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2019
10.28

アカン意見でした。

 2019年10月31日から11月2日までは、日本てんかん学会学術集会に行ってきます。開催場所は、何もない事で有名な神戸ポートアイランド!(失礼) 十二分に勉強してきますよ。

 さて、「学会ってどうなの?」という記事を昔に書いたのですが、ちょっと前に「自分の完全上位互換が至るところにいるというのが実感できて、いい意味で反省できる」という効能に気づきました。

 個人プレーでやっていると、自分の診療を外から眺めるということがなくなってしまうので、完全上位互換の先生のお話を聞くと「もっと勉強しないと…!」と思うことができます。

 そして今回さらに反省する点としては、やっぱり学会は新しい情報を比較的簡単に入手できる、という利点があるということ。

 自分は田舎の精神科病院に勤務していますが大学の客員研究者という立場で、大学が契約している論文雑誌にフリーでアクセスできます、あくまでも今のところですけど。これって実は非常に恵まれている立場なのですが、ずっと大学に片足を突っ込んでいた自分はあまり気づかなかったのです…。

 そろそろ客員研究者も終わって精神科病院一本になる(だろう)ことを考えると、入手できる情報が極端に少なくなることが容易に予想されます。それを考慮すると、学会は新しい情報を手っ取り早く入手できる最適な機会でもある、と言えます。

 もちろん、学会で勉強と言っても演者の先生の眼で見た情報を学ぶわけなので、取捨選択されています。それが良い面でもあり悪い面でもあるでしょう。そこは鵜呑みに出来ないのですが、気を付けて吟味をしていけば、決して無駄ではないはず。

 という結論に至りました。去年と一昨年のてんかん学会でたくさんの講演を聞いて理解も深まりましたし、特に苦手分野って自分だけだとついおろそかになってしまうので、学会に行くことでセルフ強制という状態に持っていくというのもアリ。また、自分は専門医ではないのでポイントを気にすることなく、完全に趣味の世界に入れます。いや、専門医の資格を取れ取れというプレッシャーはあるのですが、めんどくささが勝ってしまって…。

 ということで、10月31日からの3日間は神戸で勉強してきます。
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2019
10.23

アカンやつやった

 諸事情があり見学した会社(転職するわけではありません)。色々と委員会に出席したあとで


「ここから製品のデモがあるので隣の部屋に」


 と言われて、ぞろぞろと。「そんなのがあるなんて聞かされていなかったぞ?」と思いながら着席したら、そのデモをする製品とやらが




水 素 水




 いまさら! しかも! 医者の前で! 水素水!

 いい度胸してるなぁ…。でもデモ担当の人はここに医者が混じっているとは知らないんだろうなぁ。。。

 色々と効果を謳っていましたが、明確なデータは出てこない。パンフレットには「個人の感想」というのが小さく出ている。勉強(?)になったのは、視覚に訴えるというところでしょうか。色々理屈をこねても、目の前でイリュージョンが繰り広げられたらやっぱり人は驚くもの。そのデモでは抗酸化作用を示すためにコップにイソジンを入れて水素水を加えたらアラ不思議…なことをやって社員さんは「お~」とびっくりしていました。水素水を飲めばこの抗酸化作用が身体をキレイにします!と担当者さんは熱弁。

 ただ、目の前で起こっていることが本当に私たちの体内でも起こるのか、ということには注意が必要。動物実験ですら人体での再現性が乏しいのに、いわんやコップの中の出来事をや、です。そこは冷静に。

 デモが終わって質問タイムがあったため、社員のみなさんがこれに惹かれて買ってしまってはフェアではないと思い、意見を2点しました。

・謳う効果はどのような臨床試験に基づいてなされたのか?
・コップの中の出来事が人体でも起こるというデータはあるのか?

