FC2ブログ
2019
07.28

お金という現実的な問題

 この前ですね、「おっ、これは」という副作用があったので、症例報告(ケースレポート)でもしてみようかな?と思ったのであります。副作用自体はまったく珍しいものではないのですが、そこに至るまでの経緯がおもしろい(と表現すると不快に思われるかもしれませんが)ので、そこをクローズアップすると行けるかなぁ、どうかなぁ、という状態。「確かにありえるなぁ」と医療者に知ってもらえれば、より安全な医療に繋がりますし。

 症例報告をする雑誌にはどういうのがあるか調べてみたのですが、ちょっと前とは事情が変わっていますね! 自分の知識では「症例報告を取り巻く環境は厳しくなってきたのかしらん」という印象でした。例えば雑誌のauthor guidelineを読むと、インパクトファクターを重視するところは「○○年からは症例報告は扱わないことになりました」的な記載が多く、あとはLetter形式でのみ受け付ける、とか。しかし、今回調べて「へー」と思ったのは、症例報告専門の雑誌ができている!しかも複数!という点。BMJが『BMJ case reports』という雑誌をつくったのは知っていましたが、そのほかにもいくつか。しっかし、この"BMJ"という枕詞が何ともこう、医者の自己愛をくすぐると言うか…。

「BMJ(case reportsの方だけど)に載ったよ!」

 と言いたくさせるのです。あれですね、仮に同じ品質でも「エクアドル産カカオ使用」と書いてあったら何だか美味しそうに見えますし、ケーキも「ベルギー産チョコレート使用」とあれば高級に感じるのと大して変わらないのかも?

 それはそうとして、症例報告を専門にしていたり積極的に扱っていたりする雑誌の多くはオープンジャーナルなのですが(BMJ case reportsはちょっと違います)、これには


掲載にお金がかかる!


 のです。論文1本につき日本円換算で10万円ちょっとが相場でしょうか(高いところはすごく高い)。研究室に所属していたらお金を出してくれるので個人はそんなに悩まないかもしれませんが、それでもばんばん出すのはできないですし、自分は研究なんてしていない民間病院の勤務医なので、出すとしたら自腹…? それはちょっとなぁ。。。いくらなんでもきっついわぁ(本音)。

 しかも、報告してみようかな?と思った今回の件も、みんなが「おぉっ」と思ってくれるかと言えばそうでもない。個人的に「おっ」と思ったレベルなので、雑誌に掲載されるかどうかそのものもビミョー。症例報告は、基本的に超絶レアなら通りますし、そうでなくてもちょっと珍しいことがいくつか重なる場合も(掛け算形式で珍しさアップ)通りやすいでしょう。かつ、その事例が一般化できれば得点アップです。でも今回のは探せばどこにでもありそうだしなぁ、みんな報告してないだけだろうなぁ、とも思います。でも個人的には面白いんですよ(繰り返し)。

 いちおう書いてみて、でもってお金のかからないところを探して出すだけ出してみて、ダメだったら日本語の雑誌にするか…? 患者さんからは同意を快く頂いているのですが(感謝)、実際に書く段階になったらもう一回聞いておきます。

 書かないでそのままっていうのもねぇ、良くないよねぇ。でもお金かかるのはなぁ、個人には痛いよねぇ。という、そんなところでふらふらしています。
Comment:0  Trackback:0
2019
07.22

ノンパラGO

 統計の基本ですが、データの平均値をとるか中央値をとるか、解析はパラメトリックかノンパラメトリックか、という話題があります。正規性の分布であれば平均値・パラメトリック、そうでなければ中央値・ノンパラメトリックを、と言われていますね。自分は中央値LOVEでして、正規性と思えないデータで平均値を用いていたりt検定されていたりする論文を見ると、「あ~中央値を見たい!」という衝動に駆られますし、「何でこんな統計ガバガバ論文がアクセプトされて自分のは…」と恨みがましく思ってしまいます(こころが狭い)。この前の精神神経学会総会のポスター発表も、多くが平均値とt検定を採用していました。nが少ないし明らかに非正規分布なのに…。自分は意地悪なのでふたつの発表に対して「平均値を使ってパラメトリックにしたのは何か理由があったんですか?」と聞いてみたのですが、お返事は「中央値も考えたんですが…」とはっきりしないものでした。もはや "中央値おじさん" もしくは "ノンパラおじさん" と言われそうな勢いです…。発表する・論文にするのであれば、この統計を選んだ!という理由をビシッと述べられると良いですね。

 そんなこんなで自分は論文で中央値・ノンパラメトリック手法を用いたのですが、書く際に大学の統計の先生に確認してみたら


「nが30以上なら、平均値にするか中央値にするかは好みの問題」


 と言われてしまいました…。正規性の検定もあまり役に立たないそうで。しかし!しかしです。個人的には好みの問題とは思えず、原則として中央値を採用すべきだとは思っています。NEJMやNatureやScienceといった名だたる雑誌も「正規分布でなければノンパラメトリックにしようね」と言っています。「でもノンパラメトリックだと有意差が出にくいんじゃない?」と思われるかもしれませんが、決してそうとも言えないようです。新谷歩先生が講演で実例を示していましたね。

 というか、そもそも有意差を出すために統計を使うのではいけません。有意差が出るかどうかは分からないけれども、得られたデータが正規分布ならパラメトリックな手法(ノンパラメトリックでもO.K.)、非正規分布ならノンパラメトリックな手法を使うべきなのです。それが正しい姿勢。どっちもやってみて有意差が出る方を採用するなんていうのは、絶対にやってはいけないこと。そりゃあ、出たほうが格好もつくんですが…。

 そんな平均値と中央値、パラメトリックとノンパラメトリックですが、前者についてちょっと自分の論文の基本データを材料にしてみます。口腔顔面領域の非器質性疼痛に悩む患者さん48人。年齢と病悩期間を平均値と中央値のそれぞれで表してみましょう。

患者さんの年齢(平均値±2SD):62.5±24.6歳
患者さんの病悩期間(平均値±2SD):43.4±135.8ヶ月

患者さんの年齢(中央値 IQR):66.0歳 [53.8–70.0]
患者さんの病悩期間(中央値 IQR):21.0ヶ月 [11.0–37.0]

 なんと、年齢は3.5歳異なり、病悩期間に至っては22.4ヶ月、2年近くも異なるのです!!!

 これはですね、平均値は極端な値、特に外れ値に引っ張られてしまうという問題点があるのです。例えば、年齢でもめちゃくちゃ若い患者さんがちょっといたらそれだけで平均値は下がってしまいます。上では病悩期間が大きく異なりますが、これは数百ヶ月という、とてつもなく長い患者さんがいたため。これによって平均値がぐぐっと押し上げられてしまいました。特に病悩期間の43.4±135.8ヶ月なんて、データに歪みがあることを端的に示していますね(43.4-135.8はマイナスとなりあり得ないことになっています)。ニュースでも話題になる "日本人の平均年収" も、中央値よりも60-70万高くなっています。これはめっちゃくちゃ稼ぐ人がおり(やわらか銀行の孫さんとか、ユニ苦労の柳井さんとか)、正規分布になっていません。稼ぐ彼らの存在が平均値を上げてしまっているのです。中央値は外れ値の影響を受けづらく、より実情を示してくれます。


「じゃあさ、外れ値を除けばちょっとマシな形になるんじゃない?」


 というご意見もありますが、もうそれは「やってはいけないこと」と思いましょう。測定ミスをして「これは明らかに違うな」というデータなら弾いても良いのですが、そうだという確証がなければ、やっぱりそれは患者さんのデータです。それを弾くのはデータに手を加えることになるのです。

 自分の論文ではサイトカインを調べたのですが、サイトカインってほとんどの患者さんが低い値であるいっぽう、異様に高い値を示す患者さんがちらほらいるんです。でもそれも大事なデータ。やたら高い/低い値を示したからと言って弾いてしまうのは、いかがなものか。しかも、外れ値を見つける計算も1つではなく複数あり、それによって弾く弾かないが変わります。「これを弾けば良いデータになるのに…」という場合もあり、その時に魔が差して弾くのは、捏造です。特に論文の捏造に関しては "STAPありまぁす事件" 以降かなり厳しく見られます。きれいな正規分布でない場合、平均値だと外れ値の扱いについて疑義が残り、弾くことが恣意的だとも受け取られかねません。であれば、外れ値を弾かなくても良く、そしてその外れ値による影響を受けてデータが正確でなくなることも防げる中央値を用いるのがスジってもんでしょう。

 世の中の研究で、正規性を担保できるものってそうそうありません。非正規と考えるのが無難というか現実的。となると、解析もノンパラメトリックな手法の出番が多くなるでしょう。新谷歩先生は、正規分布でも中央値・ノンパラメトリックな手法を用いるそうです。

 ということで、中央値とノンパラメトリックの重要性のお話でした。この辺りの基本を知って、統計の一歩を踏み出したいものですね。
Comment:2  Trackback:0
2019
07.18

2019年精神神経学会総会まとめ その2

6月の精神神経学会総会で出席した講演について、写せた分だけまとめて2回に分けてアップした、その2回目。

2日目のつづき
●教育講演11:児童・思春期精神障害を理解するための3要因:アタッチメント、虐待、発達障害

子どもの精神疾患の発現過程。生物学的要因、パーソナリティ傾向・ストレス対処法、養育環境・現在の環境からのストレスが相まって平衡状態を生んでいる。精神疾患の発症とはこの平衡状態の崩壊。リスク要因は、生物学的要因として神経発達症、精神疾患親和性、心身の消耗。養育環境に児童虐待、DV、逆境的養育環境。パーソナリティ傾向・ストレス対処法に発達障害特性、cPTSD特性、強迫性、不安傾向、現在の環境からのストレスに友人関係のトラブル、過度に緊張を強いられる学校環境など。
評価軸を考える。3つあり、養育環境の質、発達特性、自己とパーソナリティ形成上の特徴

