2016
06.28

ありという空気ならばありなのか

 近くにある内科系のクリニックのお話です。

 そこの看護師さんは頭にコサージュのようなものを付けて、かつごついマニキュアをしております。ネイルアートっていうのかしら、爪に何か装飾をしておるのですよ。「えっ!?」と思ってしまいまして。

 その手で(手袋をせずに)採血をするため、「うーん、ちょっといかがなものなのか」と考えてしまったのであります。その爪とその頭の飾り。着飾ってはいけないというわけではないのですが、それは仕事が終わってからすることであり、仕事中はせめてね、、、でもそういう考えは古いのだろうか…と悩んでしまいました。色んな人がいる、ということか。

 院長とか何も言わないのかしらね、と思っていたら、何とそれは院長の方針のようです。看護師がネイルをしてはいかんという理由なんてないじゃないか、というご意見とのこと。確かにそう言われるとごもっともではありますが…。

 長年そうやっているみたいで、ということは患者さんからも苦情は来ていないのでしょう。しかもイメージキャラクターのような存在らしいです。やっぱり自分の頭が固いだけであったのか…。自分の中の医療者のイメージとは離れていたので「あらら…」と思っていましたが、世の中がそのような像をも医療者として「アリだよね」と取り込むのであれば、それはそれで良いのでしょうね。いやぁ、変わってきたなぁと感じ入ってしまったのであります。でもどこかでまだまだ納得しきれていない自分もいるのではありますが、それは固定したイメージに人を束縛する全体主義なのか…(民主主義でも実は同じなのですが)。いやしかし、うーん。

 という繰り返しに陥っています。。。
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2016
06.24

病院も力を入れている

 5月の初旬、中村区にある第一赤十字病院にちょっと医学的な用事があって行ってきました。ここは何と地下鉄東山線の”中村日赤駅”と直結しているのでございます。

 かなり立派で大きく天井も高く、名大病院は及びも付きません。ほぇー、こんなにすごい病院があったのか、と自分の狭い認識を改めさせられました。救急外来も広かったし。特にレストランが素敵で、メニューも充実。そこでは”うな重”もあるのでした…。パンも焼いており、病院もこういうところに力を入れる必要があるのだなと実感。

 そこのレストラン、HEARTFUL KITCHENにてお昼ごはんを食べてきました(本懐がこれではありませんよ)。

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 注文したのは、煮魚定食さん。ドリンク付きですが確か820円、結構なお値段ですな。そのお品がこちら。

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 まさか病院の食堂でカレイの煮付けが出て来るとは思わなんだ…。しかも木の芽まであしらっちゃって、あらららら。お味噌汁が赤だしなのは名古屋っぽいですよね。

 まじまじと眺めてみる。

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 器もなかなか素敵ではありませんか。では、いただきます。

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 あっさりと薄味でやさしい味わい。

 そして後日、また用事があってお邪魔したのでした。またレストランに寄って、今度は”なめし田楽”でして、ドリンク付きでお値段何と970円! 高級や…。ご尊顔がコチラ。

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 超・本格的! これは高いですよねぇ。まさか病院の食堂で豆腐田楽が出て来るとは思わなんだ…。お吸い物もクセがなくて美味しい。

 田楽様。

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 ぱくり。

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 結構お味噌が効いています。お豆腐の淡白さと相まって、まさに田楽。

 菜めしはいかがか。

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 ほんのり塩味が香って美味しい。ちなみに菜めしは自分の母親がつくるのが一番美味しいと思ってます(その味に慣れているので)。

 そしてまた後日、凝りもせずもう一回病院に行ったのでした。ご多分に漏れずレストランにイン!注文したのは、醤油ラーメン。食堂の王道的メニューではないでしょうか。お値段590円、良いお値段ですね、やっぱり…。

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 器の加減か、お上品に見えてしまいます。具はシンプルで、まさに醤油ラーメン。

 ではでは。

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 おー、あっさり薄味。このあっさりは必然性を帯びておるのです。なんとなればすなわち



病院食堂のラーメンがギットギトなら大問題やからね…



 油まみれのラーメンを出す病院は、患者さんの脂質異常症を量産してスタチンをたくさん処方するつもりだな…ッ! と勘ぐってしまうかも。しかもしょっぱかったら血圧を上げて降圧薬も出すのか…ッッ! と、想像は膨らむ。

