2013
08.29

見えるんですか?

Category: ★精神科生活
 当直では病棟の見回りを看護師さんと共に行うんですが、その日はベテランの看護師さん。

 おもむろに「先生って、何か病院で怖い体験とかしたことありますか?」と。


自分「いやー、特にないですけどね」


 しかし、何故か秘書さん曰く、自分には何かが憑いているそうです…。そのことを思い出したので


自分「あ、そういえば何かが憑いてるみたいで、それで来月にでも伊勢神宮に行ってお祓いをしてもらおうと思ってまして」

看護師さん「え、先生憑いてるんですか? いやだもー」

 みたいな感じで歩いておったのであります。そうしたら看護師さんが


「私ね、昔は見回りをひとりでやってたんです。結構前の話ですけどね、がんも併発して末期の患者さんがいたんです。夜見に行って”どうですか、調子は”って聞いたら、その患者さん”あ、今日は2人なんですね”って。私は”え? いつも1人ですよ、今日も”って言ったんですけど、患者さんは…





え、じゃあその隣にいる人、誰ですか?






 って私の左隣を指さして言ったんです…。誰もいないのに…」






こわっ!!! ((((;゜Д゜)))






 何それめっちゃこわいんですけど、リアリティありすぎなんですけど、てか何で古いほうの病棟を見回ってる時に言い出すんですか、てか見回り終わったら自分医局で1人なんですけど、てかエアコン効きすぎて寒いくらいなんですけど。




 もうね、ゾクッとしましたわ。。。その話。
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2013
08.25

ひとりの強調

 毎朝JRで勤務先に向かうんですが、その途中に通っている建物の植え込み。

うえこみ1

 いつもスルーしてるんですが、その時はちょっと違った。

うえこみ2

 ん?白いものが…?

 近づいて目を凝らしてみると…




うえこみ3




ユリ!!




 なんでこんなところに一輪だけ?テッポウユリでしょうかね。

 何を思ってここに咲いているのか。仲間がいなくて寂しゅうもんですかな、でもそこに1人でいるから注目されるのかもしれんですね。

 他にも何かあるかしらと思って、電車の時間を忘れてちょろっと見てみると…



うえこみ4



 あれ、こんなとこでアロエさん何やってんすか…。

 雑然とした植物園のような…?
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2013
08.21

覚書その4~器質力動論的視点を持ってみる

Category: ★精神科生活
 ここまで、ほどよい“あいだ”の重要性をお話して、そこから症状というところに焦点を当ててそれがどのようにして生まれるか、どういう意味を持つのか、などを自分なりに説明してみました。生来的な脆弱性、そして後天的にも獲得される脆弱性。そういったものを基盤として、その人の現在での“あいだ”から抱えられなさが生まれてくる。またその脆弱性を通して、抱えられないものがその人の症状として生まれてくる。“あいだ”は、後天的な脆弱性や現在での抱えられない問題と密接に関わっています。例えばPTSDは後天的な脆弱性をもたらす外傷体験が根っことしてあります。危険な、迫害的な“あいだ”です。それを基盤にして現在において外傷を想起させるような“あいだ”にあると、再体験症状が出現すると言えますね。

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 今回は、アンリ・エーによる“器質力動論”を少し紹介してみようと思います。器質力動論は精神疾患の考え方臨床的に納得のいく部分が多く、自分はは愛用(?)しています。日本には村上仁先生などが精力的に紹介して、笠原先生もその流れを汲んで使用しておりました。後輩にこの理論を話してみたら「難しくてよく分かりません」と言われてしまって撃沈した経験があるので、少し詳しめに説明してみます。

 精神疾患のメカニズムとして、昔から言われていたのは“外因”“内因”“心因”という3分類。外因というのは、身体に原因があって精神症状を来たすもののこと。甲状腺機能低下症や抗NMDA受容体脳炎が好例でしょうか。内因は統合失調症やうつ病など、何らかの脳内での変化は想定されるものの現在ではブラックボックスとされている精神疾患。心因は精神的ストレスが大きな原因とされる疾患。こんな感じで分けられていました。

 この3分法は今でも捨てたものではなく、強調すべきは器質的な原因である“外因を見逃さないため”の区切りということだと思います。心因論に終始して外因を見落とすことほど、精神科医にとって、更には患者さんにとって大きなダメージはありません。じゃあ心因と内因はどうだろう?と思うかもしれんですが、「これは心因だ!」「何言っとるんだ!内因だろうが!」と診る精神科医によってバラバラなことが多く、見解を一致させるのは実に難しいんです。さらに今では、これまで心因と言われていた精神疾患についても生物学的な見地から神経の異常が示唆されており、言ってしまえば、3つの病因全てに先ほど述べた脆弱性というものは存在する、となるでしょうか(その中でも外因は特別ですが)。こんな風に考えると、アンリ・エーの理論である器質力動論に随分と近づきます。これから器質力動論の説明を試みてみますが、自分なりに理解した部分と自分なりに強調した部分があります。ちょっと本家とは異なることも言っていますが、ご了承を。

 エーは精神疾患を“相応の神経基盤を持つ意識の階層構造的解体”と考えていまして、その意識を“意識野”と“人格”に分けておりました。意識野は人間の横断的で共時的な部分を表し、人格は人間の縦断的で通時的な部分を表します。そして彼はジャクソンという先生の思想を突き進めて考えていたため、ネオジャクソニズムと評されました。

 ここから難しくなるんですが、そのジャクソンの考え方とは、高次中枢が進化論的な階層構造になっていて、それの解体(ヘタり具合)の“深さ”と“速さ”によって患者さんの病像が決まってくる、というものです。さらに、高次中枢の上層部ほど組織化の度合いが弱くて解体しやすいので、解体は上層部から順に生じていきます。そして中枢っていうのは上位が下位を制御しているので、上位が壊れるとその制御が緩くなって下位は解放されると同時に壊れた上位を修復しようと働きます。

ジャクソン

 そして、解体が生じると、解体を被ったところは“欠落”としての反応を示します。残った部分は“残存”としての反応を示しますが、これには上位の制御が緩くなるがゆえに生じた“解放”と、解体された上位を直そうという“修復”とがあります。この“欠落”と“解放+修復”の合わさったものが、私たちの見ている“症状”となりましょう。