 担当者さんは残念ながらそれらに答えることができず(そりゃそうだろうなぁとは思いましたが)。自分としては、販売を阻止できたかもしれない?のでセーフな気持ちでした。

 ただ、なんでいきなりそんなデモが行なわれたのでしょうか。事務のかたに聞いてみたところ




お得意様



 だったそう…。あれ、自分って、お得意様に対してちょっと大人げなかったことをしたのでは…? 大丈夫???

 前もって言ってほしかったかなぁ…。言ってくれれば意地悪な質問なんてしなかったんだけどなぁ…。

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2019
10.20

神経梅毒について

 NEJMに神経梅毒のレビューが出ていました。精神科領域でもまだまだ精神症状の鑑別疾患に挙げられており、最近は日本でも感染者が増加しています。自分は「これは精神疾患ぽくないぞ」と思って梅毒検査をしたら見事陽性になった患者さんを覚えています。病歴からは心因とも言えそうだったのですが、症状そのものがどことなく「何か変だな…」という、言葉にしづらい違和感がありました。深刻味がないというか、悩みが強くないというか、どことなく他人事のような感じだったのです。心因であればもっと患者さん自身が強く悩むはずのことなのに、どこか感心が薄くて、とても奇妙でした。それが「器質っぽいなぁ」と思ったきっかけ。もちろん全員がそうではないのでしょうけれども、その患者さんのことが記憶に残っています。

 このレビューについて、全文の訳ではなくまとめとして以下に。

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Neurosyphilis. N Engl J Med. 2019 Oct 3;381(14):1358-1363. PMID: 31577877

●はじめに
 1期や2期の梅毒は2000年以降のアメリカで毎年増加傾向にあり、2017年は100000人中9.5人の割合となりました。神経梅毒は200年にわたって神経内科と精神科の分野で問題となる疾患でした。ただし、現代では数が少ないため、見過ごされる傾向にあります。神経梅毒はペニシリンが導入される前の時代と比較すれば稀ですが、臨床的に梅毒と診断される状態、もしくは眼科病変のある状態の患者さんの3.5%には、CSFの検査では神経梅毒が見られるとされます。また、初期梅毒の半数はHIVにも感染しており、その共感染の患者さんでは神経梅毒が2倍ほど多いとも言われます。

●症状など
 神経梅毒による症状と、1期~3期との関連については図1に示されています。最初の感染後数日以内に、トレポネーマは神経系に入り込み、神経梅毒は無症候性か症候性か、そして初期(最初の感染から1~2年後)か晩期に分類されます。晩期には進行麻痺や脊髄癆が含まれます。

図1

 神経梅毒に関する情報はペニシリン導入前に多くが語られています。ただし、HIVの共感染がある場合は神経学的な特徴がより早く出現する可能性があるということが、1990年前後から指摘されてきています。
 初期の神経梅毒はたいてい無症候性髄膜炎であり、CSF中の細胞反応のみです。しかし、頭痛、髄膜症、脳神経の麻痺、失明や難聴といった症状を認める場合もあります。南アフリカで行われた試験では、無菌性髄膜炎と診断された患者さんの3.3%は梅毒によるものでした。髄膜血管型梅毒は中枢神経系における小~中サイズの動脈の炎症がある髄膜炎であり、脳卒中や様々なタイプのミエロパシーを起こします。髄膜血管型梅毒はたいてい初期から晩期に一時的に出現し、典型的には最初の感染から1~10年で起こります。
 晩期の症候性神経梅毒は最初の感染から数十年で進展しますが、ペニシリン導入前は10~20%に見られていました。典型的なものは進行麻痺と脊髄癆です。両者ともスピロヘータの侵入に対する慢性的な反応と神経組織の破壊によるものであり、髄膜血管病変のために生じる脳梗塞も認めることがあります(表1)。

