FC2ブログ
2018
07.28

ケアをひらきましょう

Category: ★本のお話
 医学書院さんの個性的なラインナップに『シリーズ ケアをひらく』というのがあります。どれもこれもエッジが効いているというか何というか、バラエティにも富んでいますし、読んでいて素直に面白い!のです。この "素直に面白い" という感覚って結構大事だなと思っておりまして、そういうシリーズをバンバン出してくれるのはとてもありがたいですね。そしてその多くは専門的な知識がなくても大丈夫。

 このシリーズは全部読んで!と言っても良いのかもしれませんが、優先順位として精神科医、特に若手の先生にまず読んでほしいものが、中井久夫先生の『こんなとき私はどうしてきたか』と、小澤勲先生の『ケアってなんだろう』の2冊です、個人的に。

 前者は、言わずとしれた大御所・中井先生の本。優しい (易しい) 文体ながらも中井先生の真骨頂とも言うべき内容が随所に入っています。特に患者さんに対しての言葉の使い方、セリフの言い回しなどがいきいきと語られており、中井先生の本の中でこれがいちばん実践的なのではないか…?とも思います。この本は別に自分がお勧めしなくても精神科医であれば読むものでしょう (圧迫)。

 後者は、認知症のケアで有名な小澤勲先生。2008年、すなわちこの本が出版されてから2年後に70歳で亡くなっていることもあってか、最近の若い精神科医の中には小澤先生を知らない人も多く、ちょっと残念。自分は学生の頃に神経内科の教授から岩波新書の『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』という本を勧められて読んで「こんな先生がいるんだ…!」と衝撃を受けた記憶があります。その中に超カッコいい言葉がありまして



"痴呆の悲惨と光明をともに見据えるために、また、生と死のあわいを生きるすさまじさと、その末に生まれる透き通るような明るさを伝えるために、この一文を書く。彼らに少しでも報い、彼らの思いを世に伝えるために"



 この熱さが何ともたまらないのです (自分も若かったので、強烈に印象に残りました)。そして、その神経内科の教授に対しても「いつも訳わからん感じだし学生に対して厳しいし何なんやろな」と思っていたのですが、「こういう本を学生に勧めてくれるなんて、この先生はやっぱり患者さんのことをしっかりと思っているやなぁ」と反省したのであります。この場を借りて謝罪を (遅い)。

 この『ケアってなんだろう』という本の中でも小澤先生は "自分たちの出来ることはごくわずか、でもそれをしないわけにはいかない" という内容のご発言をされていて、常に臨床家として生きていた情熱を感じずにはいられません。しかしながら、その情熱さだけであれば、辟易してしまうこともあるでしょう。振り回されてしまうこともあるでしょう。小澤先生は冷静さをも併せ持っており、例えば『ケアってなんだろう』の "そもそも他者の「物語を読む」などというのは、僭越で傲慢なことです。「物語」が忘れたい思い出にふれると、傷つけてしまうこともあります" という文章にそれが現れています。物語を読むのは、少しだけやさしくなるためなのです。それ以上の介入は "腹を探られる" ことになるでしょう。ナラティブナラティブと声高に叫ぶ人たちを見ると、ちょっと自分は鼻白んでしまいます。

 この『ケアってなんだろう』は主に対談集ではありますが、小澤先生の認知症患者さんとの関わりの総まとめ的なものであり、小澤先生の入門、というか精神科医療の入門としてぜひ読んでいただきたいなぁと思います。認知症に限らず、精神疾患を持つ患者さんへの接し方の大きなヒントになってくれるのではないでしょうか。滝川一廣先生とともに、自分のあこがれの先生でもあります。できれば一度お話を聞いてみたかった。

 自分は精神疾患の患者さんを診る時、"症状は苦しいものであるけれども、患者さんが何とかそれで頑張ってやって来た証でもある""患者さんなりにこの苦しい世の中を生き抜いてきたのだ" という目線を持つように心がけています。そして、その苦しさでまた生きていかねばならない患者さんに対していくばくかのお手伝いをするのが医療者の役割なのだとも思います。一人ひとりの患者さんに対して、どのようなお手伝いが良いのかは具体的であり一般に還元されないものでしょう。「こうすればうまくいく!」というわけにはいきません。オーダーメイドのものを患者さんと一緒に悩んでつくっていく、もしくは解決がなされず悩むだけかもしれません、でもそのような一緒に何かをするという過程がケアには大事なのかもしれない、とも考えます (流行語で言うとネガティブ・ケイパビリティでしょうか)。「一人で悩むより二人で悩もう。その時間の積み重ねは無駄にはならないし、うまく行けば希望につながるかもしれないよ」という気持ちにもなってきます。小澤先生の本を読むと、根本的な解決の見えない状況でも何とかこらえてやっていこう、そんな気持ちになれます。

 このシリーズはどれもこれも「なるほどなー」と思わせるもので、最近ですと國分功一郎先生の『中動態の世界』も素敵なのですが、これは専門的な知識がちょっと必要かもしれません。この中動態は精神科と相性が良いような気もしますね。受動と能動との "あいだ" で、私と患者さんとの思いは色づいていくのでしょう。
Comment:0  Trackback:0
2018
07.24

引退後の生活を思う

 タイトルは「まだ気が早いよ!」と怒られそうですが、自分は本気で今の職業を早めに辞めようと思っています。医者は定年がないので80を超えても現役です!という先生もいますし、精神科であれば老医からありがたい言葉をいただくとそれだけで良くなってしまうような気もします。お寺の和尚さんのような存在? そういうのもひとつの生き方ですが、今の仕事を60超えてまでやりたいかと言われると「もちろん!」と即答はしかねます。つまらないわけではないのです。自分なりにまじめにやってるつもりですし、そうでないと患者さんにも失礼ですし。

 でも、可能であれば、60歳くらいで引退する気満々。経済的な余裕ができたらもっと早くてもかまいません。そして余生を趣味に生きたいのです。趣味と言っても何をしたいの? と思われるかもしれませんが、願わくは



もう一度大学で勉強してみたい!



