FC2ブログ
2018
12.28

仕事納め

 2018年は、明日、すなわち12月29日で仕事納めとなります。だいぶお疲れちゃんな一年でしたが、何とかここまでこぎつけました。宝くじさえ当たれば一発逆転なのだが…。

 それはそうと、今回の年末年始は日当直から見事に外れ、ゆったりできそうです。仕事始めが1月5日なので、それまではのんびりとさせてもらおうかしらん。おせちはお煮しめと田作りと伊達巻くらいはつくるつもり。材料はほとんど既に買ってあり、あとはしいたけを買うくらいか…?

 そういえば、「平成最後の年越しか」と何となく思いました。それを考えると、例えば今40歳の男性が年越しを経験できるのもあと40回くらい。具体的な言葉でいうと、年越しそばを食べるのがあと40回。それ以降はどうしても経験できません。そこから広がると、春の桜を見るのもあと40回。桜なんて毎年春に「わーきれいだなー」と思って見るくらいなのですが、あと40回というリミットを聞くと何やらどきっとします。中秋の名月もあと40回。オリンピックで言えば、夏と冬それぞれあと10回くらいですし、うるう年もそうですね。

 具体的に回数が決められそこからのカウントダウンと考えると、人生馬鹿にできないぞ、と思います。一日一日をぼんやり生きていて良いのか? という声も聞こえてきそう。ですが、ぼんやり生きているからこそ節目節目の出来事に感動できるのかもしれません。確かに今日、2018年12月28日という日は一生に一度しかやってきませんし、今こうして勤務のお昼休みに記事をカタカタ打っている時間も一生に一度。すべてが生まれた瞬間に痕跡を残して去っていくものではあります。でも、それを常に意識していたら随分と堅苦しくなりそうな気もしないではありません。世にある "行事" というのは有限を意識させ、今ある生に感謝するためにあるものでしょう。であるならば、普段はのほほんと暮らし、行事の度に自分の残された生を実感する。そういうメリハリが良いのかなぁとも思っています。

 という、結局は世俗的な生き方バンザイみたいな、凡庸なお話になりました。来年も大病せずに何とか生きながらえたいものです。良いことがあったかたも、悪いことが続いたかたも、来年こそは良い年になりますように。
Comment:0  Trackback:0
2018
12.19

毎年恒例の

 今年も買いました


年末ジャンボ宝くじ!


 還元率が低いと言われ、買うやつは素人とも言われ…。でも何て言うんでしょう、年中行事と言うか、買って「当たったら仕事を辞めて旅行に行って…」と夢を膨らませ、そして新年早々に現実へ引き戻されるという、そこまでがセットである、日本の年末年始。

 購入したのは、30枚 (バラ)。

RIMG1805_20181219124907b13.jpg

 前回は何と3000円当たったのでございますが、今回はどうなるかしら。私が前触れなく仕事を辞めてハイテンションになって与論島辺りから記事を更新していたら、「ははぁ、さては」と思ってやってください。

 ていうか、もう来年まで2週間切ったんですね。平成最後の年末年始や。
 
Comment:6  Trackback:0
2018
12.12

不意打ち

 12月9日は、第18回河合臨床哲学シンポジウムに行ってきました。去年は確か日直と被っていて行けなかったんですよねー。

 シンポジストの有り難いお話を聞くのもそうなのですが、むしろ木村敏先生の顔を拝んで明日からまた頑張るか、というのが主たる目的だったりします。精神科では生ける伝説的な先生で、もう高齢なのでいつなんどきどうなるか分からない (超失礼!) ので、今のうちに…と思っていました。

 開催場所は東京大学。9月に別件バウアーのシンポジウムに行った時はまさかのキャンパス違いというミスを犯し、非常に慌ただしく会場入りをしてしまいました (駒場キャンパスと本郷キャンパスを間違えた…)。場所は入念にチェック。「弥生キャンパス。なるほど、本郷キャンパスの向かいね、よしよし」と、バッチリです。

 朝8時前に出発。新幹線で東京駅に。ということは、朝ごはんは自動的にここで。

RIMG1765_2018121211215394e.jpg

 お、並んでいる…!