評価軸1 養育環境の質は、アタッチメントの様式に大きな影響を与える。子どもは無力感、無価値感、無効力感とそれらに相応の怒りを持続的に抱えることになる。

評価軸2 発達特性は、出生以来の発達経路がいかなるもので、そこで何を獲得して何を形成してきたか。発達段階はどの段階にあり、どの年代の心性が優勢なのかにも注意。

評価軸3-1 自己とパーソナリティ形成上の特徴
アタッチメントの質と量はこどもの自己およびパーソナリティの形成に大きな影響を及ぼす。大人と子ども両者の相互関係の中で決定される。
Aタイプ(回避)、Bタイプ(安定)、Cタイプ(アンビバレント)、Dタイプ(無秩序無方向)。A~Cはよくあるタイプ。Dはやや病理的ではないかと言われる。しかし、Dでさえ病理的な心性を抱える子どもは半数ちょっと。健全な育ちをする子も多い。

評価軸3-2 自己とパーソナリティ形成上の特徴2
児童虐待は、そのタイプの別なく心理的発達に大きな影響を与える。cPTSDやアタッチメント・トラウマなどの概念がある。cPTSDは自己組織化の障害、すなわち感情制御困難、否定的自己概念、対人関係障害を示すことである。またアタッチメント・トラウマがもたらすのは根深い不信感。

治療は?
養育環境には母子相互交流の修正と改善(PCIT、ペアレントトレーニングなど)、ストレス対処法・パーソナリティ傾向には自己機能発達支援、ストレス対処法と対人関係スキルの回復・調整・開発。現在の環境からのストレスには、逆境的環境の質的改善、資源としての環境の調整と開発。生物学的要因には脳機能改善を目指す休息や薬物療法など。

子どもに経験として蓄積されるべきもの
止められること・保護されること→お世話されること・育まれること→漸進すること・自己を育むこと→止められること・保護されること→…
このループが大事。

子どものこころは可塑性に富み、回復可能性の高い柔軟さとしなやかさを特性としてもっている。危機介入モデルだけでなく、傷つき病んだ心をまもり、かつ育むことを目指す治療的養育モデルを組み込んだチーム医療を。


●シンポジウム43:精神医学における価値の諸相

科学性と価値は、精神医学の哲学の2大テーマ
医療実践における価値負荷性
価値:好みや欲求、願望、期待などによる評価も含まれる。価値負荷性とは、価値づけを帯びていること。
医療における価値の問題
・疾病概念の価値負荷性
 どのような点で悪いものが病気なのか? 問題の背景には、ドラペトマニアや同性愛
・医療実践の価値負荷性

疾病概念を価値から自由にするのは難しい。よく定義されたものは、健康のウェルフェア理論。ある状況で何らかの目標を実現できるというのを健康とする。じゃあその目標とは? 最小限の幸福(ウェルフェア)を実現する必要十分条件となる目標。
ウェルフェアは社会が決める。同じ文化に属する人々は良き生について同様に評価する→共通基盤の形成。
医療者はあくまで技術者である。最重要目標の定式化に医師自身は参与すべきではない。
そうすれば価値の問題から医者は自由でいられるのか。そうではないだろう。学問的主張をもたらしうる実践上の帰結についての注意義務。個別事例でも、感染症の患者の隔離の是非など。医療実践は価値負荷的。
精神科医療の実践では、医療の利用は時に非自発的、患者さんとの判断がしばしば一致しない、価値が対立する。
価値の問題は医学の中心にある。それは、法的、倫理的な規則では対応しきれない。
VBPの10の原則。二本足の原則、軋む車輪の原則、科学による促進の原則、患者中心の原則、複数の教えの原則…
複数の価値が関わっており、患者さんの価値観を中心としながらも医療者自身も自らの価値観を帯びている存在だということをごまかさずに。
VBPでは、医療者自身が当事者であり、個別事例の水準で、実践に関わる複数の価値を考える。
自分が持っている価値観に自覚的であると言うのは簡単だが、医療者に突きつけられてくる問題。

----------------------

生物学的価値と社会的価値
精神疾患を特徴づけているのは、心的な異常。身体疾患と同様に生物学的な価値規範からの逸脱なのか、社会的な価値規範からの逸脱なのか。
生物学的価値に基づいて精神疾患を定義する試みはあった。Wakefieldの進化論的機能不全説など。
生物学的価値 対 社会的価値
社会的価値であると恣意的だといわれるが、決してそうではないよ。
リベラリズムを援用。Rawlsの正義論。無知のヴェール:社会的地位や資産や状況について知らないと仮定すること。
偶然の結果でばらつきが生じる自然的基本剤の不均等に対して社会制度がどう対応するべきかを論じる際にも応用できる。
Grahamの議論。Basic Minimumに含めるべき精神疾患の外延について論じた。
基本財としての精神的健康。行為を可能にする機構(machinery of action)の要素である。
一階の能力と二階の能力。能力を発展させる能力(二階の能力)の恵まれない/損なわれることが精神疾患の概念と関連。それが未発達であるという人に対して必要なのは医療ではなく教育。
特定の人生目標においてのみ必要となる財は基本財から排除される。原初状態に置かれた人は、前述の諸能力が自然的基本財であり、これらに恵まれない人を厚遇するような医療保険制度の必要性に合意するだろう。→自然的基本財のリストは社会相対的。

精神疾患概念に含まれる価値が生物学的価値であるという主張は擁護が難しい。精神疾患は自然的基本財としての精神的健康の不足として捉えられる。

----------------------

精神医学は価値中立的か、社会的問題の医療化という批判にどう応答できるか
提案1:精神疾患を有害な機能不全として定義。さらに害を道徳的な意味を含まずに定義する。ただし、害を狭く定義すると、反社会的パーソナリティ障害や小児性愛は?? 害を広く定義すると、逮捕がもたらす苦痛なども含めれば、社会によっては同性愛や政治的抵抗も精神疾患に…。
提案2:純粋に生物学的に定義する。反社会的パーソナリティ障害は精神疾患と言えなくなり、同性愛は含まれてしまうのではないか。など。
提案3:純粋に心理学的に定義する。意思決定の異常を狭く定義すると、広く定義すると、それぞれ問題あり。
提案4:プラグマティズム(有害な状態のうち、精神医学の対象とすることが有益であるもの)。じゃあ治癒不可能なものはどう? 進歩によって医療化が進むのではないか?

ではどうするか。
悪と精神疾患の線引き。いずれの基準によっても、現在よりも禁欲的もしくは包括的な線引き。
精神疾患の単純な定義を求めるのが間違いではないかというが、正当な医療化と不当な医療化の場当たり的でない区別は必要では?
一方で、道徳性にも生物学的な基盤があるとすれば、悪を生物学的な異常の一種と考えることは自然。
他方で、「極端な悪はそうであるがゆえに精神疾患である」という考えは受け入れがたいのでは?悪の医療化は責任を巡る社会実践に対する脅威。
背景にある哲学的問題=因果的決定論と自由意志
従来の見方:自由意志にもとづくもの=悪、そうでないもの=精神疾患
どちらも生物学的なメカニズムの産物なら両者をどう区別できるのか。

現在のような仕方で精神疾患の境界を画定するのは困難。悪の医療化は促進されるかもだが、緊張をはらむ。

----------------------

価値中立的な心の健康の定義は可能か
精神医学は心の健康をもたらすための学問。しかし心の健康とは? 明確なコンセンサスはない。WHOの定義も判断する人の価値観や人生観によるのでは。
それに左右されるものだとすると、精神医学の存在基盤が危うくなる。
心の健康も普遍的な真理とみなしたい。自然的なものとして実在すると考える自然主義的実在論の立場がふさわしい。
心の健康の定義を試みる。
人間の心の本態は適応的な社会文化的行動を解発する身体的準備状態だ。
人間の心が持つ規範性は、個体の社会文化的環境への適応を助けるべしという規範性を持つが、それは進化の過程で選択されてきたという生物学的来歴を反映している。
一つひとつの行動について生物学的来歴を参照することのできない私たちは、一体どのようにして健康な心について知ることができるのか。
森田正馬;心の健康哲学。存在論は「事実唯真」、認識論は「恐怖は恐怖せざるを得ず、欲望はこれを諦めることはできない」
欲望と感情がすべてを教えてくれる。今個々で何をするのが最も適応的かを教えてくれる。欲望と感情の力に素直に従うことにより、社会文化的環境に適応しつつ固有の欲望を発揮し続けることが健康な有様。