 それはそうと、ラーメンって、こってりよりもあっさりとしている方が自分は好きでして。あっさり塩・あっさり醤油って、ライトな感じでペロスピロン(ルーラン®)を思わせるような(?)。

 ということで、第一赤十字病院のレストランはちょっとお値段が高めなものの、種類も豊富でスイーツもあり、”病院食堂”らしからぬ雰囲気。また、タリーズコーヒーも入っており、更にコンビニではパステルのプリンも販売しているのでした。名大病院は完敗でございます。でもぱっと見では精神科が見当たらなかったような。撤退したのか設立してないのか(存在してたらゴメンナサイ)。
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2016
06.19

先生を応援中

 サンリオといえば様々なキャラクターを生み出している有名な会社。キティちゃんが代表格でしょうけれども、自分は”タキシードサム”とか、”キキララ(リトルツインスターズ)”とか、”ゴロピカドン”とか、その辺りに馴染みがあります。ちなみに、”うちのタマ知りませんか?”をサンリオキャラクターと長年誤解していました…。あ、リラックマは”サンエックス”の大黒柱ですからね! サンリオではありませんよ。

 さてそのサンリオは、私たちが介入可能な一大イベントを有しているのです…! それが年に1回行なわれる”サンリオキャラクター大賞”。好きなキャラクターに投票しようというシンプルではあるものの白熱する争い。2016年サンリオキャラクター大賞の投票は4月10日から始まり、そして最終日が今日、6月19日なのです。ネットでは1日1回好きなキャラクターに投票できる、というシステム。

 もちろん自分は毎日欠かさずポチポチと”ぐでたま”先生に清き一票を投じておりました。それも今日でオシマイとなると、何やら寂しいものがありますな。ぐでたま先生、昨年は4位、今年は5月14日の中間発表では5位という状態。最終的な順位は7月2日に発表予定なのです…!

 昨年の1位は何と”ポムポムプリン”でした。人気あるんですねー。サンリオにあまり興味のないかたですと知っているのはキティちゃんとかマイメロディとかでしょうか。キティちゃんは去年7位でございました。意外にも低い順位と感じますが、これはキティちゃんの派生キャラクターが複数おり、票が分散してしまったのではないかと思うのであります。

 ぐでたま先生自身は「順位とかどーでもいい」と仰っており、さすがのぐでっぷり。キャラクター大賞のサイトにある、みんな走ったり飛んだりして競っているイメージ画像でもぐでたま先生だけ寝っ転がっているという徹底ぶり。そう、換言するならば



ぐでぐですることに一生懸命 (謎)



 なのかもしれません。となるとものすごい努力家だったりして…。

 何はともあれ、この2ヶ月ポチポチと投票してきた結果が7月には明らかになるのでございます。
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2016
06.16

医者に魔法なんてありませんよ

Category: ★精神科生活
 抗うつ薬や抗不安薬に代表される向精神薬ですが、最近はうつ病でも軽症の患者さんが多く受診し適応障害の患者さんもたくさんいるため、お薬の効果もやや鈍い感じがあります。軽症のうつ病には抗うつ薬の効果は弱く、適応障害であればなおさら。抗不安薬は”問題を先送りにするお薬”という認識が良いでしょう。飲んだその時は楽になるけれども、問題は消えたわけではありません。

 患者さんが勘違いしていること、また医療者もそうなのだと思いますが、お薬そのものに環境を変える力はありません。具体的には、残業を減らす効果もないですし、旦那さんとの仲を取り持つ効果もありません。息子さんの反抗期を鎮める効果も認めなければ、上司の機嫌が良くなるような効果も当然ないのです。軽症の患者さんや適応障害と呼ばれる患者さんは、多くが環境依存性の症状、言うなれば人と人との”あわい”の緊張による症状が主役になっています。そこにお薬”だけ”を使っても、大した効果は出てきません。もちろん、お薬によって症状から少し距離を取ることが出来ると、自分自身の”とらわれ”に気づいて事態が好転していくこともあります。これは間接的な効果と言えるでしょう。

