2008
04.12

桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。

 『願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ』と遺したのは西行さん。西行法師は桜を愛してやまない風流人でしたが、日本人なら誰しもこの時期は優しい気持ちになれるのではないでしょうか。風景を染めゆく桜色、それは春の訪れを縁取っているようにも思えます。しかし、世の中には様々な感性の人がいるものです。

 桜は、謎めき生き生きとした美しさを湛えます。眼に映るその姿は生命の躍動を具現化したかの如き光景。それに疑問を持ち、不安·憂鬱·空虚な気持ちになる。考えたその果て、辿り着いた結論は。


お前、この爛漫と咲き乱れ散る桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像して見るがいい。


 こんな突飛な思考回路を有している人とは、繊細な感覚とゴツい顔貌との絶妙なミスマッチで世に名を馳せる君子「梶井基次郎」です。檸檬型爆弾を創り丸善を爆破しようとしたことで有名なテロリストですが、桜に対しても普通と違うのはサスガです。彼によると、屍体からたれてくる水晶のような液が桜に吸いあげられることでその美しさを供給している、ということらしいです。なんじゃそれ。

 近代科学が発達して以来、人間は何事にも合理的な因を求め、そしてそれに合点がゆくと安心できる。そんな存在になりました。こと不安感に関してはそれが甚だしい。梶井基次郎も例外ではなかったという点では安心できますが、しかしその理由がぶっとんでますよね。。。「無意識の中に抑圧されていたものを自分で理解することで、強迫観念から解放されるんですよ」とおっしゃるおエラ方もいます。ということは、梶井も完全なまでの桜の美しさに依るどうしようもない不安感の解決方法を自分で見つけ、「あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が飲めそうな気がする」と安心できた、ということなのかもしれませんが、何でそんな明後日の方向な解決策…と呆然とします。タダモンじゃないわね、梶井先輩!

 ですが、この「桜の樹の下には」という作品、ただ桜のぶっとび感を出すのが目的ではなく、梶井自身の生の期限と関わっていると言われています。彼は結核でしたから、日々衰弱していき、死がちらつくような生活でした。それに対して、桜は生命の輝きというものを見せ付ける様に咲き乱れる。桜の持つ生を見ながら死に近づく自分を認識していたのでしょう。桜を見て、それに死を重ね合わせた。そして、死の上に生が成り立つために「屍体が埋まっている」と考えたのかな?と想像できます。決して生と死は対立するものではない、とも思えます。

 作者に死期が迫っているということは、その作品(全てではなく一部でも)にそれが反映されていても可笑しくは無い。「桜の樹の下には」に挿入された薄羽かげろうの話もその象徴と捕らえることができそうです。

 以上の様な背景を見ると、屍体が埋まっていると想像したのも頷け、、、るかな?

 新潟にいるからには坂口安吾の「桜の森の満開の下」を挙げるべきかもしれませんが、やはり自分は梶井基次郎になってしまいます。読んでみると透明感があり、美しい文章。そしてなかなか理解できない内容。このdiscrepancyが梶井フリークを生み出しているのかしら。。。



 さて、なぜそのような話をしたかと言いますと、実はお花見をしてきたからなんです。

 春です。そして1年に長く見ることの出来ないせっかくの桜です。ということで、4月8日放課後の時分、白山公園の空中庭園へお散歩に行き、桜を眺めてきました。空中庭園とは言いますが名前ほど大それたものではありません。でも、特にこの時期においては、清々しい空気の流れる落ち着いた所ではあると思います。

 以下、画像を↓







 屍体は埋まってないことを祈ります(埋まってたら吉野山なんてどんなことに)。。。表面上だけで浅はかな感想と言われようとも「桜って綺麗だねぇ」で済ませたいものです。

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