2016
08.31

起立性調節障害には?

Category: ★精神科生活
 起立性調節障害のある患者さんがいました。ミドドリン(メトリジン®)が近医で処方されて効果がなく、漢方薬の苓桂朮甘湯を飲んでもあとひと押し…、とのこと。こっちの外来には違う理由で来ていたんですが、せっかくだから(?)治療してみることに。

 起立性調節障害は基本的に苓桂朮甘湯が良く効きます。”立ちくらみには苓桂朮甘湯”と言われるくらいに切れ味の良い漢方。自分もこれを最も使い、随伴症状を考えて追加処方を組み立てます。

 その随伴症状でとりわけ多いのが、朝起きられなくて疲れやすくて身体が重い…というもの。そんな時は、苓桂朮甘湯に補中益気湯を合わせます。気虚があるなら苓桂朮甘湯と補中益気湯を合わせるんじゃなくて半夏白朮天麻湯のみで良いんじゃないかと思うかもしれませんしそれもよく効きますが、身体の重さがあるのであれば、補中益気湯の升提作用をやっぱり期待して苓桂朮甘湯合補中益気湯にします。上の患者さんも、この合方で改善しました。良かった良かった。

 他には、陰虚がありそうならやっぱり六味丸を合わせるべきだと思うんです。日本漢方は副作用の報告も多いくらいに八味丸を頻用していますが、その副作用の原因になる附子は対象患者さんを選ぶべき。いっぽうで八味丸から桂枝と附子を除いた六味丸をあまり使う発想がないですね。陰虚を想定するのであれば、六味丸は外せないと自分は考えています。陰虚は症状的に甲状腺機能亢進症をイメージすると分かりやすいでしょうか。それっぽさのある起立性調節障害なら苓桂朮甘湯合六味丸はとても有効。

 あとは、腹痛があるのなら桂枝加芍薬湯(もしくは小建中湯)を合わせますし、ストレスが多そうなら四逆散なんかを合わせますし。主訴以外も方剤選択に重要な情報を持っています。

 ちなみに、苓桂朮甘湯は10社以上の製薬会社が販売していますが、最も効果のあるのは東洋薬行のだと思います。ここだけが生薬の”桂枝”を使っていましてね。他の会社は桂枝の代わりに桂皮を使用しているのです。身体の表面や上部に気を巡らせたいのであれば、やはり桂枝が適切なのです。原典でも”桂枝”になっていますね。
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2016
08.27

良かれと思って

 精神疾患はすっかり寛解し、なぜか糖尿病の治療を行っている患者さん。HbA1cの目標を7.0辺りに設定して、良好に経過していました。

 しかし、ある時のHbA1cが7.8になっており、「あれ?」と思って聞いてみることに。

自分「何か食生活って変わりました?」
患者さん「いえ、特にそんな暴飲暴食なんてしてないはずですけど…」
自分「身体にいいことを始めたりとか」
患者さん「あ、はいはい。腸内環境を整えようと思って、飲むヨーグルトを始めました!」



それや…



 飲むヨーグルトとか食べるタイプのヨーグルトでも、結構お砂糖を使っていることが多くて。ヨーグルトを摂取するのなら無糖で甘くないのがやっぱりオススメなのです。最近は甘味料でも糖尿病発症に繋がるなんて言われていますね、そういえば。

 ヨーグルト以外だと、多いのは「サラダを食べるようにしました!」という患者さんで、その内容が

ポテトサラダ
マカロニサラダ

 だったりします…。これ落とし穴やで。。。

 自分は糖尿病治療を”プチ糖質制限”+”メトホルミン”で組むことが多く、特に前者の効果はなかなか大きいと思います。ただ、タイトな糖質制限は継続が難しい点、そしてメタアナリシスで一応は死亡リスク上昇になるかも? と言われているので、大々的な推奨は今のところしていません(ひっくり返すような試験結果がたくさん出れば態度は変えますが)。ストレスをためず継続できるレベル、極端ではないプチ糖質制限をしてもらって、減らした分をお魚や鶏肉やお豆腐、好きならナッツなどで補ってもらいます。