心の健康とは、感情に素直に従って社会文化的環境に適応しつつ欲望を発揮し続けている状態である。

*「感情に素直に従って」という結論が残念ながら稚拙な印象。

----------------------

精神疾患と価値の相対的普遍性
階層的人間観を採用し、その元で精神疾患には価値がどう関わるのか。
階層的人間観。下から物質、生命、心、社会。上位の階層は下位には還元できない。しかし上位は下位に付随性(創発性)がある。
最低次の物質の層には法則がある。それは、逸脱がありえないということ。法則に反する減少があっても法則が改定され、現象との一致が回復する。
規範。生命、心、社会にはそれぞれ規範がある。規範には逸脱がある。規範を遵守することが正常、健康。逸脱は異常、病気。規範の存在・遵守・逸脱には自由意志による場合とよらない場合(決定論)とがある。社会と心には自由意志が。
自由意志による規範では正当な規範(持続可能)と不当な規範(持続不能)とがある。
各層において普遍的な規範と個別的な規範とがある。
価値。規範が存在する層には、その層に特有の勝ちがある。平和、安心、健康など。
価値と規範の関係。規範の遵守=価値。規範からの逸脱=反価値。
物質は価値と無縁。
相対的普遍性。相対的に普遍的な規範。一見相対的に見えるが、じつは普遍的規範が異なる条件下で異なる姿で顕現したもの(同じ道徳的規範が異なる歴史と風土により異なる姿で顕現)。相対的に普遍的な規範に対応する価値は相対的に普遍的。
精神疾患と価値。精神疾患は、心と社会の階層での規範からの逸脱(反価値)。生命の層での逸脱がある場合は生物学的要因。ない場合は身体的病因なし。で、逸脱は自由意志によらない。自由意志による逸脱は道徳違反、犯罪、詐病…
精神疾患の相対的普遍性。病的妄想もVRやMR普及社会では病的ではないかも。しかし、根底にある規範は普遍的。「精神的に快活な生を保持すべし」。現在社会での規範と未来の社会での規範の異なり。
不当な規範と精神疾患。不当な規範 持続不能な規範:????????
病んだ規範と不当性。カンギレムの言。性を持続させる規範には、病んだ規範:撹乱に対して脆弱な規範。健全な規範:~頑健な規範。
病んだ規範は不当か? 病んだ状態から脱却不能の場合、病んだ規範はこの制約下では最善、それゆえ正当。脱却可能なら不当。
サズの言。精神疾患は存在しない。精神疾患という言葉は比喩だ。
しかし、身体疾患がなくても、精神疾患はありうる。精神疾患患者の規則は病んだ(脆弱な)規範である。精神疾患が脱却不能なら正当な規範、脱却可能なら不当な規範。

*「自由意志、自由意志」とは言うけれど、本当の自由意志なんてのはとても難しいと思います…。

●シンポジウム59:神経炎症の役割 せん妄、うつ病、統合失調症、疼痛

せん妄のエピジェネティクスと炎症性サイトカイン遺伝子及びゲノム網羅的DNAメチル化解析
せん妄の発見は質問紙ではゆらぎがあり、EEGでもテクニックが必要。バイオマーカーが要求される。せん妄リスクファクターは華麗、感染症/外科、しかし病態生理はよく理解されていない。動物実験モデルでは、高齢のLPSや手術的な侵襲を加えると認知機能障害。サイトカイン上昇。ミクログリア活性化。
ミクログリアのプライミングが重要。Agedではすでにプライムされている。
サイトカイン仮説。人間でも炎症性サイトカイン上昇。Primed microgliaは高齢の動物で生じている。人間でも同様だろう。しかしなぜそうなっているか。エピジェネティクスが関与しているのでは。サイトカインの発現のコントロールにエピジェネティクスが?
DNAメチル化が年齢によってダイナミックに変わる。
年齢によってエピジェネティクスが変わればミクログリアのプライミングが起きる。人間でもそれが生じていることを確認したい。Shinozaki G 2018
血液:TNF-αのDNAメチル化と発現。
脳:グリアとニューロンでは、グリアにおいてのみ同様の傾向。
せん妄の患者さんと対照群。せん妄の患者さんでは同様の結果。
ネットワーク解析(遺伝子がどういう絡みをしているか)もしたらしい。
DNAm age:メチル化の状態によって年齢を予測できるというもの。せん妄にならないケースのほうが、実際の年齢が予測の年齢より若い。

メチル化レベルをTNFα遺伝子で調べると年令とともに減少する。血液やグリアで。

----------------------

うつ病における神経炎症の役割
縦断的、横断的な診断ではなくRDoCも出てきている。バイオタイプ別に見よう、というもの。
病態仮説。エピジェネティクス、幼若期ストレス仮説、神経内分泌仮説、モノアミン仮説、神経可塑性仮説、神経炎症仮説。
うつ病の異種性。神経内分泌、神経炎症、モノアミン、神経可塑性などにより異種性があり、現在の抗うつ薬は一部に効き一部に効きづらいなど。それぞれのバイオマーカーを見つけて個別の治療薬を。
過剰な炎症反応。代表例は感染が引き起こす精神症状。
サイトカインが行動に及ぼす影響。ストレスと脳内炎症。ストレスによりミクログリアからサイトカインが。
インフラマソームが注目されている。2002年に発見されたもの。様々なものを認識して炎症を引き起こす蛋白複合体。Caspase-1の活性化に必要。Science 2010 327
ストレスが脳内炎症を引き起こす機序。Iwata Biological psychiatry 2016
NLRP3・インフラマソームを介した疾病横断的な治療の可能性。NLRP3がうつ病、身体疾患、心身症、症状精神病などが説明可能? Iwata Brain behavior immunity 2013 105-114
BHB(MCTという中鎖脂肪酸は摂取すると体内でBHBに変換される)というケトン体がNLRP3を阻害する! 動物実験で、抹消投与するとうつ予防効果があった。TNF-αの値は下がっていた。IL-1βは下がっていなかった。ストレスがかかるとIL-1βはすぐに上がるがすぐに戻る傾向があるため、時間が経った時に見たら変化をとらえられないかも。
BHBを中枢に直接投与しても予防できた。前頭葉での結果。海馬への投与ではダメだった。
炎症にフォーカスを当てた治療。他の候補。DAMPs→ミクログリアのNLRP3→IL-1β→種々の炎症性サイトカイン→COX-2→プロスタグランジン
COX-2阻害薬、抗体療法、ミノサイクリン、P2X7受容体阻害薬なども候補。

----------------------

統合失調症の新規治療法開発
6番染色体の関与。MHC領域がその短腕にある。MHC領域は全ゲノムの1/1000
補体4(C4) への注目。Nature 2016 530 Sckar
今までの整理。これからは早く治療を!Lancet 388 86-97 2016 Owen
C4がニューロンに結合することでミクログリアがそれを食べちゃって、刈り込み過剰となってしまう。
他にも自己免疫疾患やアルツハイマー病でもC4aの関与が指摘されている。
ミノサイクリンやNSAIDs、そして一部の抗精神病薬にも抗炎症効果があることも分かってきている。
再生医療(脂肪幹細胞)による抗炎症作用も研究が進んでいる。

----------------------

心因性疼痛における神経炎症の役割
心因性疼痛では中枢神経系が重要だろう。末梢からの情報を脳に送り、かつ下行調節系が接続する脊髄後角が大切。ただし、心因性疼痛への抗うつ薬の効果は限局的であるため、下行調節系の5-HT/NA作動性ニューロン以外の部分に着目する必要性が高い。
1次から2次ニューロンの伝達には、グルタミン酸、サブスタンスP、CGRPである。これら以外に1次ニューロンから放出されるBDNFはNMDA受容体修飾→グルタミン酸の作用増強により、NGFはBDNF・サブスタンスP・CGRPの発現を増加させることにより、1次ニューロンから2次ニューロンへのシグナル伝達を増強する。よって、ケタミンや抗NGF抗体、CGRP受容体阻害剤などは効果が期待できるかも?
脊髄後角のニューロンの殆どは介在ニューロン。興奮性と抑制性の2種あり、このバランスで伝達効率が決まる。
脊髄後角のグリア細胞に注目。ここから放出されたサイトカインが重要な役割を果たしているかも。
サイトカインはどのようにして疼痛を増強するのか? 血管内皮細胞に作用してPGE2の分泌を促進し、それが下行調節系の起始部に作用してこの系を抑えてしまう。他にもサイトカインがニューロンに直接作用することも言われている。
現時点でアストロサイトを選択的に抑制する薬剤で実用可能なものはない…。
ミノサイクリンの髄腔内投与はすごいらしい。経口投与はダメだと。


3日目
●シンポジウム67:ミクログリアは精神疾患の成り立ちにどのように関与するのか?

うつ病と認知症の共通病態としての神経炎症
AD:Aβ蓄積から症状まで10~15年かかる。
うつ病はADのリスクファクター。
慢性炎症とうつ病との関連は何度も指摘されている。
ミクログリアとは?:脳マクロファージとして中枢神経系の自然免疫の中心的な役割を担う。中枢神経系の発達や恒常性維持にも重要な役割を果たす。
PETイメージングでは、抑うつが強いほどミクログリアが活性化している@ACC
自殺念慮が強いほど、というのもある。
心理的負荷とミクログリア。加齢あるいはストレス負荷後に生じるミクログリアのプライミングには共通のメカニズムが関与する。2018 brain behavior immun
サーカディアンリズムとミクログリア 2015 brain behavior immun
ADにおけるミクログリア。ミクログリアの前頭皮質における活性化はAD発症の前駆期のみに認められる。認知機能低下の進行が遅いAD患者のほうがミクログリアは活性化していた。前駆期における活性化は保護的に作用している?
ミクログリアの活性化 dystrophicがある(退行変性したミクログリア)2016 science
ドネペジルはミクログリアによるAβ貪食能をアップさせる? ミクログリアの機能を維持もしくは増強する作用を持つかも。
ドネペジルを高齢者のうつ病に使うと?? ADへの移行は防げないかも。また、MCIを伴う高齢うつ病患者に対して抗うつ薬に併用するとうつ病の再発率が高まったというのも。
ADの発症を予防:糖尿病、中年期の高血圧や肥満、喫煙、うつ病など(あとは運動と睡眠? 追えなかった)。
肥満者の視床下部ではdystrophic microgliaが増加している。
DLBにおけるミクログリアの関与。特発性レム期睡眠行動異常症患者の左黒質においてミクログリア活性化が見られる。

----------------------

心理社会的活動とその破綻に関わる可能性
自殺患者における死後脳。ACCとDLPFCなどでミクログリア過剰活性化。
ミノサイクリンはミクログリア活性化抑制薬として用いられる。
せん妄にミノサイクリン。
マウスにストレスを与えるとミクログリア活性化。ミノサイクリンはその活性化を抑える。さらに、ストレスがない場合でミノサイクリンを投与すると、更にその働きが抑えられる。
ミクログリアは定常状態でもシナプスとコンタクトしている。Wake 2009
ミノサイクリンを飲んでもらって信頼ゲームをする実験。Psychopharmacology 2012 watabe
例数を増やしてもう一回トライ。Kato Plos One 2012
人の気質や性格、ストレスへの反応に対してミクログリアが影響を与えている?

