FC2ブログ
2019
04.24

数じゃなくたって

Category: ★研修医生活
 以前にも同じようなことを記事にしましたが、研修医同士の力くらべで”担当患者さんの数”というのがあります。

 入院患者さんをどれだけ担当しているか、というのは数で表されるので比較もしやすいでしょう。そして、指導医が信頼しているからたくさんの患者さんを担当させるというのも確かにそうかも知れません。一部の病院では、たくさんの患者さんを持たせることをウリにしているところもあり、見学に行く学生さんも「たくさん持ってスゴイ!」と思いやすいのも事実。

 これはあくまで個人的な意見ですが、もし自分が指導医という立場に立つのであれば、”担当患者さんは多ければ多いほど優れている”という考えにはちょっと反対です。もちろん、今たくさん患者さんを持っている研修医は頑張っている証拠だと思うので、それを否定するつもりは一毫たりともありません。

 でも、担当患者さんが少ないからと言って、そこから得られる知識が少なくなるということはまったくないと言っても良いでしょう。例えば、膵臓がんで入院している50代男性を担当したとします。そうしたら、膵臓がんの好発年齢や予後やリスクファクターを調べますし、初発の症状が例えば全身倦怠感だとしたら、それを来たす鑑別疾患を挙げて、同様にそれら疾患の勉強も必要。転移による症状への治療や、化学療法による副作用とそれの治療、疼痛緩和などの緩和ケアスキル。そして、そのがん患者さんがどうやってがんと死に向かいあっていくのか…。

 これらを丁寧に勉強すると、数週間では終わらないかもしれません。ひとりの患者さんでもじゅうぶんに知識というのは付いてきます。たくさんの患者さんを持つと、上辺の症状のみへの対処に追われ、なかなかそういう時間はつくれない可能性があります。要は、量より質でいくか、質より量でいくか。若手のうちは、量を指標にしてしまいがち。でも、量でなくても、質で勝負は可能です。

 しかし、そのためには「持っている患者さんが少ないから、そこを逆に活かして勉強しなくっちゃ」という意識が必要です。ぱぱっと患者さんを診て余った時間をぼーっと過ごすのも、たまには良いかもしれませんが、ずっとそれを行なってしまったら、量を診た研修医には到底敵いません。

 たくさん診ることは、”さばく”能力が身につきます。それは大事であることは言うまでもありません。でも、研修医のうちは少ない患者さんでじっくりしっかり、というのも悪くないのでは?と思います。”さばく”能力は後期研修医になったら否が応でも身につくので…。ま、確かに救急外来にやってくる患者さんをどんどんさばいていく姿はカッコいいものがありますが…(”さばく”という言い方はあまり良くないでしょうけれども)。

 たくさんの患者さんを診られる大病院も確かに良いかもしれませんが、小さな病院の研修だってそれに比肩するものになりえます。多くの医者が「研修はどこの病院でもだいたい同じようなもの」と言うのは、このことを指しているのでしょう。

 ちなみに、自分が研修した病院はまったく人気のない大学病院であり、担当患者さんも市中に比べて多くなく、しかも市中でやっていけなくなった研修医を受け入れることも多々ありました。科によってバラツキがありましたが、基本的には少ない患者さんを診るタイプだったと言って良いでしょう。自分の性格上、それで良かったなと思っています。市中に行っていたら潰れていたかもしれん…。
Comment:0  Trackback:0
2019
04.14

患者さんは先生ではない

 おエラがたの本を読んでいると

「患者さんは私に色々なことを教えてくれた先生です」

 というような内容のことが多々見られます。確かに自分も「そうやなぁ」と思っていた時期もありました。しかし、今は「本当にそうなのだろうか…? 患者さんは医者の”先生”なのだろうか…? そんなキレイゴトなのだろうか…?」と疑問を持っています。

 少し前にも記事にしたことですが、”先生”は生徒に対して様々なことを教えてくれます。古典的には人徳者であり、お手本のような存在。そして、その先生というのは



傷つかない存在



 です。子どもに対する大人であり、子どもが卒業するまで変わらない姿で教えてくれるのです。そして、子どもたちはその教えを糧に成長し、また折りに触れ当時のままの先生を思い出すでしょう。絶対的、は言いすぎかもしれませんが、まさに傷つかないのです。

 しかしながら、実際の患者さんはそうではありません。確かに医者に様々なことを教えてくれ、それは何ものにも代えがたい経験。それによって成長するというのも然りです。しかし、しかしです。患者さんは



傷つく存在



 なのです。医者に教えてくれますが、それは身を挺してと言って良いでしょう。患者さんと接することがなかったら医者として成長することはないと断言して良く、そしてそれは成長以前の医者によって患者さんが傷つくことでもあります。

