FC2ブログ
2019
06.14

うまく使うということ

Category: ★精神科生活
 6月上旬は、京都で講演をしてきました。"ベンゾジアゼピン受容体作動薬をどう使うか" という内容。漢方以外の講演は久々で、本業を思い出すなぁ…。昨今はベンゾジアゼピン受容体作動薬の使用について注意が喚起され、診療報酬も改訂されました。その流れでアンチ・ベンゾと声高に叫ぶになるのは簡単であり、ベンゾを悪とみなすことが「私は良い精神科医ですよ!」と示すための道具と化してしまっている風潮もあります。それは極端な印象だなぁと自分は持っており、一切使わないのではなく、うまく使えば役立つこともありますよということをお話ししてきたのです。その "うまく" がどのようなものか、というのが大事ですね。

 ベンゾは即効性があり、抑うつ・不安・不眠という多くの人が悩む症状に効果をもたらし、かつハズレが少ないのです。半減期によってある程度の作用時間も調節でき、薬価も安い。こういうところはメリットでしょう。もちろん、そういう長所と短所とはコインの裏表のような関係にもなっているということに注意が必要です。

 うまく使うには依存をつくらないことがやっぱり重要で、そのためにベンゾジアゼピン受容体作動薬は問題を "先送り" にするものだという認識を医療者も患者さん側も知っておく必要があります。先送りばかりしていると後々詰んでしまうため、送っている間にしっかり対処しましょうね、ということ。この "先送り" も文脈次第で「先送りしかできない…」という理解もできますし「先送りすることができる!」という理解も可能ですね。いずれにしても新規に処方する際は、必要最小限の量を、必要最低限の期間だけ、もしくは頓服として、使用する。原則としてこれを守りましょう。もちろん、中にはベンゾの長期内服を必要とする人もいるのかもしれませんし、現に「今まで10年以上使ってます」などという人でこれと言って悪影響が目立たないのであれば、リスクとベネフィットを天秤にかけて「あえて処方していく」という選択もあるでしょう。

 また、ベンゾに反対ばかりしていては、抗うつ薬の処方が増えてしまう可能性があります。「ベンゾが使えないなら抗うつ薬を使えば良いじゃない」というのは、治療選択肢の幅の狭さを表してしまっているとも言えるでしょう。実例はアメリカのメディケアが示していますね。必要ではない患者さんにも抗うつ薬を使ってしまう可能性があり、また医療費の押し上げにもつながってしまうのです。ひょっとしたら、抗うつ薬を販売している製薬会社のステマに加担している人だっていないとも言えません。製薬会社は、今のベンゾ縮小の流れでどう抗うつ薬を売っていくか、虎視眈々と狙っていることでしょう。

 では、どうやって、ベンゾをうまく使うのか。そのために、講演会でもお話をしましたが、特に若手の先生にはいったん



ベンゾ不使用縛り



 をしていただきたいのです(別に若手じゃなくても良いんですよ!)。ゲームのプレイ動画で低レベル縛りや初期装備縛りなんてのがありますが、あれと同じ。ベンゾの便利さに慣れてしまうと、ついついそっちに流れてしまいます。


患者さん「眠れません」
医者「じゃあマイスリーで」

患者さん「ちょっと不安でドキドキ…」
医者「じゃあワイパックスを」


 という手段のみになってしまっては、広がりが出てこない。よって、そうなってしまう前に、ベンゾを使わずにどうやって乗り切るかというのを学んでほしいのです。これは感染症診療の白血球とCRPと同じようなもので、「これらを使わずに肺炎患者さんの状態を追いなさい」と指導医から言われたら、いろんな材料を血眼になって探すでしょう。呼吸数はどうか、食欲はどうか、よく眠れているか、声の力は良くなっているか、顔色はどうか、朝起きて新聞を読めるか、グラム染色で起因菌が減っているか、聴診でcoarse cracklesが弱くなっているか、などなど…。これは臨床を生き生きとさせてくれます。ベンゾの使用を縛ることは、患者さんの様子を深く知ることにもなりますし、ほかの治療法、例えば不眠であればCBT-Iといったもの、を勉強しなければならなくなります。そうやって様々な方法を知ることによって、改めてベンゾの立ち位置もつかめてくるのではないでしょうか。"それ" を知るには "それ"自体を知り、かつ "それ以外" をも知らねばならない、ということなのです。もちろん、ここで「ベンゾの使用を縛ったからSSRIで」となってしまってはいけません。

