2017
03.29

何だか切ないね

 さだまさしさんのグレープ時代の歌に、”追伸”という歌があります。女の子の片思いと失恋を歌い上げていて、自分の好きな曲でもあります。今回は、その歌詞をちょっと考えてみようかと。

 好きな男の子の指に包帯が上手に巻かれてある場面が登場します。女の子は「誰が巻いてくれたんだろう」と気になる。”上手に”巻かれてあるというのが別の女性の存在を示唆していますね。怪我に気づき、上手に包帯を巻く女性というのは撫子的でしょう。詩の冒頭にも”撫子の花が咲いた”とあります。ちなみに、その咲いた後に”芙蓉の花は枯れた”と続き、女の子の失恋を示唆しています。芙蓉は花言葉に恋人を表現するものがありますが、枯れたことで恋人になれなかった感じが出ています。深く読みすぎると、指に巻いてある包帯は指輪を想像するかも?

 思いを打ち明けられず、結局は失恋してしまう。誰かと楽しそうに話す”あなたの声が眩しくて耳をふさぐ”というフレーズが出てきて、切なさを感じます。でも眩しいというのは、諦めきれないようなあこがれをも示しているかもしれません。でもあこがれは届かないからこそあこがれなんですよね。”声が眩しい”なんて、さすがさださん。自分は思いつきません、そんな表現。

 ここに出てくる女の子は、かなり内気でなかなか言い出せない子なんだろうなぁと思います。鴎外の本を意中の男の子から借りているのですが、たぶんそこでしか話しかけられない、共通の話題がつくれない、何となくそんな思春期の女性像を想像します。決して活動的で運動が得意なイメージは湧いてきません。文学少女タイプ。でもものすごくこの男の子のことが気になっていますよね。包帯を巻いているとか、誰かと楽しそうに話しているとか、細かいところを見ていて、好きで好きでしょうがないんだろうなぁと感じます。

 その子は男の子のことを思ってベストを編んでいたのですが、その色が白。清潔さや純粋さを表しますし、これは穿った見方ですが、冒頭の包帯の白さも連想します。でも、失恋したことで”ほどき始めましょう”と言う(実際にほどいてはいないんでしょう)。でも”最後のわがまま”と前置きして、”肩巾を教えて下さい”と。失恋したけどその男の子のことが忘れられない気持ちが出ています。

 そして、女性は失恋すると髪を切るというのは定型的な言い回しですが、この女の子もそうです。しかしそれで「スッパリ忘れました!」とはいかず、”私 髪を切りました”と歌詞に出てきます。この”髪を切りました”がまさに追伸になっていると思います。忘れたいけど忘れられないこの思いを、追伸として”髪を切った”と告げる。相反する行為がとても繊細な乙女心を表現していると感じました。髪を切ってイメージの変わった私を見てほしい、好きだったんですよと伝えたいというのもあるのかもしれませんね。

 で、この男の子の方は女の子の恋心に気づいていたのかどうか。たぶん、ちょっと気づいていたんだろうなぁと思います。冒頭に”あなたがとても無口になった秋に”とあり、無口になるっていうのは、思春期らしいですよね。自分で気づいたか、同級生から「お前のこと好きなんじゃねーの?」と言われたか、意識をしている感じがあります。でも付き合っている子や他に好きな人がいてちょっとギクシャクした印象。

 でも、ひょっとしたら包帯を巻いたのは男の子のお母さんかもしれないですし、失恋というのは女の子がその思春期心性で解釈したのかもです。歌詞の中には決定的な描写がないので。しかしながら、思春期の子はそういうものだと思います。ひとりで色々と考え悩む、そんな苦しさというか甘酸っぱさというか、それがうまく表現されています。

 最後に考えてしまうのは、この女の子は何歳くらいなんだろう? というところ。個人的には中学というよりは高校じゃないかなぁと。ここは分かりませんが、”ベストを編む”という行為や失恋で髪を切るっていうのを中学生がするかしらんというところ。あとは森鴎外を読んでいるところです。鴎外はやっぱり高校生くらいからじゃないかな? と勝手に想像。他には、歌詞を通じて女の子から大人びている印象を受けるので、やっぱり高校生かなぁ。

 さださんの歌は良いですね。人の生き様である”あこがれ、ありがとう、さよなら”。これらを歌わせたらさださんの右に出るものはいないのではないでしょうか。しかもこの”追伸”は20代前半の歌ですよ。すごすぎるのだ。
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2017
03.26

あとでまわれ

Category: ★研修医生活
 研修医の先生方は4月から色んな科をローテすることになりますね。そこで言えるのは、


行きたい科や好きな科は最初に廻らないようにしよう!


