2015
06.17

臨床のワンフレーズ(13):回り道の景色

Category: ★精神科生活
 精神疾患で社会生活から一時的に離脱せざるを得ない患者さんは非常に多いです。「病気になる前に戻りたい」と患者さんは言いますが、それは以前に”病気の種”で記事にしたように、また病気になる可能性を秘めていることになります。理想的には、病気から気づきを得て、ゆとりを持てるようになること。それを精神科医は患者さんに気づいてもらおうと思って診察します。

 寛解した後も診察は続きます。うつ病を例にとると、寛解後は抗うつ薬を6カ月くらいキープして、何事もないことを確かめてからゆっくり減らすことを行ないます。そこでの診察では、「こんな病気になって、治るまで時間かかって、回り道しちゃった」とポツリと話すかたもいらっしゃいます。当事者にとって病気の期間は苦しく社会からも取り残された感じがするでしょう。

自分「確かに、○○さんが思うような状況ではそう感じるのも無理はないかもしれません」
患者さん「はい。でも治ったし、良かったかなって」
自分「そうですね。あと、回り道っておっしゃいましたけど、実は回り道も大事な役目を持っているんですよ」
患者さん「どんなこと?」
自分「例え話ですけどね。いつも真っすぐ行っている道じゃなくて、少し違った道を通ると違った景色が見えますでしょ」
患者さん「はい」
自分「いつもと違う景色って新鮮で、たまに思いがけない発見も」
患者さん「そうですね」
自分「○○さんの回り道も同じかもしれません。今はそう思えないかもしれませんけど、回り道をした分、きっと色んな景色が見えたんじゃないかなと思います。まっすぐ進んでたら見られなかったその景色は、決して無駄じゃないんですよ」
患者さん「はい。そういえば先生いつもそういうこと言ってましたね(笑)」

 回り道を無駄と思うかどうか。同じ事象でも、見かたが違うとこころに与える影響もだいぶ変わってきます。広義のリフレーミングと言えるかもしれませんね。患者さんには、病気から今後の生きるヒントを学んで欲しい思いを医者は持ちます。回り道をして見える景色もそうでしょう。でもこういった表現を押し付けたら、それは拒絶されるかもしれません(タイミングにもよりますね)。そっと添えるくらいの気持ちが大事かなぁと考えており、折に触れて比喩をうまく使ってお伝えしようと試みています。

 患者さんから「みんなさっさと電車に乗って、自分だけが取り残されちゃいました」と言われることもあります。うつ病治療によって駅で足止めを食らったという表現。それについても自分は「次の電車がもうそろそろ来る頃ですよ。それまでに、他の人が見向きもしなかった、駅からの外の風景を○○さんは眺めてきました。そして、同じく電車を待っている人にも出会いましたね。すぐ電車に乗っていたら、気づかなかったことも多かったかもしれませんね」とお返ししています。

 ただし、患者さんは「病気になって良かった」だなんて思う必要はありません。そして医療者もそれを強要してはなりません。病気で失ったものも大きいでしょうし、その苦痛は当事者にしか分からないものです。そんなセリフを言わせることは患者さんにとって負担になるはず。だから


病気になって良かっただなんて思えないけど、病気をしたことで人生を考えるきっかけにはなったかもしれないな


 くらいのラインを目指して行きましょう。自分の内なる思いとしては「おいこら病気、お前を居候させてやったんだから、出て行く時には何かよこせよ」くらいの貪欲さがあっても良いかもしれませんが、それを患者さんにはお話ししたことはありません。ちょっと侵襲性の高い言い方かなと思ってまして。気持ちとしてはそんな感じなんですが、どうでしょうね。
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コメント
こんにちは。
私の好きな玩具と言うか民芸品に「起き上がり小法師 」がありまして、それを枕元に飾ってあります。倒れると言うかもともともふらふらしつつもなんとかキープという姿に惚れています(笑)
人生このくらいのふらふら感がないと地震が来た時ぽきっと折れてしまうような気がしますね。うつになるとこのふらふらが体験出来ますから、しなやかな視線や考え方が生まれる…ことにしておいています。と、あくまで自己解釈。

回り道ですか。回り道もよいのですが、普通列車に揺られて日本縦断した感じでも良いかもしれませんね。新幹線や飛行機ではなく、普通列車をてこてこ乗り継ぐのが好きで、私も病になってから時間ができたので、車ではなくわざと普通電車に乗っています。結構楽しいものなのです。時間があるから出来るけど。

なので、うつになって職場に戻れる人は、そういう時間を得られた事だけでも覚えていれば、少しは心の安らぎになるでしょう。車窓から見える一本の何気ない木がとても素敵に思えたり、運転の荒い車に恐怖を感じたり、おばあさんの一人歩きがやけに美しくみえたりするものです。
是非、病ですこしおくれた時間を愛してあげてほしいですね。

うたdot 2015.06.17 18:10 | 編集
たとえ回り道だとしても、ゴール(治る)があったならそれはとてもとても幸運だと思います。ずっと回り道で、ずっと世界何周もしても、万年ゴールが見えないような人もたくさんいると思うから。でも、寄り道すると、意外に面白い場所とか発見したときは得した気分になります。そんな感じでしょうかね。
ノラdot 2015.06.17 21:22 | 編集
>うたさん

ありがとうございます。
起き上がり小法師、確かにそうですね。
一般的な木よりも、よくしなる竹の方が倒れにくいのもそうですね。
鈍行列車の旅も、車窓から眺める景色1つ1つが印象的で、またそれぞれの駅も味わいがありますね。
素敵なコメントでした。
m03a076ddot 2015.06.22 20:22 | 編集
>ノラさん

ありがとうございます。
個人的には、回り道は人の生き死にについても言えることなのかもしれないと思っています。
みんなゴールは一緒(死)なので、そこにいたるまでにどう生きていくか、その生き様が死に様にもなると考えています。
m03a076ddot 2015.06.22 20:45 | 編集
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