2014
11.04

診断推論の曖昧性

 診断推論は総論と各論から成ります。自分はどちらかと言うと総論に重きをおいていますが、両者バランスよく勉強することがとても大事になります。縦糸と横糸のような関係性でしょうか。以前の記事では”デッサン”という言葉でそれらをまとめて表現していました。

 総論部分の基本的な部分をざっくりと言うと、鑑別疾患群における病歴前確率・診察前確率・検査前確率・検査後確率といった一連の”確率”の流れをまず頭のなかにきちんと入れること。そして、そういったものを

・季節/時間帯
・流行/接触歴
・住んでいる地域/診ている病院
・年齢/性別/既往
・症状/診察所見/検査所見

 などのポイントで(可能ならば)尤度比を以て見積もろうとする努力になります。
診断にいたる流れ
 そこには主観と客観が入り混じります。すべて客観的になされると考えるかもしれませんが、事前確率というのは診る医療者の”印象”が出発点。「咳と発熱かぁ。この年齢で既往歴はうつ病か。お薬はデパス®を毎日飲んでいるのね。さて、こういったセッティングで肺炎の可能性はどうだろう、患者さんの状態も加味すると大体60%くらいかなぁ」という辺りから始めて、より詳細な症状を聞いたり診察をしたりしてその設定した確率を変えていきます。この「○○%くらいかなぁ」というのは医者によって変わり、”印象的確率”や”主観的確率”と表現出来て、勉強を繰り返すことでこの確率をより正確にしていくことが可能になります。

 尤度比Likelihood Ratioというのは”もっともらしさ”を示すもので、感度と特異度から計算されます。0に近ければ近いほど除外に向き、値が大きくなればなるほど確定診断に近づきます。この尤度比の理解で大事なことは、”事前確率と必ずセットになっている”という認識。
尤度比
 いくら陽性尤度比が高いものが陽性になっても、事前確率が砂浜に埋もれている1つの小さな貝殻ほどであれば偽陽性である可能性が高くなる(詳細はnomogramを)。例えばLR+15という検査があったとします。かなり優秀ですね。そんな検査も、検査前確率が60%と1%とではインパクトが異なります。前者であれば、その検査が陽性ならほぼ診断確定。しかし後者なら検査後確率は10%ちょっとなのです。その事前確率の設定は主観的要素がかなり入り込み、曖昧さが伴います。しかも全ての所見に立派な尤度比が付いていると良いんですが、まだまだ分からないものもあります。そういう時は事前確率と同様に”印象的尤度比”や”主観的尤度比”となります。

 泥臭いですが、病歴を聞く前、診察をする前、検査をする前のそれぞれで鑑別疾患の確率を見積もる練習をすること。それが総論の意味するところの1つです。最初から名人芸を真似するのではなく、しっかりと基盤を固めて素描が出来るようにしましょう。型破りと言われる偉い先生方も、型を身に付けたからこそ破ることが出来たのです。

 もう1つ、総論で欠かせないのが”言葉”のチカラでしょう。ちょっと文系的ではありますが、患者さんと私たち医療者とは、異なる文化圏に属するという意識が必要です。用いる言葉の意味を共有するグループを文化と呼ぶならば、医療者と患者さん(更には患者さん同士もですが)とでは文化が異なると言えましょう。例えば”胃”という言葉は、患者さんによっては医療者の言う上腹部を意味します。

患者さん「胃が痛くて…」

 これは、本当に解剖学的な胃が痛いというわけではありません。患者さんが胃だと思っている身体の部分に疼痛がある、という判断を医療者はすべきで、”胃が痛い⇒上腹部痛/心窩部痛”などに変換されるでしょう。そうなると急性膵炎や、心筋梗塞などの胸部疾患も想定されます。腹部の上半分を”ジョウフクブ”と呼ぶのは医者の文化であり、患者さんの中には”上腹部”を”イ”と呼ぶのが当然ということだってありえます。こういうのをシニフィアン(”ジョウフクブ”や”イ”という言語表現)とシニフィエ(腹部の上半分という対象/概念)の関係性とも呼べます。更に、そういった表現と対象との間には必然性はなく、いわばちょっとした約束事にすぎません(言語の”恣意性”と言います)。医療者の文化圏での約束事と患者さんの文化圏での約束事は異なるんですね。