 のです。これ、年々その気持ちが強くなっているのであります。もう一度医学部に行くとかいうワケの分からないことではないですよ。ちなみに自分は浪人生活をしていたので、今でもたまに医学部を受ける夢を見ます。しかも在学している医学部を辞めて他の大学の医学部を受けるとかいう正気の沙汰ではない夢。夢から醒めて「あぁ、夢でよかった…」とホッとします。

 行きたい学部って、文学部なんですよねー。自分は高校2年までは文系も良いんじゃないかと思っていましたし (数学が苦手だったのもありますが…)。

 古典文学にどっぷり浸かりたいし、それを勉強して残りの人生を過ごしたいのです。大学って学ぶところですし、若い人だけじゃなくてもっと中高年が行っても良いんだと思います。しかも大学の教授はその道のプロ中のプロですから、そういう人にどんどん質問できるって、すごいことです。大学が終わってから気づきますね、そういうのって…。

 そういう話を家族にしてみるんですが「そんなことができるのか?」と言われます。

 まずは60歳で辞めてもその後のお金をどうするのだという点が指摘されます。ごもっともであるし、それが最大のネック。年金なんてもらえるのか、もらえたとしても75歳とか80歳とか、そんな年になってからでしょうし。自分は身体の調子も良くないしBMIも低いため早めに死ぬと思いますが (そんなことを言う奴ほど長生きするのか…?)、それにしてもお金の不安は残ります。医者といえども勤務医で時間をセーブして働いていると、そんなにお給料は高くないのです。もちろん平均収入以上はいただいていますが、早めに引退するには非常に心もとない。貯めておかないと。

 そして、試験に受かるほどの学力が残存しているとも思えないという、かなりグサッとくる点も。なぜなら、自分の記憶力が今ですら下降しているから、なのです。そのため、新しく勉強してもどんどん忘れてしまうのではないか? と言われます。買い物に行っても前日に買った野菜をまた買ってしまうし、冷蔵庫の中は正直なところ同じようなものがゴロゴロしています…。以前にも記事にしたか覚えていませんが、白菜1/4を買って、数日後にまた1/4を買って冷蔵庫を見てびっくりして、そのまた数日後に1/4を買ってしまってまたまた冷蔵庫を見て驚き。あやうく1個になるところでした。本も同じのを買ってしまうし、特に今は長編小説が読めなくなりました。読んでいくうちに忘れてしまい、また戻って、というのを繰り返して一向に進まない。なので、短編しか読めないのです。それで文学部が大丈夫なのかという不安もありますが、何にせよ今ですらこんなボロボロなので、50歳や60歳になったらそれはもう恐ろしいことになりそう。そして、仕事を辞めたらもっと認知機能低下に拍車がかかりそうだとも言われます。うーむ、全く反論できない。受験するんだったら学士入学にするつもりですが、それでも試験はあるし。

 ま、しかし1回きりの人生なので、余裕があったら早めに仕事を辞めて勉強しなおしたい!と切に切に願っていまして。いろんなことを知っていくのは、本当に素敵なことなのです。

 だから、だから宝くじよ当たってくれ! 7億とは言わないよ! 5億! 5億で良いから! (結局そこか!)
Comment:2  Trackback:0
2018
07.21

HbA1cに別れを告げよう

Lipska KJ, et al. Is Hemoglobin A1c the Right Outcome for Studies of Diabetes? JAMA. 2017 Mar 14;317(10):1017-1018. PMID: 28125758

 タイトルは言い過ぎてしまいましたが、今回は糖尿病診療のアウトカムの設定について。これまではHbA1cを下げれば血管リスクや死亡リスクが下がるだろうと考えられていましたが、最近行われた臨床試験では決してそうでもないことが言われています。そんな内容のことを言った短い論文。

------------------

 2型糖尿病の治療目標は合併症を減らしQOLを改善し、出来るならば生命予後を改善することです。ここ数十年、こういった目標を達成するには厳格に血糖値をコントロールすべきだと複数のガイドラインで示されています。加えて、1990年代にFDAはHbA1cをアウトカムとして治療薬を承認することとなりました。この考えは、HbA1cの目標値達成に焦点を当てることで、治療法にこだわらずリスク低減を目指すものでした。これは脂質低下に関する初期の考えと同様であり、心疾患リスク低減や生存期間延長のためにHbA1cによって血糖値を厳格に評価する臨床試験が行なわれ、それが失敗しているにもかかわらず生き残っているのです。
 心血管イベントをアウトカムとして最近行われた2型糖尿病への臨床試験は、これまでのアプローチとは異なるものでした。これらの試験では、HbA1c低下は同様であったのですが、薬剤によってアウトカムへの影響が異なりました。例えば、エンパグリフロジンやリラグルチドはプラセボと比較して心血管イベントや死亡を減少させました。これは上乗せ試験であり、ベースとなる治療薬はHbA1c値が群間で同様になるように調節されていました (コメント:上乗せ試験はちょっと無理のある試験だと個人的には思います)。これら試験の結果は薬剤のタイプが重要であることを示しており、薬剤の効果は血糖値を下げるだけではないのです。結果として、糖尿病領域の創薬は、代用のマーカーへの歴史的な信頼から心疾患や死亡率といったアウトカムを評価する試験に向かっています。

