2014
03.16

覚書その10~ご家族とのお話

Category: ★精神科生活
 ここまで患者さんとのやりとりをお話しして来たんですけど、覚書の最後としてご家族とお話しすることを持ってきました。苦しい“あいだ”を調整するには、やはりご家族の協力なしには難しいこともあります。精神分析では治療者と患者さんの1対1で行われますが、支持的に接するのであれば、こちらも環境への働きかけをした方が良いような気もします。短い外来診療ではなかなかご家族と話す時間もとれないんですけど、とれる時があれば会っておくに越したことはない、と思います。

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 患者さんへの支持、そして理解していこうという姿勢が治療者にとって第一歩というか入口になるということをこれまでお話ししてきましたが、その入り口から導かれるものとして、家族面接について境界例の患者さんを思い描きながら短く。格式張った“家族療法”なんてものではなく、一般的な治療者にも行える“常識的家族療法”を提唱した下坂幸三先生のお考えに則ってお話しします。

 当然の事実をまず1つ。

ご家族は患者さんと毎日接している

 このことだけからも、ご家族の重要性というのは理解できるんじゃないかしら。面接では家族を労い、親ならその顔を立てて、ご家族の持つ保護機能を損ねないようにします。そのために下坂先生はこの様な言い方をされていました。

「治療者はたかだか一回五十分の面接、親は毎日、二十四時間の接触、治療者には患者さんのごく一部分しか分かりません。ですから親御さんのご本人への応援の方がはるかに強力です」(下坂幸三.心理療法の常識.東京:金剛出版;1998)

 治療者は患者さんとのみ話していると、ついつい患者さん側についてしまうこともあります。特に境界例とも言われる患者さんの口からは無理解で残酷な家族に感じられてしまい、治療者は無意識の中に“患者=被害者 家族=加害者”という構図を作ってしまいがち。患者さんのことをご家族に理解してもらって全て受け入れるようにきつくお説教してしまう治療者も実際にいます。でも、患者さんの全てを受け入れるなんて、そんなんムリムリ。ご家族は患者さんの奴隷じゃありません。しかも、患者さんの語る“現実”は、往々にして本当の現実ではなく、空想も入り混じっています。精神分析の言葉で“心的現実”なんて言われていますね。これは私たちの記憶だってそうです。昔の記憶というのは味付けされがち。心的現実はあくまでも心的現実としてとどめておくことが大事になってきます(鵜呑みにもしないしばっさりと否定もしない)。そのためには、家族面接は大きな力を発揮します。家族の在り様を具体的に把握できるでしょう。色んな角度から細かく見ることが出来るというのが大きな利点。

 原則として、ご家族みんなに平等にお話を聞いて、キーパーソンになる人物(若い患者さんなら殆どの場合はお母さん)にはちょろっと多めの肩入れをします。この姿勢で、患者さんとご家族のそれぞれの考え方を聞きましょう。その中では、みんなの考えにどれくらい差があるのかな?というのを探していきます。それぞれの考えを“なぞって繰り返す”ことで、それぞれの理解がどこで一致していてどこで食い違っているのかが分かってきます。

 その上で、患者さんの持つ症状や行動というものの意味をみんなに考えてもらいます。そうすることで、患者さんがご家族の立場をイメージしてみたり、ご家族が患者さんの立場をイメージしてみたり、そういう時間を持つことになります。多くのご家族はゆとりがなくなっていて、相手の身になることや自身の考えすら客観的に考えることが出来なくなっています。みなさん、とらわれてしまっている。なので、診察室という環境、そして治療者という存在のもとで、しっかりとその時間をつくることもとても重要だと思います。その中で、治療者は症状や行動のプラスの側面を、押し付けないくらいで少し強調。コーピング、対処行動としての意味をお伝え。どんな物事にもプラスの面とマイナスの面があります。患者さんやご家族が一方に偏っていたら、もう一方の情報を治療者からそっと差し出してみましょう。同じものでも、見る角度が違えば眼に映る像も異なってきます。『“症状”を考えてみよう』の回で示した陰陽の図ですね。プラス面を伝えた後で、どうやっていけば良いかという解決方法をみんなで考えていきます。この際、特に行動化が問題となって家族も責任のなすりつけ合いになっているのなら、システムズアプローチの得意とする広義の“外在化”というテクニックが非常に役立ちます。行動化の原因を家族や本人に一切求めず、他のものにシフトさせます。それにより、家族は責任の重さが緩和されて、本人も自分のせいじゃないと納得。みんながそれぞれの状態を客体化して見ることが出来るようになり、“別の原因”に立ち向かえるようになれて、家族の“あいだ”が抜群に良くなります。そこまで詳しく説明するのは自分の守備範囲をかなり越えてしまうので、興味のある方はぜひシステムズアプローチ、特に東豊先生の本をご参照あれ。