 食生活については初診時にお話をして、時折振り返るようにはしていますが、たまにスルリとそれをかいくぐるような”飲むヨーグルト”とか最近だと”ライスミルク”や”アーモンド飲料(砂糖添加のもの)”なんてのが出てきます。「健康に良い!」と聞くとみなさんついね…。栄養成分表を必ずチェックしましょう。

 特に、上の会話例でも出てきましたが、医者から「食生活変わった?」と聞かれた場合、患者さんは典型的な悪い方の食生活をイメージしてしまいます。しかもHbA1cが上昇していればイヤでもそう考えてしまうでしょう。なので”暴飲暴食”や”甘いモノをたくさん食べる”や”ご飯や麺類とたくさん食べる”などを考えがち。よって、例では「身体にいいこと」という表現で追撃をしています。

 生活習慣病はやっぱり日常生活の養生がもっとも大事でございますね。薬剤を使うにしても、基盤は養生。そこを堅牢にしておく必要があるのです。精神疾患もそうなんですけど。
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2016
08.23

もうちょっと肩の力を抜いてだね…

Category: ★精神科生活
 前の病院にいた時の話ではありますが。。。

 看護学校の学生さんが実習として来ることがあります。初々しくて肌のハリも違うなぁと、まぶしい若さは羨ましいものでした(もはやオヤジ眼線)。こころがすり減っていないというか、未来を感じさせるその姿。翻って自分はどうだい…。などと悲しがっていましたが、彼らも年をとって働いて日本医療界の苦しさやこれからの閉塞感を味わうことになるのかと思ったら、それはそれで何とも言えなくなります。

 大体どこもそうなのですが、看護師さんはかなり上下関係が厳しいです。先輩が「こうやるのよ!」と言ったら後輩は逆らえません。褥瘡に対する湿潤療法は結構広まってきた感覚はありますが、”先輩看護師の意見””お局の一声”はものすごく大きく、それは医者以上です。自分の信念・プライドを持つことは悪くないのですが、それが他者の情報を遮断することと同義になってしまっては、エゴであり進歩はないでしょう。ちなみに医者であればエビデンスという武器でまだ若手が食い下がろうと思えば食い下がれますし、指導医もトンデモでなければ勉強しているのでまずまずではないかと感じております。…まぁでもあれか、感染症、創傷・熱傷の治療、輸液栄養管理なんかは自分で勉強した方が良いなと思う時も多々。

 何でそんなに看護師さんは上下関係に厳しいのだろうと思っていたら、その源泉を学生さんの実習にちらっと垣間見たような気がします。

 朝、実習生のみなさんがナースステーションに入ると、みんな横一列に並んで代表者が大きな声で

「○○学校の実習生です! 今日も一日、よろしくお願いします!」

 と言ったかと思ったら他の学生さんも

「よろしくお願いします!」

 と声を合わせて一礼。最初に見た時は何事かとびっくりしましたよ、自分は。そして何と、お昼休憩に入る時も

「これから昼休憩に入らせていただきます!」

 って言うし、なんとその休憩から戻ってきた時も

「昼休憩終わりました! 午後からもよろしくお願いします!」

 みたいな。そして帰る時も同様に

「今日も一日、ありがとうございました! 明日もよろしくお願いします!」

 うーむ。。。それをみんな横に並んで大きな声で…。正直なところ


ここは軍隊か!


 と思ってしまいました。しかもですよ、学生さんが挨拶をしても、数人は「はーい」とか「よろしくね」とか(たまに)言ってくれることもあるのですが、ほとんどの看護師さんは


ガン無視


 多くは彼らの存在に気づかないかのように動いています(忙しいのは分かりますが…)。自分はナースステーションで電子カルテをいじっている時、そういう場面にちょくちょく遭遇するのですが、少々異様な感じ。気まずくてちょっと頭を下げる気遣いをしてしまうくらい。あの空気には耐えられません…。

 で、看護師さんに聞いてみたんです。「こうやって並んで大声張り上げてビシっと並んで頭下げるなんて、何か軍隊みたいじゃないですか?」と。そうしたら



「え? 普通ですよ」



  そうなの!? そこであたしゃ思いました。看護師さんのあの妙な上下関係は、ここから来ているのではないか…? と。確かに自分たちも学生の頃は教授の診察を突っ立って見ているという疲れる儀式(?)はありましたが、それでもこんなにすごくはなかったなぁ。。。

