2018
05.08

若手医師にこそ読んで欲しい

Category: ★本のお話
 少し前にも紹介した、医学書院さんから出ている中井久夫先生の『看護のための精神医学』。看護師さん向けですが、精神科医になりたて~少し経ったような若手医師にも読んでもらいたい、と思うのです。

 紹介した際にも引用した以下の名文。


看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。


 看護師さんにとっては希望の文だと思います。挫けそうになった時、この言葉に救われたというかたもいらっしゃるのではないでしょうか。でもこれを前面に出すと「看護は絶対善である」と勘違いしてしまうかもしれないので注意をしてください。善というのは相手が善だと思って初めて善になります。こっちが善だと思っていても、相手からすると ”ありがた迷惑” になるかもしれません。手当てというのは看護の原点でしょうが、不用意に手を当てることは、患者さんの痛みを強くしてしまうこともあるでしょう。中井先生の名セリフはそっとこころに仕舞っておいて、疲れた時や大変な時にちょっと思い出して、やわらかい明かりを灯す感覚でいるのが良いのだと思います。この文を看護の優位性と勘違いしてはいけません。看護師さんが「私たちは、医者に出来ないことをしているのよ!」と声高に叫んだ時点で、それは傲慢へと転がり落ちるでしょう。この言葉を間違って使ってほしくはないなぁと思うのです。

 そして、これは医者も銘記しておくべきではないでしょうか。若手医師はちょっと仕事に慣れてくると妙な自信を持つようになります。それは大いなる勘違いなのですが、その自信はともすると医者以外の医療従事者を下に見ることにもつながりかねません。「オレが治しているんだ!」という、井の中の蛙な状態ですね。そうなってしまうと、その態度は他の医療従事者に伝わり、彼らの態度もまた硬直化してしまいます。それがさらに医者に伝わり、一匹狼的な様相を呈し誰も近づかなくなる…。まさに悪循環。

 そんな風になってしまう前に、看護は医者のなす狭い医療が持たないしなやかな強さを有しているのだ、というのをこの本で学んでもらいたい、そう思うのです。 "看護のための" 精神医学ではありますが、それは同時に広く "医療のための" 精神医学でもあると感じています。薬剤の効果が乏しい患者さんはいくらでもいます。その時、「オレが!」というタイプの医者は「薬が効かないんなら何したってムダ」と見切りを付けてしまうかもしれませんが、そうならないようにこの文を思い出すべきでしょう。星野弘先生の『分裂病を耕す』(最近 ”新編” として出版し直されましたね)を読むと分かるかもしれませんが、本当に地道なんです。特に統合失調症患者さんとは、侵襲を与えない人として接し、ゆっくりと孤立を緩和していくことが大切なのだと再確認できると感じています。確かに、今の精神科では外来で1日数十人診て、抱えている入院患者さんも数十人、その中には急性期の患者さんも多いでしょう。そんな中ではなかなか慢性期の患者さんに割ける時間は多くないのが実情です。でも何とか少しでも安心できる関わりを増やすことが出来れば、それは治療的に働くのだと思います。そして、その関わりは看護の理想形に近くなるのでしょう。薬剤が効く入院患者さんであっても、医者だけが治している・薬剤だけが治しているのではありません。看護師さんがどれだけ患者さんの状態をチェックしてくれているか、ちょっとした話を聞いてくれているか。私たち医者は患者さんと実際に関わる時間はとても短いのです。多くの時間は看護師さんが患者さんとのつながりを保ってくれている、そこを知らねばならないのだと思います。

 医者にとっては自分自身の限界をしるための自戒として、看護師さんにとっては辛い時の希望の光として、この名文は存在しているのでしょう。

 『看護のための精神医学』の内容を読むと、理想論と思われるかもしれません。中井先生ならではのところは確かにあると思います。でも、理想を持ちながら現実を見て医療をなすことも大切でしょう。理想ばかりでも現実ばかりでもよろしくない。両方に根ざした関わりが求められているのです。そのバランスのために望ましいのは、春日武彦先生の『援助者必携 はじめての精神科』も合わせて読んでおくこと。こっちは現実的な路線を重視しており、実臨床での苦悩と良い意味での諦め(?)が分かるかなと。「あーこういうのってあるよねぇ…。つらいなぁ」と色々と困ったことが思い出されますが、「こうすれば良いんだな」という現実的な対処が身につくでしょう。毛色の違う2冊が相乗効果をなしてくれる気がします。