表1

 進行麻痺は狂気の概念を変えました。それは種々の精神疾患と同様の症状をもたらす構造的な脳の障害だったのです。誇大妄想を伴い、前頭葉と側頭葉が障害される認知症なのです。言葉も途絶や反復のパターンとなります。治療されずにいた場合、精神と身体の統制が取れなくなり、けいれんをよく伴います。現代では、進行麻痺は精神病状態、抑うつ状態、人格変化、特異的な徴候なく進展する認知症が特徴であり、時折華々しい妄想を伴います。
 脊髄癆はRomberg徴候を伴う歩行性の運動失調が特徴であり、ほとんどの場合、Argyll Robertson pupilsを伴います。歩行はstamp and stickと言われ、その音とリズムが特徴でしたが、今では糖尿病性ニューロパシーや多発性硬化症で見られることがより多くなっています。Charcot関節についても同様です。腹部や四肢の刺すような痛みは緊急手術を要する疾患と間違われます。原因は不明ですが、脊髄癆は進行麻痺よりも珍しいものとなってきています。

●診断は?
 診断は、血清やCSFの血清学的検査やCSF中の白血球数や蛋白の上昇によります。しかし、これらは不完全であり、ベンチマークとなりません。神経梅毒に対する血清学的検査はVDRLやRPRやトレポネーマ抗原を用いたFTA-ABSなどがあります。神経梅毒はたいていCSFの細胞数増加を伴い、これは数十年で減少していきます(表1)。そして、蛋白の軽度な上昇も認めます。HIV関連性髄膜炎の存在のため、細胞数増加はHIV感染のない患者さんよりもある患者さん、中でもHIV治療を受けていない患者さんや末梢血CD4+T細胞が多い患者さんでは特異度が低くなります。
 血清のVDRLやRPRは2期を過ぎてもほぼ全ての患者さんで陽性となりますが、晩期の神経梅毒では陰性になり、特に治療後では顕著です。CSFのVDRLは神経梅毒に特異的ですが、感度は30~70%しかありません。CSFのRPRは偽陰性がやや高くなります。神経梅毒を疑うような症状があるにもかかわらずCSFのVDRLが陰性であれば、CSF中のトレポネーマ抗原を用いた検査をすべきでしょう。諸検査の感度や特異度は表2に示されています。血清やCSF中のトレポネーマ抗原を用いた検査は未治療の場合は終生陽性となります。しかし、CSFの検査は合併症のない梅毒を治療した後、最大15%の患者さんで年余にわたり陰性となります。CSFのFTA-ABSは、血液のコンタミで赤血球が1000/mm3を超えていれば偽陽性となることがあります。

表2

 臨床的には、症候性の神経梅毒の診断は血清FTA-ABSが陽性(既感染を示唆)かつCSFのVDRLが陽性(神経梅毒を示唆)をもってなされます。CSFのトレポネーマ抗原を用いた検査が陰性であれば、無症候性の神経梅毒を除外でき、症候性の可能性も押し下げます。しかし、特に神経梅毒に一致するような症状がある場合には、決定打とはなりません。アメリカでは神経梅毒を含めた梅毒感染者に対してはHIV感染の検査が勧められています。

●CSF検査について
 血清中の検査が陽性であり神経梅毒に一致するような症状がある場合、CSFの検査が推奨されます。CSF中の白血球数を追うことで治療の妥当性がわかり、細胞数増加が6ヶ月以内に抑えられない場合、また治療後2年で駆逐できなければ、再治療が示唆されます。ある研究では、血清RPR力価が4倍にまで低下するか、または陰性になった場合、CSFの再検査は不要と指摘されています。しかし、私たちは細胞数が駆逐されるまでCSFの検査を行なっています。神経学的に無症候性の神経梅毒患者さんでHIVの共感染がある場合においても、十分な治療を行なった後に繰り返しCSFの検査を行うことの有用性は不明です。認知症に対し梅毒のCSF検査をルーチンで行なうことは勧められていませんが、HIB感染など梅毒のリスクがあれば、検査は適切かもしれません。

●治療
 過去50年で進行麻痺が稀になってきており、これは初期の梅毒治療が神経梅毒への進展を防いでいることを示しています。ペニシリンの非経口投与は神経梅毒のすべての病態に有効です。アメリカ、イギリス、EUのガイドラインは若干異なっています(表3)。歴史的な経験から、ペニシリンは晩期神経梅毒を改善させはしないけれどもその進展を食い止めるであろうことが分かっています。