血液マーカーでミクログリアの活性化を見られないか。
キヌレニンの代謝によってミクログリアかアストロサイトか。そこから何かないか?
3-ヒドロキシ酪酸、トリプトファン、キヌレニンなど。
こころとミクログリア Front psychiatry 2013 Kato

----------------------

ミクログリア破綻による精神疾患の可能性
ミクログリアはシナプスに接触して神経細胞の同期性を高める。
Zhao 2018
ミクログリアが体循環系炎症に伴い血管周囲に集積。血液脳関門の透過性を制御しているのでは。
諸刃の剣。ミクログリア活性化阻害によって血液脳関門は保護される。この保護を維持できれば。
病的なミクログリアから健康なミクログリアに戻す治療薬があると良いね。

----------------------

慢性疼痛
様々な脳部位のミクログリアも疼痛病態形成に関与している。VTA、PAG、海馬、ACCなど。
マウスの社会的敗北ストレス負荷モデル。単回ストレスのみでは痛みが引き起こされない?過去にあれば。
社会的敗北ストレス負荷後で炎症性サイトカインの増加。
疼痛閾値再低下時の脊髄後角ミクログリア。ストレスに対する炎症応答を介したミクログリアの再活性化が疼痛の遷延や再燃を引き起こすのでは?


●シンポジウム79:当事者研究、オープンダイアローグ、ACTの協働

当事者研究の可能性
当事者研究は当事者が認知行動療法の主体者となることができ、自己効力感を高めて自身を回復させる。その人なりのメタ認知が育まれる。
ともに哲学するということ。オープンダイアローグとの共通性。共同研究ということ。何が生まれるかわからないダイナミズム。
ともに仲間になること、ともに語ること、ともに弱くなること、ともに研究すること
どう生きてきたか、今をどう生きるか、どう生きれば良いのか。それについて一緒に研究し対話する。生き方としての当事者研究。それがそれぞれの回復を促進する。
研究的対話を促進する工夫が必要。
当事者の言葉「妄想の壁をくぐり抜けて、自分に人間としてぶつかってきてくれた感覚」
コミュニケーションは、伝わらないということから始まる。対立や選択による痛みを通過して生まれる対話の場には本当の優しさがある。

----------------------

当事者研究と共同創造
受動的な消費者ではなく、より高い成果をもたらすサービスを設計して提供する能力を持つ重要なエージェント。
障害は、インペアメントという医学モデル→社会モデルのディスアビリティに。
障害から回復するというものさしを、専門家がつくるものからみんなでつくるものに。
パーソナルリカバリームーブメント。当事者の語りを扱ってきた。
支援者側からも、社会実装を含めることが大事だと。当事者と支援者の共同創造に。
具体的にどのようにすべきか。日本の当事者研究のようなものはまだ少ない。ハウツー:グラント応募の計画、研究の設計と管理、研究の実施、研究データの解析、研究成果の広報。
関与のレベル:相談、共同研究、ユーザー指導の順に高くなる。
共同創造の困難。当事者の参加は象徴的なレベルに留まっている。リサーチャーとしても孤立しがちになる。
当事者コミュニティの重要性。これは日本の当事者研究が一歩リード。
自閉症の当事者からの研究。コミュニケーション障害はディスアビリティなのに診断基準に入りインペアメントと誤認されてしまう。真のインペアメントは、感覚過敏、内臓感覚と害受容感覚の統合の弱さ、予測誤差への過敏さ、エピソード記憶の統合不全。ではないか。
当事者研究の臨床介入研究も走り出した。

----------------------

倫理的であることの治療的意義
長期間のスティグマにさらされ、それを内面化してセルフスティグマに。これが自らの欲望を抑えてしまっている。意思表示が難しくなるので、欲望をまず。

自由、権利、尊厳
バルセロナ宣言。自律、尊厳、不可侵性・統合性(病気と個人を切り分けない)、脆弱性(われわれすべてが病を発症する脆弱性を共有している)
オープンダイアローグ。ODLONG研究 Psychosis 9 2017
倫理的であることは治療的である。自由の尊重、権利の尊重(あらゆる決定を当事者の目の前で)、尊厳の尊重(診断や症状を用いない。困難な状況にあるまともな人)、多様性の尊重(ポリフォニー。安易な妥協はしない。違いを違いのままとして)、権力構造の最小化(チーム医療のセッティング、不確実性への耐性。専門家だけの対話禁止、専門性を脱ぎ捨てる)、責任と包摂性(同じチームが集結まで関わる)、選択肢を広げる(アイディアをお盆に乗せる)、対話主義(自立性と統合性を前提として脆弱性を共有する)

*ここは斉藤環先生の講演だったのですが、EBMの定義を間違えているのでは?と思いました。エビデンスに偏った治療のことをEBMと呼んでいるように感じました。EBMは決してそうではないんですけどね。

----------------------

ACT実践に対話文化を育むことで見えてきたこと
ACTは、もともと脱施設化の弊害をカバーするために。日本では脱施設化が進まなかったので、それを促進するという意味合いがあった。
ACTを日本に導入するに際して大切にしたこと。リカバリー、ストレングス、可能な限り、(強制)入院を回避する
オープンダイアローグとACT:目的を持った対話(ACT)と対話のための対話の違い(オープンダイアローグ)
特に、不確実性に耐える、対話主義というのがACTになかった。対話実践によって、安心感や安全保障感が生まれた。

*このACTはアクセプタンス&コミットメントセラピーのACTではありません。包括型地域生活支援のことです。

----------------------

日本のACTは薄められたアウトリーチ。言ってしまえば訪問看護の独占であった。すべてを治療対象としてしまっている。悪くなったらいつでも病院に連れて行くという宣伝文句。そして、ACTでもプロブレムとしてみるクセが抜けなかった(専門家性や治療者性ならでは)。オープンダイアローグによって一つ抜けていけるのではという期待。対話の実践と、24時間以内にチームを組んで現場に行って、その場でミーティング。対話の実践よりも、チームを組んで云々というシステムが難しい。精神医療のシステムそのものを変えていかねばならない。


●シンポジウム88:精神疾患の背後に発達障害特性を見いだしたとき、いかに治療すべきか

強迫症
発達障害における強迫症?発達障害を背景とする強迫症状?
強迫症の発症時期は児童思春期と成人期の二峰性(Anholt 2014)
子どもの強迫症に併存しやすい障害:ADHD、チック、特異的発達障害、トゥレット
ASDの常同的な~について強迫性という表現が用いられていることが少なくない。
併存が議論されるADHD・チック・トゥレットと、鑑別が議論されるASDに分けられる。
が、鑑別という点だけでなく併存の議論も必要。ASDとOCDとの関係を以下に。
DSM-IVの広汎性発達障害の説明に、こだわり行動だけが目立つ児童では多くが特定不能の広汎性発達障害と診断されてきた。
DSM-5でA項目とB項目の両方が必要になった。Aだけだと社会的コミュニケーション症。Bだけでは?という問題。こだわり行動の質的な意味、発症の仕方、A項目をきちんとみよう。
OCD基準変更点。“望んでいない”、から“不適当”に変わった。不合理性の基準がDSM-5から無くなった。
自我違和感の存在が必要なくなったが、基本病理としては不安や不快と言った陰性の感情を伴う強迫観念とそれを中和するために強迫行為を繰り返すという理解。ASDでは興味のあることへの常同反復行動(多くは陽性の感情や興味に基づく行動)。制限されたらパニックにはなるが繰り返し行動自体が不安不快に支配されているわけではない。
ASDとOCDの併存については、自我親和的になったり高機能群ではそれに反したりなど。
OCDに対する暴露反応妨害法。不快指数がモニター要素。よって、深い感情が弱すぎる課題ではあまり効果的ではない。
自我違和性が低い児童に関してはOCDの予後について心理教育を繰り返し、自我違和性が高い児童に関してはマインドフルネスについて心理教育。強迫症の外在化(ニックネーム)。ASD特徴が強いときは暴露反応妨害法前に関係性を構築するための介入の必要性。
暴露反応妨害法は行為を止めるには有効だが強迫観念をどう扱うかは議論されていない。そして、感情の認識が難しい児童もいる。マインドフルネスなテクニックが必要。
関係性の構築については、プレイセラピー。かなり丁寧にやる必要がある。
認知・感情・行動の分類、ASDでの注意。身体感覚の要素も扱う、陰性感情を持つことの肯定。ゼロに戻ると“落ち着いている”と具体的に説明、認知の扱い(ドラマセラピー>>ロールプレイ)、ツールボックスの使用、例えばCAT-Kitの使用。
ASDがあると、手前の関係性づくりが大事。

