2015
05.22

臨床のワンフレーズ(12):病気の種

Category: ★精神科生活
 「治りたい」「良くなりたい」と思うのは自然なことです。こちらも患者さんに治ってほしい、良くなってほしいと思います。

 ただし”治る”とは何か、”良くなる”とは何か、という点で患者さんとこちらでズレを見ることがあります。

自分「○○さんの言う”治る”って、どんなことを指してるんですか?」
患者さん「え…? そりゃ病気になる前に戻ることですよ」

 この様に返答する患者さんがとても多いです。当然っちゃ当然ですが。某製薬会社の抗うつ薬のパンフレットにも


輝いていたあの時間(とき)へ


 なんて書かれていますしね。これは患者さん側と医療者側の言葉の定義の問題も含まれています。だから、以下のように比喩を使いながら生き方について考えてもらいます。

自分「病気の前に戻るってことは、病気の種がある状態に戻るってことだと思いますよ」
患者さん「種ですか」
自分「これまでの生活でどこか無理をしなければならなくなって、病気の芽が出てどんどん大きくなってしまった。病気の前に戻ると、また種の段階に戻ること。そうしたらまた芽が出て大きくなっての繰り返しになりませんか?」
患者さん「…そうですね。言われて初めて気付きました」
自分「だから、治るっていうのは前に戻ることじゃないんです。これまでの生活で無理があったことに気づきを得てもらって、今後の人生を過ごしてもらうことかなと思ってます」
患者さん「はい、分かりました」

 治療の目標は”健康だったあの頃に戻る”ことではありません。こんな感じでイラストを描きながらお話し。

病気の種

 理想的には”病気から気づきを得てもらって、あの頃よりもゆとりを持った人間になる”ということが医療者の言う”治る”です。ちょっと不格好だって良いんです。助け助けられ、そんな関係で生きていくことが大事なんだと思います。最近は「人生って”おかげさま、おたがいさま”ですよ」と押し付けないようにそっと添えるようにお話しすることもあります。
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コメント
こんにちは。毎回素敵な言葉連発ですね。
病気の種って皆何かしらの形であるけど、発芽条件が様々なので、まずどうやっては発芽してきたんのか。除草剤はどのタイミングでどれくらい?って自分で考えられるようになり、次の段階として客観的にそれを自分で管理できるようになったときが、精神療法の終了。多くの方の投薬終了になるのかな。
わたしも病気がわかったころは、「もとどおり」をいしきしましたが、主治医から「人生のモラトリアム」といい年齢でさとされました。もうちょっと優しく言ってほしいものですが、ターニングポイントとしていきかたを考える時間をもらったことにしてます。が、ここに落ち着くまではそうとうかっとうはしょうじきありましたね。もなか先生たちもそういう所も苦労されると思いますが。
うたdot 2015.05.23 13:31 | 編集
確かに医療者と患者側では治ることにズレがある気がします。
治る=パズルのパーツが全て埋まる、パズルが完成する、そんなイメージを抱いてしまいます。でも、少々足りなくても、完成しなくても、まあまあやっていける、足りない部分はそのままに・・・そんなところに落ち着けばいいのかなぁと最近思います。その気持ちに至るには時間はかかりますね。そんなことを感じました。
ノラdot 2015.05.24 20:38 | 編集
先生 おはようございます。

日曜参観で振り替え休日です。平日のお休みは貴重でございます。

終診にはなりましたが“治った”というより薬が無くてもおつきあいできる症状になった、心構えを得たという感じです。“病気の前に戻ると、また種の段階に戻ること”膝を打ちました! それはご勘弁。戻るのではなく、ゆっくりと周りの景色を楽しみながら進んで行きたいです。
annedot 2015.05.25 07:02 | 編集
>うたさん

ありがとうございます。
自分で自身の調子をモニタリングできるようになり、それへの対処のバリエーションが増えてくるというのが治ることになるのだと思っています。
病気の種、芽、そしてうたさんのおっしゃる除草剤など、メタファーを使って話を進めていくのも大事ですね。
患者さんは不安や抑うつをなくしたいと言うことも多いですが、そのような感情自身は人間に備わっているものであり、身体に何らかの大事なサインを送ってくれるものだとも思います。痛覚と一緒かもしれませんね。
m03a076ddot 2015.05.26 08:01 | 編集
>ノラさん

ありがとうございます。
パズルのパーツに足りない部分はあってちょっと不器用だけれども、生活が送れる。そんな形が医療者の思う治ることだと思っています。
ただ、時間はかかって良いのだと思います。時間がかかったからこそ、しみじみとそう思えるのでしょう。医療者に言われてすぐに「ハイ分かりました」では、間に合わせのお化粧のようなものなのかもしれません。色々な思いを経てこそ、お化粧ではなく表情そのものになってくれるのだと思います。
m03a076ddot 2015.05.26 08:11 | 編集
>anneさん

ありがとうございます。
前に戻ることは理想的に聞こえてしまいますが、その実またぶり返す状態にもなりうることだということは、知っておくべきことなのだと思います。
これまでの自分は困ったときにどう対処していたか、を見つめてもらい、今後はよりしなやかに視野を広げて対処できるようにするというのがポイントになってくるかと思います。
まっすぐ脇目もふらず歩くのではなく、周りの景色を眺めて、鳥のさえずりに耳を澄ませ、風が頬をなぞることに感じ入る。そういったゆとりはとても大事になるのでしょうね。
m03a076ddot 2015.05.26 08:15 | 編集
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