 どんな症状においても、お薬というよりも基本的な”養生”が最も功を奏します。”運動、お酒、睡眠、会話”の4つを主軸として、生活面を考えていくこと。これが純然たる治療です。派手に見えないかもしれませんが、だからこそ効いてくるとも言えるでしょう。軽い運動はもちろんgoodです(Bridle C, et al. Effect of exercise on depression severity in older people: systematic review and meta-analysis of randomised controlled trials. Br J Psychiatry. 2012 Sep;201(3):180-5.)。お酒が身体とこころに与える影響は言うまでもないでしょう。”ビールであれば1日に上限500mL、休肝日を週に2日つくること”が大事。アルコールに問題のある患者さんはかなり多く、AUDITでスクリーニングをかけて”美味しく安全に飲む”をお勧めしましょう。日本人は不眠の対処にアルコールを用いることが特に目立つとも言われます(Soldatos CR, et al. How do individuals sleep around the world? Results from a single-day survey in ten countries. Sleep Med. 2005 Jan;6(1):5-13.)。アルコールは”最悪の睡眠薬”なので、それはストップすること。『アルコール使用障害特定テスト使用マニュアル』と『危険・有害な飲酒への簡易介入: プライマリケアにおける使用マニュアル』は医療者必読です(いずれもPDF)。眠りも欠かせず、睡眠リズムがバラバラであったり、睡眠時間が足りなかったりすると必ず響いてきます。また、特に高齢者では会話、すなわち人との関わりが重要。孤立は精神症状を悪化させます。人生に彩りを持ってもらう、”あわい”を豊かにしてもらうのがポイントなのです。

 このような、とっても基本的なところを指導しない医療者が多いと思います。ここを改善してもらうだけで、精神症状は軽くなるのですよ。この手応えを掴んでほしいなぁと思っています。もちろん軽症や適応障害に限らず、多くの患者さんにとって基盤中の基盤になります。お薬だけでは効果不十分で、単なる不眠の患者さんにも、「眠れないから睡眠薬ね」ではなく、きちんと厚労省の12ヶ条などを参考にして養生をこころがけるようにお願いしています。不眠をきっかけに生活全体を見直してみようではありませんか。

 最近は、「お薬じゃなくて他の方法は…?」と聞いてくる患者さんもいます。「何かお薬ありませんか?」という患者さんも多いのですが、それに混じって。そういう患者さんには以上のような”養生”をお伝えして、後は行動療法のことなどもお話しはするのですが、一部に


え、私がやるんですか…?


 という反応を見せる患者さんがいます。聞くと、”医者は薬以外に症状を良くする方法を知っていて、それを患者さんに行なうと良くなるんじゃないか”と思っていた、と答える人が少なくありません。しかし残念ながら


そんな魔法はありません!


 医療はドラクエではないのでした…。養生は患者さんがするもの。行動療法もバタバタした外来でこなすには、ワークブックを買ってもらって自宅の時間を有効利用して患者さんに取り組んでもらいます。医者はその方法を教えて、後は診察でサポートをしていく存在。患者さんは”あなた治す人、わたし治してもらう人”と思いがちですが、治す人は患者さん自身という意識を。言ってみれば、お薬というのは患者さんの頑張りをある程度肩代わりしてくれているのです。お薬なしで何か良い治療を受けるだけで改善するというのは、ちょっと違う。医者は患者さんの主体性を重視し「あなた治す人、わたし支える人」というスタンスなのです。

 自分は、診察の早めに「治療の基盤は、○○さん自身が行なう養生なんですよ。地味かもしれませんけど、それが大事」とお伝えしています。決して主役はお薬ではなく、患者さん自身。治療に主体的に取り組む姿勢をお願いするのです。養生が出来ていなければ基盤がボロボロになっています。その上にお薬を乗せても、ガラガラと崩れてしまうでしょう。思った効果は発揮されません。

 そして、医療者の中でも医者は”ほめベタ”なことがとても多いと思います。患者さんが”やろうとしても出来なかった”ことに対して叱責で追い打ちをかけることが多々あるように感じます。養生養生と言ってきましたが、実際に患者さんにやってもらうと達成は結構難しく、そこを医者はモチベーションを下げずにエンパワメントしていく必要があります。それを怒ってしまったら、患者さんはさらに萎縮してしまうでしょう。続けてもらうように工夫する技術を身につけるのはお仕事の1つです。外来が終わって診察室を患者さんが出て行く時には「よしッ、今日からまたやってみるぞ」と思ってもらうように送り出すのが大事。「はぁ…」とトボトボ帰らせないように努力する必要があります。それはお給料に含まれているでしょう。

