2014
02.25

覚書その9~役割から見えてくる”転移/逆転移”

Category: ★精神科生活
 今回は、精神分析で良く出てくる”転移/逆転移”について、自分の理解をお話ししたいと思います。若手の診療に活かすための認識の仕方。

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 ここまで、こころについて考えて、症状がどんな役割をしているかを見てきて、精神病理学的知識や精神分析的知識をほんの少しだけ眺めてきました。その知識の最後に、治療者と患者さんの役割について考えて、そこから治療に重要な“転移/逆転移”についてお話をします。難しく聞こえるかもしれませんが、ちょっと我慢して読み進めてみてください。

 第一に言えるのは、治療者患者関係は“職業的な”役割関係だ、っていうこと。私たちは家族や友人の様に愛や友情を提供する立場じゃなくて、専門家として知識と技術を提供し、患者さんを“自立/自律”に導く立場にあるんです。その役割が“わたし-あなた”の様な生身の人間関係となってしまいそれに浸ることは決して治療的じゃありません。診療の場はあくまでも診療の場。現在の患者さんが日常で佇む“あいだ”とは異なることは銘記しておきましょう。これ大事。

 治療者と患者さんの役割とはどういうものか詳しく探ってみたいのですが、成田善弘先生が綺麗に整理して下さっていますので、手っ取り早くそれを見てみましょう。

治療者の役割
①患者の依頼に応えうる知識と技術をもつ(と想定される)専門家として患者の依頼を受け入れる。
②治療構造を設定し維持する。
③患者に傾聴し理解する。
④理解したところを患者に言葉で伝達する。それによって患者の問題(不安や葛藤)をいま一度患者の中に差し戻す。
⑤面接のなかでの治療者の役割を少しずつ小さくするように努める。つまり治療者でなくなるように努める。


患者の役割
①自分の問題の解決を求めて専門家に助力を依頼する(依頼者になる)。
②治療構造を守る
③自分の内界を包み隠しなく言葉にする。
④治療者の介入を受け入れて自分の言動の意味を理解できるように努める。それによって自分の問題(不安や葛藤)をいま一度自分のなかに引き受ける。
⑤自分の問題に自分で対処できるようになる。つまり患者(依頼者)でなくなるように努める。


 治療者の役割の④と患者さんの役割の③と④は、分析的精神療法の色合いが強いですね。支持的精神療法では、安心の保証の下ゆっくりと動かせるところから動かすという姿勢ですので、これらが常に前面に出てくるとは言えないかもしれんです。

 治療者の役割のなかの“治療構造”と言うのは精神科医が特に意識することですが、治療の物理的条件のことを指します。入院/外来や面接の時間/頻度/場所など。面接の環境は一定にして、枠としておくことが勧められます。この様な枠が定まらないと患者さんにも影響してくることだってあるんですよ。先に述べたように、治療者の態度と同様に環境も大きくぶれないことが、治療者と患者さんの関係を維持するためにも重要になってきます。他科の先生は、例えば大量服薬などで患者さんが救急外来に来た場合「精神科に電話してみっか」と思って電話した際、こんな経験はあるでしょうか?

救急当直「あ、どーも先生。精神科の患者さんが大量服薬して救急外来にきまして」
精神科当直「身体的にはどうですか?」
救急当直「意識もはっきりしてるし、大丈夫ですよ」
精神科当直「身体的に問題なければ帰して下さい」ブツッ
救急当直「あ、でも患者さんが診てもらいたいって、あれ?先生?せんせー…、…切れてる。。。なんなんだよ精神科は! 患者さん来ても全然救急外来に降りてこねぇぞ! さぼってんじゃねーよ!」

 どうでしょう。精神科の評価はダダ下がりですな…。それ以外にも精神科の腰は重いなぁと感じたことはあるんじゃないかなと思います。でも精神科が来ないのはきちんと理由があって、それが上記の“枠(わく)”なんです。大量服薬やリストカットなどの“行動化”を起こして救急外来に患者さんが来た場合、すぐに精神科がホイホイっと行くと、患者さんは無意識的に「あ、こうすれば先生が来てくれる」と思ってしまうことでしょう。それがひいては予約外の受診や頻回の行動化で救急外来にかえって何度も来ることにもつながり、退行を来たします。それを危惧して、治療のために精神科医はあえて顔を出さない様にしているんですよ(と、言い訳をしてみる)。

