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2018
07.28

ケアをひらきましょう

Category: ★本のお話
 医学書院さんの個性的なラインナップに『シリーズ ケアをひらく』というのがあります。どれもこれもエッジが効いているというか何というか、バラエティにも富んでいますし、読んでいて素直に面白い!のです。この "素直に面白い" という感覚って結構大事だなと思っておりまして、そういうシリーズをバンバン出してくれるのはとてもありがたいですね。そしてその多くは専門的な知識がなくても大丈夫。

 このシリーズは全部読んで!と言っても良いのかもしれませんが、優先順位として精神科医、特に若手の先生にまず読んでほしいものが、中井久夫先生の『こんなとき私はどうしてきたか』と、小澤勲先生の『ケアってなんだろう』の2冊です、個人的に。

 前者は、言わずとしれた大御所・中井先生の本。優しい (易しい) 文体ながらも中井先生の真骨頂とも言うべき内容が随所に入っています。特に患者さんに対しての言葉の使い方、セリフの言い回しなどがいきいきと語られており、中井先生の本の中でこれがいちばん実践的なのではないか…?とも思います。この本は別に自分がお勧めしなくても精神科医であれば読むものでしょう (圧迫)。

 後者は、認知症のケアで有名な小澤勲先生。2008年、すなわちこの本が出版されてから2年後に70歳で亡くなっていることもあってか、最近の若い精神科医の中には小澤先生を知らない人も多く、ちょっと残念。自分は学生の頃に神経内科の教授から岩波新書の『痴呆を生きるということ』『認知症とは何か』という本を勧められて読んで「こんな先生がいるんだ…!」と衝撃を受けた記憶があります。その中に超カッコいい言葉がありまして



"痴呆の悲惨と光明をともに見据えるために、また、生と死のあわいを生きるすさまじさと、その末に生まれる透き通るような明るさを伝えるために、この一文を書く。彼らに少しでも報い、彼らの思いを世に伝えるために"



 この熱さが何ともたまらないのです (自分も若かったので、強烈に印象に残りました)。そして、その神経内科の教授に対しても「いつも訳わからん感じだし学生に対して厳しいし何なんやろな」と思っていたのですが、「こういう本を学生に勧めてくれるなんて、この先生はやっぱり患者さんのことをしっかりと思っているやなぁ」と反省したのであります。この場を借りて謝罪を (遅い)。

 この『ケアってなんだろう』という本の中でも小澤先生は "自分たちの出来ることはごくわずか、でもそれをしないわけにはいかない" という内容のご発言をされていて、常に臨床家として生きていた情熱を感じずにはいられません。しかしながら、その情熱さだけであれば、辟易してしまうこともあるでしょう。振り回されてしまうこともあるでしょう。小澤先生は冷静さをも併せ持っており、例えば『ケアってなんだろう』の "そもそも他者の「物語を読む」などというのは、僭越で傲慢なことです。「物語」が忘れたい思い出にふれると、傷つけてしまうこともあります" という文章にそれが現れています。物語を読むのは、少しだけやさしくなるためなのです。それ以上の介入は "腹を探られる" ことになるでしょう。ナラティブナラティブと声高に叫ぶ人たちを見ると、ちょっと自分は鼻白んでしまいます。

 この『ケアってなんだろう』は主に対談集ではありますが、小澤先生の認知症患者さんとの関わりの総まとめ的なものであり、小澤先生の入門、というか精神科医療の入門としてぜひ読んでいただきたいなぁと思います。認知症に限らず、精神疾患を持つ患者さんへの接し方の大きなヒントになってくれるのではないでしょうか。滝川一廣先生とともに、自分のあこがれの先生でもあります。できれば一度お話を聞いてみたかった。