表3

 ペニシリンアレルギーの場合は、皮内テストと脱感作が推奨されます。エビデンスは限られていますが、セフトリアキソン、テトラサイクリン、ドキシサイクリンが神経梅毒の治療に有効です。しかし、ペニシリンが強く推奨されます。

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ということでした。今回のレビューは簡潔にまとまっていると思います。多彩な症状を呈し、あのオスラーをして「the great imitator」「He who knows syphilis, knows medicine.」と言わしめた梅毒。疑わなければ診断できない疾患の代表格とも言えるでしょう。個人的に、このレビューにはもう少し精神症状に突っ込んだところが欲しかったのですが、それは精神科医だからですね…。
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2019
10.13

遠慮による過大評価?

 慢性疼痛の患者さんで、他院に紹介して認知行動療法(CBT)を受けてもらった人がいます。その人曰く「私には合わなかったかなぁ」と。小グループで行なうタイプのCBTで、同じグループにはその治療法が合う人もいたようです。

 薬剤治療も例外ではありません。どんな治療法も合う合わないってどうしてもありますね…。そして、その患者さんから聞いたのですが



「カウンセリングの先生(ここではCBTの施行者)が頑張ってるから、良くなってないって言いにくかった」



 とのこと。あ~、なるほど。それはあるかもしれないなぁ…。いわゆる忖度ってやつでしょうか。そこで、他にもCBTを受けてもらっている患者さんにちょっと聞いてみたのですが、「やっぱり言いにくい」というお返事。施行者と評価者は別々になっている病院で受けてもらっている患者さんもいますが、そこでも「先生の悪口を言っているみたいで、やっぱり効かなかったって言えません」というお返事でした(CBTを否定しているわけでは決してありませんので誤解なきよう!)。

 これはCBTに限ったことではなく、私たちの普段の臨床でもそうですよね。医者が一生懸命やっている(ように見える)ので、この薬剤が効かなかったと言えず、「ちょっと良い感じです」と答えることも十分にありえます。で、医者は「やっぱりこの薬は効くなぁ」と思い込んでしまう。患者さんが素直に言えない環境にしてしまっていないか?というのは考えねばなりません。

 ただ、臨床試験でそれがあってはマズイ。そこで行われるのが二重盲検です。2つの治療法のうち、患者さんも治療者も(評価者も)どっちで行なっているか分からないようにするというもの。

 薬剤治療では、実薬による治療と、それと色も形も同じであるプラセボによる治療を準備できるため、二重盲検にすれば患者さんも治療者もどれが実薬でどれがプラセボか分かりません。かつ評価者を中央で行えば完璧。漢方薬は、色や形の他にニオイを似せなければならないみたいで、大変だそうです。特に漢方薬はプラセボ効果が出やすいので、実薬のみの試験はあまり参考にならないことが多くて多くて…。まぁ、プラセボ効果も含めての臨床ではありますが。

 いっぽう、CBTを始めとした心理療法では二重盲検というわけにはいかない。”通常治療群 対 CBT”になるのです。患者さんがどちらを受けているかは一目瞭然であり、それは治療者もそうです。これは当たり前ですよね。そこで、その治療の効果がどんなものかを確かめるための評価者を別の人にすること、つまりはPROBE法を採用することで余計な肩入れを少なくするのですが、通常治療とCBTのどちらを受けているか患者さん自身が分かっているので(ここが薬剤治療で可能な厳密な二重盲検と異なる)、全員とは言わないまでも相当数が気を遣って”ちょっと上乗せして答えてしまう”ことも考えられます(ここは実体験からの憶測です)。やはり別の人に対してであっても、治療者のことを悪く言う(効果がなかったと言う)のははばかられる。特に心理療法は1回に50分くらいかけるので、やはりその時間で「一生懸命やっているしなぁ」という気遣いが生まれやすい(繰り返しですが、CBTを否定しているわけではないですよ!)。かつ、精神疾患の評価項目は検査値や画像ではないので、患者さんと治療者の主観がどうしても入ります。このような項目はPROBE法に向かないですね。

