2012
07.17

精神科を学ぶって何なんだろう??

Category: ★精神科生活
 精神科を目指す学生さんは、この科をどう見ているんでしょう??そんなことに絡めたのが今日の話題。DSMというのは聞いたことがあるかもしれませんが、それ以外にも大事なことがあります。

 病理学と聞くと、病巣となった臓器の組織を顕微鏡で眺めて病気の成り立ちを探す、、、と想像するかもしれません。その病理学という名前は何と精神科にもあり、”精神病理学”と言われています。恥ずかしながら自分は学生の頃、精神病理学は精神疾患の患者さんの脳組織を見て病態を探るものと思っていた時期がありました。。。シュナイダー先生の”臨床精神病理学”を書店でめくってびっくりした記憶があります。

 異論はあるにせよ、精神科は”心”を診る科という立場です。その心を観察するには顕微鏡というものを用いても詳細は出てきません。精神病理学というのは、患者さんの症状の背後にどんなことがうごめいているのか?もっと言うと、患者さんはどう生きてきて、どう生きるのかというところを探る学問であります。えらいビッグな感じがしますね。

 そんなこんなで、患者さんの生き方を考える精神病理学は、哲学や文学と近しい関係です。ヤスパースさんという先生が精神病理学というものを確固たるものとして打ち立てたのですが、彼は後に純粋な哲学者になってしまいました。他にも哲学チックな精神病理学者は、ミンコフスキーさんやビンスワンガーさん、ブランケンブルクさん、テレンバッハさんなんかがいらっしゃいます(さん付けだと殺されかねない勢いですが)。日本では中井久夫先生の文体が非常に文系を感じさせます。小説家というか文学者ですね、もはや。

 この哲学との親和性が、精神科が他の科と毛色を異にする1つの要因でもあり、他科の先生からは変な目で見られるのもこれが大きいのではないかと個人的に思っています。面白いことに、精神科には”安永浩著作集”とか”木村敏著作集”とか、本当に”著作集”というのがあり、また数十年前の本を読むことだってあります。非常に文学っぽい香りを出していますね。ただ、良いか悪いかは別にして、最近はDSMという操作診断が世界を席巻してしまい、精神病理学の中でも特にこういった人間学的な部分は随分と廃れてしまっています。

 そのDSMが登場する前の精神科は良かったのかというとそうでもなく、難波のあしは伊勢の浜おぎと申しましょうか、お国によって診断の幅が異なるという事態、そして同じ診断名でもその意味することが異なるという事態がありました。同じ患者さんを国籍の異なる10人の精神科医に診せるということが仮にあったとすれば、複数の診断名が付くこともあったでしょう。同じ国籍でも、医者が違えば診断も異なると言うこともありました。また、彼の言う精神分裂病(今で言うなら統合失調症)と自分の言う精神分裂病のイメージが異なると言うことも。。。フランス学派のいう”急性錯乱状態(boufeedelirant)”なんていう概念を例に出してみましょう。ドイツの精神科医にとっては、原発性の妄想気分や妄想知覚のある急性統合失調症や、クライスト先生の言う”挿間もうろう状態”というのが急性錯乱状態の下に一括されているので、なかなかフランスの方の”急性錯乱状態(boufeedelirant)”は理解できない部分があったでしょう。反対に、ドイツのいう統合失調症の”自閉”という概念はフランスの精神科にとっては理解しにくいものでした(ブロイラー先生の統合失調症という概念は、ミンコフスキーさんがしっかりと紹介するまでは全くフランスに受け入れられるものではありませんでした)。人間学的な部分まで入り込まずとも、これまでのいわゆる従来診断というのは”ローカルな印象”と”ローカルな口伝”的な部分が強かったと言わざるを得ません。