 部分的に患者さんは死んでしまうのであり、グロテスクに例えるならば医者はその血を啜り肉を喰らって大きくなる、とも言えるのです。自分自身にも当てはまりますが、レジデント時代の患者さんがたを振り返ってみると、今ならもっとうまく治療できたのではないか、あの患者さんは仕事を辞めずに済んだのではないか、もっと早く復職できたのではないか、寛解できたのではないか、などと後悔します。今なら、でなくとも、当時の主治医が自分でなく上級医であれば、もっとうまく行ったでしょう。今でもそうで、なかなか改善していかないうつ病患者さんや引きこもり患者さんを診ていると、他の先生なら…と自分の能力の低さに打ちのめされます。そう、患者さんは明らかに不利益を被っているのです。それは傷つき以外の何だと言うのでしょうか。

 患者さんを先生と形容することは正しくありません。傷つき倒れてしまう存在であり、それはしかも自分たち医者によって傷つけられているのです。医者によって血肉を喰われる存在なのです。”先生”と表現するのは、それを否認する機制が働いているのだと思われます。自分を含め医者はそのことにしっかりと直面する必要があるでしょう。

 繰り返しますが、”先生”という、そんな生易しいものではありません。自分たちが傷つけているということを、自分たちのスキル向上は患者さんの犠牲のもとに成り立っているのだということを、医者は理解しておかねばなりません。であるからこそ、ひとりの患者さんから得られるものを無駄にしてはならないのです。そこを通して、尊厳というのは生まれるのだと思っています。まさに患者さんのいのちを”いただく”ことで、そのひとりひとりのいのちが私たちの診察態度や治療技術や手技に宿っている、と言えるでしょう。また、医者はそれを宿すように努力をせねばならないのです。「患者さんに寄り添う」や「患者さんから学ぶ」などという独善的な言葉を軽々しく言うべきではありません。自分たちは患者さんを傷つけ部分的には殺し、それを養分として育つのです。その面を認識せねば、どんなに綺麗な言葉も、冬の乾いた風のように、さびしく吹いてどこかに消えてしまうでしょう。部分的にいただいたいのちを、また明日会う患者さんのために大事にし、また後輩にも教えていくことが医者の最低限の礼儀なのだと思います。
Comment:6  Trackback:0
2019
04.12

神経心理学はすぐに忘れる

Category: ★本のお話
 最近、ブログの更新自体も1か月に3回とか4回とか、往年に比べて随分とペースが落ちました。それに合わせて、読んだ本の紹介も全くしなくなったなぁと思い出したのです。忙しかったり、体調がよくなかったり、疲れていたり、そんなのでついつい。でも忙しさのピークは何となく過ぎたような気もするし(気がするだけ)、そろそろ趣味のことでも始めてみようかな、なんて考えることも出てきました。

 今回は、そんな反省も踏まえて、久々に本のご紹介を。

 読んだのは『認知症の心理アセスメントはじめの一歩』(医学書院)です。読んだ、と言っても実は発売当初に買って読んだので1年前なのですが…。

 心理アセスメントと聞くと心理士の先生がするものと思うかもしれませんし、大体そうなのですが、HDS-RとかMMSEはさすがに医者も行ないますし、患者さんに取り組んでもらっている間の様子も知りたいので、外来初診の患者さんのHDS-RやMMSEを心理士の先生にお任せすることはありません。しかし、数分で終わるもの以外は心理士の先生、つまりは専門家にお願いをします。

 その中で、神経心理学的検査はもちろん神経心理学を理解しておく必要があり、これがどういうものかは、本書の "神経心理学は、言語、認識、行為、記憶などの心身の働きが脳のどの部位で、またどのような機序によって営まれているかを明らかにする研究分野" という説明が的を射ているでしょう。例えば「遂行機能は脳のどこの部位が担当して…」というもの。

 この神経心理学は自分の苦手なところで、山鳥重先生の本や武田克彦先生の本を何冊か読んだのですが、残念ながら「読むたびに忘れる」ということを繰り返していまして…。まさに「読む回数=忘れる回数」となっています。もはや永遠の初学者?

 この本は、まさに "はじめの一歩" であるため、言葉もわかりやすく説明されていますし、フルカラーでイラストも多め。「読んでみようかな?」という動機づけを可能にしてくれるのが高ポイント。しかも薄すぎず厚すぎず、かつ安いんですよね(2800円+税)。

 自分は、心理アセスメントそのものを学ぶというよりも、第2章の「部位別にみた脳の機能とその検査」と第3章の「認知症の病型別にみた認知機能障害の特徴とアセスメントの実際」を勉強したという感じです。初学者にもわかりやすく示してくれているので、導入、そしてすっかり忘れた頭には最適。そこからもう一回武田克彦先生の本を読み直そうかな…。疾患そのものの理解はこの本の主眼ではないため、他書でしっかりと学ぶ必要があります。

 第3章ではHDS-RとMMSEなどの下位項目の比較が病型別に載っているものの、これは参考程度にしておいたほうが良いかもしれません。元文献を読んでいないので分からないのですが、検定方法がどんなものか気になりますし、多重検定にもなっており、αエラーの可能性が高いと思います。きちんと補正をかけているのなら良いのですが。

