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2019
08.17

比べると大変だ

 非器質的な慢性疼痛(DSM-IV-TRで言う疼痛性障害)で通院中の患者さん。他院にも受診していて、そこの医者から以下のことを言われたそうです。


「○○さんは痛い痛いって言っているけれども、世の中にはがん患者さんとかもっと大変な人がいるでしょう。そういう人たちに比べたらまだ良いんじゃないんですか?」


 どうでしょう。確かに世の中とても大変な人はいます。でも、、、その人の痛みはその人のもので、人生の中でつらい思いをしているのも事実。中には「そうか。そう考えれば私の痛みなんてちっぽけなものだな」と思って楽になる人もいるでしょう。しかし、個人的にはそれで気持ちが楽になって痛みも軽くなる患者さんは決して多くはない(それで楽になるなら慢性化していない)と思います。

 他人と比べると、果てがなくなってしまいます。そのがん患者さんも、ICUで必死の治療下にある患者さんや飢餓状態で今にも死んでしまいそうな乳児の前では "楽" と判定されてしまうかもしれません。

 そして、比べることで人はつい相手のアラを探してしまうでしょう。がん患者さんと比較しても、「でもあの人は今痛みを感じていないし…」「あの人の痛みは原因が分かっているけど、私のは分からないし…」という思いは出てくるものです。比較は羨望envyを産み、それが行き過ぎれば破壊へとつながるのです。

 自分としては、誰かと比べるのはあまりオススメしません。自分のこれまでと今、そしてちょっと先、そこに思いを馳せて、この痛みをどう人生の中で位置づけて生きていくか。これが大事なのだと考えています。今の医学では慢性疼痛を完全に制圧できません。そのため患者さんには痛みを抱えながら生きてもらわねばならず、それはこちらとしても心苦しいところ。でも可能な限り小さくするのは大切で、それは痛みと付き合いやすくするためです。大きい痛みと「さあ付き合って」と言われたところで、結構厳しい。患者さんが何とか付き合えるレベルにまで痛みを軽減させるのは医者の仕事。

 そして可能であるなら、「痛みがあるから~~できない」という考えからシフトしてもらいたいのです。すなわち


「痛みがある」と「~~する」との間に因果関係を作らない


 ということ。患者さんには、痛みのために制限していた活動、それの多くは過去に盛んに行なっていて自分の一部でもあったような活動、を再開してもらいます。活動が制限されることは、痛みに生活がとらわれることでもあります。そうすると、痛みが患者さんの人生までも支配してしまうかもしれません。≪痛い→活動できない(しない)→痛みに気持ちもフォーカスする→もっと痛い→活動できない(しない)→…≫というループにはまり込むでしょう。そのループから脱却することが、人生を痛みから戻すためにも欠かせません。もちろん最初はつらくて大変でしょう。くじけそうになるかもしれません。そこを我々医療者がサポートしていきたいものです。

 前述の通り、痛みが大きすぎればそんな事も言ってられないので、出来る限りの手を使って痛みを小さくします。そのうえで、"痛みはあるけれども、それに制約されない人生" を目指してほしい、そのように思っています。言うは易く行うは難し、ではありますが。

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2019
08.13

ばっしとばっし

 自分は口腔内の慢性疼痛を診ることが仕事上あり、非常勤で働いている病院では歯科医の先生と連携しています。自分たち医者は "ばっし" と言えば "抜糸" なのですが、歯科の先生は



ばっし=抜歯



 なのです。「え、じゃあ抜糸は何て言うの?」と思うかもしれません。それはですね




ばついと




 なのです…!

 「はえ~、なるほど」と思いました。自分たち医者は歯を抜く処置を行なえず(法律上は出来るのですが、ほとんどの医者はその技術がない)、"ばっし" という言葉を何の前提条件なく聞いた場合、抜歯をまったく連想しません。やっぱり「ばっし=抜糸」なのです。でも、歯科の先生は歯の関連の処置が圧倒的に上。そのため、歯科の先生にとっては、"ばっし" という言葉を聞いたら抜歯を思い浮かべるのは当然。もちろん抜歯のみならず抜糸も行ないますし、明確に区別するのは大事ですから、抜糸にも相応の読み方を授与します。それが "ばついと" なのでしょう。

 医者は抜歯をしない(する技術がない)ので、区別する必要性がないのでございます。だから抜歯に他の読み方を与える要に迫られません。仮に医者も抜歯するようなことがちらほらある世界を想像すると、読み方は "ばっは" とか…? 何だか音楽でも流れてきそうだな。

 最初、歯科の先生とお話ししている時に「ばついと」と聞いて「???」となりました。しばらくして、「あー、ばっし(抜糸)のことね」とガッテン。

 文化が異なると読み方も違うなぁと妙に感心した覚えがあります。

 ちなみに、自分が非常勤で勤めているその病院からはお給料をもらっていません。そう、つまり今話題の無給医! やったぁ、タピオカ並みの流行に乗ったよ!(白目)