 全国にそういったところが複数あるのでしょうか。いくつか他の病院の医者に聞いても、「あったね、そういうの。ありゃすごいね」と語ります。自分のいた病院だけではないのだ…。しかし、それがもし全国的に平然と行なわれているのだとしたら、ちょっとそれはいかがなものか。。。規律そのものはあったって良いと思うんです、もちろん。ただ、そんなにビシっとやって、かつ看護師さんたちがスルーしちゃう状況はどうなんでしょう。実習の学生さんにはこちらもきちんと応えることが大事なんじゃないだろうか、と思わずにはいられません。
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2016
08.19

こんなことも起こるのかね

 蚊に刺されました。

 もうなんかたくさん刺されて大変大変。その日の夜は蚊の大捜索をしまして、何とか退治できました。蚊がいるって分かっただけで何となく身体中がかゆくなってくるのはとても不思議な現象でございますね…。

 刺されてかゆいのは、実は”ハイドロコロイド包帯”というのをペタッと貼ると数分で治まってしまうのです。何故なんでしょうね??? ちょうど2ヶ所刺された場所があり、こんな風に貼りました(いちおう、足の内側です)。もうちょっと広く貼った方が良いのですが、ちょっとケチってしまった。でもこれでかゆみはほぼ消失。良かった良かった。キズパワーパッドでも良いんですけど、アレってすごくお高いんですよ。ハイドロコロイド包帯はシート状で自分で好きに切って使えてまだ安いからおトク。我が家ではヤケドにスリキズにムシササレに、大活躍しております。

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 ただ、今回は恥ずかしくて言えないようなところを刺され、もちろん人生初の出来事。そんな目に遭って


人生って何が起こるか分からんな…


 と本気で思ってしまいました。予測不能でして、人生の危うさというか、日々過ごしている日常はちょっとしたことで崩れてしまうのだと、刺された部位を眺めて思ったのであります。


とりあえず、いっしょうけんめい生きようかな


 そんな感じの今。
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2016
08.16

千里先をつくるなら、それを忘れるな

 ”千里の道も一歩から”と言います。

 この言葉は外来で使いますし、みなさんご存知なのでイメージしやすいでしょう。でも知っておいて欲しいのは


一歩を考え過ぎると、千里先が見えなくなる


 ということ。千里先ばかり見ていて足元が疎かになっていてもダメですが、一歩に集中し過ぎると千里先が視界から消えて、「あれ? 何のためにやっていたんだっけ…?」とキョロキョロしてしまいます。

 つまりは


千里先と一歩の両方を意識すること


 がとても重要。薬剤の減量や疾患の治療はまさにそれに当たるのです。

 ベンゾの減量を行なっている人の中には、お薬をやめることこそ人生のようになってしまっており、終わった後の物語が用意されていないことも。双極性障害も、波のコントロールだけに集中してしまっている人がいます。自分が聞きたいのは


何のためにそれをしますか? そして、そのためには日々をどのように過ごすと良いですか?


 この2つです。前者が千里先に、後者が一歩に当たるでしょう。前者は例えばベンゾをやめて平凡な日常を忙しいながらも普通に暮らすこと、躁うつの波は少しあるけれども家族に支えられまた家族を支える様な生活をすること、かもしれません。人によって異なるでしょうし、これはその人独自の哲学と言っても大げさではありません。どんな人生を送りたいのか、そのために今何をすべきなのか。自身に問うとも言えるでしょうし、少し前の記事にもしたように”人生から意味や価値を問われている”とも言えるでしょう。

 そうやって生きた過程は、千里への道筋になっています。振り返ると、決して平坦ではなかったかもしれない、紆余曲折はあったかもしれない、でもそれはかけがえのない、確かな道筋なのだと思います。人生からの問いに応えようとする生き様、そして窮極的には死に様こそ大切なのかなと感じます。

 自分は、”意味”や”価値”はもともと存在するものではない、という考えを持っています。よって、千里の道もあらかじめ用意されているわけではありません。その”虚空”とも”あらず”とも言える中を判断停止し生きていくのもまたひとつであり、それは悟りに近いものかもしれません。しかし意味を付与したがるのが人間であり、それを望むのであれば、千里の先を自ら見つけ出すために苦悩することが必要であり、そしてその覚悟が求められるのでしょうね。意味を問われて生きるというのは、その態度そのものなのかもしれません。
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2016
08.14