 自分は精神疾患の患者さんを診る時、"症状は苦しいものであるけれども、患者さんが何とかそれで頑張ってやって来た証でもある""患者さんなりにこの苦しい世の中を生き抜いてきたのだ" という目線を持つように心がけています。そして、その苦しさでまた生きていかねばならない患者さんに対していくばくかのお手伝いをするのが医療者の役割なのだとも思います。一人ひとりの患者さんに対して、どのようなお手伝いが良いのかは具体的であり一般に還元されないものでしょう。「こうすればうまくいく!」というわけにはいきません。オーダーメイドのものを患者さんと一緒に悩んでつくっていく、もしくは解決がなされず悩むだけかもしれません、でもそのような一緒に何かをするという過程がケアには大事なのかもしれない、とも考えます (流行語で言うとネガティブ・ケイパビリティでしょうか)。「一人で悩むより二人で悩もう。その時間の積み重ねは無駄にはならないし、うまく行けば希望につながるかもしれないよ」という気持ちにもなってきます。小澤先生の本を読むと、根本的な解決の見えない状況でも何とかこらえてやっていこう、そんな気持ちになれます。

 このシリーズはどれもこれも「なるほどなー」と思わせるもので、最近ですと國分功一郎先生の『中動態の世界』も素敵なのですが、これは専門的な知識がちょっと必要かもしれません。この中動態は精神科と相性が良いような気もしますね。受動と能動との "あいだ" で、私と患者さんとの思いは色づいていくのでしょう。
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2018
07.05

てんかんフェア開催

Category: ★本のお話
 以前、腎臓フェアを開催したという記事 (コチラ) を書きました。初見のかたは「???」と思うでしょうけれども、自分はたまに「〇〇フェア」と銘打って、その領域の入門的な教科書などを買って読むということをしています。要するに期間中はその領域の勉強に集中するよということでございます。

 腎臓フェア以外も英語論文の書き方フェアとか北山修フェアとか山口誓子フェアとか、種々の範囲のものを繰り広げていました。残念なのは、ここ5年くらいでめっきり記憶力が落ちてしまい、フェアで覚えた知識が期間後はどんどん失われていっているという点。以前は自分の部屋の中のどこにどんな本があるかほぼ把握していたのですが、今は見る影もなく…。本が足の踏み場もないくらい床に置かれていても大丈夫だったのに。本の二度買いも増えました。「お!」と思って買って読むと、後半あたりで「あれ? これってどこかで読んだような…?」と気付き、自分の部屋の本棚や床をくまなく探すと、その本が出てきます…。しかも同じ部分に線を引いているし。いよいよもって認知機能を心配する時が否応なくやって来て、家族からも心配される日々。果たして大丈夫なのか。この前アップした "withです" というタイトルの記事も、以前に同じような内容の記事を書いていたことが後で発覚し、だいぶピンチ。

 色々と嘆いても仕方がないので、今回は「てんかんフェア」を開催したのであります。去年からはてんかん学会にも所属し、そして今年からは勉強会にも参加するようにしています。その勉強会ではビデオ脳波モニタリングの映像も見せてくれるので、いい経験になっています。ただ、やはり新米ぺーぺーでして、難しい本は理解するのに時間がかかる。しかも脳波が苦手で読めないし…。だから症状の聞き取りにステータスを全振りするくらいのつもりで勉強。精神科でてんかんそのものの治療って今はあまりしないのですが、精神症状の中にはてんかん発作によるものもあり、誤診は避けたいものです。

 てんかんの本では、メディカ出版さんから出ている中里信和先生の『ねころんで読めるてんかん診療』が初学者向けには良く、そしてどのような科の医者でもマストなのが、医学書院さんから出ている兼本浩祐先生の『てんかん学ハンドブック』でしょう。これはやはりベースに置きたい。

 そのうえで、今回買ったのは

金方堂さんから出ている川崎淳先生の『トコトンわかる てんかん発作の聞き出し方と薬の使い方』
医学書院さんから出ている吉野相英先生監訳の『てんかんとその境界領域』
南山堂さんから出ている池田昭夫先生・松本理器先生監修の『症例から学ぶ戦略的てんかん診断・治療』

