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2019
08.29

LAIについて思うこと

 抗精神病薬の中には、内服薬のほかに持効性注射剤(以下LAI)というものもあります(今度テープ剤が出ますね!)。1回打つと2~4週間の効果があり、単剤治療の場合に限りますが、その間は内服の必要性がありません。

 内服という作業は、患者さんには「やっぱり俺は患者なのだ、病気なのだ」と思わせる作用があります。外出や旅行の時もついて回ります。そして、ご家族からは「ちゃんと薬飲んだの?」と聞かれて、身近な人にすら信じられていないという悲しい気持ちも抱くでしょう。そういう思いが昂じると、「薬なんて!」と考えて、内服しなくなってしまいます。そうして調子を崩して再発を繰り返すと、なかなか治療も難渋してしまいます。

 上記の場合、内服するという苦しい行為から解放してくれる手段として、LAIは有効でしょう。「飲まなくても良い!」「外出して人前で飲むってことがなくなる!」「家族からいちいち言われない!」という解放感、そして、LAIを打っている間はアドヒアランス100%の状態なので、再発の可能性も低くなります(ま、外来に来なくなったらLAIもそれまでですが)。

 じゃあ全部LAIにすれば良いんじゃない? と思うかもしれませんし、実際、患者さんに対して積極的にLAIを勧める医者もいます。製薬会社もLAIをやたら宣伝し、その提灯持ち的な医者だっているのです。しかし、まず頭に浮かぶのは薬価です。製薬会社が勧めてくるということは、それは後発品対策でもあり儲かるからでもあります。向こうも商売なので、それが絶対に悪いとは自分は思いません。

 で、第2世代抗精神病薬のLAIには、2019年9月現在の日本において、リスパダールコンスタ、ゼプリオン水懸筋注、エビリファイ持効性水懸筋注の3種類。リスパダールコンスタは2週に1度の筋注ですが、ゼプリオンとエビリファイは4週に1度。薬価を比較してみましょう。


・リスパダールコンスタ
 25 ㎎:24192円→1日当たり1728円
 37.5 ㎎:31883円→1日当たり2277.4円
 50 ㎎:38780円→1日当たり2770円

・ゼプリオン
 25 ㎎:18420円→1日当たり657.9円
 50 ㎎:29533円→1日当たり1054.8円
 75 ㎎:38895円→1日当たり1389.1円
 100 ㎎:47214円→1日当たり1686.2円
 150 ㎎:62071円→1日当たり2216.8円

・エビリファイ
 300 ㎎:37266円→1日当たり1331.0円
 400 ㎎:45156円→1日当たり1612.7円


 リスパダールとエビリファイに関しては、内服薬の後発品が出ています。後発品を使用した場合、最大用量まで上げても1日あたり150~200円ほどで済んでしまいます。ゼプリオンに相当する内服薬であるインヴェガには後発品がないものの、最大用量では850円になり、それでもゼプリオンより破格の安さ。

 ただし「安い安い」と言っても、薬剤の飲み忘れにより調子を崩して入院、ということが多い場合は、その入院費を考慮しなければいけません。研究によっては「LAIにした方が結果的には安上がりだよ」「薬価は高いけど入院回数が減るからどっこいどっこいだよ」とするものもあります。でもって、製薬会社もそのような結果の文献を紹介します(そりゃそうだ)。例えばAdv Ther. 2018 Nov;35(11):1994-2014. PMID: 30269292

 以上のようなことはありますが、個人的には、あくまでも個人的にはですが、積極的にLAIを勧めるという気にはまだなっていません。ここで、ちょっと面白いメタアナリシスを2つ紹介します。

 1つ目は無作為比較試験を集めたものでして、そこではLAIが再発率において内服薬と有意差をつけられなかったという結果(Schizophr Bull. 2014 Jan;40(1):192-213. PMID: 23256986)。RR=0.93、95%CI:0.80-1.08です。

