2013
01.12

心の生ぶ毛をそっと包む

Category: ★精神科生活
 分裂病、今で言う統合失調症はまだ原因が分かっていない疾患です。現代の脳科学から色々と仮説は出されていますが、それでも決定的なものは出現せず。。。これには統合失調症がその実のところ”統合失調症候群”とも言えるべき括りであることもありましょうし、また本疾患がコントロール失調によるものという考え方があるためと思われます。

 いわゆる器質性精神病というのは脳の粗大な変化によって粗大な結果がもたらされるものと表現できます。それに対応させると、統合失調症は僅かな変化によって大きな結果が出てしまうものと推測されます。よって、器質性の変化があったとしても、それは二次的なものと言えます。脳に限らずシステム一般においては、問題となる中心部分よりも失調は末梢・辺縁部分に出現します。ネオ・ジャクソニズムを唱えたアンリ・エーの器質力動論はこれと同様なものですね。微小な変化が中心部に生じ、それが末梢部で大きな事態となって顔を出すというのが統合失調症であるとも言えます。そういった意味では、最近大きくスポットライトの当たっている前頭葉もそうですが、それとクロストークしている小脳というのも中井久夫先生の仰る通り注目されて良いかもしれません(小脳は大脳のモニタリング機能を有します)。

 さて、そんな統合失調症には人間学的・時間学的なアプローチというものが精神病理学者の中からなされました。今ではこの様な発想はやや斜陽気味ではありますが、人間として患者さんに接するには必要なものと思われます。

 木村敏先生のante festum(アンテ・フェストゥム)は、統合失調症者に典型的に見られる時間性。患者さんは相手と同じ瞬間瞬間を一緒に生きることが苦手と言われます。木村先生の挙げる例では以下のものがあります。

「あのとき東京へ行くべきだったのに、運命を間違えてから、母の意思に従って地元にとどまったから、自分の意志がなくなった」「私は母の前へ前へと行かねばならなかったのに、あの時後ろになってしまったから、それからずっと母が私の体の中へ入ってきて私に命令する」

 これは、メランコリー親和型うつ病者に最も良く見られるpost festum(ポスト・フェストゥム)とどう違うのでしょうか?同じ後悔ではないか?と思うかもしれませんが、ante festumでは過去を振り返って後悔をするわけではありません。過去で未来を先取り間違えたために、今そして未来も誤って続いてしまう、ということになります。

 笠原嘉先生はこのante festumを『取り返しのつかぬ過去を振り返ってする後悔ではなく、”妨げられることなく事物のもとに逗留することの不可能”(ビンスワンガー)によって経験の基盤から切り離されたものが空虚な超越的未来を先取りし、”前夜祭的”なおののきを生きる時間である』と解説しています。

 木村先生は以下のようにも言っています。『統合失調症の人が世界に対して、世界を構成している他者たちに対して「自己が自己である」ことを確保しようとしても、その人と世界あるいは他者との出会いは、最初から、おそらく生来的に問題をはらんでいます。彼は、健常者にとっては想像もつかないような「転機/危機」の状態に、つねに曝されていると言ってよいでしょう。だから統合失調症の人は、つねに事新しく自己になり続けなくてはならないのです。だからそのつどの他者に対して、つねに先手先手で相手の機先を制するように行動する必要があるのです』

 ただし、このfestumはpostがうつ病でanteが統合失調症、という単純なものではありません。笠原先生の解説では、木村先生の言説を一部そのまま取り入れて『人間にとって形成可能な臨床的精神症状のほとんどすべては、この両種の基本構造のいずれのうえにも等しく形成されるものであり、したがって個別的病像のみから、それがante系かpost系かを判断することは、原理的に不可能である。だから病人と人間学的な面接と治療にとって、いわば”人間学的診断”とも言えるような洞察が要請される場面において個々の臨床症状の背後にある存在構造の方向性に向かって深い現象学的直感の目を向けることによって、そのつどの病像がこの両種の基本範疇のいずれに属するものかを明確に区別しなくてはないらない』と述べています。

 もう一人、精神医学の泰斗である中井久夫先生は、統合失調症患者さんの機制を”微分回路的認知”と呼びます。統合失調症に親和的な人は、微かな徴候を読む能力が傑出しているというのです。話は大きくなりますが、中井先生はこのことを人類の歴史から考証しています。普通に考えれば、統合失調症になりやすい人は淘汰されてしまい、残らないのではないか?なぜ今日も世界中に普遍的に存在するのか?