 “治る”ということがそれぞれどういうイメージかを知るのも必要ですよね。行動化の多い患者さんだと、行動化が収まってきたら次に来るのは“抑うつ”です(ここはクラインを勉強すると理解が深まります)。曲がりなりにも行動が少し緩んで自身の内外の事情を見る目が現実的になってくると、抑うつ的になるのは当然っちゃ当然。精神医学的には治療の進展ではあるんですが、患者さんとご家族からすると「全然良くなってないわ!」という不満が出てくるでしょう。そしてご家族が患者さんにそのことを責めてしまったら、患者さんは崩れてしまいます。治療者は、その不満を認め、その上で「これは一歩進んだ状態なんですよ」と丁寧に親切にお伝えする必要があります。どうなるか分からないって言うのは、患者さんもご家族も疑心暗鬼になってしまいます。“治る”ロードマップを適宜示しておくということが必要になってきましょう。この“抑うつ”の時期が治療者含めてみんな苦しい。

 そして、回復しつつある状況に患者さんが向かっていく時がまた大変。患者さんは症状を発動して苦しい“あいだ”を何とか安定化させようとしているところもあります。ということは、その症状がなくなっていくということを恐れている場合もあります。症状があったからこそ“あいだ”で位置を獲得できた、でもそれがなくなっていく、普通になっていく、私はどうすればいいんだろう、そんな不安が渦巻いてくる時期でもあります。このことは、かなりの配慮が必要になりますが、ご家族にもちょっと知ってもらう必要があるかと思います。直接伝えたら「家族を困らせて楽しいのか!」みたいな状況になってしまいかねないので、オブラートに包んで。ご家族用の本も読みやすいものが出ているので、そういうのを読んでもらうのも良いですね(あらかじめ治療者は読んでおくことが大前提)。

 まとめると、調子が良いとか調子が悪いとか、辛いとか楽になったとか、そういった身近なテーマだからこそ、しっかり話し合うということが抜けてしまいがち。家族間で食い違っていることは往々にしてあります。そこに治療者が参加して、差があるという事実を認識する、みんなの共通理解にしていく、こういったことが重要になっていくんだと思います。境界例に限らずどのような疾患であっても、みんなで違いを見つめて理解していく姿勢や疾患の大まかな経過を考えていく姿勢というのは、それだけで大きな治療的な意味合いを持ってくれます。

家族面接

 これまで自分は「現在の苦しい“あいだ”の調整もしましょう」という風にお伝えしていましたが、その中にはこのご家族との関係性も含まれています。でも、ご家族の方を変えようとしすぎて責めちゃうのはいけません。その行為は患者さんと治療者が濃密な2者関係に陥っていることを露呈するものだと思います。みんなの考えの差を検討して、それぞれがそれぞれの立場を考えられるようになること、これが肝要。

 ご家族という特殊な人々の集まりが患者さんの支えになります。家のみんなは不器用かもしれないけれど、患者さんに良くなってほしいと思っています。「もっと悪くなーれ♪」と思うご家族はおりません。ご家族の思いに嘘はないんですから、彼らの心を安定させて、潜在的な良い機能を高めることが重要。治療者というものは、ご家族に対して礼儀を守って、その苦労に思いやりを持って、みんなを尊重して協同治療者として扱い、応援していく。これが私たちの役割だと下坂先生は示しています。格式ばった家族療法ではなく、常識的な家族療法を知りたいという先生は、下坂先生の本を読んでみることをお勧めします。