 ということ。もう遅いよ、廻る順番決めちゃったよ、という声も聞こえてきそうですが。。。

 なぜかって言うと、最初は研修病院のシステムに慣れることで精一杯だからなんです。病院のどこに何があって、どんな電子カルテ(紙カルテでも記載の方法など)を導入していてどんな操作をするのか、上級医の先生や看護師さんたちとどうやってコミュニケーションをとって、そして何より患者さんとどう話をしていくか、などなど。。。こういうことにまず慣れる必要性があり、それは最初にローテする科の体験の中で学んでいくことが多いのではないでしょうか。他にも、どこにスーパーがあるとか、どこに食べるところがあるとか、新しく住むところに馴染むとか、どんな同期や2年次がいるとか。
 
 自分は学生の時、神経内科の推理っぽさが好きでした。それもあって「好きな科を最初に回ってモチベーションアップや!」と思っていたら、カルテの使い方と病院の構造を理解するまでに2週間を要してしまい、あまり神経内科を肌で感じられなかった経験があります。バタバタと慣れていくうちに研修する期間の半分が過ぎてしまいました。指導医の先生も「最初だからまずカルテの使い方から勉強してね」という感じで。論文の調べ方もあんまり知らず、見やすいパワポの作り方も全然分からず、しかも患者さんとお話しするのも慣れてなくてね…。今では口先で商売する感じになってますけど。

 なので、好きな科があれば、そして出身校の附属病院でなければ(附属病院ならポリクリで廻ってるので勝手知ってるはず)、最初に回るのは”あんまり興味のない科”にした方が良いでしょう。自分だったら消化器内科とかかな…(すんません)。

 ちなみに自分は腎臓内科も好きで、それは2年次研修医の時に廻りました。そこでは深く学べたなぁと実感してます。たしか3ヶ月か4ヶ月くらい?廻ったはず。2年次ローテでは腎臓内科とICTを集中的に選択して楽しかったなぁ。感染症ってすごく大事で、どの科でも遭遇します(精神科でもね)。そこで適切な診断と適切な検査と適切な抗菌薬の選択が出来るようになれれば、やっぱり良いもんです。特に感染症に関しては上の年代の先生方はみっちり勉強してないので、若手が一本取れるチャンスでもありますよ。こういう成功体験ってやっぱり健全な自己愛を満たすために大切だと思ってます。

 ということでね、廻る科の順番は、科そのものの興味では決められないというお話でした。
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2017
03.23

おくすりごっくん

 患者さんから「カプセルは飲みにくい」というご意見をいただくことがあります。詳しく聞くと「喉に引っかかってしまう」とのこと。そういう時はちょっとアドバイスをするのですが、これが結構良いみたいでして、「すごく飲みやすくなった!」と喜ばれることも。

 ということで、今回は”ごっくん”の仕方について。

 カプセル剤はなぜ飲みにくいのかということですが、錠剤との大きな違いはこれかと思います。

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 カプセルは水に浮いてしまい、いっぽう錠剤は沈みます。これは患者さんの口の中をも再現します。お薬を口の中に入れて、水を含むという状態ですね。この事実を踏まえて、多くの方々が”ごっくん”をする際にとるポジションはこのような感じになっています(出演:ショーン君)。

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 ちょっと顔を上にして飲んでいませんか? これ、実は気道がしっかりひらく姿勢、いわゆるsniffing position(ニオイを嗅ぐような姿勢)に近くなります。本来のsniffing positionとは異なりますが、普通に前を見る姿勢よりも気道がノドとまっすぐにつながりやすいのは事実。