----------------------

発達障害に伴う不安と表現型としての不安症
認知行動特性だけで語れるのか。
ASD特性と不安。他者のまなざしと意味を感じ取れない不安、表情や行動の意図を感じ取れない不安、先に生起する事象が予測できない不安、多様な出来事を統合的に把握できない不安、様々な感覚刺激が押し寄せる不安、思いを上手く伝えることができない不安、しっくりしない社会的状況に置かれる不安、などなど。
ADHD特性と不安。自らの行動や感情を制御できない不安、言動の加減を理解できない不安、自らの望む関係性を自ら壊してしまう不安、後先のリスクを適切に評価できない不安、失敗を重ねてしまうことへの不安、目的に向けて順序立てて行動できない不安、注目・記憶したいことに焦点化できない不安、などなど。
発達障害特性が育ちに与える影響。養育者―児の関係(基本的信頼感のみ確立、強い分離不安、対象関係の成立の困難、感覚レベルでの安心)、身体像の発達(参照行動の乏しさ、身体図式のみ発達、未熟な身体像→特に二次性徴における混乱、自己存在の脅迫的確認→常同・自己刺激行動)、「対環境」の関係性(侵襲的環境刺激→持続的な不安緊張、社会的手がかりの読み取りの困難→被害的認知、環境の構造化→自己刺激、こだわり、見通し)、仲間関係(対人希求製の高まりと友情の実感のなさ)
ライフサイクルと発達障害のこのつまづき。青年期までがとても大事。
併存障害と二次障害:何でも二次障害と言われてしまっている現状。
自閉スペクトラム症診断の増加。
自閉症、社交不安症、選択性緘黙のSRS得点。
自閉スペクトラム特性は社交不安の危険因子となるか? コミュニケーション障害があると社交不安のリスクになっている様だ。
自閉スペクトラム症における対人不安。ASD特性そのものでなく軽度な特性があることによる不安ではないか。
自閉スペクトラム症は可能性を見積もれないことへの過度な不安。社交不安症は過剰な蓋然性の見積もりによる高い不安。
選択性緘黙は、特定の社会的状況に対して緘黙。選択性緘黙は単一の疾患ではない。
選択性緘黙と神経発達症との関連。
自閉スペクトラム症は可能性を見積もれないことへの過度な不安→不安や緊張の加速的昂進により話せない。特定の状況で緘黙する行動様式が固定。
自閉スペクトラム症と社交不安・緘黙:二次障害や診断閾値レベルによるものが背景に。
自閉スペクトラム症の不適応行動:過剰な対人負荷でパニックの反復。そこで何らかの対処行動。それを叱責したり否定したりすると逃げ場が失われ衝動行為に。
多くの問題の解決は時に容易だが、掛け違いの歴史が長いとほぐすのは困難。その状態がある種の準安定状態。家族も長年に経過し変えるためのエネルギーに乏しい。家族のみに委ねず、現実的解決を探ろうとする存在、家族も守ろうとする存在。

----------------------

発達障害という脆弱性を有する患者のトラウマ関連症状
幼少期から愛着形成に困難を抱えやすい発達障害児はトラウマの予後も厳しく、さらなるトラウマもある。

(症例提示あり)

発達障害があると、記憶が断片化しやすい、愛着形成に脆弱。圧倒的な自己否定。トラウマ治療は難しい。
安全基地と愛着機能促進。
安全感の保持+子どもから見た世界に思いを馳せて共有。治療構造化と生き残り。抑うつ、不安、外傷体験の振り返り。
トラウマ体験は、アタッチメントや自己調整が土台。トラウマ体験の統合には、土台を支えることが最も重要。

----------------------

ボーダーライン特性と発達障害特性
発達障害評価や養育環境評価は重要。どのようにパーソナリティができあがっていったのかを理解。
ADHDの外在化障害と内在化障害の展開。
ADHDの物質使用障害のリスク、中枢神経刺激薬は物質使用障害のリスク? 使用開始が早いとむしろ低い。早く開始すると家庭での生活や仲間関係の学習が安定化、そうすると不幸な展開を防げるかも。
メンタライジングとは、人の行動を志向的な心理状態(欲求、願望、感情、信念、目標など)の観点から理解し解釈すること。
子どものパーソナリティの発達。
ASDに生じるメンタライジング不全。斉藤 2017
二次障害的問題と思春期危機。幼少期から学童期にかけて極度の逆境体験を持っていたASD児は他者への悪意に過敏。他の子達は集団を作り、ASD児ははねられてしまう。それがさらに…。

----------------------

 以上でした。同一日内でも、学会全体でも、後半になるにつれて疲労の蓄積でタイピングのミスが…。
Comment:0  Trackback:0
2019
07.14

2019年精神神経学会総会まとめ その1

 6月の精神神経学会総会で出席した講演について、写せた分だけまとめて2回に分けてアップしておきます(備忘録的な)。なかなか全部まではタッチタイピングが追いつかず、また一日の後半になるとミスタイプも増えてしまって…。

1日目
●シンポジウム6:精神病理学の古典を再読する

グリージンガー:急性期と慢性期を区別して構想する
・急性期:メランコリー、マニー
・慢性期:二次性精神的衰弱状態
・病態の移行・中間状態の強調:絶えざるゆらぎ

『精神病の病理と治療』単一精神病の精神病理学総論。「脳の病気である以上、それを正しく究めることができるのは医学以外にない」(p13)
急性期病棟を作ることも提案していた。観察室があり、24時間観察可能。他科との連携も構想していた。

分類
感情及び情動状態に関する病的状態(精神病急性期)
思考と意志の異常に基づく精神病(精神病慢性期)

一次性感情異常:精神的抑うつ状態、うつ病またはメランコリー
無感覚と過敏が混合(これは混合状態)
双極性や緊張病、躁への移行

Depressionの基本:活発な脳の刺激状態と精神的な興奮がその基本にある
メランコリーにおける不安感情・焦燥の重視
自分自身に向けられた破壊衝動、他者あるいは器物に対する破壊衝動
メランコリー性妄想
うつ病から躁的興奮へと至る中間状態
メランコリーにおける昏迷・緊張病
昏迷と興奮の交代:病態の移行。疾患横断的な緊張病を先取り的に記述していた
仮性認知症の指摘。軽度の痴呆へも移行することがある点で、その予後と治療上の誤りを犯しやすい。ただその目つきだけは痴呆患者のそれと違って、なお悲痛な感情、不安、内向的なおののきを表現している
メランコリーの転帰:精神的衰弱状態や中等度ないし高度の痴呆へと移行するものもある。錯乱、患者は毒をもられるとか、陰謀が企てられるとか、電気にかけられているなどの妄想を口にし、治癒しない(これは統合失調症か)

移行段階の強調:終末状態と初期状態との間に、非常に多くの移行段階がある。

精神的衰弱状態:一次性疾患群の残遺状態
1. 精神錯乱
2. 痴呆
移行状態なのか精神的衰弱状態に入っているのかの判断には長い観察期間を要す。

----------------------

クルト・シュナイダー:『臨床精神病理学』
教科書ではなく、診断学と分類についての論文集。精神医学と身体医学との対比という視点が大きな特徴
あらゆる精神障害は疾患的であるか? この問いには正解がない、信仰告白のように信ずるしかない。精神障害には疾患的であるものとそうでないものとがあるという前提に立つなら、精神医学における疾患とは何かが問われる。身体医学における疾患とは、存在概念(健康とは明らかに区別できる身体的基盤が存在すること)・健康感の欠如・生命の危機。精神医学においても存在概念は器質性・症状性・中毒性では当てはまる。精神医学においても存在概念を疾患の定義とすべきだが、内因性精神病が未解決の問題として残る。統合失調症はなぜ疾患なのか? 究極的には了解不能、生活発展の意味連続性の中断しかない。内因性精神病の疾病性は了解不能性にあると言っても良い。精神医学において疾患とは、一つは身体医学に共通する存在概念、もう一つは精神医学固有の了解概念に基づいている。
精神医学の特徴は? 疾患であるものとそうでないものとがある。疾患の定義には存在概念と了解概念を使っている。疾患単位と類型が混在している。類型は形而上の水準で定義されている。類型は理念型として提唱、疾患単位との関係は不明である。
これらの違いを認識した分類が必要。臨床的な分類が必要であり、シュナイダーのモデルに準じるのが良いだろう。
疾患単位と類型の違い
性質:患者に実在するか、我々の思考の中にある
個々の症例への適応のしかた:であるかでないか、どの程度当てはまるのか
境界:身体的水準での境界は明瞭、精神症候学上の境界は曖昧
例えるなら:症例を入れることのできる容器だったり症例に境界を与えるものだったり、症例を図るためのものさしだったり症例に構造を与えるものだったり
診断をつけるには:確定された症例に基づき作成された基準を使う、理念型をものさしのようにあてがう必要がああれば操作的診断を用いる

精神障害は大きく3つの群
心の性質のかたより
内因性精神病
身体的基盤が明らかな精神病(急性の意識混濁、慢性のパーソナリティ解体と認知症が特徴的。その間に多様多彩な通過症候群あり。一つの疾患単位に特異的に対応する精神的病像はない)
心の性質のかたより:生活発展の意味連続性が一貫して保持される。正常心理と境界線なく移行する領域、その違いは相対的なもの。社会適応が悪いから精神障害として取り上げられており、社会的な価値と深く結びついている。文化、時代、世代、世相と言った影響を受ける。
内因性精神病:身体的基盤が要請されている精神病。統合失調症と気分障害の伝統的二分法は仮説。一級症状は追体験できない体験があり、理解することの特有の難しさ。いくつかの類型によって整然と区分けできるものではない。統合失調症と躁うつ病症状が混在する場合は階層原則に従う(統合失調症を優先)。

診断の意味について。身体医学における診断とは疾患を明らかにすること、その身体的基盤を同定することにほかならない。心の性質のかたよりについてはそもそも疾患的ではないから診断とは呼べない。重み付けが必要であり、身体的基盤が明らかな精神病についての鑑別診断、疾患的であるかについての、内因性精神病についての鑑別類型

了解的関連・生活発展の意味連続性を吟味するためには感情移入が不可欠で、それだけで患者の傷ついた自己を回復する作用がある、日々の診療が精神療法的効果を生み出している。

----------------------

テレンバッハ
内因性:まだ正体のわからない身体的なもの→内因(endon):身体と精神の分離に先行する領域。内因性精神病の起源はある特異的なendonの病的変化にあり、この変化が身体的及び心的な変化として現れ出てくる。
メランコリー型の疫学:主婦82名、裁縫業14例、事務職13例 すべて入院した症例
自分自身の仕事に平均以上の高い要求を課している。他人に尽くすという形で他人のためにあるというあり方が生じる(対他配慮)。
空間性:インクルデンツ(囲まれている)
時間的:レマネンツ(負い目)
インクルデンツ:秩序結合性を噛み合って、限界への閉じ込めを意味し、このタイプの人間は自らの秩序の遂行に基づいて、もはやこの限界を踏み越えることができない。
レマネンツ:自分自身の作業への高い要求と関連していて、自分自身の要求の背後に取りのこされていくこと。
この2つが先鋭化し、メランコリー型が自己矛盾にとらわれる。

現代は、仕事の負荷状況(正確性と期日厳守を求められる)。孤独な育児の状況(マニュアルの過信や逃げ場のなさ) ここにもインクルデンツとレマネンツが?


