2017
07.30

慣れってことで

 8月からはちょっと講演会が続きます。といっても、8-11月にかけて、各月1回ずつなんですけどね。気が早いですが、来年の3月にも1回あります。繰り返しになりますが、自分は精神科医で副業として漢方屋をやっている、という立ち位置。でも後者の講演依頼が圧倒的に多く、ちょっと精神科医として「???」な感じではあります。

 そんな中でも、10月は珍しく漢方ではなく、本業の精神科のお話を看護師さんがたにするのです(@四国!)。5時間のお話で、スライドは予備含めて約620枚。自分は1時間の講演で大体スライド100枚くらい使うので、これくらいあれば十分でしょう、たぶん。精神科ではない一般病棟で見る精神症状にどう対応していこうか? という内容。疫学や疾患のメカニズムなど教科書的なものではなく、どのように患者さんと接していくべきかを重視しました。木村敏先生に依拠した”あいだ”(個人的には”あわい”ですが)の大切さをお伝えできればなぁと考えています。

 それ以外の講演は漢方なのですが、8月は初心者のかたがたに向けて、ベンゾジアゼピン受容体作動薬の代わりに漢方薬はどうでしょう? という内容の講演。やや病名漢方的なお話になります。そして9-11月は、3回シリーズでメンタル漢方の ”総論・抑うつ・不安不眠” 取り上げていくことになりました。こっちは日常的に漢方薬を使っている先生がたへの講演なので、気・血・水や五行論などの理論(仮説?)を組み込んでのお話。自分は五行論ってちょっとシステマティック過ぎてどうなのかなぁと思うところがあるのですが、理論として一部援用するのはアリだと考えております。

 ただ、漢方は用語や概念の定義が人によって異なるのが悪いところ。もちろん柔軟な発想と考えれば良いところなのでしょうけれども、その人の中の定義で話をされると噛み合わないんですよねぇ。自分も ”瘀血” という概念を自分なりに理解していますし、瘀血の中に慢性炎症が含まれていると考えて臨床をしています。だから、あくまでも自分の中の考えであることを意識しておき、他の人に強制はしません。漢方屋さんの中には偏屈な人もおり(むしろ多い?)、自分の定義に当てはまらないと「それは間違ってる」と指摘されるかたも。その人の中では間違っているんでしょうけれども…と思わないわけではありませんが。完全に”ねじれの位置”のような感覚になります。

 でも、色々と講演依頼をいただくのはありがたいことです。発表の機会を与えられ、それによって他の先生がたが「なるほど」と少しでも思ってくれて、それで患者さんにとってプラスに働けば、何よりでございます。その中でお伝えしたいのは、漢方でなんでもかんでも解決しようと思わないこと。例えば明らかに肺炎球菌による肺炎に対して麻杏甘石湯のみで挑むのは前時代的。しっかりと抗菌薬を使用するのが欠かせません。特に漢方を体系的に勉強しない多くの医者にとっては、あくまでサポートとしての限界を設定しておくのがポイントでしょう。講演ではそこをお話することが多いです。後は、漢方薬にも副作用があるので、そこへの注意ですよね。

 ちなみに自分は元々かなりの人見知りで、人と話す、しかも大勢の前でなんてトンデモないと思っていました。大学受験も面接のある大学は真っ先に弾いてましたし。それがねぇ、慣れというのは恐ろしいものです…。ただ、自分の医局の教授の前でプレゼンする時は相変わらずダメダメです。。。それはいつまで経ってもアカンですね。
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2017
07.14

病気と人

 「病気じゃなくて人を診ろ」とはよく言われる言葉です。この言葉は無条件に肯定されることが多く、患者さんにも受けが良い(それだけ医療への不満があるのでしょうね…)ことは知られています。自分はひねくれているので、そんな言葉を聞くと「また安っぽいセリフを…」と感じないわけでもありませんが、それは内緒です。あ、「病気とは何なのか」という話は横に置いておきましょう。

 ただ、やはり病気というのを相手にするのが医療職であるというのを忘れてはなりますまい。「病気じゃなくて人を診なさい」は強調されすぎているキライがあるのではと感じていまして、個人的には