 の3冊。

 『トコトンわかる~』はとっても分かりやすくて、それもそのはず、若手精神科医を対象にした勉強会の内容が基になっているのでした。「てんかん、よう分からんわぁ」という精神科医のアナタ!にお勧めできる内容なのです。もちろん精神科医でなくとも初心者にはピッタリ。

 『てんかんとその境界領域』はガチの内容。これは一定以上勉強した人向けだと思いますが、読んで損は全くありません。鑑別診断を熟知するために必須の本とも言えるでしょう。精神科領域でも外せないものがたくさんあります。鑑別診断でここまで詳しいものって珍しいのではないでしょうか。

 『症例から学ぶ~』はシリーズ化しており、片頭痛や認知症や慢性疼痛などがあります。このてんかんも症例ベースで、今まで勉強したことを組み立てて想像しながら読めるので、とても面白いですよ。

 そして、大事なのが発作を目で見て覚えるということ。文章だけだとやっぱりイメージが湧きにくいのです。製薬会社との癒着か!と怒られてしまいそうですが、大塚製薬さんから発作をまとめたDVDを (ねだって) もらいまして、それがとても役に立っています。『てんかん発作症状Library』というものでして、発作といっても患者さんの発作そのものを録画したわけではなく、役者さんが演技をしたもの。とはいえ、自分のようなレベルでは本当の発作と違いを見抜けないくらいにすごく良く出来ています。上記の中里先生監修であり、手に入るのであればGETしたい代物。

 しかしながら、こうやって勉強したこともすぐに忘れてしまうので、フェアが終わった後もちらちらと再読しないと大変な目に遭ってしまいます。年をとるのは怖いですねぇ。読んだ内容をまとめるのも良いかもしれませんが、改めて読み直すと以前は気にしなかったところに「おっ」と思うことも多々あります。まとめてしまうと、以降はそれしか見なくなるかもしれず、新たな発見の機会を失うのかも、と感じてもいるのです。でも読み直すのも結構しんどいのですが。

 あ、今回は小児のてんかんを除いています。一般精神科外来で小児のてんかんを診るのはかなり稀な出来事なので。
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2018
05.08

若手医師にこそ読んで欲しい

Category: ★本のお話
 少し前にも紹介した、医学書院さんから出ている中井久夫先生の『看護のための精神医学』。看護師さん向けですが、精神科医になりたて~少し経ったような若手医師にも読んでもらいたい、と思うのです。

 紹介した際にも引用した以下の名文。


看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。


 看護師さんにとっては希望の文だと思います。挫けそうになった時、この言葉に救われたというかたもいらっしゃるのではないでしょうか。でもこれを前面に出すと「看護は絶対善である」と勘違いしてしまうかもしれないので注意をしてください。善というのは相手が善だと思って初めて善になります。こっちが善だと思っていても、相手からすると ”ありがた迷惑” になるかもしれません。手当てというのは看護の原点でしょうが、不用意に手を当てることは、患者さんの痛みを強くしてしまうこともあるでしょう。中井先生の名セリフはそっとこころに仕舞っておいて、疲れた時や大変な時にちょっと思い出して、やわらかい明かりを灯す感覚でいるのが良いのだと思います。この文を看護の優位性と勘違いしてはいけません。看護師さんが「私たちは、医者に出来ないことをしているのよ!」と声高に叫んだ時点で、それは傲慢へと転がり落ちるでしょう。この言葉を間違って使ってほしくはないなぁと思うのです。

 そして、これは医者も銘記しておくべきではないでしょうか。若手医師はちょっと仕事に慣れてくると妙な自信を持つようになります。それは大いなる勘違いなのですが、その自信はともすると医者以外の医療従事者を下に見ることにもつながりかねません。「オレが治しているんだ!」という、井の中の蛙な状態ですね。そうなってしまうと、その態度は他の医療従事者に伝わり、彼らの態度もまた硬直化してしまいます。それがさらに医者に伝わり、一匹狼的な様相を呈し誰も近づかなくなる…。まさに悪循環。