 ただ、重症であればまずはしっかり身体とこころを休めるようにすること。自分で何かを行なうということは、それだけ考えますし疲れます。それにはガソリンが必要でしょう。ガス欠の状態になっている時に「軽く運動しましょう」と言うのは酷以外の何者でもありません。回復を行なって”患者さん自身で動いても大丈夫だな”と思った時に、養生や行動療法は行なわれるべきであります。この順番は必ず守りましょう。

 ちなみに、純粋な不眠に対しては『自分でできる「不眠」克服ワークブック:短期睡眠行動療法自習帳』がとてもお勧め。すぐに効果は出ませんが、睡眠から生活を見直すことは、他の精神疾患の予防にもなってくれると考えても良いでしょう。”良眠は一日にしてならず”でして、しっかりと患者さんが主体的に取り組むという姿勢が大事ですし、精神疾患に併存する不眠にも効果的。実際にやってもらい、診察でもこの本を持ってきてもらって話し合うこともお忘れなく。医療者もこの本を”行動療法入門”として行なってみると良いと思っていまして、不眠の患者さんにお伝えするポイントが良く分かりますよ。この本の著者から何か御礼の品をもらっても良いんじゃないかというくらいに(?)、患者さんに紹介しております。
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2016
06.13

瀬戸際で介入を、生きてきた姿に認証を

 アルコール使用障害への介入について、少しまとめてみましょう。

 DSM-5のアルコール使用障害は“離脱、耐性、渇望を含む一群の行動的、身体的症状”と定義されています。物質使用障害群の中の1つですが、この群の基準Aは制御障害(基準1-4)、社会的障害(基準5-7)、危険な使用(基準8-9)、薬理学的基準(基準10-11)の4つの群にまとめられています。DSM-5からは“アルコール依存症”“アルコール乱用”という名称が消え、アルコール使用障害の中に重症度を設けて判断することとなりました。

 そんなアルコール使用障害は先進国でコモンな障害なのですが、診断や治療は遅れがち。18-29歳に最も多く、軽度であれば就労、結婚、親になり責任感が増すことなどによって寛解することが多いとされます。より重度の障害は最も治療されていない精神障害の1つであり、治療を受けている患者さんは15%以下とも言われます。よって、治療に結びつくのは30歳過ぎ、障害が本格的になってからになってしまいます。そして、アルコール使用障害は単なるモラル欠如によって生じるという誤解は正さねばなりません。多くの人間的、社会的、生物学的な因子が複雑に絡み合っているのです。

 アルコールは認知、感情、意欲に関わる神経伝達系に広く影響を及ぼします。GABA、グリシン、ニコチン性アセチルコリン、セロトニンなどの活性を高め、間接的にはドパミン、オピオイド、内因性カンナビノイドの活性を高め、グルタミン酸の伝達を阻害します。少量であれば報酬、抗不安、社交性を促すといった効果を持つため、これがアルコール使用障害への発展に一枚噛んでいます。

アルコール影響

 アルコール依存の臨床的特徴には耐性と離脱があるため、繰り返し飲酒することで神経伝達物質の反応は弱まり、以前と同等の反応を得るには飲酒量を増さねばなりません。突然の断酒によってリバウンドが起こり、それが離脱症状として経験されます。

 リスクの低いアルコール摂取量は国によっても異なるのですが、概ね男性で20-40g/day (<200g/wk)、女性で10-30g/day (140g/wk)とされます。一般的な問診では半数が診断されないため構造化された質問を用いることが勧められており、特に10項目からなるAUDITは問題飲酒の発見に有用です(感度と特異度がともに80-90%)。

 一般的に行なわれる血液検査ではMCVとγ-GTPが有名ですが、いずれも感度と特異度の低さが問題です。身体診察では、以下の項目を確認。

・精神:中毒や離脱症状、せん妄、抑うつ、不安、精神病症状、治療への意欲、洞察の程度
・神経:認知機能低下、小脳変性、末梢性ニューロパシー、近位ミオパシー
・心血管:高血圧、心筋症、心房細動(いわゆるholiday heart)
・消化器:栄養失調、肝疾患、膵疾患
・呼吸器:誤嚥性を含む肺炎、結核、タバコ関連障害群
・内分泌:偽性クッシング症候群、性機能低下

