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2017
10.31

ちらり駅前

 高松旅行(?)の2日目。まずは朝ごはん。”リーガホテルゼスト高松”の朝食ビュッフェでした。

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 品数はそれほど多くなく、和食中心。

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 主菜のアップ。

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 2ターン目は定番のオムレツ(ラタトゥイユ入り)。

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 その日は台風がやって来ており、朝は大変でした…。何とかタクシーに乗って会場に。お昼ごはんはそこのお弁当。

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 そこの担当者のかたとお話をしたのですが、香川のおうどん屋さんは平日のお昼ちょっとの間だけやっているセルフ式のところが美味しいのだそう。駅から離れていることも多く、車や自転車があったほうが良い、とのこと。そうなのかー。香川のおうどんと言えば、元(?)道民としては”水曜どうでしょう”のお遍路を思い出してしまう。そういえば、高松市で駅から数駅だと”竹清”というところも番組で出てましたね(栗林公園北口あたり)。自分は、寒さにめっきり弱くなって、道民のプライドも何もあったもんじゃありません。味噌ダレに侵食されてしまった。

 講義は10-16時までの講義。お昼休みを挟んで5時間。1時間毎に10分休憩を入れて進めたのですが、午後はもう声が枯れていて、カラオケで熱唱した後のような感じ。合間に龍角散ダイレクト(トローチタイプ)をせっせと服用していたのですが、及ばず。龍角散は桔梗湯の派生処方ですね。声枯れには桔梗湯や麦門冬湯といった潤す系の漢方が良いでしょう。枯れて痛くて少し炎症がありそうなら桔梗石膏とかもね。

 講義は”一般病棟で気になる精神症状への対応”というお題目でしたが、5時間でぜんぶを話すのは無理だなぁと実感。ある程度の広さで話そうとすると浅くなるし…。参考図書をずらずらと挙げたので、それで固めてねとお伝えしておきました。自分は講演の配布資料もスライド形式なのですが、講義スライドと同一ではなく、読むために文字を多めにして圧縮しています。講義スライドはもうスッカスカというか字が大きいので…。講義スライドで全部説明すると文字だらけで視認性の問題が強く、必要最小限のものを文字にしてあとは口頭での説明。配布資料はその説明部分も入れるので、文字は多いですね。テキスト的な感じで読んでもらおうと思っています。こちらは夢の跡的な写真。

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 龍角散ダイレクトのトローチって、包装の仕方がなんだかリボトリールみたいですね。

 講義が終わる頃には雨がやんでいて、台風が過ぎたようでした。良かった。2日目のホテルは場所を変えて駅近くの”ホテルクレメント高松”に。

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 お部屋はこんな感じ。1日目のホテルよりもちょっと古いかな? どうかな?

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 窓から高松城跡を見る。

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 台風が過ぎていく様子。向かって左はもう晴れてますね。

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 荷物を置いて駅周辺をぶらぶら。講義で疲れていたので遠出はできません。

 高松駅の外観はこんな感じ。広場があってさっぱりとしていますね。

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 2階の飲食店に杵屋が入っているのがウケる。

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 杵屋って大阪でしたっけ、本店。まったく香川じゃないんですよね。しかもお客さんが結構入っているのを見ると、観光客が「駅に入っている=讃岐うどん」と勘違いしているか、実は讃岐うどんも関西のおうどんも出汁以外はそう大して違いがないとか…。

 駅から出て、徒歩1分くらいで”サンポート高松”という、見た目は都会的な建物に侵入。

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 そこの1階はお土産屋さん。やっぱりお遍路の衣装は”どうでしょう”だな…。

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 こんなのを見つけてしまった。

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 ”うどんのゆで汁から造った台所用石鹸”とな…。おうどんへの執念は狂気すら感じる。おうどん(+天ぷら+おにぎり)ばっかり食べてるから糖尿病になるのではないだろうか、香川県の皆さんは。香川県は糖尿病患者さん多いですからねー。