 そんな風になってしまう前に、看護は医者のなす狭い医療が持たないしなやかな強さを有しているのだ、というのをこの本で学んでもらいたい、そう思うのです。 "看護のための" 精神医学ではありますが、それは同時に広く "医療のための" 精神医学でもあると感じています。薬剤の効果が乏しい患者さんはいくらでもいます。その時、「オレが!」というタイプの医者は「薬が効かないんなら何したってムダ」と見切りを付けてしまうかもしれませんが、そうならないようにこの文を思い出すべきでしょう。星野弘先生の『分裂病を耕す』(最近 ”新編” として出版し直されましたね)を読むと分かるかもしれませんが、本当に地道なんです。特に統合失調症患者さんとは、侵襲を与えない人として接し、ゆっくりと孤立を緩和していくことが大切なのだと再確認できると感じています。確かに、今の精神科では外来で1日数十人診て、抱えている入院患者さんも数十人、その中には急性期の患者さんも多いでしょう。そんな中ではなかなか慢性期の患者さんに割ける時間は多くないのが実情です。でも何とか少しでも安心できる関わりを増やすことが出来れば、それは治療的に働くのだと思います。そして、その関わりは看護の理想形に近くなるのでしょう。薬剤が効く入院患者さんであっても、医者だけが治している・薬剤だけが治しているのではありません。看護師さんがどれだけ患者さんの状態をチェックしてくれているか、ちょっとした話を聞いてくれているか。私たち医者は患者さんと実際に関わる時間はとても短いのです。多くの時間は看護師さんが患者さんとのつながりを保ってくれている、そこを知らねばならないのだと思います。

 医者にとっては自分自身の限界をしるための自戒として、看護師さんにとっては辛い時の希望の光として、この名文は存在しているのでしょう。

 『看護のための精神医学』の内容を読むと、理想論と思われるかもしれません。中井先生ならではのところは確かにあると思います。でも、理想を持ちながら現実を見て医療をなすことも大切でしょう。理想ばかりでも現実ばかりでもよろしくない。両方に根ざした関わりが求められているのです。そのバランスのために望ましいのは、春日武彦先生の『援助者必携 はじめての精神科』も合わせて読んでおくこと。こっちは現実的な路線を重視しており、実臨床での苦悩と良い意味での諦め(?)が分かるかなと。「あーこういうのってあるよねぇ…。つらいなぁ」と色々と困ったことが思い出されますが、「こうすれば良いんだな」という現実的な対処が身につくでしょう。毛色の違う2冊が相乗効果をなしてくれる気がします。

 ということで、精神科医になりたての後期研修医あたりに読んでもらいたいなと思ったのでありました。2冊とも。
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2018
04.16

切に切に

Category: ★本のお話
 以前にも紹介したことがありますが、Stuart先生とLieberman先生の名著と言って良いのではと思わせる


『The Fifteen Minute Hour: Therapeutic Talk in Primary Care』


 これは科を問わず、実際に医療現場に出て外来を行っている若手の医者に読んで欲しいと感じております。2015年に5版が出ており、初版から20年以上読まれているのですよ…! この前、この5版をちょろちょろと読み直してみて、もっと日本でも読まれてほしいなぁと思ったのでございます。

 基本的にはBATHE techniqueというゴロを武器として問診を進める方法ですが、他にも行動活性化のエッセンスが入っていたりアクセプタンスにも触れられていたり、日々の外来で行なえるものが扱われています。医療者自身へのケアのルールなんてのも記されていて、役に立ってくれますよ。自分も四国で看護師さん向けに講義を行なった時、このBATHEを積極的に紹介したのであります。

 「でも洋書じゃん!」と思うかた、いちおうですね、原著第2版の和訳が医学書院さんから『15分間の問診技法』として出版されていましたが、残念ながら


絶版


 です…。たぶんですけど、この理由は


・表紙が地味 (まず手に取られない)
・図表が一切ない (文字でゴリ押し)