 おそらく、統合失調症は人間にとって必要不可欠な機能が失調を起こしたのではないか。微分的な徴候解読能力は重要な能力です。狩猟の時代であれば、この微かな変化を鋭敏に嗅ぎ取ることで生き延びることができたことでしょう。もちろん、それに長けている方が良いと言えます。子孫を残す相手を獲得するためにも有用でしょう。相手がどう思っているかというのも、微かな変化を見抜くことが求められます。赤ん坊にとって、母親の表情や態度から今甘えても良いかどうか、そういったことにも関与します。

 中井先生は、統合失調症の患者さんは自身が有している微分的認知の能力が社会の要請と上手くかみ合わなかったために、現実認識の失調をきたした人々だと述べています。ごく僅かな変化を先取りしてしまい、それ故にちょっとしたノイズにも大きく振り回されてしまう。『もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前する如く恐怖し憧憬する』こう表現されています。

 以上お話した、木村先生のante festum、中井先生の微分回路的認知。そして笠原先生は統合失調症を”出立の病”と表現していますが、これら3つの語句は共通したものがあると思います。自己を自己たらしめようと、僅かな徴候を捉えて思考を先取りしていく。過去という経験に安住できず生き急ごうとするような、そしてその都度の変化に恐れ怯えてしまう、そんな統合失調症の哀しさを言い表しているのかもしれません。

 統合失調症の発症の多くは青年期です。いきなり幻覚妄想、というわけではなく、じりじりと進む病態。上記の3つの語句を念頭に置いて、少し典型的な経過を見てみたいと思います。この経過について詳しく知りたい方は、クラウス・コンラートの書いた”分裂病のはじまり”という本や、日本人では中井久夫先生の本を是非読んでみてください。

 青年期は進学や恋愛、就職など、”出立”に関する出来事が非常に多い時期です。こういったことは自らの存在について考えるきっかけにもなります。誰しも青年期には哲学的になるものですね。自らの未来に思いを寄せ、無理や焦りを感じる。それが特に”ante festum”や”微分回路的認知”を有する人々にとってどれだけ恐怖や焦燥を掻き立てられるか。人生・存在が左右されかねないと感じるこの状況では、かなりの無理な努力を強いられます。ピーンとずっと張り詰めたこの努力はその人の余裕を失わせます。ゆとりがなくなり常に無いものかに追い立てられるような感覚に入っていきます。空回りに空回りを続け、無理が堆積していきます。

 これがずっと続けば、失調の方向に足を踏み入れることになります。多くの自律神経の乱れが起こり、不眠にもつながります。眠りというのは非常に大事なことで、不眠というのは身体からの警報と考えましょう。ここでしっかり休めれば事態は収束に向かっていくかもしれません。

 無理が積み重なり焦慮となり、そして不眠が解消されずに事態が展開していくと”臨界期”に入ります(中井久夫先生の用語)。一気に失調の方へ崩れていく、そんな時期。不眠は不眠でも超覚醒と呼ばれる状態に入っていき、様々な感覚が鋭くなってきます。その人の体験から”偶然”が消えていき、何らかの危険な意味を持って迫り来ることとなります。それぞれの物事がそれぞれの危険な意味を持ち、それが頭のなかでざわめく。意味にふりまわされ、また別の意味にふりまわされる。傍から見ると支離滅裂な振る舞いとなり、錯乱状態に。これが統合失調症の急性期となります。いかに恐怖に満ち満ちているか。私たちの統合された世界の認識・意味が音を立てて崩れていってしまいます。

 統合失調症の急性期というのは断片的で危険な意味が頭のなかでせめぎあい、患者さんは混乱に翻弄されていく時期です。この危機的状態にどのように対処するか。それが”幻覚”であり”妄想”でもあります。陽性症状というのは、患者さんが現状を何とかしようと奮闘した産物と考えられましょう。どこかでざわめきを安定させなければ、なんとか収拾を付けなければ、その努力の果てが幻覚と妄想。声になってくれれば、頭の中の恐ろしいざわめきではなく外からのものとして意味付けできます。

 人間は何かと意味や原因を求めます。それが陽性症状に向かっていくと考えられます。また、意味と原因を希求せず、それを放棄したり断念したりすることが、陰性症状に向かうと言えます。

 以上が、人間学的な精神病理に基づく統合失調症のとらえ方の一例でした。ゲノムも必要ですが、この様に人間学的な見方をすることで、患者さんのこころに近づけるのではないかと思います。机上ばかりになってしまってはいけませんが。
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コメント
精神を守るシールドのようなものが、病によってはがれてしまった人たちが、治療によってそれを回復し、生き馬の目を抜くような競争社会へ戻っていく、そんなことが本当に可能なのでしょうか。

私も心をおかしくするまでは全く気づかなかったのですが、ぞわっとしたものを感じることが多くなり、特に、男ばかりの所にいるのが限りない苦痛になってしまいました。
女性はどうやって男性の男性ホルモンから、守っているのでしょうか。
ふさdot 2016.05.18 22:12 | 編集
>ふささん

ありがとうございます。
社会復帰ができる人はとても多いです。しかし、前提としてその”社会”も患者さんに理解あるものとなってくれる必要はあるでしょう。
男性ホルモンから守るというのはちょっと自分にはわからないところではありますが、安全なところから徐々に環境に慣れていく手順を踏むのが重要かと思います。
m03a076ddot 2016.05.22 18:13 | 編集
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