解体と残存

 疾患というものは、解体の“深さ”と“速さ”に応じた欠落症状と残存症状が見られるとされます。中枢の解体が深いとそれだけ欠落症状も進んでいきますし、解体が速いと下位がいきなり解放されますし、さらに修復活動も盛んになるでしょう。

 エーは精神疾患に応用するに当たり、解体の速さに注目して、急性精神病と慢性精神病とに分類し、急性精神病を共時的な色合いが強い“意識野の解体”、慢性精神病を通時的な色合いが強い“人格の解体”とし、そして解体の深さに注目して、それぞれの精神病の病像を図のように布置しました。先の“外因”“内因”“心因”という3要因という立場ではなく「精神疾患っちゅうのは器質的な基盤を持ってるんや。その解体の速さと深さをとらえてみましょ」と考えました。単一精神病という考え方ですよね。

精神病区分

 ここで自分の妄想を膨らませると、木村敏先生を援用して、意識野はintra festumととらえられるし、人格はante festumやpost festumの配分状態とも言えるかもしれません。なので、意識野の解体はintra festumの病態、人格の解体は、その人のante/post festumの病態と換言できる、かも???そうなると、精神疾患と言うのは人間的時間の病理なのかもしれませんね。

 エーの精神病の区分を見ると、躁状態がどんどん悪くなって完全な幻覚妄想や錯乱になるという臨床的な実感と非常に合います。また、強迫性障害と思っていたのが段々統合失調症的な色合いを呈してきて完全な妄想に入ってしまうことも経験しますが、これも良く分かりますよね。非常に納得のいく理論。ただし、良く見ると“うつ”が急性精神病に含まれています。ですが、現代のうつ病は治りが何とも悪く、遷延することが多いです。Star*Dという研究でも、寛緩率の低さが話題になりました(色々やっても70%程度が限界)。そう考えると、今の浮世の“うつ”も慢性精神病じゃないかな…と考えられます。統合失調症を考えると、慢性に経過するのみならず緊急入院が必要になるくらい幻覚妄想が強くなることもあります。

 なので、この様にスパンと“急性”“慢性”と2分されるものでなく、多くの疾患は人格の解体としての慢性精神病をベースとして、flare upの様な形で意識野の解体としての急性精神病の顔を出すととらえてみてはどうかなと思います。言い換えるとpost festumの病態やante festumの病態に、intra festumの病態が様々な程度で混在してくる、となるでしょうか。境界性パーソナリティ障害の患者さんが一過性に精神病状態となるmicro-psychosisも、その好例でしょう。慢性のうつ病患者さんも、病状が悪くなると精神病性うつを来たします。これだってそうですね。

うつの解体

 また、何度も述べているように、症状はコーピングとも考えられます。患者さんは折り合いの付かない状況を何とか安定させようとしています。このこととネオジャクソニズムを併せて考えると、解体された上位を直そうという“修復”が、このコーピングに類似していると言えるのではないかと思います。上位の解体により、下位はそれを直そうとする方向にも動きます。患者さんの持つ復元しようとする力が、ここにもしっかり現れていますでしょう。

 またここからが何ともニクいんですが、臨床症状の全てが器質に還元されるのではなく“器質-臨床的隔たり”というものを考慮して、器質的基盤という前提で力動的な心的存在があり臨床症状を呈するし、また力動的な面は時間とともに成長変化していく可能性がある、と考えました。器質と力動とを兼ね合わせているので、“器質力動論”という名前。ちなみに力動って言うのは、心の色んなエネルギーの動きみたいなもの。自分のこれまでのお話と合わせるならば、自分の言う“生来的/後天的な脆弱性”はエーの“器質”や力動的な見地を加味していることになります。なので、エーの“器質-臨床的隔たり”は自分の“変換器”の大部分に相当するとも表現できますね。エーと比べるなんて身の程知らずですが…。

 ということで、今回はエーの器質力動論について学んでみました。次回は精神発達論という、精神分析コテコテの考え方を覗いてみます。
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2013
08.18

ピザを通してコメダを見る

 コメダ珈琲店の記事はいくつかアップしていますが、今回はちょっとマイナーなメニュー。



コメダ特製ピザ(¥450)



 です。他にもマイナー系としてはグラタンとかビーフシチューとかがありますね。ピザはどんなお店でもメジャーになりうる力を持っていますが、なかなかどうしてコメダではのし上がれません。

 原因の1つに、手渡されるメニューがよろしくないんじゃないかと。ハンバーガーとかエッグバンズとかは写真入りで載ってるんですが、上記でグラタン以外の2つは文字だけでして、あまり強調されておりません。そこがあんまり人の目に触れないのでは?と思っています。

 コメダは少ない材料で多くの商品を作っているため利益率が高いと言われます。バンズ系のバンズはすべて共通、サンドイッチやバンズやトーストに使われているスクランブルエッグもすべて共通。大皿料理で使うコロッケやウィンナーやヒレカツも、単品で出されるコロッケバンズやチリドッグやホットドッグなんかと一緒。

 材料を限定して、後はその組み合わせで色んな料理を作っているというのがコメダの大きなポイント。そこにあまりお金をかけないので、回転が悪くても高い利益を生み出せるのでしょう、うむ(←と、勝手に思っている)。

 さてそうなると、ピザやらグラタンやらビーフシチューやらは、他の料理との互換性がやや乏しいと思います。ピザに限って言えばチーズは大丈夫でしょうけど、生地はピザ用を用意せねばなりません。ソースもピザソースでしょう。その辺りでちょっとコメダ的にはネックなのかも。だから大々的に推す気になれない?

