2013
08.10

覚書その3~“症状”を考えてみよう

Category: ★精神科生活
 前回は”患者”になることの意味を、心の発達を振り返りながら考えてみました。今回は”症状”の持つ意味を吟味してみたいと思います。

=========

 患者さんには症状があります。というか、症状があって日常生活や社会生活に苦しんでいるから患者さんになると言うべきでしょう。

 この症状は“あいだ”に開くこころの不自由さを抱えられなくなった際に出てくるもの、と思います。抱えるということは、実際の人々や私たちのイメージの中にいる人々(後者を内的対象と言います)と“ほどよい関係性を持っている”という意識の中で色んな体験ができること、つまりは「俺って(物理的にor心理的に)ひとりじゃないよね」と思いながら色んな体験ができることがそうですし、後は地味ですがしっかり休めるなんていうことも含まれます。バブル期の日本で「24時間働―けまっすっか♪」っていうコマーシャルがありましたよね。懐かしいですが、そんなの

ムリです

 休むというのは明日への活力。睡眠を取り上げられたら誰だって参ってしまいます。バブル期は日本全体がお祭り状態でしたね。木村敏先生的に言うと、まさにバブルというintra festumだったような気がします。

 “あいだ”が苦しくなり、また休む時間もなくなってくる。そうなると、症状がひたひたと迫ってきます。追い詰められた感覚、振り返ってみれば孤立している自分、忙しくて寝られない。。。自分にとってネガティブな感情や感覚がどんどん積み重なっていき、テトリスのゲームオーバー寸前。それがあふれだすと症状になる、自分はそう考えています。「もうあかんわ!」っていう白旗状態。じゃあその症状にはどんなものがあるのかというのを覗いてみることにします。

 笠原先生を引っ張り出しましょう。彼は“不安・ストレスの体験のされ方における3つの方向”というものを提示しています。

笠原先生モデル

 この不安・ストレスというのは、折り合いがつかないこと、抱えられないことで症状になるものと言えるでしょう。不安やストレスがどのような症状に体験されるか、それの方法で疾患の方向性が見えてくることを示していると考えられます。基盤となるのはその人の生来的な脆弱性、これにはゲノムで言うCNVなどが含まれるでしょうが、それと養育環境や重大なライフイベントなどによるエピジェネティックな変化がもたらす後天的な脆弱性だと思われますし、それら脆弱性は前述のように抱えられないという閾値の低下に関与するでしょう。その抱えられなさはまた脆弱性を通して、それぞれの症状をもたらすと思われます。笠原先生は、主観化の方向、身体化の方向、行動化の方向を示し、それぞれ典型的には神経症、心身症、境界例の方向としています(境界例と言う用語については、章を改めて説明しましょう)。

 笠原先生の図に付け加えるなんて恐れ多いことですが、この図にあと2つの方向をプラス。1つは“具体的外在化の方向”というのを入れて、そこに統合失調症を当ててみるのもありだとひそかに思っています。外からの迫害的なものとして幻聴がありますよね(後でお話しします)。そして、テレンバッハに倣って“基底的生命運動失調の方向”、すなわち心身の呼応が全くもって合わなくなってしまっている方向を1つ入れて、それにうつ病を当てると計5つ。うつ病って“心の風邪”とかいう言い方が一時期されましたが、そんな生やさしいもんじゃありません。心と身体のバランスが失われてしまって、身体の生命エネルギーまで停滞してしまうような病気です。

笠原先生改変

 そんなこんなで、方向性を5つにすることで多くの精神疾患を守備範囲と出来る気がします。ただ、方向を足し過ぎるのも良くないかもしれませんね。改変した図だと、例えばうつ病の患者さんには身体化がないのかと思われかねません。しかし、決してそうではありません。それぞれの方向はその疾患の窮極的な形であり、実際の患者さんはどの方向がどのくらい混じっているのかという、レーダーチャートみたいなものと考えてみると近いでしょうか。そういった意味では、方向が5つよりも3つの方が現実的かもしれませんね。