 ということで、精神科医になりたての後期研修医あたりに読んでもらいたいなと思ったのでありました。2冊とも。
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2018
04.16

切に切に

Category: ★本のお話
 以前にも紹介したことがありますが、Stuart先生とLieberman先生の名著と言って良いのではと思わせる


『The Fifteen Minute Hour: Therapeutic Talk in Primary Care』


 これは科を問わず、実際に医療現場に出て外来を行っている若手の医者に読んで欲しいと感じております。2015年に5版が出ており、初版から20年以上読まれているのですよ…! この前、この5版をちょろちょろと読み直してみて、もっと日本でも読まれてほしいなぁと思ったのでございます。

 基本的にはBATHE techniqueというゴロを武器として問診を進める方法ですが、他にも行動活性化のエッセンスが入っていたりアクセプタンスにも触れられていたり、日々の外来で行なえるものが扱われています。医療者自身へのケアのルールなんてのも記されていて、役に立ってくれますよ。自分も四国で看護師さん向けに講義を行なった時、このBATHEを積極的に紹介したのであります。

 「でも洋書じゃん!」と思うかた、いちおうですね、原著第2版の和訳が医学書院さんから『15分間の問診技法』として出版されていましたが、残念ながら


絶版


 です…。たぶんですけど、この理由は


・表紙が地味 (まず手に取られない)
・図表が一切ない (文字でゴリ押し)


 という、売れない要素が入っている点でしょうか…。それで期待ほど売れず、絶版に追い込まれたのでは…。原著が版を重ねているので、和訳も売れていたらアップデートするか少なくとも絶版にはならなかったんじゃないかなぁと想像。世の中厳しいなぁ。図表がないのは原著含めてこの本の大きな欠点だと思います。かつ、同じような内容が言い方を変えて何度も出てくるので、人によっては「またこの内容かぁ」と思うところはあるかもしれません(何度も繰り返し出るということは大事ということだとも言えますが)。図表はちょっとで良いから入れた方が今のご時世にはフィットしているでしょうね…。ここが痛いのでは。

 でも、総合診療で有名な生坂政臣先生がBATHEをDVDで紹介してました。自分がこの本を買ったのも、生坂先生のDVDがきっかけだったのです。そして精神科の大御所である成田善弘先生は何かの本(ここ忘れちゃった…)で評価してましたし、良い本だよーと言っているのは決して自分だけではない、はず。だからこの絶版が惜しいんですよねぇ、入手困難な隠れた名著みたいになっちゃって。

 文字だらけですけど、めちゃくちゃ厚いわけでもなく、精神科の知識を必要としていないので、外来診療で ”治療的対話” が出来たらなぁと思っている若手諸君! ぜひね、読んでみてくださいまし。外来を持っていないのであれば、あんまりイメージは沸きにくく、学生さんは面白く感じないかもしれません。後期研修医辺りが対象だと思います。

 というか、誰か&どこかの出版社さん、訳さないのかしらん。もうね、誰も手を挙げないなら


私が訳します! (おい)


 これは半分冗談ですけど、それだけ読まれて欲しい本なのでございます。別に原著でも英語が難しすぎることはなくてですね、「?」と思ったところは飛ばしても大意に影響はないです、ハッキリ言って。4月にもなったことだし、外来を受け持つことになった後期研修医の皆さんにお勧めできる書籍ですよ。
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2018
03.24

子どものためは誰のため?

Category: ★本のお話
 医学書院さんから出ている滝川一廣先生の『子どものための精神医学』を読みました。と言っても読んだのは約1年前なのですが、感想をまとめる体力がなかったという残念な事情でした。

 滝川一廣先生はおヒゲがとっても魅力的で、ダンディなお方でございます。自分は滝川先生のファンなので、先生の書かれた本はだいたい眼を通しているのでした (ストーカー並み)。特に認識の軸と関係の軸を用いた精神発達の図はレジデントだった当時の自分には眼からウロコで、頭の中のもやもやが一気に吹き飛んだ、爽快な納得感を得たものです。自分も発達の説明をする時はその図をたびたび引用しております。この『子どものための精神医学』はその図をより深くかつ分かりやすく説明しており、認識の軸をピアジェの仕事に、関係の軸をフロイトの仕事に対応させています。フロイトの "○○期" や "エディプスコンプレックス" の説明は今の日本に合うようにもなされており、また性的な印象の強いフロイトの考えを無理なく (上品に?) 紹介しています。だいぶフロイトへの抵抗感が少なくなるのではないでしょうか。でもそれで「なるほど!」と思ってフロイトを読むとやっぱり「…」となるのですが。