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 ということで、自分を含めた若手精神科医の覚書として10回にまとめてみました。精神病理とか精神分析とかはあんまり見向きされなくなってきてると思いますが、それらを薄めてみると日常臨床にもスッと応用できそうな気がしてきます、たぶん。また、今回の覚書が若手精神科医(特に1-2年目)の答えだとは思っていません。あくまでも今の自分が思っている1つのスタイルであり、自分のクセもかなり出ていると思います。参考になるところが少しでもあれば幸いで、つまみ食いしてもらえたら、と考えています。
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コメント
患者はクライアントですからいつでも第一に味方でいるべきだと思いますが? 家族が自分達に都合が良いように皆が嘘など付いたりたちの悪いこともありますよ。
精神科は変だと思います。常に家族連れで診察なら多少わかりますが、普段患者と医者のみで診察の所になぜ家族が入ってくるのでしょうか。きちんと患者を見ていればもっと解るのではないでしょうか。精神科は観察眼が足りないのでは?
dot 2014.03.17 11:27 | 編集
名無しでコメントを下さったかた、ありがとうございます。

ご指摘のように精神科は変だと思いますし、これは精神科医も認識しております。
今回はいわゆる”境界例”の患者さんを例にしたこと、そして長期にわたる精神療法という2点をご理解いただければと考えています。
患者さんの味方であることは言うまでもありません。ただ、その味方も上記の2点を踏まえると”ひいきのひきたおし”になる可能性もあります。1対1の精神療法を長期に行ない、また患者さんから悲惨な生育歴などを聞くと、関係性が悪い意味で濃密になることがあります(絶対ではありませんが)。
そして、患者さんの中には、記事にもあるように”心的現実”を語ることも往々にしてあります。
これらを考慮すると、単純にご家族が来てくれた方が情報量が多いですし、患者さんとご家族での食い違いがあれば、それは治療者として心に留めておくべきことです(その場でどちらが正しい間違っているという判断はしません)。ご家族に来てもらうことは患者さんとご家族との日常を少し見ることが出来ますし、患者さんとご家族に、それぞれがどう考えているのかを診察室という環境で見つめてもらうことも必要と思います。
もちろん、医療者は患者さんの方にもご家族の方にも巻き込まれないことが重要です。下坂先生のおっしゃる”なぞって繰り返す”ことが大事なのではないかなと思います。
また、治療の場にご家族がやってくるというのは、それも意味を持つものと思います。忙しい外来でいきなりやって来られるとちょっと時間的に厳しいですが、他でもないこの日この時にやってくるという事実はやはり理由があるのでは、と考えてしまいます。時間が取れたら患者さんに対してご家族と一緒でも良いか聞き、良いのであれば来てもらったことをまずねぎらってお話を進めていくことも重要かもしれません。
長々とコメント返信をしてしまいましたが、おっしゃる通りに精神科はちょっと変なところに考えが行きます。ただ、いわゆる”境界例”の患者さんとの長い期間にわたる精神療法をするというセッティングでは、以上の様なことも考慮に入れておいても悪くはないかな、と考えています。
今回は貴重なご意見ありがとうございました。
m03a076ddot 2014.03.17 18:42 | 編集
なかなか実感が沸かないかもですね。
観察眼がないんじゃなくてあるからこそ、患者さんの語る内容と家族の語る内容の両方を吟味するし、お互いで違いがあればその意味も考えるし、家族が来ることそのものにも注意を向けるんだと思います。
他の科は意識しないところも精神科は配慮するし、精神科の診察自体が治療になるし、そこは他の科には実感されにくいんだなというのが今回のコメントで分かりました。
精神科医dot 2014.03.18 17:56 | 編集
>精神科医さん(精神科医先生とした方が適切でしょうか)

ありがとうございます。
精神科はかなり独特なもので、言葉を交わすことそれ自体が治療になるという特殊なところもありますね。
また、診察の場以外、つまりは家庭やお仕事場にもその治療効果が続かなければならないため、ご家族やお仕事場の人とのお話はとても大事だと考えています。
急に来てもそこには何らかの意味があるので、患者さんがO.K.を出してくれるのならば、それぞれの立場から述べることそれ自体も治療的です。
変と言われれば変で、やや精神科の閉鎖的な面も表しているのかもしれませんが…。
m03a076ddot 2014.03.19 20:08 | 編集
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