2006
10.27

美味!博多通りもん

 あのお金でいくらでも金賞がもらえるというウワサの「モンドセレクション」で六年連続金賞(2001~2006)を貰ったという、名月堂さんのスマッシュヒット


博多通りもん!




 部類としては「ミルクまんじゅう」といったところでしょうか。

 何と何と、これが美味しいんですよお客さん!皮は薄く、しっとりとしています。そして中のミルクあんがとろけるような舌触り!口の中にはバターの香りが程よく漂います。。。

 こういう大量生産系の御土産物って、味の方はそんなに期待しないのが世の常ですが、この子に関しては当てはまりません。

 初めて食べた時は衝撃を受けました、はい。家に常備していても良いくらいと思わせるものなのです。博多に行かれた際は、お土産に買っても喜ばれること更なりでしょう。でも博多なんて行く機会が無い、、、という方には


ネット


があります。お取り寄せをしてでも胃に収容していただきたい一品。

 ただ、甘いことは甘いので、調子に乗って一口で一個まるまる口に入れたりすると、お茶が物凄く欲しくなります。ですから、焦らず急がず、何口かで召し上がって下さいまし。

 皆で血糖値上げましょう!



 しっとりとした薄い皮にもバターの風味が過飽和状態。そして見た目にもとろけそうな具合が判然としているミルクあん。。。見事なまでのfeed forwardがなされています。もう感心しきりになってしまうこと請け合い。
Comment:4  Trackback:0
2006
10.18

おかぼさん

 最近かぼちゃが安くなりましたね~。嬉しいことです。

 ということで、カンタンお料理の「かぼちゃのいとこ煮」を作ることを一大決心しました。

 小豆は茹でるところから始めるのが一番なんでしょうけど、ここは男らしく怠惰に「ゆであずき」の缶詰(加糖)を使用。

☆材料
かぼちゃ…適量
ゆであずき…適量
お塩…適量

 以上の、これまた男らしく適当な量でスタートです。



 まず、かぼちゃのワタを取ります。一口くらいの大きさにカットしていき、皮も少々削っていきましょう(味が染み込むんです)。



 普通なら、煮物は材料がかぶる程度お水を入れますが、今回はちょっと少なめに。

 かぼちゃを茹でていき、柔らかくなったところで「ゆであずき」の登場です。缶を開けて投入し、お塩を少々プラスしてかぼちゃとからめていきます。


 あんまり乱暴に混ぜてしまうと小豆もかぼちゃも潰れてしまいますのでご注意を。一分くらい経過したら出来上がり!

 缶詰の中に砂糖が添加されていますので、今回は使う必要ありません。ポイントはお水をちょいと少なくしたこと。いつも煮るのと同様であれば「ゆであずき」を入れた場合、小豆の甘さが少々薄まってしまいます。煮詰めて水分を蒸発させてもいいですが、やり過ぎるとかぼちゃの食感が喪失していきますし、形も崩れてきます。これはゆゆしきこと(底に沈んでトロトロになった崩れかぼちゃも美味なことは美味だけど)。そこら辺さえ注意すれば失敗知らずで美味しい煮物の出来上がり!



 ちなみに自分の使用量は、かぼちゃ1/4個、ゆであずき缶一つ(200g)、お塩ひとつまみ、でした。
Comment:0  Trackback:0
2006
10.13

マクロにノイエスは無いか?