●アプローチの進化
 何十年にも渡り血糖値のコントロールは糖尿病治療の領域で確立された目標であり、これはDCCTやUKPDSで支持されていました。これらキーとなる試験によって、血糖値を標準治療よりもHbA1c7%ほどにタイトにコントロールすれば、1型糖尿病 (DCCT) や新しく診断された2型糖尿病 (UKPDS) でアウトカムを改善することが分かりました。しかし、これらはスタチンやレニン-アンギオテンシン系阻害薬といった心保護作用のある治療が広く使われる前のものであり、HbA1c値が今日よりも概して高かったのです。その後、3つの大規模臨床試験によって、HbA1cを7%より下げても心血管のリスクは軽減しなかったことが判明しました。さらに、このタイトなコントロールでも網膜症や腎不全といった細小血管合併症にはほとんど効果がなかったのです。同時に、ある種の血糖降下薬 (ロシグリタゾン) はむしろ心血管リスクの増加と関連していました。そのため2008年に、新しい血糖降下薬には心血管リスクがないことを承認後の試験で示すよう、FDAは決定しました。
 それにより、新しい血糖降下薬への心血管イベントへの効果を評価するような大規模臨床試験が多く行なわれました。血糖コントロールが心血管アウトカムに与える影響を調べる試験と比較して、これらの試験は血糖コントロールを同じような状況にして心血管への様々な戦略の効果を評価することとなりました。それを行なうために、これらの試験はプラセボと新薬を比較したのですが、ベースとなる治療はその地域のガイドラインに則って調節されました (コメント:先述の上乗せ試験のことです)
 これらの試験の中には、いくつかの新薬が心血管への有益性を持つことを明らかにしたものもありました。例えば、エンパグリフロジン (SGLT2阻害薬) とリラグルチド (GLP-1アゴニスト) が有意差をもって心血管イベント、心血管死亡、全原因死亡を減少させました (コメント:有意差をもって、と言っても超ギリギリです)。セマグルチドというもうひとつのGLP-1アゴニストは心血管イベントのリスクを減らしたのですが、心血管死亡や全原因死亡は減らさなかったのです。こういった試験とは対照的に、DPP-4阻害薬の大規模試験は心血管イベントにおいてプラセボと非劣性でした (コメント:有意差がつかなかった)。ある試験では、サキサグリプチンによって心不全による入院リスクが有意に上昇しました。これらの試験において、アウトカムに対する治療の効果は、血糖コントロールのわずかな差とは不釣り合いなものでした。よって、観察された効果は血糖降下作用の違いとは関係がないようです。
 これらの試験は糖尿病診療の進化を示すものです。血糖降下薬の効果を理解するには、HbA1c以外のアウトカムを評価する必要があります。

●エビデンスの非対称性
 FDAによる勧告後に行なわれた試験から、2型糖尿病の治療決定に重要なエビデンスがもたらされました。しかし、2008年以前に承認された昔の薬剤と同様に、新薬の中にもこういったエビデンスを欠いているものが多いのが実情です。
 メトホルミンは2型糖尿病の第一選択薬として推奨されていますが、心血管リスクへのエビデンスは主に20年以上前に行われたUKPDSでの小さなサブグループ (n=342) に基づいたものです。エビデンスレベルは今の数千人規模のランダム化試験と比較できるものではありません (コメント:メトホルミンを神格化してもいけないことを示しています。この冷静さは大事ですね)。同様に、メトホルミンとともにもっとも使用されているスルホニルウレア (SU薬) については、心血管イベントをアウトカムにした試験が存在しません。2型糖尿病へのインスリン使用も、そのアウトカムに関してほとんどデータがありません。例外がORIGIN試験であり、軽度のHbA1c上昇を示した新規診断の2型糖尿病や糖尿病前症の患者さんに対してインスリングラルギンを使用しても、心血管イベントは上昇しなかったというものです。結果として、古くて廉価な薬剤の心血管への安全性におけるエビデンスは、いくつかの新薬のエビデンスと比較して限定されたものとなっています。

●ガイドラインの意味合い
 多くのガイドラインはいまだに主な到達目標を血糖値としています。ガイドラインは合併症や低血糖の危険性や治療計画を実行できる能力に基づき血糖値の目標を個別化すべきとしていますが、より深い転換が求められています。
 最近の試験に基づくと、治療は単に血糖値だけではなく特異的な合併症や固有のリスクを目標とすべきです。心血管障害を合併しており再発のリスクが高い場合、エンパグリフロジンやリラグルチドといった心血管リスクを下げる薬剤が好ましいかもしれません (コメント:かも、です)。薬剤の種類や数を考慮せずに血糖値のみを目標とする治療は現在のエビデンスからは遠いものとなっています。
 同様に、特異的な目標に狙いを定める考えは、HbA1cを下げる手段の重要性に疑問を投げかけます。患者さんの合併症や好み、血糖値を下げる方法によって血糖コントロールは考えられるようになるでしょう。

