2016
11.29

飲むタイミング

 健康診断で、とある若い受診者さんがいました。既存症に片頭痛があったので「発作はうまくコントロールできてますか?」と聞くと(その健診の時は時間に余裕があったので聞いても後につかえることはなく)

受診者さん「このお薬を飲んでるんですけど、あんまり効かなくて…」

 と、見せてくれたものはトリプタン系の薬剤。片頭痛発作には効果的なものではあります。

自分「頭痛が来る時って、来たぞ来たぞ!(サガ2のアポロン的な?)というような、前触れのサインってありますか?」
受診者さん「あー、目の前がぼやけてちょっと光るみたいなのがありますね」

 前兆を伴う片頭痛ですね。そして、このトリプタン系は飲むタイミングも重要でして

自分「この痛み止めって、いつ飲むように言われました? 痛くなり始めに?」
受診者さん「いや、さっき言った前触れの時に飲めって言われました」

 お、トリプタン系が効かない原因はここにあるかもしれません。

 確かに前兆の時に飲んでも効く人はいるのですが、ベストなタイミングは”痛くなり始め”なのです! また、結構高い薬剤なので「痛いけどガマンガマン、、、でも無理だ!」というタイミングで飲む患者さんもいますが、それだと「あれ? 思ったほど効かない…。何だよこの薬…」となってしまいます。そこの情報提供が大切。

 よって受診者さんには以下のように。

自分「このお薬は痛くなり始めにサッと飲むのが大切で、早すぎても遅すぎても効かないことが多いんですよ。まずは痛くなった時にササッと飲んで効果を見ましょう。それでも効かなければ他のお薬を使ってみる感じかしらね」
受診者さん「へーそうなんですか。分かりました」

 健康診断なので一期一会であり、実際に効果のホドをうかがうことは出来ませんでしたが、まずは正しい使い方を知ってもらうことが大事ですね。

 発作の治療には漢方薬も使われますね。五苓散や呉茱萸湯がメジャー。頓服するなら、1回1包だと効かないことの方が多く、2-3包がオススメ。呉茱萸湯が効くのは、疲れた時に発作が頻発する、発作時には嘔吐や胃のムカムカ感がある、寒い時や冷たいものを飲んだ後に発作が多い、など。でもあまり深く考えずに五苓散と呉茱萸湯の両方試してみてより効く方をチョイスすると良いでしょう。発作時ではなく毎日服用するのであれば、水滞が主たる病態なら五苓散を4-6包/dayもO.K.です。しかしそれだけだと改善しづらい患者さんも多く、そういう時は駆瘀血剤が欠かせないですし、ストレスの関与が強ければ柴胡剤を入れることも。診ていた患者さんの中に他院で片頭痛治療がなされて良好なコントロールが出来ているかたがいましたが、大柴胡湯合桂枝茯苓丸という超攻撃型の合方で、しかも効果抜群で発作はピタリと止まったそうです。その先生は随分と漢方のことを知ってるんだろうなぁと思わせる処方ですよね(もちろん、全員に合うわけではありませんよ)。
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2016
11.25

同じでありたい、特別でありたい

 診察では”一般化”という方法を行なうことがあります。

患者さん「口の中が痛くて痛くて、どこに行っても気のせいって言われて。こんな症状って私だけなんでしょうか?」
医者「そういう痛みを持っているかたって結構多くて、○○さんだけではないんですよ。みなさん気のせいって言われて困っているみたい」
患者さん「そうなんですかぁ。私だけじゃなかったんですね」

 こんなやりとり。患者さんは「自分だけがこんな眼に遭っているのか」という疑念を持ちがち。よって、医者は「そういう人って結構多くて、みんな苦しんでいるみたいよ」という風に、患者さんだけではないのだということを伝えて安心を得てもらうようにします。

 この一般化は精神科医に限らず多くの医者が特別な意識なく使っていると思います。しかし、この方法にもちょっとした陥穽があるということは、覚えておいて良いかもしれません。

 人は「自分ひとりは嫌だ、みんなにもそれがあってほしい」という気持ちは確かにあるのですが、同時に「この苦しみは自分だけのものだ、容易に理解されてたまるか」という感情も併せ持っていることがあります。