講演の範囲

 3月の初旬と6月下旬に漢方薬の講演をしてきました。どちらも”初学者はどうやって漢方を学んでいくと良いか”という内容。

 個人的、あくまでも個人的ではありますが、最初は”決まり文句”から入っていくのが良いかなぁと思っています。初っ端から漢方独特の理論や生薬を学ぶと、高率でドロップアウトするでしょう。自分は生薬の知識が入ってくるまではかなり苦しんだ記憶が…。理論の方も、実態のない概念なのでなかなかね。。。しかも人によって定義が異なってくるし。

 この決まり文句は日本漢方が得意とするところで、例えばこのようなものがあります。

・ぐったり夏バテ、清暑益気湯
・コンコン空咳、麦門冬湯
・腰痛で、冷えると大変、五積散
・立ちくらみ、そんな時には、苓桂朮甘湯
・冷えるとうずく、古傷に、桂枝加苓朮附湯
・緊張で、手に汗握る、四逆散
・お年寄り、コロコロうんちに、麻子仁丸
・ちょっとした、体調不良に、桂枝湯
・ギリギリと、強い歯ぎしり、抑肝散

 などなどなど、こんな感じでパッと方剤を選べます(覚えやすそうなリズムでつくってみました)。いくつか覚えておいて、「これぞその決まり文句がピタッと当てはまる患者さんだ!」という患者さんに限定して出してみる。そこで何か効いてくれれば「おっ」と思えるのではないでしょうか。そんな体験が増えると、理論や生薬を知りたくなる、かもしれません。自分は昔々に「足の手術をしたんだけど、天気が悪かったり冬場になったりすると痛いんだよねぇ」という患者さんに桂枝加苓朮附湯(ツムラさんなら桂枝加朮附湯ですが)を処方して劇的な効果を示したことがあり、また「ヘルニアで腰が痛くて」という患者さんに五積散を使ってみたらびっくりするくらい良くなって、そんなのが重なると患者さんからも感謝されますし、感謝されたらやっぱり正直なところ嬉しいですし、そしてもっと使ってみたいという欲も出てきますし。かゆいところに手が届く可能性を漢方に感じております。

 ただ、やっぱり基本的な理論と生薬の知識があると、処方の理由が分かってきます。そこが重要になってくるでしょう。それについても、決まり文句がなぜそのような決まり文句になっているか、から入って行くと良さそうです。前述の桂枝加苓朮附湯であれば、エキス製剤はこんな生薬で成り立っています。

桂皮(本来であれば桂枝)、芍薬、茯苓、蒼朮、附子、生姜、大棗、甘草

 桂皮と附子と生姜は身体を温めます。特に附子は鎮痛作用も結構あり、身体の水はけを良くしてくれます(基礎医学的には、アストロサイトの活性化を抑制するらしい)。そして、芍薬も鎮痛。茯苓と蒼朮は身体の水はけを良好にしますよ。よって、冷えや天候で悪化するような筋骨格系の痛みによく効いてくれます(天候で悪化というのは、身体の水はけが良くないために生じます)。

 自分自身が使って効果のあった漢方薬の決まり文句から解剖をしていって生薬を覚えていくと、なぜ効くか/効かないかが段々とつかめてくるのではないでしょうか。その積み重ねがとっても大事。

 残念ながら自分は五行論が苦手でして、それを実際に臨床で応用することはあまりありません…。腎を整えることや両隣の臓への配慮をしてみるとかは考えますが。本を読んでもちょっと五行にはついていけないかなぁ。いかようにも説明できてしまうような気がしてしまって。

 そして、日本漢方で言う”実証””虚証”には懐疑的なので、講演でその話をして自分が実際に処方した例を出すと、みなさん「??」という感じになります。当帰芍薬散と桃核承気湯を合わせたり、四君子湯と大柴胡湯を合わせたり、黄連解毒湯と大建中湯を合わせたり。この辺りになると会場が「この講演は難しいなぁ…」という雰囲気になってきます。。。