●試験デザインの意味合い
 FDAは2型糖尿病に用いられる薬剤が細小血管イベントを増やさない (願わくは減らす) という市販後試験を課してはいません。実際に、FDAはHbA1cを下げる薬剤について "細小血管合併症の長期的なリスクを減らすという考えは合理的である" という見解を示しています。それゆえ、"薬剤の承認にあたってHbA1cをプライマリエンドポイントとするのは容認できる"のです。
 最近のエビデンスからは、この想定が確たるものでないことが示唆されます。血糖値を下げる薬剤なら何でも細小血管合併症のリスクを減らすとは言えません。例えば、エンパグリフロジンは群間での血糖コントロールはほとんど違いがなかったにもかかわらず (コメント:ここにはletter to the editorで指摘がありました)、腎に関するいくつかのアウトカムを改善しています。セマグルチドも腎症のエンドポイントを改善していますが、そのいっぽうで網膜症のリスクが増加しているのです。現在行なわれているCANVASではカナグリフロジンによる下肢切断リスクを見ています (コメント:2017年にNEJMで結果が出ましたが、下肢切断に関してはカナグリフロジン群で2倍という結果になりました。イベント発生率はカナグリフロジン群で6.3/1000人-年であり、プラセボ群で3.4/1000人-年でした。N Engl J Med. 2017 Aug 17;377(7):644-657. PMID: 28605608)
 血糖値のみを基にしたアウトカムを用いるのは、臨床における意思決定でもはや容認できるものではありませn。医師や患者さんには、薬剤のクラス間、そしてクラス内においてアウトカムの差異を示すエビデンスが必要であり、現在の薬剤で実証的な試験が望まれるでしょう。

------------------

 以上です。HbA1cからは離れようじゃないか、という意見はごもっともだと思います。あくまで代用のアウトカムであり、かつ死亡という根本的なところにそれがあまり関与しないのではないか、ということですね。HbA1cはほどほどに、そして患者さんがあまりそれに縛られすぎずに生活を味わえるようになるのが結局は大事なのだと思います。最大のアウトカムを“幸せ”にしたいものですね。

 ただ、個人的には上乗せ試験というのがちょっと怪しい感じだなぁという印象が拭えず、それによってエビデンスを叩き出した薬剤は「うーん」と頚を傾げてしまいます。上乗せ試験は、ベースとなる糖尿病治療薬にプラセボを乗せる群と実薬を乗せる群とに分けます。これだと明らかに実薬群でHbA1cが下がるので、プラセボ群でもHbA1cを良好にコントロールするようにしています。これがエンパグリフロジンを用いたEMPA-REG OUTCOMEとリラグルチドを用いたLEADERで採用されました。

 ここで、EMPA-REG OUTCOMEにおけるHbA1cの推移を示した図を見てみましょう (N Engl J Med. 2015 Nov 26;373(22):2117-28. PMID: 26378978)。

エンパグリフロジン

 これを見ると、プラセボ群では血糖コントロールをさぼっていると指摘されても言い訳ができないでしょう。LEADERでも同じで、ずっと8%くらいをうろうろしています。対して実薬群では実薬を入れるので当然ガクッと下がります。最終的な血糖値の差は0.35%という数値ではありますが、差があるのは事実であり、薬剤そのものの効果とは言えないのではないか? 本論文へのLetter to the editorでそのような意見でした (JAMA. 2017 Jul 11;318(2):200. PMID: 28697248)。

 これに対して著者らは、差は小さいものだと反論し、この差の小ささに "不釣り合い" に心血管リスクに対して効果を示すのだと指摘しています (JAMA. 2017 Jul 11;318(2):200-201. PMID: 28697251)。そして、タイトに血糖コントロールをした3つの大規模臨床試験を例に出し、標準グループとタイトな治療のグループとでHbA1cはそれぞれ0.7% (N Engl J Med. 2008 Jun 12;358(24):2560-72. PMID: 18539916), 0.9% (N Engl J Med. 2008 Jun 12;358(24):2545-59. PMID: 18539917), 1.5% (N Engl J Med. 2009 Jan 8;360(2):129-39. PMID: 19092145)の差があったにもかかわらず、心血管イベントや死亡率において、タイトな治療グループでは改善が見られなかったと指摘します (これはタイトすぎて逆に悪かったんじゃないかとも自分は思いますが)。また、EMPA-REG OUTCOMEで見られた小さな差はサキサグリプチンやシタグリプチンを用いた試験 (サキサグリプチンはN Engl J Med. 2013 Oct 3;369(14):1317-26. PMID: 23992601  シタグリプチンはN Engl J Med. 2015 Jul 16;373(3):232-42. PMID: 26052984) でも見られており、それぞれHbA1cのプラセボとの差は0.2%と0.3%でありながら、いずれも心血管イベントや死亡率を減少させなかったことも挙げています。それだけにEMPA-REG OUTCOMEとLEADERの試験結果は注目すべきだ、ということを言っているのですね。このように意見を交換できるのは建設的だなぁと思います。

