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2019
06.04

ちょっと処方してみたい?

 後輩から「先生、ハチミツって処方できるの知ってました?」と聞かれました(いきなり)。幸いなことに少し前に読んだ『症状でひらめく こどものコモンディジーズ』(メディカ出版)にそのことが書かれていたため


自分「あ、ハチミツね。そうそう、そうなんだよ」


 と、さも以前から知っていたかのように答えたのであります(?)。しかし、後輩くんは自分の付け焼刃を知っているかのように、ひとつ上の質問をしてきました。



後輩「さすがですね、先生。でも赤ワインも処方できるって知ってました?」




さすがにそれは初耳だなぁ… (ですよねぇ…)




 驚きを隠せない自分。してやったりの後輩。実に対照的でした。


自分「えっ、赤ワイン!? あのワイン?」
後輩「そうなんですよ、あのワインです」
自分「え~、ワインかぁ」
後輩「ワインですよ。何なんでしょうね」
自分「ね~、何なんだろう。まさかワインとはねぇ」
後輩「ワインですもんね、まさかですよね」


 まったく実りのない会話になっていますが、それだけ驚いたということで。どちらも精神科なので、応答が下坂幸三先生の "なぞって繰り返し" になっているのはご愛敬(職業病)。後輩くんはなぜそんなことを知っているのかというと、何やらネットでその知識を得たそうです。インターネット怖い!

 このワイン、"その他の滋養強壮薬" として、 "日本薬局方 ブドウ酒" という名目で収載されており、組成を見てみると

本品1mL中に日本薬局方ブドウ酒1mLを含む。
本品はブドウVitis vinifera Linne'(Vitaceae)又はその他の品変種の果実を発酵して得た果実酒である。
本品はエタノール11.0〜14.0vol%及び酒石酸0.10〜0.40w/v%を含む。
本品は酸化防止剤としてピロ亜硫酸カリウムを含む。
本品は合成甘味料及び合成着色料を含まない。

 なるほど、度数は11度程度か。と言っても自分はお酒を飲めないのでよくわからないというのが実情。どうなんでしょうね、薬局方のワインって。ぜひここは神戸大学医学研究科感染治療学分野教授でもあり日本ソムリエ協会認定シニア・ワインエキスパートでもある岩田健太郎先生にテイスティングをしてみていただきたいところ。ちなみに薬価は10 mLで20.9円だそうです。高いんだか安いんだかまったくもって不明。

 しかも効能・効果がやばかった。


【効 能 ・ 効 果】 食欲増進、強壮、興奮 下痢 不眠症 無塩食事療法


 なんとなんと



不 眠 症 !



 寝酒推奨かよ! ダメでしょ、こんなん…。別の適応の "興奮" っていうのも、べろんべろんに酔わせて鎮めるのかしら…。なかなか面白いものが保険収載されていますね。

 ということで、みなさま、お酒を飲んで寝るのは辞めましょう。ずっと浅い眠りで脳の疲れが取れませんから…。
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2019
05.27

学会は気が引き締まる、かも

 2019年の6月は、なんと精神神経学会の総会に行ってきます。もちろん(?)発表するわけではなく、開催地が新潟市だからというのが主たる理由。



新潟大学が母校なもので…



 こういうのがないと、新潟ってねぇ、ま、行かないですよね…。だからといって観光するわけではありませんよ。しっかりと講演を聞いてきます。自分は専門医ではないので、ポイントを気にせず聞きたい講演を聞けるのでした。ま、そもそも新潟に観光名所があるかと言われるとゴホンゴホン…。

 新潟は卒業以来一度も行っていません。いない間に大和デパートもなくなりラフォーレ原宿新潟もなくなり日本海タワーもなくなりレインボータワーもなくなり伊勢屋もなくなりひさごもなくなり何とセーブオンもなくなり(39円アイスが…)。2020年には新潟三越もなくなるそうで…(もはや古町がヤバい状況だ)。よし仙は生き残っているのかな? あそこの豆大福は小さくて食べやすくて好きでした(美味しいし)。あ、あと新潟駅に入っていたゲーセンもあるのかしらん。昔はよくそこでヌイグルミを乱獲していたものだ…(遠い目)。プラーカも息してるか?