 ということで、ベンゾの使い方を知るには、まず、特に若手のうちにベンゾを使わない期間をあえて設けて "不便さ" を学ぶことだと思います(繰り返しですが、もちろん若手じゃなくても良いのです)。他の対処法を習得してから再びベンゾを全体の中のひとつとして眺めることができれば、"使い方" が分かってくるのではないでしょうか。

Comment:3  Trackback:0
2019
06.10

整理をしてみる

Category: ★精神科生活
 以前にも記事にしましたが、大事なのでもう一度。

 4月から精神科にもレジデントが入り、もう2か月となりました。今の時代、レジデントは「できるだけ単剤で!」という教育を受けているので、昔の処方を見るとびっくりします。この驚きも通過儀礼というかなんというか。

 その昔の処方は精神科病院に行くと目にします。長年入院している統合失調症患者さんや知的障害の患者さんがそうで、その処方を見て「おぉ…」と思うこともしばしば。自分も最初に処方を見た時はまさに目が点になりました。いちおう前期研修の頃に精神科薬剤の勉強をしていて、統合失調症の治療も”非定型抗精神病薬を用いてできるだけ単剤で抗コリン薬は使わずに…”というアタマだったため、精神科病院に長年入院している患者さんの処方には本当にびっくりしたものです。ちなみに今は非定型ばかりではなく定型も使っていて、自分はブロムペリドール、チミペロン、ピパンペロン辺りに馴染みがあります。非定型だけではどうにもならない患者さんも確かにいて、そういう時に定型を使うと改善に向かうことが少ないながらもあるため、「定型も大したもんや」と感心してしまいます。クロザピンがもうちょっとハードル低く使えたらなぁと思いますが…。

 そして、レジデントはそんな処方を見てやっぱり「何とかしよう!」と思います。これを何とも思わないレジデントはちょっといかんのではないか、と自分は勝手に考えております。多剤大量の弊害は色々と言われているので、減らせるところまで減らせればそれはとてもイイコトと考えるでしょう、普通のレジデントなら。何もせずに最初からそれを放棄してはなりません。混沌とした処方を見て「さぁどうやって減らしてやろうか」とウズウズしてくるくらいがレジデントっぽくて良いのです、たぶん。

 しかし、この減量がクセモノで、うまくいかないことがとても多いんです。「え、ちょっと減らしただけなのに状態が悪くなった…」という体験をすると「やっぱりいじっちゃいかん処方だったのかなぁ…」と考えるでしょう。そこで、この”ちょっと減らしただけ”というのが、実は”ちょっと”ではないことが落とし穴。長年入院している多剤大量の患者さんは”受容体のアップレギュレーション”が生じていると考えましょう(あくまでも仮説ではありますが)。その場合、レジデントが”ちょっと”と思っていても、受容体的には”かなり”になります。よって、その部分で注意が必要でして、クロルプロマジンでもヒトケタ(1 mgとか2 mgとか)、ハロペリドールでもコンマ何mg(0.1 mgとか0.2mgとか)くらいの用心深さが求められます。私たちの思う”ごくごく少量”が長期入院の患者さんにとって”ちょっと”というレベルなのだと考えましょう。したがって、一人のレジデントが担当している間は減量が完成しないかもしれませんが、それで良いのです。次世代に継ぐような、それくらいに慎重にじっくりと焦らずやる必要があるのでございます。

 あと、レジデントにとって壁となる存在が看護師さんです。彼ら/彼女らは患者さんと特別な関係であり、もう数年~十年以上の付き合いになっています。患者さんの病棟生活をほぼ把握していると言っても過言ではありません。そういう関係性の中に4月からぴょいっと何も知らないレジデントがやってきて処方をいじくった挙句に症状を悪化させて最悪保護室を使わねばならなくなる。看護師さんからすると


「何してくれてんだよオマエ! ○○さんのこと何も知らないで薬剤をいじって! 前のレジデントもそうやって引っ掻き回して悪化させたことがあるんだよ!」


 という、強烈な陰性感情を抱かないわけではないのです。中にはレジデントに対して薬剤の減量について釘を刺しておくなんてこともあります。この気持は分からないではありません。自閉的でこだわりが強いながらも病棟での生活をせっかく送れていたのに、どこの馬の骨とも知らない若造がやって来て壊しているのですから。減量に失敗したレジデントにそのような視線を送ると、レジデントの方も積極性がなくなっていき、処方を変えずにそのまま…という長年の処方の継続という形が完成します。