 自分は "認知症の" というよりも神経心理学の大まかな理解のためにこの本を読んだので、全体的に浅い理解にとどまっていると思います。本来なら第4章を最重視すべきでしょう。心理アセスメントをどう活かすかというのが最も大事であり、それをしないと「WAISでばらつきがあるから発達障害ね」という愚の骨頂をしでかす恐れがあるのです。ラベリングのために用いてはなりません。「何のための検査か?」を考えながら、医者であれば依頼をかけましょう。言ってしまえば、患者さんの幸せにどう結びつけるか、というのが心理アセスメントの、そして医療の根本だと思います。診断やアセスメントというのは、そして医療というのは、患者さんがより良く生きるための侍従であるはずです。
Comment:0  Trackback:0
2019
04.09

これは私の出番ではないか?

 週刊医学界新聞、というのがあります。webで公開されているので、医療者のみならず、誰だって閲覧可能。

 それには毎度毎度おもしろい記事があるのですが、2019年4月8日号がなんと



私の医学部浪人物語



 というものでした。内容は

・医学部入学までの経歴と,医学部にこだわった理由
・浪人時代の印象深いエピソード
・浪人して良かったかも?と思うこと
・浪人生へのメッセージ

 というもので、読んで「浪人の数だけドラマがあるなぁ」と思いましたが



浪人と言えばまさに自分が適役ではないか…?



 と思わなくもなく、なぜ自分がこれにお呼ばれされていないのか!?(いやいや…)

 しかしながら、ここに出ている先生方は立派すぎて、自分なんかが出る幕ではなかったのでした…。いやもうまぶしすぎて、予備校ウラのゲーセンに行ってたとか、勉強は1日3時間もすれば満足してたとか、ラジオを聞きながら勉強していたはずが、勉強しながらラジオを聞くようになって、結局は手を止めてしまっていたとか、そんなん書く人がいたら浮きまくりですよね…。いや、しかし一人くらいはこういうゆるゆる系がいても良かったのでは…?(罵倒されそう)

 みなさん「聖人君子かよ!」というような、そのお顔を見たら拝んてしまいたくなるような先生方なのです。今現在浪人で頑張っている人や浪人を経験してモヤモヤしている人にはとても励ましになる内容。しかし、もっとこう、地方病院の吹き溜まりで悪態をついているような、そんな輩の意見もあっても面白かったのでは、と。うーん、でも攻め過ぎかそれは。

 さて、この寄稿特集の中の”浪人して良かったかも?と思うこと”という項目は残念ながらまさに生存者バイアスがかかっています。浪人しても医学部に合格できなかった人たちの声はもちろんありませんし、この寄稿をしている先生方は、繰り返しですがとてもご活躍されている超人。さらに、こういう媒体に書くということで、ちょっとキレイゴトになっている可能性もあるでしょう。擦れっ枯らしの医者でかつ内輪の飲み会の席での発言を録音していたら、果たしてどんな言葉が出ていたか…。自分だったら「浪人かぁ、しちゃったもんはしょうがないよねぇ」と書いてしまいそう。

 浪人した自分としなかった自分とで比較試験ができないので、「浪人してどうだったか」というのは、その後の医療者人生の中で自らが意味付けをするものでしょう。だからこそ



「しちゃったもんはしょうがないから、後から振り返って、浪人してでも医療者になって良かったなと思えるような人生にしたい」



 と思うのです。それによって初めて浪人生は蜘蛛の糸をつかめて救われるのだ、たぶん…。
Comment:0  Trackback:0
2019
04.07

あと何回

 電車に乗り遅れたので、次の1本を待つあいだに近くの公園で早朝のお花見をしました。

 青空に伸びるかのような桜。気分もスッキリしますね。ま、仕事に向かうことを思い出すと打ち消されますが…。

RIMG1916.jpg

近くで見てみましょう。

RIMG1917.jpg

 枝垂れ桜も。名古屋市公会堂を背景にして。

RIMG1918.jpg

 おや、なぜこんなところにヒルドイドクリームが?

RIMG1919.jpg

 あ、メガネがぁぁ落ちていぃぃたあぁぁ。宴会で酔っ払って落として踏んだ系か…?

RIMG1920.jpg

 と、こんなことをしていたら危うく次の電車にも乗り遅れるところでした。

 しかし、こうやって何の気なしに桜を眺めていますが、あと残りの人生を考えると、お花見も多くて40回くらいなんだなとふと思ってしまいました。紅白歌合戦を見るのも、お正月も、それくらいで終了。オリンピックなんて、夏冬それぞれ10回しか経験できません。

 そう思ったら、人生って本当に有限。人はいつか死ぬものだというのは自明なのですが、桜を見る回数を数えたら、身近に感じてしまいました。
Comment:2  Trackback:0
back-to-top