 同じく「のどが痛い」と患者さんが表現しても、それは医療者の思う”咽頭痛”なのかどうか。ひょっとしたら亜急性甲状腺炎による”頚部痛”かもしれません。患者さんはシニフィエを”ノド”というシニフィアンを以て表現します。医療者は他の文化圏である患者さんのシニフィアンをそのまま受け止めるのではなく、その概念であるシニフィエは何なのかというのを探り、医療者のシニフィアンとして”咽頭痛”や”頚部痛”と表現し直します。「しびれる」という言葉についても、軽度の運動麻痺をそのように表す患者さんもいますね。こういった単語以外にも「急に痛くなった」の”急に”は医療者が敏感になる”sudden onset”と”acute onset”との両方が含まれるでしょう。このように、患者さんの発する言葉の奥底を汲み取ることが問診において大切なスキルです。また、医療者の言葉を患者さんの文化に合わせて提供することも欠かせません。
文化と言葉
 医療者の使う言葉が、医療者の想定している意味で患者さんに伝わっているのか、そして、患者さんの使う言葉を、医療者の私たちはどう解釈するか、という意識が必要です。それぞれのシニフィアンがどのようなシニフィエを表現しているのか、を常に考えること。そういう前提に立つと、患者さんの文化、換言すれば生活基盤を見据えた問診が大事になってくるでしょう。言葉は混沌から意味を切り出す”分節性”を持ちます。言葉は文化によって異なり(むしろ言葉が文化をつくりだしているかもしれませんが)、切り出される範囲、そして意味も変わります。

 「全然患者さんが言うこと通じなくて、聞いてもうまく答えてくれないんだよ」と患者さんを恨めしく思うこともあるかもしれませんが、決して患者さんはこちらの土俵にいるわけではありません。こちらが異文化を認識してお互いの概念をより近づけていく作業が必要になるのです。
問診の言葉
 以上が診断推論の総論部分。どのような状況でも共通した診断への流れという基本的な素描が出来るようになること、そして、それを円滑に進めるために言葉の持つチカラを理解すること。後者は見落としがちなので、意識してみましょう。ただ、この言葉は後述する各論のところでも重要であり、総論と各論の両者を橋渡しする役目をも担っております。

 では各論とは何か。それは、鑑別疾患群における各疾患の有病率、リスクファクター、典型的経過や非典型的経過、所見を知ることであり、更に各疾患での共通点や相違点を浮き彫りにすることです。最後にはこういったことが大きな威力を発揮します。

 鑑別疾患それぞれは、1つのまとまりとして疾患に認定されています。大動脈の中膜部分に血流が入ってきてベリベリっと裂け、その裂けた部位に応じて様々な症状が出てくるという事象を医療者は”大動脈解離”と名付けています。それには誰もが「あーこれ大動脈解離だわ」と思える典型的な像がありますが、中には下肢の麻痺やしびれで来られたり発症から1-2週間経って発熱で来られたりすると、それは非典型的な像であり鑑別から抜け落ちることがあります。心筋梗塞もいきなり「うー!」と胸を押さえて倒れこむなんていうテレビドラマ的な表現をされて12誘導でもST上昇があってトロポニンTも陽性だった日にはもう「これはまさしく!」という典型ですが、高齢患者さんが「何となく今朝から変な感じなんだよね」と言ってやって来たら、考慮できずに見落とすかもしれません。どこまでが典型でどこから非典型かは曖昧であるというのも重要でしょう。そういった像をそれぞれの疾患で持ちます。
疾患の曖昧さ
 この各論的知識によって、患者さんを診た時に鑑別疾患の事前確率の見積もりが正確さを増します。患者さんの症状や所見が典型像にどれくらい近いだろうか、というのを考えていきましょう。

 特に症状では”時間軸”が大事であり、それによって他の疾患との違いが出てくることもあります。”点と線”というどこかで聞いたような本の題名のような表現を使わせてもらいますが、点で(横断的に)見ると同じように感じる複数の疾患も、線で(縦断的に)見ることで疾患像をより詳細に素描できる、他の疾患との違いを浮き彫りにできます。例えばAという疾患とBという疾患があるとしましょう。
点と線

 それぞれ図に示すような症状の推移や出現があります。矢印で示した部分のみ、狭窄的な視野だといずれも赤と紫という症状が同じような強さで認められます。なかなか鑑別はできません。しかし、カッコで括った範囲に拡げてみると、疾患Aでは赤の症状が初発症状として出てきており、それは比較的急にピークを迎えるようです。紫は弱まりながらもじりじりと続きます。対して疾患Bでは、疾患Aには認められない特徴的な橙の症状が初発として出て、すぐに消えています(still病のサーモンピンク疹のような)。そして、赤の症状は紫と共に遅れて出てきて、かつ紫は早めに消失していくようです。また、時間をおいて緑の症状も出現。これも疾患Aにはありません。