みんなと同じでありたいけど、同時に特別でもありたい


 そんな気持ち。後者が強い時に「みんなそうなんですよ」「そういう人って多いんですよ」と一般化することは、患者さんをムッとさせる一言になりうるのです。

患者さん「朝起きるとつらくて、起きようと思っても身体が動かないんです…。何でこんなことになったのかと…」
医者「そうでしたか。うつになるとみんなそういう状態になりますから、○○さんだけじゃないですよ」
患者さん「そうですか…」

 患者さんによっても、そして同じ患者さんでも精神状態によっても、”みんなと同じ”をより求めるか”特別”をより求めるかは異なってきます。判別は難しいんですけど、一人であることに不安を持っているような雰囲気があったり、これまで認めてもらえなかった無念さや孤立感がにじみ出ていたりすれば、一般化はフィットするかと感じます。そうでない時は少し柔らかめにした表現を用いるのが無難でしょう。 

患者さん「事故に遭ってから外に出るのも怖くなって、最近は少し出られるようになったんですけど、やっぱり電車に乗るのが難しくて…」
医者「少し外出できるようになったけど、電車は怖い感じが残っているんですね。ああいうことがあったので、その感覚が残るのも無理はないかと思います」
患者さん「はい、ありがとうございます…」

 ”~するのも無理はない”という表現は理解を示しながら「みんなそうなんだよ!」とあからさまに伝えないという戦略になっています(いわゆる”認証”)。このように話すことで、患者さんもほんのすこし安心できるかもしれません。あとは、医者という立場を利用する方法もあります。医者は医者が思う以上に患者さんにとって特別というか権威的な存在。よって

医者「私も○○さんと同じ立場なら、そう感じると思いますよ」
患者さん「先生もそう感じるんですか?」
医者「そうですね。○○さんのお話を聞いているとそんな感じがしました」

 と言うことも。これはあんまり言い過ぎると患者さんと医者との境界が薄くなることがあるので頻用はオススメしませんが(精神分析の好きな医者はこの言い方を特に嫌います)、たまーにならポツリと呟いても良いのでは。同じ人間だけどちょっと特殊な存在がそう言うことは、一般化と特別化のあいだを通す一言になり得ます。もちろん患者さんが持つ医者の印象が悪ければイカンのですが。

 ”一般化”という方法はちょっと医療者の間で過大に評価されていると感じています。コミュニケーションの教科書にも”共感”と並んで書かれていますが、どっちも怖いもんです。特に精神疾患の患者さんや慢性疼痛を持っている患者さん、あまり多くの人が経験しない身体疾患の患者さんにおいてはいくばくかの注意が必要でしょう。患者さんは「分かられてたまるか!」「このつらさはオレにしかないんだ!」という気持ちをどこかで持っていることがあります。これは強調しておいても良いことかと。
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2016
11.21

おきざりにした自販機は

 結構前になってしまいましたが、鶴舞公園をお散歩。3週間くらい経ってしまったような。。。お散歩自体はわりとするんですけど、写真を撮るのはそう多くなく。でもその日は良い感じに晴れていて、自分の気分もまずまず。

 木々はほんの少し色づき始めていましたが、多くはまだ青々としており夏の名残が香ります。

 むむ、椿の枝から何か下に向かって生えてませんか…?

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 近づくと…

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 なんと、隣に生えている松から降ってきた葉っぱが引っ掛かっておりました。へー、結構面白いなぁ、こういうの。

 あ、染まってきた。

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 モミジバフウ(紅葉葉楓)は紅くなるのが早いですね。この隣にはモミジよりも紅く染まるハゼノキ(櫨の木)がありますよ。

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 竜ヶ池を覗くこのモミジは、鶴舞公園の中で最も紅く色づきます。最盛期はここで写真を撮る人が多くなるのでございますが、この段階ではまだまだ緑を十分に留めています。

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 先がほんの少し、ですね。

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 この2週間後に行ったら染まる範囲がなかなかに広まっていました。

 奏楽堂(音楽堂)と青空。開放感があります。

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 足の裏が痒い少女の像も安定感抜群。

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 噴水塔。

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 鶴舞公園はポケモンGOで一時期賑わいましたが、この噴水塔がモンスターボールにそっくりということで話題になりましたね。案内板を見ると、確かに。

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 よーし帰るか、と来た道を逆に向かって歩いていると、あれれ?

