2013
07.18

覚書その0~若手の心構え

Category: ★精神科生活
 ちょっと順番が前後してしまいましたが、これが第0回でして、覚書の最初の部分であります。

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 精神科っていう科は、他の科よりも曖昧さがつきまとっています。「精神医学は科学なのか!?」なんてのは往々にして言われることですし、精神科医はそれに対してどこかちょろっと自信なく、何となく他科にコンプレックスを持ってしまう部分も。精神科を糾弾するサイトや本などもたっくさんありますね。これらは極論も多くて紋切り調。そういうのは大衆受けも良いんですが、現実に行われている診療のファジイさを認めず品のない批判に終始しているものもあり、教祖とその信者と化している雰囲気もあります。ただし「まぁ確かになぁ…」と思ってしまう部分もいくつか出てきちゃいます。こういうのは一笑に付すべきではなく、火のないところに煙は立たないという言葉の通り、反精神医学が何時の世もあるという理由を、私たちは真摯に考えねばならんでしょう、うむ。

 治療においては抗うつ薬や抗精神病薬といった向精神薬の出現により他科に近づいた感じはあるものの、そのお薬も実は怪しいもんです。うつ病ですとか統合失調症ですとか、そういう精神疾患のメカニズムというのは分かっていません。崩れそうな仮説を頼りに現在の薬剤はつくられており、特にモノアミンのみではもう先が見えてしまっています。その限界はきちんと認識しましょう。奇しくも薬剤が出たため、今の精神科医は症状が遷延する患者さんを“薬剤治療抵抗性”と見なしがちになっています。昔のコマーシャルで「バファリン®の半分は優しさで出来ています」っていうのがありましたが、まさにそれが今必要なんじゃないかしら。薬剤は環境改善と相まって効果が出てくるということを忘れてはいけません。薬剤だけあーだこーだやってもなかなか難しい部分もありますし、症状と副作用の区別も付けなきゃいかんのです。

 薬剤以外で治療者が行う治療法をまとめて精神療法と言わせてもらいますが、それには認知行動療法とか対人関係療法とか精神分析とか、色んなものがあります。精神科に入ったばかりだとこんな様々な治療法を見て「何をすれば良いんだこりゃ…」と途方に暮れてしまうこともあるでしょう。「どう患者さんに接して良いのか分からん…」と困惑してしまうこともあるかもしれません。しかも患者さん1人あたり3分から10分くらいの短い外来診療で“何たら療法”と言うような濃厚な治療は困難なことが少なくありません。こんな実情を踏まえると薬剤偏重になってしまうのもムリはないかも、とも考えちゃいます。極端だと、こんなんなってしまうかも?

患者さん「先生、なんか不安なんです…」
医者「よし、不安を抑える薬出しましょう」
患者さん「先生、飲むお薬が多くなって不安です」
医者「よし、不安を抑える薬出しましょう」
患者さん「oh…」

 さすがにそこまではならないですけどね…。

 更に言ってしまうと、精神科は診断というものすらはっきりしません。私たちが“統合失調症”と定義する疾患も、恐らくは様々な疾患を集めた“統合失調症候群”とも言えるもの。現在の精神科の診断はほとんど症状を指標にします。例えば腎臓の病気なら生検して“IgA腎症”とか“膜性腎症”とか分けることができます。でも精神科は症状のカタマリを“疾患(障害)”としてグルーピングするしかなく、暫定的なものです。上っ面だけを眺めて診断してるってことですよね。私たちが拠り所とするものは全てどこか頼りないというのが、今の精神科なのかしらと思ってしまいます。
症でなく症候群
 何だかはっきりしないものばかりの現状、私たちにできることは、曖昧さの中を、曖昧さを認めて進んでいくことだけ。でも、この霧の中の海原で、先を照らしてくれるような灯台も存在します。それは、患者さん自身にはしなやかな回復力、最近の言葉では“レジリエンス”なんて言いますが、その力があるということ。私たちはこれを信じて日々の臨床を行うことが大事なんじゃないかなって思ってます。我慢強く、耐える診療というのが多いでしょう。本に載っているいわゆる“症例”というのは「これこれこうしたらこうなった」みたいな変化の部分しか記載されません。でも実際は、患者さんの状態が変化しない期間の方が長いですよね。うつの患者さんなんか良くならないと「やっべぇ…」みたいな気分にさせられてしまうことも。患者さんは患者さん自身を責めて希死念慮みたいなのも口にするんですが、それが全て治療者への攻撃に聞こえてきてしまう場合があります(全部じゃないですよ)。そうなるとちょっとこっちも焦ってくる。そういう停滞した部分を凌いで凌いで、という作業が私たちに必要になります。その果てに変化は生まれるもの。患者さんも治療者も辛い期間をどう支えていくか、が特に若手にとって不安なんでございます。その部分が大事なんじゃないかなーと思ってはいるんですが、停滞部分が本になっても確かに読書意欲は沸いてこないですな。。。