 2つ目はミラーイメージ試験を集めたものでして、そこではLAIが見事に内服薬に勝利しています(J Clin Psychiatry. 2013 Oct;74(10):957-65. PMID: 24229745)。入院予防のRR=0.43、95%CI:0.35-0.53です。

 さて、メタアナリシスでも結果が違うという事態は何を意味するでしょうか。これは、ひとつは無作為比較試験で、ひとつはミラーイメージ試験というのが関与しています。前者ではある程度アドヒアランスの良い患者さんが参加しているだろうことが想像され、後者ではLAIへの期待感が表れています。それらがバイアスとなって、この結果。

 このことをきちんと考える必要があります。製薬会社は後発品にシェアを奪われた内服薬よりも利益の高いLAIを勧め、LAIに有利な文献ばかり紹介します。そして、提灯持ちの医者も講演会でどんどんLAIを紹介します。彼らは言います。「統合失調症患者さんは退院してから数か月経つとアドヒアランスが低下します。初発の時からLAIを用いて再発を防ぎましょう」と。しかし、アドヒアランスがある程度保てているのであれば、LAIと内服薬とで再発率の差はほぼない、言ってしまえば、再発による入院率の差もほぼないと考えて良いでしょう。

 そして、実際の診察室にやってくる患者さんの中には、アドヒアランスがあまり良くなくても再発や入院をせずに過ごしている人も多いという事実を忘れてはなりません。彼らは調子に合わせてちょいちょいと自分で薬剤を調節してやりくりしている、というかできているのです。それを「アドヒアランス不良だ! けしからん!」と言うべきでないでしょう。しかも、最近のシステマティックレビューでは、第2世代のLAIは第1世代のLAIや内服の抗精神病薬に比べて、中断率は大して変わらないという結果だって出ています(Psychiatry Clin Neurosci. 2019 May;73(5):216-230. PMID: 30687998)。

 また、内服薬をうまく服用してもらうのは、私たち医者と患者さんとの関係性にもよります。ほどよい関係性を保つように、私たちが診察室を整えておく必要があるのです。それをせずにLAIに任せてしまうのと、そこにほころびがうまれるでしょう。

 自分には手痛い失敗があり、内服薬からLAIに切り替えた患者さんで、再発してしまった人がいるのです。理由は、「先生が薬を出してくれなくなったから…」からだったのです。いつも行なっていた、薬剤の飲み心地を聞いたり電子カルテの画面を見せてこんな処方ですと伝えたりするようなこまやかさが診察室から抜けてしまったために、患者さんは不安を覚えたのでした。医者が処方する一連の行為が、その患者さんにとって大きな拠り所になっていたということ。そこにまったく気づけませんでした。「じゃあ、今日もお注射をしましょう。待合で待っていてください」で済ませて後は看護師さんが打っておしまいになっていたのです。日々の診察を疎かにした代償であり、これは自分自身の教訓として刻み込んでおくべきことだと思っています。

 もちろん、自分はLAIを使わないわけではありません。どうしてもまったく薬剤を内服しなくなり再発を何度か繰り返していた患者さんがおり、その人にはLAIを勧めて快諾を得ました。4週に1度の筋注で、以降は再入院が一切なく経過しています。個人的には、原則としてLAIはこのような患者さんに対して使うもの、というスタンスです。内服にまつわる周囲のスティグマやセルフスティグマにとらわれている患者さんも対象になるでしょう。

 文献の知識をどう臨床に活かすかは、やはりその医者次第。「LAIが再発を防ぐ」「再入院を防ぐ」というエビデンスを目の前のすべての患者さんに当てはめるのは、決してEBMではないのです。もうそれは思考停止以外のなにものでもありません。「あの先生が出してくれた大事なお薬だ」と感じてくれる人もいますし、その場合は内服することで安心感にもつながるでしょう。注射に懲罰的な意味合いを見る人もいます。いっぽうで、内服という煩わしさから解放され、LAIで良かったという人もいますし、再発が本当に激減する人もいます。