 という、売れない要素が入っている点でしょうか…。それで期待ほど売れず、絶版に追い込まれたのでは…。原著が版を重ねているので、和訳も売れていたらアップデートするか少なくとも絶版にはならなかったんじゃないかなぁと想像。世の中厳しいなぁ。図表がないのは原著含めてこの本の大きな欠点だと思います。かつ、同じような内容が言い方を変えて何度も出てくるので、人によっては「またこの内容かぁ」と思うところはあるかもしれません(何度も繰り返し出るということは大事ということだとも言えますが)。図表はちょっとで良いから入れた方が今のご時世にはフィットしているでしょうね…。ここが痛いのでは。

 でも、総合診療で有名な生坂政臣先生がBATHEをDVDで紹介してました。自分がこの本を買ったのも、生坂先生のDVDがきっかけだったのです。そして精神科の大御所である成田善弘先生は何かの本(ここ忘れちゃった…)で評価してましたし、良い本だよーと言っているのは決して自分だけではない、はず。だからこの絶版が惜しいんですよねぇ、入手困難な隠れた名著みたいになっちゃって。

 文字だらけですけど、めちゃくちゃ厚いわけでもなく、精神科の知識を必要としていないので、外来診療で ”治療的対話” が出来たらなぁと思っている若手諸君! ぜひね、読んでみてくださいまし。外来を持っていないのであれば、あんまりイメージは沸きにくく、学生さんは面白く感じないかもしれません。後期研修医辺りが対象だと思います。

 というか、誰か&どこかの出版社さん、訳さないのかしらん。もうね、誰も手を挙げないなら


私が訳します! (おい)


 これは半分冗談ですけど、それだけ読まれて欲しい本なのでございます。別に原著でも英語が難しすぎることはなくてですね、「?」と思ったところは飛ばしても大意に影響はないです、ハッキリ言って。4月にもなったことだし、外来を受け持つことになった後期研修医の皆さんにお勧めできる書籍ですよ。
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2018
03.24

子どものためは誰のため?

Category: ★本のお話
 医学書院さんから出ている滝川一廣先生の『子どものための精神医学』を読みました。と言っても読んだのは約1年前なのですが、感想をまとめる体力がなかったという残念な事情でした。

 滝川一廣先生はおヒゲがとっても魅力的で、ダンディなお方でございます。自分は滝川先生のファンなので、先生の書かれた本はだいたい眼を通しているのでした (ストーカー並み)。特に認識の軸と関係の軸を用いた精神発達の図はレジデントだった当時の自分には眼からウロコで、頭の中のもやもやが一気に吹き飛んだ、爽快な納得感を得たものです。自分も発達の説明をする時はその図をたびたび引用しております。この『子どものための精神医学』はその図をより深くかつ分かりやすく説明しており、認識の軸をピアジェの仕事に、関係の軸をフロイトの仕事に対応させています。フロイトの "○○期" や "エディプスコンプレックス" の説明は今の日本に合うようにもなされており、また性的な印象の強いフロイトの考えを無理なく (上品に?) 紹介しています。だいぶフロイトへの抵抗感が少なくなるのではないでしょうか。でもそれで「なるほど!」と思ってフロイトを読むとやっぱり「…」となるのですが。

 もちろん疾患の説明も子と親と社会との関係性という観点からなされており、以前の著作でなされたものをさらに噛み砕いています。そこを読んでいて分かるのは、青木省三先生の『こころの病を診るということ』の感想記事でもお話ししたのですが、みんな "生き抜いているのだ" という視点の暖かさだと思います。こういう状況で患者さんは自分なりの対処で必死に生き抜いてきた、このことに対し私たちはもっと敬意を払わねばなりません。そして、その人が、その人の重要な他者が、より "ゆとり" を持って今後の人生を過ごしていけるように、私たちは全力を注ぐ必要があるのです。それは薬剤治療でもあるし、私たちのいる診察室の雰囲気でもあるし、私たちが "人薬" になるようにすることでもあるし、患者さんの生きている生活世界への配慮でもあるのです。また、思春期の非常に繊細な悩み (性や不登校やいじめについてなど) も社会と絡めて丁寧に書かれてあり、読み進めるたびに膝を打つこと数知れず。