 そしてお夕飯は、おうどんではなく(あれ?)、ハマチの漬け丼を選択。

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 うむ、美味しかった。でもご飯とお味噌汁の大きさが何だか逆じゃないか?と思わなくもない。サンポート高松の3階、”海おやじ”というお店でした。でも名物が”北海道産”のいくらをつかった”イクラめし”だそうです…。

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 2日目は大人しく過ごし、翌日の月曜日(10月30日)に名古屋に帰ることとなったのであります。実はですね、火曜水曜と名古屋で休んだあと、すぐに木曜日はてんかん学会のために京都に行かねばならないのです。すごい強行日程だ…。
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2017
10.28

瀬戸大橋を渡りました

 今、香川県は高松市に来ております。名古屋から新幹線で岡山に行き、そこから快速マリンライナーで高松に。3時間弱の所要時間でした。

 瀬戸大橋からの風景はいかがなものか?と思っておりましたが、あいにく台風が近づいており、雨と雲で何とも寂しいものになりました。灰色がのしかかってくる感じです。

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 岡山経由で高松駅に到着。

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 ぱっと外に出てみると、この辺りは都会っぽい。

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 2泊する予定なので、ここは明後日名古屋に帰る前に行こうか、それとも明日の夜に行こうか。まずは荷物もあるので、ホテルに向かいます。

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 徒歩10分弱で”リーガホテルゼスト高松”に到着。今日泊まるところです。明日は”ホテルクレメント高松”にしました。本当は2日ともホテルクレメント高松にしたかったのです。なぜなら、高松駅から徒歩1分という好立地だったから。歩くの疲れるんですよね…。でも今日は満室とのことで、リーガホテルゼスト高松になりました。

 お部屋はツイン。1人旅なのですが。ホテル側が、ツインに空きがあるとのことで変更してくれたとのこと。ありがたや、広くなりました。

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 む? これは…。

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 香川のホテルなのに、お水は岐阜であった。四国のプライドはないのか!

 それはそうと、荷物を置いたのでお夕飯を食べにふらふらと出かけます。商店街が結構な規模ですよ。

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 ちょっと寂れているようにも見えますが、少し進むと小綺麗に。

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 兵庫町、丸亀町、南新町などなど、高松中央商店街はずっとアーケードが続きます。調べたら、総延長が日本一だそうです。なるほどねぇ、歩けどもずっと続いてたもんね。こういう商店街は全国どこも旗色が悪くお店が撤退しております。高松中央商店街も例外ではないようですが、何とか歯止めがかかったらしいです。現在再開発中とのこと。

 あらー、”バナナ問屋”なんて、なかなか古いですよ。ホントにバナナも売ってる。

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 お夕飯は、コテコテではありますが香川なのでおうどんを。”さぬき麺業”というお店にしました。

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 釜揚げうどんととり天のセット。

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 正直なところ、自分はそんなにおうどんを食べていなくてですね、基準になる味が不明なのでした…。しかも今ちょっと風邪気味で、鼻の調子がいつにも増してよろしくなく…。でも、おうどんの味はしました、はい。

 おや、おでん…?

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 香川のおうどん屋さんでは、おでんを売っていることが多いそうです。へー、知らなかった。

 せっかくなので、もう1件行ってみよう! さぬき麺業で食べたのは18時前だったのです。だから色々と散策をして別のお店に入ろうかなと。でもすでにお腹はいっぱいですが。

 商店街から高松駅の方に戻って”めりけんや”というおうどん屋さん。

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 ここでは、釜玉うどん! 熱々のおうどんに落としたたまごのタンパクが熱変性して固まって、良いですね。

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 ここの釜玉も美味しい。さっきのお店と比べると、コシが強めかも。同じ釜玉で比較しないとダメかもしれませんが。というか、お腹がもう…。これ、腹部CT撮ったら胃の中がニョロニョロと大変そうですね。

 そんなこんなで、初日は過ぎていきました。明日は講義をして、 もう一泊です。その前に朝食のビュッフェがどんなのかが気になりますね。
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2017
10.24

ベンゾもたまには役に立つ

Category: ★精神科生活
David Hui, et al. Effect of Lorazepam With Haloperidol vs Haloperidol Alone on Agitated Delirium in Patients With Advanced Cancer Receiving Palliative Care A Randomized Clinical Trial. JAMA. 2017;318(11):1047-1056. PMID: 28975307