病気も診る、人も診る


 というスタンスがもっとも大切だと考えています。当たり前なんですけどね。もちろん「人を診なさい」の”人”は”病をかかえた人”の意味です。どの科でもそうですが、私たちは診察室や病室で人と接し、その人が人生をよりよく生きて欲しいと思っています。そして、その”よく生きる”も人によって、また状況によって異なることは言うまでもありません。人生に思いを馳せる時、人はみな哲学者になるとも言えましょう。

 昔々は病気を診る方に重心が寄っていたので、冒頭のような言葉が生まれたのかなと思います。ただ、人を診るばかりに針が動きすぎて、病気の方をないがしろにしてしまってもいけません。その”病気を診る”というのも必ずしも治癒せしめるわけではなく、病気には慢性的に経過するものもあるため、その人の生き方に悪い方への影響を最小限にすることをも含みます。

 精神病理学を例に出しますが、そこでは統合失調症をちょっと神格化していた傾向があり、この疾患こそ人間の自己のあり方を教えてくれるのだと考えている人もいます。だから、patients with schizophrenia というような言い方を好まない学者さんもいるのです。この表現は統合失調症という疾患が人間の外にあるような印象を与えますが、そこがお好きでないようです。「それではないんだ。統合失調症を持った患者さんではなく、統合失調症者、統合失調者なのだ」と考えているようで、人間の存在と統合失調症というのをどこか分かちがたく、ある種のロマン的なとらえ方をしています。患者さんはどう思うのかしら。それで「そうかぁ、納得」と思う人もいるでしょうし、「そんな冗談じゃない」と思う人もいるでしょう。自分は、それが正しいのかどうかは分かりません。

 でも研修医やビギナーには、やっぱり疾患は with として考えておこうよ、と言いたいところがあります。疾患を抱えながら、抱えた人としてどう生きていくのか。疾患は患者さんにいろんな影響を与え、それは悪いものばかりではないかもしれません。しかしながら、人と疾患とを混然として扱うのは、当たっている間違っているを別にして、若手の思考としてはまだ早いような気もします。特に慢性疾患の場合、患者さんの心情にかなり配慮する必要があり、疾患と人との境界線をなくすような発言は少なくとも人生の後輩が初期に口にするべきではないようにも思います。長年経過した患者さんからは「この病気は私の一部です」という達観した言葉がありますが、それを全ての患者さんの目標にすべきではないですし、最初からそこを押しつけてもいけません。疾患はあくまで疾患であり、withという意識でいた方が侵襲的ではないのだと、患者さんとのお話もそういう気持ちでしていきます。

患者さん「なかなかこの病気は厄介ですね。薬で何とか軽くしてもらってるけど」
自分「そうですねぇ、本当にこれは…。たまに暴れ馬みたいになりますものね」
患者さん「そうそう。本当に暴れ馬。でも最近はうまく手懐けるようにはなってきたかな、少しね」
自分「あら、そうでしたか。ご主人様は私だぞ! という感じでしょうか」
患者さん「そうね。長年ですからね。一生の付き合いというのは分かっているので」
自分「うまくお付き合いしていこう、と」
患者さん「そうそう」
自分「病気とは離婚できないですもんね」
患者さん「そうね。腐れ縁ってやつかしら」

 withという意識は、外在化のテクニックにつながります。疾患が外からやって来る、自分とは異なものである、と意識することで、疾患に飲み込まれないようにしてもらうコツになります。例えば患者さんが「不安になる」と表現しても、こちらは「そうでしたか。不安がやって来るんですね」と言い換えてお返事をします。「不安になる」だと、自分の中から湧き上がってくるからどうしようもなくなる感覚につながりますが、「やって来る」だと、やって来る相手に対してさあどうしようか、という考え方にもなりますし、患者さんと医者の共同戦線のような意識付けにもなります。