 ただ、いずれも効果としては決して大きいものではなく、特にEMPA-REG OUTCOMEは10mg群と25mg群のそれぞれではプラセボと心血管死で有意差がつかず、両者を合わせたものでようやくP=0.04 (だったかな?) を出したというものです。これは最初から合わせるように試験が設定されていたから問題ないと言う人もいますが、「合わせるって何なんや…」という根本的な問いもありますし、そもそも両者を合わせたことでプラセボ群よりもn数が2倍になっています。nを大きくすると有意差はつきやすくなるため、フェアな比較ではないでしょう。試験結果に則った誇張のない説明をするならば「エンパグリフロジンはプラセボよりも心血管死を増やすことはなく、安全と考えられる」とすべきだったのではないでしょうか。

 自分としてはEMPA-REG OUTCOMEにおけるn数の違い以外にも注目しているところがあり、それは上乗せ試験の宿命とも言えるものだと考えています。

 それは、盲検化が破られているのではないか? という疑問。上乗せ試験の性質上、ベースとなる治療薬に実薬かプラセボを乗せるため、実薬群で血糖値が下がります (当然すぎる)。よって、少なくとも治療者は「あ、こっちが実薬だな」と分かるわけです。下がらなかったらプラセボですし、下がったら実薬です。二重盲検とは言い難く、単盲検、いやひょっとしたら患者さんも分かってしまうのではないでしょうか。仮にプラセボの方でも血糖コントロールがうまくなされたとしても、“追っかけ”になります。どうあがいても最初に実薬群で血糖値が下がるので、それに合わせてプラセボでも下げることになるでしょう。この仕組みは容易に分かるもので、やはり盲検化が破られているのです。「じゃあさ、ベースの治療なんてせずにプラセボと新薬だけのガチンコ対決をすればいいじゃないか」とお思いのかたもいるかもしれませんが、それは倫理的に許されません。HbA1cがガンガン上昇していくのを傍観するのはダメなのです。しかもそれで盲検にならなくなりますしね。この“盲検化が破られる”のは、上乗せ試験の致命傷だと考えています。

 そして、糖尿病治療薬で言えば、どの薬剤も心血管死や全原因死亡に関して有意な違いはなく、異質性はありながらもメトホルミンと併用することで個々の薬剤のHbA1c低下作用が強まる、というのを示したメタアナリシスもあります (JAMA. 2016 Jul 19;316(3):313-24. PMID: 27434443)。HbA1cを下げる力、体重を若干下げる作用、低血糖の危険性の少なさ、そして薬価を考えるとメトホルミンが第一選択というのは現実的である、という内容 (そしてSU薬は旗色が悪い)。まぁそうだろうなーと思います、自分も。心血管リスクを下げるかどうかはUKPDSの結果だけでは言えるものではないのでしょうけれども、廉価というのが医療経済的にも魅力的ですし、長年使用されてきたことからリスクについても多くが分かっています。SGLT2阻害薬やDPP-4阻害薬は新しいので薬価も高く、長期的に見てどうなのだ? というのは分かりません。これからそういう部分が明らかになっていくでしょうけれども、メトホルミンをしっかり使いこなすことが今も昔も変わらないのでしょうね。ということで、大日本住友製薬さんにはぜひメトホルミンの徐放剤なんぞをつくっていただいて、添付文書でも1日1回投与をO.K.にしてもらえると助かります。
Comment:2  Trackback:0
2018
07.18

夏休み

 実は、今日と明日の2日間は


夏休み


 をもらいました! やったー!

 どこかふらりと行こうかと思ったのですが、何と今日の名古屋の最高気温が39度ということで、かつここ数日も38度が続いているので、安全のため室内で過ごすことにしたのであります。もうエアコンは生命維持装置ですね…。小学校の中にはエアコンが入っていないところもありますし、入っていても予算がないからという理由で動いていないところもあるとか…。中には、PTAがお金を出してエアコンを導入したなんていう話も聞きます。

 完全に住むところを間違えたとしか言いようがない…。道民にとってこの気温は地獄。身体の中から蒸されているような、つまりは蒸し器の中にいる肉まん状態なのです。北海道のみんな! 名古屋に住んだらダメだぞ (岐阜も)! 身をもって実証。

 あ、夏休みはこの2日以外に9月でも2日間もらうことになっており、さすがに9月だと少しは涼しくなっていることを期待しています。あとは10月にてんかん学会が横浜であるためそこも病院をお休みし、気が早いですが12月の河合臨床哲学シンポジウムにも日程が合えば参加したいと思っています (去年は行けなかったので)。

 夏休みはとても嬉しいのですが、外来との兼ね合いが難しいところでもあります。その日をお休みにするということは、必然的にその日に診察日となるはずだった患者さんが前後の週にバラけることになるため、そこが阿鼻叫喚の外来地獄になってしまいます。だから嬉しさ半分、悲しさ半分。特に月曜日がひどいですね。夏休みとは関係ないですが、祝日が9月17, 24日、そして10月8日にあります。これが全部月曜日なので…。しかも自分は月曜日に他の病院で週に1回の外来をしているため (診る患者さんが月曜だけ、かついつもいっぱい)、そこの部分はどうなるんだろうと戦々恐々としています。

 ま、でも今回の2日間はそういうのを忘れてぼーっと過ごそうと思っています。ちょうど読もうと思っていた文献があるので、それを読みつつ。統合失調症の治療薬についてのものですが、読んだらまた記事にしてアップしたいと思います。

 では、自分はまたお布団に入って、涼しいお部屋で寝ようと思います。おやすみなさい (完全に煽ってる)。
Comment:2  Trackback:0
2018
07.15