 しかしながら、ここでやっぱり多剤大量の弊害を看護師さんにも知ってもらう必要があるかと思います。自閉的や強いこだわりは、ひょっとしたらドパミン受容体やセロトニン受容体の過剰な遮断によるものかもしれません。減らすことでちょっと患者さんが明るくなるかもしれません。入院中の患者さんの独特の歩き方は、やっぱりドパミン受容体の遮断によるでしょう。減量によってそれが改善するかもしれません。それ以外にも、薬剤を減らすことで心血管リスクが下がるでしょうし、誤嚥性肺炎も少なくなりますし、認知機能低下もなだらかに出来るかもしれません。

 そういうことをお話しした上で(看護師さんの立場を尊重しながら、は当然です)、各種受容体のアップレギュレーションを考慮に入れて、ほんのちょっと、ナメクジが這うよりもゆっくりなペースで減量を進めてみましょう。何も変わらないかもしれません。でも、何も変わらなくてお薬を減らせたら、それは勝利だと自分は思います。レジデントの大きな経験にもなるでしょう。なかなか失敗が許されない状況ではありますが、レジデントのみなさんはごくごく少量でも良いので減量にトライしてみることをオススメします。自分も、ハロペリドール9 mg/day入っていた患者さんを3mg/dayにまで減らしましたが、自発性の低下や姿勢の悪さは全く変わらずやや拍子抜けしたことがあります。でも、何も変化なくそこまで減らせるということが大事。

 ただし! 中には「どうしてもこの複雑怪奇な処方じゃないとダメなんだな…」という患者さんもいます。以前の主治医の先生方の叡智の結晶と言ったら大げさかもしれませんが、そういう処方もあるにはあります。全員が減量できるわけではないのでしょうね。

 また、減らす時は患者さんにしっかりと了解を得ましょう。患者さんは変化があまり好きでないことがあります。その場合、「多剤大量は弊害だ!」という私たちの考えだけで減らすことは、患者さんの不安をあおり、対立まで生むかもしれません。患者さんが「このままで良い」と言うのであれば、いじらずにそっとしておくことも方法なのです、たぶん。私たちが正義なのではありません。「正しいことをしている!」という認識は、ともすると暴力的ですらあるのです。私たちと患者さんとのあいだに漂いながら、じっくり考えていきましょう。

 ちなみに、「多剤併用のほうが単剤よりも再入院率が低いというデータがある」という人もいます。これは確かにそうなのですが(例えば Tiihonen J, et al. Association of Antipsychotic Polypharmacy vs Monotherapy With Psychiatric Rehospitalization Among Adults With Schizophrenia. JAMA Psychiatry. 2019 Feb 20. [Epub ahead of print] PMID: 30785608)、この場合の多剤併用は "2剤" がほとんどです。昔の日本で行われていた抗精神病薬の3剤や4剤、かつ抗コリン薬を乗せてベンゾを乗せて…という "多剤併用" とは同じではありません。ここは注意が必要ですね。旧来の多剤併用を正当化する内容ではないのです。

 ということで、患者さんが、そして周囲の環境が、減らすことを許容してくれる状況であるのなら、本当にゆっくりと少しずつ減量してみましょう。ただし、過大な期待は禁物です。そして、何か良くない変化があったらすぐに元に戻すことも大切です。それを忘れずに取り組んでみましょう。薬剤師の先生も細粒で微調整しなければならないので負担でしょうけれども、ご了承を…。
Comment:0  Trackback:0
2019
05.02

ゆとりがなくなると

Category: ★精神科生活
 「人間関係でこじれてしまい、眠れなくなった。職場に行くとイライラして仕方がない」という患者さん。

患者さん「上司は色々言ってきてうるさかった。放っておいてほしかったんです。嫌がらせにも思えちゃって」

 この患者さんは、上司とのイザコザがあり、患者さんからは口を閉ざすようになりました。いっぽう、上司は患者さんに声をかけ続けたのです。それが患者さんに対する攻撃のようにも受け取られてしまい、かえって患者さんが上司から離れることになってしまいました。

