2016
03.02

臨床のワンフレーズ(14):歴史になること

Category: ★精神科生活
 心的外傷の体験を持っている患者さんを外来で結構見かけます。小さい頃に血縁関係のある人から性的なものを含めた虐待をされた、交通事故があって目の前で人が亡くなった、など。ふとした時にその時の記憶が蘇ってつらい思いをしてしまいます。最近は”日常型の外傷”とも呼べるような、コテコテではない身の回りの外傷で苦労をする患者さんもちらほら眼にします。「クラスメートに1回無視されて、それが夜になると思い出されて泣けてきてつらい。その子に会うとどうなるか分からないから外に出られない」など、外傷も随分と様変わりしてきました。ただ、これを精神医学的に外傷と呼ぶかどうかは議論されるべきでしょう。何でもかんでも外傷として片付けるのは思考停止を意味します。

 私たち精神科医は、患者さんから外傷体験が語られた場合、それが「今のこの患者さんにとっては現実なのだろう(心的現実)」と心のなかで思います。これは患者さんだから疑っているというわけではなく、一般に記憶というのは感情と関連しており、また改変されうるものという事実があるからです。私たちにおいてもそれは同じ。家族で思い出話をすると、細部で記憶が食い違っているなんてのは経験するものです。また、その時の感情によって、過去のことをどう考えるかも変わってきます。

 外傷の記憶についてですが、それが現実かどうかを問いただしたり裏をしつこく取ったりということは行ないません。自分は「患者さんはこのように記憶しているんだな」とまず考え、「そんな風に受け止める、いろんな背景事情があるのだ」と思うにとどめておきます。積極的な外傷体験の治療を行なっていれば別なんでしょうけど、そうではないので、掘り起こしてもあまり良いことがないと思っています(そこまでの実力がまだないです)。

患者さん「トラウマって、先生は治療してくれますか?」
自分「治療をしたいなと思うくらいに苦しく思うのかしら」
患者さん「はい」
自分「そうでしたか。ただ、つらいことを話すのは、それだけ自分のこころを切り刻むことになるかもしれません…」
患者さん「逆に良くないんですか?」
自分「スペシャリストなら違うかもしれんけど、つらいことを思い出すと今の○○さんのこころが苦しくなるかなと思うんです」
患者さん「そうですね…。今は話すのが怖くて…。どうやったら治るんでしょう?」
自分「○○さんの言う”治る”っていうのは、どういうことを意味するのかしら」
患者さん「思い出さなくても良いような」
自分「うーん。一切を思い出さなくても済むっていうのは、難しいかもしれません…」
患者さん「そうですか…」
自分「今は過去のつらいことが目の前にやってきて大変な思いをしてますよね。それって、過去が過去として根付いてないことなんだと思ってるんです」
患者さん「そうですね、そんな感じです」
自分「私の目標は、その過去がしっかりと○○さんの歴史になってくれること。思い出しても”そういうことがあったな。でも今は大丈夫だな”と、歴史として眺めることが出来るようになれればと考えてるんです」
患者さん「歴史ですか」
自分「そう。○○さんの歴史の一部になってくれれば。そのためには、まず今の生活が安定することが大事。少しゆとりを持って暮らすことが、歴史をつくる大切な部分だと思います」
患者さん「分かりました」

 良いことか悪いことかは分かりませんが、過去の出来事そのものを変えるのは出来ません。私たちにできることは、その意味付けを変化させる口火を切ること。患者さんのこころに外傷を歴史にできるような下地をつくってもらえるよう、今の生活での安心・ゆとりの場をともに形成していきます。その中で、ゆっくりと患者さんが過去の様々な物事を眺めていけるように援助したいと思いながら診察を続けます。

 ”許す”ということもそうだと思います。患者さんから「私はお母さんを許すことができないんです。他の人は過去のことだから許したら?って言うんですけど…」と話を受けることがあります。人生のその人にしか体験し得ない出来事について、他人が「許せ」というのはもはや暴力でしょう。決してそのように立ち入って他人のアタマで物事を言ってはいけません。だから自分は「許そう許そうと思う必要はない」と言います。湧いてくる憎しみや恨みは、患者さんの抱く大事な感情。それに嘘をつこうとするととても苦しいのです。そうではなく、その感情があるということをまず認めましょう。消そうと努力する必要はありません。それとともにあることから始めます。そして、昔あったことが歴史の1ページになるように、患者さんの今の生活の”あわい”をゆとりあるものにしようと私たちは腐心します。

 ちなみにお薬ですが、フラッシュバックには神田橋処方(四物湯やその派生+桂枝加芍薬湯やその派生)や柴胡剤を用いています。他には、アリピプラゾール(エビリファイ®)のごく少量やラモトリギン(ラミクタール®)やトピラマート(トピナ®)も有効な時がありますね。ベンゾジアゼピン系は逆に良くなくて、フラッシュバックを多発させる印象を持ちます。実際に、PTSDや直近の外傷に対してベンゾを用いると症状が悪化するという報告もあるんですよ(Guina J, et al. Benzodiazepines for PTSD: A Systematic Review and Meta-Analysis. J Psychiatr Pract. 2015 Jul;21(4):281-303.)。もちろんアルコールも禁止。患者さんは忘れよう忘れようとしてアルコールに浸ることがあるのですが、これは実は逆効果。しっかりとやめてもらいます。
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コメント
毎日毎日嫌な日々です。生い立ち今迄すべてがトラウマです。俗にいう一般家庭とは違っていて。大元は父親のDVですね、波及して底無しなんで語り続けるのも疲れますわ。絶命する迄治らないでしょう。先生、悪い記憶を消す(記憶喪失になりたい真剣に)薬が欲しいですよ。たまーに熟睡してる時が幸せです。起きてしまうと残念です。無償の愛って何ですか?私には人の気持ちか余り解りません。自分は傷付きやすく直ぐ折れるのに。人には悪気なく毒を吐いたり責めますね。とてもエゴイストだし嫌われますよね。寂しいですね。脳に欠陥があんですかね?何だか孤独です。。けしからん落書きコメントごめんなさい。m(_ _)m
ワイセ3500dot 2016.03.02 02:30 | 編集
歴史になるというのはなかなか素敵な表現ですね。
私なら「自分の伝記を書いてみるように生きてみたらどうでしょう?」
とか、言われても良いかな。
要するに自分を客観視出来るかどうかの問題でしょうしね。
誰でも伝記を残せる人生を歩んでいる事に自身で気がつければ楽になることも
多いでしょうけど、これって人に言われてわかる事ではなく、自分でつかみ取る感覚なので、それを先生方はお手伝いして下さる。
お薬だけではなく、そういったところが精神科の力なのでしょう。
他の診療科にはない感覚ですよね。