 心理療法の試験ってとても難しいと思います。薬剤と違って完全なプラセボを生み出せないのですから。しかも新しい治療法だと相当な期待もあるため、効果をより感じてしまう、かつ効果がなかったと言いにくくなる、ということもあります。薬剤も新薬ってすごく”効く”のですが、時がたつにつれて”新薬”というレッテルが剥がされていくと、その効果(プラセボ効果)は弱くなります。心理療法に関しては「薬を使わない方法がある!?」や「テレビで紹介されていた!」や「精神科は話を聞かないけどこれは50分も!?」という期待感が強くなるでしょう。

 心理療法で話題の治療法といえば、スキーマ療法でしょうか。日本でも2019年9月現在、慢性うつ病を対象として治験患者さんを集めていますが、以下の要領になっています。


スキーマ療法群:臨床心理士による個人セッションであるスキーマ療法を実施する。介入期間は2年間であり,2週に1回50分のセッションを最大48回実施する。

対照群:臨床心理士による電話モニタリングを実施する。介入期間は2年間であり,1か月に1回10分のセッションを最大24回実施する。


 どうでしょうか。時間だけを見ても、2週に1回50分と1か月に1回10分(かつ電話)という違いがあります。まだ試験は行われていませんが、結果はスキーマ療法の勝利であることは明らかでしょう。新しい治療法という期待感、そして圧倒的な時間のかけ方の違い。時間だけを取り上げて意地悪な言い方をすると

・2週に1回と1か月(4週)に1回なので、その時点で2倍
・1回50分と1回10分なので、その時点で5倍
→合わせて10倍だから…


電話モニタリングの10倍の効果があったら勝ちかな!(超意地悪)

  
 これは冗談ですけどね…(冗談ですよ!)。とはいえ、なかなか心理療法って評価が難しいなぁと思います。患者さんがどちらを受けているか分かってしまう、治療者ももちろん分かるという大前提。評価者を別にしても、評価項目の関係で大きな限界があるような気がします。もちろん薬剤であっても二重盲検化されなければ同様のことが言えるのは先述の通りですが、臨床試験の場では、二重盲検できるという設定を考えると薬剤は心理療法よりも厳密に比較可能であるというところはもっと注目されて良いかも?

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 ちなみにですが、うつ病に対するCBTの効果というのが、導入された1977年から時代が経つにつれ、だんだん落ちてきているという報告があるのです(Psychol Bull. 2015 Jul;141(4):747-68. PMID: 25961373 その修正→Psychol Bull. 2016 Mar;142(3):290. PMID: 26890388)。これってなかなか面白いですね。うつ病という疾患そのものが広がったという点や、様々なウデの治療者が増えたという点もあるでしょうし、あとは上述のように、”新しい治療法”から”一般的な治療法”になったというのも大きいかも知れません(日本ではまだ浸透していませんが)。新鮮味がなくなったので、患者さんの期待が薄まって効果が低くなってしまった、とか。ただ、その論文に対する反論もあり、さらにそれへの反論があって、雑誌上で白熱した戦いが繰り広げられていました。ドキドキ。

 で、何度も繰り返していますが、CBTを貶めようとしているわけではありません! ちょっと意地悪な記載だったので、誤解してしまったかたがいるかもしれませんが、決してそのような意図はありません。何ならホラ、自分もCBT勉強してるし、うん。
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2019
10.07

ゆるーいつながり

 患者さんから相談をされました。

「今度結婚する予定の人に、前の彼氏(もしくは旦那)の子どもがいて、僕はぜんぜん良いんですけど親が認めないんです。相手の親は娘を頼んだと言ってくれているんですけど…」

 よくあるパターン、だと思います。これまでに何度かそういう話を受けたことがあります。親御さんも自分の子どもが大事だから、色々と言いたくなるのでしょう。でも結婚する当の本人としては、それが束縛にも感じられるでしょう。

 今の若い人は、”実の子じゃない”というところへの気がかりが少なくなったような気がします。昔は「血がつながっていない子どもなんて…!」という考えの人のほうが多かったような?