 ちょっと新潟の空気を吸って、昔を思い出しながら学会に参加しようと思います。時間があれば清水フードをちらりと見て、白山神社にお参りに行って、あわよくばポッポ焼きを、と目論んでいます。クスリのコダマではまだポケットティッシュを配っているのでしょうか。お夕飯はみかづきの(さして美味しくない)イタリアンにしようかなぁ。新潟といえば日本酒ですが、自分はお酒を飲めないので興味なし。でも越乃景虎はちょこっと飲んだことあって、あれはスッキリしていて良かった記憶が。でも結局飲みきれなくて高級な料理酒に変貌しました。

 新潟大学医学部の周辺は、何と住所が”医学町”という名前でして、結構珍しいなと今になって思っています(医学部そのものは旭町通にあるのですが、その周囲が医学町なのです)。すごい呼び名ですよね。医学部と一緒につくられてきた町なのでしょう、たぶん。

 そういえば、以前に「学会なんて何の意味があるのか…」という内容の記事を書きましたが、その舌の根が乾かぬうちにてんかん学会に行き、まとめて勉強するには良いなぁと思いを改め、即撤回したのです。そして、参加するうちに 




自分の完全な上位互換がゴロゴロいる




 ということを思い知るにも、学会は大事なのだと感じました。一人で勉強していると、自分がどの辺りにいるのかが全然見えなくなってしまって、ともすると診察や治療も変な方向のまま誰からも指摘を受けず…になりがち。学会は、他の人の考えに触れる良い機会だなと思います。以前と意見が全く変わってしまった。
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2019
05.18

さあどっち!?

 ドラゴンクエストのCG映画が公開されるようで、しかもドラクエVを題材にするとのこと。ドラクエVの主人公は作中で最も過酷な人生を歩んでおり、映画にしやすいのでしょうね(注1)。幼少期に父親のパパスを目の前で失い(しかも燃やされて)、そして10年くらいの奴隷生活、からの8年の石像生活。ラストはハッピーだったので報われたなぁという印象。というか、それ以前にパパスが王だった頃から召使いのサンチョがずっと生きていて主人公の子どもが10歳になってもピンピンしていたって、どんな化け物なんや…? ある意味ラスボスか。

 さて、そんなドラクエVですが、何と主人公の結婚相手を2人から選ぶという、今思えば範馬勇次郎が敗北するほどにあり得ないシチュエーションがあります。自分はSFC版しかプレイしていないので、選択肢は姉御肌のビアンカ、そしてお嬢様のフローラ。

 子どもだった当時は迷わずビアンカを選びました。フローラはちょっと登場の仕方が唐突で、主人公が一目惚れをした(はず)ところに感情移入できなかったのです。強制的に死の火山に行く羽目になるし…。「あれ?」という感じで物語が進んでいってしまったのを覚えています。でも今なら「フローラは富豪のルドマンの娘さん…。富豪の、富豪の、富豪の…」ということで、腸内フローラさん!(おい)



もう完全に夢もロマンもないやね…(注2)



 ビアンカは言葉の端々に重さを感じると言うか何と言うか、子どもの頃はその間接的なところが良かったのですが、まぁ、うむ、長年暮らすことを想像するとやっぱりね…。

 このビアンカ対フローラは永遠のアポリアと言っても良く、また”きのこたけのこ戦争”に類するほどに派閥の和解が生まれません。でも、擦れっ枯らしの大人目線ではなく、子どもの頃だったら多くのプレイヤーはビアンカを選んだのでは、と推察しています。