 「俺はみんなにLAIを勧めて、イヤと言われたことがない」という医者もいます。しかし、医者が熱意をもって勧めると、患者さんはイヤと言いにくくなります。効果を尋ねられても、気を遣って「良いですよ」と答えてくれます、というか答えてしまいます。患者さんの「じゃあ注射にします」という発言は、100%患者さんの意志でしょうか。医者によって言わされていないでしょうか。そこまで考えながら、勧める/勧めないを取り扱ってほしいものです。また、LAIを勧める医者は、エビデンスのつまみ食いをしています。LAIに不利な文献は無視し、有利なものばかりを集めます。それは科学的態度とは言えず、運動家に成り下がっています。

 内服薬とLAIは、どちらが絶対に優れているというわけではありません。出されたエビデンスを目の前の患者さんにどう使うか/使わないか。私たち医者自身の価値観も含めて悩まなければならないのです。そして、そうやって悩む臨床こそがEBMの姿なのです。
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2019
08.24

○○倍、ではない

 自分は数学というか算数が苦手で、特に確率がダメダメでした。予備校でも結構時間を割いて勉強したんですが…。大学入試センター試験レベルの確率も解けず、「自分にとっての数学満点は180点(当時は確率の配分が数学I・Aで20点だった)」と開き直っていた(?)のでした…。サイコロを転がして云々という、根性で数え上げるものであれば序盤だけ得点できましたが、それを超えるともうダメ。ナントカがどうなる確率とか、どうならない確率とか、何が出る確率とか…。厳しいですねぇ…。そんなこんなで、予備校生時代は「確率確率って、結局は なるかならないかの1/2だろう!?」という、理屈もへったくれもない暴論を持ち出す始末。常に丁か半かの人生? ちなみに、大学に合格した年も見事に確率はゼロ点で、あとは数列だったかな、そこでミスをして数学I・A/II・Bが確か160点くらいだったような…。I・Aがコテンパンだった記憶があります。医学部を狙う身分でセンター数学8割って、かなりマズイ…。まぁでも合格したから笑い話になってくれたのですが(二次試験の点数が高かった?のかしらん)。

 ただ、大学に行ってもその苦手さが足を引っ張り、特に疫学ですね…。その講義は全く分かりませんでした。数式が出た途端に思考回路のストップが肌で分かります。変数、関数という言葉を聞いただけで抵抗を示してしまい、もはや比すら分からなくなる…。これって重症だと思うのですが、ごまかしごまかしでここまで生きてきたのです。この疫学の試験はお情けの61点。ギリギリ "可" で追試を免れました。講義に出席だけはしてたから…。サボってたら間違いなく追試だったはず。危ねぇ。

 そんな下地もあり、統計は今でも苦手です。数式の理解は諦めてすっ飛ばして、こういうイメージなんだなという程度。でも医者として統計は知っておかねばならず、論文を読む時も大事。植田先生や新谷先生の本を読んで勉強し、自分で論文を書いた時はかなり注意しました(2019年5月に博士論文がアクセプトされました! やっとだよ…)。でも成り立ちを理解できていないので、細かい部分は「?」なところも多いのです。

 特にですね、リスク比とオッズ比。統計では基本のキなのですが、本でこの違いを読んでも分数が出てきて「???」になってしまいます。本当にヤバいですよ、自分の算数レベルって…。分数におびえる始末。。。本当に困ってしまっているのですが、このリスク比とオッズ比は、モヤッとでも良いので研修医のうちに知っておきたいところであります。