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2019
08.08

ムスカの気持ちがよく分かる

 7月末からウイルス性の角膜炎になってしまい、羞明(光が眼に染みる)と視力低下に悩まされています。初期は羞明がひどくて、パソコンの画面もダメ、本の白いページも光を反射してダメ、目玉焼きの白身だってダメ、という状況でした。ここ数日はだいぶ楽になっていますが、サングラスはまだ必需品。視力低下は著しく、矯正視力が1.0から0.1にまで落ちてしまいました(裸眼だと0.02)。

 皮脂がびっしりと付いているメガネをかけて世界を見ているかのようです。いや、困った困った。電子カルテも見えず、患者さんの表情も分からず、もちろん本も読めず。仕事になりませんわ…。

 メールやブログ記事はパソコンの画面を超拡大すると打てるのでまだ良いのですが、他の活動は封じられています。眼科の先生からは「ちょっと時間かかりますよぉ」と言われています…。でも昨日より今日の方がまだ視野が晴れている気がします。やっと改善してきた…?

 これを理由に仕事を休みたいんですけど、やっぱり無理ですよねぇ。でもホントに外来に支障が出ていて…。サングラスかけながら診察するわけにもいかんし。むむむ。
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2019
07.28

お金という現実的な問題

 この前ですね、「おっ、これは」という副作用があったので、症例報告(ケースレポート)でもしてみようかな?と思ったのであります。副作用自体はまったく珍しいものではないのですが、そこに至るまでの経緯がおもしろい(と表現すると不快に思われるかもしれませんが)ので、そこをクローズアップすると行けるかなぁ、どうかなぁ、という状態。「確かにありえるなぁ」と医療者に知ってもらえれば、より安全な医療に繋がりますし。

 症例報告をする雑誌にはどういうのがあるか調べてみたのですが、ちょっと前とは事情が変わっていますね! 自分の知識では「症例報告を取り巻く環境は厳しくなってきたのかしらん」という印象でした。例えば雑誌のauthor guidelineを読むと、インパクトファクターを重視するところは「○○年からは症例報告は扱わないことになりました」的な記載が多く、あとはLetter形式でのみ受け付ける、とか。しかし、今回調べて「へー」と思ったのは、症例報告専門の雑誌ができている!しかも複数!という点。BMJが『BMJ case reports』という雑誌をつくったのは知っていましたが、そのほかにもいくつか。しっかし、この"BMJ"という枕詞が何ともこう、医者の自己愛をくすぐると言うか…。

「BMJ(case reportsの方だけど)に載ったよ!」

 と言いたくさせるのです。あれですね、仮に同じ品質でも「エクアドル産カカオ使用」と書いてあったら何だか美味しそうに見えますし、ケーキも「ベルギー産チョコレート使用」とあれば高級に感じるのと大して変わらないのかも?

 それはそうとして、症例報告を専門にしていたり積極的に扱っていたりする雑誌の多くはオープンジャーナルなのですが(BMJ case reportsはちょっと違います)、これには


掲載にお金がかかる!


 のです。論文1本につき日本円換算で10万円ちょっとが相場でしょうか(高いところはすごく高い)。研究室に所属していたらお金を出してくれるので個人はそんなに悩まないかもしれませんが、それでもばんばん出すのはできないですし、自分は研究なんてしていない民間病院の勤務医なので、出すとしたら自腹…? それはちょっとなぁ。。。いくらなんでもきっついわぁ(本音)。

 しかも、報告してみようかな?と思った今回の件も、みんなが「おぉっ」と思ってくれるかと言えばそうでもない。個人的に「おっ」と思ったレベルなので、雑誌に掲載されるかどうかそのものもビミョー。症例報告は、基本的に超絶レアなら通りますし、そうでなくてもちょっと珍しいことがいくつか重なる場合も(掛け算形式で珍しさアップ)通りやすいでしょう。かつ、その事例が一般化できれば得点アップです。でも今回のは探せばどこにでもありそうだしなぁ、みんな報告してないだけだろうなぁ、とも思います。でも個人的には面白いんですよ(繰り返し)。

 いちおう書いてみて、でもってお金のかからないところを探して出すだけ出してみて、ダメだったら日本語の雑誌にするか…? 患者さんからは同意を快く頂いているのですが(感謝)、実際に書く段階になったらもう一回聞いておきます。

 書かないでそのままっていうのもねぇ、良くないよねぇ。でもお金かかるのはなぁ、個人には痛いよねぇ。という、そんなところでふらふらしています。
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2019
07.22

ノンパラGO

 統計の基本ですが、データの平均値をとるか中央値をとるか、解析はパラメトリックかノンパラメトリックか、という話題があります。正規性の分布であれば平均値・パラメトリック、そうでなければ中央値・ノンパラメトリックを、と言われていますね。自分は中央値LOVEでして、正規性と思えないデータで平均値を用いていたりt検定されていたりする論文を見ると、「あ~中央値を見たい!」という衝動に駆られますし、「何でこんな統計ガバガバ論文がアクセプトされて自分のは…」と恨みがましく思ってしまいます(こころが狭い)。この前の精神神経学会総会のポスター発表も、多くが平均値とt検定を採用していました。nが少ないし明らかに非正規分布なのに…。自分は意地悪なのでふたつの発表に対して「平均値を使ってパラメトリックにしたのは何か理由があったんですか?」と聞いてみたのですが、お返事は「中央値も考えたんですが…」とはっきりしないものでした。もはや "中央値おじさん" もしくは "ノンパラおじさん" と言われそうな勢いです…。発表する・論文にするのであれば、この統計を選んだ!という理由をビシッと述べられると良いですね。