 もちろん疾患の説明も子と親と社会との関係性という観点からなされており、以前の著作でなされたものをさらに噛み砕いています。そこを読んでいて分かるのは、青木省三先生の『こころの病を診るということ』の感想記事でもお話ししたのですが、みんな "生き抜いているのだ" という視点の暖かさだと思います。こういう状況で患者さんは自分なりの対処で必死に生き抜いてきた、このことに対し私たちはもっと敬意を払わねばなりません。そして、その人が、その人の重要な他者が、より "ゆとり" を持って今後の人生を過ごしていけるように、私たちは全力を注ぐ必要があるのです。それは薬剤治療でもあるし、私たちのいる診察室の雰囲気でもあるし、私たちが "人薬" になるようにすることでもあるし、患者さんの生きている生活世界への配慮でもあるのです。また、思春期の非常に繊細な悩み (性や不登校やいじめについてなど) も社会と絡めて丁寧に書かれてあり、読み進めるたびに膝を打つこと数知れず。

 この本を読んで一番「おっ」と思って色々と連想したのは、何の変哲もない部分かもしれませんが、185ページの "子どもを理解するとは、その体験を理解することである" という一文。これを読んで、自分は下坂幸三先生の "患者さんの腑に落ちる説明" を連想しました。日々の忙しい診療の中でつい忘れがちですが、私たちと患者さんとのクロストークで重要なのは、この "腑に落ちる" ということなのです。それはまさに私たちが患者さんの "体験" を理解した一瞬でもあります。言葉でやり取りし、こうなのか? いや違うか、こうか? いやそれも違う、などを繰り返し、その果てに「そうなんですよ!先生」と患者さんの "腑に落ちる" 時がやって来る。私たちの言葉が患者さんの身体に染み入った証拠でもあります。滝川先生の "体験を理解すること" というのは広くこのように考えられ、それは上っ面の専門用語 (徘徊、自閉、感情失禁…) だけでは届かない次元。さらに自分の連想は続き、この体験を理解する、理解しようとする姿勢は、昨今話題のユマニチュードやオープンダイアローグにもつながってきます。ユマニチュードは「あなたを尊厳のある一人の人間として、愛をもって接しますよ」という表明です。工夫された言葉によって、身体によって、認知症患者さん一人一人の体験を理解しようと努めることです。そしてオープンダイアローグは、日本では斎藤環先生が中心となって進めていますが、特に統合失調症患者さん (他の状態にも広げているようですが) の急性期に医療チームがかけつけ、まさに対話するというもの。しかも、患者さんの病的発言を批判することはありません。「あなたの発言、あなたの世界を、ここにいる私たちは興味をもって聞きます。孤立することはありませんよ、対話していきましょう」という宣誓でもあるのです。まさにこれは "体験を理解する/理解しようとする" ことでしょう。精神科医療というのは、種々の意味での孤立の緩和が大切ですが、その基本姿勢が、滝川先生の一文に凝縮されていると言えるのだと思います。もうちょっと付け加えると、理解するのみならず "理解しようとする" と自分がプラスしているのは、全部を理解することの難しさと、その "理解したつもり" を避けるためです。理解しきれないところがあるというのも理解する、という視点が大事で、「立場の違う人間、しかも健康な人間が全部を分かった気になるなよ」という部分に対応しています。

 人は、人と人との "あいだ (あわい)" に生きています。それは、その "あいだ (あわい)" に生かされているのだということがより分かります。そしてさらに、その"あいだ (あわい)" を活かす力をも人は持っているのだとも再認識させられ、人 (特に子ども) の力強さ、関係性の尊さにこころ打たれずにはいられません。現代は良くも悪くも親と子の "あいだ (あわい)" が濃密になっており、ほどよさという "ズレ" が生じにくくそれが "窮屈さ" となり、また社会からは離れてしまう点も指摘されています。また、この本のタイトルは『子どものための精神医学』です。そして、第一部のはじめに "日々の暮らしのなかで子どもたちと直接かかわる人たち (中略) にとって、子どものこころの病気や失調、障害を理解したりケアしたりするために役だつことをめざす本である" と述べられています。彼らに役立つ本を目指した、それはとりもなおさずまさに "子どものため" でしょう。そして、この本の内容は児童精神医学を超えて、患者さんがどうやって (死なずに) 生きているのかを知るための本でもあります。"子どものため" というタイトルの中には、まさに子どものためであるのと同時に、かつて子どもであった人たちのため、という意味も含まれている、そう感じました。