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 あらま、菖蒲池向かいにある山乃茶屋の奥にものすごく古い自販機を発見。サントリーのオレンジエードって、おっさんホイホイやんけ。確かに昔ってこういうのがあったような。

 どうやら今は稼働してないようです(当然)。

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 置き去りで誰からも忘れられてしまったのかしらね。♪生きていくのは あゝ みっともないさ♪ と某歌を口ずさんでしまいそうな。ていうか、鶴舞公園はかなりお散歩してるんですけど、今回までぜんぜん気づかなかったな、この自販機の存在に。

c.f. まさに紅葉まっさかりの鶴舞公園はコチラの記事にあります。葉と空と光が相まって、本当に綺麗ですよ。香嵐渓とも違って激混みにならないし。
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2016
11.19

いつだって良いですよ

 職業上、患者さんに漢方薬を出すことがあります。特に軽症と判断した際にはまず漢方薬をトライしてみることが多く、それでうまくいくこともあります(もちろん、うまくいかないことも多々)。

 そして、自分は処方する際にほとんど


食後投与


 にしています。しかも3包分3という方法ではなく、偶数処方で多くとも1日2回の投与にしています。もちろん、太陽病と考えられる病態に対してはガンガン攻める必要があるのでその限りではありません。葛根湯を3包分3とか2包分2とかにしたってそんなに効きません。

 なぜ食前投与にしないのか。そして添付文書通りに1日3回投与にしないのか? それはですね…


めんどくさいから(飲む人が)


 です。自分自身はお薬を処方してもらって飲む立場でもありますが、1日3回は無理ゲー状態でして、飲み忘れてしまうんですよね…。さらに食前なんて相当な気合を入れないと忘れまして、アドヒアランスがとても悪いのです…(反省)。せいぜい1日2回、かつ食後とか寝る前とかが現実的。担当の先生にもそうお願いしています。自分が処方する場合は、例を挙げると


柴朴湯4包・香蘇散2包 1日2回朝夕食後
酸棗仁湯6包 1日2回夕食後就寝前
桂枝加竜骨牡蛎湯4包・当帰芍薬散4包 1日2回朝食後就寝前


 など。ただし、処方箋には「コンプライアンス維持のため食後投与」とコメントしておきましょう。そうでないと薬局から疑義照会がかかりますよ。自分は薬剤師の先生に「変な出し方とか組み合わせをしますけど、間違って出しているわけではありませんので…」とあらかじめ言っておくことが多いです。

 そもそも食前にする根拠は大してなく、強いて言えば食事に含まれる生薬的なモノが混ざってしまうからになるでしょう。例えば生姜を使った料理を食べた後に漢方を飲むと、その生姜が漢方のバランスを乱してしまうかもと思われています。しかし、仮にそうであっても毎食毎食生姜を大量に食べることもないでしょう。そんなに敏感になる必要はないですよ。

 食前にすることで飲み忘れが多発し、また不味い漢方薬を飲むことで口の中に妙な味が残ってしまい食事を純粋に楽しめないなんてこともあります。効く漢方薬は美味しいなんてまことしやかに囁かれますが、不味いモンはやっぱり不味いと思います。「不味い、もう一杯!」というコマーシャルの名言がありますが、そういう気分でも良いかと。あとは、患者さんは”食前”と聞くと”食事する直前”と勘違いすることが多く、実際に興味本位で自分の患者さんに「食前っていつをイメージします?」と聞いてみると、ほとんど全員が「食べる直前」と答えていました(n=30くらいですが)。前医から紹介されてきて、かつ漢方薬を飲んでいた患者さんも「食べる直前に飲んでいた」と答えます。これなら食後も食前も同じですよね…。

 あとは、他にお薬を飲んでいる場合、多くの西洋薬(こういう言い方はあんまり好きではありませんが)は食後で出されています。漢方薬を食前にするとそれはもう大変で、食事の前後でお薬を飲まなければなりません。そうならないためにもできるだけ合わせたほうが良いですし、優先順位的には西洋薬になるでしょう。

