2017
09.16

舌の根が乾かぬうちに

Category: ★精神科生活
 2017年7月に、精神神経学会に(嫌々ながら?)行ってきましたというお話を記事にしました。そこでは


もう当分学会には出ないでおこうと固く決心


 と書いたのでありますが、何と11月に別の学会に行くことにしました!

 まさにタイトル通りではありますが、これは強制されてではなく、自らの意思で決めたのです…! なんと、そんな余力がまだあったとは。

 実はですね、今月に”日本てんかん学会”の会員となりました。会員になるには評議員や正会員の先生がたの推薦が必要なのですが、周りにそんな先生が全くおらず…。この交友関係の狭さが色々と不都合を生み出しているのは重々承知してますが、何ともはや。日本てんかん学会のHPには「そんなアナタ、まずは事務局にお電話を!」という内容の文言が記載されていたので、電話をかけたのであります。

 すると「推薦人の欄は空白にして、用紙にそれ以外を書いて送ってください。推薦人はこちらで探しておきます」とのこと。あ、そんなんで良いんやね…。で、晴れて会員になれたのです。

 ”てんかん”はもともと三大精神病の1つと言われておりました。精神科との縁は長く、古くは満田久敏先生の提唱した”非定型精神病”があります。てんかん、躁うつ病、統合失調症の”あいだ”にあるのが非定型精神病である、いやむしろ非定型精神病が中心であり、それら疾患は非定型精神病から派生しているような印象も一部にありました。とはいえその”てんかん”は立派な器質疾患だということが判明し、精神疾患から外れた経緯があります。そこからてんかんの診療は神経内科がメインとなり、精神科はあまり携わらなくなりました。精神科は、常に不確定な疾患を診る科なんだなぁと実感。器質因が判明すれば精神疾患から外れるんですもんね。ただ、非定型精神病と思しき症状を認める患者さんは無きにしもあらずで、興味深いところです。

 さて、そのてんかんの中には精神疾患と紛らわしい症状を認めるものもありまして、側頭葉てんかんや前頭葉てんかんがその好例です。何もガクガク全身が震えるのだけがてんかんではありません。最近は認知症との鑑別でも話題ですね(認知症がてんかんのリスクファクターでもありますが…)。もちろん、てんかん患者さんの精神症状やPNES(心因性非てんかん発作)は精神科医がしっかり携わるべきものだと思っています。

 さらに、最近はてんかん患者さんのてんかんそのものの治療を新規ですることが多くなり、やっぱりてんかんとその薬剤についてしっかり知らねばいかんな、と思うに至ったのであります。”てんかんなら何でもバルプロ酸”なんていうのはいけません。ちょっと前に、病歴から複雑部分発作の二次性全般化と判断した患者さんが、その前の病院ではプライマリーな全般発作と考えられていた、なんてこともありまして。そうなると治療に用いる薬剤がちょっと変わってきます。ところが、てんかん診療をしっかり行なっている精神科医はあまり多くなく、周囲には全くいません(学会員が周りにいないし…)。

 よって、自分で色々勉強しているのですが、独学のみだとちょっと心細いんですよね、実は。漢方はみんな言ってることが異なる(良い意味でも悪い意味でも)ので、独学で大きなマイナスは少ないと思っています。でも、てんかんは自分の治療に疑心暗鬼となってしまいまして。自信がないんですよね。

 ということで、学会員になって、学会にも参加してみよう!と思ったのです。これまでは学会に参加する意義が分からなかったのですが


自信のない時、自分の現在位置を確かめるために


 と自分なりに考えました。「自分の行なっている治療はどうなんだろう?」「ちょっとしたコツってあるかな?」というのを探しに。精神疾患でも心細さはあるのですが、周囲にたくさん教えてくれる先生がいます。しかし、てんかんはそうでないため、学会に参加してみようと思いました。もちろん今は文献やUpToDateを見れば必要なことが書かれていますが、それに加えて”人から聞く””人が集まっている”ということで心細さを解消しようという目論見なのです(学会の内容だけで勉強なんてのはもちろんダメでしょう)。