 しかし、ほんのり屋での朝食は遂行しておきたいところ。時計を気にしながら並んで、本日はこちら。

RIMG1766_201812121121545c0.jpg

 なんと、牡蠣めしのおむすびなのです (それと、からあげ)。では、いただきます。

RIMG1768_201812121121562f1.jpg

 うむ、んまい。今シーズン、牡蠣を食べたのが初めてであった、そういえば。

 やや急いで食べて地下鉄丸ノ内線に乗り、本郷三丁目で降りる。ここから東大までの道は?と思うかた、安心してください。



何となく頭の良さそうな人たちの後をついていくと、東大に着く



 のです (マジで)。もっとも、弥生キャンパスは丸ノ内線を使うとやや距離があるのですが、正直なところ東京に慣れていなくて、東大に行く時は必ず丸ノ内線を使って本郷三丁目で降りるようにしています。たぶん、自閉スペクトラム症の子どもが見せる "こだわり" も、そういう背景があるでしょう。自分の安心は慣れたもので確保できるのです。慣れないところで予想外のことが起きて「???」とパニックにならないように、妙な変数は入れたくない。

 道すがら。
 
RIMG1771_20181212112159248.jpg

 農学部の弥生講堂。

RIMG1772_20181212112200ec8.jpg

 ここでシンポジウム、"あいだと間 (ま)" が行なわれました。

RIMG1773_20181212112354daf.jpg

 そこで衝撃的なお話が…!



木村敏先生、圧迫骨折の影響で本日来られず…!!!!



 しかも…



河合臨床哲学シンポジウムが今回でおしまい…!!!!



 なんていうことなの。。。

 高齢となり体調などを考慮して、先生の主宰ではなく若い人にバトンを、ということのようです。これって、もう顔を拝むことなく以下略なんじゃなかろうか、むむむ。

 ちょっとした失望感の中でシンポジウムが始まりましたが、"あいだ" や、それと音楽についてなどのお話が進んでいきました。

 お昼休みは、本郷キャンパス向かいの海鮮丼屋さんで。

RIMG1777_20181212112142736.jpg

 日替わりの海鮮丼。

RIMG1774_2018121211235527b.jpg

 あれ、築地市場ってもう終わったんじゃなかったっっけ…?

RIMG1776_201812121121417ab.jpg

 会場に戻る時、本郷キャンパスをお散歩。ちょうど銀杏が色鮮やかな季節でした。

RIMG1779_20181212112144fff.jpg

 陰と銀杏の明るい黄色とのコントラスト。

RIMG1778_20181212112145a83.jpg

 午後の部も終わり、ディスカッションも時間ギリギリまで続きました。しかし、ディスカッションでフロアから意見をする人って、めちゃくちゃキャラクターが濃いですよね…。全員とは言いませんが。

 気になったところと言えば、前後関係は忘れましたが、村上陽一郎先生が「今の若い子はスマートフォンで育っていて自然を知らない。その子たちが大人になった世界を想像できない」というような内容のことをお話ししていた点。

 自分はそういうのにあまり与する方ではなく、その "自然" とは何なのだろうか、と思います。村上先生の思う "自然" とは? 先生が幼少期にあった原っぱや雑木林などを想定されているのでしょうか。では、その原っぱは本当に自然なのでしょうか、雑木林は本当に自然なのでしょうか。いえ、それらは少なからず人の手が入ったものでしょう。キャンプ場など自然に見せかけた不自然だと言えるかもしれません。そして、"美しき里山" も、人がいなければ荒れてしまいます。ではもっと規模を大きくして、富士山は自然なのか? 遠くから見ればそのように映るかもしれません。しかし、登山道はある程度整備されており、山小屋も多くあります。それは自然と呼べるのでしょうか。

 自分にとっては、冷蔵庫があるのが自然です。テレビがあるのが自然です。歩く道は舗装され、電柱があり街灯があるのが自然です。スーパーには一年中新鮮な野菜が並んでいるのが自然です。そして、もっと若い子であれば、スマホがあるのが自然でしょう。むしろ、それらがないのは "不自然" なのです。月明かりだけで歩くことは果たして自然なのでしょうか。冬は乾物や漬物のみで凌いで生きるのが自然なのでしょうか。

 現代の閉塞感から逃れるような、自身の過去の、望郷としての環境。それを "自然" と呼んではいないでしょうか。村上先生であっても、そこから抜け出ていないのではないでしょうか。先生は、"老い" とそれによる "現代社会からの孤立" を否認してはいないでしょうか。もし村上先生が新進気鋭と呼ばれる年齢であれば、上記のような発言はなかったかもしれません。過去に思う自然はあくまでenvironmentであり、natureではありません。本来の自然は、人間を翻弄する、荒々しいものです。人の生命など考慮してはくれません。それは関東大震災、阪神大震災、そして東日本大震災で痛いほど学んだのではありませんか。

