2016
12.10

とりとめのないことに

 自分は写真を撮るのが趣味です。ただ、構図を勉強したり良いカメラを買ったりということはなく、本当にテキトーな趣味として。カメラは2008年に買ったものをまだ使っていて、しかも撮影モードもEASYモードのみという工夫のなさ。もっと勉強して良いカメラを買ってしっかり撮影するようにすれば、素敵な写真が撮れるのかもしれません。

 でも、あくまでも趣味というのが良いのかも、と思っています。がんばらないことも日々の生活では大事かなと感じていまして、ホッとする時というか楽しい時というか。

 そして、写真を撮るようになってから、些細なことに「おっ」と感じるようになりました。何の変化もないと思われている日常の中でも、色んなコトが起こっているのだなぁと気づきまして。そのコトに気づいて自分の心境を重ねるような意味を付けることもできますし、写真という枠で切り取って静止像として見ることで、その時々の文脈による考え方も出てきます。

 目に映る光景を、退屈な日常と考えるか、小さな変化にあふれていると考えるか。文脈によって、人がコトに与える意味も変わります。そして、一度ラベリングされた意味も、文脈に応じて変えることだってできます。

 臨床においても、患者さんが感じているコトの意味をちょっとした介入でずらすのはとっても大切。どんな意味になるかは、それこそ人と人との”あわい”によるのではないか、と考えています。

 趣味としての写真は、患者さんにも勧めてみたいなぁと思っています。日々の空気に「あ!」と思えるような、そんな新鮮さをもたらしてくれるので。ちょっとした草木、ちょっとした花、ちょっとした建物、ちょっとした雲。小さいながらも、日々変化しています。そして、振り返れば私たちも変化していますし、それに気づくこともできるはず。かつ、私たちの行なう様々なコト、ひいては存在についても、少し考える機会を与えてくれます。もちろん正解というのはなく、”あわい”によって感じられる意味も変わるでしょう。でも、その中で色んな選択肢が出てくることは、生きることを彩り豊かにしてくれるような気もするのです。”写真療法(フォトセラピー)”とか名づけて悪どく商売しようかな…(おい)。

 初冬に撮った何てことない写真を1つ。晴れた秋空、ひこうき雲、黄金色の銀杏。

RIMG2915.jpg

 こんな何気ない風景も、じっくりと見つめてみると色んな考えが出てきます。

 見上げる自分と飛行機に乗る旅の人。銀杏が媒介することでどこか感傷的な気分にもさせてくれます。または、急いで去っていく飛行機と動じない銀杏を対比させても良いでしょう。毎日運行する飛行機と円環的な銀杏を”変わらなさ”や”平穏”と受け取っても良いですし、銀杏よりも短い寿命の飛行機が生き急いでいるように感じることもあるかもしれません。そこに雲があったら? 季節が違ったら? もっと色んなイメージが出てくるでしょう。

 色んな考えは間違っている、正しい、つまらない、素晴らしい、そんなことではなく「自分の行動や考えが日常に意味を溢れさせることが出来るのだ!」というその発見になると思うのです。一見何も変わらず平凡な日常が、発見と思考と行動で様々な可能性を生み出す源だと感じると、もっと”生”に様々な色の変化をつけることも可能なのではないでしょうか。
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