 オッズ比はいろんな研究で行なわれます。昔はケースコントロール研究のみで使用すること!と言われていましたが、今ではそれに限らず多くの研究に顔を出しています。その際に大事なのが、「オッズ比をリスク比と同じに考えない!」ということ。なぜかって? それは統計の本を読みましょう!(おい) リスク比に関しては「リスク比が3」と言われたら「ははぁ、3倍か」と素直に受け取って良いのですが、オッズ比はそうではない。「オッズ比が3」と言われても「ほほぉ、3倍か」と思ったら大間違いなのです。しかし、世の中にはそのように理解している人が非常に多い! ここは注意しましょう。オッズ比が大きいと「なるほど。関連は強そうだ」という気持ちにはなりますが、「〇〇倍か」とまでは言えないのです。「オッズ比10!」と聞いて「うおぉぉ! 10倍! (゚∀゚)キタコレ!!」は完全なる誤り。まぁ、稀な状況ではオッズ比はリスク比に近似する、というかリスク比がオッズ比に近似すると言ったほうが良いのですが、そういう時はあります(その時はたった1例の違いが大きなインパクトを与えるので、リスク比の信頼性もちょっと薄れてしまいますが)。でも原則としてオッズ比は「〇〇倍」と言えない、ということを覚えておきましょう。自分は算数が良く分からないので、丸暗記してしまっています。これじゃ良くないのは承知しているんですが、脳が理解することを阻んでいてですね…。みなさんはぜひ成り立ちからしっかりと学んでおきましょう…。で、分かったらぜひ教えてください…。

 このオッズ比は「ケースコントロール研究で何とかリスクっぽいのを数値で表せないか?」という悩みから生まれたもの。コホート研究であればリスク比が出せるのですが、ケースコントロール研究では例えば「ある疾患あり100人、ある疾患なし100人」という前提で始めるので、その時点で無理やり仕組まれているとも言えます。そこでリスクを計算すること自体がダメ! になるため、リスクっぽい何かを出すためにオッズ比が誕生した、ということ(らしい)です。このケースコントロール研究でありかつアウトカムが稀であれば、オッズ比は実際のリスク比と近似すると言われるので許容できますね(ただし、アウトカムが稀ということは1例の差が大きな影響をもたらします)。

 現在、オッズ比の使用はケースコントロール研究に限らず、アウトカムが2値変数(疾患あり/なし、死亡/生存など)をとるような試験にはどんどん登場してきています。その理由は数学的なものらしく、イベントを何に置くか(例えば改善を1にして悪化を0にとる、もしくはその逆)でリスク比は値が変わってしまうのですが、オッズ比は変わらない(逆数をとれば同じ値)から、というのがひとつ(安定性が高いですね)。そして、リスク比はコントロール群のイベント率によっては頭打ちになってしまう、すなわちコントロール群のイベント発生率が高くなってしまうとリスク比は上がってこなくなる天井効果が出てしまう、というのがひとつ(曝露の強さを見たい時はオッズ比が有利ということでしょうか)。でもって、この天井効果からリスク比での回帰モデルは計算が結構大変らしく、オッズ比を用いたロジスティック回帰モデルのほうが安定しているから、というのが最後のひとつ(この辺りは良く分からん…)。メタ解析をする時ってオッズ比の方がとても楽なんだそうです。

 で、オッズ比は別にケースコントロール研究に限らず色んな試験で使っても良いのですが、解釈に気をつけましょうね、「〇〇倍」と受け取らないようにね、という点が大事になってきます。とても有名で様々なところで紹介されている例を出してみましょう(新谷歩先生が統計で参加された試験)。

Schulman KA, et al. The effect of race and sex on physicians' recommendations for cardiac catheterization. N Engl J Med. 1999 Feb 25;340(8):618-26. PMID: 10029647

 人種や性別の違いによってカテーテルが使われるかどうかを調べた試験。平たく言えば、医療行為に人種差別や性差別があるの? というのを調べたものです。ここでは人種(白人 vs. 黒人)を見てみましょう。

白人180人では、カテーテルありが163人、カテーテルなしが17人
黒人180人では、カテーテルありが152人、カテーテルなしが28人

 という結果でした。白人リスク/黒人リスクのリスク比が0.93であり、これは、黒人であればカテーテルの推奨率が7%低いことを示しています。でも、白人オッズ/黒人オッズのオッズ比でみると、なんと0.60なのです。そして、論文はリスク比ではなくオッズ比で結果を示したのであります。

 この結果を受けて、なんとニュースでは



黒人だと白人よりもカテーテルの推奨が40%も低い! 差別だ!