 そういう夢想は置いておいて、ピザはこのような。

ピザ1

 生地はふっくら系で、クリスプタイプではなく古典的な”ピザ”って感じです。コメダのメニューの中では小さめ。バンズやサンドに馴れていると、見た目は何やらコメダらしからぬ印象。

 アツアツで、チーズがとろけていて美味しいですよ。あ、サラミがチーズと共に落ちそうだ…。

ピザ2

 それ自体に特記すべき点はなく、原風景としてのピザ。コメダらしさはないと言えばないんですが、それがまたコメダにおいては異色です。
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2013
08.13

ATMはハイテクだ

 本日、記帳をしてきました。

 全然する習慣がなくてですね、ふっと思い出した時にゴソゴソとしております。かなりつつましい生活をしておりますからね、後はだいたいレシートとか見てお給料日までお金がどれだけ残っているかという雰囲気が分かるので、記帳はあんまり必要を感じず…。

 常々、ATMで記帳して通帳のページが無くなったらどうなるんだろう…と疑問に思っていました。

 すると相方から「ATMで少し待てば新しいの出てくるよ」とのお言葉。



ジ  ハ ,,ハ
デ (;゚◇゚)z
!?


 これにはびっくりしましたよ…。新しいのが出るんですか!ATMから!すごいじゃないか。常識ですか?全然知らんかったよ。。。

 そういうことがあり、今日行って来ましたよ。持っている通帳は平成21年3月27日新規のもの。もう4年前ですか。。。

通帳1

 そろそろページがおしまいなんですよねー。ではATMで記帳。すると確かに「1分待てば新しいのを出すよ」的な文字列が画面に出るではありませんか。ほぉ~。

 少し待つと、新しいのが出て来ました!すげーすげー。

 「あれ、じゃ古いのどうなるの?」と思ったら、新しいのが出てきた直後に「古いのも返すから待っててね」的な文字列が画面に。なるほど、返してくれるのか。

 で、返ってきた旧通帳。最後に電気代(¥4377)が引かれておる。

通帳2

 で、新通帳には、繰越と。

通帳3

 なるほどねー。頭いいな、ATMは。感心しちゃいました。

 で、ここに新旧の通帳2冊が相まみえたのであります。

通帳4

 ということで、1つ賢くなりました。いやはや。


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2013
08.10

覚書その3~“症状”を考えてみよう

Category: ★精神科生活
 前回は”患者”になることの意味を、心の発達を振り返りながら考えてみました。今回は”症状”の持つ意味を吟味してみたいと思います。

=========

 患者さんには症状があります。というか、症状があって日常生活や社会生活に苦しんでいるから患者さんになると言うべきでしょう。

 この症状は“あいだ”に開くこころの不自由さを抱えられなくなった際に出てくるもの、と思います。抱えるということは、実際の人々や私たちのイメージの中にいる人々(後者を内的対象と言います)と“ほどよい関係性を持っている”という意識の中で色んな体験ができること、つまりは「俺って(物理的にor心理的に)ひとりじゃないよね」と思いながら色んな体験ができることがそうですし、後は地味ですがしっかり休めるなんていうことも含まれます。バブル期の日本で「24時間働―けまっすっか♪」っていうコマーシャルがありましたよね。懐かしいですが、そんなの

ムリです

 休むというのは明日への活力。睡眠を取り上げられたら誰だって参ってしまいます。バブル期は日本全体がお祭り状態でしたね。木村敏先生的に言うと、まさにバブルというintra festumだったような気がします。

 “あいだ”が苦しくなり、また休む時間もなくなってくる。そうなると、症状がひたひたと迫ってきます。追い詰められた感覚、振り返ってみれば孤立している自分、忙しくて寝られない。。。自分にとってネガティブな感情や感覚がどんどん積み重なっていき、テトリスのゲームオーバー寸前。それがあふれだすと症状になる、自分はそう考えています。「もうあかんわ!」っていう白旗状態。じゃあその症状にはどんなものがあるのかというのを覗いてみることにします。

 笠原先生を引っ張り出しましょう。彼は“不安・ストレスの体験のされ方における3つの方向”というものを提示しています。

笠原先生モデル

 この不安・ストレスというのは、折り合いがつかないこと、抱えられないことで症状になるものと言えるでしょう。不安やストレスがどのような症状に体験されるか、それの方法で疾患の方向性が見えてくることを示していると考えられます。基盤となるのはその人の生来的な脆弱性、これにはゲノムで言うCNVなどが含まれるでしょうが、それと養育環境や重大なライフイベントなどによるエピジェネティックな変化がもたらす後天的な脆弱性だと思われますし、それら脆弱性は前述のように抱えられないという閾値の低下に関与するでしょう。その抱えられなさはまた脆弱性を通して、それぞれの症状をもたらすと思われます。笠原先生は、主観化の方向、身体化の方向、行動化の方向を示し、それぞれ典型的には神経症、心身症、境界例の方向としています(境界例と言う用語については、章を改めて説明しましょう)。

 笠原先生の図に付け加えるなんて恐れ多いことですが、この図にあと2つの方向をプラス。1つは“具体的外在化の方向”というのを入れて、そこに統合失調症を当ててみるのもありだとひそかに思っています。外からの迫害的なものとして幻聴がありますよね(後でお話しします)。そして、テレンバッハに倣って“基底的生命運動失調の方向”、すなわち心身の呼応が全くもって合わなくなってしまっている方向を1つ入れて、それにうつ病を当てると計5つ。うつ病って“心の風邪”とかいう言い方が一時期されましたが、そんな生やさしいもんじゃありません。心と身体のバランスが失われてしまって、身体の生命エネルギーまで停滞してしまうような病気です。

笠原先生改変

 そんなこんなで、方向性を5つにすることで多くの精神疾患を守備範囲と出来る気がします。ただ、方向を足し過ぎるのも良くないかもしれませんね。改変した図だと、例えばうつ病の患者さんには身体化がないのかと思われかねません。しかし、決してそうではありません。それぞれの方向はその疾患の窮極的な形であり、実際の患者さんはどの方向がどのくらい混じっているのかという、レーダーチャートみたいなものと考えてみると近いでしょうか。そういった意味では、方向が5つよりも3つの方が現実的かもしれませんね。

 症状は人によって異なります。そして、それとその人の生き方というのを通して見ると、つながりが見えてくるかと思います。患者さんにとって“あいだ”がつらくなり抱えられなくなるとは言いますが、つらくなる程度や抱える力というのは人によって異なります。生来の脆弱性と後天的な脆弱性などが“かかえられなさ”を生みやすくする下地になり、更に“変換器”として作用することでその人独自の症状となる、という風に言えるかもしれません。