 症状は人によって異なります。そして、それとその人の生き方というのを通して見ると、つながりが見えてくるかと思います。患者さんにとって“あいだ”がつらくなり抱えられなくなるとは言いますが、つらくなる程度や抱える力というのは人によって異なります。生来の脆弱性と後天的な脆弱性などが“かかえられなさ”を生みやすくする下地になり、更に“変換器”として作用することでその人独自の症状となる、という風に言えるかもしれません。

症状変換

 この症状の違いで、精神疾患は現在分類されています。そこよりももう一つ掘り下げて、変換器と症状とのつながりを見定めようとする精緻な探求が、精神科って感じが出てますね。ただ「よし!じゃあ原因を探そう!」と意気込んで問診に次ぐ問診をしても、まぁあまり芳しくはありません。原因は1つではなく複雑に絡まり合ってますし、取り除くことが困難なことも少なくありません。それよりは、現在の“あいだ”で患者さんが抱えられなくなったという事実に注目して、その“あいだ”そのものの安定化を図ろうとするのが現実的なのかなと思います。では、その症状はそれ自体でどんな意味を持っているのか、というのを考えてみましょう。

 確かに患者さんは症状に苦しんではいます。抑うつ状態の身体のしんどさやパニック発作なんてのは、相当にきついものだと思います。でもちょっと見方を変えてみると、違った視界が現れてきます。


症状を出すって、それなりの意味があるんじゃない?


 こういう視点を持ってみることが大事。身近な例で、発熱を考えましょう。これは人間の身体が防衛反応として出しているというのはご存知だと思います。咳や下痢だってそうですね。じゃあ精神症状もそういう要素が含まれているんじゃなかろうか?そんな感じで「うーん」と考えてみると、折り合いのつかない部分、抱えられない部分を症状として表出することで、患者さんは何とか平衡を保とうとする、とりあえず安全な“あいだ”をつくろうとすると言えるんじゃないでしょうか。抑うつが強くて動けない患者さんは、そうすることで、それまで剣山の様であった“あいだ”から何とか対処できる“あいだ”に持ち込もうとするのかもしれません。強迫行為なんていうのも、圧倒されんばかりの不安で充満している“あいだ”を、自分のいつも行う馴染みのルーチンワークでもって何とか耐えられる“あいだ”にしているとも言えます。リストカットだって、湧き上がってくるような死の怖さを打ち消して、生きていることを確かめるためにやむなく行っている場合もあると考えられますでしょう。症状にはマイナスの面もありますが、視点をずらすとプラスの面もきちんと出てくるんです。

 先ほど、幻聴を外部からの迫害的なものと言いました。ここでちょっと寄り道をして統合失調症の患者さんを中井先生の著書『精神科治療の覚書』を参考に精神病理学的に眺めてみます。彼らは微分回路的認知を持っているとされます。木村敏先生はante festumと評していますね。

微分回路
(回路の図は宮崎技術研究所さんのWeb講座からお借りしました)

 これは、ごく僅かな変化を先取りしてしまい、それ故にちょっとしたノイズにも大きく振り回されてしまうと説明できます。中井先生は「もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前する如く恐怖し憧憬する」とおっしゃっています。名文。統合失調症急性期においては、体験から“偶然”が消えていきます。少しの変化も何らかの危険な“意味”を持って迫り来ることになるのです。それぞれの物事がそれぞれの危険な意味を持ち、それが頭のなかでざわめきます。意味にふりまわされ、また別の意味にふりまわされる。これは傍から見ると支離滅裂で、錯乱状態であると言われます。彼らの世界がいかに恐怖に溢れているか、想像できるでしょうか。断片的で危険な“意味”が頭のなかでせめぎあい、患者さんは混乱に翻弄されていきます。これに彼らの対処する術が、幻聴と妄想になるのです。前に「外からの迫害的なものとして幻聴がある」と言いましたが、これでお分かりになったでしょうか。どこかでざわめきを安定させなければ、なんとか収拾を付けなければ、そのような努力の果てに対処方法として編み出したものです。声になってくれれば、頭の中の恐ろしいざわめきではなく外からのものとして意味付けできますね。妄想も同様です。

