2018
01.27

お夕飯のお味噌汁

Category: ★本のお話
 医学書院さんから2017年に出版された青木省三先生の本、『こころの病を診るということ』を読みました。と言っても、読んだのは去年のかなり前でして、感想を改めて書く余裕がちょっとなかったというのが実情でございます。

 この本は患者さんに会う前の心構えから始まり、会ってから診断・治療・支援に至るまでの青木先生のプロセスが書かれています。気取った言葉が出てこず、親しみやすい日常語。青木先生の素朴な診療姿勢が見えるかのようです。

ゆとりを持つこと
患者さんを一人の人間として見ること
患者さんやご家族への気配りを忘れないこと
できるだけ傷つけないような態度と言葉でいること
苦しみがありながらも生き抜いてきたという強さがあること

 などなど、決して饒舌ではない文体から ”いつくしみ” がにじみ出てくるようです。

 そして、発達と心的外傷を考慮に入れて患者さんを診ていく姿勢は、旧来の ”診察の心構え” 的な本にはない特徴で、青木先生ならではでしょう。今の時代に非常に即しています。

 また、DSMやICDといった診断基準については慎重に言葉を選んでいるようにも見受けられます。中にはこれらの診断基準を過激な言葉で批判する本もあり、往々にして大御所的な先生がそれをしています (そういう先生に限ってEBMの意味を間違ってとらえている)。しかし、青木先生はそうではなく、診断基準の重要性も理解しつつ、それによる診断で患者さんを全て理解したことにはならないよ、と忠告しています。このバランスの取れた語り口が紳士的でもあり、現実的でもあるのです。

 分からないことは「分からない」と正直のおっしゃっている面も助かります。何でも理論でつなげて「こうだ!」とする本もあったり、有耶無耶にしてしまう本もあったり。でも青木先生はそうでない。こういうのは、特に若手の精神科医を助けてくれますね。「青木先生も分からないんやなぁ。世の中説明できることばかりではないんや」と納得できるのです (でも勉強しない免罪符にしてはいけません)。

 あとは、日々バタバタと忙しい臨床をしていると、つい目先の症状の改善に我々も患者さんもとらわれてしまいます。そこを指摘してくれており、"患者さんにとっての良い人生" を考えるように本の要所要所で教えてくれています。当たり前のことなんですけど、忘れてしまいがち。当たり前だからこそ忘れてしまうとも言えますが、「患者さんが良い人生をおくるためには何が必要だろうか?」と考えること、そして診察で話題にすることが航海の羅針盤にもなってくれるでしょう。

 読んで「これは売れるやろなぁ」と思っていたら、本当によく売れているみたいでして、とっても羨ましい (超本音)。でもこれが売れるということは、まだまだ日本の精神医学も捨てたものではないぞとちょっと安心しているのです。難解な言葉に彩られていない、言ってしまうと地味なタイプの本です、この本は。でも抑制の効いた文章の底に流れる患者さんとご家族への思いが十分に見えていて、売れるということはそういうのを日本の精神科医が渇望していたのでしょう。これはとってもイイコトなのです。「最近の精神科医はDSMばかりで…」と批判ばかりしてはいけないのですよ。

 これは現代の名著と呼ぶにふさわしい出来であり (エラそうですみません…)、若手の精神科医はみな読むべき、と思いました。若いうちにこういう良質で読みやすい本に触れておくのは大切であり、何と言っても「患者さんは傷つきながらも生き抜いている。そこに彼らの強みがある」という視点を得られる絶好の機会です。やたら難しい言葉を振り回して煙に巻くものも多い中、貴重な本だと実感しています。

 若手の精神科医以外にも、精神科に興味のある研修医や学生さんにもおススメできます。それだけ多くの人が読める文で書いてくれているというのがオドロキですね。難しい内容を、質を落とさず分かりやすく書くというのはとても大変で、かなりの知識を要求します。青木先生はそれができる稀有な書き手であったのです。

 派手さがなく、素朴。でも味わい深くて欠かせない。どこかホッとさせてくれる。そんな意味で、お夕飯のお味噌汁みたいな本だなぁと思ったのであります (しかも季節は冬ね)。

 褒めてばかりだとステマのようにも思われるかもしれないので、「これはおかしい!」と思った点を挙げてみましょう。探してみると、1つありました! 持っている人は257ページを開きましょう。比喩を用いて服薬を勧める時の言葉。


風邪で39度くらいの熱が出ると、解熱薬や抗菌薬を飲まないと苦しいですよね。


 皆さん、お気づきでしょうか。そうです



風邪に抗菌薬は使いません!