 今年の日本てんかん学会学術集会は京都で、11月3-5日に行なわれます。ちょっと行って勉強してきますよ。観光じゃないですからね。本懐は勉強です、たぶん。あー、でも泊まるホテルが錦市場の近くなんですよねぇ・・・。これはヤバい。
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2017
08.29

机をコンコン

Category: ★精神科生活
 精神科で患者さんを診ていると「ドキドキしてきて、それで息が詰まる様な感じがして、死んじゃうんじゃないかとふと怖くなってしまいます」という人がたくさんいます。精神症状であれば、それは”パニック発作” と呼ばれます(てんかんはきちんと除外しましょう)。ただ、この ”ドキドキ” はクセモノでして「本当に不整脈だったらどうするの?」ということになりかねません。特に心房細動はきちんと拾い上げておきたいところ。

 大抵は患者さんも内科に行って「心電図はとったんですけど異常なしと言われました」と話します。でも、発作性の不整脈はそれが出ている時に心電図をとらないと姿を現さず、何も症状がない時に心電図をとっても有用性に乏しいのが歯がゆいですね。

 もちろん、不整脈を持っている人がパニック障害を持っていることもありますし、逆もまた然り。これはてんかんにも言えるでしょう。てんかん発作とPNES(心因性非てんかん発作)の両方を持っている患者さんは少なくないと聞きます。しかも、不安があると心血管疾患のリスクが高まるとも言われます(Am J Cardiol. 2016 Aug 15;118(4):511-9. PMID: 27324160)。このメタアナリシスでは心房細動のリスクは有意に高くはなかったとしていますが、信頼区間の幅も大きく、何とも言えないところ。

 このように、不安は心血管疾患のリスクになるため、「パニック障害だから不整脈や狭心症ではない」とは決して割り切れない。でも、割り切れないことばかりを強調してしまうのもいけないでしょう。それは ”考えないこと” につながってしまいます。その部分をできるだけ分けようとする、それでもちょっと「??」と思うのであれば、その時に併存というのもあるかも…と考えるに至るのがセオリーでしょうか。分けられるところまでは分けようとする努力が大切。イージーに考えてしまってはいけません。

 そんなこんなで、ドキドキがして大変ということで受診する患者さんに対し、自分は不整脈を見つけるために ”机コンコン” をします。

自分「○○さんのドキドキがどんな感じか教えてもらいたいんですけど、ドキドキって色々ありましてね」

 と前置きして、机をコンコンします。最初は

コン  コン  コン  コン  コン…

 これは60-70/minくらいの速さで規則正しく叩いています。患者さんが「これです」と言ったら、それは動悸 ”感” と言うべきものでしょう。次は

コンコンコンコンコンコン

 100-120/minくらいの速さで規則正しく叩いたもの。これだと洞頻脈かな? と思います。150/minを上回る速さであれば、洞性ではないだろうなと察しが付きます。次は

コン  コン      コン  コン…

 ブロックで一拍抜けるものを示しています。次は

コン  コンコン    コン  コン…

 期外収縮。もちろん3連発とかもありますが、実際にやるのは2連発くらいで後は口頭で「今は2回続きましたけど、もっと多く続くものもあるんですよ」とお話ししています。次は

コン  ココン コン    コン  コン

 バラバラに机をコンコンしていますが、これが心房細動。「こんな風にバラバラなのもあるんですよ」と一言。

 これくらいの例を出して、あとは患者さんに「実際に今度ドキドキしたら、自分の手首に指を当てて脈を見てみてくださいね」とお伝え。脈の触れ方も教えておきます。こうすると、ドキドキ出現時の状況が分かります。

 これは、ドキドキの原因が不整脈かどうかを知るためにもなりますが、実際に脈を見てドキドキを判断するということを通して、患者さん自身が症状にとらわれないようにするためでもあります。症状の外に立ってドキドキを観察する眼を持つ、ということ。ちょっとした科学者を目指してもらいます。そして、頸動脈ではなく手首の脈(橈骨動脈)にしているのは、手首は自分の眼で見ることが出来るからなんです。まさに”観察”出来ますね。頸動脈は手で押さえてもそこを見ることが出来ないので。あとは、視点を心臓という臓器から手首にスライドさせる意味もあります。心臓にアタマが行ってしまうと、良い考えには結びつきませんよね。