 さて本筋に戻りますが、症状というのは以下の2つの側面があると考えてみましょう

・抱えられない部分が変換されたもの
・患者さんが必死に編み出したそれなりの“コーピング”


広く考えれば、精神分析で用いられる“防衛機制”と言うのもコーピングと表現できます。「防衛機制は何とか適応を図ろうとする患者の生み出すコーピングととらえられる」と、神田橋條治先生も指摘しております。防衛機制というのは、学校で“すっぱいブドウの論理”というのを習ったかもしれませんが、あれは“合理化”というやつ。ちなみに英語で“負け惜しみ”のことを“Sour Grapes”と言いますね。他にもたくさんあり、抑圧を基礎とした高次の防衛機制と分割を基礎とした低次の防衛機制とに大きく分かれますが、また別の章でお話ししましょう。

 言いたいことは“症状には意味がある”ということ。苦しいことは苦しいんですが、必死の思いで編み出したこのコーピング、崩れそうではあるけど何とか築いた安定性、これから抜け出るのも怖いでしょう。だからプラスの面もあるんですね。そう考えると、治療という行為はこの安定にゆらぎをもたらすものとも言えそうです。統合失調症急性期の患者さんから幻聴だけを「えいっ」て取っ払ってしまったら、未曽有の恐怖をかろうじて包んでいたヴェールが飛んでいくことになります。そんな恐怖に直面させたら、それから逃れるために自殺することだってあり、昔はそういう注意が良くなされていました。なので、統合失調症急性期においては、いわゆる陽性症状もそうですが、それを生み出させるほどの恐怖を見据えて、しっかりと適切な鎮静(静穏)を併せて行うことが治療的です。

 だから、くどいようですが、症状があるということには、患者さん1人1人にそれなりの理由がある、症状も大切なんだという姿勢を持ちましょう。これを意識するのとしないのとでは、診察も大違い。基本ソフトの核みたいなところでしょうか。患者さんの行動にこっちがイラッとしたり失望したりしても「この患者さんはこうせざるを得ないんだろうかね」と思い直して踏みとどまれることもあります。患者さんと会って症状とそれに関与しそうな事情を合点の行くところまで聞いたら

「なるほどね。あなたの今の状況なら、こういう症状があるのも無理はないのかもしれない」

 という理解をまず示し、患者さんの抱えられないものをいったんこっちが抱えておくことがとても重要なんです。取っ掛かりとしてこれを忘れないようにしましょう。「リストカット?なんでそんなことするの!?もうしちゃだめだよ!」と最初から言うのは御法度と思ってください。まず患者さんの今の立場を認めるところから始めましょう。

 こう言うと「あ、共感すりゃいいのか」と考えるかもしれませんが、早めの共感も人によってはあんまりよろしくないんです、実は。患者さんは「この苦しみを分かってほしい」と思う一方、「そうやすやすと分かられてたまるか」という気持ちも持っていることが往々にあります。がん患者さんに接していると、それは実に強く感じます。だから安っぽく「分かります」とか「辛いですね」という言葉を早々に使うのは、状況を悪くする方に向かいかねません。ベジータではないですが、共感のバーゲンセールは良いものではないのです。医学教育なんかでは共感しろ共感しろと教わってきたかもしれませんが、共感ではなくまずは“認証(validation)”が必要。その上で、しかるべき時に共感するのであれば、それは効力を十分に発揮すると思います。ここは大切なので、後で章を改めてもう一度話題にします。