 そのビアンカを選ぶ”象徴”として記憶に残っているのは、結婚相手を選ぶ(つくづく羨ましい)前夜の出来事。

 主人公がビアンカが泊まっている部屋に行くと、ビアンカは起きており


ビアンカ「私はもう少しここで夜風にあたってるわ。なんだか眠れなくて…」


 というセリフ。そして、ルドマン邸に赴きフローラの部屋に行くと、フローラはベッドに横になっており、話しかけると


フローラはよく眠っているようだ


 と出るのです。

 この出来事で、在りし日の自分は意外に繊細だったビアンカの方にぐぐっと向いたわけなのです。しかも設定からして幼馴染で久々の再会であること、父親の介護をしていること、などがあり、エニックス側も「ほれほれ、再会したビアンカかわいそうやろ。選んであげぇや」と言っているようなもの。これは治療者の救済者願望をくすぐる治療関係…ッッ! しかもフローラと結婚した場合、フローラはAIで動くのでプレイヤーが戦闘中に操作できないというデメリットも存在します。覚える呪文はイオナズンがあるから優れているんですけどね。かつ、どちらかと結婚した場合の、もう一方の生活を見てみると…。ビアンカと結婚したらフローラはアンディと結婚してめでたしめでたしなのですが、フローラと結婚したらビアンカはさびしく父親の介護(現代社会の問題ですよね…)。幸いなことに介護の甲斐あって父親は徐々に復活してくれます。良かった良かった。

 これは結構アンフェアな条件ですね、今振り返ると。フローラと結婚した場合、ルドマンから贈り物として2000Gと水のはごろもをゲットできますが、臨床試験として比較するにはビアンカに有利にあらかじめ組まれていると考えて良いでしょう。これは粉飾の疑いあり…?(注3)

 でも、今になってちょっと思うことがあるんです。あのフローラのぐうぐう寝ている様子。あれは



寝たふり…?



 ビアンカのことを知って、自分の恵まれた境遇と比較する。そうすると、フローラは主人公にビアンカと結婚してもらいたいと考えるようになり、それを誰も傷つけないように、誰にも知られないように、寝たふりという振る舞いで主人公をビアンカに向かせたのでは…???



フローラ、できる子…ッッ!



 そういう頭で考えると、前夜にフローラへ話しかけた時の「フローラはよく眠っているようだ」という表記が気になります。



よく眠っている”よう”だ



 seem to なのです…ッッ! おいおい、こりゃあどうするよ。そこまで、そこまで考えていたのかエニックス!

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1) 個人的にはドラクエIVの勇者も、幼馴染のシンシアをデスピサロに殺されて(しかもモシャスで身代わりになって)、仲間が揃うまでのフィールド上のBGMが寂しげな感じも相まって、結構つらいランク上位(はねぼうしは売らない!)。エンディングでは生き返ったのでしょうかね、それともあれは勇者の想像だったのでしょうか。
2) いや、仕事しなくて良いという夢はあるのですが。
3) アブストラクトだけ読むと気づかないパターン。
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2019
04.14

患者さんは先生ではない

 おエラがたの本を読んでいると

「患者さんは私に色々なことを教えてくれた先生です」

 というような内容のことが多々見られます。確かに自分も「そうやなぁ」と思っていた時期もありました。しかし、今は「本当にそうなのだろうか…? 患者さんは医者の”先生”なのだろうか…? そんなキレイゴトなのだろうか…?」と疑問を持っています。

 少し前にも記事にしたことですが、”先生”は生徒に対して様々なことを教えてくれます。古典的には人徳者であり、お手本のような存在。そして、その先生というのは



傷つかない存在



 です。子どもに対する大人であり、子どもが卒業するまで変わらない姿で教えてくれるのです。そして、子どもたちはその教えを糧に成長し、また折りに触れ当時のままの先生を思い出すでしょう。絶対的、は言いすぎかもしれませんが、まさに傷つかないのです。

 しかしながら、実際の患者さんはそうではありません。確かに医者に様々なことを教えてくれ、それは何ものにも代えがたい経験。それによって成長するというのも然りです。しかし、しかしです。患者さんは



傷つく存在



 なのです。医者に教えてくれますが、それは身を挺してと言って良いでしょう。患者さんと接することがなかったら医者として成長することはないと断言して良く、そしてそれは成長以前の医者によって患者さんが傷つくことでもあります。

 部分的に患者さんは死んでしまうのであり、グロテスクに例えるならば医者はその血を啜り肉を喰らって大きくなる、とも言えるのです。自分自身にも当てはまりますが、レジデント時代の患者さんがたを振り返ってみると、今ならもっとうまく治療できたのではないか、あの患者さんは仕事を辞めずに済んだのではないか、もっと早く復職できたのではないか、寛解できたのではないか、などと後悔します。今なら、でなくとも、当時の主治医が自分でなく上級医であれば、もっとうまく行ったでしょう。今でもそうで、なかなか改善していかないうつ病患者さんや引きこもり患者さんを診ていると、他の先生なら…と自分の能力の低さに打ちのめされます。そう、患者さんは明らかに不利益を被っているのです。それは傷つき以外の何だと言うのでしょうか。