 むしろ有害事象が増えるので、抗菌薬を風邪には用いないのが大原則なのです。

 つまり、これくらいしか言うところがない、それほどすごい本なのでした…。
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2018
01.23

腎臓フェア開催

Category: ★本のお話
 タイトル通りですが、自分の中で勝手に腎臓フェアと銘打って腎臓の勉強をしていました。たまにこういう「〇〇フェア」というのを思いつきで (?) やりまして、入門的な教科書などを買ってペラペラとめくっています。

 腎臓は自分が研修医の時に重点的に勉強した分野でもあります。ローテートでも腎臓内科を多く廻った記憶も。腎機能はどんな患者さんでも確認しておかねばなりませんしね。で、今回買ったのは日本医事新報社さんからの『レジデントのための腎臓教室』と、医学書院さんからの『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』の2冊。

 前者ですが、これはかなり基本的な内容を扱っています。そのため、「腎臓がもう苦手で何ひとつわからん…」という研修医はこの本から始めても良いかもしれません。フルカラーなのは読む気をアップさせてくれ、多くは1ページから見開き2ページでまとめられています。

 ただ、やっぱり基本的すぎるかも、というイメージは強い。”やさしいことをやさしく書いてある” という表現が適切かは分かりませんが、もうちょっと突っ込んでも良いかなと感じました。文献的なサポートも少々弱め。やはり腎臓が超苦手な研修医が早めに読んでおくべき本、という立ち位置でしょう。

 で、後者の『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』はもう第3版。自分は初版を若かりし頃に読んだのですが、この本は”マニュアル” という記載が間違っているのではないかと思うくらいに濃密なのです。しかも記憶の中の初版からはだいぶページ数も増えております。学生さん向きではなく、研修医用のテキストと考えても良いかもしれません。文字がぎゅうぎゅう詰まっているので、一文字一文字追うのは骨が折れるでしょう。妥協を許さない ”読むマニュアル” なのです。

 この本は「腎臓が苦手でどうしようもないです…」という研修医の1冊目には決して向きません。マニュアルだから手軽に…と思って手に取ったら裏切られるでしょう。『レジデントのための腎臓教室』で基礎固めをしてから『レジデントのための腎臓病診療マニュアル』に向かうという方法もあるかもしれません。それでもちょっとこのマニュアルは濃縮果汁のような印象を持つでしょうか。

 ちなみに腎臓内科の教科書では恥ずかしい記憶があり、学生の頃に『Renal Pathophysiology』を買って読んでみたものの英語の理解が難しく、その翌年 (早い!) に出版されていた邦訳 (『体液異常と腎臓の病態生理』) を買ってしまい、両方を照らし合わせながら読んだのでした…。英語が得意とは言えない学生が何の知識もなしに一冊目を洋書にすると大変な目に遭う、という好例でしょうか…。今ならどうかな? 学生の頃よりは読めるかも。

 話は腎臓から外れますが、学生さんには洋書にトライしてもらいたいと思っています。今はすぐ邦訳が出るし最新の知識もwebで手に入るので、洋書を原著で読むことの利点は昔ほど多くないかもしれません。でも医学英語を学生のうちから学んでおくことで、臨床に出てから英語のものにアクセスする際のハードルは下がるような気もします。年に1冊くらいで良いのです。まずは日本語の教科書でがっちり基礎を固めてから、分厚すぎない通読できるタイプのものを買って読んでみる。これが大事かと。最初から洋書だと良く分からないことも多いのですが、日本語の本を読んでおくと何となく「あーこれはこのことを言っているな」とつかめます。洋書を読み切った時の何とも言えない達成感 (自己愛的かもしれませんが…) はイイモノですよ。賢くなった気がする。ま、気がするだけなんですけどね。

 洋書については、学生さん向けの読み方の記事をつくっていたので、そちらも興味があればお読みください (→コチラ)。
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2017
12.13

LEAPをまなぶ

Category: ★本のお話
 現在、東京におります。ちょっと研修会に出てまして…。またいずれその辺りの記事もアップできればなと思います。

 さて、今回は本のお話。「病気じゃない」「もう治った」と話して医療につながらない、医療から離れる患者さんがいます。未治療の期間が長いと病気はどっしりと根を下ろしてしまい、治療を行ってもすっきりと良くならず ”治療抵抗性” となりがち。早期介入が求められますが、患者さんのこの考え(病識がない、とも言われますが、実際は病気の症状のひとつです)によって、なかなか適切な時期に治療を行うのが難しくなることがやっぱりあるのです。