 そういうことを考えていくと、「病気じゃなくて人を診る」というところに傾倒してしまうことでwithの意識が薄れてしまうのではないかと思うのです。そして、過剰な”人を診る”ことの副作用として”他者であることの薄らぎ”があるとも感じています。柳田邦男の”死の人称性”ではありませんが、「人を診るぞ!」という意気込みは他者性を希薄化させ、2人称的な、「わたし-あなた」の関係に陥る危険性があります。患者さんからすれば「そんなに親身になってくれるなんてありがたい」と思うかもしれませんし、医療者の一部にはそれを励行している人もいるでしょう。しかしながら、私たちが患者さんと2人称的に接するのは、プロフェッショナルとしての判断に影を色濃く映します。どこかで冷静な、醒めた目を持っていることが必要なのです。診察室というのは、患者さんのそれまでの人生と医療者のそれまでの人生との”あわい”の場であり、そこから対話は生まれます。そういうのを常に考えておかないと、患者さんの人生に巻き込まれるか、もしくは医療者の人生に患者さんを巻き込んでしまうことすらあるでしょう。もちろん、人生と人生が出会う場所なので少なからずお互いが巻き込み巻き込まれするものですが、どこかで線を引いておくぞというアタマを持っていないと際限がなくなります。巻き込まれるにしても、”巻き込まれていると分かって巻き込まれる”か”巻き込まれていると知らずに巻き込まれる”のでは、全く違います。関わること、それは患者さんに悪影響を及ぼすという副作用にもなるのです。2人称としての接触は無批判で受容されるべきではありません。例えば、家族は2人称であるがゆえに「家族だからこそ許せない」ことだってあるでしょう。家族の中の出来事はキレイゴトでは済みませんし、それに医療者はよく遭遇しているはずです(介護の問題など)。人を分かろうとしすぎないこと、この自制が大事なのだと思います。いくら親しくても、その人には語りたくないものがありますし、それをこじ開けてもいけません。ジンメルの言う”秘密”として対処すべきであり、そこが他者の意識付けにもつながるのでしょう。もちろん分かるところまでは分かろうとする努力は重要ですが、人の心に土足で踏み込むことにならないようにすべきです。

 よって、病気を診るというのを意識することで、私たちは医療者としてのプロフェッショナリズムを保て、他者として接することが可能になります。私たちには”他者”の強みがあると言えましょう。病気と人、この両者への目配りが完全なる他者としての3人称でもなく、近すぎる2人称でもなく、”2.5人称”としての接触を可能にするでしょう。”あわい”を常に思い浮かべて、私たちが見て聞いて感じているのは、私たちと患者さんとの相互作用の結果なのだと受け取ってみるべきで、そこに医療者という職業性の他者をも崩さないでおく。ちょっと相反しているようなスタンスを入れておくのが大事。

 ちなみに、”他者”と言えどもゾーエー的なつながりというのは感覚としてあります。「自分の見ている世界と他の人の見ている世界なんて、結局は異なるんだぞ」という考えは、行き過ぎると”断絶”となります。確かに他者は分からないのではありますが、それぞれの自己というのは”あわい”から立ち現れるものであり、その”あわい”では私たちはつながっている(ひょっとしたら原初なる一?)のだと自分は思います。そのゾーエーがあるからこそ2.5人称という絶妙なバランスが出来るのかもしれませんし、西田幾多郎の視点からの解釈も出来そうです。「そんなお花畑思考の根拠は?」と聞かれてもそんなのないんですが、ひとりひとりの世界が違って分かり得ないなんて、ちょっとさびしい気がします。ただそれだけ。

というか、何事も”ほどよさ good enough” で説明できてしまいそうな気がしますね。難しいことを聞いても「つまりは、ほどよさか」と感じるようになってしまった。色々と本を読んで考えてもみたんですが、その結果がこれというのも悲しい気がしないでもない。
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2017
07.07

ちょっとはマシなんです、たぶん

 ゾピクロン(アモバン®)はベンゾジアゼピン受容体作動薬の1つで、z-drugとも呼ばれています。この特徴は兎にも角にも

苦い

 というやつでして、代謝産物が苦味を持っているらしく、口をゆすいでも取れません。ゾルピデム(マイスリー®)でもたまに「変な味がする」という患者さんもいますが、ゾピクロンはその比ではない。

 そして、その光学異性体としてエスゾピクロン(ルネスタ®)があります。これはゾピクロンよりも睡眠効果がやや長めであり、メーカーさん曰く「苦味が軽くなっています」とのこと。

 ただし、苦味が軽くなっているかというのは、実はガチンコの直接比較をしたわけではありません(そういう論文は少なくとも英語では存在しないはず)。

→訂正:ありました…。探し方が甘すぎた(Clinics (Sao Paulo). 2016 Jan;71(1):5-9. PMID: 26872077)。そこでは、苦味ではなく味覚障害という表現でしたが、エスゾピクロンの方が若干、ホントに若干少ないという結果になっています。エスゾピクロン 3mgで50.78%、ゾピクロン7.5 mgで60%でした。