 緩和ケアを受けている進行がん患者さんのせん妄(過活動タイプ)に対して、ハロペリドール単剤とハロペリドール+ロラゼパムの併用との比較。論文ではハロペリドール2 mgとロラゼパム3 mgを使用しており、結果は併用群の方がより低いRASSとなりました。

 ロラゼパムは代表的なベンゾジアゼピン受容体作動薬でして「え? せん妄にベンゾ?」と思ったかもしれません。確かにベンゾは単剤で使用するとせん妄が悪化したりせん妄そのものの原因の1つとなったりします。大事なのは、ハロペリドールと併用した、というところ。大学病院にレジデントとして労働していた頃は、上の先生から「ルートの取ってある患者さんなら、せん妄にハロペリドールとフルニトラゼパムを混ぜて使うと良いよ」と教えられていました。ハロペリドールの商品名はリントン®もしくはセレネース®で、フルニトラゼパムはロヒプノール®ですね。それぞれ注射液があり、ハロペリドール1Aが5 mg、フルニトラゼパム1Aが2 mgです、たぶん。当時は「ほーん」と思いながらそのまま行なっていましたが、今回のJAMAで「やっぱ効果あるんやなぁ」と納得したのであります(ただし、ロラゼパムをそのままフルニトラゼパムに置き換えても良いのかどうかは不明なのですが)。

 ハロペリドールとフルニトラゼパムという作用機序の異なるものを使うことで、1+1が2ではなく3になったようなものでしょうか。あわせ技一本みたいな。ドパミンを抑えてGABAを賦活して、という感じ? GABAの賦活だけだとせん妄によろしくないこともあるのですが、不思議ですね。せん妄は ”夢うつつ” みたいなもので、そこで様々な不安や恐怖が先鋭化します。治療はもちろん原疾患の解決なのですが、端的に言うと当座として”しっかり覚醒・しっかり睡眠”の2つが方法になります。メリハリが大切、ということ。ベンゾのGABA賦活だけでは ”しっかり” が出てこずモヤッとさせる、ということなのかしら。ベンゾでは俗に言う ”浅い睡眠” が増えますしね。ちょっと短く言い過ぎて誤解を生みそうではありますが、あくまでもイメージ的なものとしてお考えください。

 ただ、ちょっと残念なのは日本にロラゼパムの注射液がない! という点。これは本当にどうしようもないなぁと実感しているのです…。洋書を読んでいると「ロラゼパムを打て」と書いてある部分がとても多いのですが「ねぇんだよなぁ…」と肩を落とします。致し方なくフルニトラゼパムを使用しますが、これは半減期が長い(睡眠・覚醒の切り替えがうまくなされない)のと呼吸抑制の問題が大きいというのがあります。せん妄に対しフルニトラゼパムとレボメプロマジン(ヒルナミン®/レボトミン®)を併用すると明らかにSpO2が落ちるという文献もあるのです(J Clin Psychopharmacol. 2000 Feb;20(1):99-101. PMID: 10653217)。その文献ではハロペリドールとフルニトラゼパムの併用では特に問題はありませんでしたが、身体的に弱っている高齢患者さんだとちょっと心配ですよね。