 ということで、漢方は食後で良いのです。というかむしろ、自分は以下のようにお伝えしています。


「よく漢方薬は食前に飲むとか言われますけど、食後でまったく構いません。ぶっちゃけいつ飲んでも良いです。まずは1日○袋を飲むということを心がけてみてください」


 つまりは、まず処方した量を飲んでもらって、効果をしっかり見極めたいのでございます。患者さんも「あ、いつでも良いのか」という気持ちで臨んでもらったほうがゆとりがあって良いかも。ただ、モノゴトには例外はつきもので、少し鎮静を期待するのであれば夕食後や就寝前にまとめてみたり、不安の高い時間帯に合わせて出してみたり、多種類の漢方を出す時は「最初に補って、次に瀉した方が良いだろうなぁ」という思いから補剤を朝食後にして瀉剤を夕食後にしたり、といったことがあります。そこはご注意を。そして繰り返しですが、傷寒の太陽病に対しては一発療法をする必要があるので、食後とか食前とかそんな悠長な処方はしません。
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2016
11.14

患者さんの周囲にも

Category: ★本のお話
 太田凡先生が監訳された『ER・救急のトラブルファイル』を読みました。研修医の頃に読んでいたのですが、改めて引っ張り出すことに。原著は2002年、翻訳は2007年なのでちょっと古めですね。

 研修医の頃は正直なところこの本の凄さの実感が沸きませんでした。ただただ「アメリカって怖いところやなぁ…。保険とか訴訟とか大変や」という感想だったように覚えています。この本の価値が肌で感じられるのは、前期研修医2年目の中盤や、後期研修医の時かもしれません。実際に救急外来や一般外来で患者さんを診るようになってから、しかもちょっと自信(それはほとんど空虚な自信なのですが)が付いてきた時がベストだと思います。

 この本は実際にあった失敗例のミーティングから産まれたものであり、そこから何を学んでいくかというスタイルです。序章で述べられているように


このミーティングのポイントは、他人の失敗から学ぶことであり、担当医に恥をかかせることではない


 というのが特徴的。リスクマネージメントと聞くとちょっと無味乾燥なイメージを抱くかもしれませんが、この本は実体験を糧にどう対処していくかをまとめているので生々しさがあります。日本でもM&Mカンファレンスが行なわれることが多くなりましたが、やっぱり責任追及型であることもちょろちょろとあり、それは”担当医に恥をかかせること”につながってしまいます。そうではないカンファレンスが求められますね。

 この本は医学的なピットフォールももちろん書かれています。”馬尾症候群の見逃しは、くも膜下出血の前兆出血の見逃しと同様に、最も深刻なものである” ”多くの尿路結石の患者では、たしかに睾丸への放散痛がある。しかし、このことで安心感に浸ってはいけない” ”「めまい」という用語を使わずに患者に症状を表現させる方法は、多くの臨床医が使うテクニックである”などなど。しかし、これだけでは他にも良書があります。本書はそれ以外の点がとても秀逸なのです。例えば

・救急医は、患者の家族やその愛する人たちの心の状態に敏感でなければならない。要するに、彼らもまた”患者”であるということだ。
・医学的妥当性と良い結果はいつも結びついているわけではない。診療に付随してくる患者とその家族の感情の問題に、救急医は”音痴”になってはならない。
・プロ意識の低い行動は、いかに治療がプロフェッショナルなものであろうと、いかに転帰がよかろうと、しばしば患者にショックを与え、長い間記憶に残るものである。
・医師と患者との間でコミュニケーションの崩壊が起きたら、プロとしての過失を弁明しようと理由を並べるより、単純に謝罪するほうがよい。
・最も重要なことは、聞かれるか聞かれないかにかかわらず、軽率で無礼な言葉自体を避けることである。そうした言葉は、救急部全体にある種の雰囲気を作り出し、最初はストレスのはけ口になるかもしれないが、結果として、緊張感を欠いた医療現場を作り出すのである。
・救急医は、勤務交代で引き継いだ患者にも主治医であるという意識をもたなければならない。

 などなどなど。他にもたくさん。医学書やマニュアルにはあまり書かれていない、患者さんやその周囲の方々との関係性を重視しているのがこの本に特別な地位を与えているでしょう。個人的にはCase 21が最も学ぶ点が多かったでしょうか。