 「何やってんの精神科…」そう思われるでしょうが、それほどまでに診断が難しいというのも事実です。症状は患者さんの持つ根っこの部分を間接的に表すに過ぎず、疾患特異性が乏しいため、その背後まで見通さねば正式な診断は出来ないのであります。幻聴妄想があるから統合失調症!なんてことは口が裂けても言えません。そんな事態ですと、もちろん論文も困ります。急性躁状態の患者さん200人を集めてこれこれこういう研究をしました、といっても診断の地域色が濃いので、本当に真の急性躁状態かは不明です。

 「こんなんじゃいけませんよ、きちんと国際的に通用する診断基準を作りましょう」として出てきたのがDSMです。「病前性格とか色々あるけど、そういう病因論を追求するようなことは棚上げして、患者さんの持っている症状をほぼ横断的に拾い上げてチェックリスト形式にして診断しましょう。これなら異なる医者でも診断は一致しやすくなるでしょう。統計取りや研究もしやすくなるでしょう」。このDSMはあっという間に拡がり、精神病理学を今や駆逐せんばかりの勢い。しかし、このDSMにも落とし穴があります。

 DSMは患者さんの症状にのみ注目し、これこれの症状が揃ったらこの疾患、と定義します。しかし、この症状は前述のように疾患非特異的。診断技法的には、非常に前時代的とも言えます。他の科であれば症状の他に検査、それも病理組織が取れるものならそれによって診断が確定します。しかし精神科、特にDSM導入後は症状のみで診断を付けています。これは診断ではなくその時の”判断”とも評されてしまいましょう。確かに精神科は検査がありません。しかし以前は症状以外に病因を突き詰めて考える傾向があり、それが検査のない部分を補佐しようとしていたのかもしれません。ただ、色々な人が色々なことを言って整合性が取れていませんでした。

 更に、DSMで定義された疾患は”症候群”的な意味合いが非常に強いと言えます。いにしえより盛んに分類されていた疾患を1つのグループにまとめ上げているため、本来なら異なる(と思われる)疾患群が消失しています。なので、盛んに行われているゲノムやバイオマーカーの研究も”DSMでこれこれと名がついた疾患”を根拠に行っていますが、この”DSMによる疾患名”というのは単一の疾患には本来的になっていないという、最初からのつまづきがある、ということは銘記しておかねばなりません。

 例えば、DSMによって”統合失調症”とされた疾患は”症候群”なのです。先達が築き上げた細かな分類を棚上げにしているので、色んな疾患がこの”統合失調症”に含まれております。”大うつ病性障害”もそうです。コテコテの”内因性うつ病”もあれば、”新型うつ””退却神経症”などと言われているものもとりあえず全部入れています。ゲノム研究では、この疾患の原因遺伝子を見つけた!という報告が相次いでいますが、決定的なものは見つかっていません。現在の疾患名が単一の疾患ではなく症候群であるため、様々な遺伝子が出てくるのは当然。しかも非特異的な遺伝子異常もありましょうから、なかなか難しい。

 確かに精神科の診断というのはDSMですっきりしたことはしたんですが、上述の他、細かい所での薬剤の効果なんかも臨床試験で反映されなくなっております。例えばカルバマゼピン(テグレトール®)は双極性障害に抜群の効果はないんじゃないかと言われています。しかし、満田久敏先生の提唱された”非定型精神病”、これはDSMにはありませんが、においては奏功することが多々あります(非定型精神病も症候群と考えるべきものですが)。

 この非定型精神病は何も日本独自のものではなく、ヨーロッパでも同じ様なことが言われています。代表格はレオンハルトさんでしょうか。ただ”てんかん”を含めたのは満田先生の炯眼と言えましょう。躁うつ病、統合失調症、てんかん。この3者の中間的な立ち位置として非定型精神病というものを満田先生は挙げられました。DSMにより消されてしまいましたが、明らかに中核的な統合失調症とは別の疾患。敢えてDSMで言うなら失調感情障害になるでしょうが、それともちょっと微妙に違うのでございます。