 なので、大学病院にいた頃のオーダーは

リントン0.5-1A・ロヒプノール0.5-1A・生食100mL
100mL/hrで落とす
寝たらストップ、起きたら再開
呼吸状態モニタリング

 という感じだったように覚えています。患者さんの年齢や身体状態に合わせて1Aとするか0.5Aとするかを考慮。”呼吸状態モニタリング” は入れておくべきでしょう。

 自分としては、ハロペリドール5 mg(1A)でおさまらないようなせん妄に対してさらにハロペリドールで押してもあまりメリットはないように思います。ハロペリドールは錐体外路症状を起こしやすい定型抗精神病薬ですし、注射液だとQT延長のリスクが高いのです。複数のQT延長リスクの薬剤が入っていたら、ちょっと怖いですよね(キノロンとか)。せん妄も根本的な機序が分かっていないので、ドパミン受容体を抑える方法である程度頑張ってうまくいかないのであれば、それ以上ドパミン受容体を駆逐しても効果は乏しいかも。静かになったと思ったら実は錐体外路症状で動けなくなっていた、なんてのは冗談にもなりません。ちょっと他の方法も考えたほうが良いでしょう。昔、外科の先生から「リントン3A落としたけどせん妄おさまりません」と言われることがありましたが、ハロペリドール3A(15 mg)はちょっと怖いと思います。慢性期統合失調症でずっと使用しているならともかく、身体疾患で弱っている患者さんにハロペリドール15 mgは、うーん。その時は確かバルプロ酸のシロップをちょっと入れたらうまく整った記憶があります。確か2 mL(バルプロ酸100 mg)くらいだったかなぁ、使ったのは。せん妄対処の薬剤的引き出しを数多く持っていると、精神科医っぽく見られます(精神科医なんですけどね)。もちろんほとんどが経験的なものではありますが、上の先生にちょっとしたコツなどを教えてもらうといざという時に役立ちます。

 ベンゾは”使いよう”だと思います。不安や不眠にだらだらと使うのであれば不適切ではありますが、ここぞという時にスッと使うと大きな威力を発揮してくれます。ベンゾを出すから悪い医者、という単純なことでは決してありませんよ。もちろん、ここぞという時に処方する時も、こちらの祈りにも似た精神療法をベンゾに乗せていく必要はあります。”うまく使う”というのは、漫然と処方する立場やベンゾを絶対に出さないという立場からは決して見えてはこないのでしょう。自分も出す時は出しますし、飲む時は飲みます。

 自分はせん妄に対し「ハロペリドールは1Aまで」というマイルールがあり、使うならフルニトラゼパムと併用して少しでもハロペリドールの投与量を少なくしようとしています。予防には文献的にも経験的にもラメルテオン(ロゼレム®)やスボレキサント(ベルソムラ®)が良いですね。特にスボレキサントはラメルテオンよりも優れている印象ですが、ガチンコ対決の論文が出ると面白いかも。漢方では酸棗仁湯が好きです。軽いせん妄ならこれにしており、抑肝散はあまり使わないかな?

 いずれにしても、なかなか改善しないせん妄は精神科医のウデの見せ所でもあります。でも忘れちゃいけないのは、基本は原疾患の治療ということ。原疾患が良くなって患者さんもうまく覚醒と睡眠のバランスが取れてくると、せん妄は改善します。精神科医の役割はそれまでの”つなぎ”ですよ。決して精神科医が”なおす”ものではありませんので誤解なきよう…。そこは色んな科や看護師さんに勘違いされているので、苦しいところでございます。。。
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2017
10.20

死に様は生き様でもある

Category: ★本のお話
 小澤竹俊先生の『死を前にした人に あなたは何ができますか?』を読みました。

 内容としては、とても良い本だと思います。医療職は亡くなっていく患者さんに対しどんな声掛け、どんな対処をしていけば分からなくなり、どうしても無力感に打ちひしがれます。でもこの本には患者さんのどこに注目していけば良いかというのがある程度パッケージされて示されています(”支えを見つける9つの視点”とそれを用いた”事例検討シート”)。そのパッケージも、前提としてきちんと信頼関係をつくるところ、すなわち患者さんの話を逃げずに聞くところから始めようとも書かれており、しかも分かりやすいですね。すべての苦しみに答えられるわけではない、と強調しているのも医療者には救いになるのではないでしょうか。「何とかして答えなきゃ!」と切羽詰まる人も多いので、答えられない苦しみだってあるんだよと指摘してくれるのは助かります。

 もちろん、本の内容すべてに賛成というわけではありません。例えばコラム3にある”人は赤ん坊に戻っていく”という考えに自分は否定的です。でもその考えで患者さんが少しでも安心して納得できるのであれば、それは適切なのでしょうね。