 と報道されたそうなのです…!!! これは明らかにオッズ比をリスク比と同一に見てしまっている証拠、誤りなのです。正しくは、推奨が7%低い、ということになります。これは本当に間違って報道したのか、過大な表現をあえて行ない、扇動したかったのか…? 「7%低い」だと「あ、そうですか…」でおしまいになってしまう可能性が高いでしょう。知ってか知らずか…?ですね。

 重要な点として、オッズ比は、リスク比よりも必ず膨らんで算出されます(例えば、正の相関があればより大きい値になる)。だから、上述の論文のようにすごーくインパクトのある数字になるのですね。ひょっとしたらアクセプトされやすい?とか、世の中の注目を集めやすいとか、統計に詳しくない医療者をだましやすいとか。そんなことに悪用されてしまう可能性があります。オッズ比そのものは悪くないのですが、使い方を間違うとよろしくないのです。

 また、オッズ比をリスク比に変換する式もあるようですが、それもオッズ比だけを使って求められるわけではありません(Zhang J, et al. What's the relative risk? A method of correcting the odds ratio in cohort studies of common outcomes. JAMA. 1998 Nov 18;280(19):1690-1. PMID: 9832001)。そして、イベントの発生率が10%を超えてしまうと、ロジスティック回帰分析から算出されたオッズ比はリスク比に近似できないとも言われます。

 ということでした。いやはや、すでに限界なので質問は受け付けません!(もぅマヂ無理…)
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2019
08.17

比べると大変だ

 非器質的な慢性疼痛(DSM-IV-TRで言う疼痛性障害)で通院中の患者さん。他院にも受診していて、そこの医者から以下のことを言われたそうです。


「○○さんは痛い痛いって言っているけれども、世の中にはがん患者さんとかもっと大変な人がいるでしょう。そういう人たちに比べたらまだ良いんじゃないんですか?」


 どうでしょう。確かに世の中とても大変な人はいます。でも、、、その人の痛みはその人のもので、人生の中でつらい思いをしているのも事実。中には「そうか。そう考えれば私の痛みなんてちっぽけなものだな」と思って楽になる人もいるでしょう。しかし、個人的にはそれで気持ちが楽になって痛みも軽くなる患者さんは決して多くはない(それで楽になるなら慢性化していない)と思います。

 他人と比べると、果てがなくなってしまいます。そのがん患者さんも、ICUで必死の治療下にある患者さんや飢餓状態で今にも死んでしまいそうな乳児の前では "楽" と判定されてしまうかもしれません。

 そして、比べることで人はつい相手のアラを探してしまうでしょう。がん患者さんと比較しても、「でもあの人は今痛みを感じていないし…」「あの人の痛みは原因が分かっているけど、私のは分からないし…」という思いは出てくるものです。比較は羨望envyを産み、それが行き過ぎれば破壊へとつながるのです。

 自分としては、誰かと比べるのはあまりオススメしません。自分のこれまでと今、そしてちょっと先、そこに思いを馳せて、この痛みをどう人生の中で位置づけて生きていくか。これが大事なのだと考えています。今の医学では慢性疼痛を完全に制圧できません。そのため患者さんには痛みを抱えながら生きてもらわねばならず、それはこちらとしても心苦しいところ。でも可能な限り小さくするのは大切で、それは痛みと付き合いやすくするためです。大きい痛みと「さあ付き合って」と言われたところで、結構厳しい。患者さんが何とか付き合えるレベルにまで痛みを軽減させるのは医者の仕事。