 構造化された質問、そして診察ではこの辺りをきっかけにして早期発見につなげることが肝腎。ここまではLancetのセミナー(Lancet. 2016 Mar 5;387(10022):988-98.)の一部から記載しました。以下は予防や依存の背景という視点で自分の意見を述べてみたいと思います。

 アルコール使用障害は、軽度であれば簡単な行動介入が有効であり、より重度であっても介入してみることで本格的な治療につなげることも可能になります。ここで大事なのが、プライマリケアを含む非専門医だと思います。本格的な治療につなげることも可能と述べたものの、重度のアルコール使用障害はかなり難治であり、アルコール専門医が治療しても再発が実に多く難渋します。そうなる前に掬い上げて行動介入することがやはり求められましょう。火種は小さいうちに、です。

 そのために覚えてもらいたいのは、セミナーでも紹介されていましたが”AUDIT”です。アルコール関連の質問といえばCAGEが有名ですが、これはコテコテのアルコール依存症を見つけるには有用なものの、その一歩手前、すなわちプライマリケアや非専門医で治療対象とすべき状態はスルーしてしまうことが実に多いのです。そこに強いのがAUDITでして、介入の方法を含めて公開されているので、ぜひ一度ご覧になってください。

アルコール使用障害特定テスト使用マニュアル(PDFです)

 これで8-19点であれば何らかの簡易的な介入はすべきであり、20点以上であればアルコール依存症の可能性がかなり高く(確定診断ではありません)、専門医に紹介すべき段階。もちろん点数が全てではないので、10点台でも依存症という患者さんは存在します。あくまでも臨床症状との兼ね合いで。

 患者さんには、AUDITの点数が何点だったかをまず示しましょう。7点以下であれば、今よりもお酒の量を増やさないように、このまま美味しく安全に飲んでもらうことを勧めます。8-19点が、プライマリケアや非専門医で主に介入する患者さん。お酒が身体やこころの不調に影響を与えている可能性が高く、将来的にもお酒に足をすくわれかねないことを説明するのですが、ここで念頭に置くべきは、私たちの説明は医学的なフレームだということ。患者さんは患者さんなりのフレームを持っているため、フレーム同士で対決させては決裂の可能性が高く、そうではなく必ず患者さんの思いをまず聞くことが大切。“医学的な説明で捩じ伏せてやる”のはご法度! 飲酒は患者さんなりの対処行動(コーピング)で、例えば仕事のストレスを減じるためであったり、これまでの人生で感じた孤独を慰めるためであったり、心的外傷を癒やすためであったり、よく眠れるようにするためであったり…。自分1人で何とかしようと足掻いてきた行動の1つなのです。その物語を無視して「減らしなさい」「やめなさい」と説得することは、暴力です。上手く行きません。

 患者さんなりの対処行動であったことは十分に認証されるべき。その上で依存症にまで至っていない患者さんに対しては、アルコールを減らす、もしくはやめるためにはどのように取り組んでいけば良いのか、それを前向きに話し合って行きます。到達目標は

・1日2ドリンク(ビール500mLや日本酒1合)以内
・週に2日の休肝日

 となっています。一度にここまで持っていくのは難しいので、まず今日や明日に出来ることを探っていきます。ノンアルコール飲料はお酒をやめた患者さんが口さみしいからという理由で始めると再飲酒の可能性があるものの、減らす過程で使用するのであればうまく働いてくれるかも。

 ちなみに、この中で“ドリンク”という単位が出てきますが、これは純エタノール10gを含むアルコール飲料を“1ドリンク”と定義しています。日本酒なら1合で2ドリンク、焼酎なら1合で3.6ドリンク、ビールは5%なら500mLで2ドリンク、缶チューハイは7%なら350mLで2ドリンク、ワインならグラス1杯で1ドリンク、ウイスキーならダブル1杯で2ドリンク。

 プライマリケアや非専門医でも、というかだからこそ、解決志向でアルコール使用障害に取り組むことの重要性が強調されるべきだと考えています。本では『ぼくらのアルコール診療』がオススメです。ポケットブックの大きさで表紙もちょっと軽い雰囲気ですが、中身はしっかり。字が小さいので自分は眼がしょぼしょぼしてしまい、それが欠点かも。読ませる本なので、教科書的なA5サイズで良かったのではとも思います。一般の方々にも分かりやすい本では『おサケについてのまじめな話』が秀逸だと思います。導入に最適。
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2016
06.09