症状変換

 この症状の違いで、精神疾患は現在分類されています。そこよりももう一つ掘り下げて、変換器と症状とのつながりを見定めようとする精緻な探求が、精神科って感じが出てますね。ただ「よし!じゃあ原因を探そう!」と意気込んで問診に次ぐ問診をしても、まぁあまり芳しくはありません。原因は1つではなく複雑に絡まり合ってますし、取り除くことが困難なことも少なくありません。それよりは、現在の“あいだ”で患者さんが抱えられなくなったという事実に注目して、その“あいだ”そのものの安定化を図ろうとするのが現実的なのかなと思います。では、その症状はそれ自体でどんな意味を持っているのか、というのを考えてみましょう。

 確かに患者さんは症状に苦しんではいます。抑うつ状態の身体のしんどさやパニック発作なんてのは、相当にきついものだと思います。でもちょっと見方を変えてみると、違った視界が現れてきます。


症状を出すって、それなりの意味があるんじゃない?


 こういう視点を持ってみることが大事。身近な例で、発熱を考えましょう。これは人間の身体が防衛反応として出しているというのはご存知だと思います。咳や下痢だってそうですね。じゃあ精神症状もそういう要素が含まれているんじゃなかろうか?そんな感じで「うーん」と考えてみると、折り合いのつかない部分、抱えられない部分を症状として表出することで、患者さんは何とか平衡を保とうとする、とりあえず安全な“あいだ”をつくろうとすると言えるんじゃないでしょうか。抑うつが強くて動けない患者さんは、そうすることで、それまで剣山の様であった“あいだ”から何とか対処できる“あいだ”に持ち込もうとするのかもしれません。強迫行為なんていうのも、圧倒されんばかりの不安で充満している“あいだ”を、自分のいつも行う馴染みのルーチンワークでもって何とか耐えられる“あいだ”にしているとも言えます。リストカットだって、湧き上がってくるような死の怖さを打ち消して、生きていることを確かめるためにやむなく行っている場合もあると考えられますでしょう。症状にはマイナスの面もありますが、視点をずらすとプラスの面もきちんと出てくるんです。

 先ほど、幻聴を外部からの迫害的なものと言いました。ここでちょっと寄り道をして統合失調症の患者さんを中井先生の著書『精神科治療の覚書』を参考に精神病理学的に眺めてみます。彼らは微分回路的認知を持っているとされます。木村敏先生はante festumと評していますね。

微分回路
(回路の図は宮崎技術研究所さんのWeb講座からお借りしました)

 これは、ごく僅かな変化を先取りしてしまい、それ故にちょっとしたノイズにも大きく振り回されてしまうと説明できます。中井先生は「もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前する如く恐怖し憧憬する」とおっしゃっています。名文。統合失調症急性期においては、体験から“偶然”が消えていきます。少しの変化も何らかの危険な“意味”を持って迫り来ることになるのです。それぞれの物事がそれぞれの危険な意味を持ち、それが頭のなかでざわめきます。意味にふりまわされ、また別の意味にふりまわされる。これは傍から見ると支離滅裂で、錯乱状態であると言われます。彼らの世界がいかに恐怖に溢れているか、想像できるでしょうか。断片的で危険な“意味”が頭のなかでせめぎあい、患者さんは混乱に翻弄されていきます。これに彼らの対処する術が、幻聴と妄想になるのです。前に「外からの迫害的なものとして幻聴がある」と言いましたが、これでお分かりになったでしょうか。どこかでざわめきを安定させなければ、なんとか収拾を付けなければ、そのような努力の果てに対処方法として編み出したものです。声になってくれれば、頭の中の恐ろしいざわめきではなく外からのものとして意味付けできますね。妄想も同様です。

 さて本筋に戻りますが、症状というのは以下の2つの側面があると考えてみましょう

・抱えられない部分が変換されたもの
・患者さんが必死に編み出したそれなりの“コーピング”


広く考えれば、精神分析で用いられる“防衛機制”と言うのもコーピングと表現できます。「防衛機制は何とか適応を図ろうとする患者の生み出すコーピングととらえられる」と、神田橋條治先生も指摘しております。防衛機制というのは、学校で“すっぱいブドウの論理”というのを習ったかもしれませんが、あれは“合理化”というやつ。ちなみに英語で“負け惜しみ”のことを“Sour Grapes”と言いますね。他にもたくさんあり、抑圧を基礎とした高次の防衛機制と分割を基礎とした低次の防衛機制とに大きく分かれますが、また別の章でお話ししましょう。

 言いたいことは“症状には意味がある”ということ。苦しいことは苦しいんですが、必死の思いで編み出したこのコーピング、崩れそうではあるけど何とか築いた安定性、これから抜け出るのも怖いでしょう。だからプラスの面もあるんですね。そう考えると、治療という行為はこの安定にゆらぎをもたらすものとも言えそうです。統合失調症急性期の患者さんから幻聴だけを「えいっ」て取っ払ってしまったら、未曽有の恐怖をかろうじて包んでいたヴェールが飛んでいくことになります。そんな恐怖に直面させたら、それから逃れるために自殺することだってあり、昔はそういう注意が良くなされていました。なので、統合失調症急性期においては、いわゆる陽性症状もそうですが、それを生み出させるほどの恐怖を見据えて、しっかりと適切な鎮静(静穏)を併せて行うことが治療的です。

 だから、くどいようですが、症状があるということには、患者さん1人1人にそれなりの理由がある、症状も大切なんだという姿勢を持ちましょう。これを意識するのとしないのとでは、診察も大違い。基本ソフトの核みたいなところでしょうか。患者さんの行動にこっちがイラッとしたり失望したりしても「この患者さんはこうせざるを得ないんだろうかね」と思い直して踏みとどまれることもあります。患者さんと会って症状とそれに関与しそうな事情を合点の行くところまで聞いたら