 そして個人的に注意したいのは、この本に限らないのですが、多くの終末期ケアの本は理想の臨終に少しとらわれすぎているかもしれない、という点。もちろん理想を目指しはします。理想なんてくだらないというつもりはさらさら無くて、理想に到達しようとする努力が現実をより良くしてくれるとも思います。でも、理想と思うような最期にならなくても、医療者は自分自身を責めてはいけない、そう考えているのです。その記載はあっても良いのではないでしょうか。

 今度の四国の講義でもそのお話を(時間が余ったら)するつもりなのですが、講義スライドからポイントを挙げると

・人の死に様は生き様を映す
・どう生きてきたかが、どう死んでいくかにつながる
・死は生の対極ではなく、生の集大成である

 ということなのだと思います。個人の生(小さな生)は千差万別であり、個人の死(小さな死)も同じく千差万別だ、ということ。

 医療者はハッピーな死を理想とし、そうならないことは失敗・自分の責任と考えてしまいます。例えばそれは、みんなに囲まれて穏やかに死んでいく、というものでしょう。しかし、同じ死というものはありません。病気を受け入れて穏やかに幕を閉じるのもひとつの死であり、あくまでも最後まで病気と戦って悔しがりながら散るのもひとつの死だと自分は思います。理想形を目指しはしますが、そうならなかったからと言って失敗ではありません。それぞれの “死=生” を医療者が受け入れる覚悟も大事なのではないでしょうか。

 また、打つ手がなくなると、医療者の介入も少なくなっていきます。それを患者さんもご家族も感じ取り、彼らは取り残された感覚に陥るでしょう。そこをしっかりケアしていくことも大切。患者さんのみならずご家族への目配りも欠かせませんね。

 最後に、少し前に別のところに書いた文を載せておきます。


★最期の文脈はその人らしく★

 物事の意味は、その物事単独では決まりません。“文脈”“行間”とも表現される全体性によって部分の意味が変わりますし、その部分の意味により全体性も影響を受けます。「バカ」という言葉は“罵る”“皮肉る”はたまた“甘える”などなど、状況によって意味は変わりますし、その言葉が発せられた後は雰囲気もちょっと変わるでしょう。また、「晴れているね」という台詞は、「晴れているから外に出かけよう」「日光が部屋に入ってくるように他の部屋のカーテンを開けて」などの意味になることもあるでしょうし、それによって周囲にもたらす影響も変わります。

 “あわい”という文脈性はとても動的であり、それは生と死という緊張をはらんだ事態で特に強く意識されます。例えば、がんに冒されあと半年の生命と判明。この半年も、文脈によって意味が変わるでしょう。私は、半年を患者さんに精一杯生きてもらい、そして精一杯死に向かってほしいと思います。死は人それぞれであり、「受容しなければならない」という意見は鋳型にその人の歴史をはめるような行為。生き様は死に様でもあり、死に様は生き様でもあります。手塚治虫は最期まで「仕事をさせてくれ」といいながら亡くなりましたが、まさに手塚治虫らしい人生を貫いたと思います。患者さんが患者さんらしく生きて死んでいくことができるのなら、それが壮絶なものであっても、後悔があっても、それで良いのかもしれません。しかし、それができなければ、死に至る病としての絶望となることもあるでしょう。医療者は前者の意味になるように、患者さんやご家族をサポートしていく存在。

 死ぬ場所もそうです。医療者は「在宅で死ぬことが最も良い」と盲目的に考えがちですが、それは患者さんやご家族によって異なりますし、同じ患者さんでも時期や状態によって変わります。死の臨床ではハッピーエンドを求める本や教科書が多いのですが、決してそうはなりませんし、分岐点を進んだらまた分岐点にぶつかる、常に迷い考えるもの。画一的な「死は受け入れるもの」「家族みんなに見守られて悔いなく死ぬのが一番」という模範解答は存在しないのではないか、と私は思います。

 抗がん剤で生命予後が数ヶ月延長されることも、同じように文脈依存性の意味を持つのです。「たった数ヶ月で何の意味があるのか」と一笑に付すのは思考停止を招きます。その数ヶ月にどんな意味を込めるか、数ヶ月を患者さんらしく生きて死んでいく期間にできるか、それによって数ヶ月の重みはまったく異なってきます。