●シンポジウム16:症状把握を掘り下げる

症状のバックグラウンドに焦点を当ててみる。意識、了解、治療関係

意識
意識と問うと難しい。しかし、精神科医はいつもこの患者さんに意識障害があるかどうかを考えている。
意識という概念は新しい。クレペリンくらいから。元々は産出症状(陽性症状)を意味していた。
エスキロールの急性痴呆:認知症(慢性痴呆)と区別するために導入された。
Confusion/VerwirrtheitはDeliriumとは別の系統の病態として元々構成されていた。
昏睡という概念は古い。ヒポクラテスの時からあった。睡眠から覚醒に至る覚醒性の障害
クレペリンは3つの意識障害の系譜(せん妄の系統、もうろうの系統、昏睡から傾眠に至る覚醒性の障害の系統)を意識混濁として統括し、マイヤー-グロスが突き詰めた。
DSMでは?
リポウスキ:症候性機能性症候群(いわゆる内因性)、大脳局在症候群(失語や失行など)、全般性認知機能障害(せん妄~通過症候群~認知症)。せん妄を急性の認知機能障害として扱い、これがDSMに引き継がれた(産出症状が消えた)。
DSMでは意識障害概念全体を漠然と指す用語になってしまっている。リポウスキの体系の俯瞰的要素(せん妄~認知症)は失われている。表象形成装置としての側面が強調されていない。社会的申し合わせを目指すのか定義を目指すのかの自覚を失ってどっちつかずになってしまった。
表象形成装置としての意識:エーデルマンの考え方と似ている。
エーデルマン:再入力の渦ができていて、ある点に達すると表象ができる。
感覚運動反射(クラゲ)、表象・意識(鳥以降)、私(表象がつながる)
事例から何度も帰ることが大事。

----------------------

了解と症状把握
了解しようとしながら生物学的異常と扱い薬物を処方するのは居心地悪い。
静的了解と発生的了解。了解と説明(外因/内因/心因)、了解の正当性、了解精神病理学の領域とその限界について以下。
静的了解:現象学(哲学のそれとは異なる)。他者の心的なものを心に描き出して感情移入し了解するしか取り扱えない。そのためにはことに患者の自己描写が役立つ。
静的了解が不能:被影響体験が好例。
発生的了解:心的なものが心的なものから明証性を以て生ずるのを了解する。心の関連の了解。
発生的了解の不能:理由が分からず、精神現象の間に意味的なつながりが失われる。原因として生物学的家庭が想定される。(統合失調症、躁うつ病)
外因性:規則性を欠いた了解不能な精神症状。原因疾患と精神症状との関係も不規則。急性疾患→意識障害、慢性疾患→認知機能障害・人格の先鋭化、外因反応型、身体的-精神病的過程
外因/内因/心因は厳密とは言えないが有用な分類。治療法/対処法の選択において。
了解と説明
身体論者 対 精神論者
脳の病気も心理的悩みも含む枠組みを作ろうとしたのがヤスパース。我々は自然を説明し、精神生活を了解する(ディルタイ)
通常の心理的な現象は了解可能(ただし、ヤスパースは精神現象を説明できないと言っていない)、脳の生物学的過程は了解不能なので因果的説明
静的了解の正当性:単に共体験的な了解は確固たる規則的な概念を与えられなければ非難する意味で“単に”主観的であり科学にならない。言語を用いて一定の表現によって規則正しく記述することにおいて正当化されると考えるべき。
発生的了解の明証性:心的なものが心的なものから明証性を以て生ずるのを了解する。発生的了解の明証性は究極のものである。反復される経験によって帰納的に証明されるものではなく、確信させる力を自分自身の中に持っている。ある了解的関連の明証性があるからと言って、この関連がなにか個々の場合にも真実であるとか、一般に事実生起するということが証明されているとは限らない。→明証的であるが事実とは限らないって???→「反対の者は同じく了解可能」
理念型としての発生的了解;一つの尺度であって、個々の事象はこれに即して測られ、種々の程度に了解的であると認められるのである。
シュナイダーは了解を意味連関と発生的追体験可能性とに分けた。現実には両方をすり合わせるしかなさそうだ。
了解の限界。人間全体を一挙に了解はできない。心因性と推測されるも了解が難しい病態もある。生活背景の違いから、反実仮想的な了解も必要となる場合もある。

----------------------

症状の生まれる場所
症状が診断にとって決定的、判断の根拠として客観的事実であるかのように考えられるが、果たしてそうか。例えば幻聴では、「スキル/訓練の歴史」と幻聴の存在を明確にしたいという「欲望」を持つ精神科医の介入が必要。それによって症状としての幻聴が生まれてくる。私という精神科医と患者のあいだに出てくる。ペーペーの精神科医であれば、幻聴として生まれなかった。二人の主体の交わりが必要。客観的な事実ではない。間主体的出来事の結果。精神医学には、客観的実証的な知の理想化と現実の否認はないだろうか。
精神科医は診断がついた後も患者と付き合い続ける。体験症状ではなく、対人的場でのみ成立する症状が存在。
特にパーソナリティ障害では、精神科医は患者のパターンを生きてしまうことも。しかし精神科医が精神科医として生き延びることは純粋な反復を抑止する。患者のパターンの変形の可能性を生み出す。


●シンポジウム24
働き方改革とこれからのメンタルヘルス対策・就労支援
J Sleep Res. 2003 Mar;12(1):1-12. PMID: 12603781→睡眠の文献
産業医は事業場のかかりつけ医
適性にあった仕事内容と働きやすい職場環境でそのパフォーマンスを十分に発揮すること、ひとりひとりの労働者を活かすことを目標とすること。これが労働者と企業両者の目標につながる。
求職者の復職場所:得意な分野で能力を発揮させることが大事。職場因子が大きく関与していれば職場を慎重に考え、ゼロベースで検討。経営者や管理職などの意識改革「従業員を活かす」。適性の客観的評価(職業適性検査、作業能力検査などの利用)
厚労省編一般職業適性検査GATB:認知機能、知覚機能、運動機能を見ていく(知能、言語、数理、書記、空間、形態、共応、指先、手腕)。
職業適合性:能力とパーソナリティ。能力は適性と技量になる。適性は先天的、技量は後天的。パーソナリティの部分も大事だが、適性を見過ごしてきた。
GATB結果と訓練結果との相関。職業技術訓練校で入学時にGATBを実施し、その後の学科成績と実技成績との相関を調べた研究がある。職業によって要求される機能があることを示した(機械科では空間把握能が相関あったなど)。
多様性の受容。個性の尊重は労働者の適正にあった仕事を探すこと。もちろん、良好な人間関係、職場環境が大事で、それを重視すると労働者の労働意欲の工場。これらが揃えば、労働者がより少ない負荷で最大限のパフォーマンスを発揮。労働者の健康増進と企業の業績向上!
就労支援の今後の方向性。就労の目標は労働者が満足あるいは納得した職業生活を遅れること、さらに企業にとってもメリットが感じられるものであること。一人ひとりの労働者を活かす。適性を多角的、専門的に捉え、仕事とのマッチングを。
多面的なアセスメントを。生理因子的視点(知的機能や情緒面、体質など)、パーソナリティ的視点、環境因子的視点。
適性を把握して適応場所を見つけよう。

----------------------

精神科医の立場から
あらゆる障害が精神疾患を誘発しうる。聴覚障害があると疎外感から抑うつ気分など。
連携の状況を把握する。職場と診察室での情報収集。事例性と疾病性。“毎日遅刻する”と“うつ病で朝が辛い”など。
ときには限界を伝える。うつ病は休めば治るという誤解がある。多様性と言われているが雑務は正社員の仕事ではないという認識も会社にはある。「この部分の能力は今がMAXに近い」と伝えることも大事。

----------------------

嘱託産業医の立場から
合理的配慮についての確認とその実行。障害者就労支援について。多職種連携強化のために、を以下に。
障害特性や困り事に合わせて行なわれる配慮。障害者の定義:障害者手帳を持つ人に限らない。身体障害、知的障害、精神障害、その他心身の機能の障害があるため、長期に渡り、職業生活に相当の制限を受け、または職業生活を営むことが著しく困難なもの。
これまでは就業規則を拠り所にしてきた。休職期間中に休職事由がなくなった場合は、当然に休職が解除され復職となる(これは難病やがんの支援では当てはめ困難)。
もう少し柔軟に考えるべき。
合理的配慮とは、障害労働者の個々のニーズに応じて事業者の過重負担なく、能力の発揮を妨げる障壁を取り除くこと。おおむね3つの形態に分類される。1.物理的環境への配慮(サングラスの着用や昇降機の設置など)、2.意思疎通の配慮(指示を図示するなど)、3.ルールや慣行の柔軟な変更(放射線治療のための時間有休取得)
合理的配慮の実行プロセス:事業者は障害労働者と話し合い、能力発揮を妨げる個別の障壁を把握し、事業者自身の負担とすり合わせながら、提供する配慮の内容を障害労働者と合意する。すなわち、建設的な対話が必要で、就業措置決定のプロセスと大差なし。
受け入れ職場の理解不足や障害者本人の過度の期待もあるので、そこの橋渡しを。