「なるほどね。あなたの今の状況なら、こういう症状があるのも無理はないのかもしれない」

 という理解をまず示し、患者さんの抱えられないものをいったんこっちが抱えておくことがとても重要なんです。取っ掛かりとしてこれを忘れないようにしましょう。「リストカット?なんでそんなことするの!?もうしちゃだめだよ!」と最初から言うのは御法度と思ってください。まず患者さんの今の立場を認めるところから始めましょう。

 こう言うと「あ、共感すりゃいいのか」と考えるかもしれませんが、早めの共感も人によってはあんまりよろしくないんです、実は。患者さんは「この苦しみを分かってほしい」と思う一方、「そうやすやすと分かられてたまるか」という気持ちも持っていることが往々にあります。がん患者さんに接していると、それは実に強く感じます。だから安っぽく「分かります」とか「辛いですね」という言葉を早々に使うのは、状況を悪くする方に向かいかねません。ベジータではないですが、共感のバーゲンセールは良いものではないのです。医学教育なんかでは共感しろ共感しろと教わってきたかもしれませんが、共感ではなくまずは“認証(validation)”が必要。その上で、しかるべき時に共感するのであれば、それは効力を十分に発揮すると思います。ここは大切なので、後で章を改めてもう一度話題にします。

 例えば、イライラしたらモノに当たってしまうというとある若い患者さん。部屋の壁は穴だらけになってます。この患者さんの場合、感情を行動でしか表せられないのが可哀想なところで、“あいだ”が苦しくなって、モノに当たるという対処をしています。でも壁に穴が開いてしまって家族から怒られて、また“あいだ”が苦しくなるというループにはまっていました。そこを話題にして「モノに当たるのは攻撃性が家族に向かわないためのコーピングである」というもっともらしいことを偉そうに言ってみて、そこに気づいてもらいました。かつ、“あいだ”の調整として眼に見える“壁の穴”という被害を最小限にすることで家族からの怒りも小さくなると考え、より安全な対処、例えばクッションを周りにスタンバイさせてイライラをそれに向けるなど、をお伝え。更に家族にもお話をしてもらって理解してくれるようにしました。それが功を奏しまして、最初のうちは「クッションだと物足りない」と言ってましたけど、だんだんと置換していきました。そうしたら家族にも怒られることが少なくなって、衝動的な行動そのものが減ってポジティブフィードバック。ちょっと行動療法的な。

 こんな感じで「症状には意味がある。何か抱えられないものがあって、更に患者さんなりの努力の産物なんだ」という考えを持って診察をしてみると、侵襲的にはなりませんね。上述のようなモノに当たるとかリストカットとかの“行動化(低次の防衛機制の1つで、抱えられない感情を行動で表してしまうこと)”も、それを取り上げられたら患者さんはより大きなカタストロフィに向かうかもしれません。実際、うつ病の患者さんに診察早々「あなたの考え方がゆがんでるからこうなるんです」「性格を直さなきゃ治らない」などと言ってしまう医者もいますから、気をつけてやって下さい。第2世代の認知行動療法的には確かに認知のゆがみを取り上げて、それを修正していくのが治療で、間違ってはいません。でも良く分からん医者にズバッと「あんたゆがんでるよ」と言われたら、そりゃあきついですよ。言うタイミングを間違えると、言葉という薬は毒の面を出してきます。医者のかける言葉は添え木ではあるんですけど、その添え木も突き刺すために用いてしまうことが出来ましょう。精神科の基本ソフトとして、そんな言葉の性質を学ばねばなりません。

 ただし、それなりの理由はあるけれども身動きができなくなってしまっているのも事実。例えば、行動化はコーピングだけれども現実的にはプラス面だけでなくマイナス面もありましょう。まずはプラス面に焦点を当てて「アナタも苦しゅうて仕方なしにやったんでしょう」という理解を示して、そこから実際に起こっているマイナス面にも注目していきます。「これこれこういうマイナスもあるから、行動化から卒業できるようにやっていきましょう」というスタンスをお伝え。プラス面ばかり強調してマイナスを伝えないと、患者さんはそれにどっぷり浸かってしまうこともあります。そこはほんの少し注意しておきましょう。

 症状や行動っていうのは両方の面を持っています。履歴書で短所と長所を書く欄があったと思いましたけど、アレですよね。「短所はみんなの様子を伺ってあまり積極的な発言はしないところ、でも裏を返すと気配りができるということになるかもしれません」というような切り返し。私は履歴書のそういう欄が面倒くさくて、勤め先に提出する際には「最初から無ければ良いんじゃないか?」と思って、趣味とか特技とか短所長所とかのページを破って捨てて、経歴のページだけを書いて出しました。同期からは「こいつ大丈夫か…?」と心配されたんですけど、就職できたので大丈夫だったんですね。とまぁそんな具合で、陰と陽の両方を意識しておきます。患者さんや家族は結構どちらか一方、特に行動化だとほとんどマイナス面に偏っていることが多いので、治療者はちょろっと別の面を差し出がましくない感じで提供。基本はプラス面を強調です。

陰と陽

 注意する点としてもう1つ。「抱えきれないものがあるんだ!そこを聞かなくちゃ!」というような考えを持つと、症状そのものを軽視してしまいがちになります。ささっと症状を聞いたら過去のこと過去のこと、代表的なのは幼少期の親子関係なんかへと遡るというのは、精神療法への熱意が強すぎるとままあること。でも、問題がかつてなかった家庭なんかないでしょうし、仮に主だった問題がなくっても「問題のないことが逆にこういう子になった原因だ!」なんて詭弁を使おうと思えばいくらでも使えます。アラさがししたらそりゃ出てきますわ。人間誰だって直線的な因果を求めてしまいますし、特に行動化だとそれが家庭に向かうことが実に多いです。そうなると家庭内の雰囲気はギスギスして「お前の育て方が!」「ちっとも子どもにあなたが構ってくれないから!」みたいな応酬が繰り広げられ、家庭内の”あいだ”はさらに悪い方向に…。そして家族みんなが沈んでいきます…。が、目の前の事態は色んな事が絡み合っているんですよ。硬直した因果関係の認識からはちょっと離れた方が良いでしょうね。1つの状況から患者さんを見ようとはせず、その様に患者さんが振る舞わざるを得ない状況を”あいだ”という点から理解してみるのが大事なんだとも言えます。そのためには家族が原因だと言う見方を変更したり、症状に全く異なる意味付けをしたり、という技術が用いられます。