 ご家族や医療者と押し問答になって、結局はご家族間での関係性や病院との関係性が悪くなり、ますます病気は悪くなる…。そうなると本当に厳しい。そういう時の技法として、LEAPがあります。これは星和書店から翻訳が出ている『病気じゃないからほっといて』という本の著者が作り出した方法。ちょっと横道に逸れますが、星和書店さんの本は全体的に装丁とかフォントとか、そういうのが野暮ったいのが特徴。もう少し洗練させても良いような気もしますし、でもこの地味さが星和書店さんらしいっちゃらしい。

 さて、その本には、このようなことが書かれています。


まず言い争うのをやめて、耳を傾け始めましょう。妄想的な考えや、自分は病気ではないという思いも含めて、自分のものの見方が尊重されたとその人が感じるようにするのです。


 大事な導入ですね。何度言ってもダメだったら、これまでとは違うやり方をトライする必要があるでしょう。それの大枠がまずコレになり、LEAPのLに当たる部分です。

 LEAPはListen-Empathize-Agree-Partnerの頭文字をとったもので、以下のようにまとめられています。


L(傾聴)
理解しながら耳を傾け、批判したり、防衛的になったり、否定したりすることなく、聞いたことを相手に返す。
自分の意見はできるだけ後で言う。

E(共感)
妄想的な思い込み、病気ではないと証明したいという欲求、治療したくないという気持ちに共感して体験を分かち合う。

A(一致)
意見が一致するところを探し、意見が合わない点もそれをお互い認め合う。

P(協力)
一緒に作った目標の達成への協力関係を築く。


 傾聴と共感はとても難しいものです。これができる人は医療者でも少ないのでは…。相手との”あいだ”で成立するもので、相手が「傾聴してもらった」「共感してもらった」と思って初めて傾聴と共感は傾聴と共感になる、と言えるでしょう。本には、傾聴のポイントとして ”あなたの意見を言わないこと、異議も唱えないこと、議論をしないことがコツです” と書かれており、共感については ”誰かにあなたの考え方を真剣に受け取ってもらいたいのなら、あなたが真剣にその人のことを考えていることを、その相手に感じてもらわなければならない(中略)どんなに「おかしな」ものと思っても、あなたはそれに共感しなければなりません” とあります。これって本当に難しいですよ。この2つが達成できたら7-8割は成功と言えそう。この辺りは平木典子先生のアサーション本などを補強として読んでも良いでしょう。

 一致のところでは ”互いの立場が完全に対立しているようでも、一致できるところは必ず見つかります。ここで大切なことは、自分の人生について決める際には、その人なりの選択と責任があるという点です。(中略)あなたが力を注ぐべきことは、その人と一緒に物事を見直してみて、最終的にお互いに一致できる事実を見つけることです” とあります。

 LEAPでは最初の傾聴と共感がどれだけ出来るかというのが大事なのだろうなと思いました。そして、同じ目線に立つことが出来るところを探していき、人生について考えそして決定する権利と責任の両方が患者さん自身にあるということをしっかりと伝えます。そうしたら、それに向かってお互い協力して進んでいくというやり方。これらの詳細は本を読んでいただきたく。訳本ですが訳の硬さもほとんどなく、全体的にとても読みやすいです。患者さんのご家族が読んでみると良いかしらん。

 病識のことがこの本には出てきますが、個人的には病識を持たせるのは残酷なこともある、と思います。無理にそう ”教育” するのも何か違うんじゃないかなと。ほのかな ”病感” が持てれば御の字でしょうか。病識を強いるのは患者さんを引き裂くことにもつながりかねないと思いますし、病識のない患者さんのこころこそ医療者は大切にそっと触れる必要があるでしょう。
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2017
11.28

少しは読めるようになった、かな?

Category: ★本のお話
 医学書院さんから2017年10月に出たばかりである小林弘明先生の『誰も教えてくれなかった胸部画像の見かた・考えかた』を読みました。『誰も教えてくれなかった○○』というタイトルの本は結構多くなりましたね。最初は野口善令先生の『誰も教えてくれなかった診断学』でしょうか??