 文脈を破棄してしまうと、“胃ろう=悪”、“延命=悪”、“在宅で死ぬ=善”などといった単純な考えが出現します。はっきりしていて分かりやすいものの、そのように発言するのは、生や死と真剣に向き合っていないことを露呈しているでしょう。臨床は判断が“あわい”の文脈によって変化します。そこを考え続けることが医療の大きな仕事なのだと思います。

 私たちの周りは、“事象”で溢れています。それは無・意味でもなく有・意味でもなく“非・意味”なのかもしれません。普段接している意味はとても恣意的であり、文脈によって私たちが付けたもの。それはすなわち、文脈を変化させることで、新しい意味が与えられ、絶望を希望に、そしてその逆もできてしまうことになるでしょう。 
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2017
10.12

人生三度目の四国

 現在、今月下旬に行なう予定の看護師さん向け講義の準備に情熱?を注いでいます。前にも記事にしましたが、四国に出張してですね、一般病棟における精神症状への対応みたいなお題で5時間くらい話すこととなっています。しかし,自分に講義依頼をするなんてずいぶんと奇特な人がいるものだなぁと…。講演会はもっぱら漢方のお話で依頼をいただくことが多いのですが、どこがどうなると看護師さん向けの精神科講義に結びつくのか。でも何かの縁と思って、ありがたくお話をさせてもらおうと思います。

 ただ、残念ながら自分の声はお話向きではなくてですね。声が低いのと慢性副鼻腔炎+アレルギー性鼻炎でよく声が通らないのとで、極めて雑音に近い音声なんです。電車の中で人と話をしていても、その他の音に紛れてしまって聞き直されることがしばしば。自分でも何を言っているのか聞こえない時があるくらい(やばい)。でも何とか頑張ろう…。

 さてそんな講義ですが、医者が相手であれば病態メカニズムや治療薬のエビデンスなどを中心にするものの、5時間という限られた中である程度の広さのお話を看護師さんにするとなると、そういうところは少なめにします。どうすれば”無難”な看護ができるか、少なくともマイナスにはなりづらいような看護ができるか、をお伝えできればなぁと。

 患者さんをケアする、とひとことで言っても、ケアは人と人とのあいだで成り立つものです。いくらこちらが「ケアしたぞ!」と思っても、相手が「ケアされた」と思わなければ、そのケアはケアでないのです。空を切るならまだしも、それが患者さんに対して暴力的になることすらあります。もちろん、共感なんてのもそうですね。”善い行ない”というのは、相手にとって良いだろうとこちらがすでに思ってしまっているところがクセモノなのです。関係性というのをしっかりと意識することが看護には欠かせません。そんなお話をしつつ、各精神疾患を患者さんの必死の適応行動としてとらえて呈示してみようと考えております。教科書的な説明は一般的な教科書に任せておけば良いので、それを繰り返すようなら講義の価値は半減でしょう。せっかく聞いてもらうからには少し異なる視点も大事だよということで。

 その講義で看護師さんへの推薦図書もスライドに挙げています。5時間の講義だけではなかなか伝わりきれないので、そこはお勉強してもらおうと。中井久夫先生の『看護のための精神医学』『こんなとき私はどうしてきたか』、春日武彦先生の『援助者必携 はじめての精神科』、小澤勲先生の『認知症とは何か』『ケアってなんだろう』などは本当に役立つので、講義の中で推薦する予定。

 そのスライドは最終調整の段階で、約680枚になりました。大体1時間に100枚ちょっとのスライドをいつも使っているので、ちょうどいい感じ。自分のスライドは字が大きいので、たくさん枚数を使うんですよね…。細かい字を見ていると頭が痛くなるし、講義を聴く人も寝てしまうでしょう。

 そして、最後に危惧しているのが咽頭炎。もともと大きなイベントの後は咽頭炎になることが多く、今回は喋りどおしということもあり、リスク大。いちおう龍角散ダイレクトを持って行きますが…。11月初旬には京都でてんかん学会があるので、できれば体調をこれ以上悪化させたくないのでございます。
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2017
10.06

ラッキーを待つ?