 自分はあるところで「苦味が軽くなっているのが特徴です」と言ってしまっており、そこは軽率だったと反省しています。これはあくまで経験的なレベルにとどまっていて、この経験的という言葉を入れ忘れていたのが敗因。いつの日か機会があればその言葉をプラスしたいなと考えています。

 しかしいっぽうで、処方する身としては「確かに苦味は減っている」と思います。自分は新しく薬剤を処方する時は飲み心地を必ずと言って良いほど聞くのですが、エスゾピクロンは全員ではないものの80%くらいが「苦味は軽いですね」と答えます。自分も眠れない時に睡眠薬を飲むので、ちょっとエスゾピクロンを飲んでみたんですが、確かに苦味そのものは30% off といった感覚でした。そういうのもあって、「苦味が軽くなっているのが特徴です」と文献的なサポートなしに(軽はずみに)発言してしまったのでありました。これは失態です…。

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☆☆まとめ☆☆
ゾピクロンに対するエスゾピクロンの苦味減少は…

・比較試験は行なわれていない(→訂正:行なわれており、若干軽くなっているかも)
・あくまでも経験的なもの
・個人的に少し減っている手応えはある

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 ちなみに、この苦味は減っても減ってなくてもあんまり気持ちの良いものではないのですが、患者さんの中には「慣れてくると、この苦いのが”薬”って感じで良いんですよ」と言う人もいます。確かにそう言われたらそのような気がしないでもない、かな?
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2017
06.06

レビュー:ベンゾジアゼピン依存の治療

 今回は、NEJMの以下のレビュー論文を見てみました。

Soyka M. Treatment of Benzodiazepine Dependence. N Engl J Med. 2017 Mar 23;376(12):1147-1157. PMID: 28328330

 ベンゾジアゼピン依存の治療はなかなか難しいことも多く、やり方なんて全然知らん、という医者もおります。レビューにはどんなことが書かれてあるでしょうか。全部ではないのですが、少しまとめてみました。自分のコメントは適宜 (←) で入れています。

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 ベンゾジアゼピン受容体作動薬(←ここではベンゾジアゼピン系薬剤といわゆるz-drugを合わせてそのように呼ぶこととします)はGABA-A受容体への直接的なアゴニスト作用を持つわけではなく、受容体に結合し、そのGABA親和性を高めます。それによって、Clチャネルがより開口し、GABAの抑制効果をCNSで高めます。GABA-A受容体は様々なサブユニットで構成され、例えば睡眠薬として用いられるベンゾジアゼピン受容体作動薬はα1サブユニットに主に結合します。ただし、薬理学的には抗不安と催眠とにはっきりとは分けられません。多くのベンゾジアゼピン受容体作動薬は半減期が長く、徐々に蓄積されていく傾向にあります。そして、代謝産物も薬理学的に活性を持ちます。半減期の短い方が依存のハイリスクとされ、ベンゾジアゼピン受容体作動薬そのものはオピオイドの鎮静効果を増強します(←また、ベンゾジアゼピン受容体作動薬のほとんどはCYP3A4で代謝されるので、CYP3A4阻害作用を持つ薬剤と併用するのは好ましくありません。高齢者や肝腎機能障害や低栄養であれば血漿蛋白も減少しているため、高い血漿蛋白結合率を有するベンゾジアゼピン受容体作動薬は投与量に注意します。もちろん、他剤との血漿蛋白の競合もあります)

 臨床効果の強さによって、ベンゾジアゼピン受容体作動薬は抗不安薬と睡眠薬に分けられます。しかし、原則として全てのベンゾジアゼピン受容体作動薬は抗不安作用、催眠作用、筋弛緩作用、抗てんかん作用、健忘作用を持ちます。2-4週間程度の使用であれば相対的に安全ではありますが、その期間を越えての使用では安全性が確立されていません。1ヶ月を超えての使用によって、約半数が依存を来たします(←これは多すぎないか? という印象。8ヶ月で半数という報告もありますね)。1種類の使用であれば致死的な中毒となることは少ないとされます。