 この本を読んで一番「おっ」と思って色々と連想したのは、何の変哲もない部分かもしれませんが、185ページの "子どもを理解するとは、その体験を理解することである" という一文。これを読んで、自分は下坂幸三先生の "患者さんの腑に落ちる説明" を連想しました。日々の忙しい診療の中でつい忘れがちですが、私たちと患者さんとのクロストークで重要なのは、この "腑に落ちる" ということなのです。それはまさに私たちが患者さんの "体験" を理解した一瞬でもあります。言葉でやり取りし、こうなのか? いや違うか、こうか? いやそれも違う、などを繰り返し、その果てに「そうなんですよ!先生」と患者さんの "腑に落ちる" 時がやって来る。私たちの言葉が患者さんの身体に染み入った証拠でもあります。滝川先生の "体験を理解すること" というのは広くこのように考えられ、それは上っ面の専門用語 (徘徊、自閉、感情失禁…) だけでは届かない次元。さらに自分の連想は続き、この体験を理解する、理解しようとする姿勢は、昨今話題のユマニチュードやオープンダイアローグにもつながってきます。ユマニチュードは「あなたを尊厳のある一人の人間として、愛をもって接しますよ」という表明です。工夫された言葉によって、身体によって、認知症患者さん一人一人の体験を理解しようと努めることです。そしてオープンダイアローグは、日本では斎藤環先生が中心となって進めていますが、特に統合失調症患者さん (他の状態にも広げているようですが) の急性期に医療チームがかけつけ、まさに対話するというもの。しかも、患者さんの病的発言を批判することはありません。「あなたの発言、あなたの世界を、ここにいる私たちは興味をもって聞きます。孤立することはありませんよ、対話していきましょう」という宣誓でもあるのです。まさにこれは "体験を理解する/理解しようとする" ことでしょう。精神科医療というのは、種々の意味での孤立の緩和が大切ですが、その基本姿勢が、滝川先生の一文に凝縮されていると言えるのだと思います。もうちょっと付け加えると、理解するのみならず "理解しようとする" と自分がプラスしているのは、全部を理解することの難しさと、その "理解したつもり" を避けるためです。理解しきれないところがあるというのも理解する、という視点が大事で、「立場の違う人間、しかも健康な人間が全部を分かった気になるなよ」という部分に対応しています。

 人は、人と人との "あいだ (あわい)" に生きています。それは、その "あいだ (あわい)" に生かされているのだということがより分かります。そしてさらに、その"あいだ (あわい)" を活かす力をも人は持っているのだとも再認識させられ、人 (特に子ども) の力強さ、関係性の尊さにこころ打たれずにはいられません。現代は良くも悪くも親と子の "あいだ (あわい)" が濃密になっており、ほどよさという "ズレ" が生じにくくそれが "窮屈さ" となり、また社会からは離れてしまう点も指摘されています。また、この本のタイトルは『子どものための精神医学』です。そして、第一部のはじめに "日々の暮らしのなかで子どもたちと直接かかわる人たち (中略) にとって、子どものこころの病気や失調、障害を理解したりケアしたりするために役だつことをめざす本である" と述べられています。彼らに役立つ本を目指した、それはとりもなおさずまさに "子どものため" でしょう。そして、この本の内容は児童精神医学を超えて、患者さんがどうやって (死なずに) 生きているのかを知るための本でもあります。"子どものため" というタイトルの中には、まさに子どものためであるのと同時に、かつて子どもであった人たちのため、という意味も含まれている、そう感じました。

 精神医療にかかわる人であれば、手にとって読んでみることをお勧めします。と言っても、既にバカ売れしてしまっている本でして (羨望)、医学書院さんは笑いが止まらないことでしょう。でも、こういう "良い本" がきっちりと売れてくれるのは素晴らしいことなのですよ。450ページ以上あるのに2500円+税という良心的な設定ですしね。
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