 症状を軽視することについては、やはり症状の細かいところをしっかりと聞いて、できるだけ患者さんの生の体験をつかんでいくのが必要になってきます。「憂鬱だ」と言っても、患者さんの言う“憂鬱”と、私たち医療者の考える“憂鬱”はやはり異なりましょう。同じ言葉でも意味が違うんです。また、患者さんも一般的な“憂鬱”ではなくて、彼らなりの個別的な苦しい“こと”があるはず。憂鬱という汎化した表現ではなく、患者さん自身にしっくり来るような表現が出るまで言語化をしてもらうようにしましょう。しっかりとどういう体験なのかを聴いて、またこちらの理解も相手の腑に落ちるようなものでなければいけません。病院のドアを叩くきっかけになったのは症状ですから、それを軽視しちゃいかんです。細かいニュアンスをしっかりととらえて、枝葉を共通理解としましょう。

 何だか冗長な記載になってしまったので、取り組み方のまとめをいったんここでしておきましょう。これまで何とかかんとかやれてきた人が、いつの間にやら難しくなってしまって症状というのを出して“患者”になってしまった。その人を取り巻く“あいだ”は重いものでしょうし、その症状が“あいだ”を更に重苦しくしていることもあるでしょう。私たちは、患者さんのものの考え方に上手く沿うことでまず診察室内の“あいだ”を良いものにします。それには“認証”を行い、これまでやってきた苦労をねぎらい、必要ならば適切な薬物治療により症状を緩和させることもありましょう。更に、苦しい“あいだ”を良好なものにするために、患者さんの考え方をゆっくりで良いのでスライドさせていきます。“あいだ”が辛いと、患者さんの考えはマイナスなものになっていきます。自分を責める、他人を責める、状況を否定的にとらえるなどなど。治療者はそこに波長を合わせながら、徐々にプラスな見方へと誘っていくことが肝要。自分を肯定すること、他人を肯定すること、状況を肯定的にとらえるなどなど。それを繰り返した結果、負の側面に傾いていた考え方を客観的に見ることが出来るようになる。これが目標。

沿わせて別に

 患者さんの考えにどんどん巻き込まれてしまったり、認証せずに治療者の意見を一方的に述べたりするのは、診察室の“あいだ”を悪いものにしてしまいます。そうなると敗色濃厚。凝り固まってしまった直線的な因果関係で理解するよりも、事態は”あいだ”であるとの理解を持ちましょう。

 以上に気を付けてみるのが、治療の第一歩ですね。いやー今回は長かった。次回はちょっと精神病理学的な”器質力動論”という考えに触れてみようと思います。
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2013
08.07

生活の中の病歴

Category: ★研修医生活
 火曜日(8/6)は研修医の勉強会でした。今回は救急1題と入院1題。

 研修医の先生たちには毎回「病歴は大事だよ」と言っています。飽きられてるんじゃないかと思うくらいに毎回。病歴にこだわり過ぎるのも良くないですが、あっさりしすぎているのもね…。

 病歴聴取というのは、救急外来と入院とではギアチェンジが必要。前者では鑑別を”見逃してはいけない疾患”と”よくある疾患”に絞って、それぞれの典型的/非典型的な臨床像と患者さんの状態とを比較していくという姿勢がかなり重要になってきます。机上だと「さぁVINDICATE!!!+Pで云々」となるんですが、実際の救急現場では時間を使って鑑別を挙げていると患者さんが渋滞します(でもVINDICATE!!!+Pで考えることはトレーニングとしてとても重要)。

 世の中には優れた救急マニュアルが多いので、それを使って、後は事前確率というのを徹底的に利用していきます。事前確率と言うのはいくつかに分類され、それぞれを”病歴前確率””診察前確率””検査前確率””検査後確率”とします。この主訴があり、かつこの年齢で、性別で、この併存疾患がある場合、などを”病歴前確率”を決めるための材料にし、同様にこの病歴なら、というのを”診察前確率”、この診察項目が陽性/陰性なら、を”検査前確率”、この検査値が高い/低いなら、というのを”検査後確率”に用います。病歴前確率を例にすると、23歳生来健康な男性の胸痛と73歳糖尿病の男性の胸痛となら、相当色合いが異なりますね。各段階でしっかりと重みづけをしていくことが、救急で速やかに診断/除外をするために必要となってきます。本ではこちらを強調した説明をしました。

 さて、対して後者の入院というセッティングでは、基本的にコモンな疾患が除外されて精査の段階に入っています。鑑別となる疾患もレアなシマウマさんが台頭してくるので、実臨床でもVINDICATE!!!+Pでしっかり整理しながら進むことが求められます。やはり神経障害や筋障害という臨床像を呈してくる患者さんも多くなってきます。代表例はリウマチ病や血管炎や神経疾患などですよね。こう言った疾患群は救急や早い段階の外来では掬い上げないものたちなので、入院の上で精査するという患者さんの原因として良く挙がってきます。

 では実際にどうやって病歴をとっていくのか??

 救急外来では、いわゆるOPQRSTなどのゴロを使って病歴をまとめます。

O:Onset
P:Palliative/Provocative(/Past)
Q:Quality
R:Region
S:associated Symptoms
T:Time course


 これですね(他にもありますが)。痛みに頻用されますが、あらゆる主訴に対して使えます。カッコでPastとしているのは、自分が勝手に付けたもの。「前にも同じようなことがあった?」というやつです。これらの含まれていない病歴は片手落ちの誹りを免れないでしょう。火曜日の勉強会でも「夕方頃からみぞおち辺りが痛くなってきた」という病歴でしたが、それだとどんなOnsetか不明。何をしている時に痛くなったのか?という疑問を持つことが重要ですね。「食事の準備をしていて、お大根を切っている時にいきなり」など、克明に話せるようならやばい! Sudden Onsetであり、”破れる・詰まる”といった致死的になりうる疾患を即座に思い浮かべます。