 そういうことを鑑みると、今回の覚書は、精神科医になったばかりの若手や精神科ではない先生が患者さんと接するにあたって「どうやれば非侵襲的であれるか」というのを目的としています。初めに会った患者さんに対しても、なかなか治療に反応しない患者さんに対しても。良くならなくてやきもきしてついお説教してしまう衝動に駆られて言ってしまわないように、というのが大事になってきます。レジデントの中には「え、何でそんなこと言っちゃうの!?」ということを言う人も少なくありません。

患者さん「先生、やっぱり調子悪くて…」
医者「それはね、あなたの考え方が悪いんですよ。もっと前向きに考えて下さい」
患者さん「は、はい…」

 悪気はないと思いますが…。改善しない時なんかはこっちは針のむしろみたいな気分ですから「何とかしないと!」と焦ってつい色々言ってしまう…。すっごくそういう気持ちは分かるんですが、こんなんで前向きになれたら、わざわざ医者のとこには来てませんよね。言葉というのは希望を灯す役割を持ちますけど、同時にその灯をフッと消してしまうような危険性も有しています。精神科医は言葉を上手に使わんといかんです。自分では何とも思わずに投げかけた言葉が、患者さんにとってはきっつい一言になりうるという暴力性を秘めたものだということ、これをしっかり認識しましょう。なかなかそういう側面に気づかないレジデントは才能がないというワケではなく、精神科の基本ソフトがまだ入っていない人なのだと思います。それを入れてしまえば致命的なミスは避けられるのではないでしょうか。精神科には精神科独自の基本ソフトがありますし、恐らく他科よりもその数はかなり多いんだと思います。その1つをちょっと紹介出来れば。そんな私もひょっとしたら他の先生からは「お前、何でそんなこと言うんだよ…」というような内容を患者さんに言っているのかもしれませんが、一応、経験したり勉強したりして身に付けた害の少ないものをお話ししていきます。まだ若手の私が若手なりに感じたことをお伝えしてみよう、ということ。若手だからこそ、身の丈に合った考え方を提供できると考えています。

 ここで注意して欲しいんですが、侵襲的なもの全てが悪いわけじゃあないですよ。患者さんがその侵襲をしっかりと受け止めて消化してくれるのであれば、それは治療的なものとなるでしょう。ただ、そのタイミングを私含めて若手や他科の先生が見定めるというのはなかなか難しいもんです。だから、まずは無難なラインで何とかしのぎ“来るべき時を待つ”みたいな戦法が重要。えいって切り込むよりもデュオアクティブ®を当てるような。アクロバティックなもんじゃなく、地味だけど患者さんの回復力を邪魔せず助けるような、そんなお作法。上の先生から見ると面白みのないものに見えると思いますが、あくまでも若手用の基本ソフトと思って下さい。難しい概念を説明抜きに使うことや、持って回ったような表現をすることなんかはせず、できるだけ分かりやすくしていきたいなと考えています。

 いざ説明と言っても、精神科領域っていうのは、ちょっと勉強しようと思って大御所的な本をめくってみると、「これ医学?」と思っちゃうような人文科学的なものも多く理解しづらい。。。仮に通読しても…。

