2015
02.18

進む時間、廻る時間

Category: ★精神科生活
 自分の患者さんではありませんが、昔に流行した服装をしている患者さんを外来で眼にすることがありました。

 看護師さんに何の気なしに話してみると

自分「あの患者さん、数十年前に流行ったような感じの服装ですね、なんか」
看護師さん「あの人ね、昔はすごく綺麗で。でもその時に発症しちゃってね。格好もその時のままで」

 という返答。

自分「あの人の時間は止まっちゃったのかしら…」
看護師さん「そうかもしれないですね…」

 患者さん自身の世界は変化をやめ、いつまでもあの時の綺麗なままなんでしょうか。それとも、老いていきかつ病者である自分を否定せんがために、健康で若かった頃の服装でいるんでしょうか。

自分「なんか、悲しいですね」
看護師さん「そうですね」

 こちらとしてはその時何か不憫な気持ちにもなったんですが、ひょっとすると体験する時が進まないというのは残酷さを和らげてくれる可能性も。悲しいことだけれども、そのままでも良いのかもしれません。可愛そうだと一方的に思うのはこちらのエゴであるのは否定できません。この患者さんに限らず、統合失調症で陰性症状が主体の患者さんの中には、服装も大して変わらず住み慣れた家のかつ自身の定位置でずっと暮らしているかたもいます。診察もいつも同じ感じで過ぎて行きます。お薬を減らしたり変えたりすることもあまり好みません。

 そういうのを眼にするにつけ、彼らはどんな時間を生きているんだろうかと思うことがあります。私たちは直線時間を生き急いでいますが、彼らは円環時間に佇んでいるのかもしれません。

 いつも変わらない、昔と変わらない。そんな彼らに、あわただしく過ごしゆとりをなくしがちな自分はどこか安心して頼っている感じもあります。でも、彼らはその生活を望んでいるものなのか、時間の流れで自身が変わることを恐れているのか、時の変化に恐怖を感じ自らは変わらないことでこころの安定を保とうとしているのか、ともちらりと思います。

 実際の診察では、そっとそのままにという以外は大きなことをしていません。動かない時の中を好むのであれば、診察者もまたその一部になろうか、という気持ち。ひょっとしたら、何か変化の時期が患者さんの中で来るかもしれないし、こないかもしれない。患者さんの中で良い意味での変化が生まれそうな時は、そっとデイケアや何かしらの変容を勧める。そのために診察はいつもと変えずにいて、患者さんの方の変化を察知しやすいように整えています。

 もちろん、お薬の量が多い時は説明をして減らすことを勧めてはいます(社会性の低下や認知機能低下に拍車がかかるので)。でも頑なに頚を横に振る患者さんも多く、その際は深追いせずにいったん退いて「医者はこんな感じで思ってるんで、ほんの少しで良いので考えてみてくださいね」とお伝えしています。
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コメント
こんにちは。いつも先生の記事、拝見しております。
コメントをさせて頂くのは初めてですが、何だかこの記事がとても切なくてさらっと流すことができませんでした。

統合失調症の患者さんの症状はあまりにも幅があるなぁ…と常々思っております。
一見すると全くもって違和感なく会話ができる人もいるかと思えば、
遠目でもそれとわかってしまうような方まで症状といいますか、仕草が多岐に渡っていて、やはり統合失調症は症候群なのだろうな、、、と思います。
病識の持てる方が、自分の病気を理解して受け入れるのはとても辛いことだと考えます。
だとしたらもう病識もないような崩れてしまった方のほうが楽なのか、と考えるとそれはとても悲しいことで、本人の本当の気持ちは本人にしかわかりませんが、
私はただ毎日決まった時間どおりにしか動くことのできない彼らを少し羨ましく思います。
とても悲しいことなんですけど、そう思ってしまう自分がいます。
本当は見たところ何の感情も表に出ていない彼らも心の中はすごく忙しくめまぐるしく動いているのかもしれないけど…。
ごめんなさい。勝手なことを言ってますね。
その昔、学校という映画があって(シリーズで学校3まであったような記憶があります)、その中で今で言う特別支援学校が舞台のシリーズとき、吉岡秀隆さんが演じる青年(彼もまた軽度の知的障がいか何か)が、重度の精神薄弱のクラスメイトに言った言葉が子供ながらに衝撃的でまた納得で今でも忘れられません。
「僕も自分が馬鹿かどうかもわからない位の馬鹿に生まれたかった」
たしかこんなニュアンスだったかと思います。
その時以来、頭の中にずっとその台詞が焼き付いていて、折にふれてそうおもうのです。
何が幸せかなんて自分の人生二度生きれないから比較はできないけれど、やっぱり私は幸せを感じられる人生よりも、幸せも不幸も何も感じられない人生のほうがよかったな、と思ってしまいます。
ふうこdot 2015.02.20 19:07 | 編集
色々、調べてたらたどり着きました💦
私は、摂食障害なんですけど太らなきゃいけなくてエンシュアとかって処方されないと買えないんですか⁇
エンシュアの変わりになるようなのでおすすめってありますか⁇
希羅dot 2015.02.21 03:46 | 編集
管理人用閲覧コメントを下さったかた、ありがとうございます。