 例えば、イライラしたらモノに当たってしまうというとある若い患者さん。部屋の壁は穴だらけになってます。この患者さんの場合、感情を行動でしか表せられないのが可哀想なところで、“あいだ”が苦しくなって、モノに当たるという対処をしています。でも壁に穴が開いてしまって家族から怒られて、また“あいだ”が苦しくなるというループにはまっていました。そこを話題にして「モノに当たるのは攻撃性が家族に向かわないためのコーピングである」というもっともらしいことを偉そうに言ってみて、そこに気づいてもらいました。かつ、“あいだ”の調整として眼に見える“壁の穴”という被害を最小限にすることで家族からの怒りも小さくなると考え、より安全な対処、例えばクッションを周りにスタンバイさせてイライラをそれに向けるなど、をお伝え。更に家族にもお話をしてもらって理解してくれるようにしました。それが功を奏しまして、最初のうちは「クッションだと物足りない」と言ってましたけど、だんだんと置換していきました。そうしたら家族にも怒られることが少なくなって、衝動的な行動そのものが減ってポジティブフィードバック。ちょっと行動療法的な。

 こんな感じで「症状には意味がある。何か抱えられないものがあって、更に患者さんなりの努力の産物なんだ」という考えを持って診察をしてみると、侵襲的にはなりませんね。上述のようなモノに当たるとかリストカットとかの“行動化(低次の防衛機制の1つで、抱えられない感情を行動で表してしまうこと)”も、それを取り上げられたら患者さんはより大きなカタストロフィに向かうかもしれません。実際、うつ病の患者さんに診察早々「あなたの考え方がゆがんでるからこうなるんです」「性格を直さなきゃ治らない」などと言ってしまう医者もいますから、気をつけてやって下さい。第2世代の認知行動療法的には確かに認知のゆがみを取り上げて、それを修正していくのが治療で、間違ってはいません。でも良く分からん医者にズバッと「あんたゆがんでるよ」と言われたら、そりゃあきついですよ。言うタイミングを間違えると、言葉という薬は毒の面を出してきます。医者のかける言葉は添え木ではあるんですけど、その添え木も突き刺すために用いてしまうことが出来ましょう。精神科の基本ソフトとして、そんな言葉の性質を学ばねばなりません。

 ただし、それなりの理由はあるけれども身動きができなくなってしまっているのも事実。例えば、行動化はコーピングだけれども現実的にはプラス面だけでなくマイナス面もありましょう。まずはプラス面に焦点を当てて「アナタも苦しゅうて仕方なしにやったんでしょう」という理解を示して、そこから実際に起こっているマイナス面にも注目していきます。「これこれこういうマイナスもあるから、行動化から卒業できるようにやっていきましょう」というスタンスをお伝え。プラス面ばかり強調してマイナスを伝えないと、患者さんはそれにどっぷり浸かってしまうこともあります。そこはほんの少し注意しておきましょう。

 症状や行動っていうのは両方の面を持っています。履歴書で短所と長所を書く欄があったと思いましたけど、アレですよね。「短所はみんなの様子を伺ってあまり積極的な発言はしないところ、でも裏を返すと気配りができるということになるかもしれません」というような切り返し。私は履歴書のそういう欄が面倒くさくて、勤め先に提出する際には「最初から無ければ良いんじゃないか?」と思って、趣味とか特技とか短所長所とかのページを破って捨てて、経歴のページだけを書いて出しました。同期からは「こいつ大丈夫か…?」と心配されたんですけど、就職できたので大丈夫だったんですね。とまぁそんな具合で、陰と陽の両方を意識しておきます。患者さんや家族は結構どちらか一方、特に行動化だとほとんどマイナス面に偏っていることが多いので、治療者はちょろっと別の面を差し出がましくない感じで提供。基本はプラス面を強調です。