 じゃあ入院という状況での精査ならどうするのか?という疑問もわきます。それを本ではあまりページを割かなかったので、補強の意味も込めてここで説明をしてみましょう。

 その場合は、患者さんの生活に根ざした問診というスタイルを取ります。日常生活、すなわち家や通勤通学、職場や学校、そして趣味や部活動など、そういったところを聞いていくんです。このことはマッシー池田先生から学び、甚く感銘をうけたものでした。

 病歴から患者さんの生活が見えてくる、そんなカルテは素晴らしいものだと思います。

 なぜ生活を重視するかというと、生活の中にこそ様々な負荷が潜んでいるからです。診察では見えてこないちょっとしたヒントが、個々の患者さんの生活にはしっかりと見られるんですよ。

 例えば朝起きて着替える時。ボタンをはめるという作業やズボンを履くという作業を挙げてみましょう。ボタンはめは手先の細かい運動ですから、遠位筋障害や末梢神経障害や小脳失調、ズボンを履くのは片足立ちをするので多くは小脳失調です。そして朝の用足しとしてトイレ。便器から立ち上がるのが難しいなんてのは近位筋障害です。朝ごはんを食べるときも、お箸は上手く使えるか?新聞の文字を読めるか? ウインナーを掴もうとして、お箸が行き過ぎるのならそれは測定過大(hypermetria)なので小脳失調。ご飯を食べていると顎が疲れてしまうのなら、顎跛行(jaw claudication)です。新聞で文字を飛ばしてしまうのは、眼球運動の測定過大。いざ出かけて駅のホーム。そこには階段がありましょう。昇り降りというのは、昇りが近位筋障害で降りが神経障害。昇るのと降りるのとどっちが難しいのかを聞くと、おおよその障害部位が見えてきます。どっちも辛いなら筋と神経を同時に侵す様な血管病変かもしれません。電車に乗っていても、つり革に掴まるのは近位筋。揺れる電車でしっかりと立っていられるかなんてのは姿勢反射を見ています。

 こうやって見ていくと、日常生活というのは診察項目のオンパレード、優れた病態検出キットだと思います。趣味という点では、とあるクロイツフェルト・ヤコブ病の患者さんの最初の症状が「テニスで勝てなくなってきた」でした。そして、スポーツが出るとこの名選手を出さずにいられません。

 往年のメジャーリーガー、ルー・ゲーリッグです。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、彼は筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなっています。ALSはゲーリッグ病とも言われますね。彼は1939年に診断され引退をし、その2年後の1941年に亡くなっていますが、症状としては1938年のシーズン途中に明らかに現れていました。それを調べたのが論文になって、何と1989年のNeurologyに掲載されています。


Kasarskis EJ, et al. When did Lou Gehrig's personal illness begin? Neurology. 1989 Sep;39(9):1243-5.


 彼の打率を追ったものですが、1934年は.363(リーグトップ)、1935年は.329、1936年は.354、1937年は.351、しかし、1938年になってゲーリッグの打率は急降下し.295(それでも平均的な打者以上ですが)。そして翌1939年に引退となっています。

 彼は「シーズン中盤あたりから疲れてしまって頑張れない」と言っていたそうです。対戦相手の投手は「1938年7月1日頃からおかしくなっていた」という風に思い返していたとのこと。

 ゲーリッグ本人が異常に気づいており、それはしっかりと数字に出ていたんですね。

 この様に、病歴というのはとても大事なものです。ただ、漠然と「病歴は大事!」と言っても、それが隙間風の吹きまくる様なさびしい病歴なら価値は乏しいものです。訴えを大切にし、更にきちんと拾い上げるためには患者さんの生活にこちらも身を置いてみるということが必要。そうすると、必然としてカルテの病歴は生々しさが出て、生活が見えてきます。

 生活を聞く、患者さんの世界に身を置く。これらは、当たり前ですが患者さんの話をしっかりと聞くということにもつながります。ただただ痛みとか動きづらさを聞くんじゃなくて、生活を通して聞く。このことが、質の高い問診にもなり、また患者さんの満足度も高まります。ナラティブなんてのが最近は言われてますが、ことさらそんなのを意識せずとも、病歴をうまくとれる医者というのは、患者さんの生活に根ざした聞き取りを行なっています。いつもの過ごし方、仕事のこと、趣味のこと。患者さんの苦楽の詰まった人生を聞くことが、最上の問診でもあり、自然体のナラティブなアプローチでもあります。入院という状況は、比較的ゆっくりと話を聞けるという状況です。それは、患者さんにとっても医者にとっても、とても大切な時間。だから、担当する患者さんの数は少なくても良いんです。マッチングの学生さんたちには、たくさん担当することを売りとする病院よりも、少人数で良いからしっかりと時間をかけられる病院を選んでほしいな、とも思いますね。

 研修医の先生や学生さんは、こういった視点からじっくりと患者さんの話を聞いて、引き出してみましょう。ちょろちょろ聞いて通り一遍の診察をするんじゃなくて、患者さんの物語性を大事に。医者の世界から聞くんじゃなくて、患者さんの世界を見据えていくことが肝要でございます。

 以上、救急外来と入院精査では病歴の取り方に差があるということをお話ししました。自分は研修医の時は救急外来に漬かっていた様なもので、前者の聞きとり方がメインでした。最初の頃は入院患者さんの問診で上手く聞けずに困った記憶があります。でも”生活を聞いていく”ということ自体が優れた問診になる可能性を秘めていることに気付くと、”患者さんは答えを知っている”という格言はまさにそうだな、とただただ驚嘆していました。知っている答えを、医者がどう引き出していくか。その工夫の連続が、自分を含めて若い医者が上達していくためのヒントになる様な気がしています。

 ちょっと雑然とした記事になっちゃいましたかね…。
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2013
08.05

補中益気湯で躁転?