 個人的には、”血のつながり(ここでは”親子・兄弟”を指します)”っていうのは一種の呪縛のようにも感じられて、「血縁なんて別にええやんか」という気持ち。でもそれを他人に押し付けるのも違うでしょう。それぞれの考えがあり、いずれを強要しても良くない。あくまでも自分の意見です。

 その患者さんが「育てていく覚悟はある」「自分の子どもが生まれても差別はしない」と言っても、当の子どもが大きくなったら、その子が疑問に感じるかもしれません。すなわち、「ぼく/わたし は本当の子どもじゃないんだ」と。それへの回答を用意しておいた方が良いとは思います。

 「血はつながっていなくたって親子は親子、家族は家族なんだよ」と言っても良いでしょう。しかし、それ以前に”血のつながり”のなさに苦しむ人には



君のお父さんとお母さんだってDNAレベルでは赤の他人だよ



 ということを強調します。家族の最小単位のひとつである夫婦って、実はまさに他人同士! それを考えると、家族っていうのはそんなに強いつながりである必要はなく、ゆるーくて良いんじゃないかな?と思うのです。強いつながりは、時としてきつい縛りにもなり、それはこころに喰い込みとても痛いものです。

 例えば、30歳で男女が出会って、ふたりとも35歳で結婚したとします。そして、男女どちらかの不妊症のため40歳で5歳の養子を迎えたとしましょう。その養子が15歳になり、「私って両親の実の子じゃない…」ということで、自分の存在について悩みます。

 多感な時期であれば、そのように悩むのは当然。それは、日本では家族というのは”血でつながっていること”が前提だからなのです。

 そこで、よーく考えてみましょう。

 上記の両親って、出会うまでの30年間は一切の他人です。もちろん幼馴染とか学校が一緒だったなんてのはあったかもしれませんが、ずっと一緒に住んでいたとは考えにくい。一緒に住んでいなかった期間って、30年もあるのです。その両親の養子は、生まれてから5年後に一緒。一緒にいなかった期間はたった5年。何だ、両親の方が他人の期間が長いじゃないか! こんな考えもできます。これは時間的な視点ですね。しかし、自分の最も推したい点は



そもそも両親は血でつながっていない



 ということなのです…!

 だから、自分はその患者さんに対して、子どもがもしそういうことを聞いてきたら、こんな風に言ってみたら?とお伝えしました。


「君が血のつながりに苦しむ必要なんてないよ。だってお父さんとお母さんだって血でつながってないしね」


 もしDNAや遺伝子という言葉を知っていたら、「DNAから見たらお父さんとお母さんなんて、他人だよ、他人」と笑いながら言ってみてほしいのです。

 だから、その患者さん自身も「血がつながっていなくたって…!」と気負わなくても良いし、その子どもにも楽に生きていってほしいな、とも思います。しかも遺伝的にはバラエティに富んでいる方が生存には有利だしね。

 家族なんてそんなもんですよ。赤の他人同士が集まっていたって、それでゆるーくつながっていれば良いじゃないか。だから、最近の流行に乗るならば



目指すはラグビー日本代表!



 でしょう。違う国籍の人たちが一緒にプレーをし、それが大きな力となる。血どころか国レベルで違うのに、すごい。バラバラだけどまとまっているというのは、まさに家族の究極形態なのではないか!?と感じずにはいられません。

 患者さんにはそんなことをお話ししました。「あーそうか。そうっスよねぇ」と腑に落ちたようで何より。もちろん反対しているご両親の気持ちもわかるので、そこは焦って強行突破するのではなく、時間が必要でしょう。それを積み重ねたうえで、その家族(予定)には幸せに過ごしてほしいなと思います。子どもが悲しい思いをせずに、そして親も気負わず自然体でいられるように。
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2019
10.01

てめえらの血はなに色だーっ!!