 用量依存的な副作用は眠気、過鎮静、疲労、脱力、翌日への持ち越し、集中力低下、依存形成、中断によるリバウンド症状などなど。運転能力を著しく削いでしまうため交通事故のリスクになり、骨折や転倒の危険性も増します。高齢者では奇異反応が珍しくなく、精神運動抑制や認知機能障害 -記憶力の低下、集中力低下、注意の欠落- が起こることもあります。よって、高齢者の不眠や焦燥やせん妄に使用するのは好ましくなく、処方するのであれば短期間にとどめるべきです。健忘作用は特に高用量において記憶のつながりが途切れる形で生じます。長期使用と脳萎縮や認知症との関連性は議論のさなかです(←肯定する文献もあれば否定する文献もあります。交絡因子がありすぎて正確な評価は難しいのでしょうね。以前ほど強調しなくても良いのかなという感じ)

 腹側被蓋野と側坐核は辺縁系の一部であり、この部位でドパミン放出をもたらす薬剤は概して依存の可能性を持っています。前頭前野への神経投射は”依存のネットワーク addiction network”において重要です。ベンゾジアゼピン受容体作動薬は介在ニューロンのGABA-A受容体、特にα1サブユニットを含む受容体を調節することで腹側被蓋野のドパミンニューロンを活性化させます。

 アメリカでは、1996年から2013年にかけてベンゾジアゼピン受容体作動薬の処方は増えています。大量服薬による死亡も増えていますが、ほとんどすべての死亡が他の物質との併用でした(←ベンゾだけの大量服薬で死ぬのはとても困難です)。特にオピオイドとの合わせ技は呼吸抑制が強くなるため、FDAも2016年8月に安全情報 drug-safety communication で注意を促しています。ヨーロッパではここ数年ベンゾジアゼピン系薬剤の処方が減っているようですが、ドイツではz-drugの処方が増えており、それが説明の一部となるようです。相変わらずベンゾジアゼピン受容体作動薬は世界中で最も広く使用される向精神薬となっています。依存のリスクは精神疾患を持っていること、そして服用量の多さです。そして、ヨーロッパでもアメリカでも、長期使用などの不適切な使用はコモンなようです(←ベンゾ依存は日本だけの問題ではありません)

 依存は大量でなくとも生じます(←常用量依存は過日のPMDA勧告でも触れられています)。長期使用は、高齢者、精神科医による処方、定期的な使用、高用量、他の向精神薬の同時処方で見られるようです(←精神科医による処方については、病態が複雑なので使用せざるを得ないという場合も多いでしょうか)。長期使用後の離脱症状が生じるまでの時間は、短時間作用型で2-3日、長時間作用型で5-10日くらいとされています。殆どの離脱症状は脳の過剰な興奮と関係しており、身体的、精神的、感覚的な症状に分類されます。最も軽い症状は、睡眠障害に用いられている時に特に生じやすいもので、疾患の持つ症状のリバウンドです。最も多い身体症状は筋緊張、脱力、筋スパズム、疼痛、インフルエンザ様症状、皮膚のそわそわ・チクチクとした感じ pins and needles です。精神症状で最も多いものは、不安やパニック発作、落ち着かなさ、抑うつや気分の波、自律神経症状、集中力低下、不眠や悪夢などです。食欲不振、頻脈、複視、口渇、眠気、現実感喪失 derealization なども生じることがあります。聴覚過敏、羞明、皮膚の感覚異常などは割と多く、離脱症状に特徴的です(←聴覚過敏や皮膚の感覚異常は日本で俗に”シャンビリ”とも表現されます)。けいれん発作は多く見られ、特に突然中断された場合に見られます(←安易に”てんかん”と誤診しないように!)。深刻な症状には、妄想的な思考、幻覚、離人、離脱せん妄などが見られます。table 3に代表的な症状、table 4に鑑別疾患が掲載されています。