キラリン

 昔なつかし”黄金糖”。買ってしまった。

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 黄金糖の始まりは1919年だそうです。ベルサイユ条約や。

 バラっと出してみましょう。

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 そうそう、この形。手に取って見ると…

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 キラキラしていてとても綺麗。透明度の高い黄金色ですね。

 口に含むと、優しくも香ばしい甘みがふわりと花開きます。ちょっとわたあめを思わせるような。

 年をとると、こういうシンプルで飽きの来ない飴がとても美味しく感じられます。同じ系統ではUHA味覚糖の”純露”があり、関東以北では純露の方がメジャーらしいです。確かに子どもの頃は純露を多く見かけていたような。こちらは形が五角形(黄金糖は四角形)で、しかも純露には紅茶味も入っています。他にも、お醤油が原材料に含まれていてちょっとコクを感じる”カンロ飴”も古典的で美味。みたらしのたれのような印象です。最近はこんな飴を買うことが多くなりました。

 原点回帰も大事でございますね。ほっとする味わいです。
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2016
06.06

はやわかり、アーサー・クラインマン

Category: ★本のお話
 『ケアをすることの意味: 病む人とともに在ることの心理学と医療人類学』を読みました。『病の語り』などで著名な臨床人類学者のアーサー・クラインマンの入門書とも言える位置づけでしょうか。彼に馴染みがないかたは、まずはこの本が適切な導入となるかと思います。そこから他の著書に派生していく方法が良いかと。自分は研修医の時に初めて彼の存在を知り、『病の語り』『精神医学を再考する』を読みましたが、今回紹介した本はホントに彼の仕事を”見渡す”ものとして適しています。

 「ケアとは何か」「どこでなされるべきか」ということを、広い視点ながらも患者さん本人やその周囲の重要な他者との関係性で考えている内容。しかしながら、ケアについて常々考えてアンテナを張り巡らせているかたにとって、目新しい内容は若干少ないようにも思います。それはアーサー・クラインマンが当然のことを述べているのではなく、”ケア”について考える水準がじわじわ上がってきたということの現れでしょう。クラインマンの言うことが「あ、知っていることだ」と思うようになることこそ、長年活動してきた彼の望むことなのだと思います。そして、昨今のケア関連の本はそのレベルに達している内容のものも実に多くなってきた、そう感じています。それは彼の考えが少しずつ広まってくれた証でもあるのでしょうね。

 切り口はガラッと変わりますが、勉強熱心な若い医者にとって、第三世代の経口セフェムはバイオアベイラビリティが非常に低くスペクトラムも何だかどっちつかずで、処方する意味すら問われるものだというのは論を俟たないでしょう。しかし、それが浸透するまでは青木眞先生や岩田健太郎先生など、感染症の専門家たちのまさに血の滲むような努力がありました(しかも現在進行中)。熱心でない医者は経口第三世代セフェムを今でも頻用(乱用)していますが、若い人たちを見ていると確実に時代は変わってきている、そう思います。クラインマンの本を読んで「良く言われていることだよねー」と感じるのであれば、それはまさにクラインマンの功績でもあるのです。

 そういったことを確認するためにもしっかりと読んでみることをオススメします。もちろん彼ならではの視野を堪能できるので、そこが楽しみでもあります。とは言いながら、クラインマンの本に物申すのは非常に恐れ多いのですが、今回は少し「うーん」と思った点を挙げておきます。

 1つは最初の皆藤先生の書かれたまえがき(クラインマン先生は、とばっちりですな)。皆藤先生はユンギアンなのでユングのことが述べられておりますが、その愛が強すぎるせいかクラインマンとのつながりをどうしても見出したいという前傾姿勢が。。。クラインマンと比べるわけではありませんが、自分も精神科医なのでちょっとユングを読んでみたことがあるものの、特に大きな感想は…。ユングは日本で人気が高いのですが、それはやはり河合隼雄先生によるところが大きいのでしょうね。皆藤先生の文はちょっとユングを理想化しすぎており、やや強引な論調でした。自分としては、ユングは診察室という場での主観と主観のつながりに耐えられず元型に視点が移ってしまった様な感じがしています(註:あくまでも個人的な見解であることを強調しておきます)。