死亡確認で気を付けること

Which Physicians' Behaviors on Death Pronouncement Affect Family-Perceived Physician Compassion? A Randomized, Scripted, Video-Vignette Study. Mori M, et al. J Pain Symptom Manage. 2018 Feb;55(2):189-197.e4. PMID: 28887269

 今回は「死亡確認の際に医師はどういったことに気を付けるべき?」という、聖隷三方原病院からの論文です。死亡確認の瞬間は、ご家族にとって、医師が伝えたその瞬間から、ひとかけらの生から永続的な死に切り替わるような状況でしょう。ここをできるだけご家族に負担なく経験してもらうことが、以降の喪の作業にも欠かせません。ところどころを訳したような記事になっています。

-----------------------

 愛する人の死というのはご家族にとって衝撃的なものです。死の時をご家族に告げる際は、ご家族の反応や喪の期間の精神状態への影響を考慮する必要があります。悪い知らせを伝える時、医師の思いやりを持った振る舞いが重要であり、それが医師への信頼を高めたり、不安を減じたりします。死亡確認の際の振る舞いは、ご家族にとって慈悲的であり健康な喪の過程を進めるような態度であるべきですが、その逆のように受け取られてしまうこともあります。そのため、生命の終わりを迎える時のケアは、医師にとって欠かせない技術となります。
 しかし、死亡確認は往々にして若手医師や当直医師によりなされ、トレーニングを受けていない、患者さんやご家族と長期の関係性を築けていない、といった問題があります。事例の積み重ねやご遺族への調査からいくつかの介入法や推奨が進んできており、医師側への有効性などは研究がなされていますが、ご家族に与える影響についてはほとんど知られていません。この観点でのエビデンスが不足していると、効果的な教育的介入が発展していきません。
延命治療を中止するかどうか、予後不良についてどう伝えるかなどにおいて、映像でその場面を観て学ぶ方法があります。今回はこれを用いて、ご遺族の推奨に基づいた死亡確認の方法を参加者に観てもらい、実際に思いやりのあるものだったかを調べることとしました。
 思いやりを強めるような振る舞いのある映像とそれのない映像とを参加者に観てもらい、思いやりを感じたか、信頼できたか、どのような感情を抱いたかを評価しました。

 細かいデザインや解析結果などは省きますが、今回の研究で用いた映像はご遺族の意見、既報、研究者間のディスカッションを参考に作成されました。死亡確認の方法に5つの要素を入れており、それらは以下のものでした。

1) ご家族が落ち着くまで待つ
病室に入ったら、医師はご家族が落ち着くまで待ち、アイコンタクトをとる

2) 自己紹介をし、主治医から申し送りを受けていると伝える
自己紹介をし、患者さんの状態を十分に知っていることを説明する

3) 尊重して診察をする
患者さんが生きているかのように声をかけてから診察を行ない、その後は服やお布団を元に戻す

4) 死亡時刻の確認は腕時計で
死亡時刻はスマホではなく自分の腕時計で行なう

5) 最後は苦しむことなく逝ったと伝えてご家族を安心させる
下顎呼吸を見たご家族から「苦しかったのではないか」と聞かれた場合、下顎呼吸は自然経過の一部であり苦しいものではないということ、その時には意識がなくなっているということを説明する

 結果はこのTable 2にまとめられています。

table 2

 映像を観た参加者は、これらのうち1番目以外の4つの要素で思いやりを強く感じ、陰性感情 (怒り、悲しみ、恐怖、嫌悪) も少なくなりました。
 死亡確認の方法を論じたもので、ご家族の感じ方という視点でとらえたものはこれまでありませんでした。この研究では、尊重して診察をすることと最後は苦しまなかったとご家族に伝えて安心させることが、特に医師に思いやりを感じるものでした。予想と異なり、ご家族の感情が落ち着くまで待つことのみが思いやりを感じさせるものではありませんでした。これは、映像では入院という環境でセッティングされていたことが挙げられます。ご遺族からの推奨では在宅という状況でした。この研究や既報では、少なくとも入院という状況において、ご家族は待たれるよりもできるだけ早く診察をしてほしいのかもしれないと解釈できます。異なるセッティングではどうなのかは今後の研究が待たれます。

-----------------------

 ざっくりと紹介しましたが、以上のような内容でした。最初の "静かになるまで待つ" というのが、むしろ思いやりを感じないような傾向にあったというのが確かに意外ですね。急変があってご家族も駆けつけて「お父さん!」と言っているような状況。それを考えれば「早く! どうなの?」と気が急いてしまうのも無理はありません。そんな時に悠長に待つ (とご家族が感じる) のは、少し違うのかもしれません。

 4番目の "死亡確認はスマホでなく腕時計で" というのも、今のご時世ですね (諸外国だとどうなのでしょう)。今の若い人は腕時計をせずにスマホの時計機能を活用していることが多いので、彼らがご家族の代表になるような頃にはスマホでも違和感を覚えないかも。しかしその時代は若者の持つものがスマホではなく新しいデバイスになっているのでしょうか。そうなれば、"死亡確認は新デバイスでなくスマホで" となる可能性もありますね。自分は腕時計をしていませんし病院にも置いていないので、死亡確認をする機会があれば、PHSではなく看護師さんから事前に時計を借りることになるでしょうか。でも個人的には "最後の死亡確認はご家族の時計で" というのがいちばん良いのではないかな? とも感じています。「最後の時間は、大切なご家族の時計で確認させていただきたいと思います」と言って、ご家族の代表者から時計を借りて確認する。どうでしょうか。あとは、腕時計でなく懐中時計でも良いかもしれませんね。

 死亡確認をしてお伝えをする機会の多いかたは、これらの要素を参考にしてみてはいかがでしょうか。

Comment:0  Trackback:0
2018
07.11

北海道を舐めたら大変?