table3.png

table4.png

 ベンゾジアゼピン受容体作動薬を中止する時は、離脱症状を防ぐために少しずつ減らしていくのが大切です。しかし、中止に持ち込めるかどうかはその人のキャパシティによるところが大きいようです。4-6週もしくは4-8週が中止完了の目安であり、期間をきちんと決めて一定したスケジュールで減量を行うことが勧められます(←ここは自分と違うスタンスですね)。患者さんが減らすことへのとらわれ morbid focus になるのを防ぐために、何ヶ月にも渡る減量は可能ならば避けるべきです(←確かにこのとらわれはとても難しく、それが病状を複雑にしていることもあります。減量を開始する時からしっかりとそこへの注意を患者さんに伝えるべきでしょう。であれば”じっくりゆっくりあせらずのんびり”も悪手ではないと自分は思っています)。また、ジアゼパムなど長時間作用型への切り替えは有効なのか不明であり、入院して患者さんに具体的な量を知らせず減量していく方法 blind reduction の有効性についても同様です(←長時間作用型への切り替え自体が結構難しく、自分はそのまま少しずつ減らす作戦が多いです)。複数種類のベンゾジアゼピン受容体作動薬を使用されていた場合は1種類にすべきであり、特にジアゼパムが好まれます(←この1種類にするのも厳しい時が多いですね…)。外来でもうまくいくことがあるものの、ジアゼパム換算で100 mg/day以上の大量投与の場合なら入院下で行うべきです(←普通の処方ではそんな大量にはなりません。ドクターショッピングや違法入手によって泥沼にハマった人だと思います)。オピオイドを同時に使用している際は、大量投与や中毒症状の出現などの場合を除き、原則としてオピオイドの投与量はそのままとしておくべきです。

 離脱症状に対する治療は、症状に合わせて行なわれます。ある程度のエビデンスを持つものに、抑うつや不眠に対する抗うつ薬や気分安定薬があり、気分安定薬では特にカルバマゼピン400mg/dayが使用されます(←ただ、カルバマゼピンはCYP誘導も持つのでちょっと使用しづらいなぁと感じています)。他には、抗不安効果を持つプレガバリンやガバペンチンやβ遮断薬、睡眠効果を持つ他の薬剤などが候補(←自分は過覚醒のような状態になったらクロニジンを使っています)。ただし、プレガバリンなどGABAに作用する薬剤の乱用リスクには注意が必要です。例えば、睡眠障害の場合はトラゾドン25-150mg/day、ミルタザピン7.5-30mg/day、トリミプラミン10-150mg/dayなどが用いられ、これらは就寝の1-3時間前に投与します(←自分はトラゾドンとミルタザピンを頻用します)。これらは主にヒスタミンH1受容体アンタゴニスト作用と一部に抗コリン作用が関わり、明らかな乱用可能性を持ちません。他には抗ヒスタミン薬があり、ジフェンヒドラミン25-50mg/day、ドキシラミン25-50mg/day、ヒドロキシジン37.5-75mg/day、プロメタジン25-200mg/dayなどである(←確かにヒドロキシジンはたまに使います)。不安症状がある場合は、SSRIなどの抗うつ薬がより適しています。メラトニンが離脱中の睡眠を改善するかもしれませんが、エビデンス的には弱く、フルマゼニルの皮下注は確固たるエビデンスを有しません(←メラトニン受容体作動薬のラメルテオンを用いることもあります。最近はスボレキサントを使う場合も)

 簡単な助言や心理教育も大切ですが、他の心理社会的な介入も同時に行なっていく必要があります。長期使用に対する心理療法は ”離脱そのものを促進すること、使用したいという欲求を断つよう促すこと、基礎疾患を治療すること” の3つをゴールとし、そのために動機づけ面接法や認知行動療法などが用いられます。多くの場合は折衷的であり、様々なアプローチの一部を組み合わせたものです。睡眠障害に対しては、睡眠制限法や刺激調節法などの治療法が有効なようです。

 依存を避けるため、2-3ヶ月以上の処方を行なったり、どんどん増量したりすることは避けるべきです。治療の評価を適切に行い、アドヒアランスを保ち、多くの種類を処方せず、良いタイミングで治療を終了することが肝要。依存のハイリスクはアルコールや薬剤の依存、慢性的な症状-特に慢性疼痛、慢性的な睡眠障害、パーソナリティ障害、気分変調症などで、高齢者対し目標となる明確な症状がないにもかかわらず長期に処方するようなことは避けなければなりません。table 5に治療がまとめられています。

table5.png

 臨床的には、全員にベンゾ中止を試みる必要はありません。中止する気が全くない場合や深刻な精神障害を持っている場合は、待った方が良いようです。長期使用や少量の睡眠薬で依存となっている高齢者も、中止に持っていくまでが難しいです。ゼロにすることが難しければ、まずは半減を目指すところから始めても良いでしょう。