 これを狙って、自分は机コンコンを日々行なっている、ということでございました。机コンコンの診察の最後は「次の診察で、ドキドキがどういうのだったかを私に教えて下さいね」とお願いします。ここにも隠れたポイントがあって、医者から「教えて下さいね」と頼まれるのは患者さんにとって少し意外さを産みます。医者が教えるのではなく、患者さんが教える。ここに患者さんが主体的に症状と関わっていくための種まきがなされているのでありました。効果のほどは知りませんが(おい)。あとは、患者さんの方から医者に物事を言いやすい雰囲気にするという効果も期待されます。

 ちなみに、上室性頻拍であればバルサルバ手技を教えることがありますが、”息こらえ” ってどう伝えるかが難しいと聞きます。そんな時はですね、患者さんにまだふくらましていない風船をイメージしてもらって

自分「口を閉じながら、イメージした風船を持って口に近づけて、ふくらませるように頑張ってみてください」

 と自分でやりながらお話しします。そうするとより伝わりやすいかな? どこかの本に書いてあった気がしたんですが、忘れてしまいました…。このバルサルバ手技は成功率の低さで有名なものの、この手技を半坐位で15秒行なった後に仰臥位にして45度の下肢挙上をすると、成功率が17→43%にアップするしたという報告があります(Lancet. 2015 Oct 31;386(10005):1747-53. PMID: 26314489)。こういう研究、良いですねぇ(BMJ的だけどLancetに載ったんですね)。
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2017
08.11

ほどよい依存

Category: ★精神科生活
 随分前に寛解してお薬も飲んでおらず、でも定期的に通院する患者さんがいます。といっても3ヶ月に1度とかなんですけど。たぶん、こういう患者さんはどこの病院でもチラホラいるんじゃないかな? と思います。

 3ヶ月に1度やって来て、ちょっとお話をして、帰っていく。その多くは結構な高齢患者さん。社会とのつながりが薄く、子どもも独立して配偶者には先立たれて、というケースが典型的。こういう患者さんの通院に対しては、否定的な意見があるかもしれません。「治っているんなら通院の必要が無いだろう」「病院に依存してるんじゃないか」「患者さんをそうやって抱え込んでるんじゃないか」など。

 でも、依存がそんなに悪いのか? とも思うのです。世の中は何でも自立しろと言いますが、それは依存しないこととイコールではないでしょう。しんどいなぁ、さびしいなぁ、という時にちょっと依存できる目的語がある、そして依存できる主語がある、それが大事なのだとも考えております。そんな依存を許さない”自立”は”孤立”と言っても良いのではないでしょうか。どんなにつらくても自分の力だけで何とかする、のではなく、つらい時は頼ったって良いんだよ、という”おたがいさま””おかげさま”こそが人の世なのだと思うのです。私たちは”あわい”から生まれて”あわい”に生きる存在です。その”あわい”を断ち切ってしまえば、手を離された風船のように遠く消えていってしまう、そんな気がします。

 だから、3ヶ月に1度やって来るその患者さんも、病院に来てちょっと担当医と話をするということで、ほどよいつながりを保っているのではないでしょうか。担当医も深い介入はしません。スッとなでるような浅い関わりが侵襲性を最小限にして、ほどよさを生んでいるのでしょう。もちろん、毎週来て腰が痛い湿布を出してくれ点滴をしてくれ、とか、3日に1度のペースで予約外で来院する、というのであれば枠というのをしっかり考えて治療に当たる必要性があるでしょう。でも3ヶ月(2ヶ月でも良いんですけど)に1度、定期的にやって来てお話をちょろっとする、というのは決して悪いことでもないんじゃないかなぁと感じているのです。