2日目
●倫理委員会シンポジウム:症例報告における倫理的配慮
ガイドライン作成経緯と本人同意の例外事項に関する課題
倫理審査が必要なもの:所属施設・機関における規定などが審査を求めている場合、症例を集積するために診療録などの臨床情報を用いる場合(何例くらいかは個別事例とのこと)、通常の診療の範囲を超えた治療や検査その他を行う場合(“通常の~超えた”とは? その他とは?)。
上記の審査を要さない症例報告:研究目的でない医療の一環とみなすことができる場合には、研究に該当しないものと判断して良い。

プライバシー保護に関するガイドライン:症例報告の対象者のプライバシー保護に配慮。原則として対象者に十分に説明し、理解を得た上で、同意を得る。同意しないことにより不利益を受けないこと、同意撤回の自由について説明。本人が判断能力を有していない場合などには、代理人から同意を得る。これらの例外もある。2つ下

個人情報保護法については:症例報告の対象者が「どう感じるか」「どのような不利益を被りうるか」について想像力を働かせることを最優先。

例外:特定の個人が識別されず個人情報とはみなされない。死亡しているものの情報であって、家族などの個人情報であるとはみなされず、学術研究として報告を行うものでもない場合。個人情報であっても個人情報保護法の例外規定に該当する場合→1.法令に基づく場合 2.人の生命、身体または財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難である時 3.公衆衛生の向上または児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難である時 4.学術研究機関において学術の用に供する場合
これら例外に該当する場合は発表者がどの例外に該当するか発表申請時に明示し、学会が適切性を判断する。非自発的入院の場合、本人に判断能力があると判断されれば本人同意のみ、判断能力を欠き、代理人が適切に選定されれば代理人の同意のみで良い。

精神科領域で扱う個人情報は要配慮情報の中でも特に配慮が必要。精神神経学会は非専門家も広く参加する学会で透明性や公開性を長所としているがプライバシーのリスクも。

----------------------

症例報告の重要性
笠原嘉先生:一例報告のこと
The Genain Quadruplets:一卵性の四人の女児は16歳から24歳と発病時期こそ違えど、全員が統合失調症と診断されるに至った。米国が長期に報告している患者さんたち。その結果は、この病気の認知的な症状が必ずしも進行性のものではないという仮説を支持していた(2000年のbulletin)。人間の「全体」が関わる統合失調症などの追求には、大きな数の統計と同じくらいに、一例二例のケース報告が大切。(と、笠原先生は結んでいる)

事例として、双極性障害患者さんの妊娠出産について。ガイドラインを参照して治療を画一化するのではなく、個別性を重視した治療の実現へ。診断や評価は患者個人についての理解を構造的に組み立てた上で治療に役立てること。

----------------------

患者同意について、当事者・家族の立場から(夏苅先生:お母様が統合失調症で、御本人も様々な精神症状で苦しんできた先生)
母親のことを事例1と書くのは辛かった。そんな思いをしてまで→患者と暮らす家族(特に子ども)の実態を精神科医に知ってほしかったから。語ることで回復した、回復には締切はないということを精神科医に伝えたかったから。
書くたびに症状を思い出し、それに巻き込まれた父親や自分の気持を思い出してしまった。容易に忘れることはできない。大切なのは、自発的に症例報告をしようと思った。患者や家族それぞれにタイミングがある。自分の家族だったらと想像しながら症例報告に携わってほしい。
患者や家族は治療を求めている。研究のことなど頭にはない。これを忘れずに。研究も身近ではない。同意が欲しいのなら治療が最優先であることを念頭にして、症例報告にどのような意義があるのかを患者家族が分かる言葉で説明すること。分かりやすく説明するためにやさしい日本語を学ぶべし。
症例報告が患者家族にとっても大きな利益となるのなら協力する。しかし、時代も変化する。患者家族も専門誌を読める時代。匿名化を図ってもわかる。同意を得ずに公表しないで。今も偏見を抱えて生きている。精神科医ならば世間の偏見に対して敏感になるべし。生きるための全てに今も偏見がついて回る日常を想像すること。
入院施設を立てるという計画に猛反対を受けた。町内会では夫婦で吊し上げにあった。入院患者全員に見てすぐそれとわかるような同じ服を着せること(これは断った)、のぞき見をするかもしれないから診療所の周囲の家の窓に目隠しを貼れ、などの要求。
別のところでは「住民を説得する言葉は、患者の人権ではなく問題を起こしませんという文言だ」という人も。
同意取得の意味を取り違わないでいただきたい。患者から文句をつけられたくないためという解釈があるが、そのような意図でガイドラインを作成したわけではない。
患者家族は主治医を信頼して我が身の治療を託している。医師もその信頼を損なうような行為をしてはならない。同意なく情報を公表することは、信頼を裏切る行為ではないか。本ガイドラインの厳しさは、当然背負うべきもの。倫理指針は後々問題を起こさないための手続きではない。
同意の得られやすい症例、同意の取りにくい症例と区分されるとしたら見当違い。あまりにも単純な発想。望まない結果や不幸な顛末となった場合、担当医が経過を説明し原因を考えて次に活かすことは、同意を得る得ない以前に必要なこと。そうした姿勢の中から信頼感が生まれてくる。
精神疾患の親を持つ子供の立場の人は、親を症例として学会で報告して専門職に知ってほしいと希望している。精神科医は家族の現状にあまりにも無知。患者本人にしか関心がなく家族に興味が無いなら、家族による発表も有意義であるはずだ。
反応を起こした親をやむを得ず強制入院させたときの子や配偶者の苦悩を誰もケアしてくれない。根本的な解決は偏見是正であり家族負担の現行制度を変えること。家族による発表が大事。現在の研究倫理は当事者が当事者を発表するというのを想定されていない。
医師や研究者は患者家族に対して圧倒的に強い立場にいることを忘れるな。患者を親に持つ子の立場は患者と同じくらい弱い立場にある。
相手を理解する。これはできそうでできない。それを認めた上で謙虚に相手の心情を想像すること。
本人だけではなく家族全体が人生の長期に渡りこのような葛藤にさらされる。十分に想像してから症例報告を。

----------------------

法律家の視点
個人情報;生存する個人に関する情報。特定の個人を識別することができるもの。
要配慮個人情報:病歴など、本人に対する不当な差別偏見その他の不利益が生じないように取扱いに特に配慮を要するもの。精神疾患に関しても細かく書かれている。
個人情報の取扱:本人の同意を得ないで第三者提供をしてはならない(例外あり)。
要配慮個人情報について:オプトアウト禁止(告知して反応がなければ同意したものとみなすのを禁止)
匿名加工情報;要配慮個人情報を含め個人情報は匿名加工情報化(当該個人情報を復元できないようにしたもの)することで本人同意なく第三者提供が可能。
匿名化と非識別化は異なる(非識別化が大事)。カルテと照合して当該医療行為を誰が行なったかが特定できる記載であれば非識別化とは言えない。連結可能匿名化では非識別化としては足りない。
症例報告と研究とは異なる? 個人情報保護法上は区別なし。区別しているのは学会の一方的解釈と言われかねない。有用性だけで説明できるのか。医師個人の専門医資格取得のためなどの利用が多くないのか。
同意能力の問題。法律上は明確な定義がない。実質的解釈論になる。診療同意能力(15歳程度の判断能力)とパラレルで良いのかどうか? 診療と異なり、症例報告は患者本人に直接利益をもたらさないので。
法的責任問題。ガイドラインや倫理指針は守らないと責任追及の理由になる。守っていても法律は必ずしも守ってくれない。個人情報保護法は守らないと責任追及の理由に鳴る。守っていても人権侵害を主張される可能性がある。患者の権利を強調する立場は、全てに同意を要すると主張するが、これに対抗する特効薬は、実はない。医学の発展のためという抽象的理由では足りない。
医療倫理の重要性。ガイドラインや指針は三流を二流にするが、一流を二流にもすると揶揄される。専門家の自律(Professional Autonomy)が大切。そのために医療倫理・生命倫理を振り返る努力が必要。マスの作業でも患者個人の意思・利益を考える。第三者の利益の場面でも、患者個人の利益を考える。
生命倫理の4原則:無危害原則、善行原則、自己決定・自律原則、正義原則


●教育講演10:精神医学における生物心理社会モデルと多元主義
ガミーの多元主義(真理についての多元主義)
価値についての多元主義
GH(総合病院)精神医学、CL精神医学を例に を以下に。