Category: ★本のお話
 『自閉症 もうひとつの見方』(福村出版)という本を読みました。非常に良い本だと思います。自閉症に関わるかたは読んでおくべきでしょう。和訳モノですが、大きなストレスは感じないのでそれも長所。著者はアメリカで40年以上も自閉症の支援に関わってきた人。

 イントロダクションから少し。


親は、わが子が他の子どもと根本的に違うことに気づくようになり、わが子の行動について理解に苦しむ。他の子どもを育てることに用いられるツールや直感は、自閉症のある子どもにはまったくうまくいかないと感じるようになる。何人かの専門家の影響を受けて、ある行動を「自閉的」で望ましくないと見なし、そのような行動を消去し、どうにかして子どもを正常な状態に治すことを目標と考えるようになる。


 著者は、これを明確に否定します。自閉症は人間としてのひとつのあり様だとし、


発達段階を進んでいくのは私たち皆と同じだ。支援するために、自閉症のある子どもを変えたり、直そうとしたりする必要はない。理解しようと努め、それから私たちの行動を変えることに取り組む必要がある。


 と述べます。変わるべきは私たちの方であり、そのためにはまず「なぜ?」と考えることが重要です。専門家はそれを怠り、”自閉的行動”というカテゴリー分類を行なってしまいますが、著者は言います


自閉的行動のようなものはない。これらはすべて人間の行動であり、人の体験に基づく人間の反応である。(中略)正当な機能的な行動を、病理のしるしとして分類することに代えて、対処、適応、コミュニケーション、圧倒的で恐ろしいと感じる世界への対応を目的とする幅広い方略の一部として詳しく見ていきたい。


 と。

 本の中では長年の経験から得られた豊富な例が挙げられており、徹底的に「なぜ?」と思い探求する姿勢が分かります。もちろん、それはとても難しいものでしょう。この本に挙げられているようにすべてがキレイに行くわけでもないのだと思います。しかし、だからと言ってそこで「なぜ?」と問うことをやめてしまったら、それは自閉症の彼らを箱の中に入れて片付けてしまうような行為でしょう。

 これまでの精神科は自閉症にほとんど着目していませんでした。2000年代以前は「大人の自閉症」なんて「何それ?」という状態だったと言っても良いでしょう。また、診断はなされてもその先の理解には遠く及んでいないのも事実です。例えば、「手をひらひらさせて同じ言葉を繰り返すのはなぜですか?」と聞かれたら「自閉症だからです」と答えます。逆に「自閉症と診断したのはなぜですか?」と聞かれたら「手をひらひらさせて同じ言葉を繰り返すからです」と答えるような循環論法に留まっていないでしょうか。

 この本は「なぜ?」と考え抜くことを教えてくれます。すべてがそれで分かるとは言いませんが、現在その努力があまりなされていないのも事実。「自閉的だ。他人への興味がない」として医者がそれ以上患者さんと関わろうとせず、「なぜ?」と問わないのであれば、むしろ医者の方が”自閉”的ではないでしょうか。医者が患者さんへの興味を失っているその様は、他者から見たらまさに”自閉”に映ります。そのような医者の態度を見て患者さんは絶望し、同じく”自閉”となってしまうかもしれないのです。

 しかし、好ましい動きもあります。それは当事者研究であり、自閉症の方々が「私はこんな体験をしている」「この体験はこういう理由なのではないか」と、声を上げてくれているのです。それは私たちが自閉症を理解するための大切な導きの糸となってくれることでしょう。

 ということで、この本は「なぜ?」と問うことの重要さを教えてくれるため、ぜひご一読を。もっと患者さんに対して一生懸命にならないといけないな、と思い直させてくれる一冊です。

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