 バーチャルへの言いようもない恐怖。ついていけずにそれこそ翻弄されるのではないかという不安。それを否認し無意識に押し込むことが、過去のenvironmentを賛美し現代を貶める根底となってはいないでしょうか。自然という言葉を持ち出してしまうと、もうそこで思考停止になりはしないでしょうか。

 そんなことを思いました。そして、人間はしたたかです。インターネットなど自分が小さい頃はまったくありませんでした。携帯電話だってそうです。しかし、今はどうでしょうか。それがなければ生活が成り立たないくらいになり、まさに "自然" となっているではありませんか。人間の適応力はすごいと思うのです。それは未来への希望になるのではありませんか? 過去へのとらわれを代表する "自然" という人工的かつ記憶によって改竄されたenvironmentにこだわり現代と未来を悲観するよりも、自分は今まさに適応している人たちの姿を見て、未来に思いを馳せたいのです。

 帰り道で上記のようなことを考えていました。しかし、駅に着いたらあとはお土産に頭がシフトチェンジ。時間があまりなかったのですが、ぐでたま先生のご様子も確認。5周年おめでとうございます!

RIMG1783.jpg

 新幹線の中で軽いお夕飯。松露サンドです。

RIMG1784_201812121121481c7.jpg

 いただきます。

RIMG1787_20181212112150638.jpg

 むむ、卵焼きの甘さが強くて、サンドイッチとしてはちょっとバランスが良くないように思います(卵焼き自体は甘い方が好きですが)。これなら10月に東京へ行った時に食べた "天のや" のタマゴサンド方がさっぱりとしていて、またパンとの食感の相違を考えても完成度が高かったように思います。

 自宅には穴子の握り (再び)。

RIMG1788_2018121211215178b.jpg

 そして、定番である東京ばな奈、のラッコバージョン。

RIMG1790_20181212112256548.jpg

 可愛いですね。パンダ (バナナヨーグルト味) もあったのですが、今回はラッコちゃんにしてみました。中はコーヒー牛乳のクリームが入っています。

RIMG1794.jpg

 さて、河合臨床哲学シンポジウムが18年で終了し、今後は東京に行く機会も少なくなるのかもしれません。おそらくは、少しの期間を置いた後に新たな臨床哲学のシンポジウムが開催されることになるのだとは思いますが、木村敏先生がいなくなるのはちょっと寂しいものがあります、ファンとして。
Comment:6  Trackback:0
2018
12.05

昔は元気があったのに

Category: ★研修医生活
 振り返ってみると、研修医の頃は元気でした。救急外来の当直は怖いながらも新鮮で勉強することがたくさんありましたし、当番じゃない日も顔を出してどんな患者さんが来ているのか、どんな診察や検査が行なわれているのか、いろいろと見ていたものです。何だかこう言ってしまうと軽躁病エピソードの聴取みたいですが…。

 当番以外の日に患者さんを診たら怒られてしまい、研修医になりたての頃はその理由がよく分かりませんでした。今でも確証はないのですが、あれは何かあった時の責任の所在がかかわっているのかも。当時は「労働時間が云々」ということで労基署が突撃するなんてことはない時代だったので、勤務時間という次元で怒られたわけではないはず。時間外手当てなんてなかったし(今もないけどね!)。

 怒られながらも顔を出していたのは、自分が強情だからでしょうね。もちろんメインに診ることはせず、手技などを行なっておりましたが。しかし元気であったなぁ、今では考えられないくらいに。基本的に研修医室に寝泊まりしており、救急車のサイレンが聞こえたら救急外来に降りてどんな患者さんか見てみる生活。特に研修医2年目は外来化学療法部というところをローテしたためルート確保のレベルが異様にアップしていたため、救急外来でも虚脱した患者さんのルート確保をよく行なっていました。研修した病院は、当時は救急外来で看護師さんがルート確保をすることはなく、ほぼすべて研修医がやっていました。今は看護師さんがやっているんですって! 時代は変わったなぁ。そういや精神科医になってからかれこれ3年くらいはルート確保してません…。今の病院に来てから一度もしてない。