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 という内容でした。コンパクトにまとまっていて、注意すべきところを強調した論文だと思います。オピオイドの話が出てくるのはアメリカンな感じ。
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2017
05.31

本業なのか副業なのか

 先日、東京方面で講演会をしてきました(日帰り)。少し前に記事にしてお知らせしていましたが、なんと漢方薬以外での依頼なのです。自分は本業が精神科医で、副業で漢方屋さんという立場です。でも最近は副業の方での依頼ばかりで、特に去年や一昨年は漢方だけでして、どっちが本業なのやら自分でも分からなくなっていました。ちなみに8月も漢方の講演会をするのであります。ホントに漢方尽くしになってきました…。

 だから漢方ではないお話の依頼をもらった時は「これは何かの間違いではないか…」と不安にもなり。依頼をしてくださった先生の意図を汲んで、お話の内容は、精神科と他科・患者さん・ご家族との ”つながり” に重点を置いたものにしました。私たちの ”あわい(あいだ)” を意識してみると普段の臨床はどう見えるかという、ちょっと観念的なもの。自分は木村敏先生の ”あいだ” に強く影響を受けており、特に垂直の”あいだ”は最近実感することが多くなりました。だから講演の内容も西田幾多郎(『私と汝』)を入れてみたり、でも木村敏先生をそのまま紹介するだけでは意味が無いので最近の精神分析の流れ(ミッチェルやストロロウ)とかウィニコットの ”抱っこ” の意味とか、そこから家族面接の下坂先生の紹介をしてみたり、もちろん薬剤の精神療法的な面をどう活かしていくかとか…。とにかく、自分たちの日常臨床を ”あわい” という視点でとらえ直してみましょう、という話題にしました。

 当日はかなりバタバタしていて、ゆっくりご飯を食べることが出来ず。翌日も仕事なので、宿泊なんて出来なかったのです。残念。最近は抑うつ状態になっているのが自分でも分かっていて倦怠感が著しいので、移動そのものが精神的・肉体的にきついものでした…。

 当日の流れは、行きの新幹線の中でリハーサル。

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 このスライドは薬剤の持つプラセボ効果を臨床で最大限発揮させようというもの。臨床試験ではプラセボ効果は嫌なものですが、リアルワールドでは大いなるサポーターであり、それを存分に引き出すために患者さんとの ”あわい” を大切にしていこうというものです。服薬に対する思いはとても複雑で、いくら医者が ”正しい意見” を言っても虚しく空を切る、むしろ ”あわい” が硬直化してしまう恐れがあります。実際に飲んでくれるのは患者さんなので、その人がどう感じているかを丹念に追うことが ”あわい” をゆとりあるものとし、優しさというプラセボ効果を発揮させるのです。

 そして、東京駅に着いたらちゃちゃっとお昼ごはんを食べたのであります。たぶん食事に使った時間は5分もない。おむすびは ”鯛めし” なんです。美味しかった。

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 東京駅で迷いながらも急いで電車に乗って会場に。講演の30分前に何とか到着。そして講演を済ませてまたすぐ東京駅に。帰りの新幹線まで少し時間があったので、キャラクターストリートのTBSストアにて ”ぐでたま” 先生のコーナーを覗いてみる。

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 他にはリラックマストアも眺めてみたり、お土産を見てみたり。そうしていたら時間がなくなってお夕飯を食べられず、帰りの新幹線では別の講演会のスライドを直していたら酔ってしまって具合が悪くなり、ヘロヘロになって名古屋に戻ったという何だか大変な日でした。そして今日も身体が本調子でない。

 いちおうお土産として、神楽坂の五十番というお店の ”五目まん” を駅で買ったのであります。とっても大きい。

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 手のひらいっぱいのサイズで、これ1つでお腹いっぱい。600円ちょっとの値段なので、結構なもんですよね。パカっと割ると

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 タケノコの食感が良かったです。一緒に肉まんも買ったのですが、味自体は肉まんのほうが良いかな?

 今回の旅の癒やしとしては、TBSストアで買った ”ぐでたま” 先生のトミカ。かわいい。

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 ”ぐでたま” 先生、サンリオキャラクター大賞のほうも応援しています(1日1票 投票中)。

 ということで、とても大変な日でしたが本業での講演会は久しぶりだったので新鮮でした。
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