 もう1つはクラインマン自身の文章ですが、やはりケアを考える立場にある人たちに多いDSM批判・EBM批判でしょうか。そこは解釈の問題だと思うんですが、どうしても「ケアだ!「ナラティブだ!」という立場の人たちは「DSM=悪」「EBM=悪」という枠にはまりがちです。決してDSMもEBMもそうではないと自分は考えているのですが、いかがなもんでしょ。

 DSMには「熟練した人以外は安易に使うな」としっかり述べられていますし、その熟練というのは精神科医として個別の患者さんのことを思い、理解できるところまで理解していき、理解できない部分を病める人の秘密として大切にする姿勢ということでありましょう。決してケアと相反するものではないのです。DSMを間違ってチェックリストのようにして使う医者こそが責められるべきであり、DSMにその批判の銃口を向けてはなりません。しかもDSM(特にDSM-III)出現以前の精神科医療が良かったかと言われるとそんなこともないでしょう。みんな好きなことを言って診断名の洪水状態でしたし、治療もね…。なので、DSMを医療化だと切って捨てるのは、肯定的な側面を小さく見ている気がします。もちろんDSMも不完全であり、そこは改訂を重ねる必要性があったりカウンターとしてRDoCのような別の概念が出現したりするのですが。

 また、本では、死別による悲嘆すらもDSM-5ではうつ病として扱われるのはオカシイという内容のことが言われていましたが、これはホンモノのうつ病をしっかりと見つけておきましょうということをDSM-5は言いたいのです。「死別のがっくり感は全部うつ病じゃない」というのも思考停止ですし、「死別のがっくり感は全部うつ病だ」というのも思考停止。しかも過剰診断への警鐘として、結構詳しく鑑別も書かれているんですよ。ちょっと長いのですが引用を。


悲嘆を抑うつエピソードから鑑別する際には、悲嘆では主要な感情が空虚感と喪失感であるのに対して、抑うつエピソードでは持続的な抑うつ気分、および幸福や喜びを期待する能力の喪失であることを考慮することが有用である。悲嘆における深い気分は、数日~数週間にわたる経過の中で弱まりながらも、いわゆる”悲嘆の苦痛”(pangs of grief)として、波のように繰り返し生じる傾向がある。その悲嘆の波は、故人についての考えまたは故人を思い出させるものと関連する傾向がある。抑うつエピソードにおける抑うつ気分はより持続性であり、特定の考えや関心事に結びついていない。悲嘆による苦痛には肯定的な情動やユーモアが伴っていることもあるが、それは、抑うつエピソードに特徴的である広範な不幸やみじめさには普通はみられない特徴である。悲嘆に関連する思考内容は、一般的には、故人についての考えや思い出への没頭を特徴としており、抑うつエピソードにおける自己批判的または悲観的な反復想起とは異なる。悲嘆では自己評価は一般的には保たれているのに対して、抑うつエピソードでは無価値観と自己嫌悪が一般的である。悲嘆において自己批判的な思考が存在する場合、それは典型的には故人ときちんと向き合ってこなかったという思いを伴っている(例:頻繁に会いに行かなかった、どれほど愛していたかを伝えなかった)。残された者が死や死ぬことについて考える場合、一般的には故人に焦点が当てられ、故人と”結び付く”ことに関する考えであり、一方、抑うつエピソードにおける死についての考えは、無価値観や生きるに値しないという考えのため、または抑うつの苦痛に耐えきれないために、自分の命を終わらせることに焦点が当てられている。
(DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル P162)


 これほどまでにしっかりと記されているんです。人と人とのつながりの重要さを言い表してくれているのではないでしょうか。DSMを批判する前に一字一句を読み込む必要がある、そう思います。さらには


最後に、悲しみの期間というものは人間体験に本来備わっている側面である。これらの期間は、重症度(例:9項目中の5項目)、持続期間(例:ほとんど1日中、ほとんど毎日、少なくとも2週間)、および臨床的に意味のある苦痛または機能障害の診断基準を満たさない限り、うつ病と診断されるべきではない。
(DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル P167)