 あと、自分で言うのもアレですが、研修医の頃はかなり勉強もしました。やっぱり勉強しないことで見落として患者さんに何かあったらどうしようという不安が強くてですね…。本を読んで、そして救急外来で体験して、という感じ。あ、ちなみに救急外来ならではという本で「役に立った!」と思った代表が『マイナーエマージェンシー』です。救急外来に1冊置いてあったので、クリティカルではないけれども「え…? これどうすりゃいいの?」という患者さんが来た時には読んでいました。

 そうだ、研修医になったら包帯の巻き方を覚えておくと良いですよ。自分はもう忘れちゃいましたが、一時期勉強してやたら綺麗に巻いていたことがありました。患者さんからは「やっぱ巻き方ちがうんですねー」という高評価。"医者らしさ" を出せる瞬間です。ヘボヘボな巻き方だとなんか残念。仲間内でちょっと練習するだけで見栄えが全然違うので、ぜひ。自分が読んで勉強になったのは『ビジュアル基本手技』の『骨折・脱臼・捻挫』だったかなぁ、確か。ちょっと記憶が薄いので自信がないです。今だとたぶんwebでも巻き方くらい載っているんでしょうね。

 精神科レジデントの頃もまだ多少なりとも元気、というか勉強への熱意はあったのです。患者さんを診ると「もしこの患者さんが自分じゃなくて上の先生が診ていたら、もっと良くなっていたんだろうな…」という思いがどうしても沸き立ってきて振り払えず、向精神薬や精神療法の勉強は今よりも確実にしていました。がむしゃらという言葉がぴったりだったかもしれません。

 最近、ふっと振り返ってみることがあるんです。

「当時よりも知識のある今なら、あの患者さんをもっとうまく治療できていただろうか…?」

 と。確かに知識量は今のほうが多い。でも、患者さんひとりひとりに対する、あの当時のような熱意が今はありません。良くも悪くも力が抜けている診療なのでしょうが、もう若くもないし根気が続かなくなってしまいました…。あと、今の外来患者さんの数を一日通して診るには、どうしても出力をミニマムにしていかないと途中でヘタレてしまいます。果たして、あの当時の一生懸命さは治療にどういう影響をもたらしていたのでしょうね。少なくとも漢方治療という点ではこの1-2年の方が何倍もうまくやれるのではないかと思ってはいますが。

 そのような熱意の有無はあるにせよ、今なら治療できていたはずの患者さんが、やっぱりいたはずです。自分の経験や勉強が治療水準に届かなかったがためにそうなってしまった、自分が診ていなければこの患者さんの人生はもっと良くなっていたのではないか、という恐怖感はとても大きいのです。それは今でも考えることであり、特に治療に難渋し苦しんでいる患者さんの診察を終えた時は押しつぶされそうになります。自分じゃなければ、もっと知識があれば。この繰り返しです。だからこそ色々と勉強はするのですが、その思いは拭いきれません。

 研修医時代の患者さん、精神科レジデント時代の患者さん、そして現在進行形の患者さん。彼らの影におびえながら、今後も医者としてやっていけるのか。最近、そんなことを思います。他者の犠牲のもとに自分は立っているのです。でもこれから立ち続けていくことは、正直なところ重荷にもなってきています。しかしそこから降りることは、その犠牲の軽視になっているかもしれない、とも考えてしまいます。

 「患者さんは私たちの先生である」と、医療者の間で言われています。患者さんに教えてもらいながら医者は成長するということ。確かにそうでしょう。しかし、未熟な医者に診られ、そして人生が不幸に傾いてしまった患者さんもいるはずです。彼らを "先生" という一言で済ませられるのか、とも考えるのです。自分ではない他の医者が診ていたら…と後悔する気持ちは誰しも持つでしょう。患者さんを「先生」と表現するのは、その気持ちを否認するためのものかもしれません。なぜなら、生徒を教える先生という立場は崩れないものであり、傷つかないものなのです。でも、実際の患者さんは医者の診療によって傷つき疲れ、人生にも苦しみ倒れ、立ち上がれなくなることもあるでしょう。
 
 む、こんな話になるような記事にするつもりはなかったのですが、暗くなっていったな…。人はどこか負い目を感じながら、罪を感じながら生きているのでしょうね。
Comment:4  Trackback:0
back-to-top