 自分は北海道出身で、大学に行くまでは函館~札幌 (浪人時代) に住んでいました。北海道の寒さに耐えきれず?南下してきたわけですが、名古屋は暑すぎまして…。毎年夏場は体調が悪くなってしまいます。いつかもうちょっと北上しようかななどと企んでいます。

 病院で後輩の医者と北海道についておしゃべりをしていて、彼は行ったことがなく、どんなところなんですか? などの話題でございました。といっても、自分も実は北海道をよく知りませんが…。地元民だと観光地とか名店の情報ってあんまりないんですよね…。わざわざ行かないし。だからどういうお店がおススメかと聞かれても、返事ができない。相手からは失望されてしまうのでした。函館だと「朝市には行くな」としか言えません。ただ、やっぱり内地の方々は北海道自体ピンと来ないことがあるようです。

後輩「先生って高校が函館でしたよね」
自分「そうよー」
後輩「北海道の進学校ってどういうのがあるんですか?」
自分「私がいた時はねぇ、札幌南と、あとは北嶺っていうところがワンツーだったかな。今もたぶんこの順位だと思う」
後輩「先生のところは? ネームバリューある感じですよね」
自分「いやー、正直なところ本家には遠く及ばないねぇ。今は中等部があるけど、まぁ良くなったとは聞かないね…」
後輩「どうして札幌南に行かなかったんですか? 札幌ですよね」
自分「うーん、遠いしね。家が函館だし」

 そこで彼の衝撃的な発言。




後輩「え? 通学とか無理なんですか?」




自分「通学? ムリムリムリ! そんなんムリよ」
後輩「え? そうなんですか?」
自分「函館と札幌って、300 kmあるからね…」
後輩「え…?」


 そうなのです。彼は北海道をあまりに知らなすぎたのです…。函館と札幌は約300 kmの距離。ということは




函館~札幌≒名古屋~東京




後輩「そんなに離れてるんですか!? 何なんですか? 北海道って。おかしくないですか?」
自分「うん、おかしい (同意しちゃった)」

 愛知県だったら、例えば名古屋~岡崎なんてのもそんなに時間はかかりません。新快速に乗れば30分くらい。名古屋~豊橋という愛知県横断的であれば新快速で50分くらいかかりますが、新幹線があり、ひかりなら19分!ですし、こだまでも30分程度。

 北海道はなかなかそういうわけにはいきませんね…。仮に自分が札幌南に行きたかったとすると、札幌に住むしかありません。名古屋に住んでいる中学生が東京の高校に行きたければ、やはりそうなるでしょうし。

 北海道は広すぎて、例えば函館の人が気軽に「よし、じゃあちょっと稚内に出かけようかな」とはなりません (600 ㎞近くあります)。なので、北海道人は自分の住んでいるところ以外の情報は極めて乏しいと言えましょう。自分は函館と札幌 (の駅前) しか知りませんし…。もともとそんなに外に出なかったというのもありますが。

 でもこうやって離れてみて、「あーもうちょっと色々と行っておけば良かったなぁ」とも思います。既知のところだけにとどまるのではなく、やっぱり知らないところに足を踏み入れるのは、自分の幅が広がっていく気がしますね。
Comment:6  Trackback:0
2018
07.05

てんかんフェア開催

Category: ★本のお話
 以前、腎臓フェアを開催したという記事 (コチラ) を書きました。初見のかたは「???」と思うでしょうけれども、自分はたまに「〇〇フェア」と銘打って、その領域の入門的な教科書などを買って読むということをしています。要するに期間中はその領域の勉強に集中するよということでございます。

 腎臓フェア以外も英語論文の書き方フェアとか北山修フェアとか山口誓子フェアとか、種々の範囲のものを繰り広げていました。残念なのは、ここ5年くらいでめっきり記憶力が落ちてしまい、フェアで覚えた知識が期間後はどんどん失われていっているという点。以前は自分の部屋の中のどこにどんな本があるかほぼ把握していたのですが、今は見る影もなく…。本が足の踏み場もないくらい床に置かれていても大丈夫だったのに。本の二度買いも増えました。「お!」と思って買って読むと、後半あたりで「あれ? これってどこかで読んだような…?」と気付き、自分の部屋の本棚や床をくまなく探すと、その本が出てきます…。しかも同じ部分に線を引いているし。いよいよもって認知機能を心配する時が否応なくやって来て、家族からも心配される日々。果たして大丈夫なのか。この前アップした "withです" というタイトルの記事も、以前に同じような内容の記事を書いていたことが後で発覚し、だいぶピンチ。

 色々と嘆いても仕方がないので、今回は「てんかんフェア」を開催したのであります。去年からはてんかん学会にも所属し、そして今年からは勉強会にも参加するようにしています。その勉強会ではビデオ脳波モニタリングの映像も見せてくれるので、いい経験になっています。ただ、やはり新米ぺーぺーでして、難しい本は理解するのに時間がかかる。しかも脳波が苦手で読めないし…。だから症状の聞き取りにステータスを全振りするくらいのつもりで勉強。精神科でてんかんそのものの治療って今はあまりしないのですが、精神症状の中にはてんかん発作によるものもあり、誤診は避けたいものです。