A先生「いやー、読み終わったよこの本」
B先生「お、すごいじゃん。精神病理?」
A先生「そうそう。頭良くなった気がするわ」
B先生「へー。で、どんなこと書いてあったの?」
A先生「え?」
B先生「え?」

 というような。中には文体が厚化粧で、「この人わざと俺に分からせないようにしてるんじゃ…」と被害関係念慮になってしまうものも。それが初学者を入らせない壁になってて、若手の意欲はポッキーよりも簡単に折れて諦めちゃう。うだうだ難しいことを言わず、まずは下地として分かりやすいものが大事。病態別の対応ではなく、ちょっと観念的ではありますが、患者さんがしっかりと歩いていけるための汎用的な視点を持てればなと思ってます。とは言っても、基本的な精神分析や精神病理学(精神疾患の症状を細かく見て、病める患者さんの心理を探求する学問)の知識はあった方が良いと思うので、臨床に役立つものをピックアップして少し説明も交えていきましょう。

 ここまでの話だと、精神科医は優しければ万事O.K.なのかという思いがよぎるかもしれませんが、決してそうじゃありません。患者さんに対して無条件に優しくなる、平たく言えばひいきをしすぎると“患者・医者vs.家族”や“患者・医者vs.看護師”というような構図が出来てしまうでしょう。更には患者さんが味方である医者との関係をずっと続けていたいと思ってしまう、つまりは「ずっと患者でいたい、治りたくない」と思うこともあるでしょう。人間関係を引き裂いてしまうこと、“患者”と言う役割に埋没させてしまうこと、こういうことは全くもって治療的とはいえません。とは言え、患者さんの苦しみというのはなかなか理解されるものでもないことは実感するところです。家族は何とかしようと頑張っているかもしれませんが、そうそううまく行くものではありません。そのうち家族も焦ってきて、それが患者さんに伝わってしまう。良い相互作用というのは難しいものです。なので、医者としては、心に響くような優しい存在でありたいものです。ただし、冷静な優しさとして。

 これからいくつかのお話を章別にしていきますが、良いか悪いかは別としてエビデンスとは程遠いものばかり。できるだけ平易でイメージのつきやすい感じで。目指すべきは、患者さんにとって害にならないような精神科医としての構え、それもどの若手にとっても受け入れられそうなもの。患者さんにとってきつい言葉も害になる、ひいきをしすぎても害になる。うまくその間、繰り返しですが“冷静な優しさ”を持てるようになれればこれ幸い。その見守るような優しさを伝え続けることで、患者さんは安心と希望を得られて自分自身の回復力で立ち直っていける。これが精神科治療のほんの入り口だけれども根っこなんじゃないかしらと考えています。認知行動療法も必要でしょう、精神分析的精神療法も必要でしょう、家族療法だって大事でしょう。でもどんな治療法も「冷静な優しさを持ちながら患者さんを理解しよう」という治療者の姿勢があってこそだと思います。

 個人的には、治療者の役割のキーワードは“松葉杖”の一言に尽きると思ってます。患者さんは足を骨折すると、必要な時期に松葉杖を自らの力で用います。そうやってリハビリをして、だんだん歩けるようになる。すると患者さんは希望を持てるようになりますよね。そしてその骨折が治ると、その部分は骨折の前よりも強くなっています。1人で歩いていける患者さんは、いらなくなった松葉杖を捨てるでしょう。精神科医は、そんな希望を持ってもらって最後には気兼ねなく捨てられるような松葉杖でありたいと思います。