 さて、成田先生の書かれた“患者の役割”を眺めてみると、実際はこうも行かないことは周知のとおりでございます。治療者の介入を拒否することもあるでしょうし、約束された面接時間に遅刻することもあるでしょう。心の中のことを言葉にせず、もしくはできず、行動として表してしまうことも実に実に多いのです(先述の行動化ですね)。そして、治療者が困ってしまうのは往々にしてこの逸脱なんです。

 逸脱は何も患者さんだけではありません。翻って治療者側の役割逸脱を考えてみましょう。ともすると治療構造を崩しがちになったり、傾聴せずにこっちの理解を一方的に話したり、患者さんと妙に親しげに話したり、と言ったことが思い浮かびます。また、入院環境では他の医療従事者(看護師さんなど)からの話に耳を貸さない、医療従事者同士で口論になる、ということがあり得ます。これを具体的に言うと、患者さんをひいきしすぎた場合、深い治療からは一歩距離をとって常識的な意見を持つ看護師さんの言葉が患者さんを攻撃しているように感じるでしょう。また、患者さん側が看護師さんと治療者を喧嘩させようとしていることもあり、患者さんに操作される、なんて言います。だから患者さんのことで看護師さんと言い合っている治療者を見ると「あー操作されてるわ」とか「患者さんに巻き込まれちゃってるねぇ」と別の治療者は思います。岡目八目的な。

 さてでは、この役割からの逸脱をどうとらえましょう。これを繰り返す患者さんを“失格”として治療拒否するのでしょうか。枠にはまらなければすべてお断り? でも上述のように治療者にもこの役割から逸脱したいと思う時はあるでしょうし、実際にそうしてしまうこともあります、もちろん。そこから捻り出されるのは“逸脱=問題患者さん=治療適応ではない”とするのではなく、こんな転回です。


それじゃあ、逆にそれを治療に使ってやろうじゃないか


 開き直りというか眼から鱗というか。そして、それこそ精神科診療、中でも精神分析や精神分析的精神療法、支持的精神療法の特筆すべき点でもあるんです。よって、患者さんや治療者の逸脱または逸脱欲求を「お、これって転移/逆転移かも?」と考えることが重要となり、支持的精神療法においてもこの考え方は治療が進展しなくなった際などに考慮することで新たな視点をもたらしてくれます。枠を作ることはその逸脱に着目することでもあり、その逸脱を“転移/逆転移”かもしれないと考えてみるという方向性につながってきますね。枠という負荷をかけることにより“転移/逆転移”が浮き上がりやすくなると言えましょう。

 さてこの“転移”ですが、概念が治療者によってズレがあるものの、浅く“患者さんが治療者に職業的ではない人間的な関わりを期待する感情のこと”と理解しておきます。患者さんはお母さんやお父さんなどの重要人物や、自身の姿を無意識的に治療者に重ねてしまいます。ただし、患者さんの言動や行動が過去の体験のそのまま繰り返しというのではなく、過去に影響された新しい体験が転移である、ととらえる必要があります。相対する治療者の現実的特徴と過去の人物像の諸側面とのアマルガムであり、古い関係と新しい関係との結合なんです。

 それに対して逆転移は“治療者が生身の人間として行動してしまいたくなる時に芽生える感情のこと”と考えましょうかね。治療者も自らの生活史を無意識に治療の場へ持ってきていて、それに影響されます。逆転移とは、人間としての治療者のすべてが合わさって創り出された反応。治療者は自身の過去を治療の2者関係に持ち込み、一方で患者さんもまた治療者に様々な感情を引き起こすんです。例としては予約時間外に会う、どうしようもない怒りや無力感を覚える、いつまでも頼りにされたいと思う、などなど。

 患者さんも治療者も、個々の生活史を持ち、かつ今を生きる存在です。その2人が治療の場で出会うということは、必然的にそれぞれの歴史が影響するでしょうし、それが逸脱に向くこともあるでしょう。ここで注意を促したいのは、2人とも過去をそのまま治療の場に持ってくるわけじゃないってこと。過去に影響を受けた、今ここの存在として出会うんです。そして、2人が影響しあうということも忘れちゃいけません。患者さんの状態は治療者に影響し、また治療者から跳ね返ってくるものに患者さんが反応するという相互作用が働いています。患者さんを理解しようとしすぎると、患者さん側の要素ばかりを考え、自らが患者さんと共にある治療関係、治療者と患者さんの“あいだ”と言っても良いでしょうけど、それを忘れがちになってしまいます。“転移/逆転移”は、人間同士の響き合いと考えても良いかもしれませんね。