根幹部分におけるものの見方について専門家内での非共有こそが精神医学の特徴。
治療の目標や改善の考えについても意見は異なる。
ガミーさん。教条主義、折衷主義、多元主義。今は折衷主義になっていて、BPSモデルになっている。そうではなく多元主義を!
折衷主義:様々な視点の良いところを足せばいいの?停戦協定を結べばいいの? というもの。この折衷主義を批判。BPSは不毛。
多元主義:ヤスパースの了解と説明の区別を模範とする(方法論的自覚:どんな方法を使って患者さんを見ているのかを私たちが自覚すること)。
方法論的自覚:現実はいつも何らかの理論の色眼鏡を通して見られる。心の中にあるこの理論的先入見を割り引いて考えるよう不断の努力を払わねばならない。しかし、事実とは範疇と方法によってのみ評価できるのだ。すべての発見の中には対象となっている事柄の性質に応じて前提条件が存在する。私たちはそのような前提条件を十分に自覚しておかねばならない。「すべての事実のうちには理論が潜んでいる」のだ。
BPS:Bが主流で精神分析が奪い返すのは不可能。PSが大切というロジックを使えばPS派は自分の立場を確保できる。B派も不都合がなくヒューマニスティック。万能感さえくすぐられる。だからBPSは受け入れられたのだ。
まんべんなく目配りするのはあまりに常識的。あたらしいものはあるのか。BPSは反論のしようのなさそのものが最大の問題。
多元主義は、多様なアプローチを組み合わせても対象の本態に迫ることができないと考える。そうではなく、それぞれの対象に応じて、その本態に迫ることができる最も有効な方法を選び取り、いったんその方法を選び取った後は、基本的にはその方法を純粋に用いることで、その対象の理解を試みるべき。根本的に異なる複数の方法論の強制を許容する。それぞれの方法論には適応可能範囲があり、それぞれは適材適所で原則としては単独で用いられるべきだ(方法論的自覚)。
折衷主義なら、できることをもれなく検討し、提供できているかに細心の注意を払う。多元主義なら、できることのうちでどれが目の前の課題に適しているか。
折衷主義は併用をデフォルト。多元主義は方法・治療法の単独で。
伝統的精神医学は多元主義である。心因、内因、外因の区別が例。しかし、多元主義的精神科医も、BPSに目を向けてと返答してしまう。だから、自覚的な多元主義への変化は大切だ。

*ガミーさんの多元主義は専門的な治療についてのもの。基本的な医師患者関係によるものは当然のこととして扱うそうです。

価値についての多元主義の紹介。
何についての多元主義であるのかをはっきりさせることで多元主義はさらにクリアになる。
根本部分の考え方の対立は、現象をよりよく説明する部分もあるが、自分自身の肌にあい、そこに自分の人生を投じたいと思うスタンスは、例えば分析か薬理学か?と言う面も。
前者は科学的方法としての多元主義、後者は価値観についての多元主義。
前者はガミーさん。後者は良く考えよう。
価値観についての多元主義は教条主義や折衷主義よりも優れているか。
価値観についての教条主義。目指すべきアウトカムは、議論の余地なく~~だ、という立場(救急とか)。でも精神医療の多くの局面ではどうだろう?
折衷主義。色んなアウトカムを折衷して混ぜ合わせる。そうなると、どの医療機関を受診しても似たり寄ったり、程々の(優等生的な?官僚的な?)助言を受けることになる。踏み込んだ助言を期待するのは不可能。価値観の多様性への期待には、精神医学は答えられえない。ただし、極端に走る助言や指導が行われることはないだろうから安全ではある。
多元主義。私的な人間関係の部分を取り除くことは不可能。治療者によって違うことを言うことがある。このような意味での価値観についての多元主義を支持する?しない?
価値の顕在化。スタンダード精神医学は、価値は潜在的に自明であるという態度を持っている。でも最近はリカバリー運動などで、病気を治さないことこそが重要であるという説得力のある逆説が唱えられている。そうなるとスタンダード精神医学であっても、医療の目標は病気を癒やすことだと顕在的に述べることが必要になる。折衷主義者はその点楽である。多元主義にとって顕在化は必須。明確化しないと多元的価値の共生を主張することができない(VBM)。
例:倫理的ジレンマ。精神科病棟は禁煙とすべき? 反対としては、長期入院している人の最後の楽しみを奪う、など。ほんとうの意味で一緒の方向には向けられないのが倫理的ジレンマ。医療現場での日々の判断は倫理的ジレンマの繰り返しである。
価値の顕在化には大きな壁がある。普通、人は価値の顕在化など行なわない。ここ一番という時に価値はポップアップしてくるだけ。しかも、人生の途中で何度も変わるムービングゴールポストである。
価値の多元主義を医療で実践する提案。治療者は意識して不自然な主義を取る。専門行為において何を重きにおいているのかを明確にする。そのうえで、他の価値を持つ支援者の価値も認める。支援を受ける人の価値も尊重する。

GH精神医学、CL精神医学を例に。
BPS対 多元の実験場。Psychosomatic medicine という本(翻訳中だって)。
多元主義のGHPへの応用:確固たる専門性に基づくリーダーシップ、チームメンバーの専門性を信頼する民主性。
それぞれの医療従事者に、信念、根拠、覚悟が必要。
専門性(知識・技能)と民主性(態度)を携えて、個々の問題に臨む。
多元主義には真理と価値の2側面がある。真理の多元主義は専門性(ヤスパースの方法論的自覚)を含意し、価値の多元主義は民主性(value)を促す。

Comment:0  Trackback:0
2019
07.08

にいがたがたび その4

 新潟4日目かつ精神神経学会総会の最終日。これで新潟もおしまいだなぁ。

 さて、最後の朝ご飯。お味噌汁の中に大根おろしをたくさん入れました。

RIMG2194.jpg

 学会の方は、午前中はシンポジウム67(ミクログリアは精神疾患の成り立ちにどのように関与するのか?)とシンポジウム79(当事者研究・ オープンダイアローグ・ACT-現在の地点と将来:その協働が日本の精神保健福祉にもたらすもの) の2本。

 そしてお昼ご飯。

RIMG2195.jpg

 午後はシンポジウム88(精神疾患の背後に発達障害特性を見いだしたとき、いかに治療すべきか)を聴きました。最終日はこれですべてのプログラム終了! 15時30分で解放されたのです。

 会場の書籍販売所+ポスター展示場。

RIMG2196.jpg

 さて、帰りましょうか。最後に、須坂屋でへぎそばを食べました。

RIMG2198.jpg

 つるっとして美味しかった。

RIMG2199.jpg

 駅バスターミナル。この風景も見納めですね。さよなら新潟。

RIMG2201.jpg

 今度新潟に行くのはいつになるんだろうか。5年後、10年後、いやもっと先? でも今回だいぶ学生時代の思い出に浸れたので、満足といえば満足です、たぶん。
Comment:0  Trackback:0
2019
07.04

にいがたがたび その3

 新潟3日目かつ精神神経学会2日目です。

 まずは朝ご飯から。

RIMG2178.jpg

 午前中は、シンポジウム12(症例報告における倫理的配慮~本人同意をめぐる課題)、教育講演10(精神医学における生物・心理・社会モデルと多元主義)、教育講演11(児童・思春期精神障害を理解するための3要因-アタッチメン ト、虐待、そして発達障害)の3本。

 で、お昼ご飯。何だか食べてばっかりに思われているような…?

RIMG2179.jpg

 午後はシンポジウム43(精神医学における価値の諸相)とシンポジウム59(精神疾患における神経炎症の役割~バイオマーカー開発から病態解明まで)でフィニッシュ。18時になりました。

 さてじゃあ今日も新潟大学辺りを思い出に浸りながらフラフラしますか。

 お、清水フード西堀店!

RIMG2180.jpg

 良く行きましたよ。「あなたの町の~、清水フード♪」というCMが脳内に蘇る。イオン系列になっていたのが軽くショック。

 新潟大学の体育館周辺をフラフラしていたら、ボンを発見!

RIMG2181.jpg

 まだ健在だとは…! このお店は外見がなんというか個性的なのですが、洋食屋さん。地下にお店があります。ボリュームがとんでもないことで有名でして、ただお値段もまずまずしたような記憶。食後にアイスコーヒーが出て、夜だと食前酒も供される、ちょっと不思議な感じ。自分は頻回受診したことがないのですが、たくさん食べるぞ!という学生さんには人気が高いのです。

 結局、また協和会の売店に行って、よし仙の豆大福を買ってしまった。懐かしさに抗えず。

RIMG2182.jpg

 いただきます。

RIMG2183.jpg

 あー、美味しい。思い出補正がバリバリ入っているのは否めませんが、その思い出も味の一つということで。2個で206円って安いですよね。今は1個180円とかで売っているお店もあるくらいですから。

 お! 竹野だ。

RIMG2184.jpg

 ここのお蕎麦は美味しくて、学生の時はお気に入りでした(天せいろが美味しい!)。今日は営業していないみたいで残念。

 ということで、もうちょっと歩いたところにある青島食堂でお夕飯。生姜醤油のラーメンで有名なのです。長岡市がオリジナルだったかな…?

RIMG2185.jpg

 シンプルな見た目のラーメン。

RIMG2186.jpg

 麺は昨日の三吉屋と異なり、細くありません。食べてみましょう。

RIMG2187.jpg

 んー。生姜の風味がしない…。これ、普通に「醤油ラーメンです」と言われても信じてしまいます。醤油ラーメンとして評価するなら正統派で直球タイプ。スープがちょっと濃い目でしょうか。生姜はどこに行ったんだ…??

 自分は鼻が悪く、ちょっと味覚にも影響しています。だから感じ取れないのかな…? いや、でもそれを差し引いても風味ゼロなのではないか? ひょっとして入れ忘れたんじゃないか…? と勘繰るレベル。

 不思議な気分でお店を後にして、上古町を歩きます。午後19時30分でこのゴーストっぷり…!

RIMG2188.jpg

 あ、Wa's Styleは生き残っていた!

RIMG2189.jpg

 残念ながら、学生の頃に行っていた床屋さんは見当たりませんでした。

 新潟駅に戻って、中を歩きます。おや…ここは。あの右奥の狭い道を入るとゲーセンがあったはずだが、どうだ…?

RIMG2190.jpg

 潰れてましたー。無念。

RIMG2191.jpg

 ということで、本日の夜食は河川蒸気の小豆クリームです。

RIMG2192.jpg

 こんな感じ。いただきます。

RIMG2193.jpg

 あ、これは美味しいかも…。生地のちょっとしっとりした感じと微かな黒糖。そして小豆クリーム。派手さはないけど、ほっとできる味。これ、お土産決定!

 そんなこんなで、翌日はもう学会最終日です。新潟を離れるのが少し寂しいような気持ちが…。もうそんなに行くこともないだろうしねぇ。

Comment:0  Trackback:0
back-to-top