 講演でどこまで話すか、というのは非常に重要なんでしょうね。でもせっかくお話しするんだから、ちょっと異なる意見を提出してみたいという欲求が無きにしもあらず。しかしながら、たくさん喋りすぎてみなさん消化不良になってしまうという、毎回の結末。ということで、今回の講演からは別刷りで資料を付けてみました。お家に帰って読む人は多くはないかなぁと予想していますが、1人でも眼を通して「そんな考え方もあるんだなぁ。ちょっと勉強してみようか」と思ってもらえたら、これ幸いではあります。

 このブログの漢方の記事では、日本漢方のことをちょっと悪く言っているように受け取られるかもしれません。確かに上述のような病邪を考慮しない”実証””虚証”は「どうなのかなぁ」と思わないこともないのですが(中医学の”実証””虚証”とは異なる)、日本漢方の特徴である”決まり文句の豊富さ”は導入にとても良いと思っています。そこを足がかりにして中医学の理論を少しずつ。それがベターなのでは、と今のところ思っています。
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2016
08.11

桃が来たぞー!

 いえーい。

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 なんと18個も来てしまいました。ふるさと納税でして。開けた途端、桃のやわらかくて甘い香り。やすらぎます。

 近づいて。

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 よし、じゃあ食べてみましょう。

 桃の切り方はですね、まずは包丁で切れ目を入れて、一周します。アボカドを切る時のように。

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 そして、両手で持って、前後にギコギコと動かします。あまり力を入れずね。

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 これを繰り返していると、果実と種の結びつきが切れてきて、パカリと。

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 ちょっとこの桃は熟しきっていなかったので、種の部分に果実が少し多めに付いてしまっております。熟しているとそんなに苦労せずにキレイに出来ますよ。種の付いた方は、また包丁で半分に切れ目を入れて上下に動かします。するとそこも取れる。後は皮を剥いて、出来上がり。

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 いただきまーす。
 
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んまい!  (当然)


 ちょっと硬かったけど、甘みと果汁がたまらんね。あと数日したらちょうど良い感じになりそう。
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2016
08.06

開始する量

Category: ★精神科生活
 抗うつ薬を使う必要のある患者さんはやはりいます。使うにあたって考慮にいれるべきなのが、副作用。抗うつ薬の副作用で最も多いのが嘔気嘔吐だと思っています(SSRI/SNRIの場合)。何とも言いようのない吐き気のようで、患者さんはそれを経験すると抗うつ薬を飲むことがためらわれるほど。あとは便秘や傾眠でしょうか。

 そんな副作用は出さなくて済むのなら出したくない。最初からスルピリド(ドグマチール®/ミラドール®/アビリット®)や六君子湯や半夏厚朴湯などを噛ませる方法もありますが、個人的には出す薬剤の種類は少なく出来るならそうしたいところ。ということで、自分は開始用量を添付文書の半分にすることが多いです。

エスシタロプラム(レクサプロ®)なら5mg/dayから
デュロキセチン(サインバルタ®)なら10mg/day(脱カプセル)から
ミルタザピン(リフレックス®)なら7.5mg/dayから

 などなど。デュロキセチンは特に嘔気嘔吐の副作用が強いようにも感じますが、10mg/dayからだとそれが認められないか出現してもごく軽度。ドロップアウトが非常に少なくなるのでオススメ。このように、少なめからの開始は副作用でつらい思いをするのを軽減する意味合いが強く、忍容性を高めてくれます。これはイイコトだ、と思うかもしれません。しかし注意しなければならないポイントが2点あります。

 1つ目は、少なめから開始するということは有効用量までの道筋がちょっと遠くなるということ。添付文書では、サートラリン(ジェイゾロフト®)は

通常、成人にはセルトラリンとして1日25 mgを初期用量とし、1日100 mgまで漸増し、1日1回経口投与する。なお、年齢、症状により1日100 mgを超えない範囲で適宜増減する。

 とあります。50mg/dayがいちおうの有効用量とされているので、25mg/dayは”慣らし”です、いちおうね。でも半分の12.5mg/dayから開始すると、12.5→25(→37.5)→50mgなので、ちょっと到達が遅くなります。