 精神医療にかかわる人であれば、手にとって読んでみることをお勧めします。と言っても、既にバカ売れしてしまっている本でして (羨望)、医学書院さんは笑いが止まらないことでしょう。でも、こういう "良い本" がきっちりと売れてくれるのは素晴らしいことなのですよ。450ページ以上あるのに2500円+税という良心的な設定ですしね。
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2018
01.27

お夕飯のお味噌汁

Category: ★本のお話
 医学書院さんから2017年に出版された青木省三先生の本、『こころの病を診るということ』を読みました。と言っても、読んだのは去年のかなり前でして、感想を改めて書く余裕がちょっとなかったというのが実情でございます。

 この本は患者さんに会う前の心構えから始まり、会ってから診断・治療・支援に至るまでの青木先生のプロセスが書かれています。気取った言葉が出てこず、親しみやすい日常語。青木先生の素朴な診療姿勢が見えるかのようです。

ゆとりを持つこと
患者さんを一人の人間として見ること
患者さんやご家族への気配りを忘れないこと
できるだけ傷つけないような態度と言葉でいること
苦しみがありながらも生き抜いてきたという強さがあること

 などなど、決して饒舌ではない文体から ”いつくしみ” がにじみ出てくるようです。

 そして、発達と心的外傷を考慮に入れて患者さんを診ていく姿勢は、旧来の ”診察の心構え” 的な本にはない特徴で、青木先生ならではでしょう。今の時代に非常に即しています。

 また、DSMやICDといった診断基準については慎重に言葉を選んでいるようにも見受けられます。中にはこれらの診断基準を過激な言葉で批判する本もあり、往々にして大御所的な先生がそれをしています (そういう先生に限ってEBMの意味を間違ってとらえている)。しかし、青木先生はそうではなく、診断基準の重要性も理解しつつ、それによる診断で患者さんを全て理解したことにはならないよ、と忠告しています。このバランスの取れた語り口が紳士的でもあり、現実的でもあるのです。

 分からないことは「分からない」と正直のおっしゃっている面も助かります。何でも理論でつなげて「こうだ!」とする本もあったり、有耶無耶にしてしまう本もあったり。でも青木先生はそうでない。こういうのは、特に若手の精神科医を助けてくれますね。「青木先生も分からないんやなぁ。世の中説明できることばかりではないんや」と納得できるのです (でも勉強しない免罪符にしてはいけません)。

 あとは、日々バタバタと忙しい臨床をしていると、つい目先の症状の改善に我々も患者さんもとらわれてしまいます。そこを指摘してくれており、"患者さんにとっての良い人生" を考えるように本の要所要所で教えてくれています。当たり前のことなんですけど、忘れてしまいがち。当たり前だからこそ忘れてしまうとも言えますが、「患者さんが良い人生をおくるためには何が必要だろうか?」と考えること、そして診察で話題にすることが航海の羅針盤にもなってくれるでしょう。

 読んで「これは売れるやろなぁ」と思っていたら、本当によく売れているみたいでして、とっても羨ましい (超本音)。でもこれが売れるということは、まだまだ日本の精神医学も捨てたものではないぞとちょっと安心しているのです。難解な言葉に彩られていない、言ってしまうと地味なタイプの本です、この本は。でも抑制の効いた文章の底に流れる患者さんとご家族への思いが十分に見えていて、売れるということはそういうのを日本の精神科医が渇望していたのでしょう。これはとってもイイコトなのです。「最近の精神科医はDSMばかりで…」と批判ばかりしてはいけないのですよ。

 これは現代の名著と呼ぶにふさわしい出来であり (エラそうですみません…)、若手の精神科医はみな読むべき、と思いました。若いうちにこういう良質で読みやすい本に触れておくのは大切であり、何と言っても「患者さんは傷つきながらも生き抜いている。そこに彼らの強みがある」という視点を得られる絶好の機会です。やたら難しい言葉を振り回して煙に巻くものも多い中、貴重な本だと実感しています。

 若手の精神科医以外にも、精神科に興味のある研修医や学生さんにもおススメできます。それだけ多くの人が読める文で書いてくれているというのがオドロキですね。難しい内容を、質を落とさず分かりやすく書くというのはとても大変で、かなりの知識を要求します。青木先生はそれができる稀有な書き手であったのです。

 派手さがなく、素朴。でも味わい深くて欠かせない。どこかホッとさせてくれる。そんな意味で、お夕飯のお味噌汁みたいな本だなぁと思ったのであります (しかも季節は冬ね)。

 褒めてばかりだとステマのようにも思われるかもしれないので、「これはおかしい!」と思った点を挙げてみましょう。探してみると、1つありました! 持っている人は257ページを開きましょう。比喩を用いて服薬を勧める時の言葉。


風邪で39度くらいの熱が出ると、解熱薬や抗菌薬を飲まないと苦しいですよね。


 皆さん、お気づきでしょうか。そうです



風邪に抗菌薬は使いません!



