2012
05.26

うつと境界例のあいだ???

Category: ★精神科生活
 “ボーダーライン”とか“ぼだ”なんて呼ばれている境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder:BPD)ですが、この“境界”というのは、神経症とも精神病とも言えない、はっきりしないところを指す単語である”境界例”として出現しました。そしてこの言葉を精神医学にしっかりと根付かせたのが、我らがカーンバーグ大先生(Otto Kernberg)です。彼は1967年、パーソナリティ構造を同一性、防衛機制、現実検討能力、対象関係といった視点で分類しました。そこで神経症性と精神病性の境界として存在する“境界パーソナリティ構造(Borderline Personality Organization:BPO)”の精神内界を

“同一性が拡散しており、防衛機制は原始的なもの(分割、投影同一化、否認など)を用い、現実検討能力は部分的には損なわれておらず(心的負荷により一時的に精神病的となる)、特徴的な対象関係を持つもの”

という風にとらえました。

 まとめると、境界例とは“脆弱な自我がベースにあって、情緒調節と衝動コントロールが困難であり、関係性や自己イメージが不安定となり、通常は保たれている現実検討能力が心的負荷により一時的に損なわれ精神病的になる”という像を示します。

 今のDSMでは“境界例=BPD”とはなっていません。境界例のうち、精神病的な色合いの強いものが統合失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder)に、対人関係の波立ちの強いものがBPDに分割されているように見受けられます。最近は双極性障害の概念拡張と相まって、気分障害との鑑別が話題になるBPDですが、それからも分かるように現在のBPDの考え方は精神病性要素が薄まっている概念と考えられます。

 最近は、特に気分障害ともBPDとも付かないような患者さんが増えてきた印象があります。色々なタイプがありますが、経験が多いのはずーっと抑うつ気分、それも主体的な自己感の欠如と考えられるような、大きく言うと人間存在の本質的なところ、そこに関わるような問題を抱えた若い人。内因性うつ病とは何とも言い難い、それでは片付けられないような“空っぽな自分、自信のない自分”をもった患者さんが増えてきたなという印象です。加えてリストカットしたり過量服薬したりという行動化も多くて、でもその自分を傷付ける行為も“生きていることを実感するため”“スッとしたいから”というものもありますが、その他に“自分が悪いから、自分を罰するため”と考えて行うことも。対人関係もBPDの様な荒れたものではなく大人しめで、失敗しても受け入れる。分割や投影を行わないのが何ともBPDらしくないんです。外来で話をしても手ごたえを感じず、返ってくるものがなく、自己の密度が低いというか、自己が霧散しているというか。。。加えると “友達といる時はそれ用の人格を出す。私はその人格を○○ちゃんって言うんだけど”とかを平気で言っちゃうので“??”と思ってしまいますね(こういうのは多重人格ではありません)。成人の発達障害ではタッチパネル様の思考をするというのがありますが、そんな発達に問題もないし、困ったら何でも発達障害と言う様な風潮もおかしいですし。


うーん。。。


 ここから広く話を展開するならば、ポストモダンにおける“大きな物語”の喪失につながり、それにより纏め上げられていた自己が拡散してしまうと言う様な若者論につなげることもできるんでしょうが、そんな大きなことを言う技量も自分にはなく。

 ここのところはDSMで拾いきれない患者さんが多いな、、、と感じています。もちろん従来診断でもこのような微妙なラインの患者さんは難しい。Soft Bipolarや解離概念の拡張なんてのは、そういう時代について行く為に産み出されたものなのかもしれませんね。
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