 2つ目は、上記のように何段階も踏むことから患者さんが有効用量を”多い””そこまで増やすのが怖い””どんどん増えてしまうんじゃないか”などと感じるという点。”精神科のお薬”というだけで結構な怖さを持っている患者さんもいるので、そこに加えて”増えていく”という感覚があるとやっぱりね。その点については、投与前にしっかりと説明することが求められましょう。

 医者はお薬を出すだけですが、飲んでくれるのは患者さんです。そこには不安や期待が入り混じるでしょう。医者は念入りな説明でその不安を受け止めつつも軽くする必要があるのだと思います。それも精神療法のうちかなぁと。そして、臨床試験ではプラセボ効果はとっても困るのですが、実臨床では頼りにします。お薬のプラセボ効果を存分に高め、かつノセボ効果を出来るだけ低くする、それがお薬にまつわる精神療法。患者さんの気持ちを抱えながら、しっかりと説明もする。投与した後の診察では”飲み心地”をきちんと問う。当たり前ですが、それを忘れずに行なうことが欠かせないのだと思います。臨床では、華々しい行為よりも地味で忘れられがちなことがじわじわと効いてくるのではないでしょうか。

 ちなみに、これはあくまで個人的な意見ですが、抗うつ薬に反応する患者さん(抗うつ薬が効果を示す患者さん)って、開始用量でもある程度の効いた感じを得られることが多いです。サートラリンでも12.5mg/dayで「何となく前より楽になりました」など。だからその量で引っ張ることも結構ありまして。もちろん全部がそこで打ち止めにするわけではなく、あくまで臨床症状との兼ね合い。しっかり使わねばならない時だってありますよ。
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2016
08.03

生きていくうえでの悩みは人生から問われているのかもしれない

Category: ★精神科生活
 1年ほど前ですが、初診に悩める患者さんが来ました。

「仕事をしているけど、このまま続けていて何の意味があるんだろう。結婚してないから、辞めても良いんじゃないかとか。でもその踏ん切りも付かないし老後のことも考えると」

 大まかにはそんな内容。今の自分自身の立場、そしてこれからの人生を考え込んでしまって、眠れなくなったそうです。ちょうどその時は自分の頭がクリアになっていたので、その場でアレコレと思案しながらお伝えしてみました。いつもはモヤがかかっているのですが…。


患者さん「ほかの人ってどうなんでしょうね」
自分「みなさんどんな感じで働いてらっしゃるの?」
患者さん「うーん、淡々とというか。前に聞いたら”家族がいるしね”って。僕は結婚してないし、じゃあどうすればと」
自分「結婚していると家族のために頑張れるということでしょうか」
患者さん「そうですね、そう思います」
自分「結婚していると、家族のために頑張れる。でも家族のために頑張らなきゃならない、とも言えそうかなと今思いました。家族はつながりの糸にもなりますが、鎖にもなってしまうこともあるのかなと」
患者さん「あー、鎖ですか」
自分「その分、○○さんはそれがないですね。良い意味では鎖がなくて自由。今後のこともどうしようかと選択肢が多くなっているように感じます」
患者さん「そうですね、色々と考えてしまって」
自分「でも自由だからこそ悩んでしまって、自由だからこそ1人で孤独になってしまうこともあるのかもしれませんね。言い方はきついかもしれませんが」
患者さん「いえ、本当にそうだと思います。1人だと良くも悪くも考えますよね」
自分「だからこそ、しっかり考えてみてはどうでしょう」
患者さん「え、考えたほうが良いですか?」
自分「そうですね。今はこれまでの人生とこれからの人生を考える1つのポイントになっているのだと思います。仕事も若かった時と同じようには出来ずに衰えを実感せざるを得ないですし、これからをどうやって生きていくのかもはっきりとせずに不安なのだと思います」
患者さん「そうですね、そうなんですよ」
自分「しかも、何度も言って申し訳ないですけど結婚されていないこともあって、どうしようかと考える自由が強くなっている」
患者さん「はい」
自分「その自由がまた不安を煽り立てているかもしれませんし」
患者さん「そうですね」
自分「なので、ここは先送りにせずに悩み抜くのが大事だと思いました」
患者さん「そうなんですか」
自分「考えないようにしてもついつい考えてしまうってことは」
患者さん「はい、そうなんです」
自分「ということは、今はしっかり考えなさいよと教えてくれてるんだと思います。すごく大袈裟に言うと、○○さんの人生が教えてくれている、考える時期なんじゃないかと」
患者さん「あー、考える時期なんですね」
自分「考えないようにとお薬を出しても、それはただ先送りにするだけだと思うんです。先送りにすると、また後でもっと大きくなって押し寄せてくる。であれば、今回のことをきっかけにトコトン考えてみると良いかなと思いますよ」
患者さん「そうなんですね。考えないようにしようとずっと思ってました」
自分「恐らく答えらしい答えは出てこないかもしれませんし、それが正しいかも分かりません。でも人生ってその人だけのものなので、考えぬいて出た答えは大切だと思います。私が考えて出した答えは○○さんに当てはまらないでしょうし」
患者さん「わかりました。でも苦しいですよね」
自分「苦しいと思います。でも、今はそういう時期なんだと教えてくれている。それに付き合ってしっかりと考えてみましょう」