今回の記事の内容は、自分もとても考えさせられる出来事でした。
過去がベールのように守ってくれる人もいれば過去が襲ってくる人もいます。
いずれにしても、現在と言う状況に留まれない/留まらない人たちなのかもしれませんね。
いっぽうで私たちは現在に追われて生きています。現在という日常に追われ、現在という日常から抜け出せない。だからこそ、彼らに対して言葉にできないような感覚を持つのかもしれません。

m03a076ddot 2015.02.21 10:33 | 編集
>ふうこさん

ありがとうございます。
自分も、幻聴に苦しむ患者さんを見るにつけ、不謹慎ではありますが「いっそ妄想の中に完全に入ってしまった方が楽なのかも…」と思ってしまうことがあります。
いっぽう、中にはお薬で幻聴が消えると「淋しくなった」という患者さんもいるようです。
幸せも不幸も何も感じられない人生、というのも1つの生き方かもしれません。しかし、何も感じないということを感じている、とも言えるかもしれません。感じる、考える、悩むというのは、こころという現象を持つ人間の1つの側面が、苦しみになるのでしょうか。であるならば、その苦しみを肯定できるようになることこそ、人生の過程なのかな、と思っています。
m03a076ddot 2015.02.21 10:56 | 編集
>希羅さん

ありがとうございます。
エンシュアは処方されるものなので、ドラッグストアで購入は出来ないようになっています。
カテゴリとして食品となっている飲み物では、クリミールやアルジネードやメイバランスなどが有名でしょうか(流動食という括りになります)。ただ、これらはかなり高価です。
値段とカロリーと言うことを考えると、すぐに買えるカロリーメイトが良いかもしれませんね。
ただ、一番良いのはバランスの良い食事だとは思いますよ。
m03a076ddot 2015.02.21 11:06 | 編集
入院をしていると、統合失調症の方とも一緒になるので、お茶をしたり
リハビリの時にお話させていただく機会もあります。
先生の仰る通り時間の止まった方、止めている方も多くいますね・
一生懸命若さを保とうとしたり、当時のはやりの曲を熱く語ったりしてくれます。確かに変化は好まないようですので、こちらも話を合わせますが、そのとき彼らの仕草をみていると、そこが幸せなんだと思うのです。
これをこわす必要はあるのか?なぜ悪いのか?これで別にいいのではないか?
様々な症状のある疾患なのでもちろんお薬に頼る事もあるし、大変なのはしょうちしていますが、この気持ちって自閉のお子さんにも似てる所があるような
気がします(私小児の精神科にも携わっていたので)また、自分の双極性にもにたような雰囲気は感じます。その辺がスペクトグラムの概念なのでしょうかね?
やはり精神科は奥が深すぎると自分を含めて勉強勉強。
うたdot 2015.02.22 00:17 | 編集
>うたさん

ありがとうございます。
変わらない患者さんを前にすると、変わらないままが良いのか、そっと変容を促すのが良いのか、いつも迷います。
ただ、同じような行為は不安な現状を安定させるために行なわれることもあるため、その不安を緩和することができれば、一歩足が出るのかもしれません。また、非定型抗精神病薬の副作用に強迫行為があるため、それとの鑑別も重要ですね。
自閉症もそうですね。環境が本人にとって安心できるものになると強迫が一気に緩むことがあります。現状を知り、こちらができることの限界を踏まえながら、少しでも患者さんがゆとりを持てるように心がけることも大切なのだと感じています。
双極性障害は、DSM-IV-TRでは気分障害として一括されていましたが、DSM-5では独立しました。ゲノムレベルでは単極性のうつ病よりも統合失調症に近いため、ということがその理由のようです。ただ、双極性障害は極期に強い躁状態や妄想的になることがあっても、日常生活や社会生活に根ざした言葉が多いように感じています。統合失調症はそれを超えたところの幻覚妄想が多いでしょうか。あくまでも印象ですが。
m03a076ddot 2015.02.24 12:16 | 編集
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