 繰り返しですが、この覚書は若手や他科の先生用の基本ソフト。しかも多くあるうちの1つに過ぎません。みなさんは自分自身でどんどん勉強していくことでしょう。その中で「あれ、こいつはこう言ってるけど、この人の言ってることの方が納得いく!」と感じたら、ぜひそちらにシフトして下さい。また「おれはこう考えたけど、こいつとは少し違うな」というのがあれば、ぜひあなたの考えを追求していって下さい。私のお話するのは、あくまでも1つのものの考え方。できるだけ害を少なくしてブロードにしたものです。私の意見でずっと止まっていたら進歩はないと思います。これをアレンジしたり踏み台にして他のところにジャンプしたり、たくさん勉強してあなたなりの患者さんとの接し方を築いてほしいなと思っています。基本ソフトはアップデートしたり、はたまたより便利なものに乗り換えたりするものです。しかも精神科は色んな人が色んなことを言っていますから、普遍的な正解を見つけようとすると、たぶん八方塞がりになっちゃいます。自分自身で納得の行くものを探して、作って、その繰り返しが大事。木村敏先生という精神病理学の大家も「みんなに共通の精神病理学なんてのはなくて、それぞれにそれぞれの精神病理学があるんだよ」というようなことを仰っております。

 そして、私たち精神科医には滾るような情熱も必要。絹のような優しさも必要。でも、それが沸点に達してはいけないし、包み過ぎて柔らかな白さの世界しか見せないのもよろしくない。ちょっと水のような、ポリエステルのような、そんな冷静さも絶えず持っていなくちゃいけません。特に私を含めて若手は熱意が先行することがありますから、ちょっと振り返りが必要になりますね。

