2013
01.25

ボーダーラインの病態や対応

Category: ★精神科生活
 境界性パーソナリティ障害について力動的な病因と生物学的な病因をさらっと見て、実際のアプローチの概観を原田誠一先生の図でお勉強。まずは以前の記事を少しだけ再掲。

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 “ボーダーライン”とか“ぼだ”なんて呼ばれている境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder:BPD)ですが、この“境界”というのは、神経症とも精神病とも言えない、はっきりしないところを指す単語である”境界例”として出現しました。そしてこの言葉を精神医学にしっかりと根付かせたのが、我らがカーンバーグ大先生(Otto Kernberg)です。彼は1967年、パーソナリティ構造を同一性、防衛機制、現実検討能力、対象関係といった視点で分類しました。そこで神経症性と精神病性の境界として存在する“境界パーソナリティ構造(Borderline Personality Organization:BPO)”の精神内界を

“同一性が拡散しており、防衛機制は原始的なもの(分割、投影同一化、否認など)を用い、現実検討能力は部分的には損なわれておらず(心的負荷により一時的に精神病的となる)、特徴的な対象関係を持つもの”

 という風にとらえました。

 まとめると、境界例とは“脆弱な自我がベースにあって、情緒調節と衝動コントロールが困難であり、関係性や自己イメージが不安定となり、通常は保たれている現実検討能力が心的負荷により一時的に損なわれ精神病的になる”という像を示します。

 今のDSMでは“境界例=BPD”とはなっていません。境界例のうち、精神病的な色合いの強いものが統合失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder)に、対人関係の波立ちの強いものがBPDに分割されているように見受けられます。最近は双極性障害の概念拡張と相まって、気分障害との鑑別が話題になるBPDですが、それからも分かるように現在のBPDの考え方は精神病性要素が薄まっている概念と考えられます。
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 こんな感じで書いておりました。

 BPDの有病率は一般人口の1-2%、精神科外来患者さんの10%といわれていますが、これにどのくらいの信憑性があるのかは疑問。双極性障害を広くとる先生は「ボーダーって紹介された患者さんはほとんどが双極性だ」と言いますし、ボーダーを広くとる先生は「双極性障害と過剰に言われている」とも。笠原嘉先生は「うつの治療を不味くすると、容易に境界例を作ってしまう」とも述べられており、神田橋條治先生も「こじれるとすぐ境界例とレッテルを貼ってしまう」「精神分析を受けて自分が分からなくなってしまう患者さんもいる」とおっしゃいます。正確な有病率は分からないですね、正直。。。これが、精神医学が問診に頼らざるを得ない、発展途上な分野だということの傍証かもしれません。自分はBPDと名付けると何か治療において無力感が出てくるので、出来るだけ最初から付けることはしません。しっかり経過を追って、環界との関係性を見るようにします。BPDは1人じゃ成り立たず、必ず相手を必要とします。木村敏先生的に言うと、”あいだ”の病そのものと言えましょう。ただ、BPDも40歳を過ぎてからはその勢いが落ちてくるようなことが分かり始め、以前のような”負け戦”ではない、とのこと。年をとると丸くなる、というのがまさにピッタリ(”香り”はしっかり残る患者さんも多いですが)。妙にいじくらないで、40歳まで何とか自殺されないように適切な距離を取りながら関わって支持していく、というのが現実的なスタンスかもしれません。

 力動的な病因論としては、カーンバーグ先生とマスターソン先生が二大巨頭でしょうか。最近はフォナギー先生も食い込んできている?

 そのカーンバーグは、葛藤モデルの旗手と言えましょう。BPD患者さんはマーラーの言う分離個体化過程に固着があり、神経症水準の患者さんのような精神構造になっていません(エス、自我、超自我になっていない)。そうではなく、欲求充足的なユニット(万能的対象とそれに従う自己、そしてその関係の中に存在する愛情)と欲求挫折的なユニット(敵意に満ちた対象とそれに怒る自己、そしてその中に存在する攻撃性)の2つから出来ており、前者が後者に侵害されない様に分裂させられている、ということらしいですよ。生得的な衝動性とそれに由来する内的対象関係の病理を重視しています(あまり現実の環境に重きを置かない)。

 マスターソンも同様ですが、より環境因を特に前期の彼は重視しておりました。同様に2つのユニットであるRORU(Rewarding Object Relation's part Unit)とWORU(Withdrawing Object Relation's part Unit)の分裂、としています。更に、分離個体化の再接近期に子どもが自律的にふるまおうとすることについて母親が「見捨てるわよ!」という脅迫をしてしまうことで、子どもに”見捨てられ抑うつ”が生じて発達停止に。そして第二の分離個体化期である思春期に病理が花開く、という説明になっています。カーンバーグとは異なり、母親の養育態度を重視しています。

 今回、教授から読むように送られてきた文献があるので、それで生物学的なところを勉強してみます(尾崎紀夫. 境界性パーソナリティ障害の病態理解から共感的対応へ. 精神医学対話. 弘文堂. 東京: 2008; 792-808)。

 BPDの特徴として「感情の不安定性」と「衝動性」が挙げられます。情動には”対象を知覚→知覚内容と記憶の照合→個体の生存に有用化の価値判断→情動表出”という順があります。人間の情動においては、知覚刺激として対人的な状況が、情動の表出として他者の想定がそれぞれ重要であり、これは「対人関係や自己像の問題」といった社会的な部分と不可分の関係にあります。

 情動と社会性とは関連しあっていますが、その役割は扁桃体を中心にした以下の構造が担います(参考文献より)。

情動とCNS
(クリックで少し拡大)