 自分は胸部レントゲンと言えば中外医学社さんから出ている大場覚先生の『胸部X線写真の読み方』をうんうん唸りながら読んでいたことがありまして。学生から研修医の頃でしたが、何回か読んでもあれは難しかったなぁ。良い本で名著と言っても過言ではないのですが、難しくて唸ってました。今は精神科におりますが、この科でもレントゲンは大事でございます。抗精神病薬やベンゾジアゼピン受容体作動薬を服用している患者さんは肺炎を来たしやすい傾向があり、また統合失調症という疾患自体もおそらくはそうなのだと思っています。かつ、今の精神科病院は入院患者さんの高齢化も進み、認知症患者さんも多く入院しています。肺炎とは切っても切れない! 身体診察とレントゲンのみで診断するのは難しいと言われますが、だからと言って「難しいんなら勉強しなくて良いや」なんてことにはなりません。限界を知るためにもきちんと学ぶことが欠かせないのです。と言っておきながら、胸部レントゲンは主に大場先生の本で得た知識の遺産で食いつないでおりました。今回しっかりと見直してみようということでございますね。

 この本の特徴は、著者が呼吸器外科であるため手術写真が豊富な点、そして病理までご自身でされるので病理写真も多いという点が特色。それらと画像との対比がなんと ”単著” でなされるという稀有さ。これは大きなポイントです。かつ、あとがきでは放射線科医である娘さんにも目を通してもらったそうで、もはや隙がない…。

 そして他書との大きな違いは ”辺縁” へのこだわり。辺縁が見える/見えない仕組みをこれでもかとばかりに理論的に語ってくれます。そのつながりでminor fissureとmajor fissureを解説してくれますが、fissureを意識することでこんなことが分かるのか!と考えを改めさせられました。自分は読影で過小評価してました、完全に。1枚のレントゲン写真でも、自分の眼に映るものと著者の小林先生の眼に映るものは全く違うんでしょうね。この本を読んで、とても得るものが多かったです。そして、”見える/見えない” と書きましたが、この本は「どうして見える?」だけでなく「どうして見えない?」の方にも重きをおいて、きちんと説明しているのが重要。「あ、だからこれは見えないんだ」というのが納得できるのです。最近はエビデンスで重戦車のようにどどどっと攻める本が多くなりましたが、やっぱり今回のような本はスジが通っており、読んでいて楽しいのです。

 著者が呼吸器外科なので肺癌にまつわる画像や解説が多め・詳しめになっています。欲を言えばもうちょっと肺炎の画像と解説が欲しかったかな?と思いました。でも、最初の1冊にも良いですし、改めて勉強する時の1冊にも向いています。説明もわかり易くて読みやすいので、うんうん唸らなくても大丈夫。「うーんなるほど」と唸るかもしれませんが。

 他にはコラムで「本書で用いた画像に関しても、実は異常例の選択以上に、さまざまな所見が揃った正常例の選択に苦労した」とあり、なるほどなぁと思いました。全てが整っている正常例というのは少数なのかもしれませんね。みんなどこか凸凹しているという理解は精神科で広く親しまれていますが、画像もそうだとは。そういや自分も側弯があるのでレントゲンでよく指摘されます。あと気になったのは、例えで出てくるミニトマトの写真。いやにミニトマトの色が良くておいしそうでした。まさか撮影用に良いのを買ったのでは…と勘ぐってしまうくらい。また、紙質も良いですよ。その分ややページ数のわりに重量がありますが、画像診断で紙をケチると良いことは全くありません。
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2017
10.20

死に様は生き様でもある

Category: ★本のお話
 小澤竹俊先生の『死を前にした人に あなたは何ができますか?』を読みました。

 内容としては、とても良い本だと思います。医療職は亡くなっていく患者さんに対しどんな声掛け、どんな対処をしていけば分からなくなり、どうしても無力感に打ちひしがれます。でもこの本には患者さんのどこに注目していけば良いかというのがある程度パッケージされて示されています(”支えを見つける9つの視点”とそれを用いた”事例検討シート”)。そのパッケージも、前提としてきちんと信頼関係をつくるところ、すなわち患者さんの話を逃げずに聞くところから始めようとも書かれており、しかも分かりやすいですね。すべての苦しみに答えられるわけではない、と強調しているのも医療者には救いになるのではないでしょうか。「何とかして答えなきゃ!」と切羽詰まる人も多いので、答えられない苦しみだってあるんだよと指摘してくれるのは助かります。

 もちろん、本の内容すべてに賛成というわけではありません。例えばコラム3にある”人は赤ん坊に戻っていく”という考えに自分は否定的です。でもその考えで患者さんが少しでも安心して納得できるのであれば、それは適切なのでしょうね。

 そして個人的に注意したいのは、この本に限らないのですが、多くの終末期ケアの本は理想の臨終に少しとらわれすぎているかもしれない、という点。もちろん理想を目指しはします。理想なんてくだらないというつもりはさらさら無くて、理想に到達しようとする努力が現実をより良くしてくれるとも思います。でも、理想と思うような最期にならなくても、医療者は自分自身を責めてはいけない、そう考えているのです。その記載はあっても良いのではないでしょうか。