 ちなみに、病院としてはそういう患者さんでほとんど利益は発生しません。さっさと終診にしてそのぶん新しい患者さんを診た方がよっぽど儲かるでしょう。でもそれを病院が第一にしてしまったら、病院は病院でなくなってしまうかもしれません。なかなかつながりの見出だせない社会だからこそ、病院がちょっとそんな役割を担っている。そう考えるといくばくかの悲しさもありますが…。昔はお寺なんかがその受け皿だったかもしれませんね。コンビニよりもお寺の数が多いという話も聞きますし。お寺が復権してくれれば、病院に来る患者さんも減るかな? と想像。最近は症状というよりも ”悩み” と表現したほうが良いようなかたが受診されることも多くなったので…。
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2017
07.18

聞き方をどうしようかな?

Category: ★精神科生活
 長谷川式やMMSEはよく知られた検査ですが、個人的にはあんまりこういうのはしたくないなぁと思っています。患者さんの中には自身ではなくご家族の意志で病院に連れてこられる方々もいらっしゃり、しかも明らかに年下の医者からこの検査をされるというのは、あまり気持ちの良いものではないでしょう。

 だから、自分はまず通院してもらうことから始めて、その中で朝の連続テレビ小説を観ているか、ワイドショーで多く取り上げられる話題はどういうものか、その中で最近気になる話題は何か、他にはご家族の構成やその人たちのこと、最後に行った旅行なんていうのから探り(こういう表現も良くないかもしれませんが)を入れていきます。日付を問う時も、「じゃあ2週間後にまたお会いしましょうか。あれ、今日って何日でしたっけ」とこっちが忘れたフリをして、患者さんに聞くようにしています。でもこれは批判があるかもしれません。

 ご家族から詳細なお話を伺う時は、患者さんに席を外してもらうことが多いです。なぜなら、ご家族は患者さんの「ここが出来ない」「ここが変」というのを私たちに伝えようとするのですが、それを言われる患者さんは自尊心を傷つけられる思いでいっぱいでしょう。患者さんが恥をかかされることがないよう、できるだけ周辺を考えていく必要があるのだと思っています。ご家族から伺った後は、患者さんに入ってもらってもう一度お話を聞いてそこで終了。ご家族の話で終わって「じゃあ次回」となった場合、患者さんは「家族と先生とでどんな話をしたのか…」と疑念が湧くでしょう。でも初診でも診察時間が限られている時もあるのでなかなかね…。

 このように出来るだけ検査をせずにやっていきたいのではありますが、中には長谷川式やMMSEをしなくてはいけない時もあります。その時に前置きでなされるセリフに



・簡単なテストをさせてください
・小学生にやるようなテストで申し訳ありませんが



 などがありますが、これは言わないほうが良いと考えています。確かに中身は日付とか100-7とか3桁の数字を逆に言うとか、まさに”簡単”なのです。でも、だからこそそんな表現をしないほうが良いのです、たぶん。

 なぜなら、認知機能が低下している場合、この”簡単”なテストも出来ないことがあるからなのです。もしそうだったら

「私は簡単なテストも分からないのか…」
「小学生に分かるものも分からないのか…」

 と患者さんはがっかりするかもしれません。そうなると、自尊心を傷つけ、患者さんは恥をかいたと感じ、関係性が悪化したり受診が途切れたり、中には帰宅後にご家族に向かって「なんであんなことをするようなところに連れてきたんだ!」と怒る可能性だってあります(それが妄想に発展することも)。ショックを受けて不安が強くなってしまってもいけないでしょう。

 よって、自分はその言い方ではなく


試すようなことをしてすみませんが


 と前置きするようにしています。これでもそんなに変わらんじゃないか、と感じるかもしれませんが、「簡単な…」「小学生でも分かるような…」という枕詞を付けないことで、それをできるだけ意識させないように心がけています。ちなみに、わざとらしくなくてもっと素敵な表現があればなぁと考えている最中(緩募)。