Category: ★精神科生活
 患者さんを診ていると

「僥倖っ…! なんという僥倖…!」

 と実感するようなイベントが起きます。これがなかったら今頃まだ状態が変わっていなかったろうなと思うこともあり、ハプニングは転機となりえます。例えば…

 不安を伴ううつ病で治療中の患者さん。休職をしていてそろそろ動き出す時かな? と思い、患者さんに”今が動き出すタイミング”とあの手この手で伝えるも、自信がなくその一歩がなかなか出てきませんでした。そんな時、お友達から強引に旅行に誘われて断りきれずに行くという事態に。その旅行後、患者さんから「思ったより私って動けたんですね。すごく楽しかったです」と。そこからの回復はスムーズで、復職プログラムも無事にこなして復帰しました。

 これまたうつ病で会社に行けなくなってしまった患者さん。ちょっと長期になってしまい、患者さんは「何か背中を押してくれるようなことがあれば…」と苦笑交じりに。こちらとしてもひと押しほしいなぁと悩んでいたところ、その会社の社長さんから「週に1回、私との面談がてら出社すること」との言あり。その患者さんは立場が上の社員さんで、社長とよくお話をしていたのでした。こちらも「その蜘蛛の糸はしっかり掴んでいきましょう」とお勧めして、患者さんも「社長命令なので、これがひと押しですかね」と。その後は復職が可能になりました。

 こんな患者さんの例は結構あります。下準備が整ってさあどうぞ! とこちらは思っていて外来でもお話ししますが、どうにも一歩が出ないという患者さんはいます。そういう時にこちらが強引に出てしまったり焦ったりするとよろしくないので、少し腰を据えて取り組むようにするのですが、そのさなかに上述のような出来事が生じるのです。そこから折れ線のように患者さんは良くなっていく、なんてことがあります。患者さんを捉えていた何者かの腕が脱臼して外れる、そんなイメージがあります。

 意欲というのは、行動を繰り返して繰り返して、その果てに出て来るもの。身体が重くてやる気が起きない時や不安が強くて大変な時などに動くのは本当に苦しいのですが、そこを突破するのが大切で、そこを外来でどう伝えるか。もちろん向精神薬を必要な時は使いますが、使っても”あと一歩”が届かないことだってあります。こういう時、必要なことをしつつじっと耐えているとまさに僥倖がやってくるのです。

 物理っぽく表現すると、静止摩擦力は動摩擦力よりも大きい、ということかもしれません。物体は動き出すまでに力をより大きく必要とし、動き出してからはそこまでの力が不要になります。高校で物理を選択していた患者さんにはこの例えをすることがあるものの、自分は生物選択(しかもIBだけね)だったのでそれ以上色々と聞かれるとお手上げになってしまいますが…。診療でも、静止摩擦力を上回る力が必要とされます。あの手この手で医者は力をかけて、患者さんが動き出すその最後の力が上述の僥倖なのかしらん。

 「なんだお前、ラッキーに頼ってるのかよ…」と思われても仕方がないのですが、ちょっと視点を変えてみると、その偶然に起きたイベントを患者さんが動く必然、あえて言うなれば確約された僥倖、にするのが医者の仕事の一部なのかも? とも考えられます。医者が外来であまり働きかけないでいると、イベントが起きても静止摩擦力を上回らないのでしょう。そのイベントを最後のひと押しにするまでの基盤を整えるのも大事なのかなと。

 精神療法のうまい先生は、自分であればスルーしてしまうような小さなイベントをも僥倖にしてしまうのかもしれませんし、その僥倖を意図的に起こすことが出来るのかもしれません。もちろん、イベントをほとんど必要としない先生もいらっしゃるでしょう。

 自分で出来るだけのことをして、どんな小さな出来事でも無駄にせず嗅覚鋭くとらえてプラスに持っていく。こんな風に診療が進んでいければなーと思っておりますが、まだまだ道半ばでございます。
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2017
10.01

臨床のワンフレーズ(20):どんな思いがよぎりましたか?