 とも念押しされています。DSMはポケットタイプの診断基準だけ載っているものを見てオシマイなのではなく、きちんと分厚い親本を読み込んでから使用されるべきです。それをせずに「つらいです…」という言葉を「あ、抑うつ気分」と読み替えてしまう医療者の愚行が改められるべき対象で、そこを間違えてはいけない。その”つらさ”に一歩踏み込んで耳を傾けることが重要です。”臨床的に意味のある苦痛または機能障害”にしても、そこには1人1人の患者さんの生活を見据えていることが伺われましょう。DSMの一部分だけを切り取って「健常をこうやって異常にして医療化を図っている!」と語るのはフェアでない。治療だって、ご家族を亡くした患者さんに定期的に会ってそのつらさを語ってもらうだけでも、クラインマンの言う”そこに在る”ということを実践していることになるでしょう。フランクルのようにつらさに別の意味を付与することも治療です。”治療=抗うつ薬”ではありません。DSM-5は抗うつ薬を投与しろとは言っていないのです(そもそも治療方法については語っていません)。

 EBMについてもクラインマンに誤解があるのかもしれません、ひょっとしたら。”エビデンス=EBM”では決してありません。以前に記事にしましたが、得られたエビデンスを目の前の1人の患者さんに対して使うこと、使わないこと、それを考える過程そのものがEBMなのです。エビデンスやナラティブなんてどっちもどっちやろ、というご意見もありそれこそごもっともなのですが、EBMが誤解されている姿を見ると可哀相でちょっと放っておけなくてですね…。EBMというのはきちんと患者さんのことを慮ってなされることなのですが、そう考えない医療者も多数いることは事実であり、ここは今の医学教育の弱点、すなわち”教育のシドコロ”とも言い換えることが出来ます。ということは、そこを学生さんの教育に組み込んでより広げていくと、エビデンスを当てはめようとする将来の行為が減って眼前の患者さんのことを考えるようになる気がしないでもありません(DSMも同様ですね)。そう考えると、EBMの定義を正しくとらえるのは決して悪くはないと思っているのですが、いかがかしら。クラインマンが思うようなものとは異なり、EBMやDSMは決してケアと対立するものではなく、本来はそれを十分にまなざした存在なのです、たぶん。遍く医療者がそれを自然に出来るようになれば、EBMやNBMなんて言葉は良い意味で消失するんでしょうけれどもね(しかし時代は繰り返して、人間の惰性により復権するか別の新しい言葉が生まれるのかも)。

 ということで、本筋とはちょっと異なる細かいところにコメントを付けましたが、最初にお話したように優れたケアの総論本であることに変わりはありません。世界的権威の話す分かりやすい内容(しかも厚くない!)は、それだけの価値があるでしょう。”権威”というと煙たい感じがあるかもしれませんが、若手であればまずはどうであれその筋の本は読んでみた方が良いかと。読まずに自分勝手で未熟な意見を放つのでもなく、読んでその権威に染まるのでもなく、それを通して対話を重ね、他の著者の本や意見をも吸収しながら、自分なりの考えをゆっくりじっくりつくっていけば良いのではないでしょうか。若手にはその時間がありますよ。

 ちなみに、ケアに関しての古典的な本として、他にエリック・J・キャッセルの『癒し人のわざ』を読んでみると良いでしょう。訳がちょっとぎこちなく意味の通りにくいところも多いのですが、古いながらも内容はとても良いものです。最近の本でも「おっ」と思うものが結構出ているので、探してみてはいかがでしょうか。
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2016
06.03

いざしょうぶ

 5月末から6月初旬にかけて、鶴舞公園では花菖蒲が咲いています。

 公園内の”菖蒲池”にて。

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 やわらかな色合いの花菖蒲が、陽の光に照らされ輝いております。

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 もうちょっと近づく。白色がいちばん多いでしょうか。みなさんお互いに負けじと咲いておる。

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 こちらは上品な淡藤色。

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 平日だったため人も多くなく、のんびりした時の流れと暖かさでした。ちなみにこの時期は紫陽花も綺麗。

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 少し歩き胡蝶ヶ池。ここに…

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 むむ?

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 文字らしきものが刻まれた石を発見。

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 何て書いてあるんでしょうね…。向きもこれで合っているか分からないし。。。

 鶴舞公園は何度もお散歩していますが、まだまだ知らないものもあるんですなぁ。こんな石があるなんて。
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