 このように、点で見た時に疾患Aと疾患Bが思い浮かんだ場合、そこで終わりだとなかなか絞るのは難しいですが、このような症状がこんな感じで出たり引っ込んだりするという経過を知っていると、患者さんに「実は橙っていう症状が最初に出てませんでした?」と聞くことができますし、「赤の症状と紫の症状は一緒に来ました?それとも赤の方が先でしたか?」とも聞けます。かつ、その時点では難しくても、紫の症状はあと数日でなくなるかもしれない、疾患Bでは緑の症状が出てくるかもしれない、忘れた頃に疾患Aでは青の症状が出るかもしれない、と疾患像に基づいてある程度の予想が出来ます。

 受診時のみの症状ではどうしても点の目線になります。可能な限り経過を長くイメージして、鑑別疾患の像の経過と照らし合わせていくことが大切。また、診察や検査含めて役に立つ尤度比の出ているものがあれば、それは記憶しましょう。役立ちますので。

 この様な経過についても、問診の際は患者さんに分かりやすいように説明/質問することが診断精度を上げるためには必須です。労作性呼吸困難を「運動する時にすぐ息があがっちゃいますか?」と聞いてみても、その”運動”が患者さんにとって何を意味するか。ジョギング? バレーボール? 卓球? 患者さんの中には「そりゃ運動したら息はあがるよなぁ」と考えたり、「運動ってどういうのだろう? 聞くのもちょっとなぁ…」と思って質問に対して「いいえ」で答えてしまったりするかたが存在します。そんな風に聞くのではなく、ゴルフが趣味の患者さんであれば

「ラウンドする時に他の人と一緒に歩くとハァハァ息切れしてしまいますか?」

 とか、毎日お夕飯のお買い物をする患者さんであれば

「ここのところ買い物の行き帰りに息が苦しくなっていませんか?」

 とか、会社勤めをしている患者さんであれば

「駅の階段をのぼるとき、いつもより息が切れやすいですか?」

などなど。文化に根差した問いを行なうことが、病歴や症状を正確に知ることにつながります。

 そして鑑別疾患というのは、多くは非典型的な部分で交わります。患者さんは「私は肺塞栓です」という看板をぶら下げてやってくるような典型例ばかりを呈するわけではありません。コテコテの典型とはどこか違う、この違いが他の鑑別疾患も持つ部分、重なりと言えましょう。
交わる疾患
 重なりが大きいもの、小さいもの。イメージとして複数の鑑別疾患の重なり具合に目配せをして、共通する部分と異なる部分を理解しておくと鑑別の助けになります。患者さんから得られる像が、自分の思い描く鑑別疾患の像とどれだけ重なるか。これを以て見積もりをつけていくのです。

 診断推論は曖昧です。主観が相当に入り込み、それを出発点としなければならないことも事実です。大事なのは、この曖昧性を認めた上で、そこを分け入って進んでいく貪欲さかもしれません。また、患者さんの文化と医療者の文化とは違うという認識を持ち、言葉は恣意的であると学ぶこと。患者さんは、感じる現象を何とかして患者さんの文化内での言葉で表現します。医療者はその言葉を大切にしながらも、現象そのものを知ろうとする努力が求められましょう。特に鑑別の難しい疾患では重要で、必然的に患者さんの生活を知ることになり、問診にもそれは色濃く反映されます。外来を繰り返している、もしくは診断確定のために入院している患者さんが日常送っていた生活を知る。これは患者さんから症状の経過などを出来るだけ詳しく聴取することにもなりますが、異文化を理解することにもつながります。そしてその理解は、患者さんに対する精神療法の始まりでもあるでしょう(精神科的に言うと)。各論的には、各鑑別疾患の素描を出来るようにしておくことがとても大事です。共通点と相違点を知っておき、そこを患者さんに問う、もしくは診察や検査を行なうことで明らかにしていく。鑑別疾患の像と患者さんから得られる像との重なり具合を考えていきましょう。

 診断推論は理系と文系が交差するところにありますね。科学的な見かたと言語学的な見かた。この両者をバランスよく学ぶと、特に問診では威力を発揮すると思います。
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