 あとは、翻訳をされた中村陽子先生があとがきとして記されたCase 92は、鬼気迫るものがあり、医療者として厳しく受け止めねばならないと感じます。沖縄県立中部病院を基準にしてしまうとほとんどの病院が及第点をとれないとは思いますが、ここまでグダグダな医者、患者さんのことを考えない医者、そしてサンフォードを知らない医者っているんですね…。

 ぜひ若手の医者には読んでほしいと思います。救急外来でちょっと自信が付いてきたよ、という研修医、それぞれの科に進んで外来もこなしているよという先生が絶好の対象でしょうか。ホントはどんな年代でも読むべきとは感じますが。
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2016
11.10

デモ禁止!

Category: ★精神科生活
 時期が時期だけにタイトルはキナ臭さがありますが、あのデモンストレーションの”デモ”ではありません。問診上の発言でなされる「でも」でございます。これは逆説を表し、古くは懐かしの評論文読解で「大事なところ!」として取り上げられた記憶のあるかたもいらっしゃるかと。


なるほど~だ。しかし~ではないだろうか。


 という、アレです、アレ。大学受験で小論文を勉強したかたは、「良いか、イイタイコトは逆説で書け」と教わったかもしれません(樋口式とか…)。

 この「でも」は結構強力でして、前に言ったことを打ち消してしまいます。だから、対話でこの言葉を使うのはリスキー。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 こういう表現だとちょっと患者さんは取り付く島もないという感覚になるでしょうか。ちょっと変えてみましょうかね。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 これだとどうかな? 患者さんの言葉を繰り返して、前よりは柔らかくなりました。人によってはこれでO.K.ですが、これでもちょっとなぁというかたもいる。それだけ「でも」の力は強く、言葉の繰り返しのクッションを取り払っちゃう可能性もあります。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。びっくりしたでしょう」
患者さん「はい」
医者「いきなりそうなると不安になるのも無理はないですね。でも調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 認証(validation)が入ることで、かなり良い感じ。ここまで来ると「でも」の強さは小さくなったでしょうか。いやいや、「でも」はこの組み立てをもひっくり返しちゃうこともあります。相手の意見を抑えて自分のイイタイコトを前面に出す手法なので、「でも」を使うとdia-logueになりづらく、mono-logueと受け取られてしまいそう。

 ということで、「でも」を他の言葉に置き換えてみることを推奨します。逆説ととられないような工夫ですね。

患者さん「車に乗ろうとしたらいきなり息が苦しくなって…」
医者「車に乗る時に苦しくなったんですね。びっくりしたでしょう」
患者さん「はい」
医者「いきなりそうなると不安になるのも無理はないですね。そこで調べてみたところ、異常なかったんですよ。大丈夫」

 「でも」を「そこで」に変えてみました。ちょっと良くなった気がします、何となく(どうかな?)。「そこで」に限定する必要はないのですが、この言葉は流れをそのまま受けて次に持っていってくれます。逆説のような流れの屈曲を感じさせないのがポイントかと。「そこで」以外には「実際に」なんていう表現のしかたもあるかしらん。

 流れがいきなり曲がると、相手は「おっ、何だ何だ。こっちの言うことは否定するのか」と感じることが多いのです。「でも」は言い合いになりがちでして

医者「でもね」
患者さん「いやでも先生」
医者「うーん、でもねぇ」

 こんな感じになると、お互い「聞いてもらえなかったなぁ」というくすぶりが出てしまいます。対話では流れを折り曲げないことが原則で、曲げるにしても緩やかな曲線を描くように。もちろん意図的に「よいしょ!」と曲げることがあり、それは患者さんに「おっ?」と注目してもらうためであります。

 自分は「でもねぇ」という言葉がつい出てしまうことがあるので、意識的に注意して言い換えるようにしております。
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2016
11.06