 というようなことをお話ししました。たまーにこういう”症状というよりは悩み”というかたが初診にいらっしゃいます。そういったかたがたはこれから多くなってくるんでしょうね。ふと人生の途上で立ち止まって「何をしてきたのか、これから何をしていくのか」と。特に結婚されていないかただと自由である反面、それが孤独につながってきます。もちろん結婚していても、家族のために頑張ってきて一段落した時、これからどうしていけば良いのかと悩むでしょう。

 本来、というか昔であれば宗教がそれに対して一定の役割を果たしていたのかもしれません。でも今は悲しいかな、精神科の門を叩いてしまう。先のことを考えずに刹那的で快楽的な生き方をしている人は悩まず精神科に来ることなく、真面目に将来を考えこむ人は精神科に来る。健康って何なんだろうなとそのかたを診ていて思ってしまいました。

 こういう悩みは抗不安薬で抑えるものではないようにも思っています。むしろ、悩むことを受け入れる、積極的に悩んでいくのが大事なのかなと感じます。確かに悩むのは疲れるし逃げ出したい。しかし、今逃げてもいつかはもっと大きくなってやってくる。であれば、地に足をつけて、しっかりと悩むことが求められるのかもしれません。肯定的な意味付けを患者さんにするならば、それは「今は悩んで”意味”を考えてみなさい」と人生から問われている、となるでしょう。医者が出来るとすれば「悩んで良いんだよ」と言ってあげることくらいなのかもしれません。もちろん、考えすぎてこころが休まっていなければ、ある程度それを御しきれるところまで抗不安薬などで落としてあげるのも良いのかもしれません。でも、そうであっても不安や悩みを認めてそれにお付き合いしていくことが求められるでしょう。

 人生に意味はあるのか、と考える人は多いかと思います。でも、その意味を”人生から問われている”ととらえ直してみることも意外な視点をもたらすでしょう。これは精神科医のフランクルが提言したことです。今回の診察(というか相談)をしている最中にそのことを思い出して「あ、この人ってまさにそれかも」と思い、そこで口にしてみました。人間は幸か不幸か意味を付けてしまう生き物です。「こんなん無意味だよ」と思っても、それは”無意味という意味”を付与してしまっているでしょう。言葉を使い言葉で物事を認識する生き物として、意味からは逃げられません。であれば、人生を過ごす中でその人生から「人生に意味があるか、ではないんだよ。君自身が主体となって意味をつくりあげていくんじゃないかな。どう生きて、どう意味をつくっていく?」と問われているのだという視点を持つことは、あながち間違っているとは言えません。そして、その問いから逃げ出さずに精一杯考えてみるのです。答えなんて一朝一夕に出ません。そのためには幅広い視野が求められ、哲学など色んな勉強をする必要もあるでしょう。答えが出なくったって構わないでしょうし、それもまた一つの生き方(”答えが出ない”という答え)。その時の診察という名の相談で、自分も学びました。

 フランクルは『夜と霧』が代表作ではありますが(このタイトルの邦訳は秀逸ですね)、『「生きる意味」を求めて』など、この時代にもっと読まれて良い本をたくさん書いています。少なくとも薄っぺらい”自己啓発本”なんかよりも役に立つはず。
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