 となると、ノドから気道が真っ直ぐになりがちなので、誤嚥してむせてしまいます。かつですね、顔を上にするということは、カプセル剤は浮くので口の中でも口先に近い位置になります(ノドと距離ができる)。ごっくんと飲んでも水だけ飲んでしまってカプセルはあまり引き込まれずに宙ぶらりん。

 よって、自分はこのようにして飲んでみてねとお伝え。

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 ちょっと頭を下げます(画像は下げすぎか…?)。これはノドと気道との間に屈曲を作ることになり、より食道に入りやすくなります。かつ、姿勢的にカプセルは若干咽頭に近づきますね。この状態で”ごっくん”すると、スムーズに飲めるようになりますよ。

 錠剤に関してはですね、まずは口に含んでから顔を上にします。錠剤は沈むので、この段階でもうノドに近いところに行くはず。そして、飲み込む時に頭を下げて”ごっくん”します。そうすると飲みやすい。もしくは、頭を下げておいて舌で錠剤を喉の奥あたりに移動させても良いです。

 ちょっと練習が必要かもしれませんが、これは飲みやすくなること請け合い(たぶん)。おためしあれ。

 あ、粉薬は、ちょっとアレですね…。がんばってください。。。
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2017
03.20

昔を聞いたぞ

Category: ★精神科生活
 昨日から風邪をひきました…。今年に入ってもはや3回目。1ヶ月に1度ひいているという順調さ(?)を持っているようです。どうも今年はダメな気がする。

 さて、当直の時は、当直師長さんと一緒に病棟の見回りをします。個人的には、病棟に行くまでの間、そして帰る道すがらに色々と病院のことをうかがうのがちょっと楽しいです。もちろん話好きな師長さんの時に限りますが。そこで何十年と入院している患者さん(精神科病院では稀ではありません)の昔の様子が聞けたり、看護師さんの色んな体験が聞けたり。

師長さん「この病院も昔は夏祭りがあって、先生が診てる○○さんも着物を着て楽しそうにしててね」
自分「あら、そうなんですかぁ。今はお祭りないですもんねぇ」
師長さん「そうなんですよ。もっとみんなが楽しめるようなものが増えると良いんだけど」

師長さん「今は看護師が患者さんと一緒に外に行けなくなったけど、昔は一緒に映画を観に行ったりね、○○先生は一緒に喫茶店に行ったりしたのよ。楽しそうにしてね」
自分「え、○○先生がですか? いやーちょっと意外です」
師長さん「でしょ? つっけんどんに見えますよね。でも診察を見るととっても患者さん思いなのよ。だから○○先生は私たちも信頼してるんです」

 なんて話が出てきます。昔は良く言えばとてもおおらかであり、スタッフと患者さんとが一緒に出歩く、年末年始は一緒にお酒を飲む(!)、医局の冷蔵庫にはビールがあった(!!)、なんてこともあったと言います。他にも今では考えられないような出来事や、病院ならではのちとホラーな現象も。

 精神科病院は病院というよりも生活の場としての働きが強く、昔は上記の例のような”アソビ”が色濃くあったと言えるかもしれません。退院をあまり考えなかったからこそなのでしょうか。今は良くも悪くも”病院”であり、退院支援を積極的に考えるようになっています。昔ながらの患者さんにはそれがどう映るのでしょう。もちろん、どんなに生活の場という姿をしていても実態は病院なので、終の棲家としての立場は本来ならあるべきではないのかもしれません。何十年と入院していても、退院してみてびっくりするくらい地域でうまく暮らせる患者さんもいます。その一方で、頑として退院を拒否する患者さんもいます。ここは本当に難しい…。何十年と何も言われずに暮らしていて、いきなりここ数年で「退院」をチラつかされても困ってしまうのは頷けます。

 でも、どんな患者さんでも、”退院”という言葉を使います。「退院したい」「退院して家で暮らしたいです」「俺は退院させられるのか?」「退院だけはやめてくれ」など。生活の場ではあるけれども、患者さんが退院という言葉を発するということは、やっぱり病院は病院なのだなと思います。何十年と”住んで”いても、病院という認識なのでしょう。