Category: ★精神科生活
 自分は精神科医ではあるんですが、なんちゃって漢方屋でもあります。なので患者さんに漢方薬を使うこともままあります。酸棗仁湯のパルス療法(ツムラさんのですが、6包/day使うことを自分は勝手にそう呼んでいます)はベンゾや抗精神病薬なんかを使ってもなかなか眠れない、特に”疲れていても眠れない”患者さんに使って好評価。これを使うことで他の薬剤をガンガン減らすこともできます。イライラピリピリしている患者さんには四逆散をベースに構えます。良いですよ、四逆散。腹証にこだわっていてはあんまり出番がないかもしれませんが、一度腹証からは離れて使ってみて下さい。黄芩なんかも入っていないから使いやすいです。

 外来で良く目にするのは、抗うつ薬を使っていてもだるい感じが続いてスッとしない患者さん。特にSSRIで多いですね。三環系ならもうちょっと良い感じに仕上がるんでしょうけど、SSRIだとどこか不全感があるというか。彼らには診察室でこう聞きます。




そこにお布団があったらすぐ入りたい気分?




 その問いにYesと答えたら、補中益気湯を使うことが多いです。ちなみに自分もすぐ横になりたい。。。

 ただ、補中益気湯でも「飲みづらい」「お腹がムカムカ」という患者さんもいます。なので、上述の質問にYesでも食欲ががっつり落ちているなら、六君子湯にします。六君子湯は食欲アップの胃薬と思われていますが決してそうではなく、補気剤なんですよ。脾胃の気を満たして元気にしてくれる。また、冷え性で下痢気味というような状態が上乗せされていたら真武湯を使うことも。

 そんな補中益気湯ですが、免疫調節作用があるため、脳の慢性炎症としてのうつ病という視点からは、いい働きをするんじゃないかと密かに思っています。ま、効かんって言う患者さんも多いですが…。

 ただ、最近は「??」と感じることも。

 躁うつ病の患者さんです。彼らのうつ病相に補中益気湯を使って何と



躁転



 したことがあるんです。


・・・マジ?


 マジです、マジ。しかも2人。natural courseじゃない?と言われたら否定はできませんが、補中益気湯を飲み始めて2週間くらいですかね、元気が出て多弁になって患者さんやご家族も「ちょっと躁に入ったかも」と。そういう時はすぐに補中益気湯を中止にします。そうするとまたちょろっとうつっぽくなっていくのであります…。なんだなんだ、そんなにすごいの?補中益気湯。そこまでの力はなかろうと思っていたんですけどね…。やっぱり黄耆の力なんでしょうか。

 なので、躁うつ病で使うなら1包/dayくらいからにしてます。

 躁うつ病の患者さんは糖尿病を併発していたら確たるエビデンスのあるクエチアピン(セロクエル®)が使えないため、うつ病相への薬剤選択肢がぐぐっと限られるんですよね…。軽躁/躁病相なら結構手数はあるんですが…。頻用するのはうつ病相そのものには効果は弱いもののラモトリギン(ラミクタール®)と、エビデンスはないものの少量のアリピプラゾール(エビリファイ® 少量ってのが大事)でしょうか。リチウム(リーマス®)の血中濃度を0.8以上に持って行くことも有効です。後は甲状腺ホルモン(特にチロナミン®)やプラミペキソール(ビ・シフロール®)は選択肢ですね。オランザピン(ジプレキサ®)は適応を取っていますが、ちょっと信頼に足りないと個人的には思っています。MADRSなんかの各項目を見ても、何とか中核症状でも有意差は付いてますが、その改善は微々たるもの。何とかこぎつけたという感じがしてなりません…。また、双極I型なら特に抗うつ薬は慎重にならざるを得ません。補中益気湯も最近は少量からにしています。黄耆のない六君子湯や四君子湯ならどうなんでしょうね。

 躁転した患者さんからは「効きますねー、漢方」って言われましたけど、効きすぎたんですよ…。

 そんなこんなで、隠れた補中益気湯の力?でした。ちょっと注意しようと思います。




c.f. コメントへの返信でも記載しましたが、漢方薬にもしっかりと副作用と言うものがあります。自然のものだから安全!と思っている方も多いんですが、決してそうではないのは注意してもしすぎません。
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2013
08.02

ぐるぐると…

 本日(8/1)は納涼会で、八事にあるイタリアンレストラン”ガッルーラ”というお店でございました。

 しかしですね、、、



遅刻してしまいました…。




 教授をはじめとして皆さん沈黙のまま待ってらっしゃった。。。しかも自分が一番最後。非常に縮み上がり、冷汗かいてまさに納涼?

 間に合うと思ったんですけどね-。準備不足だったかもしれませんです。

 地下鉄で行くよりもタクシーで直接行っちゃえ!これなら大丈夫でしょ、との思いからタクシーを選択。

自分「八事のガッルーラっていうお店なんですけど」
おっちゃん「店の名前だと分かんないなぁ」
自分「八事日赤病院とか南山大学の近くみたいです。電話番号言いましょうか?」
おっちゃん「はいよ」

 みたいな感じでおっちゃんに電話番号を伝えてナビに従って進んだら、何かあらぬ方向に行きましてね。。。

おっちゃん「やっぱ電話番号ダメだわー。電話番号で無事に行けたことないもん」
自分「あらぁ…」

 こいつは困った。。。

おっちゃん「住所良い?」
自分「あ、はい。昭和区山里町70-2」
おっちゃん「昭和区、と。山里町ね…。で、70-2・・・・・??そんな住所載ってないよ」
自分「え?」

 なんと、おっちゃんのカーナビにはそんな住所がないとのこと。完全に想定外。

 自分も初めて行くところなので場所もよく分からず。携帯電話のマップを見せて進んでもらいました。なんか南山大学の周りをぐるぐる廻って、なんか学生さんを付け狙うストーカーかってくらい。

自分「あ、良いですよ。自力で何とか探します。この周辺でしょうから」
おっちゃん「いやいやいや。ここまで来たんだから探しましょう」

 おっちゃん!優しいよ!メーターも切ってくれて探してくれました。

 しばらくして何とか見つかったものの予定時刻を15分ほどオーバー。納涼会の場では恐縮するに良いだけ恐縮して、胸いっぱい。お料理の味も特に序盤は良く分かりませんでした。。。

 記憶に残っているのは、パスタの上に胡瓜のソテーが乗っていたこと。ほー、胡瓜ってソテーしちゃうんですか、と感心したことを妙に覚えています。
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