 こんな仰々しい名前が付いてはいますが、“転移/逆転移”というのは見方を変えると日常生活にもちょろちょろ出ています。友人と話す時とか、他愛のない日常のやりとりだって人間同士の響き合い。ただ、そこに枠はありません。だからこそ日常での人間臭さは日常のもので、取り立てて“転移/逆転移”と定義する必要はありません。お母さんの口癖がイラッとしてしまう人にとって、友人が同じようなことを言ったらやっぱりイラッとしますでしょう。普段の何げないやりとりに、人生と言うのは見え隠れしてますな。よって“感情やそれに伴う行動は記憶である”とも表現できるかもしれませんね。日常生活はそれがあって日常生活なので、別に変じゃありません。それに対して診察室では、治療の場という枠、治療者と患者さんと言う役割があるからこそ“転移/逆転移”は“転移/逆転移”として名づけられています。ちょっと図にしてみましょう。上図が日常生活でのやりとり、下図が診察室内での”転移/逆転移”です。

日常やりとり


転移やりとり

 過去の重要人物との関係や現在その人が置かれている状況、そして今の相手との関係。それらが様々に影響しあっています。2つの人生が診療の場で出会っている、そこでの人間的な出来事が“転移/逆転移”なんです。そして、なぜ今この場でそれが起こったのかについて思いを巡らせることが、治療にも役立ってきます。この思いを巡らすってのは随分と疲れそうですね。実際、シロートながら自分もこのタイプの診察(もどき)をしているとかなりヘトヘトになります。次の患者さんまでにひと息入れないと大変(でも病院変わってからは外来が分刻みなので、転移/逆転移をしっかり見る診察というのを全くしなくなりました…)。

 臨床の現場ではこの逸脱に遭遇することが非常に多いですね。じゃあ逸脱を感じた場合、どうするのか? 精神分析的に診ているのなら“解釈”というものをします。なぜ今この場で逸脱が生じたのか、これまでの患者さんの人生をたどりながら考えて、それを伝えます。ここで注意が必要なのは、私たちはまだ若手であり、それは換言すれば精神分析的な経験が非常に乏しいという点。だからこそ精神分析のテキストで得た知識をそのまま患者にあてはめようとしてしまうとも言えちゃいます。学んだものをすぐ使いたくなる、という誘惑はいつも付いて回りますね。でも例えば、治療者に対する愛情を感じたら「幼いころにお母さんに向けることのできなかった愛情を今わたしに向けているのでしょう」と判で押したように伝えるのは、一般常識的に考えて多くの場合で患者の自尊心を著しく傷つけることになるのは明明白白でございます。過去に焦点を当てて現在の言動が過去からそのまま持ちこされたものと考えて教科書的なモデルを言うのが転移解釈、ってことじゃないんですよ。良く言われるように、教科書で得た知識は解釈のための下準備みたいなもんで、実際の患者さんと相対して人生を分かろうとする姿勢があって初めて、生きた解釈が出てくるんでしょうね。

 実際「若手に正しい解釈ができるんかしら?」という不安は常に付きまといます。患者さんや治療者の逸脱を“転移/逆転移”かもしれないと考えるところまでは私たちにも可能かも。そこから先をどうするか。性急に精神科医っぽく解釈したくなる気持ちになることもあるかもしれませんが、それは治療者が持つ嫌な気持ちを患者さんの方へ押し込みたいというのを指していることだってあります。解釈が、治療者が攻撃者であること示すものになってしまうという可能性もあります(言葉は時として鋭い刃物になります!)。治療者の理論を押し付けて、患者さんから考える機会を奪うことにもなりかねません。