 更にDSMについて言うと、それは世界を支配したものの、用いる精神科医はDSMに忠実に従っているわけではないのであります。本当にDSM的に行うならば、SCID(Structured Clinical Interviews for DSM-IV)というものを全て1人の患者さんに行うべきでしょう。現在の精神科医は患者さんから横断的に話を聞いて、何となく「ここら辺の疾患かしら」とアタリを付けて、そこにあるDSMの疾患の診断基準に当てはめるということが多いと思います。大体はそれでもとりあえずの診断は上手く行きますが、たまにポカをやらかし、だからこそ双極性障害を大うつ病性障害と誤診することがあるのです(最近は双極性障害の過剰診断も言われていますが)。統合失調症を強迫性障害と間違うことだってあります。DSMもポケットに入る通称『mini-D』と言われるマニュアルがありますが、あれは「経験を積んだ医師が使うものですよ」と言う但し書きが付いています。初心者がアレを見て当てはめて診断をするなんてことのために作られてはいません。DSMの悪さが盛んに言われていますが、DSMの編者たちもきちんと「生活史とかを無視して診療するのはいけません」と言ってます。それをやったうえで、診断と統計のためのマニュアルとして使用するなら優れたもの。

 従来診断とDSMがごちゃごちゃになってしまい、中途半端になっているという問題があるのでございます。生活史などの病因をたどることもせず、深い探求をないがしろにして今の症状だけ眺めて、そこに該当するであろうDSMの項目をチェックする。しかも症状なんてのは誘導尋問すれば”Yes”と出てくるものもありますし、医師側の過剰な解釈により症状を大きくとらえてしまうことだってあります。従来診断の良さも失い、DSMの良さも失っている。こんなことでは、精神科そのものが衰退しかねません。現在の精神科はそこで藻掻き苦しんでおります。

 それを憂えているのが、やはり精神病理学者です。DSMが出てきたのは確かに必然性があったでしょう。それは恐らくほとんどの精神科医は納得し反省しているはずです。でももう少しきちんと症状以外の面も見ようではないか。木村敏先生の言葉を借りるならば”症状論的エポケー”の態度を持とうではないかということです。症状を軽視するわけではありません。まずは分かっている症状を横に置いておいて、その人の根源的な部分を見ようではないかということです。治療においても統合失調症は”出立の病”であり、うつ病は”合体の病”であることを忘れてはいけません。それになぞらえて治療をする。統合失調症患者さんに積極的な交流を促して、いわゆる健常人と全く同じようなコミュニティ参加をさせることが治療であり回復だと考えてはいけません。彼らの特性を踏まえて、やわらかに治療に持っていくことが肝要です。

 奥底をしっかりと観察していこうとするその姿勢が、ひいては患者さんとの日々の診察にも反映されてくるでしょう。ここには精神分析的な視線も必要になり、現在の患者さんと面接者の2者関係がどの様にして起こるのか、治療を進めるにはどうしたらいいのか、という考えの下敷きになります。お薬を出してハイお仕舞い、というのではなかなか難しい部分もやはりあります。

 なので、精神科医であるならば精神病理学や精神分析の知識は必須ではないかと思っています。特に私たちは日本語を母国語としているので、先述の木村敏先生や中井久夫先生、そして笠原嘉先生といった精神病理学の大家や土居健郎先生、松木邦裕先生といった精神分析のお歴々など、彼らを”原著で読める”というのはすばらしいことだと思います。

 ただ、それらだけにはまり込んでもいけないでしょう。きちんと現在の主流となっている生物学的な基盤を持ち、その上でこれらを学ぶ。複数のものの見方を中途半端ではなくしっかりと自分の中にインストールしなければなりません。言うは易く行うは難し、であることは重々承知しておりますが。