 こちらからは、今の状態ならそう思ってしまうのも無理はないかもしれないとお伝えしながらも、ゆとりがなくなってくるとお互いに勘ぐってしまって、思っていたこととはまったく違うように受け取られてしまうこともあるともお話。しかし、患者さんはあまりそれについて納得していないようでした。最初から分からせようとするのは医療者側の視点でしかものを見ないことにもなるので、あまり強調せずにそっとしておくことに。まずは患者さんの悩みである不眠とイライラを共通の解決事項として合意しました。

 診察を重ねながら、患者さんの上司に対する意見を聞き「ひょっとしたら上司のかたはこう思ったのかもしれないですねぇ」と少しずつ自分の感じたこともお話。そうしたらついに


患者さん「先生の出してくれた薬で良く眠れるようになって、そしたら先生が言ってたことが分かってきました。この前上司が家に来て、そこで話をしたんです。”○○君には辞めてほしくなくて、それで話をしてたんだ。他の人ならもう諦めてる”って言ってくれて。僕、勘違いしてました。辞めさせようと思ってわざと仕事中も話しかけてくるんじゃないかと思ってました」


 とのこと…! これは話し合いがまさに”人薬”として作用してくれたのだと思います。さらに睡眠をとるようにしてもらうことで、こころに「あ、そうだったのか」と思える”ゆとり”が産まれたこともあるでしょう(これは薬剤の効果かな?)。

 ゆとりがなく焦りのカタマリになると人や自分自身のことを信じられなくなり、言葉や表情のウラを読んでしまいます。何から何までイヤに思えてきて、まさに”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”のことわざ通り。”あばたもえくぼ”なんていうのもありますが、その逆の”えくぼもあばた”とも表現できます。自分も他人も否定的に見てしまうのは、そんなサインでしょう。そういう時はシンプルにたっぷり寝るようにしてもらっています。意外とそれで「あれ? ひょっとしたら…?」と思えるようになることも多く、そこから診察でほぐしていく感じでしょうか。世の中には様々な治療法や治療薬もありますが、しっかり寝て疲れを取ることがやっぱり大事なのでございました。今回の話し合いも、もし眠れない状態続いていて焦りの中で行なわれていたら、ひょっとしたら患者さんが上司に持つ印象も悪い方になっていた可能性もあります。

 患者さんが上記のように語ってくれた診察で、ここぞとばかりに以下のことをお伝えしました。


自分「本当に辞めてもらいたいのなら、私なら無視をします。人が一番つらいのは孤立無援で、それはみんなから存在しないとみなされることだと思います。上司のかたが声をかけるのは、辞めてもらいたいからじゃなくて、つながっていてほしいからだったんでしょうねぇ」


 そしてオマケに


自分「○○さんと上司のかたって、こじれた恋人同士みたいなもんだったのかもしれませんね」


 と付け加え。患者さんは笑いながらも納得したような感じになりました。もちろんずっと仲違いをしたままのこともあり、このようにうまくコトが運ぶとは限りません。しっかりとした話し合いの場が持たれなければ、この患者さんも誤解が続いていた可能性も。でも不思議なもので、動いてほしい時に辛抱強く待っていると、事態って動いてくれますね。この”待つ”っていうのがきつく感じるのではありますが(だから医療者もきちんと寝てゆとりを持ちましょう)。

Comment:4  Trackback:0
2019
03.05

電子カルテ変更による脱理想化?

Category: ★精神科生活
 勤めている病院で、2月に電子カルテの刷新が行なわれました。もともとオーダリングシステムだけが電子化されており、普通の記録は紙カルテなのですが、これは変わらず。個人的には全部電子化してほしいのではありますが…。字が下手過ぎて、自分でも読めないという "医者あるある" の状態です。字の上手な医者はそれだけで尊敬に値する、うん。

 病院で使っていたのは結構古い電子カルテで、サポートが切れてしまうそうです。かような理由で新しいものに変更となりました。それだけで億のお金が動くそうで、業者の思うツボか…?と思わないでもありませんが。

 そんなこんなで、しばらくは電子カルテと悪戦苦闘。病院にも「みんな慣れないから遅くなるよ!」という潔い内容の張り紙をしています。ある日、外来で脱理想化を図れた(かもしれない)経験を提示いたします(細かい点は変更して個人が分からないようにしています)。