 むしろ有害事象が増えるので、抗菌薬を風邪には用いないのが大原則なのです。

 つまり、これくらいしか言うところがない、それほどすごい本なのでした…。
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2018
01.23

腎臓フェア開催

Category: ★本のお話
 タイトル通りですが、自分の中で勝手に腎臓フェアと銘打って腎臓の勉強をしていました。たまにこういう「〇〇フェア」というのを思いつきで (?) やりまして、入門的な教科書などを買ってペラペラとめくっています。

 腎臓は自分が研修医の時に重点的に勉強した分野でもあります。ローテートでも腎臓内科を多く廻った記憶も。腎機能はどんな患者さんでも確認しておかねばなりませんしね。で、今回買ったのは日本医事新報社さんからの『レジデントのための腎臓教室』と、医学書院さんからの『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』の2冊。

 前者ですが、これはかなり基本的な内容を扱っています。そのため、「腎臓がもう苦手で何ひとつわからん…」という研修医はこの本から始めても良いかもしれません。フルカラーなのは読む気をアップさせてくれ、多くは1ページから見開き2ページでまとめられています。

 ただ、やっぱり基本的すぎるかも、というイメージは強い。”やさしいことをやさしく書いてある” という表現が適切かは分かりませんが、もうちょっと突っ込んでも良いかなと感じました。文献的なサポートも少々弱め。やはり腎臓が超苦手な研修医が早めに読んでおくべき本、という立ち位置でしょう。

 で、後者の『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』はもう第3版。自分は初版を若かりし頃に読んだのですが、この本は”マニュアル” という記載が間違っているのではないかと思うくらいに濃密なのです。しかも記憶の中の初版からはだいぶページ数も増えております。学生さん向きではなく、研修医用のテキストと考えても良いかもしれません。文字がぎゅうぎゅう詰まっているので、一文字一文字追うのは骨が折れるでしょう。妥協を許さない ”読むマニュアル” なのです。

 この本は「腎臓が苦手でどうしようもないです…」という研修医の1冊目には決して向きません。マニュアルだから手軽に…と思って手に取ったら裏切られるでしょう。『レジデントのための腎臓教室』で基礎固めをしてから『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』に向かうという方法もあるかもしれません。それでもちょっとこのマニュアルは濃縮果汁のような印象を持つでしょうか。

 ちなみに腎臓内科の教科書では恥ずかしい記憶があり、学生の頃に『Renal Pathophysiology』を買って読んでみたものの英語の理解が難しく、その翌年 (早い!) に出版されていた邦訳 (『体液異常と腎臓の病態生理』) を買ってしまい、両方を照らし合わせながら読んだのでした…。英語が得意とは言えない学生が何の知識もなしに一冊目を洋書にすると大変な目に遭う、という好例でしょうか…。今ならどうかな? 学生の頃よりは読めるかも。

 話は腎臓から外れますが、学生さんには洋書にトライしてもらいたいと思っています。今はすぐ邦訳が出るし最新の知識もwebで手に入るので、洋書を原著で読むことの利点は昔ほど多くないかもしれません。でも医学英語を学生のうちから学んでおくことで、臨床に出てから英語のものにアクセスする際のハードルは下がるような気もします。年に1冊くらいで良いのです。まずは日本語の教科書でがっちり基礎を固めてから、分厚すぎない通読できるタイプのものを買って読んでみる。これが大事かと。最初から洋書だと良く分からないことも多いのですが、日本語の本を読んでおくと何となく「あーこれはこのことを言っているな」とつかめます。洋書を読み切った時の何とも言えない達成感 (自己愛的かもしれませんが…) はイイモノですよ。賢くなった気がする。ま、気がするだけなんですけどね。

 洋書については、学生さん向けの読み方の記事をつくっていたので、そちらも興味があればお読みください (→コチラ)。
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