 てんかんの本では、メディカ出版さんから出ている中里信和先生の『ねころんで読めるてんかん診療』が初学者向けには良く、そしてどのような科の医者でもマストなのが、医学書院さんから出ている兼本浩祐先生の『てんかん学ハンドブック』でしょう。これはやはりベースに置きたい。

 そのうえで、今回買ったのは

金方堂さんから出ている川崎淳先生の『トコトンわかる てんかん発作の聞き出し方と薬の使い方』
医学書院さんから出ている吉野相英先生監訳の『てんかんとその境界領域』
南山堂さんから出ている池田昭夫先生・松本理器先生監修の『症例から学ぶ戦略的てんかん診断・治療』

 の3冊。

 『トコトンわかる~』はとっても分かりやすくて、それもそのはず、若手精神科医を対象にした勉強会の内容が基になっているのでした。「てんかん、よう分からんわぁ」という精神科医のアナタ!にお勧めできる内容なのです。もちろん精神科医でなくとも初心者にはピッタリ。

 『てんかんとその境界領域』はガチの内容。これは一定以上勉強した人向けだと思いますが、読んで損は全くありません。鑑別診断を熟知するために必須の本とも言えるでしょう。精神科領域でも外せないものがたくさんあります。鑑別診断でここまで詳しいものって珍しいのではないでしょうか。

 『症例から学ぶ~』はシリーズ化しており、片頭痛や認知症や慢性疼痛などがあります。このてんかんも症例ベースで、今まで勉強したことを組み立てて想像しながら読めるので、とても面白いですよ。

 そして、大事なのが発作を目で見て覚えるということ。文章だけだとやっぱりイメージが湧きにくいのです。製薬会社との癒着か!と怒られてしまいそうですが、大塚製薬さんから発作をまとめたDVDを (ねだって) もらいまして、それがとても役に立っています。『てんかん発作症状Library』というものでして、発作といっても患者さんの発作そのものを録画したわけではなく、役者さんが演技をしたもの。とはいえ、自分のようなレベルでは本当の発作と違いを見抜けないくらいにすごく良く出来ています。上記の中里先生監修であり、手に入るのであればGETしたい代物。

 しかしながら、こうやって勉強したこともすぐに忘れてしまうので、フェアが終わった後もちらちらと再読しないと大変な目に遭ってしまいます。年をとるのは怖いですねぇ。読んだ内容をまとめるのも良いかもしれませんが、改めて読み直すと以前は気にしなかったところに「おっ」と思うことも多々あります。まとめてしまうと、以降はそれしか見なくなるかもしれず、新たな発見の機会を失うのかも、と感じてもいるのです。でも読み直すのも結構しんどいのですが。

 あ、今回は小児のてんかんを除いています。一般精神科外来で小児のてんかんを診るのはかなり稀な出来事なので。
Comment:8  Trackback:0
2018
07.02

梅シロップの季節到来

 スーパーに梅が並ぶようになりました。となると、梅干しや梅酒作りに精を出すご家庭も出てくるでしょうか。これらは作ってから食べる・飲むまでにちょっと時間を要します。今回は、簡単に作れてすぐにいただけるもの、ということで、梅シロップにしました。炊飯器があれば出来るので、楽ですね。

 まずはスーパーに行き、傷んで値引きされている梅があれば買います (1 kg)。立派なものじゃなくても良いですよ。少し傷んでいるくらいがちょうど良いのです。そして、ヘタを取る。

 RIMG1447.jpg

 ヘタを取った梅を炊飯器のお釜の中に入れ、その次に用意するのはハチミツ! これを梅と同量 (今回は1 kg) 投与します。

RIMG1448.jpg

 テッカテカですね。ここではハチミツですが、お砂糖や氷砂糖でもO.K.です。どれも大体は梅の80~100%の量で。

RIMG1451.jpg

 で、炊飯器の保温機能を使います (炊飯ではない)。8時間超なので、夕食後くらいにセットしておくと、起きた頃には出来ているという絶妙のタイミング。

RIMG1453.jpg

 10時間後にオープン。良いですねぇ。熱いので注意。

RIMG1458.jpg

 万全を期すために、この後はお鍋に入れて火にかけます。弱火で沸騰するかしないか程度に、アクを取りつつ。作るのが夏場ということもあり自分は多少沸騰させますが、度が過ぎると梅の酸味が抜けてしまいます。

 よく乾燥させたガラス瓶に入れて、冷まして冷蔵保存。火にかけると長期保存可能。6ヶ月くらいは大丈夫らしいですが、さすがに3ヶ月ほどで使い切るようにしています。

RIMG1459.jpg

 冷蔵庫に入れておくと、どんどん梅がしわしわになっていきます。こうなって完成と言えましょう。今回のものは炊飯器を使って熱を加えているため、非加熱のような梅のさわやかさはちょっと減ってしまいます。でも短時間で作れるので、そこは代えがたい。

 自分はもっぱら梅ジュースとして、水で薄めて飲んでいます (炭酸水もgood)。甘味を作る際の材料にしても良いですし、人によってはご飯を炊く時にほんの少しこのシロップを入れる、なんて活用をしているようです。上品な甘さが加わるらしいですよ。
Comment:2  Trackback:0
back-to-top