 患者さんを先生と形容することは正しくありません。傷つき倒れてしまう存在であり、それはしかも自分たち医者によって傷つけられているのです。医者によって血肉を喰われる存在なのです。”先生”と表現するのは、それを否認する機制が働いているのだと思われます。自分を含め医者はそのことにしっかりと直面する必要があるでしょう。

 繰り返しますが、”先生”という、そんな生易しいものではありません。自分たちが傷つけているということを、自分たちのスキル向上は患者さんの犠牲のもとに成り立っているのだということを、医者は理解しておかねばなりません。であるからこそ、ひとりの患者さんから得られるものを無駄にしてはならないのです。そこを通して、尊厳というのは生まれるのだと思っています。まさに患者さんのいのちを”いただく”ことで、そのひとりひとりのいのちが私たちの診察態度や治療技術や手技に宿っている、と言えるでしょう。また、医者はそれを宿すように努力をせねばならないのです。「患者さんに寄り添う」や「患者さんから学ぶ」などという独善的な言葉を軽々しく言うべきではありません。自分たちは患者さんを傷つけ部分的には殺し、それを養分として育つのです。その面を認識せねば、どんなに綺麗な言葉も、冬の乾いた風のように、さびしく吹いてどこかに消えてしまうでしょう。部分的にいただいたいのちを、また明日会う患者さんのために大事にし、また後輩にも教えていくことが医者の最低限の礼儀なのだと思います。
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2019
04.09

これは私の出番ではないか?

 週刊医学界新聞、というのがあります。webで公開されているので、医療者のみならず、誰だって閲覧可能。

 それには毎度毎度おもしろい記事があるのですが、2019年4月8日号がなんと



私の医学部浪人物語



 というものでした。内容は

・医学部入学までの経歴と,医学部にこだわった理由
・浪人時代の印象深いエピソード
・浪人して良かったかも?と思うこと
・浪人生へのメッセージ

 というもので、読んで「浪人の数だけドラマがあるなぁ」と思いましたが



浪人と言えばまさに自分が適役ではないか…?



 と思わなくもなく、なぜ自分がこれにお呼ばれされていないのか!?(いやいや…)

 しかしながら、ここに出ている先生方は立派すぎて、自分なんかが出る幕ではなかったのでした…。いやもうまぶしすぎて、予備校ウラのゲーセンに行ってたとか、勉強は1日3時間もすれば満足してたとか、ラジオを聞きながら勉強していたはずが、勉強しながらラジオを聞くようになって、結局は手を止めてしまっていたとか、そんなん書く人がいたら浮きまくりですよね…。いや、しかし一人くらいはこういうゆるゆる系がいても良かったのでは…?(罵倒されそう)

 みなさん「聖人君子かよ!」というような、そのお顔を見たら拝んてしまいたくなるような先生方なのです。今現在浪人で頑張っている人や浪人を経験してモヤモヤしている人にはとても励ましになる内容。しかし、もっとこう、地方病院の吹き溜まりで悪態をついているような、そんな輩の意見もあっても面白かったのでは、と。うーん、でも攻め過ぎかそれは。

 さて、この寄稿特集の中の”浪人して良かったかも?と思うこと”という項目は残念ながらまさに生存者バイアスがかかっています。浪人しても医学部に合格できなかった人たちの声はもちろんありませんし、この寄稿をしている先生方は、繰り返しですがとてもご活躍されている超人。さらに、こういう媒体に書くということで、ちょっとキレイゴトになっている可能性もあるでしょう。擦れっ枯らしの医者でかつ内輪の飲み会の席での発言を録音していたら、果たしてどんな言葉が出ていたか…。自分だったら「浪人かぁ、しちゃったもんはしょうがないよねぇ」と書いてしまいそう。

 浪人した自分としなかった自分とで比較試験ができないので、「浪人してどうだったか」というのは、その後の医療者人生の中で自らが意味付けをするものでしょう。だからこそ



「しちゃったもんはしょうがないから、後から振り返って、浪人してでも医療者になって良かったなと思えるような人生にしたい」



 と思うのです。それによって初めて浪人生は蜘蛛の糸をつかめて救われるのだ、たぶん…。
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