 さ、どうしましょ。「解釈するのは良いけど外したら…。自信ないんだよね…」というのは誰しも思いますよね。そこで、治療者の基本的な役割としての“容器(コンテイナー)”を思い出しましょう。「“転移/逆転移”かもしれない!」と思った際には、それの容器として抱えておき、持ちこたえてみるんです。患者さんが以前には耐え難いと考えていた感情を治療者が持ちこたえているのを目にすると、それが患者さんに変化をもたらすきっかけとなるかもしれません。私たちにできることは、変わらない治療者として抱えることにより、解釈を遅らせてみることなんじゃないかしら。これにより本来は“転移/逆転移”ではなかったものを間違えてそれととらえて性急に解釈してしまうことを避けられますし、実際に解釈を行う際も時間を置くことが治療者にとって柔らかい様々な考えを産むきっかけになる可能性もあります。

鉄は冷めてから打て

 こんな格言が精神分析にはあります。これを心に留め置きましょう。例えばただ純粋に寝坊して電車に乗り遅れて診察に遅れたのを「ははぁ、これは診察への拒否としての気持ちの表れだな。ちょっくら解釈するか」と思って伝えたら患者さんにとって失礼そのもの。また、治療者の言葉が乱暴なら、それだけで患者さんを怒らせるでしょう。その怒りを“転移”として扱ったらそれは見当違い。

 “転移/逆転移”なのか、純粋になるべくしてなった事柄なのか、それを判断するのは実は難しく、若手ならなおさら。だからこそ解釈を“遅らせる”という手段が有効だと思います。それに、繰り返しになりますが、解釈せずにただ耐えることだって意味はありますよ。患者さんが「あ、私の周りの人と違ってこの先生は攻撃してこない」と思って、その耐える機能が患者さんに良い影響を及ぼすことも多いです。これが現実的には最も使えそうな気がします、個人的には。伝えるツールとして、言葉は大事なものです。それは発することにも言えますし、“発さないこと”にも当てはまるでしょう。言葉を発さずに“転移/逆転移”ということを理解した上で、患者さんの心境を察している“あいだ”にしていく。うまく余白や行間をつくっていくような診察の場が良いんじゃないかなと思ってます。

 若手にとって、解釈を先延ばしにすることは、決して逃げることじゃありません。患者さんの生活史などに軽々しく結びつけて発言するというような迫害者にはならないよという、治療者の意思表明でもあります。まずは患者さんについていわゆる“知らないことnot-knowing”の姿勢を持ち、不確かさを受け入れ、関係性の中で患者さんを理解したいなと思うことが肝要。

 患者さんと治療者、それぞれの生活史を持った2人が今この治療の場で出会う。その2人の“あいだ”で現在生じることに思いを馳せることが精神科として大事。私たちは今を生きる存在ですから、やっぱり今を重視すべきだと思います。過去に目線を向けてすぐにその過去の出来事とのみ結びつけることは、患者さんの今、そして今の治療関係を見ていないことになるんじゃないかしらね。“転移/逆転移”というのは、お互いの感情の揺れ動きを見ていくために有用なもの。解釈を用いなくても、“転移/逆転移”を意識することで(察することで)患者さんの苦しい“あいだ”や診察室内の“あいだ”をしっかり見ようと言う動機づけにもなりましょう。そして、言葉にして解釈するんだったら、それは患者さんの今にも伝わってくるものであるべきなのでしょう。すぐに解釈するのではなく、今の関係について少し時間をかけて考えてみる。その結果、治療者の解釈が今の関係性にもしっくりと来るのであれば、その解釈は有用なのかもしれません。その時に初めて、あなたなりの解釈をそっと伝えてみましょう。


過去の関係と今の関係との両方に同じ程度あてはまるようなコトバ


 神田橋先生は、これが治療的だとお話しされます。患者さんの過去にも今にも眼の届いた、まさに治療的なもの。精神療法っていうのは、患者さんの失われた時間をつなぐ役目をするのかもしれませんね。

解釈
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コメント
お疲れ様です。なぜ、精神科医はいつまでも患者に頼りにされたいと思ってしまうのですか?
普通ドクターは悪くなったらまた来てくださいというスタンスですよね。あからさまに患者がくることで自身が安心している精神科医がいました。
SATOUdot 2014.02.26 18:13 | 編集
>SATOUさん