 そう言えば二年は解剖実習が始まったんですね。。。モリスト先生(うちの部の次期主将:大学生当時は卓球部に属していました)は頑張っているかしら。

 これは人生の一大イベント。献体によって成り立っているものですから、しっかりと御遺体に感謝して臨んで下さいまし。

 二年の時、解剖実習の感想文を書くのですが、今回の記事、これは「書いたは書いたんだけど、これを教授が見たら良い思いはしないやろな…」と思って提出しなかったものなんです。今回はそれを登場させます(まさかこのブログを熊木教授が見てるなんてことは、無いでしょう、うん)。


 Gross anatomyはメスさえあれば行えるという利便性も手伝って、古くから研究されてきた。それは16世紀のヴェサリウスによる名著「ファブリカ」によってほぼ完成したといっても良い。それから何百年と経ち今日に至っているが、病理解剖といった分野こそ打ち立てられたものの、我々は彼の作り上げた骨格に肉付けを行ってきた程度である。しかも、その肉付けの作業も終わりが近づいてきているとされる。よって、研究し尽くされた学問と指摘され「マクロにノイエス(新発見)無し」とまで揶揄されるようになってしまった。

 時代の潮流は遺伝子レベルの「眼で見えない」分子生物学であり、最新の知見が日単位で更新される。未知の世界へ乗り出すことで、今のところ謎とされている部分も徐々に明るみに引き出されることになるであろう。

 以上のことから、肉眼に頼るマクロはもはや時代遅れとでも受け取れるような方向に向かっているのは、学生でも容易に感じ取ることが出来る。今やマクロはその役割を終えようとしているのであろうか。

 肉眼には限界がある。眼は人間に備わっているものであり、その精度はヴェサリウスやアルビヌスが我々より劣っているなどという意見は、彼らの解剖図を見れば消え去ること瞭然である。このことは、マクロが既にこの時期にピークを迎えていても決して不思議ではないことと同等である。しかし現代科学はより細部に迫れる手段を作り上げた。特定の遺伝子を不活性化することで、その遺伝子の機能を調べることの出来るRNA interferenceや微量な遺伝子ですら増幅出来、その反応開始時からの増幅量を即時的にモニターできるreal-time PCRなどの開発がそれに拍車をかけている。

 以上を鑑みると、研究対象としてのマクロは終焉を迎えつつあることは否めないであろう。だが、マクロは別の役割―それは観念的なものだが―を有していることを忘れてはならない。

 マクロは全ての原点である。いわゆる基礎医学の一環ではあるものの、医学生にこれほどまでに衝撃を与えるものは無い。実習により、御遺体への尊意が生まれ、それは患者さんに対する念へも繋がる。人体の構造を眼で確認することは、医学のダイナミックな部分に触れることでもあり、今までの考えが根底から突き動かされるような感覚を覚える。解剖に対する真摯な思いをしっかりと抱いた医学生が良い医師になってゆく。その中には優れた研究·発見をする者もいるであろう。優秀な外科医となった者の頭脳には人体の精密な解剖図が収まっている。そうして我々は患者さんの疾病回復のお手伝いをさせて頂くのである。その後の人生にて、患者さんは彼における新しい発見をするかもしれない。

 生理学、微生物学など、どれが欠けても医学は成り立たない。しかし、いずれの分野においても根幹はマクロが占めていることは言うまでもない。医師のノイエス、そして患者さんのノイエスを産み出す源流とも言える学問が、マクロなのである。

 研究という一点で見ると、マクロ自体にノイエスはほぼ無い。自分はこれを否定すべき材料·知識を生憎ながら持ち合わせていない。

 しかし、ノイエスの基盤となれるのもまたマクロなのである。掘り起こしても何も出ないと軽んずる対象では決して無い。解剖学を過小評価することは、人間の存在をも小さいものと捕らえてしまいがちになってしまう。このことは医師·学生共に、心にしかと留め置かねばならないのではないだろうか。


 ということでした。フォローを入れてはいるものの、研究対象としてのマクロって…なんてのを解剖学の教授が見たら、教授が卒倒するか自分が留年させられて卒倒するかどっちかでしょうね(両方かも)。。。

 でも解剖は大事だと思ってます、ホント。何をするにしても(それが分子生物であれ)基本のモノがなっていないと成功しないと思います。医学生の精神の根幹を創ってくれる学問なのではないでしょうか。。。
Comment:0  Trackback:0
back-to-top