべてを神様に返す必要もないかもしれませんね。
少し持っておく、もしくは共有する感じでも神様は怒らないでしょうし。
出来ることをしたい・それは欲になる、という両方の気持ちは、そのまま両方を抱えておくことが良いのかなと勝手に思いました。
人と人との”あわい”に生きている私たちは、色んな考えの”あわい”にもたゆたう存在かもしれません。
m03a076ddot 2016.10.22 14:53 | 編集
こちらこそ、ありがとうございます。
あわい、とか、たゆたう、といった言葉の余韻を大事にしたいと思います。日本語は美しいですね。
では。
Epimbidot 2016.10.23 11:45 | 編集
>Epimbiさん

ありがとうございます。
ゆとりを重視して現在を大切にした生活が出来ると良いのかもしれませんね。
m03a076ddot 2016.10.26 10:58 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
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