 今の精神科病院は昔の姿を捨てねばならない時期に来ています(もちろん、地域もそれを受け入れる覚悟が必要です)。長期入院すべてが悪ではないのでしょうが、地域で暮らしてもらい、それを精一杯応援する義務と責任が病院関係者にはあります。それは患者さんにも少なからず影響を与えるでしょう。出来ることならば、その影響が良いものであるように、医療者は努力を最大限すべきなのだと思っています。
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2017
03.17

概念の違い

 先日、漢方の講演会で少しお話をしてきました。不眠症や慢性疼痛に対して頻用される方剤の説明をしてきたのであります。1時間以上声を出していると喉が痛くなりますね…。もともとどもり気味で、かつ鼻炎でずっと調子が悪いものだから、お話向きの声では決してありません。家族と話をしていても「雑踏と周波数が同じだ」「ノイジーボイス(noisy voice)」と言われまして、道行く人々の音や声、そして電車の音があると本当に聞き取れなくなります。雑踏に溶け込む感じでして、自分でも何言ってるか分からない時すらあるという…。

 さて、漢方はミステリアスなところがうさんくさい部分でもあり魅力的でもあります。個人的には、ハマりすぎずにあくまでサポートとしてちらりと考える、くらいがいいバランスかなと思います。漢方に陶酔している人って、細菌性肺炎すら漢方で治そうとしかねません。それはやっぱりね、よろしくない。何時代の治療だよってことになります。抗菌薬が必要であるならしっかりと抗菌薬を使う。現代医学の恩恵があるものはそれにあずかりましょう(感染症でも、単純性膀胱炎なら漢方で良いでしょうけどね)。サポートとして考える時は、例えば高血圧で降圧薬を服用していてもちょっと朝起きた時に頭痛がする場合に釣藤散を寝る前に1-2包使用する、とか。PTSDの抗うつ薬治療でだいぶ改善したけど悪夢がまだ少し残る時に桂枝加竜骨牡蛎湯を使ってみる、とか。そんな感じ。

 その漢方で困るのが、各概念の定義です。これがですね、人によって異なることがありまして、話が噛み合わない時がたまーにあるのです。よく自分が例として話題にしますが、虚証と実証というのがその1つで、日本漢方の中でも多くは体格や体力でそれを判断します。しかし中医学では病邪が盛んであればそれを実証と言います。瘀血の概念や陰と陽の考え方もかなり流派によって異なりますよねぇ。だから講演会でお話をする時、自分は必ず基本的な概念の説明を最初にします。「ここではこういう意味でこの用語を用いますよ」と先手を打ってしまうのでございます。そうでないとそれぞれの人がそれぞれの考える意味で解釈してしまい、小さな行き違いが生まれ、その積み重ねが大きな食い違いに進展してしまうリスクもあります。こういうところはきちんと注意せんといかんですね。専門用語はそういう行き違いを少なくするために定義がしっかりなされる傾向にありますが、それでもちょこちょことあるのは難しいところ。
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2017
03.12

恒例です

 タカシマヤでは大北海道展が行なわれており、ぐるっと見て回って遙か故郷を偲びました。もうね、自分の知らないお店がどんどん出ていて、年月を感じます。その中で”キングベーク”という函館のパン屋さんが出店していて「おぉっ!」と思いました。ちょー懐かしい。子どもの頃にそこの”コーヒーベーク”を食べたものです。今は亡き西武で売ってたんですよねぇ(しみじみ)。今回、懐かしすぎたので買って食べてみましたが、昔とは形も味も変わっていました…。昔はもっとギュッとした感じで、コーヒー部分ももうちょっと強かった記憶が。

 ただ、今回は北海道関連ではなく、タカシマヤの地下で虎屋さんの”ういろ”を買ったという内容でござます。

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 このヘタウマな虎さんの絵が特徴的。さて今回買ったのはどんな種類…?