 BPD患者さんは他者の表情から怒りの感情を読み取る傾向が強く「私は悪くないのに皆から責められている」と感じることが多いです。他の人は全然そう思っていなくとも。これには不安や恐怖と言った感情と関連の深い扁桃体が過剰反応していることが分かっており、さらにストレッサーへの短期的/長期的なシステムとしてのHPA系と養育体験との関連も指摘されており、こういったところが脳科学から見た基盤と言われています。

 ここで、フォナギー先生のいう”mentalization(メンタライゼーション)”を引っ張りだしてみましょう。フォナギー先生は、BPDの中核的な欠損は環境的にとりわけ親・子関係によって引き起こされた心理機能(メンタライゼーション)の発達の失敗ととらえています。メンタライゼーションとは『黙示的にも明示的にも、こころの状態や精神的過程の観点から、お互いのこと、そして自分のことを理解するということ』で、これは安定型の愛着によって大いに促進された発達的達成であるとされます。

 養育体験というのは力動的理論からも愛着理論からも重要視されますが、それらと生物学的精神医学とをつなげることができます。先ほど”HPA系と養育体験との関連”と述べましたが、養育体験がHPA系遺伝子にエピジェネティックな変化をもたらすことで、メンタライジング機能の不全・情動の不安定性に関与するのではないか、ということがだんだんと明らかになってきています。エピジェネティクスというのは今大変研究が進んでいる分野。生物学的な追及を進めていったら精神分析を再発見とうのは、何か数奇なもの(良い意味で)を感じます。

 HPA系は様々なストレスによって賦活化され、コルチコステロンが産生されます。ミネラルコルチコイド受容体とグルココルチコイド受容体が脳内の標的ですが、ストレッサーに対してパッと反応するのは前者で、将来的なものに備えて毎度のストレス反応に関する記憶を貯める長期的なシステムが後者とされます。虐待といった養育体験がグルココルチコイド受容体遺伝子などの発現に影響を与え、扁桃体などのストレス応答性の記憶に影響を与え、その結果として対人的なストレス負荷に対し情動的な過剰反応が生じやすい、ということが考えられます。

 今回はメンタライゼーションを持ち出しましたが、これでなくともクライン派の言うことでも結構同じことを言えるんじゃないかと思います。彼ら対象関係論的な言い方をすると、BPDは抑うつポジション(D)から容易に妄想-分裂ポジション(Ps)に移ってしまいます。もちろんこのPs⇔Dというのは健常人でも起こりますが、BPD患者さんはその閾値が異様なまでに低いです。治療者は患者さんから排出されたものをしっかりとコンテインし、患者さんがかかえられる形にして返すということを行うのですが、その作業も患者さんのメンタライジング機能を高めるためと言えましょう(たぶん)。門外漢だからこそのばっさりとした言い方かもしれませんが。。。ACTのフュージョン/脱フュージョンも対象関係論との類似性があるのでは、とちょろっと記事にしましたが、フォナギー先生のMBT(mentalization Based treatment)での中核理論であるメンタライゼーションは、”クライン派のポジション”を愛着を絡めた観点から狭く意味付けしたことのように思えます。ま、こまけぇこたぁいいんだよ!!(AA略)

 さて、対応について認知行動療法の大家である原田誠一先生にお出ましいただきますと。。。先生は以下の図を示しながら説明をしていきます。この図がまた秀逸で秀逸で。すんばらしいですね。自分も患者さんに説明する時に使わせてもらっています。患者さんは「あー、確かにそうですね」という感じで納得してくれますし、こうやって視覚化することは患者さんの抱えているものを外在化する利点があります。患者さん自身は「なんで自分がこうなのか!?周りはなんで自分を攻撃するのか!?」という感じで混乱していることも往々にしてありますから、これを見て「なるほど自分はこういうループにはまっていて、そのベースにこんなのがあるのか」と感じてくれます。これが介入の第一歩としてとても重要。ちなみに原田先生は意図したわけではないとおっしゃっていましたが、この図は結果的にDSMの診断基準も盛り込んだ形になっています。

BPDの悪循環
(クリックで拡大)

•中心となる基本テーマに、(1)自信がない、(2)資質を生かせる活動の場が乏しい、(3)支えになる仲間が少ない、の三つがある。
•基本テーマから「落ち込み」「空しさ」などの感情が生まれ、対人関係の特徴(例えば、傷つきやすさ)につながる。
•日常生活の「行き違い」などで「見捨てられた」などと極端に受け止めて、行動化を起こしてしまいがち。
•行動化が「周囲との軋轢」の増大、患者本人の「後悔」などをもたらし、不安・抑うつ症状や基本テーマが、いっそう悪化する。
•以上をふまえて、「典型的なうつ病との違い」や「精神科での治療の内容や限界」を理解してもらう。
•患者本人の試行錯誤・自助努力で「行動化」を減らし、基本テーマを変えていくことが治療の本質であると伝える。

 もちろんそれをするためには、認証(validation)を行うことが必ず求められます。そのうえで、患者さんも医者も病態や治療に関する共通の認識をしっかりと持っていくことが大事。この相互理解がなければ進んでいきません。短期的にはこの悪循環をターゲットに、長期的には基本のテーマをターゲットにしていきます。

 何にせよ大事なのは”変わらない治療者”だと思います。変わらない曜日で変わらない時間で変わらない態度で、ビオンの言う”もの想い”をしてくれる治療者との関わり。患者さんは時としてハリケーンの様になりますが、それでも(理想的には)大きく揺れない治療者、過去の対象とは異なる大きな容器としての治療者。その変わらないよというところを上手く患者さんが自分のものに出来れば、メンタライズ機能を改善できる、またはより長く抑うつポジションにとどまれて安々と妄想分裂ポジションに移行しない、または扁桃体の活性が健常レベルに近づく、と言えましょう。それが難しいんですけどね。。。
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