 今度の四国の講義でもそのお話を(時間が余ったら)するつもりなのですが、講義スライドからポイントを挙げると

・人の死に様は生き様を映す
・どう生きてきたかが、どう死んでいくかにつながる
・死は生の対極ではなく、生の集大成である

 ということなのだと思います。個人の生(小さな生)は千差万別であり、個人の死(小さな死)も同じく千差万別だ、ということ。

 医療者はハッピーな死を理想とし、そうならないことは失敗・自分の責任と考えてしまいます。例えばそれは、みんなに囲まれて穏やかに死んでいく、というものでしょう。しかし、同じ死というものはありません。病気を受け入れて穏やかに幕を閉じるのもひとつの死であり、あくまでも最後まで病気と戦って悔しがりながら散るのもひとつの死だと自分は思います。理想形を目指しはしますが、そうならなかったからと言って失敗ではありません。それぞれの “死=生” を医療者が受け入れる覚悟も大事なのではないでしょうか。

 また、打つ手がなくなると、医療者の介入も少なくなっていきます。それを患者さんもご家族も感じ取り、彼らは取り残された感覚に陥るでしょう。そこをしっかりケアしていくことも大切。患者さんのみならずご家族への目配りも欠かせませんね。

 最後に、少し前に別のところに書いた文を載せておきます。


★最期の文脈はその人らしく★

 物事の意味は、その物事単独では決まりません。“文脈”“行間”とも表現される全体性によって部分の意味が変わりますし、その部分の意味により全体性も影響を受けます。「バカ」という言葉は“罵る”“皮肉る”はたまた“甘える”などなど、状況によって意味は変わりますし、その言葉が発せられた後は雰囲気もちょっと変わるでしょう。また、「晴れているね」という台詞は、「晴れているから外に出かけよう」「日光が部屋に入ってくるように他の部屋のカーテンを開けて」などの意味になることもあるでしょうし、それによって周囲にもたらす影響も変わります。

 “あわい”という文脈性はとても動的であり、それは生と死という緊張をはらんだ事態で特に強く意識されます。例えば、がんに冒されあと半年の生命と判明。この半年も、文脈によって意味が変わるでしょう。私は、半年を患者さんに精一杯生きてもらい、そして精一杯死に向かってほしいと思います。死は人それぞれであり、「受容しなければならない」という意見は鋳型にその人の歴史をはめるような行為。生き様は死に様でもあり、死に様は生き様でもあります。手塚治虫は最期まで「仕事をさせてくれ」といいながら亡くなりましたが、まさに手塚治虫らしい人生を貫いたと思います。患者さんが患者さんらしく生きて死んでいくことができるのなら、それが壮絶なものであっても、後悔があっても、それで良いのかもしれません。しかし、それができなければ、死に至る病としての絶望となることもあるでしょう。医療者は前者の意味になるように、患者さんやご家族をサポートしていく存在。

 死ぬ場所もそうです。医療者は「在宅で死ぬことが最も良い」と盲目的に考えがちですが、それは患者さんやご家族によって異なりますし、同じ患者さんでも時期や状態によって変わります。死の臨床ではハッピーエンドを求める本や教科書が多いのですが、決してそうはなりませんし、分岐点を進んだらまた分岐点にぶつかる、常に迷い考えるもの。画一的な「死は受け入れるもの」「家族みんなに見守られて悔いなく死ぬのが一番」という模範解答は存在しないのではないか、と私は思います。

 抗がん剤で生命予後が数ヶ月延長されることも、同じように文脈依存性の意味を持つのです。「たった数ヶ月で何の意味があるのか」と一笑に付すのは思考停止を招きます。その数ヶ月にどんな意味を込めるか、数ヶ月を患者さんらしく生きて死んでいく期間にできるか、それによって数ヶ月の重みはまったく異なってきます。

 文脈を破棄してしまうと、“胃ろう=悪”、“延命=悪”、“在宅で死ぬ=善”などといった単純な考えが出現します。はっきりしていて分かりやすいものの、そのように発言するのは、生や死と真剣に向き合っていないことを露呈しているでしょう。臨床は判断が“あわい”の文脈によって変化します。そこを考え続けることが医療の大きな仕事なのだと思います。

 私たちの周りは、“事象”で溢れています。それは無・意味でもなく有・意味でもなく“非・意味”なのかもしれません。普段接している意味はとても恣意的であり、文脈によって私たちが付けたもの。それはすなわち、文脈を変化させることで、新しい意味が与えられ、絶望を希望に、そしてその逆もできてしまうことになるでしょう。 
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