季節外れのサマー

 コメダ珈琲店にて、今回は”サマージュース”を注文してみました。甘夏の果肉がたっぷりと入っている、まさに夏を感じさせるひと品。といっても通年販売していますが。

 このサマージュース、注文する時にちょっとコツ(?)がありまして、それは


氷抜き


 にすること! もちろんキンキンに冷えたのが飲みたい時はオススメできませんが、あんまり冷たいのは胃にも良くないしね。少しぬるめでも良いよというかたはぜひ氷抜きを。

 なぜ氷を抜くかというと、果肉の問題が絡んでくるのです。氷というのは厄介なもので、特にファストフードや喫茶店などではカサ増しのためにガンガン入っています。これがサマージュースを飲む際には邪魔でして、なんと果肉をうまくすくえなくなってしまうのです!!! たくさん入った氷をかき分けて果肉をゲットするのは至難の業でございますよ。

 で、氷抜きのサマージュース。

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 やっぱり量は少ないですね。この容器がなかなか特殊。手に持つと、これくらいの大きさ。ちなみに自分は夏バテで2kgほど体重が落ちました。

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 自分でフタを開けて飲みます。ちょっと覗くとホラ、甘夏のつぶつぶ果肉がコンニチハ。

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 ズズーッと吸っていると、ジュースがストローから入ってこなくなる時があります。それは目詰まりしている証拠で、吸引したままストローを引き上げると…

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 結構な大粒が釣れました! 吸いっぱなしで写真を撮るのはナカナカ疲れます。

 そして、見事なまでに綺麗に飲み尽くす。氷があると、こうは行きません。

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 蛇足ではありますが、氷抜きを注文すると、レシートに”☆氷ぬき”と記載されます。上のスープというのはコーンスープのことね。

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 これからの季節はちょっと注文する機会は少ないかと思いますが、サマージュースを飲もうと思った時は一度お試しください。
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2016
11.03

大丈夫は大丈夫?

Category: ★精神科生活
 今回はありきたりで医療者はみんな気をつけていることですが、診察で患者さんから発せられる「大丈夫です」という言葉。

医者「どうですか? お腹の痛みのほどは」
患者さん「大丈夫です」
医者「そうでしたか、分かりました。じゃあお薬は変えずにこのまま出しておきますね」

 このような流れはありがちですがあんまり好ましいものではないのでございます。「大丈夫です」というセリフは、果たしてどんな「大丈夫です」なのか? と考えてみましょう。それは


1. 「(痛みはないから)大丈夫です」
2. 「(痛みはあるけど何とか我慢できるから)大丈夫です」
3. 「(痛いことは痛いけど何か言い出しにくいから)大丈夫です」


 などがあり、結構この「大丈夫です」は曖昧なのです。「大丈夫です」という言葉だけ聞くとつい1番をイメージしてしまって「じゃあこのままで」という流れになりがち。特に高齢患者さんや、医者が高圧的な(と患者さんが感じる)時だと言い出しにくくて2番や3番になってしまうことがあります。そこはきちんと意識すると良いかと。

医者「大丈夫っていうのは、痛みがないから大丈夫? それとも痛いけど我慢できるから大丈夫?」
患者さん「んー、痛いけど我慢できる、かな」
医者「あら。お薬を少し調節するともうちょい楽になるかもしれんけど、どうでしょう。お任せしますけど」
患者さん「あ、そうなんですか。じゃあちょっとお願いします」
医者「わかりました。じゃあまずその痛みについてもうちょっと聞きますね」

 という流れになるかもしれません! ただ、このように追撃しても「痛くないです。大丈夫です」と言う患者さんがいる可能性も。その時は、その患者さんと挨拶や話をする看護師さんや他の医療者にちょっと情報収集をお願いすると良いでしょう。”医者”というのは医者が思うよりも”権威”を患者さんが感じるもので、それは良い面も悪い面も含みます。悪い面を減じるために、医者よりも親身で距離が近い(と患者さんが感じる)看護師さんや他の医療者との協力がポイントになります。医者であっても、若手と上級医がタッグを組んで診ていた場合、上級医には言いにくいから若手に言う(若手が権威的でない)、逆に若手に言いにくいから上級医に言う(若手が頼りない)、ということもありえます。

 言葉は関係性の中で産まれたり産まれなかったり。関係性を見つめなおしたり他の関係性を織り交ぜたり、そうすると色合いが豊かになって産まれる言葉も実りあるものになると思います。ちょっとそんなことを意識してみると言葉を気にする感覚が磨かれるかもしれません。 
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