陰と陽

 注意する点としてもう1つ。「抱えきれないものがあるんだ!そこを聞かなくちゃ!」というような考えを持つと、症状そのものを軽視してしまいがちになります。ささっと症状を聞いたら過去のこと過去のこと、代表的なのは幼少期の親子関係なんかへと遡るというのは、精神療法への熱意が強すぎるとままあること。でも、問題がかつてなかった家庭なんかないでしょうし、仮に主だった問題がなくっても「問題のないことが逆にこういう子になった原因だ!」なんて詭弁を使おうと思えばいくらでも使えます。アラさがししたらそりゃ出てきますわ。人間誰だって直線的な因果を求めてしまいますし、特に行動化だとそれが家庭に向かうことが実に多いです。そうなると家庭内の雰囲気はギスギスして「お前の育て方が!」「ちっとも子どもにあなたが構ってくれないから!」みたいな応酬が繰り広げられ、家庭内の”あいだ”はさらに悪い方向に…。そして家族みんなが沈んでいきます…。が、目の前の事態は色んな事が絡み合っているんですよ。硬直した因果関係の認識からはちょっと離れた方が良いでしょうね。1つの状況から患者さんを見ようとはせず、その様に患者さんが振る舞わざるを得ない状況を”あいだ”という点から理解してみるのが大事なんだとも言えます。そのためには家族が原因だと言う見方を変更したり、症状に全く異なる意味付けをしたり、という技術が用いられます。

 症状を軽視することについては、やはり症状の細かいところをしっかりと聞いて、できるだけ患者さんの生の体験をつかんでいくのが必要になってきます。「憂鬱だ」と言っても、患者さんの言う“憂鬱”と、私たち医療者の考える“憂鬱”はやはり異なりましょう。同じ言葉でも意味が違うんです。また、患者さんも一般的な“憂鬱”ではなくて、彼らなりの個別的な苦しい“こと”があるはず。憂鬱という汎化した表現ではなく、患者さん自身にしっくり来るような表現が出るまで言語化をしてもらうようにしましょう。しっかりとどういう体験なのかを聴いて、またこちらの理解も相手の腑に落ちるようなものでなければいけません。病院のドアを叩くきっかけになったのは症状ですから、それを軽視しちゃいかんです。細かいニュアンスをしっかりととらえて、枝葉を共通理解としましょう。

 何だか冗長な記載になってしまったので、取り組み方のまとめをいったんここでしておきましょう。これまで何とかかんとかやれてきた人が、いつの間にやら難しくなってしまって症状というのを出して“患者”になってしまった。その人を取り巻く“あいだ”は重いものでしょうし、その症状が“あいだ”を更に重苦しくしていることもあるでしょう。私たちは、患者さんのものの考え方に上手く沿うことでまず診察室内の“あいだ”を良いものにします。それには“認証”を行い、これまでやってきた苦労をねぎらい、必要ならば適切な薬物治療により症状を緩和させることもありましょう。更に、苦しい“あいだ”を良好なものにするために、患者さんの考え方をゆっくりで良いのでスライドさせていきます。“あいだ”が辛いと、患者さんの考えはマイナスなものになっていきます。自分を責める、他人を責める、状況を否定的にとらえるなどなど。治療者はそこに波長を合わせながら、徐々にプラスな見方へと誘っていくことが肝要。自分を肯定すること、他人を肯定すること、状況を肯定的にとらえるなどなど。それを繰り返した結果、負の側面に傾いていた考え方を客観的に見ることが出来るようになる。これが目標。

沿わせて別に

 患者さんの考えにどんどん巻き込まれてしまったり、認証せずに治療者の意見を一方的に述べたりするのは、診察室の“あいだ”を悪いものにしてしまいます。そうなると敗色濃厚。凝り固まってしまった直線的な因果関係で理解するよりも、事態は”あいだ”であるとの理解を持ちましょう。

 以上に気を付けてみるのが、治療の第一歩ですね。いやー今回は長かった。次回はちょっと精神病理学的な”器質力動論”という考えに触れてみようと思います。
トラックバックURL
http://m03a076d.blog.fc2.com/tb.php/1648-042e4646
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top