 臨床試験ではMMSEを定期的に行なって薬剤の効果を見るというのがあります。もちろんスケールで目で見えるようにするのは大事だとは分かっていますが、酷なことをしているなぁとも思わざるを得ません(必要なのは重々承知しています)。基本的には、普段の生活の様子がこちらに想像できるような感じになるまで慎重に問うていくようにしていくと良いのではないかな? と思っています。そうすることで、患者さん一人ひとりの出来ること・難しいことが明らかになってくるでしょう。生活は千差万別なので、マーカーも千差万別。

 ちなみに長谷川式やMMSEは総得点だけではなく、下位項目を評価しましょう。同じ総合点でも3物品遅延再生がゼロ点なら、ちょっとこっちの方がさすがに危ういぞ…となります。100-7は同じ間違いでも保続が見られると「おや…」と思いますし、野菜の名前なんてのもグルーピングして挙げられずにつながりなく列挙するほうが「むむむ…」です。レビーは3物品遅延再生が結構得意ないっぽう、視空間機能の低下から五角形を組み合わせたり立方体を描いたりという模写が苦手になりますし、時計描画テストでは失敗は多くないのですが文字盤が”詰まる”感じになりやすいなと思っています。レビーを疑ったらイラスト系で攻めるのがポイントかな? ちょっとした重み付けは大事ですね。
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2017
06.19

絶賛復習中

Category: ★精神科生活
 まだまだ先ではありますが、四国での看護師さん用講義に向けて、ちょっと復習しています。昔読んだ本を引っ張り出したり、新しく入門用の本を買ったり。この講義では、1日(5時間)を使って一般病棟で出会う精神疾患についてお話する予定。その中でも、間主観性を絡めて関わることのリスクとベネフィットをきちんと知ることをお伝えしようと考えております。

 さて、そんな本では読んでて「やっぱりためになるなぁ」とじんわり感じるのが、医学書院さんから出ている中井久夫先生の『看護のための精神医学』です。持っていたんですけど、まさかこういう講義をするとは思っておらず、新しく入った看護師さんにあげた記憶があります(3年くらい前?)。今回買い直して読んでみたのですが、さすがの名著でございます。ビシビシと伝わってくるものがありますね。

 初っ端から名文があり、以下に引用。


看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。


 こういうグッと来る文がどんどん出てくるのです。 精神科に関わる医療者には読んでもらいたい一冊。”看護のための”とありますが、レジデントの方々にもオススメなのです。あとは、春日武彦先生の『はじめての精神科』を合わせて読みましょう。春日先生の本はとっても現実的な視線で、ちょっとばかし読んでいて苦しくなることもあります。中井先生の上品さ?とは異なり、自分が診たイヤな患者さん(こういう言い方はとっても失礼ですが…)が思い出されるので、「あー、臨床はやっぱ苦しいよなぁ…」という感じになってきます。でもその中でも春日先生が1つの回答を与えてくれるので、「苦しいけどやるしかないなぁ」と踏ん張れる内容。この2冊はどちらも読んでおくとバランス的に良いでしょう。

 うーん、この講義は引き受けて良かったなぁと思います。こういうのがないと復習ってあんまりしないですし、以前読んだ本って、知識がついてからまた読むと違った角度からの理解も出来ますし。難しいことを砕いて言う練習にもなりますし。難しいことを易しく言うことについては賛否があり、否定的な見解の方々は、易しく言うことで深みが全く無くなってしまうというご意見をお持ちのことがあります。確かにごもっとも。でも自分としては、易しく表現することには並々ならぬ努力を要すということや、特に日常語にまで落とし込むことでその日常語の曖昧性を利用できることを重視したいのです。曖昧になるなんて良くないかもしれませんが、難しいことって専門用語を使っていても結構みなさん理解が異なります。哲学なんて良い例ですよね。であれば、日常語で意味を広く持たせて、そこからみなさん自身で考えていくきっかけとするのも悪くない、なんて思っちゃいます。

 ちなみに、ありがたいことに8月にも講演会(こっちは漢方!)の依頼をいただき、そっちのスライドもつくってます。結構忙しいけど、本業の臨床が疎かにならないように気を引き締めないといけませんな。5月の本業の講演会は無事に終了しました。東京は疲れますね。
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