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おはぎういろ



 でございます。コレ大好きでして、”ういろ”の中でいちばん美味しいかも(おはぎも好きなので一挙両得)。”抹茶ういろ”も良いんですけどね、この”おはぎういろ”は季節限定なので見かけたら買ってしまう。

 カットして、いただきます。

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んまい



 おや、この不均一も良いですね。お米部分が多いところもまた美味しいなぁ。

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 でもなんか見てると小豆の粒がリンパ節に見えてこないこともない…。何かの病理組織みたいだ。

 虎屋さんは三重県のお店ですが、名古屋のういろうよりもさっくりとしていてしつこくないんです。甘さもスッキリとしていますし。名古屋のは必要以上にモッチモッチとして絡んでくるんですよねぇ…。甘すぎるし。ただ、虎屋さんのものは日持ちがしません。そこが残念。色んな味を楽しみたい気持ちもありますが、大量に買っても食べきれずに終了となりかねないのでした。出来るならば、もう少し少量で売ってくれるとありがたいなぁ。

 ちなみに、この”おはぎういろ”の隣に”ホワイトチョコういろ”が売られていました(ネタ要員?)。ホワイトデーに狙いを絞ってますが、売れるかどうかはちょっと不安(買う勇気はなかった…)。歴史あるお店ですが、攻める姿勢はさすが虎屋さんです。
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2017
03.07

臨床のワンフレーズ(17):こころのお天気

Category: ★精神科生活
 患者さんの中には、自分自身の気持ちをうまく表現できない人もいます。特に子どもがそうですが、大人でももちろん。

 また、ちょっと膠着状態で患者さんの言葉も「別に…。変わらないです」くらいでそれからの広がりが出てこず、こちらが患者さんの世界をイメージしづらくなる時もままあります。こういう時は、患者さん自身も現在位置を見失っていることがありますね。

 そのような状況が続いた場合、ちょっとした比喩を用いると閉塞を突破できることがあります(絶対ではないですけど…)。

 例えば、激うつは抜けたけれど、なかなか今の状態がはっきりしてこない患者さん。実際にどのような感覚なのかを知りたい時に使ってみるのも良いでしょう。

自分「○○さん、前回の診察から1ヶ月ですけど、どうでした? その間何か」
患者さん「うーん。変わらないですね…。特に何も」
自分「良かったなぁということとか、困ったなぁということ」
患者さん「うーん、まぁないですかねぇ…」
自分「ちょっと変なことを聞きますけど」
患者さん「はぁ」
自分「○○さんのこころのお天気って、今どんな感じです?」
患者さん「こころの天気ですか…。そうですね、まぁ曇りですかね」
自分「どんな曇りかしら? どよーんとしたものか、うっすらかかっているのか、とか」
患者さん「そうですねぇ。もうちょっとで晴れてきそうだけど、だらだらと続いてるような」
自分「もうちょっとのところで停滞。雨は降っていないんですね」
患者さん「ですね。前は土砂降りでしたけど、今は雨が上がって、曇りが残ってるみたいな感じですかね」
自分「なるほど。晴れ間は見えてきそうで見えてこない」
患者さん「そうですね。もどかしい感じですね」
自分「もどかしい感じ。このまま待っていると晴れてきそうかしら?」
患者さん「いやぁ、どうでしょうね。晴れてきそうで晴れないっていうのが続いてるんで」
自分「待っていてもなかなか」
患者さん「そうなんですよね。確かに何か行動を起こさなきゃいけないですね」
自分「何か行動が出てくると、少し晴れてくるかも」
患者さん「はい」
自分「そうでしたか。良かったです、一定の目安が見えてきたので」
患者さん「そうですね。晴れるためには何かしないといけないですよね、すみません」
自分「いえいえ、何かするというのを見つけたのは○○さんですよ。そう思うこと自体が大きな一歩だと思います」

 ”こころのお天気”というフレーズで、患者さんも自分自身の状態に色んな思いを巡らせることができます。曇りや雨であっても、どんな曇りなのか、どんな雨なのか、そしてどうなって行きそうかなど、具体的で動的な感覚を得てもらいます。子どもであれば、ペンと紙を用意して話し合いながら描くのも有用でしょう。

 患者さんの状態をつかみかねている時や、ちょっと新鮮な風を診察室に入れたい時に使ってみると良いのではないでしょうか。そして、この比喩が合うような患者さんであれば、次回以降の診察もお天気を聞くところから始めてみると診察と診察につながりが出来てきます。
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2017
03.03