 うつ病で寛解間近の若い患者さん。普段どおりの診察が終わって日々の行動活性化を確認して、処方箋入力と次回予約の設定がやってまいりました。


自分「えーっと、次の予約はいつにしましょうか」
患者さん「じゃあまた4週間後で」
自分「はい。時間は11時で良いですか?」
患者さん「はい」
自分「えーっと、ちょっと待ってくださいね…。こうやって、えっと、んー」
(沈黙)
自分「よしっ。じゃあ次はお薬ですけど、今のところはこのままで行きましょうか」
患者さん「はい」
自分「えーっと、処方はこれだったかな…。どこだ…、あれ、日数は…」
(沈黙)
自分「よし、ふー。ごめんなさいね。パソコンが変わって良く分からなくて」
患者さん「そうなんですね。呼び出しのチャイムも音が変わってましたし、病院にも張り紙が」
自分「気づきました? 私もパソコンの前で頭抱えてまして」
患者さん「へー、先生でもそうなんですね」
自分「慣れるまでは時間がかかりますねぇ」
患者さん「何でもサッとできるもんだと思ってました」
自分「あら、ソツなくこなせる感じに思ってらっしゃった?」
患者さん「はい」
自分「いやいや、毎日唸りながらやってますよ」
患者さん「あはは、そうなんですね。安心しました」
自分「安心。唸ってる一面を見て安心されたの?」
患者さん「はい」
自分「ほー、そうでしたか。何でもできると思っていた人が、実は悪戦苦闘している、というような」
患者さん「はい、そうですね」
自分「それは何よりでした。今日の収穫はそれかしら」
患者さん「ですね」

 という感じで診察が進み、意外にも患者さんがこちらを完璧のようにとらえていたことが判明。いつも自分は、分からないことは「分からない」と言っており、患者さんの目の前で検索して調べることもあります。"私の先生は何でも知っている" という錯覚を防ぐためには無知の姿勢を見せることが大事ではありますが、それでもやっぱり患者さんの理想化は起こるものだなぁと。患者さんにしてみれば、理想とする人間像が崩れたわけなのでちょっとした喪失体験にはなります。しかし、今回のようにそこを笑って「安心した」と言ってくれるのはこころが健康的だからでしょう。うまく脱錯覚できたとも言えますが、そこで状態が大きく崩れてしまう人も中にはいます。錯覚の崩壊にこころが戸惑っている、というと良いでしょうか。そうならないように、医者としては診察室の空気を考えていくことにはなるのですが。

 今回は電子カルテを通じて貴重な経験をしましたが、でもシステムの刷新にはもう脳が追い付かない…。誰か助けて。
Comment:2  Trackback:0
2018
11.09

3日目は困憊

Category: ★精神科生活
 疲れもピークのてんかん学会学術集会 in 横浜、最終日。もうダメだ。

 朝ごはんは7時。最終日は8時10分から講演があるので、第二弾はナシで早めに終了。

RIMG1675_2018103114244360a.jpg

 しらすと赤メバルの幽庵焼きは皆勤賞! というか、3日間通じて朝食ビュッフェの変動が小さい! 毎日似たようなお料理だったので、必然的に選ぶものも同じような感じに…。ご飯は出汁茶漬けにしました。

 3日目の学会メニューは

8時10分:企画セッション10~新しいてんかん・発作分類を学ぶ
10時50分:特別企画講演4~ロボトミー少史
12時10分:ランチョンセミナー13~脳神経外科医が手術と術前計画で用いる画像の実際

 でして、最終日は13時10分で終了。本来ならばその後に開催されるてんかん学研修セミナーを受けたかったのですが、名古屋で講演会を引き受けてしまい、受講せずにおしまい。駅でお土産を買って、名古屋駅に戻って講演会をして終わったのであります。

 あーもう疲れてしまった。3日目の写真数の少なさが疲労を物語っているではないか…。しかもホテルって寝ても何となく疲れが取れないんですよねぇ。活動はしないに限るなぁ。

 来年のてんかん学会学術集会は、神戸ポートピアホテルとのこと。そこ周囲はホントに観光スポットもないから、おとなしくコンビニで買ってホテルでお夕飯だなぁ。

Comment:2  Trackback:0
back-to-top