Category: ★精神科生活
 日々の診察の中では、患者さんとお話をすることになります。このお話というのは過去のその人の関係性、そしてこの診察室での医者と患者さんとの関係性がにじみでてくるものでもあります。いろんなメッセージが見え隠れしているとも言えるかもしれません。

 その中で、患者さんの中には”沈黙”する人もいます。沈黙は言葉がないから意味がないわけではなく、それ自体が大きなメッセージになっていると考えられます。黙ることもお話である、と表現できますね。

 しかし、話を聞いているこちらとしては、沈黙というのはちょっと居心地がよろしくないものです。何か言葉を発して破ってしまいたくなるもの。ただ、沈黙を破ればそこにあるメッセージも破られるかもしれません。なかなか難しいところです。

 もちろん、沈黙にはうつ病によく見られる抑制・制止というものや統合失調症に多い途絶というのもあります。今回はそういうのではなく、患者さんの苦悩としての沈黙。あまり予後のよろしくない身体疾患の患者さんで、明らかにその病気が悪化している時など、患者さんは気持ちを言葉で表しづらいものです。その時、沈黙が流れます。もちろん、身体疾患ではなく精神疾患であっても、診察の中で患者さんが話をせずに黙ってしまうことも多く見られます。

自分「○○さん、調子はどうですか?」
患者さん「…この前、健康診断に行ったらがんが見つかって」
自分「…がんが見つかったんですか」
患者さん「色々検査をして、今度手術になるんです」
自分「手術があるんですね。いつになるんですか?」
患者さん「1ヶ月後に…」
自分「1ヶ月、そうでしたか…」
患者さん「…」
自分「…」

 このように、何となく重々しい感じで話がなされ、患者さんはついに黙ってしまいました。こういう時、どうすれば良いか。何が正解かというのは分からないのですが、とりあえず1-2分は待ってみることにします。

患者さん「…」
自分「…」

 それでも患者さんが切り出してこない場合、もっと待つことにメリットはあるかどうか。精神分析的精神療法では40分ずっと待ったなんて報告がありますが、何だかそれは根比べになってしまっているようですし、その部分だけをクローズアップしてもよろしくないでしょう(若いときはそれじみたことをした経験がありますが…)。多くの医者は一般的な診察をしているので、その長い沈黙の部分だけ切り取って輸入してもどうかなぁと思っています。

 沈黙それ自体にはメッセージがあります。多くの場合は苦しみや悩みであり、それがこちらにも伝わってくるかのように、医者の方もつらくなります。できれば逃げ出したい、そんな気分にすらなります。しかしながら、沈黙の流れを断ち切ることは、患者さんのメッセージまでも切ってしまうような感じすらします。でも沈黙は耐え難い…。どうしようかなぁと考えを巡らせることに。

 そんな時、自分はその流れに乗ったまま患者さんに話してもらうような言葉を使ってみます。

患者さん「…」
自分「…」
患者さん「…」
自分「…、○○さん、今この間、どんな思いが頭をよぎりましたか?」

 ちょっと姿勢をより患者さんに向けて、声は低めに静かに。沈黙のさなか、患者さんは伏し目がちです。ここでこっちが名前を呼ぶと、ちょっと顔を上げます。その時に眼を見て、どんな思いがよぎったか? そんなことを問うてみます。

患者さん「…怖いです。私は両親ともがんで死んでいるので、もしかしたらとは思ってたんですけど…」
自分「…そうでしたか。ご両親ががんで…」
患者さん「でも本当に言われるとやっぱり…」
自分「怖い、ですよね。本当に怖いと思います」

 そうすると、沈黙の余韻を残しながら、話が進んでくれます。その時の感情を「そういう状況であれば無理もない」と認証して、それを言葉にしてくれたことを評価します。

 沈黙というのは本当にいたたまれません。そこをちょっとこらえてみて、流れを実感する。そこからそれを壊さないように、感情の吐露をそっと促すような言葉かけをしてみる。それが今のところ自分が行なっている方法です。もっと良いのがあれば、とは思いますが、せっかくの沈黙なので、話題を変えるのはナンセンスとも感じています。感情を先読みして励ましたり慰めたりというのも、ちょっと白々しい。沈黙を活かせるような診察が出来れば、患者さんにも侵襲的でないですね。
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