 DSMが出て以来、精神科はチェックリストで簡単じゃないかと思われている部分があるでしょうし、精神科医の中にもその様な考えの医者がいるでしょう。しかし、そんな生易しいものではないと思います(ここはDSMの本にもしっかり注意点として書かれています)。しっかり勉強しようとすれば時間がいくらあっても足りずに苦しむのが精神科であり、またそうしなければならないのでしょう。自分は精神病理学では木村敏先生、精神分析ではビオンの考えを分かりやすく教えてくれる松木邦裕先生の本を良く読んでいます。ただ、人間学的な部分にはまり込み過ぎると哲学の方へ飛んでいってしまいますし、分析の方に傾倒して盲目になってしまうとそれはそれで文学的になりすぎるので、精神科医になりたての頃に深入りするのは注意が必要かもしれません。自分も本の虫になりそうですが、机上のものでは決してあってはいけないと自戒してます。

 ちなみに、精神病理と生物学的な考え方の両者がほどよくブレンドされているのが、アンリ・エー(Henri Ey)だと思ってます。神経心理学にウェイトを置いた精神病理学を展開したエーさんの器質力動論は、精神疾患のとらえ方を納得させてくれます。あんだけ推してた木村敏じゃないのかよ!と思うかもしれませんが、木村敏先生の仰るIntra festumはエーさんの意識野の解体に重なる所がありますし、ante festumという機制は人格の解体に近いんじゃなかろうかと密かに思っています。更に言うと”器質-臨床的隔たり”という考え方をエーさんは持っていましたが、その隔たりの部分に精神病理学の要素が詰まっている気もします。

 ということで、精神科を目指そうとしてくれている学生さんは、今はまだ突っ込んだ勉強は必要ないと思いますが、精神科医になった暁には是非”古典”と言われる様な本を読んでみることをお薦めします。でも最初はDSM(2013年に最新のDSM-5が出ます)と適切な薬剤使用を学ぶ方が速やかに臨床に反映出来ると思うので、そっちを優先してその合間に病理とか分析とか。

 精神科医への世間の風当たりは非常に強いです。”精神科医はクズだ!”とか”製薬会社とグルになって患者を薬漬けにして儲けている!”という非難は雨あられの状態。その様な声を上げる人々を”何言ってんだこいつら…”と相手にしないのではいけません。火のないところに煙は立たないと言う格言の通り、なぜこんな声が出てきたのかという背景を、我々精神科医はしっかりと見つめなければならないのでしょう。

 精神科医になりたいという学生、研修医の人々も一定数いるとは思いますが、なるなら気合いが必要。患者さんの人生に深く関わるのが精神科。それを軽く考えて自分のQOLだけ重視して精神科になるという心づもりならば、世間からの非難は消えないでしょう。もちろんこれは我々精神科医への警鐘でもあります。楽だから精神科医になる、という理由でも構いませんが、精神科医になるのなら、他人の人生に触れ続ける仕事であるということを自分自身に刻みましょう。その覚悟を持ち続けていることが求められます。
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コメント
精神科を目指してる5年生です!
いつも勉強になって、ためになります。
僕は精神科に漠然となりたいと思っていて、先生みたいに精神病理学を大学でやる病理学かと思ってました(笑)
DSMと以前の違いが分かったような気になったし、精神科は今後どうなっていくんだろうって考えちゃいました。
勉強して色んな視点を持ちたいと思います!
精神科志望dot 2012.07.19 14:25 | 編集
>精神科志望さん 
コメントありがとうございます。
精神科の醍醐味は、文系チックなところもありコテコテの理系なところもあり、両方があるという点でしょうか。
特に最近は脳科学が全盛ですし、しばらくはその勢いに昔ながらの精神科的思考は影を潜めることになりそうです。
それが悪いとは決して思いませんし、どんどん科学的な目線は必要とされなければならないと考えています。でも、だからといって以前の病理学的な部分や分析の知識は排斥されるものではなく、きちんとその視点も持たねばならないものだと思います。どっちに傾きすぎてもバランスが悪いような感じです。
精神科は勉強しようと思えば底が見えてこないため、苦労はするかもしれません。でも可視化できない心を考えるんですから、努力は大事かなと思います。
がんばって下さい。
m03a076ddot 2012.07.21 18:59 | 編集
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