麦門冬湯を持っていきます

 ありがたいことに、講演会でお話をする機会を少しですけどいただいております。ここ2年くらいはほとんどが漢方なんですけど、どうなんでしょう。分かりやすく話せているかしらん、と思う時があります。自分は独学で漢方を勉強しているので、初心者が分からないところを経験してきているとは思っています。でも、独学はどうしても知識に手薄なところがあり、そこへの配慮が十分にできているのかどうなのか。分からないところは「これは自分には分かりません」とすっぱり話しているので「おいおい大丈夫か」と思われているかも? まぁ漢方の概念自体アヤシイところがありますし。

 そんな漢方尽くしではありますが、なんと今年は漢方以外でもお話しする機会をいただきました。ご依頼を下さったかたは相当なチャレンジャーですな。しかし、自分のメインは漢方屋ではなく精神科医であります、たぶん、ひょっとしたら。それを思い出させてくれる講演が今年はひさびさに登場でして。ていうか、メインが久々ってどういうことや…。副業(?)の方が多いというのは皮肉なことです。

 その講演、結構ガチな依頼が1つあり、戦々恐々としています。なんとですね



5時間話せ



 良いのか!? 自分に5時間話させて。よく依頼してきたなー、博打じゃないかなー。

 連続5時間ではなく(当然)、休憩やお昼休みを挟んで10-16時。しかも四国です! 四国って言ったらあなた、大学受験の時に2年連続で高知と徳島に行ったことがありますよ(大学受験が複数年というのはご愛嬌)。わたくしの名前も四国に轟いていたのかと感慨深い。ま、たぶんものすごくマニアックな人がいたんだと思います。そうでないと自分が四国から依頼を受ける説明がつかない。でも何のマニアなんだ…。みたらし団子とか? 五平餅とか? コメダ珈琲店とか?

 その5時間の内容はスイーツの話ということではなく、れっきとした精神科なんですよ。「そんなに話す内容あるの?」と思われるかもしれませんが、内容だけであれば5時間いけます、おそらく余裕。精神科以外の科で働く看護師さんに対して”精神科の考え方・お薬・疾患への対処など”をぴゃーっと話すので、5時間でも足りないくらい(大きく出た)。ただ、体力的にはどうかな…。声がね、もつかどうか。ガラガラになってしまいそうで。ぶっちゃけてしまうと、こんな講演(というか講義)を聞くよりも、中井久夫先生の『看護のための精神医学』とか、春日武彦先生の『はじめての精神科』とかを読んだほうが良いんですけどね。看護師のみなさんや精神科医になりたての若手のみなさんはこの2冊を読んでみることをオススメします。より実践的なのが後者で、患者さんを理解しようという優しさ成分が多いのが前者。どちらかというよりは2冊とも読んだ方が良いです。向精神薬について知りたいなら姫井昭男先生の『精神科の薬がわかる本』でしょう。これでどんな科にいても精神疾患の看護スターターとしては十分。

 しかしそうは言っても5時間話すことは決定したのです。精神科以外の看護師さん対象だと、どこまで話すかが難しい。精神科の専門用語は精神科以外にかなり縁遠い存在ですし、他にもあまり詳しくしてしまうのもいけないし。講演(講義)自体は今年と言ってもかなり先で終わりに近いくらいなのですが、浅いながらも広く話す必要があり、かなり噛み砕く工夫も求められているでしょうから、今からスライドをつくっています。今のところ500枚を越しましたよ…。

 ちなみに「講演会ってお金がどれくらい入るの?」と思われるかもしれませんが、労に見合うものではないのです。もちろん有名な先生だったら結構もらえるんでしょうけど、自分は身分相応に安いです。講演会のために勉強し直しますし、本も買いますし、時間も使いますし。言ってしまうと、準備のための時間を健康診断のバイトに当てたほうが圧倒的にお金になります。でもね、こうやってお話ができるのは幸せなことだなぁと思います。依頼をしてくれる人がいる、そして聞いてくれる人がいるっていうだけでね、ありがたいことですよ。少しでも世の中の役に立ったかなと思える瞬間でもあります。一度でもそういう経験があると、今世で生きた意味はあったかと感じます。来世はどうなるかな。
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