2017
08.11

ほどよい依存

Category: ★精神科生活
 随分前に寛解してお薬も飲んでおらず、でも定期的に通院する患者さんがいます。といっても3ヶ月に1度とかなんですけど。たぶん、こういう患者さんはどこの病院でもチラホラいるんじゃないかな? と思います。

 3ヶ月に1度やって来て、ちょっとお話をして、帰っていく。その多くは結構な高齢患者さん。社会とのつながりが薄く、子どもも独立して配偶者には先立たれて、というケースが典型的。こういう患者さんの通院に対しては、否定的な意見があるかもしれません。「治っているんなら通院の必要が無いだろう」「病院に依存してるんじゃないか」「患者さんをそうやって抱え込んでるんじゃないか」など。

 でも、依存がそんなに悪いのか? とも思うのです。世の中は何でも自立しろと言いますが、それは依存しないこととイコールではないでしょう。しんどいなぁ、さびしいなぁ、という時にちょっと依存できる目的語がある、そして依存できる主語がある、それが大事なのだとも考えております。そんな依存を許さない”自立”は”孤立”と言っても良いのではないでしょうか。どんなにつらくても自分の力だけで何とかする、のではなく、つらい時は頼ったって良いんだよ、という”おたがいさま””おかげさま”こそが人の世なのだと思うのです。私たちは”あわい”から生まれて”あわい”に生きる存在です。その”あわい”を断ち切ってしまえば、手を離された風船のように遠く消えていってしまう、そんな気がします。

 だから、3ヶ月に1度やって来るその患者さんも、病院に来てちょっと担当医と話をするということで、ほどよいつながりを保っているのではないでしょうか。担当医も深い介入はしません。スッとなでるような浅い関わりが侵襲性を最小限にして、ほどよさを生んでいるのでしょう。もちろん、毎週来て腰が痛い湿布を出してくれ点滴をしてくれ、とか、3日に1度のペースで予約外で来院する、というのであれば枠というのをしっかり考えて治療に当たる必要性があるでしょう。でも3ヶ月(2ヶ月でも良いんですけど)に1度、定期的にやって来てお話をちょろっとする、というのは決して悪いことでもないんじゃないかなぁと感じているのです。

 ちなみに、病院としてはそういう患者さんでほとんど利益は発生しません。さっさと終診にしてそのぶん新しい患者さんを診た方がよっぽど儲かるでしょう。でもそれを病院が第一にしてしまったら、病院は病院でなくなってしまうかもしれません。なかなかつながりの見出だせない社会だからこそ、病院がちょっとそんな役割を担っている。そう考えるといくばくかの悲しさもありますが…。昔はお寺なんかがその受け皿だったかもしれませんね。コンビニよりもお寺の数が多いという話も聞きますし。お寺が復権してくれれば、病院に来る患者さんも減るかな? と想像。最近は症状というよりも ”悩み” と表現したほうが良いようなかたが受診されることも多くなったので…。
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