ありがとうございます。精神科医に限りませんが、医者の中には「自分が治す!」という様な救済者願望を持っている人が少なからずいます。それが強くなると「自分のところに来ていてほしい」という思いになっていきます。精神科医は、特に時間をかけるタイプの診察をしていると、患者さんとの強い結びつきを生むことがあります。そこから救済者願望が強くなり、という流れになることがあります。もちろん多くの精神科医は自分の救済者願望を意識しており、そうならないように気を付けています。
m03a076ddot 2014.02.27 08:42 | 編集
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dot 2014.03.02 10:21 | 編集
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dot 2014.03.03 23:25 | 編集
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ご指摘のように、教育現場でも確かに救済者願望があるのでしょうね。「私が何とかしなくちゃ/何とかしたい」となると、切羽詰まってきてしまいますね。そうでなくとも保護者の方々の眼もあり、現場は不安の中にあると思います。そうなると変化を早く産まねばならないと焦り、コンテインが不十分のまま動いてしまって失敗する、ということが多くなるでしょうか(推測ですが)。
ただ、なかなかゆっくり待つことも難しいのも事実と思います。そういう時は”リフレーミング”という技術が役に立つことも多いです。システムズアプローチという治療法がよく用いるもので、教育現場でも応用がされています。
ちなみに、自分が生まれた地方では、本州のことを”内地”と呼んでいました。
m03a076ddot 2014.03.05 22:29 | 編集
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膠着状態と思われているのなら、あえて動かないことが今は大事なのかもしれません。自分が医者側で膠着しているなと感じたら、この我慢の果てに変化は生じると思ってその膠着に対峙することが多いです。変化については、変えようと思って行動すると良い変化をなかなか産みません。
また、診察の時間が短くてバタバタとしている時は、メモ書きをしてきてもらって後で見ることもあります。
お薬の多さも、恐らくは様々な症状とのやりとりの産物だと推察しますので、自分はあれこれ言う立場にはないと思ってはいます。一般的なことは言えますが、やはり個別の患者さんの処方というのはやはりそれなりの理由があって出来てくるものなので、それに対して意見をズバズバ言うのは越権行為と自分は認識しています。
ただ、明らかな副作用があるのであれば、主治医の先生にお伝えは必要かと思います。
m03a076ddot 2014.03.05 23:30 | 編集
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dot 2014.03.06 19:55 | 編集
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リフレーミングは東豊先生などシステムズアプローチ派が得意とする技術でして、ハッとさせられることが多々あります。簡単に言ってしまうと”短所も長所”でしょうか。「引っ込み思案だけれども、ある意味では大局を眺められると思っています」というような、採用時の面接みたいな。。。
m03a076ddot 2014.03.07 13:16 | 編集
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dot 2014.03.09 16:45 | 編集
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精神科の治療というのは時間がかかったり人によって随分と違ったりと、不安になることが多いかと思います。その中でも、主治医の先生とチームを組んでお困りなことに対処していくことが回復につながるのだと考えています。
メモに関しては、伝えきれない部分はその様に書いてみることも方法と思っています。ただ、医者の中には「治療関係の事柄はあくまでも診察室の中で」という考えを持たれている先生もいます(どちらが良いということではありません)。そういうタイプですとメモは渡せないかもしれませんが、いちおう作ってみることに悪いことはないのではと思います。ただ、簡潔に、そして1回の記載量を少なくするというのが大事です。
m03a076ddot 2014.03.10 08:26 | 編集
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dot 2014.03.10 12:10 | 編集
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不登校のお子さんたちも証書を渡すことが出来るのは良いですね。
外来でも学校に行けない子たちを診ていますが、ちょっとしたきっかけで流れが動くこともあれば、地を這うように状況が停滞したままなこともあり、実に難しいです。
でもそんな中で卒業式に別室とはいえ参加できるのは、先生方も嬉しさが出てくるかと思います。
粉でゆっくり減らしていくのも良い方法と思います。ご自身に合ったやり方を見つけることが大事ですね。
m03a076ddot 2014.03.12 11:52 | 編集
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dot 2014.03.30 19:41 | 編集
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dot 2014.03.31 00:15 | 編集
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主治医の先生がおっしゃるように、自分1人で何とかしようとし過ぎると空回ってしまって身体とこころが気づかないうちに疲弊してきます。症状というのは”1人だときついから、誰かに助けてもらってね”という身体からのサインとお考えください。
自己免疫疾患のことについても主治医の先生にお話しした方が良いでしょう。主治医の先生とは風通しを良くしておくのが重要です。
m03a076ddot 2014.03.31 10:10 | 編集
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