 そして可能であるなら、「痛みがあるから~~できない」という考えからシフトしてもらいたいのです。すなわち


「痛みがある」と「~~する」との間に因果関係を作らない


 ということ。患者さんには、痛みのために制限していた活動、それの多くは過去に盛んに行なっていて自分の一部でもあったような活動、を再開してもらいます。活動が制限されることは、痛みに生活がとらわれることでもあります。そうすると、痛みが患者さんの人生までも支配してしまうかもしれません。≪痛い→活動できない(しない)→痛みに気持ちもフォーカスする→もっと痛い→活動できない(しない)→…≫というループにはまり込むでしょう。そのループから脱却することが、人生を痛みから戻すためにも欠かせません。もちろん最初はつらくて大変でしょう。くじけそうになるかもしれません。そこを我々医療者がサポートしていきたいものです。

 前述の通り、痛みが大きすぎればそんな事も言ってられないので、出来る限りの手を使って痛みを小さくします。そのうえで、"痛みはあるけれども、それに制約されない人生" を目指してほしい、そのように思っています。言うは易く行うは難し、ではありますが。

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2019
08.13

ばっしとばっし

 自分は口腔内の慢性疼痛を診ることが仕事上あり、非常勤で働いている病院では歯科医の先生と連携しています。自分たち医者は "ばっし" と言えば "抜糸" なのですが、歯科の先生は



ばっし=抜歯



 なのです。「え、じゃあ抜糸は何て言うの?」と思うかもしれません。それはですね




ばついと




 なのです…!

 「はえ~、なるほど」と思いました。自分たち医者は歯を抜く処置を行なえず(法律上は出来るのですが、ほとんどの医者はその技術がない)、"ばっし" という言葉を何の前提条件なく聞いた場合、抜歯をまったく連想しません。やっぱり「ばっし=抜糸」なのです。でも、歯科の先生は歯の関連の処置が圧倒的に上。そのため、歯科の先生にとっては、"ばっし" という言葉を聞いたら抜歯を思い浮かべるのは当然。もちろん抜歯のみならず抜糸も行ないますし、明確に区別するのは大事ですから、抜糸にも相応の読み方を授与します。それが "ばついと" なのでしょう。

 医者は抜歯をしない(する技術がない)ので、区別する必要性がないのでございます。だから抜歯に他の読み方を与える要に迫られません。仮に医者も抜歯するようなことがちらほらある世界を想像すると、読み方は "ばっは" とか…? 何だか音楽でも流れてきそうだな。

 最初、歯科の先生とお話ししている時に「ばついと」と聞いて「???」となりました。しばらくして、「あー、ばっし(抜糸)のことね」とガッテン。

 文化が異なると読み方も違うなぁと妙に感心した覚えがあります。

 ちなみに、自分が非常勤で勤めているその病院からはお給料をもらっていません。そう、つまり今話題の無給医! やったぁ、タピオカ並みの流行に乗ったよ!(白目)

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2019
08.08

ムスカの気持ちがよく分かる

 7月末からウイルス性の角膜炎になってしまい、羞明(光が眼に染みる)と視力低下に悩まされています。初期は羞明がひどくて、パソコンの画面もダメ、本の白いページも光を反射してダメ、目玉焼きの白身だってダメ、という状況でした。ここ数日はだいぶ楽になっていますが、サングラスはまだ必需品。視力低下は著しく、矯正視力が1.0から0.1にまで落ちてしまいました(裸眼だと0.02)。

 皮脂がびっしりと付いているメガネをかけて世界を見ているかのようです。いや、困った困った。電子カルテも見えず、患者さんの表情も分からず、もちろん本も読めず。仕事になりませんわ…。

 メールやブログ記事はパソコンの画面を超拡大すると打てるのでまだ良いのですが、他の活動は封じられています。眼科の先生からは「ちょっと時間かかりますよぉ」と言われています…。でも昨日より今日の方がまだ視野が晴れている気がします。やっと改善してきた…?

 これを理由に仕事を休みたいんですけど、やっぱり無理ですよねぇ。でもホントに外来に支障が出ていて…。サングラスかけながら診察するわけにもいかんし。むむむ。
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