さくらdot 2016.03.03 16:27 | 編集
おひさしぶりです先生。
いつもブログ拝見しております。

わたしは実の父に性的なものを含めた虐待を受けていた・・・
ことを、3年ほど前に「思いだし」ました。これって、よくあること・・・なのでしょうか。

すっかりと記憶がなくなっていて、、でもふと、灰皿をみると不愉快で隠したりしてました(のちにその灰皿で殴られていたことを思い出しました)。
とくにいまは性的な部分について記憶がないので、客観的事実から、あったのだろう、と受け止めています。
カウンセリングの先生は、性的なことはとくにデリケートなことだから、むやみに思い出せとは言わないし、思い出しても無理に話さなくてもいいとおっしゃっています。けれど、夫婦関係にまで影響を与えてくる問題なので、はやく思い出して解決したいなとつい焦って考えてしまいます。。

歴史にするというお言葉。素敵ですね。
わたしにもそんな日が来ればいいのですが・・・ときどきものすごい怒りを夢の中で感じて目が覚めるくらいで、父に対する怒りの感情はさっぱりありません。主人いわく、わたしは怒りという感情をさっぱり消してしまうのだそうです。。怒りを素直に出していけたら、変わるのかなぁと思いながらも、また思い出すのが怖くてなかなかできません。。

はじめて先生のブログを見つけたときは、フラッシュバックによって首を絞められたり殴られたりしていたことをはじめて思い出して、あまりの恐怖に入院をしていたときのことでした。
先生のコメントへのレスがうれしかったのを憶えております。

先生の診療のワンフレーズは、いつもとても優しく、意外性もあって、毎回考えさせられます。(上から目線な言い方かもしれないですが;)
これからもブログの更新たのしみにしています(^-^*)
雛瀬なな。dot 2016.03.03 18:28 | 編集
私の外傷の記憶は、相当長い時間の経過とともに薄れていった気がします。でも、記憶は例えうすれても、思い出した時、その出来事に対する、自分自身の感情、怒り、恐怖とかそうゆうものが、自身を苦しめている気がします。歴史として温かい気持ちで眺めることができれば、許すことができれば、もう少し解かれるのかもしれませんね。

最近の外傷は色々あるのですね。
ノラdot 2016.03.04 21:46 | 編集
>ワイセ3500さん

ありがとうございます。
嫌な記憶というのは、忘れようとすればするほど追いかけてくるというジレンマがありますね。
頭にこびりついて離れようとしてくれません。
それを踏まえたうえで、今そしてこれからをより良く生きるために、現在の自分自身が何をしていくことが良いのか。
そう言われても…という人も多いのですが、ゆっくりと少しずつ歩を進めてみることも大事かもしれません。
一歩を踏み出すのもためらうのも自分自身、と言うと厳しく聞こえるかもでしょうけれども、記憶や感情は、自分自身の行動の一切を縛るものではない、と考えています。
その自由はその人にあるのでしょう。
m03a076ddot 2016.03.05 11:36 | 編集
>さくらさん

ありがとうございます。
”伝記”というのも良いですね。
する/しないは患者さんに委ねられているので、医療者はそこをじっと我慢しながら、ちょろっとした誘い水になれれば良いかもしれません。
m03a076ddot 2016.03.05 11:38 | 編集
>雛瀬なな。さん

ありがとうございます。
嫌な記憶に触れることは、医療者にも勇気が必要だと思っています。
それをうまく扱えないと、患者さんを悪化させるだけになってしまいますし。
怒りも、矛先が違えば自分自身を傷付けることすらあるでしょう。
夢の中だけで怒りが出てくるということは、夢がある種の防衛装置として働いてくれているかもしれませんね。
日常生活で自分自身を守るために。
焦りを感じるのはもっともなことだと思います。その焦りを感じながらも、今これから自分がどうすれば良いのかをじっくり考えてみるのも方法です。
答えは一つではないので、これからに向けて現実的なステップを思い巡らせ吟味することが重要なのかもしれません。
m03a076ddot 2016.03.05 11:44 | 編集
>ノラさん

ありがとうございます。
急いで歴史にしようとすると、かえって逆効果になるのが難しいところですね。
今を一歩一歩生きていき、その過程をふと振り返ったら長い道になっていた、というのが理想的な歴史化なのかもしれません。
今を善く生きること自体が大切なのでしょうね。
外傷は範囲が人によって広く、外傷好き(?)な医療者は何でもかんでも外傷でとらえます。
それが良いのか悪いのかは何とも言えないところではありますが。
m03a076ddot 2016.03.05 11:47 | 編集
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