 そんなこんなで、ちょろっと精神科の覚書なんてものを始めてみます。
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コメント
管理人用閲覧コメントをくださった方、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、食事というのは非常に大事だと思います。医学的には、例えば肥満だと脂肪細胞がマクロファージなどを呼び込んで慢性炎症と呼ばれる病態をつくっていきます。そしてそれが脳にも悪い影響があるとも言われています。
経験と洞察力というお話ですが、それらはまさにどれだけ患者さんとしっかり接する期間が長いか、という部分が大きくなりますね、質と人数の両方において。なかなか若手の精神科医はその名の通り”若手”なので、経験不足から歯痒い思いをしてしまいます。それを補う知識というのを、先輩医師の教えやテキストで頑張って獲得していくしかないというのが実情でしょうか(これはどの科にも言えることでしょうが…)。なので、若手は患者さんの回復力を妨げずに接することを重ねて、自らの糧とするのがお互いにとって良いのではないかな、と考えています。
今回のお考え、大変興味深く見させて頂きました。
m03a076ddot 2013.07.20 21:31 | 編集
管理人用閲覧コメントをくださった方、ありがとうございます。
ご本人、ご家族共に苦しんでらっしゃるのですね。
治療については、やはりまずもって大事なのは診断の見直しかもしれません。
発達障害と言うにはやはり幼少期からそれなりの特徴が出るかと思います。
平たく言うと、自分の決めたルール以外には適応できないとなるでしょうか。
それは物や趣味や勉強へのこだわりであったり、道順のこだわりであったり、交友関係もそうなるかと思います。そのこだわりから少しでも外れると、適応できなくなるのが発達障害の大きな枠かと考えています。健常発達ですと少し外れても何とか機転が効きますが、その機転が発達障害では作動しません。他には感覚過敏なども特徴です。ある人はシャワーが痛いものだと思っていましたし、クラクションが苦手な人もいます。大きな音は大丈夫でも、靴のマジックテープをはがす音だけが苦手という人も見かけます。靴下の締め付け感がいやでずっと裸足という人もいました。
そういった偏りが幼少期から明確にあるのなら、発達障害の延長として今の状態があるのかもしれません。
そうでなく、手のかからない大人しい子で問題なく過ごしてきたというのであれば、発達障害とはなかなか言いづらい点があるかもしれません。しかし、そこはグレーゾーンであり、明確に線引きは難しいと思われます。
仮に統合失調症とした場合、既存の抗精神病薬を十分な種類/十分な量を使用しても改善しない場合、なかなか科学的に立証された有効な治療法は残念ながら乏しいというのが実情です。経験的に行われているのは抗精神病薬に気分安定薬を付加するもので、例えば暴力性を考慮する場合はオランザピンなど鎮静系の抗精神病薬にカルバマゼピンやトピラマートをプラスするといった方法があります。また、唯一、科学的に確かめられたものでは、クロザピンという抗精神病薬による治療があります。ただし、これによる治療を行える病院は限られており、どこでもできるものではありません。愛知県なら東尾張病院、桶狭間病院、藤田保健衛生病院の3病院です。
脳の委縮に関しては、経時的に見てどんどん進むようなら、統合失調症や双極性障害など精神科の疾患ではないのかもしれません。
私から言えることは、繰り返しですが診断の見直しという点だと思います。大きめな病院でしっかりと診てもらうことが、セカンドオピニオンとして大事かもしれません。
そして、残念ながら私は単なる若手の精神科医にすぎません。地位や経験年数があるわけでもなく、私なら治せるというような自信もありません。身分的に、私のいる病院にぜひ、とも言える立場でもありません。
私を含めてですが、1人の医師が診ていて改善しない場合、その医師のものの考え方は固まっていってしまいます。岡目八目と言いますが、他の医師の目線があった方が、私の場合は助かることが非常に多いと実感しています。
上手くいかない場合、ご家族もそしてご本人も焦りを感じると思います。精神科というのは曖昧で診断名が二転三転してしまうことも稀ならずあり、診療そのものに不安を抱くことも多いかと思います。
頻繁に医師を変えるのはかえって混乱することもありますが、信頼のおける大きめな病院での意見というのを1つ加えておくことは、悪いことではないと考えています。
私から助言できるとしたら、以上になります。ご期待に添えるものではなかったでしょうが、ご了承ください。
治療がうまく行かれることを祈っております。
m03a076ddot 2013.07.21 10:51 | 編集
管理人用閲覧コメントを下さった方、ありがとうございます。
様々なところへ行かれて、なかなか満足の行くような回答が得られていないのですね。
不安なお気持ち、お察しします。
科学的な根拠、という点ではやはりお近くですと名古屋市立大学や名古屋大学などがあるかと思います。
そして大事なのが、診断のための入院だと考えています(先日差し上げたコメントの「しっかり診てもらう」というのは、この意味でした)。
入院という環境下でしっかりと複数の医師の眼に触れていただくと言うのが、重要になってくるものだと思います。
もし現在通ってらっしゃる病院から他院への紹介ということであれば”入院による精査及び治療”というのを希望されるのが妥当と私は思案しております。
先日のコメントでも申し上げたとおり、残念ながら私は、患者さんを勤務している病院に是非、とは言えない身分です。
精一杯の助言として、前回と今回のコメントをご考慮くださればと存じます。
よろしくお願い申し上げます。
m03a076ddot 2013.07.22 23:50 | 編集
管理人用閲覧コメントを下さったかた、ありがとうございます。
私は大学病院に勤務しているわけではないのですが、愛知県ということを考慮しますと、名古屋市立大学、名古屋大学、藤田保健衛生大学などは優れていると考えております。
仮に満足のいかない結果になっても、まずはしっかりと主治医の先生とお話をされるのがご本人とご家族の利益につながると思います。
診断の確定と有効な治療がなされることを祈っております。
m03a076ddot 2013.07.23 10:13 | 編集
管理人用閲覧コメントを下さったかた、ありがとうございます。
何においてもしっかりとした診断と治療の枠組みだと思います。治療も薬剤は車輪のうち片方で、環境がもう片方を担っています。2つが相まって両輪として機能するものだと考えています。その”環境”というのも、言うは易く行うは難し、ではありますが…。
例えば訪問看護ですとかデイケアですとか、患者さんに無理のない範囲で他者との関わりが出来てくるとご家族にも余裕が出てくるかもしれませんね。
じっと”耐えて待つ”期間が随分と長いでしょうが、それこそが治療になると思いますし、大部を担っていると言えるかもしれません。ただ、ご家族の疲弊が心配です。主治医の先生にもしっかりと相談されて、ご家族だけで抱え込もうとせずにしていただければと思っています。
愛知県は大学病院が複数あり、名古屋大学の他にも藤田保健衛生大学など、治療に真摯なところも多いです。
また私は診ることができませんが、そのお気持ちについては、ありがたく思います。
m03a076ddot 2013.07.25 00:18 | 編集
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