 そんなこんなで自分は論文で中央値・ノンパラメトリック手法を用いたのですが、書く際に大学の統計の先生に確認してみたら


「nが30以上なら、平均値にするか中央値にするかは好みの問題」


 と言われてしまいました…。正規性の検定もあまり役に立たないそうで。しかし!しかしです。個人的には好みの問題とは思えず、原則として中央値を採用すべきだとは思っています。NEJMやNatureやScienceといった名だたる雑誌も「正規分布でなければノンパラメトリックにしようね」と言っています。「でもノンパラメトリックだと有意差が出にくいんじゃない?」と思われるかもしれませんが、決してそうとも言えないようです。新谷歩先生が講演で実例を示していましたね。

 というか、そもそも有意差を出すために統計を使うのではいけません。有意差が出るかどうかは分からないけれども、得られたデータが正規分布ならパラメトリックな手法(ノンパラメトリックでもO.K.)、非正規分布ならノンパラメトリックな手法を使うべきなのです。それが正しい姿勢。どっちもやってみて有意差が出る方を採用するなんていうのは、絶対にやってはいけないこと。そりゃあ、出たほうが格好もつくんですが…。

 そんな平均値と中央値、パラメトリックとノンパラメトリックですが、前者についてちょっと自分の論文の基本データを材料にしてみます。口腔顔面領域の非器質性疼痛に悩む患者さん48人。年齢と病悩期間を平均値と中央値のそれぞれで表してみましょう。

患者さんの年齢(平均値±2SD):62.5±24.6歳
患者さんの病悩期間(平均値±2SD):43.4±135.8ヶ月

患者さんの年齢(中央値 IQR):66.0歳 [53.8–70.0]
患者さんの病悩期間(中央値 IQR):21.0ヶ月 [11.0–37.0]

 なんと、年齢は3.5歳異なり、病悩期間に至っては22.4ヶ月、2年近くも異なるのです!!!

 これはですね、平均値は極端な値、特に外れ値に引っ張られてしまうという問題点があるのです。例えば、年齢でもめちゃくちゃ若い患者さんがちょっといたらそれだけで平均値は下がってしまいます。上では病悩期間が大きく異なりますが、これは数百ヶ月という、とてつもなく長い患者さんがいたため。これによって平均値がぐぐっと押し上げられてしまいました。特に病悩期間の43.4±135.8ヶ月なんて、データに歪みがあることを端的に示していますね(43.4-135.8はマイナスとなりあり得ないことになっています)。ニュースでも話題になる "日本人の平均年収" も、中央値よりも60-70万高くなっています。これはめっちゃくちゃ稼ぐ人がおり(やわらか銀行の孫さんとか、ユニ苦労の柳井さんとか)、正規分布になっていません。稼ぐ彼らの存在が平均値を上げてしまっているのです。中央値は外れ値の影響を受けづらく、より実情を示してくれます。


「じゃあさ、外れ値を除けばちょっとマシな形になるんじゃない?」


 というご意見もありますが、もうそれは「やってはいけないこと」と思いましょう。測定ミスをして「これは明らかに違うな」というデータなら弾いても良いのですが、そうだという確証がなければ、やっぱりそれは患者さんのデータです。それを弾くのはデータに手を加えることになるのです。

 自分の論文ではサイトカインを調べたのですが、サイトカインってほとんどの患者さんが低い値であるいっぽう、異様に高い値を示す患者さんがちらほらいるんです。でもそれも大事なデータ。やたら高い/低い値を示したからと言って弾いてしまうのは、いかがなものか。しかも、外れ値を見つける計算も1つではなく複数あり、それによって弾く弾かないが変わります。「これを弾けば良いデータになるのに…」という場合もあり、その時に魔が差して弾くのは、捏造です。特に論文の捏造に関しては "STAPありまぁす事件" 以降かなり厳しく見られます。きれいな正規分布でない場合、平均値だと外れ値の扱いについて疑義が残り、弾くことが恣意的だとも受け取られかねません。であれば、外れ値を弾かなくても良く、そしてその外れ値による影響を受けてデータが正確でなくなることも防げる中央値を用いるのがスジってもんでしょう。

 世の中の研究で、正規性を担保できるものってそうそうありません。非正規と考えるのが無難というか現実的。となると、解析もノンパラメトリックな手法の出番が多くなるでしょう。新谷歩先生は、正規分布でも中央値・ノンパラメトリックな手法を用いるそうです。

 ということで、中央値とノンパラメトリックの重要性のお話でした。この辺りの基本を知って、統計の一歩を踏み出したいものですね。
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